toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「軍事的国体論」を超える日本国憲法の先進性

Ⅰ「国体論」、「軍事的国体論」とは?


 「国体論」(または国体思想)とは「開闢(かいびゃく/世界の始まり)以来の日本の国のあり方が世界の中でも特殊な存在であり、しかも、その国家としての優秀性は他に比類がなく、万世一系天皇の統治こそがその正統性を保証する」という強固ながらもエキセントリックで偏狭な信念(unilateralな国家観)を主張するものです。このような考え方が国家経営のための理念として明確に姿を現したのは明治維新政府が誕生した頃です。そして、この「国体論」が国家の柱として重視するのが次の3つの内容で、ここから「忠君愛国」という、かつて太平洋戦争を戦った時の日本国民の絶対的な義務を当然とする異常な観念が導出されたのです。結局、この「忠君愛国」の精神によって、天皇を頂点とする日本国の「国体」を守るために軍事力を行使し、すべからく日本国民は一兵卒として「国体」のために戦う義務があるという考え方が「軍事的国体論」だということになります。


(1)絶対的な天皇主権は永劫不滅である



(2)日本国統治の基盤は、天皇を頂(いただき)とする温情豊かな情誼に基づく君臣関係(お上の寵愛を拝受することに感謝しつつ低い身分の者が上の者に盲従する関係)である



(3)日本文化史の頂点を飾るのは、大和民族という優秀な単一民族万系一世の皇室の下で築き上げた、他に類を見ぬほどの優れた伝統を誇る国風文化である



 このような「国体論」が頂点を極めたのが、1931年(昭和6年)の「満州事変」勃発以降に明確となった「日本軍国主義」体制(軍事的国体論の実践体制)であり、それに続く出来事が「太平洋戦争」への突入です。結局、それは「第二次世界大戦」の敗戦という悲惨な近代史の悲劇的エポックにつながったのです。現在の日本では、国会における憲法調査会の動向、自民党改憲案策定(改定憲法の前文に国民の義務を明記すべし等の意見が出されている)、小泉首相靖国神社参拝問題などと関連して、再び日本の国のあり方と「国体論」にかかわる議論が活発化しつつあります。


 そこで、この「国体論」が辿ってきた過去の経緯を概観しておくことにします。


(江戸時代以前)


北畠親房の『神皇正統記』(1339/南北朝時代)の中に神国思想(天皇の絶対的権威を支える根拠として)の萌芽が見られる。


(江戸時代)


儒学重視への反発として江戸中期に興った国学の中に、古代日本そのものを賛美する思想が現れる。僧・契沖を先駆者とし本居宣長らが確立した国学には、文献学的な手法で古事記日本書紀万葉集などの古典を研究して儒教と仏教が渡来する前の日本固有の文化を解明しようとする意図があった。

●江戸後期から幕末にかけて、「水戸学」、「平田国学」という二つの強力な「国体思想」が輪郭を現す。やがて、この二つの国体思想の潮流は「尊王論」と「攘夷論」の合体を促し、排外的で強固な「日本国家主義思想」(日本ナショナリズム思想)を誕生させることにつながる。


(1)水戸学


・・・水戸藩主・徳川光圀の『大日本史』の編纂を契機に興隆した学問の一派。儒学国学神道及び史学を結合したもので、皇室の絶対的な尊厳を説いた。


(2)平田国学


・・・国学者平田篤胤本居宣長の古道精神を拡大して復古神道思想を創り上げ、これが平田国学と呼ばれた。


(明治時代)


●維新政府は、「国体論」による天皇統治の正統性を補強するため、最高神天照大神の「神勅」を根拠とする神権政治(神の命による政治)を行った。また、ジャーナリズムが「国体」を批判することを禁じて「讒謗律」(ざんぼうりつ)と「新聞紙条例」(共に1875年に発布)を定めた。


自由民権運動の台頭(明治7年頃/1874〜)から「大日本帝国憲法」公布(明治22年/1889〜)への流れによって、日本は形式的な「立憲政治政体」となった。しかしながら、立憲政治への移行は「政体」の変更であって「国体」の変更ではないという解釈が公認され、そのことが伊藤博文の『憲法義解』(憲法解釈書)に記述された。


