toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(1/5)

(健全なヒトの意識)見出し画像
啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(1/5)

(プロローグ)

意識のプラットフォームはアナログ・デフォルトモードフラッシュ?

印象派を代表する画家の一人であるアルフレッド・シスレーの魅力は、いわばそれが画家(i.e.ヒト)の意識の「アナログ・デフォルトモードフラッシュ」(委細後述:第1章↓)のあまりにも見事な表現であること?】・・・(↓Related image)Alfred Sisley 「サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin」1870 50 x 65 cm Musée d'Orsay, Paris, France /https://www.wikiart.org/en/alfred-sisley/view-of-the-canal-saint-martin-1870 

シスレー 「サン=マルタン運河の眺め」1870  50 x 65 cm   オルセー美術館、パリ
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Alfred Sisley/self-portrait

    
【注記】コンピュータ用語のプラットフォーム(platform)はサービス、システム、ソフトウェアを提供したり、カスタマイズしたりするため必須となる標準環境(Standard Software)なる基盤を意味する。・・・IT‐Web(インターネット)で遠隔の情報処理を行うためのクラウド環境でも、必ずプラットフォームが必要である。更に、様々な工場や製品がネットで繋がる近未来の産業社会でも、どのようなIoTプラットフォームを共通基盤とするかが重要となる。

【注記】Alfred Sisley(↑self-portrait), French Impressionist Landscape Painter[Alfred Sisley was Friendship With Pierre-Auguste Renoir and Claude Monet . He became close friends with Pierre-Auguste Renoir and Claude Monet, two of the most prominent impressionists. The trio often painted and socialized together. ]By Bill Lamb Updated on June 30, 2019https://www.thoughtco.com/alfred-sisley-4691533 ・・・なお、「サン=マルタン運河の眺め↑」の情報源(出典)であるWikiArtの開発者はウクライナを拠点としており、2010年以来、その編集長は同じくウクライナ美術評論家Kseniia Bilashである。https://wikipredia.net/ja/WikiArt

【補足】…全世界の極右軍事派ら i.e.≪脳超硬化≫した「市場原理主義代理人達がプーチン・習・金正恩らを新有能アバターと見るまで重篤認知症>化した証左?むしろ新たな社会構成の創生を目指すアナログモーダルなリアリズム倫理こそが肝要 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1536061787313143808

【補足】政府は肝心の啓蒙主義の根本のホネを抜き権威主義との価値観の違いを喧伝中なので其の不誠実さに疑問感じるべき!∴対権力批判と弱者保護の線引きを総メディア巻き込み議論すべき! →「侮辱罪」厳罰化 改正刑法が可決成立 ネット中傷“歯止め”なるか613FNN

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1536199886311665664

1 意識の源としての情念、 アナログ・デフォルトモードフラッシュ、そして“時間の矢”の問題

・・・ヒトと「AI‐DLアルゴリズム」、これら二つの“意識”の分岐点となるのがデフォルトモードフラッシュと時間の矢の問題・・・

【注記】デフォルトモードフラッシュとは?・・・このフラッシュ(flash)は、“無心・明鏡止水”化する瞬間(デフォルトモード)への回帰の謂いで使っているので、それはflush(赤面すること)ではない。(苦w)

―意識の源と見える感覚および感情・情念―

生命維持や本能行動に関与する大脳辺縁系による身体の統合“感覚(外・内両受容感覚)”の源が情動作用であるとも考えられる。しかも、情動はかなり強い反応であり、その種類は「げっ歯類(ネズミ目の“ねずみ、りす、やまあらし”ら)」と共通基盤を持つ強い怒り・恐怖・不安などの本源情動から高次の社会的感情(嫉妬・困惑・罪悪感・恥など)まで多岐に渡る(参照情報:情動‐脳科学辞典、https://bit.ly/3t0GS9j)。

ところで、ここで言う[ヒトと「AI‐DLアルゴリズム」、これら二つの“意識”の分岐点]なる表現は、“近未来において、仮にAI‐DLアルゴリズムが“意識もどき”を持てたとしても!?”ということを含意する。

また、Affective computinghttps://bit.ly/3LOoWWe)と呼ぶコンピューター技術の分野があるが、それはAI‐DL( i.e. AI‐DL:ディプラーニング人工知能技術で人間の感覚および感情や感性を取り扱うことである。例えば下のTw情報(↓)は、その先端技術の「ヒト自身のⅩモーダル知覚(=クロスモーダル/五感の相互作用)への応用」だが、これは“AI‐DLアルゴリズムの意識もどき”実現とは全く異なる「ヒトのⅩ(クロス)モーダル知覚」の只の増幅・助長機器である。

―アナログ・デフォルトモードフラッシュ―

生理心理学の用語であるデフォルトモード( or デフォルトモード・ネットワーク /default mode network)には「なんらの思考も関心も、あるいは注意をもほとんど伴わない、無心の安静した状態にある脳(内外の諸環境と全身のオミクス論的な生命活動に包摂された脳内のニューロン・ネットワーク)が示す最小限度の神経活動、言い換えれば漠然とした空想や想像をしてみたり、物事を思い出したりするなどの脳活動」という意味が込めてある。

例えば、プロローグで取り上げた「Alfred Sisley 『サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin』」」の絵画は、そのようなイメージを表現した典型的な事例と言えるのではなかろうか?

シスレー 「サン=マルタン運河の眺め」1870  50 x 65 cm   オルセー美術館、パリ_R

もっとも、おそらく一般的には生命維持の安全のためと思われるが、それは100%のデフォルトではなく、例えば睡眠状態でも左脳(右利きの人の場合)は右脳に比べて覚醒度が高い状態であることが知られている(参照↓◆)。

◆左脳は「夜の見張り番」、“枕が変わると眠れない”わけ/睡眠研究者・三島和夫(秋田大学・医学系研究科教授)、https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/403964/120800130/?P=1

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レベッカフィンチャー-キーファー(ゲティスバーグ大学/心理学教授)著・望月正哉ほか訳『知識(メタ認知知識・メタ記憶≒意識)は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社によると、心理学者グレンバーグ(Glenberg A.M./米アリゾナ大学、https://bit.ly/3MU4t3u)と同・プロフィット(Proffitt, D.R./米ヴァージニア大学https://bit.ly/3PN278r)は「認知は行為に仕え、行為は身体によって制約され、また情報を与えられる身体化された知覚」という概念を提唱している(厳密に言えばグレンバーグが前段を主張し、プロフィットが“身体化された知覚”(後段)の概念でそれに同意している)。…Rebecca Fincher-Kieferの画像↓は、https://www.researchgate.net/profile/Rebecca-Fincher-Kieferより。

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Prof. Dr. Arthur Glenberg

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両者が主張するのは、「ヒトの視覚の感覚経験は、例えば我われが光学情報である角度の大きさの変化で対象物の大きさ、距離、あるいは光の色調の変化(この場合は可視光の振動数の変化で)を理解したり、又は可視光の入射角の様々な変化で網膜像の大きさの違い、i.e.数学的線形の変化でモノ(見ている対象物)の形の違いを理解できたりしている。」ということである。

プロフィットは、更に「我われの身体は光学情報から一定の意味を導出するための尺度化装置であり、すなわち“身体が知覚的定規”になる」とも述べている。だが、身体の様々な側面の一つだけが全ての場面で適切な定規になるということではない。実際にはアナログモーダル・ブラウジング意識が、時にはソロか、あるいはアンサンブルかオーケストラの様に多様なハーモニーと音色で身体知のメロディーを奏でているのであろう。

また、どの側面かが固定的な定規または楽器として使われるのではなく、それは我々の行為の目的や我われが置かれた内外(オミクス生命論的に厳密に言えば、決して留まることなく絶えず変容しつつ生きている我われ自身の身体の内外)の環境条件によって、その定規も楽器もが生命論的に自在に変化することになる。

しかし、我々の身体が一定の個体(しかも、絶えず生命維持のために一定の健全な安らぎの位置を求め続ける個体)として存在せざるを得ないのと同じことで、それがれっきとした個体生命の一部である以上は、この「身体化された知覚」(身体的な定規)も、一定のデフォルトモード(アナログ・デフォルトモードフラッシュ)へ回帰し、絶えず、そこから日々新たにリフレッシュして、明日を目指しつつ展相(ポテンツ/Potenz)する必要があると考えられる。

【注記】Potenz(ポテンツ/展相)・・・ドイツ語の原義は掛け算された数のことだが、特にシェリング哲学では持続しつつ内在する力が徐々に高まることも意味する。政治・哲学用語では、政治的な意味での健全な共同体の生命力が徐々にパワーを高めつつゼロサム「赤の女王」に抗って持続し発展することを意味する。https://note.com/toxandoria2/n/n71729a662785

そして、興味深いのは、この「ヒトの身体の様々な側面の一つだけが全ての場面で適切な定規になるということではない=身体化された知覚身体的な定規という点こそが、近未来に実現すると予想される「AIアンドロイド」(Cf.↓◆)と「オミクス生命論の下で生きるヒト」の間における「知覚に基づく意識」の根本的な差異ではないか?と考えられることだ(オミクスについては、後述する【注記】生体内オミクス環境(生体オミクス医療研究におけるオミクス)とは?を参照乞う)。

想定上の完全AIアンドロイドはなぜ胡散臭いのか? それは「アナログ/自然計算(“暗黙知”ワールド?)」と「デジタル/AIディープラーニング(“形式知”抽出マシンワールド?)」の溝の深さによる?(仮説)https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/09/02/125003 

・・・映画『エクス・マキナ(2016)』の画像↓は、https://deskgram.net/p/1965314503818192166_13432762 より

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―自然計算は情念の海に浮かぶアナログ「暗黙知」ワールドのエルゴンー

・・・アナログ・デフォルトモードフラッシュは、多様性に満ちた自然・社会環境に潜む「暗黙知」のスタート・プラットフォーム・・・

・・・エルゴンは、W.フンボルト(19世紀、プロイセン時代ドイツの言語学者)の用語で、普段は休眠状態にある「±」または「善・悪」など、そもそも両義的な性質をもつ情念or表象のことだが、リアルに活性化するとそれら両者の何れかを表現する言語的な意識活動となる

近年の生命科学、生化学、量子物理学ら先端科学研究フィールドにおける生命エネルギー論では、たとえばATP(アデノシン酸三燐酸)あるいは生体中の微小管(microtubule)などにおける、ヒトの意識プレ生命エネルギー(たるエルゴン)の(おそらく量子論的な?)関係性が注目されつつある(Ex.@R.ペンローズ、Cf.↓★)。