●結局、万世一系を正当性の根拠とする天皇統治下における「大日本帝国憲法」は、その適正な解釈基準を示すため「教育勅語」を制定することになる。


●「日清戦争」(1894〜95)と「日露戦争」(1904〜05)の時期には、「明治(帝国主義的)ナショナリズム」が台頭して、天皇を族父と仰ぐ「族父統治国体論」(高山樗牛ら)が出現するが、戦争が終結するとともに、それは皇室を宗家と仰ぐ「家族国家論的・国体論」へ変質して行った。


●1911年(明治44年)に小学校・国定歴史教科書の記述をめぐる「南北朝正閨(せいけい)問題」(南朝北朝のいずれが皇室の正統かという問題)が起こるが、明治天皇北朝系)の“君臣の大義”を根拠とする「勅裁」によって“南朝正統”が決定し、その立場は第二次世界大戦終結時まで続くことになる。しかし、このことと北朝系の現皇室の正統性を斟酌する論議の必要性は封鎖されたまま現在に至っている。


(大正時代)


●いわゆる大正デモクラシー期(大正5年頃/1916〜)には、都市の中間層の政治的自覚を背景に民主主義的な思潮が広がり、明治維新以来の藩閥・官僚政治に対抗して護憲運動や普通選挙運動が展開された。


●これらの動きを支援したのが美濃部達吉天皇機関説を唱えた憲法学者)の「国体=文化概念論」であり、吉野作造民本主義を唱えた政治学者)は“日本国体の優秀性は民族精神の問題”だとして、「国体論」を政治学の領域から除外すべきだという議論を展開した。ドイツ観念論哲学を日本へ紹介した哲学者、井上哲次郎も、著書『我が国体と世界の趨勢』の中で君主主義と民主主義の調和にこそ「国体」の安全があると説いた。


1920年代(大正9年〜)に入ると、社会主義思想が蔓延るようになったため、「国体」の変革をめざす市民の行動を罰する目的で「治安維持法」(1925/大正14)が制定された。これによって政府が労働・社会運動を厳しく取り締まるようになり、「国体」の変革を志向する一切の結社と行動が禁じられることになった。


(昭和時代/〜太平洋戦争の終結期まで)


●「満州事変」の勃発(1931年)以降には、右翼思想が活発化して彼らの立場からの「国体論」が強く主張されるようになった。社会主義者たちの中からも「天皇社会主義思想」と呼ばれる一派が台頭し、彼らは天皇を中心とする「国体」と「社会主義」の調和を説いた。


●1935年(昭和10年)には「国体明徴(めいちょう)問題」が起こった。それまで学会の定説となっていた美濃部達吉の「天皇機関説」(天皇は国家を代表する最高機関に過ぎないとする学説)を軍部出身の貴族院議員・菊池武夫が攻撃すると、右翼と軍部が共同して美濃部に対する排撃運動を展開した。岡田啓介内閣は軍部の要求に応じて「国体明徴声明」を出すことになり、天皇機関説は「国体」に反するものと断定された。翌1936年には、このような軍部の動きが過激化して「ニ・ニ六事件」が起こった。結局、事件の鎮圧後に首謀者らは“皇道派”中心の反乱軍を指揮した罪で処刑されるが、これ以降、“統制派”が軍部の発言力の中枢を握るようになった。


●1937年(昭和12年)には、文部省が『国体の本義』(日本の国体に関する正統的な解釈書)を配布した。これは、先の政府による「国体明徴声明」に沿って、文部省が独自に「国体論」を理解するための教材として編集したものである。そこで述べられたのは、天地開闢(てんちかいびゃく)の神話、天照大神の聖徳性、天壌無窮(てんじょうむきゅう/果てしない天と地のこと)の神勅(天孫降臨の時に天照大神が皇室の祖先に賜ったとされる神勅)、三種の神器の神聖性などであり、日本の「国体」の神秘性が益々強調された。


●やがて、満州事変(1931-33/昭和6-8)、盧溝橋事件(1937/昭和12)、日中戦争(同年)、国家総動員法(1938/昭和13)、太平洋戦争開戦(1941/昭和16〜)・・・と、日本が臨戦・戦時体制へ傾斜するとともにこのような傾向が一層強まり、神国論、惟神(かんながら)の大道(古代以来の神の道)、集団禊(しゅうだんみそぎ)など「国体論」に伴う“神憑りの思想”が国民へ強要されるようになった。そして、第二次世界大戦の敗戦と「天皇人間宣言」によって、これらの「国体論」にかかわる神憑りの思想は否定され、現代の日本へ至る道を歩むことになった。


Ⅱ「軍事的国体論」の蘇生か?


 今、我が国を覆う空気の中には、得体が知れぬ閉塞感を伴う二つの居心地の悪さが漂っています。一つの原因は、大方の素朴な国民を欺きながら無条件でアメリカ型の新自由主義経済に付き従うばかりの日本政府が、普通の独立国家の立場で“健全な資本主義国家・日本”の将来像を描くことができないというジレンマに嵌っていることにあります。(この問題についての詳細は下記の関連Blog記事(●)を参照)もう一つの原因は、近年における日本社会の右傾化傾向の中から、さらにジワジワと「軍事的国体論」が芽を吹き始めてきたということにあるようです。


 例えば、今春の卒業式や入学式における「日の丸」掲揚と「君が代」斉唱に関して、広島県教育委員会は県内の公立学校長あてに、斉唱の時の声の大きさや不起立だった児童・生徒・教職員の概数等を厳しくチェックして報告するようにとの通知文を出しています。既に東京都教育員会(2002年度〜)と神奈川県教育委員会(2004年度〜)は、それぞれが同様主旨の通知文書を校長宛てに発信した上で、違反した教職員などを厳正に処分しています。近年の教育現場におけるこれら類似ケースの発生は、政府(文部科学省)主導による「教育基本法・改正」の先取り的なアピールの演出であり、意識的に教育現場から日本社会の右傾化傾向を推し進めるという意図の現れだと考えられるのです。

<関連Blog記事>


●「新しい国家像」を描けぬ日本の政治家たち(1/4)〜(4/4)
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/07854f9c0d985081ba3ca06960b30cd6
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/482891fb601a195a5b02629eb13c0135
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/b7db76f7866a95237171bff756d1a807
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/23796be71bbba8e24d04839490b10113


 ここでは、このような居心地の悪さの震源となっている「軍事的国体論の蘇生傾向」ということについて、「日本国憲法」とのかかわりという観点から少し詳しく考えてみます。また、この後に続く論では、このような閉塞感を超える新たな視点を探るために、民主主義国家をガバナンス(適切に統治)するという観点から、現在の「日本国憲法」の「平和主義理念の先進性」ということを再検討します。


 「軍事的国体論の蘇生」ということを考察する手掛かりとして、ちょうどタイミングよく出版されたばかりの『潮 匡人著:常識としての軍事学』(中公新書ラクレ)から、著者の論点をランダムに拾い上げてみます。潮氏は航空自衛隊(長官官房付、三等空佐で退官)出身であり、現在、第一線の軍事学研究者としてご活躍されている方です。この著書は“常識として”と表題にあるとおり、一般市民レベルを対象とした「軍事学」についての啓蒙を目的としているため、かなり抑制的な立場で書かれております。それ故に、この著書は我われ一般市民が軍事関連の問題に関心を持つための格好の資料(テキスト)になると思われます。しかしながら、その記述の中には、「国体論」に関する歴史的経緯を知らぬ多くの素朴な市民にとっては有害な誤解を与えかねないような“取り扱い注意”の論点もあります。


<注>これらの論点は、著書の論理展開とは無関係に抽出したものである。


(1)「有事」や「有事法制」という言葉に悪いイメージがあるとすれば、それは「軍事」を敵視してきた戦後民主主義教育の弊害である。
・・・それを具体的に言えば「反戦平和主義」で、その実態は「左翼イデオロギー」である。


(2)戦争が近代化を促し、近代資本主義を発達させた。
・・・軍隊の合理的な武器調達(合理的な戦争を実践するための武器統一)の必要が「標準化」と「互換性」の概念を創造し、これが近代資本主義の基本概念である「商品の統一化」という思想をもたらした。(この点について、マックス・ウエバーと並び資本主義の体系理解に貢献したとされるドイツの経済学者・社会学者、ヴェルナー・ゾンバルト(Werner Sombart/1863-1941)を引用している)