★コンシリエンス的“想像力”に因るリアリズムの復権と自覚が必須!/ バシュラール「形式的想像力・物質環境的想像力」と深く共鳴するマクダウエル「リアリズム倫理学」の核心(第二の自然)https://toxandoria.hatenadiary.jp/entry/2019/09/01/165255

また、そのエルゴン(ergon)の語源(古代ギリシャ語)は、労働、仕事、行為などの意味であるが、ここでは稼働エネルギー(現実態/エネルゲイア、energeia)へ展相(Potenz)するより前の「±の両義的な潜性可能性、i.e. 潜勢態/デュナミス(潜在性)の可動態」を意味することになる。そして、「エルゴン空間」は善悪の評価とは基本的に無関係な生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべきであろう現代に先駆けて資本主義の根本に係わるこのような懸念に早々と気付き、記念碑的な問題作とも見なされる『蜂の寓話』(1714)で警告を発したのがマンデヴィルである(なお、当マンデヴィルの問題点については第2章で又ふれることになる)。http://park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/kagawa04/mandeville.html https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/12/02/063303

◆【ポスト・シンギュラリティの哲学】ユク・ホイ(香港在住で新進気鋭の国際的哲学者)『再帰性と偶然性』(青土社https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774463?rec_tp=1&us=dtl&um=rec&uc=ItmRec …kinokuniya-webより部分転載↓

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・・・[出版社内容情報]ポスト・シンギュラリティの哲学/フィードバックシステムをそなえ限りなく有機体に接近した機械に取り込まれて、私たちはいやおうなくシンギュラリティに推し進められていく。果たしてそのような未来は一直線の道路なのか? それとも潜在的な可能性を含んだ豊穣な分岐たり得るのか? ユク・ホイは後者に賭けるために、偶然性を呑み込んで必然性と化す機械の中に飛び込み、そこから再び偶然性を奪還しようとする。それは唯一のシステムという幻想(シンギュラリティ幻想←AI‐DLアルゴリズムが神になると見て、これを煽った?のがユヴァル・ノア・ハラリ/補記、toxandoria)を粉砕し、宇宙と技術の多元性に向かう可能性が秘められているからだ。21世紀の思想史に名を刻むであろう哲学者の思想が凝縮された待望の邦訳。

【注記】対概念である「暗黙知」と「形式知は共にマイケル・ポラニー(1891-1976/ハンガリーの物理化学者・社会科学者・科学哲学者)が提唱した概念。・・・暗黙知」は言葉や数式に置き換えて表せない知であり(∵それは、身体化された認知なる情念の海に浮かぶから!)、形式知」は客観的な言葉や数式に置き換えて表すことが可能な知と定義できる。この両「知」の差異の問題は、特にAI(ディープラーニング/DL)をビジネス・製造・軍事・医療・教育・司法・行政支援等で具体的に利・活用する場面で非常に重要な意味をもつ

(自然計算と南方熊楠の先見性)

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          (↑南方熊楠の画像はウイキより)

自然計算の全体像を論理的に説明するのはなかなか難しいが、日本では南方熊楠の「やりあて」を始めとして、特に医学の世界では経験的(あるいは殆ど無意識)にそれを使ってきている。

【注記】博物学者・南方熊楠の研究手法「やりあて」の実績・・・おそらく、南方熊楠は無意識に自らの脳の働きを一種の特殊な自然計算と見立てた上で、その「やりあて」と命名した手法で、自然計算のハーネス(調教)的な使い方を自らの研究活動の成果に結びつけていたと考えれれる。「やりあて」による熊楠の研究成果は、例えばネイチャー誌に掲載された熊楠の論文数「約50報」がそれであり(日本人最高記録保持者)、この実績は未だに破られていない(出典/https://bit.ly/3lT1pZD)

ところで、鈴木泰博氏(名古屋大学准教授)によると、自然計算の応用事例としては、例えば「幼児性中耳炎(好発は 2 歳)の治療(炎症の原因菌と戦う常在菌を選抜し両菌を混在させた上で後は“武運長久”祈願! として敢えて放置する治療戦略が成功している)」こと、あるいは「最新のがん免疫療法」などが挙げられる(出典:自然計算/201505人工知能30巻3号https://www.ai-gakkai.or.jp/my-bookmark_vol30-no3/ )。

因みに、同じ鈴木泰博氏は自然計算を詳細に論ずるのが難しいのは自然計算ではアルゴリズムを与える主体と計算を実行する主体が同じになって しまうことに因ると説明している。それは、仮に生命現象を含む“森羅万象”(自らが<神>同然であることを自負する?かの安倍晋三氏のことではないが!)に関わる自然計算のアルゴリズムの全指定ができるプログラマーがもしいるとするなら、もはや彼は人間が神と同然化したとも言える存在であるだろうからだ。

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しかも、これは「ヒトの感情とAIの感情もどき」の間に横たわる『不気味の谷』(ロボットを人間に近づけていくと、ある地点で急に違和感や嫌悪感をもつようになる心理/↑画像:https://bit.ly/3mccQvP)とも重なる問題になると思われる。

が、それどころか現実はおそらく「リアル・アナログ世界」と「デジタル世界(コンピューター上の抽象化で実現するAI抽象化デュナミス潜性態の世界」が完全一致する(ハラリが言うところの『AI‐DLアルゴリズムが神になる』)とは思えないので、おそらく人文「知」による何らかのルネサンス的な新たな知恵(クワイン、マクダウエル、ガダマー、あるいはメイヤスーら“意味の全体論”の立場の更なる先にあるetwas?)が創造されなければ、むしろ『リアリズムの危機』とすらなりかねないだろう

また、例えば「電気化学的勾配によるカルシウム・イオン、又はホルモン・酵素等の“内分泌系”情報伝達物質の脳など生体内における移動・伝播の動き、または細胞蛋白質や細胞小器官らの間における情報伝達的かつ物理的な橋渡し役を担う細胞骨格(マイクロフィラメント等(直径で約約5~9nm以下の驚異的なマイクロ・スケール!/1nm=“1/10憶”m=“1/1千万”mm)という超微細組織の働きなど、我われ自身の体内にも実に驚くべきミクロ・リアリズムの世界が存在している。

また、「もしプラトン的な観念が不在であれば数学の概念を我々は理解できないはずだ」との見解や、あるいは「我われの周囲には量子力学を用いて説明できる現象が偏在している」との見解など、これらR.ペンローズ(英国の天才的な数学者・理論物理学者/1931- )の注目すべき主張を裏付ける観測的な事実が明らかとなりつつあること(https://bit.ly/3LSmxJX 、https://bit.ly/3zb3A2J )や、同じくペンローズが強い関心を寄せる重力(量)子(これは未観測!)と生命体(特に脳の働き)との関係性?などの問題もヒトの脳と意識(心)の作用を構成する重要なファクターであると考えられる。それ故、特に脳の全ての働き、i.e.ヒトの意識の問題についてはAI‐DLアルゴリズムだけでシミュレーション的に説明することはできないだろう。

従って、この様なことに加えて「そもそも脳のニューロン・ネットワークを模したAIディープラーニング自動計算には、それが、主に一定の限界があると見るべき“ビッグデータを利用したベイズ推計”によるという現実もある」ため(https://bit.ly/3wW0OfU)、そのトータルが殆ど「暗黙知」的な「自然計算」とAIディープラーニング自動計算との間には大きな落差(断絶)があることが理解できる。

そもそも宇宙の銀河数1,000億個を超えるともされる莫大なニューロンの規模(厳密に言えば中枢神経全体の神経細胞の数、https://bit.ly/3wWXOjG)に加え、そのニューロンが数え切れぬ程のシナプス(イオン系、化学系、混合系から成る規模)などの問題が存在するため、脳内の情報処理ネットワークを、AIディープラーニング自動計算(ビッグデータベイズ推計)で100%再現することは到底不可能と思われる。

仮に、「DNA量子コンピュータ-↓◆やイオントラップ量子コンピュータhttps://bit.ly/3GrTego」らの超巨大な量子記憶デバイスが実現したとしても、今度は、それらによって「デジタル・シミュレーションで創造する抽象世界」と「地球自然環境が包摂する暗黙知に因るリアル日常の生命世界(ヒトを含む)」との間の断絶を解消することは、仮に近未来において実現するとしても、人類が、ユク・ホイの指摘する<生のアナログモーダルな『再帰性と偶然性』>を捨てぬ限り、i.e.< ヒトが地球型の人間であること>を諦めぬ限り、それはまったく無意味なものとなるだけであろう。


◆“成功”は同慶の至りだが相変わらず格差(AI生産性Vsヒト生産性)解消(適正交換)の手法の開発が放置の儘では片手落ちでは?/Cf.↓♨ →世界初、群れで作業をする分子ロボ(駆動系=DNAコンピュータ)を開発、実働に成功=北大など426 MITテクノロジーレビュー、https://www.technologyreview.jp/n/2022/04/26/274442/

なお、このような意味での自然計算はフランス科学認識論の哲学者、G.シモンドン『個体化の哲学』(叢書・ウニベルシタス)の“ミクロから宇宙規模のマクロにおよぶ大自然世界における相転移の問題意識”の連続リアリティの概念にも重なると理解できること)および個体生命内の「ATP/アデノシン酸三燐酸(動植物に共通の個体内における生命エネルギー通貨)」創造の謎の問題とも深く関わると考えられるが、此処でそれらを深堀りする余地はないので、以下に事例◆を列挙するだけに止めておく。

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シモンドン(Gilbert Simondon/1924 - 1989)、個体化の理論を提唱したフランスの哲学者/↑画像は、https://bit.ly/3NyOZ50 より転載)によれば、ミクロ~マクロに至る世界の総体は<存在の特定の相(情報、形相、特異点)>という概念に比肩できる。これは「相転移閾値(特異性)で繋がる一定の系が強度intensitéとしての情報が連続する多層構造(?・・・超ミクロスケール~量子物理学スケール~物理・化学スケール~オミクス生命論スケール~宇宙論スケール~超マクロスケール・・・?)」ということを意味する。今もって重力と磁力の本性が未解明であることを連想すると興味が尽きない!/参考資料:ジルベール・シモンドンとジル・ドゥルーズの「特異性」の概念―「情報」の形而上学的な問い直しのために―堀江郁智日本学術振興会 特別研究員)http://www.iii.u-tokyo.ac.jp/manage/wp-content/uploads/2018/04/88_6.pdf

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◆【ATP合成酵素分子モーター人間の場合、ATP合成酵素ミトコンドリアの内膜にあり、水素イオンの流れでATPを作っているが、その役割は発電所の仕事に喩えることができる)のメカニズムは解明されつつあるが、なぜ、あらゆる生物が簡単な機構ではなく、複雑なナノモーターを使用しているのか?は未解明である!その回転には何らかの宇宙的な普遍性があるかも!?/京都産業大学、総合生命科学部 生命システム学科 吉田賢右教授https://www.kyoto-su.ac.jp/project/st/st11_06.html 】・・・Cf. 「分子モーター」を人為的に回して「ATP」の合成に成功(基礎研究最前線)伊藤博康(浜松ホトニクス(株)筑波研究所研究員(専任部員))戦略的創造研究推進事業「タンパク質分子モーターを利用したナノメカノケミカルマシンの創製」研究代表者 https://bit.ly/3lS4RUv 

(注目すべき、ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論)

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同じく、レベッカフィンチャー-キーファー(ゲティスバーグ大学/心理学教授)著・望月正哉ほか訳『知識(メタ認知知識・メタ記憶≒意識)は身体からできている/身体化された認知の心理学』(新曜社によると、ローレンスW.バルサルー(‪Lawrence W. Barsalou‬/米国の心理学者・認知科学者、英グラスゴー大学在籍)は、伝統的に「AI知識表象/人工知能」研究の中核と見られてきた「物理的シンボルシステム(非感性的シンボルシステム仮説/ PSSH )」(ある知覚、例えば椅子を見た意識経験は、その椅子の各部分の<特徴>である座面、背もたれ、脚などに分解されたイメージ(アルゴリズム分解のイメージ特徴量)として長期記憶に保存される)を批判し、人間的な「アナログモーダル・シンボル理論/PSS」(ある知覚、例えば椅子を見た意識経験は、その椅子の全体イメージが長期記憶に保存される)を提唱している。

結局、(AI設計等に関わる詳細の議論を省いた、かなり大雑把で直感的な表現となるが)ヒトの意識は、今まで「AI知識表象」研究において「物理的シンボルシステム(非感性的シンボルシステム)仮説」が理解してきたような、言い換えればAIディープラーニングが補足するビッグデータによる<特徴量>の集積の如きものでは決してあり得ず、むしろバルサルーが提唱する「アナログモーダル・シンボル理論」にこそ、より馴染むものではないか、ということになるだろう。

それは、生命のエルゴン空間を漂う存在たる「オミクス生命論」的な意識と情念(感情の海)を持たないAIアドロイドならぬヒトにとっては、絶えず共感し合えるブラウジング意識(情念の海に浮かぶマルチモーダル・ブラウジング効果)を共有しつつ、一回性の日常を生きるのが紛れもなくリアリズム(現実)であるからだ

[補足]当記事における「モダリティ(modality)、モーダル(modal/モダリティの形容詞形)の定義について(インターミッション)

・・・ある程度大分の辞書を調べれば分かるが、modalityの意味は“様式、形式、物理・科学・数学等の法(法則)性”、規則(性)などと書かれている。従って、(具体的に見れば)例えばAI‐DLのモーダルは同アルゴリズムであり、医療分野では医療機器の種類やタイプを表す言葉(厳密に見れば、それらを稼働させるよう特化された個々のソフトやアルゴリズム等の法則性)として「モダリティ」(の用語)が使用されている

・・・だから、生命個体であるヒトやサルなどの霊長類も何らかのモダリティ(モーダルな法則性)によって、意識を含む凡ゆる活動が行われていると考えるべきだろう。例えば、ヒトとサルに共通する一定の意識活動の例として、特に近年において注目されるようになった「ミラー・ニューロン」の問題がある。これは、Rizzolatti( Italian neurophysiologist/
University of Parma)らの研究によってサルの腹側運動前野および下頭頂小葉で見つかった<自分が行為を実行するときにも他者が同様の行為をするのを観察するときにも活動するニューロン>である。単に行為の視覚特性に反応しているのではなく、行為の意図まで処理していることが示唆されており、他者の行為の意味の理解・意図の理解などとの関与が提案されている。ヒトの相同領域でも、ミラー・ニューロンと解釈できる活動が示されている(https://bit.ly/3toW3cS)。

・・・但し、このような<個体生命の意識の問題>など「生のモダリティ」の存在様式の在り方が、医療機器やスマホなど、いわゆるマシン(機械類)のモダリティ(モーダル)とは単純な比較を許さぬ多様性と複雑さ(というか、異相性 or 異端性 or ある種の無限性 or 偶然性の必然性(Q.メイヤスーの用語)というべきか?/その意味では“生命の究極の特異性”とも見える数学的でありつつ、かつ経験に対し開放的な性質)を帯びている現実があることについては論を俟たないと考えられる。

・・・

 

[補足]宗教学者井上順孝氏は「他者の行為を自分の行為の如く脳内で再現するミラーニューロン」(その自閉ループ感染は恰も洗脳?)には「宗教儀礼や諸実践の動きの理解に新しい地平をもたらす、恐らく最も原初的な宗教に関わる何かの発見の可がある」と指摘する(Cf.↓◆/et ガダマー『地平の融合』:後述)。

 

◆1「ミラーニューロンの謎の力」ブログ宗教文化の網の目(宗教学者井上順孝)、https://syukyobunka.hatenablog.com/entry/2021/04/07 

 

◆2/関連記事「フェイクニュースの感染力」ブログ宗教文化の網の目(宗教学者井上順孝https://syukyobunka.hatenablog.com/entry/2020/12/09 

 

◆3/関連記事「カルト問題の根深さと複雑さの背景」ブログ宗教文化の網の目(宗教学者井上順孝)、https://syukyobunka.hatenablog.com/entry/2021/10/13

 

・・・

この点で、いわゆるシンギュラリティ論は、それ自体がマッドサイエンティスト風の“異相性 or 異端性”を帯びているように思われる。(苦w)

・・・それは、ヒトを初めとする個体生命のモダリティが(それは特にオミクス生命論の意味からも明らかだと思われるが)、その生命個体を包摂する地球の自然環境(最広義のinvivo環境)に支持されているからだ(いわゆるマシン(機械類)のモダリティ(モーダル)は、その両者の関係が決定的に断絶している)。

・・・言い換えれば、例えば、特に「ヒトの意識」に代表される生命活動は「自然環境の暗黙知(自然計算)」に深く支持されていると思われるということだ。従って、当記事の「アナログモーダルなヒトの意識」という表現における「アナログモーダル」は、そのような意味を含意することを前提とした言葉として使っている。また、この「自然環境の暗黙知」の問題は、言語学における「選言説(論)」とも関係するが、これについては、別途、当記事の終わり辺りでふれることになる。

・・・

ともかくも、更に敷衍すれば、おそらく「この広大な宇宙の片隅にある、とてもちっぽけな?(果たして、そう言えるのか?/苦w)銀河系、i.e. 太陽系が属すこの「天の川銀河」の中の地球において、よしんば“これがミンコフスキー空間(=同・時空の↓画像は、https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6 から)の中でのファンタジーであるとしても”、我われは「ほぼ同じ時空にいる!」というユクスキュル環世界https://bit.ly/3wWXi3V)の中でほぼ同様に協働・作動し、共感し合えるブラウジング意識マルチモーダル・ブラウジング効果)を共有しつつ、潜性イノヴェーションリアル日常デュナミス生産性・可能性/↓◆)に満ち溢れた「一回性の日常」を生きる我われヒト(および全ての地球型生命)の存在は、それだけでも奇跡的なことだと言うべきかもしれない。

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つまり、それは奇跡の『地球自然環境』(及び内なる“感覚・感情を含む生命環境”)そのものがリアルな『生命倫理』の湧出源!であることを意味する。そして、その『生命倫理』は地球環境の破壊、i.e.“タナトスの闇が導く『戦争のリアリズムの対極!になる

◆【QT/短期間で1/10以下の価値に!】は『市場原理主義』以上に“生命倫理&潜性イノヴェーション/リアル日常のデュナミス生産性”を無視する名バカりステーブル妄想、AI‐DLアルゴリズム万能の狂信が白日化したから? →ステーブルコイン「テラ」暴落 なぜ?529NHK https://twitter.com/tadanoossan2/status/1530642543276609536

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・・・関連/【内向化する闇の情念(負のエルゴンたるタナトス)が激烈に渦巻く非人道の極み!“生命倫理”完全無視プーチンの象徴的な存在】それが「ワグネル 影のロシア傭兵部隊/プーチン影の軍隊… 無論、ワグネル・メンバー自身の人権も端から無視!すっかり目が血走ってしまった日本をはじめとする欧米側“産軍複合体”らもコレ、i.e.自らの内部にも巣食う<両義的「エルゴン空間」の諸共の破壊>なる愚挙・醜行を反面教師とするべき!NHK/BSドキュメンタリー518 (“Wagner, Putin's Shadow Army” by Amandine Chambelland – CAPA – for France 5) https://www.youtube.com/watch?v=ue7HkPE007g /再放予601、

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https://www.nhk.jp/p/wdoc/ts/88Z7X45XZY/episode/te/3KY1ZPV423/

―「ビックバン以降のヒックズ機構」の下における“時間の矢”の問題ー

・・・ビックバン以降のヒックズ機構こそが<“時間の矢”とヒト(情念の海に浮かぶ個体生命)の“一回性”を繋ぐリアリズム>の証人!(当内容は、特に下のブログ記事二つと深く関係する)・・・

・・・
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世界的に著名なフューチャリスト(未来学者)であるF.R.ヨンク(F.Richard Yonck/↑画像は、https://futurist.com/futurist-think-tank/futurist-richard-yonck/ より)は、著書↓『Heart of the Machine : Our Future in a World of Artificial Emotional Intelligence/‐Arcade Pub‐』(未邦訳)で、↓次のように語っている(wired.jp『NOBU SUGATSUKE‐AWAY FROM ANIMALS AND MACHINES2019.02.18 :AIが感情(情念)を理解する日はやってくるか?』より部分転載/一部、+toxandoria補記)。 

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☞  そもそも「地球自然環境(および生体内オミクス環境、et 両者の無限の関係性/補、toxandoria)との関係が深いと見るべき感情や情念と基底で繋がる、というよりほぼ一体化しているヒトの知」「その意味での内外環境との多様な関係性が完全に断絶している(補、toxandoria)AIの知」全く異質なものなので、AIは感情や情念(内・外両受容“感覚”の情動化)に基づいた判断はしない。(因みに、地球自然環境の内外ではエンドレスの偶然(一回)性の連続と散逸構造が自在かつ無限に錯綜している/補、toxandoria)

遠い将来、感情モドキのAIに感情移入するヒト(ヒトもどき/補、toxandoria)の出現はあり得るかも知れぬが又、それでも個人差があるはずなので(補、toxandoria)、結局は個々のヒトビックバン以降のヒッグズ機構の“時間の矢”の下にある、i.e. いま存在している人類(補、toxandoria)が何に幸せを感じるかの問題になる、と思われる![〈AIが感情を理解する日はやってくるか?/連載『動物と機械からはなれて』(部分抽出、転載)] WIRED.jp https://wired.jp/series/away-from-animals-and-machines/chapter4-1/ 

因みに、我われのリアルなアナログモーダル意識は時間の矢の流れから外へ決して脱出することはできないので、近年は『我われが日常で意識するリアルな自然現象の範囲においても「量子力学的な非局所性/非局所実在論的な観測結果」が確認されたという報告も出始めている』ようだが(とはいっても、それは未だナノスケールのことであるようだ!?)、時間の矢の流れのなかで生き続ける我われの日常においては、換言すれば因果に支配される此の「理由の空間」においては、所定の確定した「結果」が古典物理学的(局所実在論的)に根底から覆ることはないし、その意味で時間の矢が破れる(時間が瞬時に逆転し、もう一つの局所実在のリアルが目前に出現することなどはあり得ない(大ウソが大好きなポストトウルース派の安倍晋三プーチン・トランプ氏らに対しては誠にお気の毒なことだが!w)。

注記ヒックズ機構・・・橋本純一郎「空間は実在するか」-インターナショナル新書-によれば、この宇宙に存在する質量を持つ物質は、宇宙の始まりから存在したのではなくビッグバン後の<ヒッグズ機構の作動>という後天的な出来事で生まれた。そして、この「ヒッグズ機構」は、2012年7月4日に“CERNの2つの実験グループ”が「ヒッグス粒子」を発見したことによって確実視されることとなった(https://go.nature.com/3BbHrjL)。また、ヒッグス粒子を発見したアングレールとヒッグスは、2013年度のノーベル物理学賞を受賞している。https://editor.note.com/notes/n4ea0f2eba0e6/edit/

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【注記】生体内オミクス環境(生体オミクス医療研究におけるオミクス)とは?・・・オミクス医療(Omics-based Medicine)研究はオミクスOmics情報を駆使して、疾患の予防、診断、治療、予後の質を向上することを目指す医科学研究の名称。又、オミクス情報とは網羅的な生体分子(ナノメートル(凡よそ1㎜の100万分の1)前後の世界)の情報で、具体的にはゲノムGenomeやトランスクリプトームTranscriptome、プロテオームProteome、メタボロームMetabolome、インタラクトームInteractome、セロームCellomeと呼ばれる、様々な網羅的な分子情報をまとめた情報、知識、集合のことを指す。・・・以下、省略・・・http://omics.jp/about-omics 関連で、下記◆も参照乞う。

◆オミクス(オミックス、オーミックス)について/バイオコラム:オミックスより(一部、転載)、https://note.com/toxandoria2/n/nba47ae28eff6

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<注>画像↑は、クイーン・メアリー・センターのHPより転載/クイーン・メアリー・センター・フォー・ザ・ヒストリー・オブ・ザ・エモーションズは、感情の歴史に特化した英国初の研究センター。https://projects.history.qmul.ac.uk/emotions/ 

・・・人間が「地球自然環境」で包摂されつつ生きるヒトである意識と情念を持つのを諦めぬ限り、相変わらず人間の世界(人間社会)では「ヒトの意識と情念」に役立つプラットフォーム(platform)が必要であり続けるだろう。・・・

・・・以下は[AIに感情(情念)を通わせるのは想像以上に難しく不可能かもしれない/20181207GIGAZINE https://gigazine.net/news/20181207-ai-emotion/より部分転載・・・

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英国(クイーン・メアリー・センター)の感情言語科学の研究者であるリチャード・ファース・ゴッドビーヒー博士(Dr.Richard Firth-Godbehere/Centre for the History of the Emotions(London)/画像↑は、https://cosmicshambles.com/bookshambles/richard-fg より)は、AIが人間の感情(意識)を読み取ることは想像以上に難しいのではないかとの見解を明らかにしている。

ゴッドビーヒー博士によれば感情(情念)とは動的なもの(内外環境と共鳴し続けるオミクス生命論的な概念流動/補、toxandoria)であり、人間の脳はこの動的なもの(マッハ感覚論的素材性でもある/委細、後述/補、toxandoria)を柔軟に捉える能力にたけている

これに関してゴッドビーヒー博士は「コンピューターの記憶(保存データ)事実(デジタル抽象化情報のトークン)を完璧かつ確定的に保持できるものではあるが、柔軟性(情念の海に浮かぶオミクス生命論的な意味での/補、toxandoria)がないゆえに、場合によっては相反する事実に折り合い(例えば、生命倫理的な意味での)をつけつつ結合させるというような作業は苦手である!」とも述べている。・・・ここで転載は終わり・・・

コンピューター上の抽象化情報はデジタル・ナルシス(西垣 通)、あるいは AI抽象化デュナミス潜勢態(情念の海の感性を帯びた生命体であるヒトにとっては、それが《概念の流動性》と断絶した抽象化(例えば、《表象の政治学》上の病理)である限り、それはあくまでも可能性の次元に留まるもの/明治大学大学院教授・大黒岳彦氏(哲学・倫理学))である。その具体例は「(1)AI‐Webの検索」や「(2)AIディープラーニングが抽出する特徴量)」等であるが、 いくら大量のデータを使って鍛えても、ヒトと全く同等の“生”の水準でAIが動的(ヒトの生命活動的)な感情をパーフェクトに正しく判断することは、難しいと言えそうだ。cf.[参照資料]『AIに感情を通わせるのは想像以上に難しく不可能かもしれない』Dr. Rich Firth-Godbehere/Centre for the History of the Emotions(London) ・・・https://projects.history.qmul.ac.uk/emotions/

<注>AIディープラーニング(DL)の特徴量などは「AI抽象化デュナミス潜勢態」(orデジタル・ナルシス)であり、それとヒト(情念の海に浮かぶ)の間には断絶(絶対的な壁)がある!それどころか、既述したとおりのことだが此のデジタル・ナルシス(AI抽象化デュナミス潜勢態)はヒトのアナログモーダルとリアル生命そのものに寄生し易いという厄介な性質を帯びている。つまり、あくまでもAIは“両刃の剣”的な道具(技術・ツール)のジャンルなのである(参照 ☞ http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20180701

例えば、DLの特徴量は、確かに「ある事象の典型パターンの一部」の抽出(ベイズ推計での予測的な)ではあるが、それは一定の想定された巨大空間(≠一般の統計学における母集団)における特定の現象に関わるベイズ推計上の確率の大きさ(抽象的推測値/一定の“形式知”に馴染む範囲内の特徴量であるのに過ぎぬこと)を意味するに止まる。

従って、そのDLの特徴量は、「それ以外の残余」の現実(時間の流れに沿う無限の因果で全方向の空間へ繋がるリアル現象(マッハ感覚論的素材性、i.e.エトノス&感情の海を漂うエネルゲイア)が“大数の法則”の謂いで関わる一定空間/公理的確率により構成される確率空間の全体母集団の意味での全体)、言い換えれば「絶えず地球の自然エトノス&生命環境と同期する“暗黙知”が持続的に創生するアナログなリアル世界の全体」を示すものではない(“暗黙知”と“形式知”に関連する委細は後述)。

なぜなら、ビッグデータの機械(自動)計算処理プロセスでは、アナログ暗黙知が優勢なリアル現象トータルの殆どが“形式知”に馴染む抽象的推測値を集約(推計)する機械(自動)計算の過程で切り捨てられているからだ。

このことを、より厳密に言えば「AIディープラーニング(DL)は、<論理的に説明ができない深層学習プロセスの部分で、その処理に関する暗黙知の部分をソックリ自らの内部に吸収(内部化/厳密に言えば内部に“内生”している(あくまでもリアル暗黙知の宿主であるヒトと徹底的に断絶した儘で、謂わば“全体の意味”から切断された遊離デジタル抽象化して、不条理に(諸矛盾を抱え込んだ状態で)寄生(i.e.恰も“生きたアナログ生命個体であるヒト”に寄生する『デジタル寄生虫』化!)することが出来るので、それに関しては形式知化する必要がない>ということである。

だから、そもそも“長所であったはずの”DLの特徴量=ビッグデータの機械(自動)計算処理プロセスの成果“が根本的な弱点とも見えることがある例えば、「セル生産工場」の現場(作業者一人が受け持つ範囲が広い生産システム)では、その製造工程のDL調教のために、改めてQ&A構造化した自然言語データベース(選言論の外部環境に相当する)と組み合わせるなどの工夫が必要になる。(野村直之『人工知能が変える仕事の未来』‐日本経済新聞社) 

【注記】セル生産方式とは?ライン生産との違いやメリットを解説20190610ロボット導入com.・・・単一の製品を大量に製造できる「ライン生産方式」は、これまで日本の製造業を発達させてきた。しかし、現在の製造業は大量生産ではなく、多品種少量生産の時代。ライン生産方式は生産品目の柔軟な変更に適していないため、この課題を解消できる「セル生産方式」へのシフトが進んでいる。https://www.robot-befriend.com/blog/cellular-manufacturing-system/

(アナログモーダル・シンボル理論とマッハ感覚論的素材性の関係性)

・・・リアリズム倫理が必須となる背景と見るべき、「AI・DL‐Web情報」と「リアル社会情報」の根本的な差異の問題・・・https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

 その前提には、先ずa「あくまでもヒトがリアルに生きている文脈的世界の一環であるデータ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性)の暗黙知b「機械言語上の情報知(抽象的体系性)」、の「断絶/アポリアということがある。

a「あくまでも“内外の感情の海、アナログモーダル空間(流動概念的な意識空間)を漂うヒト”がリアルに生きている文脈的世界の一環であるデータ(一般的な意味での抽象性とは異なるマッハ感覚論的素材性)の暗黙知

b「“ヒトの意識と断絶した電脳空間”上の“アルゴリズム or 物理”的データたる機械言語上の情報知(抽象的体系性)」

aとbの両者は、アリストテレスの潜勢態(デュナミス/dynamis)現勢態(エネルゲイア/energeia)に対応する。なお、その潜勢態(可能性でもある!)を完全に実現して、その目的に到った状態のことはエンテレケイア(entelecheia/プラトンイデアに匹敵する)と呼ばれる。

そして、より詳しく見ておけば、今や我われは[(1)リアルアナログ・モード:社会活動的な意味での間主観性が日々に更新され続けるリアル側面に相当する、一定の文脈的世界の一環たるマッハ感覚論的素材性(エトノス&感情の海を漂うエネルゲイア(2)抽象デジタル・モード:巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”が時々刻々と更新し続ける新たなクラウド世界(増殖し続ける抽象的データ・デュナミス)(3)エンテレケイア・モード:ルソー「一般意志」に相当する普遍観念(絶えざる未来志向の理想)]という、日々に我われが生きる環境世界のリアリズムに関する三つのフェーズを明確に意識しつつ生きるべき時代に入ったといえる。

なお、例えば下の記事◆で“反面教師的”教材の意味で取り上げた東 浩紀『一般意志2.0』の如く、その筋の専門家でも「(1)と(2)」を混同するケース(マッドサイエンティストもこのジャンル?)が観察される。ともかくも、一般的には(1)、(2)、(3)が区別されず漫然と混同されているようだ。(以上についてのヒントを与えてくれた主な資料:大黒岳彦『情報社会の哲学』(勁草書房、p316・注記 ほか)・・・https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784326154388

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端的に言えば、a「リアル社会情報=パースの“トークン”(関連参照↓◆)が代表する社会の潜在的な諸活動(潜勢態/エルゴン/ergon)が日々に創造するリアル因果の連鎖=時間の流れに伴い永続更新するマッハ感覚論的素材が紡ぎ出すリアル現象」、および b「Web情報=Webネットワーク内のデータ分布(ビット&抽象情報化した各データは一定のリアル文脈構造から切り離されている)が拡張しつつ創造する無限のヴァーチャル構造/巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”DBが構築し続ける電脳空間」、として<根本的にaとbを対比して見る>ことで、これらの両者が決定的に「断絶」していることの理解が可能となる訳だ(前段の文脈で言えば、(1)と(2)の断絶ということ!)。

◆ボディーブローの逆流となり世界へ拡散する安倍ネオ・ファッショの恥!/高度Web情報化で本格的「出現」が懸念されるネオ“優生学”ファッショの超リスクhttps://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180701/p1

■啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(2/5)

見出し画像
Alfred Sisley 「サン=マルタン運河の眺め/View of the Canal Saint-Martin」1870 50 x 65 cm Musée d'Orsay, Paris, France /https://www.wikiart.org/en/alfred-sisley/view-of-the-canal-saint-martin-1870 
啓蒙思想初期に周知!のタナトスはヒトの共有エルゴン、i.e.その悪の情念の天敵はアナログモーダル(健全なヒトの意識)!先行把握の身体知で新しい「社会構成」への展相が急務(2/5)

 

2 初期啓蒙思想期には周知だった[「情念のマグマ」の超リスク(死への誘惑タナトス/-)と可能性(生への希望デュナミス/+) ]の問題

・・・あるいは、この「初期啓蒙思想期には周知だった『情念のマグマ』から更に一歩踏み込み、<目下の“露プーチンウクライナ侵攻”が象徴する「タナトスの闇」>とは『人類共有のエルゴン』(普段は休眠状態にある±または善・悪、真・偽などそもそも両義的な性質の情念を準備する、“身体知”に基づくデュナミス表象)のリアル形象化(インカーネーション)と見るべきかも知れない!・・・

・・・エルゴンは、前稼働態・抽象的死生態(この段階では善悪の判断を伴わない)とも呼ばれる、潜性イノヴェーションの在処の一つ。ヒトの『日常』(i.e.日々のリアル生命活動であるエネルゲイア(energeia)=現勢態・稼働態)は、「エルゴン(ergon/前“稼働態・抽象的死生態”(もう一つの潜性イノヴェーションの在処はエネルゲイア))⇒デュナミス(dunamis/プレ・エネルゲイア/可動態)⇒ リアル・イノヴェーションたるエネルゲイア(現勢態・稼働体)⇒ 新たに展相(ポテンツ)したエンテレケイア(entelecheia/未生態/理念・理想 or 純粋抽象観念のフェーズ)」のプロセスに支えられている。・・・https://note.com/toxandoria2/n/n4ea0f2eba0e6

(AI‐DX展相どころか靖国“愛国”国体論、i.e.『タナトスの闇/穴クロ“情念のマグマ”』に相変わらず取り憑かれたままの不思議の国、ニッポン!)

「米 問われるバランス」というより、<露プ侵攻=人類共有タナトスの闇!>覚醒の有無の問題!min.此の点が欧米Vs日本(今も露プ仲間の背後霊アベが取仕切る!)の差異かも神社! →米の支援戦略、外交解決視野 露領に届かぬ兵器提供/プーチン追放しない」明言 602朝日 https://twitter.com/tadanoossan2/status/1532135082869555202

[関連」安倍氏、防衛費7兆円視野:23年度当初予算で主張  et「米バイデン大統領が台湾有事で軍事的関与の発言を歓迎したい!」と表明0526日経https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA26BRG0W2A520C2000000/

[関連]ホントのコト批判した相手の何が悪い?プーチンタナトス流、口封じの異常論理に酷似!只、自戒すべきはタナトスが各国民も含めた全人類共有の根深い前意識の闇であること! →「QT/君はアベノミクスを批判するのか!」安倍氏怒りの電話で何が起きたか602朝日 <注>ホントのコト=<アベ・タナトス自画像>の政治権力的“投影”で<極貧相化>したJPN、i.e. 「旗艦モスクワ」ならぬ「旗艦アナ黒アベ」の旗印がアベノミクスということ。https://www.asahi.com/articles/ASQ615RM1Q5VUTFK013.html

[関連]とすれば、これは「アベ有事」であろう!?オール日本人を巻き込んで無理心中を図るつもり?(関連↓♨)or パックス・シニカ(中華治世)への徒な恐怖心?Cf.必読書=李懐印(テキサス大学歴史系教授)著「現代中国的形成」605朝日Globe 

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・・・以下は、[20220605朝日GLOBE・記事]より北京大学教員・馬場公彦氏の[李懐印(テキサス大学歴史系教授)著『現代中国的形成』↑]に係わる、主な注釈のポイント」の部分転載。末尾の(  )内の記述は、toxandoria の所見。・・・

清朝[その領土はモンゴル帝国を除けば歴代最大を誇るが、西洋植民帝国のように対外拡戦争で獲得したものではない]では、藩部からの進貢のほかは自主権に委ね、その巨大版図は中央派遣の官僚組織での統治が行われ、軽微な田賦により財政が末端村落まで浸透し平和と安定が維持された。←(所見/比較史の視点でみれば、ほぼ清朝前期に当たる西欧近世の時代は、現在の市場原理主義のルーツとも見える重商主義政策の時期に相当する。また、この時期は、ほぼ西欧啓蒙思想・発展史の前半にも重なる!)

●平安が破られたのは、内陸危機から海上危機への地政学的変局への対応を誤り、日清戦争に敗北したことによる。清朝は東アジアの宗主権を失い、ウエストファリア条約システム(その本質=重商主義の権益保全?」)に組み込まれた。   ←(所見/ウェストファリア条約の段階は、主権国家が成立していたが、それは各国の君主が絶対的な国家主権を行使する「絶対主義」(絶対王政)であり、明確な国民意識や国境線で区切られた領土、傭兵ではない国民軍、さらに国民主権という概念やその政治機構などを特質とする「国民国家」が形成されるのは18世紀後半のフランス革命に代表される市民革命の時期を待たなければならない。@木畑洋一『国際体制の展開』世界史リブレット54 1997 山川出版社 p.5-7

●その後の軍閥混戦、国民党の北伐、国共合作(一致抗日)は統一を回復するための集権化の模索でもあった。内戦を勝ち抜いた共産党は、ソ連式の統治国家システムと強権支配による統一国家を建設した。が、近代化以降に導入された試用型の代議制民主主義は持続せず、集権独裁に置き換わっていった。このような中国の形成過程により、「現代中国像」はパックス・シニカ(中華治世)と強肩国家のヤヌスの顔となっている。  ←(所見/Pax Sinicaは中国主導による東アジアにおける平和な時代を意味する史学上の用語。パックス・シニカの複数の時期を合計すると、仮に漢王朝の頃を起点とすれば、それは凡そ2000年超もの長さとなる。)

南シナ海の九段線(Nine-dash Line、https://artsandculture.google.com/entity/m0gmh4mv?hl=ja)における領土観、自治区での治安政策にみえる辺防意識などには、清朝辺境国家像の残存がある。大陸の学者と少数民族問題を話していると、貧しい辺境住民の生活を都市部のわれわれが支えているという論法があり、そこには伝統的国家観と近代主権国家意識が同居しているように感じる。西側諸国からの批判が高まっているのは領土問題だけではなく、貿易摩擦労働市場知財保護などをめぐっての経済安全保障論議もかまびすしい。当書には、産業開発や企業融資において中央と地方政府が介入し、官僚と企業と社会が一体となって経済建設を推進するメカニズムが書かれており、経済発展の「中国的特色」を知るうえで、有効な事例と示唆を与えてくれる。     ←(所見/当書には、内需や格差の問題などにふれる個所もあり、特に『AI‐DLアルゴリズム時代』の『格差』は、今や世界共通の課題として意識されつつあるのではないか?と思われる。また、中国国務院「中国的民主白書」(2021、年末に発表)の『内在論理』は容易に腑に落ちない点もある。しかし、プーチン・ウクライナ侵攻の余波で、凡ゆる国家を民主主義と権威主義にスパッと分断し、そのパワーポリテクスの顛末を武力戦争で解決し得ると思考するのは感心できない。それでは、何のための歴史経験・戦争経験だったのか?ということになる。例えば、かつて東アジア文化圏の中で飛びぬけた存在感を示したともいえる日本「法学」アカデミズムの伝統(美濃部達吉(戦前)、横田喜三郎(戦後)ら)が、近世から現在までにおよぶ中国の発展(凡そ中華民国政府の成立前後から中国共産党政権が成立する頃までの)に対し、良い意味で大いに貢献した、ごく直近の歴史があることを、明確に意識している現代の日本人は少ないのではなかろうか?/Cf.↓◆

◆世界との関連性を十分に意識しつつ「共和国たる20世紀中国」の憲政をめぐる歴史を俯瞰すると、「“日⇔中憲政”交流史」に透ける日本「法学」の影響力の大きさ(否、かつてはその影響力が大きかったこと!)が浮上する、https://toxandoria.hatenablog.com/entry/20180107/p1

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[関連]忖度?高揚中?の日本国は[QT:断固、中国以外の選択肢も提示可の胆力と柔軟性Cf.↓♨“アジア安保会議の注目点”]を示せ! →侵攻で高揚するナショナリズムウクライナの未来 民族の分離独立超える知恵は?地域単位自治主権国家連合らの知恵を! 中井和夫・東大名誉教授/ウクライナ史609朝日、https://twitter.com/tadanoossan2/status/1535089660162379776

[関連]♨ アジア安保会議の注目点/中国以外の選択肢になれるか?:東大教授・川島真氏(アジア政治外交史)、米中国防会議の実現に期待:ビラハリ・カウシカン氏(シンガポール国立大中東研究所長)、https://www.asahi.com/articles/DA3S15320470.html

♨【QT/露とウクライナの全市民を巻き込み権力者が無理心中を図るが如し!】は正鵠だが此れは何処の国でも他人事に非ず!しかもその動因は彼我が諸共に共有する闇の系譜の情念と見える!「先端AIデジ&核戦力」頼りでなく生のアナログモーダル感性で対峙すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533591139957501957

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[専断権力”忖度”社会ならぬ視点、ステークホルダー・デモクラシーが必須!+比較表象文化(欧米Vs東亜漢字文化圏)]から、非「ウクライナ型」マクロ分断“共存”のリアル多様性を日本が堂々提示可では?→首相「国際秩序維持を」 力による変更、批判 アジア安保会議611朝日https://www.asahi.com/articles/DA3S15321558.html

(初期啓蒙思想期(17C)は第一次科学革命の時に重なる、又それは近代自由主義の始祖、ピエール・ベールとモラリストの時代)

・・・その後者の視点は、ユク・ホイらの「シンギュラリティ幻想」批判に重なる。・・・

・・・17世紀(初期啓蒙思想期)の欧州、特にネーデルラント辺り(英国、フランスを含む)はモラリストらが活躍し“オランダの光”が栄光を手に入れていた「レンブラントの世紀」(ホイジンガttps://bit.ly/38W4Yv6)とも呼ばる先進地であった。・・・

・・・ただ、それは科学革命の時代でもあるため、感情と論理の泥試合的な綱引きの場と化した宗教権力への批判の嵐が、その上空で吹き荒れていたことも忘れてはならない。・・・

・・・また、科学知の深化とモラリストの出現は感情と論理の泥仕合の場と化したキリスト教への冷静な批判だが、この視点は「現代の“AI‐DLアルゴリズムこそが唯一の神になるという、あのコンピュータ・システム幻想(ユク・ホイが批判するシンギュラリティ幻想)に対する批判とピタリ重なることに驚かされる!・・・

(ピエール・ベール、モラリストの時代には自由の条件たる“両義性・多義性の視点、i.e.自由には一定の節度が必須!”との自覚があった)

・・・ピエール・ベール、モラリストら“自由故の両義性・多義性の自覚”と“『AI‐DLアルゴリズム時代の自由原理主義』の根本的な差異。・・・

英国の歴史学者ハーバート・バターフィールド(Herbert Butterfield/1900 - 1979)は、1949年の著書『近代科学の誕生』の中で近代の画期として、17世紀を「科学革命の時代」と名付けている。具体的に見ると、それはN.コペルニクス、J.ケプラー、G.ガリレイ、A.ニュートンらによる科学研究上の大きな変革のことを指すが、その影響を受けた哲学上の変化も含め、この時代は「17世紀科学革命の時代」呼ばれることもある。

しかし、この時期の科学者が宗教の頸木、または羅針盤から完全に解き放たれていたと見るのは大きな誤解を生む。例えば、フランスの思想家で「宗教的自由主義」を主張したピエール・ベールはデカルト(René Descartes/1956 - 1650/数学者、合理主義哲学と、近世哲学の祖)の物理学に従って、処女作『1680年の彗星に関する随想』を書いたが、そのデカルトの物理学には“神によって保証された法則”との注釈が付いていた(@平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』)。

それは17世紀後半~18世紀にかけての欧州「啓蒙思想」期の前半(初期啓蒙思想期)にほぼ重なり、この時代の主な思想家では英国のホッブス、J.ロック、スコットランドのD.ヒューム、フランスのヴォルテールディドロモンテスキュー、J.=J.ルソーらが先ず想起される。また、それは「聖書・教会、神学、王権」ら諸権威のドグマ(固定観念)から脱し、理性により人間の意思(意識)と権利の「普遍性」を定義し、その保全のための政治体制(民主主義社会)を創造する思想活動であった

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             ピエール・ベール

そこで、マンデヴィル『蜂の寓話(意)』(1714)↑へ大きな影響を与えたという意味で、17世紀フランス“啓蒙思想の先駆け”の思想家ピエール・ベール(Pierre Bayle/1647 - 1706/↑画像はウイキより)について少し触れておく。フランスの思想家ではあったが、そもそも「宗教的自由主義」を主張していたピエール・ベールはカトリックの国であるフランスから、リベラルの空気が濃厚だったオランダのロッテルダムへ移住している。

丁度その頃にロッテルダムエラスムス学校にマンデヴィルが在籍していた。そもそもベールは、1675年からフランスのセダンにあるプロテスタント系アカデミーの教授を努めていたが、1681年のルイ14世の勅令によって同校が廃止され、フランスにおけるプロテスタ ント迫害が過酷となってきたためフランスを逃れ、オランダへ移りロッテルダムでの教授職を得 て、オランダにおいて著作活動に専念していた

そして、ピエール・ベールがフランスで活躍していた時にほぼ重なる頃からフランスにモラリストたちが現れる

モラリスト(moraliste)は、いわゆる道徳家(moralisateur)と異なる概念(というか、紋切型で厳格な道徳家とは真逆で自由な発想を持つ人々)で彼らの自由な思考は主にエッセイや文学・箴言などの形で表現される感情・感性の要素を重視しつつ一方で大局的・客観的で冷静な視座で論ずるモラリストの思考は人間の日常における意識活動の多面性・多様性を様々な角度から深く思考するという、フランス文化に特有な知的伝統の一つの柱となっている

特に大きな特徴と見るべきことは、それが宗教や道徳の厳正主義(厳格主義/rigorism)から解き放たれた自由であるが故に各人に対して「両義性・多義性」の尊重を求めるという点にある。しかも、そのことから必然的に「その自由には一定の節度が求められる」のでそれは「自由原理主義」ではあり得ない。因みに、モラリストの発祥については諸説があるようだが「フロンドの乱/1648 - 1653」~「アンリ4世/フランス絶対王政の確立期」の間において「既存の政治体制と既成の価値観」(アンシャンレジーム)が崩壊する過程に入ったという点に求めるのが妥当と考えられる

(特に日本で忘れられている、『啓蒙思想初期』の“倫理”に基づく“法の精神”に潜む現代でこそ必須のリアリズムに係わる先進性)

しかし、現代の「宗教的自由主義」は「宗教原理主義」(キリスト教の場合は主にプロテスタント聖書原理主義(聖書(福音)主義))と正反対の立場で宗教的リベラリズムと呼ばれることもあり、それは現在にも繋がる中々デリケートで難しいテーマである。なぜなら、今では「キリスト宗教原理主義」と言えば主に米国のプロテスタント系「エヴァンジェリカルズ(福音主義派)」を指すが、聖書原理主義カトリック系にも、又は神の唯一性(三位一体否定)を主張するユニタリアンでもあり得るからだ。

例えば、今の米国で「エヴァンジェリカルズ(プロテスタントキリスト教福音主義派/聖書原理主義派)Vs(宗教的)リベラリズム」の対立の形で現れており、今のところトランプ岩盤支持(約30~40%?)の中核を未だにプロテスタントエヴァンジェリカルズ(推定総数ca1億人/米全人口の約1/3)が占めている。だから、これはトランプ再選へも相変わらず大きな影響を与える可能性がある

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    第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー

平井俊彦/論文『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』によると、ベールは第3代シャフツベリ伯爵アントニー・アシュリー=クーパー/Anthony Ashley Cooper, 3rd Earl of Shaftesbury/1671–1713/哲学者、道徳研究者/↑画像はウイキより)と同じく、「宗教、理性、人間性一般」の三者は決して対等に適合し得るものではないと考えていたようである。それは、いわば現代的なコンシリエンスの概念の如きであり、強いて言えば「恰も異なる系が部分的に相転移する」ような関係性ということであると思われる。

このことを人文・社会・科学・AI関連知などが深化したと言う意味での“現代的”な理解で更に読み直すと、「宗教、理性、人間性一般」の三者は、夫々が何らかの表象・概念の統合であるから、三者を優劣の比較で認知できるものではなく、これは一般の生物ならぬヒトの意識だけに対する、ある種の特別な賜物、i.e. それは批判実在論(Critical Realism)的な認識の問題であるということになるかもしれない。だから、それはエトノス観念に置き換えることも可能となるはずである。

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           Bernard de Mandeville

同じく同論文によれば、「啓蒙思想初期において特に重要な人物を挙げれば、それはオランダ人でありながらロンドンへ移住(定住)したマンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670 - 1733/オランダ生まれ、英国の精神科医、思想家(風刺、散文):主著『蜂の寓話――私悪すなわち公益』で名高い/マンデヴィルの↑画像は、https://www.philognosie.net/wissen-technik/bernard-mandeville-die-bienenfabelより)と、それとほぼ同時期にオランダへ短期滞在した経験をもつシャフツベリーであるが、両者は共に上でふれたピエール・ベールから大きな思想上の影響を受けていたらしい。

ところで、ピエール・ベールの思想で絶対に押さえるべきと思われる枢要なポイントは先ず宗教についての個所であろう平井俊彦/論文(『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』)によれば、ユグノー(改革派)のベールが実は無神論者だったと見るのは短絡である。

そうではなくベールは「宗教、理性、人間性三者は何らかの表象の統合であるから三者を優劣の比較で認知はできない」と考える宗教的自由主義リベラリズム)であったと思われる。又べールは人間性の自然」という表現で自然の一部である関係性(現代風に言えば、因果の空間)の「個体における一回性の現れ」が人間性の正体だとも説明する

おそらく、ピエール・ベールの「自然の一部としての人間性」という観念は、<政教分離>(政治と宗教の分離の謂いに止まらず、科学(等)と宗教の分離も意識していた!?)への長い道程の端緒であったはずだし、その「個体における人間性の一回性の現れというリアリズム倫理的な観念」は同じく、現代的な意味での<基本権>のルーツになったと考えられる。

だからこそ、ピエール・ベールは「これら種々の人間性の多くを占め、かつこれら人間性の諸相が浮かぶ海の如く流動的なプラットフォームである個々人の感情の作用」を最も重視したと考えられるのだ。そして、オランダでの生活と研究の経験によって、かつ何らかの交流の実績すら窺われるマンデヴィルとシャフツベリー(既述のとおり、両者は啓蒙思想初期へ重要な影響を与えた人物である!)がピエール・ベールの「感情の作用を最も重視する」考え方を深く共有していた可能性は高いと思われる。

しかし、同じピエール・ベールの人間性(自然の一部としての)の要とでも言うべき「感情の海」を共有しつつ、<マンデヴィルは自然の一部である人間性の「悪」の成分の分析へ、シャフツベリーは「善」の分析へ>と、何かを契機として、夫々の関心が異なる方向へ傾斜することになったようだ。

おそらく、その契機となったのは、シャフツベリーの貴族の系譜ゆえの「上からの美学」的な抽象論的・概念論的な視座であり、マンデヴィルの場合は生粋のオランダ人としての(それはそろそろ黄昏の時ではあったにしても)、あの栄光に輝いた時代(17世紀、レンブラントの時代)の残照の中で『日常のエルゴン=±を併せ持つプレデュナミス潜在性・潜勢態』という<活気の土壌=内需と外需へ共に対等に係る新しい生産性の培地>を経験したことではなかったか?と思われる。

啓蒙思想の先駆けと見なされるピエール・ベールがフランスで活躍したのは17世紀の後半であるが、それはフランスのアンシャンレジームに初めて動揺を与えることとなった「フロンドの乱/1648 - 1653」を契機に台頭した初期モラリストの時期と重なる

モラリストたちの思考の特性は「定型化した論証や規範的な言説」を否定する点にあるが、それはベールの中世的・神学的な歴史観(神の意思や神の恩寵に偏るドグマ)を否定する立場とほぼ同じである。

そして、地球自然環境に包摂されている現実の世界は「キリスト教の定型化した論証や規範的な言説」で全て説明がつくほど単純でないことが、アンシャンレジームの動揺や第一次科学革命による「知」の深化と多様化によって理解されるようになってきた。同時に、神の視座から解放されることで、新たに歴史的・政治的に共通した普遍的な構造があり得ることにも気付く人々が次第に増えていった

しかし、これら歴史に裏付けられた普遍的な概念(理想)と、今は普遍的と思しき国家制度(政体)であっても永久に完全無欠ではあり得ないので、絶えず、個々の現実的な、より厳しいリアル事象とエトノス観念の深化に照らし続け、持続的に展相(ポテンツ)する必要がある。従って、啓蒙思想初期の思想家たちが、現代の「オミクス生命論に基づくリアリズム倫理」にほぼ匹敵する「一定の節度ある自由」という考え方に到達していたとしても、それは何ら不思議でも何でもないことになる。

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         Charles-Louis de Montesquieu

また、このことに逸早く気づいたのが英国政治の動向に関心を向けアンシャンレジームを批判して均衡・抑制を重視する「権力分立制」を提唱したのがモンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu/1689 - 1755/↑画像はウイキより)である。そのためモンテスキューは普遍理念の次元を積極的に高精度化することに努め、ピエール・ベールの死から約40年後に「法の精神」(1748))を発表したことになる。

従って、そもそも啓蒙思想の「自由原理」とモンテスキュのー「三権分立」は只のお飾りではなく、喩えれば絶えず酷使されるべき車のエンジンの如き存在であった。因みに、モンテスキュー三権分立」(特に司法権の独立を強調する)の根本である「法の精神」の論点は、政治学、法学、社会学、人類学など多岐にわたるだけでなく、それには気候風土(自然環境)と社会や法との関係性にまで踏み込んでいるため、現代的に言えばモンテスキューは地球環境や生命倫理・リアリズム倫理的なものまでをもその視座に入れていたことになる。

しかし、アカデミズムも、国民も、主要ジャーナリズムも、肝心の政治権力者らも、果ては国民へ奉仕すべき公僕たる官僚機構(司法・官憲もろとも)までもが、ことごとく此の「自由原理とモンテスキューの根本(法の精神に基づく)三権分立」についての根本を忘れ去ってきたようだ

これこそが、「相変わらず靖国“愛国”国体論、i.e.『タナトスの闇/穴クロ“情念のマグマ”』に取り憑かれたままの不可思議の国、ニッポン!=アナクロニズム権力独裁の「“自由原理”の政治利用」なる、現代日本における悲惨な「政治的病理」の原因ではないのか?

啓蒙思想初期には周知だったプーチンタナトス、i.e.『悪の情念』の系譜は、人類共有のエルゴンでもある)

・・・ 現代に繋がる“(プーチン型)の「悪徳のタナトス欲動」(悪の情念)”たる「エス(前意識)の系譜」の問題・・・

[再録]/【QT/ロシアとウクライナの全市民を巻き込み権力者が無理心中を図るが如し!/@無数の橋をかけなおす──ロシアから届く反戦の声/奈倉有里20220526「新潮」編集部は正鵠だが此れは何処の国でも他人事に非ず!しかも、その動因は彼我(ひが)が諸共に共有する「闇の系譜の情念」と見える!先端AIデジ悪用 or 核戦力トレードオフらの小賢しいキャリートレード型小細工でなく、生命力に満ちた未来志向のアナログモーダル感性で対峙すべき!https://twitter.com/tadanoossan2/status/1533591139957501957

・・・エス(前意識の系譜)、i.e.エルゴンのタナトス型特異性は「真の科学時代」に必然の展相(Potenz)に[相応しいエビデンス」を嫌う!それは、科学および神秘・心霊主義(オカルティズム)とも親和性を持つ両義的な「エスのエルゴン(潜勢態)」が、例えばヒトラープーチン戦争、アベノミクス、トランピズムらの如く“新時代に相応しいリアリズム倫理の証言(民主的裁判)の見守り”による、科学的・客観的な「真/儀」判断とは全く無縁な“新生児の初の泣き声”同然であるから(“新生児の初の泣き声”は、『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』の著者・互 盛央氏の“闇の系譜”に係わると思しき表現の借用)。・・・Cf.↓★

【注記】タナトス(thanatos)とは、もともと精神分析の用語でエロスと対になる「人間の欲動を説明する」ためつかわれる言葉で、死への欲動と訳される。JUST | 特定非営利活動法人 日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン | 理事長 斉藤学(医師)、https://www.just.or.jp/?terminology=000853

★1 互 盛央著『エスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』(講談社https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062923859

★2 松村一志著『エビデンス社会学‐証言の消滅と真理の現在‐』(青土社https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784791774326

https://twitter.com/tadanoossan2/status/1531631542271102976

≪注/誤記訂正≫・・・上Twの中で[「第一のエス(闇)」の系譜」、としているのは、[「第二のエス(闇)」の系譜]の誤り(誤記)なので、訂正します。委細は、下の(1)と(2)の記述を参照乞う。


表記のエスの系譜‐沈黙の西欧思想史‐』(講談社著者・互 盛央(講談社勤務、元岩波書店『思想』編集長、言語論・思想史研究者)「二つのエス(das Es)」という注目すべき視点(↓1,2)を指摘している。それは、重要な思想論の系譜、すなわち相互主観性の拡がりの系譜であるとともに、特に(2)の系譜は、アナザーファクト(ポストトゥルース/リアル証拠の隠蔽・隠滅、フェイクなど)を煽る内なる病巣とも見える。 https://note.com/toxandoria2/n/n817dde72962e

(1)第一のエス[開放的で持続生命論的な光の系譜]:リヒテンベルク→フォイエルバッハニーチェフロイト→(フロイト左派/i.e. 新フロイト派)・・・、という『エトノス環境と繋がり共鳴する無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される。この空間にある限り、それは未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、toxandoria が追記したもの。

(2)第二のエス[閉塞的で無限後退的な闇の系譜]:リヒテンベルク→フィヒテシェリングビスマルク→(ニーチェフロイトヒトラー→(自由原理主義リバタリアニズム、トランピズム、プーチンアベノミクスらポストトウルース派)・・・、という『これも矢張りエトノス環境と繋がり共鳴するが、(1)より深い無意識の系譜』i.e. 生命力そのものに匹敵する自然の摂理と見るべき無意識の深い層であるエルゴン空間において伝承される、と考えられる。しかし、この空間にある限り、それは矢張り未だ善悪の評価とは基本的に無関係である。<注>系譜“後半”の(  )内の流れは、同上の補記。

従って、同じく表記の[松村一志著『エビデンス社会学‐証言の消滅と真理の現在‐』(青土社)]が指摘するとおり、このような視点から見ても[抽象デジタル・モード:巨大AI・DL‐Web情報&データベース型汎“知”社会化]する現代社会においては、ますます「そのような“証言の消滅”orフェイクをアオル如き不埒な傾向に対抗し得る新しいエビデンス」の問題が重要になると思われるが、この論点については第4章へ譲る。

ホッブスリヴァイアサン』は“政治権力の正体=双頭の怪獣リバイアタン”の発見に止まらず“遍くヒトの深層に潜むタナトスの闇”の気付き)

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             トマス・ホッブズ

ところで、論文/平井俊彦『マンデヴィルの人間像(1)/京都大学・経済論叢:第89巻‐第2号』によるとトマス・ホッブズ(T. Hobbes/1588 - 1679/英国の哲学者、社会契約説で近代的な政治哲学を基礎づけた/↑画像はウイキより)は、マキャベリの「運命に抗うべき変異性必須論/マキャベリズム」(君主論/君主に限定された役割)を抜け出し、そのマキャベリズムの変異性必須論を近代自然法思想の中核(国民主権を前提にする政治権力の正体に関わる解釈論的な視座)に密かに忍び込ませた、とされる

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その具体的なイメージ表象が上掲(当画像は、2022年4月7日・朝日新聞『(明日へのLesson)第1週』https://bit.ly/3tfAUBQ より)、リヴァイアサンである。ホッブスは、デカルトらと共に(というかデカルトの影響を受けて)機械論的世界観(結果から原因へと還元・構造的に考える自然発生的世界観への対概念)の先駆的哲学者の一人でもあり、スピノザ(Baruch De Spinoza/1632 - 1677/オランダの哲学者/デカルトライプニッツと並ぶ17世紀近世合理主義哲学者らと共に唯物論の先駆的思索者とされる)らと共に「人工的国家論」(“可死の神”を登場させることでキリスト教神学下での王権の定義から距離を置く考え方このためホッブス現代でも王党派・共和派的な相異なる立場から両義的(良識専断権力 Vs 国民主権普遍権力)に都合よく解釈される傾向がある「社会契約説」の提唱で近代的な政治哲学理論を基礎づけた

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                    ギュスターヴ・ドレ製作の版画/レヴィアタン

17世紀の半ばにピューリタン革命(1642~1649)で国王チャールズ1世が処刑(王政⇒共和政への急激な転換が実現)されたとき、ホッブズがこの動乱を逃れた亡命先のフランスで書かれたのが著書『リヴァイアサン』(1651)である。リヴァイアサンは、この著書の巻頭で国家の原理を象徴するものとして掲げられた銅版画である。その原型イメージは旧約聖書ヨブ記で現れる、そもそもは「海の怪獣」(まさに、ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの象徴イメージと見える!)とされるレヴィアタン(リバイアタン)である。

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             カール・シュミット
カール・シュミット(Carl Schmitt/1888- 1985/ドイツの思想家、法学者、政治学者、哲学者/ナチス政権下でベルリン大学教授となったが、その後に共産主義者国家社会主義者(ナチス)を内部の敵として批判したことで失脚している/↑画像はウイキ(英語版)より)が指摘したとおりこれは国家神話(善と悪の両義性)の表象である

また、このイメージを王権神授説の表象だと誤解する向きがあるようだが基本的な誤りである(そもそもレヴィヤタンは巨人、巨獣、人工機械(オートマタ)、可死の神という4つのイメージの融合であるので、死すべき寿命のある神が永遠の王権を授けるのには無理がある!w)。むしろ、ホッブズの真意はマンデヴィルと同じく「善と悪が併存する自然・人間社会のリアル/というか、遍くヒトの深層に潜む両義的エトノス」の直視!と見るべきで、そこには「対称性バイアス」の問題(参照↓★)すらが潜むと思われる。

★対称性バイアス(無意識の思考/潜在的・無意識的推論形式に含意されている対称性原理)の必然性と可能性: 無意識の思考をどうモデル化するか/中野 昌宏, 篠原 修二、https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/15/3/15_3_428/_pdf

ところで、田中純一『政治の美学―権力と表象―』(東大出版会によれば、「王権神授説」の物語は「ローマ教会の教皇権の連続性」の借用であるので、カール・シュミット『政治神学』https://bit.ly/3xdx26Jが指摘するとおり、近代国家論の重要概念はすべて世俗化された神学概念であると見てよさそうだ。

だから、例えば教皇権の連続性を仲介するのは完全な空位状態を回避するために行われる象徴的「儀式」であり、これによって「権力の三つの身体」(前教皇→象徴的儀式→新教皇)の永遠の連続性が確保される。つまり、その象徴的儀式こそが教皇権の永遠の連続生命を保証していることになる。

「王権神授説」でもこれと同様の象徴的儀式を介在させる、いわゆる「権力の三つの身体」のプロセスで王権の永遠の連続性(連続生命としての王権)が保証されてきた訳だが、ホッブスのリバイアタン(レヴィアタン)が「可死の神」であるのは、初期啓蒙思想の「社会契約」に関係すると考えられる。やはり、初期啓蒙思想の「社会契約」も旧来の王権の連続性に倣って王権を保証したことになる。

しかし、この点については異論も多々あるようだが、第一義的な市民の「生存する権利」、つまり自然権」を重視したホッブズには矢張り「抵抗権」の考え方は存在したと見るのが妥当である。また、当然ながら「可死の神」には第一次科学革命の影響もあると思われる

そして、ホッブズ政治学で何よりも絶対に見逃すべきでない“急所”を一つ挙げるとすれば、矢張り、それはリヴァイアサン(その原型イメージ=レヴィアタン)が象徴する「ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの闇」であろう。それは、この「ヒトの“感情の海”の深層に潜むタナトスの闇/暴力性、好戦性、猟奇性、倒錯性、自由原理主義的性向ら」こそが、最も現代的な課題である「オミクス生命論、リアリズム倫理、ローレンスW.バルサルーのアナログモーダル・シンボル理論の身体知」などと深く関わることになるからだ

・・・ “曲解”された“逆説の風刺”?マンデヴィル『蜂の寓話(寓意)』の真意を探る・・・

https://toxandoria.hatenablog.com/entry/2019/12/02/063303

(1)『蜂の寓話』が出版された18世紀初頭、英国(啓蒙思想初期)の空気と、マンデヴィルのプロフィール

既に述べたとおり17世紀半ばの「フロンドの乱」を契機にアンシャンレジーム(“横暴専断権力”の支配を押しなべて忖度する社会構成意識)に根底から亀裂が入りつつあるのと呼応するかのように、やがてフランスでは政治ジャーナリズム文学的ジャーナリズム『学者新聞(Journal des Savants)』ら多くの小プレスが活発化していた

また、フランスのモラリストたちがイギリスの影響を受け開始していた18世紀のフランス啓蒙思想(J.J.ルソーら)を更に深化させていたイギリスでマンデヴィル『蜂の寓話』(1714)が出版された18世紀の前半は、そのようにしてイギリスとフランスの啓蒙思想が、互いに、ジャーナリズム意識の台頭につれ往還的に影響し合う最中であった。

オランダ・ロッテルダム生まれの脳神経系統を専門とする医師マンデヴィル(Bernard de Mandeville/1670 - 1733)は、そのような時代の空気が流れる18世紀初頭のロンドンヘオランダから移住し(そもそもは英語を学ぶのが目的であったとされる)、開業医(今で言えば心療内科医?/ライデン大学で哲学の学位と医学博士の学位を取得していた)となり英国で結婚し、遂にはそこで永住することになった。また、マンデヴィルは17世紀フランス“啓蒙思想の先駆け”の思想家ピエール・ベールと仏モラリストらの影響を受けていたと考えられる。尤も、そもそもは17世紀末頃~18世紀初頭における英仏相互の思想・文化交流の一環のなかで、マンデヴィルは英国啓蒙思想初期の影響を受けたことになるから、渡英したことでマンデヴィルは英仏の双方から回帰的に仏モラリストらの影響を受け得たということになる。

・・・このような17世紀半ばから18世紀前半のイギリスの時代の空気を補足するため、以下で歴史的な出来事について少し触れておく。

・・・

三回におよぶ海戦中心の英蘭戦争(17世紀後半)で、英国が勝利しオランダは海洋権益を失いその黄金時代(レンブラントの時代)が終わる。しかし、名誉革命(1688)の後には、英国が縁戚関係からオランダ総督ウィレム3世をイングランドウィリアム3世として迎えた。

産業革命をめぐる状況・・・1709:ダービーがコークスによる製鉄法を発明、1710:ニューコメンが炭鉱での排水用の気圧機関を発明、1733:ジョン・ケイが飛び杼を発明、ハーグリーブスがジェニー紡績機を発明、アークライトが水力紡績機を発明、ジェームズ ・ワットが蒸気機関を改良、etc

・・・

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White's Coffee House formed part of William Hogarth's series The Rake's Progress CREDIT: 2005 GETTY IMAGES/HULTON ARCHIVE https://www.telegraph.co.uk/travel/destinations/europe/united-kingdom/england/london/articles/surprising-history-of-london-chocolate-houses/

17世紀の半ば以降のロンドンでは、18世紀がコーヒーハウス(新聞など現代的マスメディア活動の揺籃の場)のピークとなり、広く庶民へ行き渡る「新聞」情報の普及が見られるようになっていたが、その反面で言論の矛先になる権力者側からの反動もあって、印紙税(言論規制のツール)などをめぐり激しい攻防が繰り返されていた。
https://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/kiyou/65/65-ch10.pdf

●新聞の刊行をめぐる状況・・・日刊新聞「London Daily Courant」が1702~発行/政党新聞、政党機関紙の登場(政論新聞時代の幕開け)/エッセーペーパー:文学的刊行物(literary periodicals)が刊行/1712~印紙税:Tax on Knowledge(知識に対する課税)が導入、1725~捺印税:Stamp Actが導入、1731~月刊雑誌 Gentleman's magazineが刊行、1738~議会での討論内容の掲載が禁止、1771年~今度は、議会報道が許される、etc

・・・

【参考】(上の時代に続く)19世紀前半における「英国議会」Vs「新聞ジャーナリズム」という、激烈な“国民主権、国家に次ぐ第三権力(対“立法・司法・行政”の意味では第四権力)たる新聞の批判力を巡る覇権闘争史”の一コマ

・・・1819年、議会は聖ピーター教会広場で開かれた政治集会を弾圧し(ピータールーの虐殺)、言論弾圧六法(Six Act)で統制を強化、数年のあいだに125のラディカル・プレスが罪に問われ、無害な新聞には補助金が与えられた。これによって「品のよい」新聞『タイムズ』の成長と「20年代の政治的平穏」が訪れる。

・・・だがラディカル・プレスは1830年代によみがえる。その象徴となった1ペニーの『プアマンズ・ガーディアン』(1831-1835)をはじめ、違法な新聞は5年あまりで500種以上、1日7万部以上にのぼった。これは合法な新聞を上回る数字であった。スタンプ税法反対、労働闘争、選挙法改正を掲げた運動は、1830年代以降の改革を先導する。第1回選挙法改正(1832)、工場法制定(1833)、救貧法改正(1834)、都市自治体法制定(1835)、そしてスタンプ税法下の広告税引き下げ(1833)、スタンプ税と用紙税の引き下げ(1836)と、労働福祉政策が相次ぐが、その改革の不十分さは逆に労働者階級の意識を高め、その後のチャーティスト運動の盛り上がりにつながっていくことになる」(伊藤[2014:95-96]) [種村 剛:社会情報学の基本資料、新聞、http://tanemura.la.coocan.jp/re3_index/3S/si_newspaper.html]より部分転載。