(3)軍事は、もともと「聖なるもの」であった。
・・・「政治・祭事・軍事」はもともと一体で、これらは「聖なるもの」であった。従って、現代でも「軍事」の本質は「聖なるもの」であり、それは全ての国民の心性(意識下の情念)に直截かかわるものである。(この点について、「聖」と「イメージ」の起源を追求したフランスの思想家、ロジェ・カイヨワ(Roger Caillois/1913-78)を引用している)


(4)「外交」のリアリズム(現実)は華麗な衣装をまとった「軍事」(及び諜報)である。
・・・「軍事」は「外交」と一体化しているというのが世界の常識だ。現在、最先端の「軍事+外交」の分野で注目されるのが「ヒューミント」(HUMINT)の役割である。「ヒューミント」はヒューマン・インテリジェンス(Human-Intelligence)の略で、有体に言えば外交官・ビジネスマン・ジャーナリストなどを装ったスパイ活動のことである。大使館の外交官たちがヒューミント活動を行うのも世界では常識である。また、「ノック/NOC」(Non Official Cover)と呼ばれるプロのスパイたち、例えばCIAなどの秘密工作員は民間人を装って他国へ潜入し活動している。


(5)現代の戦場で実質的な働きをするのは「特殊部隊」である。
・・・アフガン戦争・イラク戦争で戦況を決めたのは「特殊部隊」の働きだ。例えば、イラク戦争におけるフセイン大統領の捕捉は、“「特殊部隊」が演出する舞台で海兵隊が捕捉劇を演じた”ものである。つまり、事前に特殊部隊がフセイン大統領を捕捉していたのである。我が国でも、2004年3月、陸上自衛隊の中に長官直属部隊として「特殊作戦群」という最精鋭部隊が誕生している。


(6)戦争にもルールがあり、古くは「戦時国際法」と呼ばれ、現在は「国際人道法」と呼ばれている。その具体的内容は「ジュネーヴ条約」、「ハーグ陸戦法規」などで構成される。これら法規に違反すれば「戦争犯罪」となるが、「戦争犯罪」の大きな特徴は「時効がない」ことである。従って、迂闊な開戦は危険だということになる。また「国際人道法」では、各国がそれぞれ公教育などで「ジュネーヴ条約」の内容を国民一般へ普及する義務が謳われている。この点、日本はジュネーヴ条約違反である。


(7)国民の生命・財産を守るのは警察・消防の仕事であり、「軍隊」が守るのは「国体」である。それは国家目標の上位にある至上の価値で、日本古来の「伝統文化」(皇室伝統)と言い換えてもよいものだ。


 これら論点の中で、「日本国憲法」とのかかわりという意味で最も注目すべきものは、やはり(7)の“「国体」の概念についての理解の仕方”です。端的に言ってしまえば、ここで潮氏が提示しているのはまさに「軍事国体論」です。それは、「軍隊」(自衛隊)の最高目的は“国民の生命・財産を守ることではなく、「国体」(皇室を中心とする日本の伝統文化)を守ること”だという主張に現れています。これは、先に「Ⅰ「国体論」、「軍事的国体論」とは?」で見てきたとおり、「明治維新」から「第二次世界大戦」までの間に日本が過酷な近代史の流れの中で経験してきた「国体論」の発展のエッセンスを語るに等しい内容です。日本古来の「伝統文化」(皇室伝統)の掛け替えが無い稀少な価値を大いに誇るのであれば、それは民主主義国家のあり方と何らの矛盾も問題も引き起こすものではないと思われます。しかし、皇室伝統を頂点とした日本古来の「伝統文化」を軍事力で守るのが「軍隊」の最高使命だということになった途端に大きな疑念が湧いてきます。それは「ニ・ニ六事件」前後の「国体論」をめぐる一連の出来事を連想させます。何故に、我われ日本国民は、直近の歴史経験を無視してまで、このように愚かな道程を再び歩まなければならないのでしょうか?


 ともかくも、それは既に見たとおり、世界中の人々によって遍く認識されてきた「軍事国体論」という、きわめて特殊な“感性と論理”以外の何ものでもないと考えられるのです。それは、明治維新以降の我が国が辿ってきた「近代ファシズム国家・日本」への道程を、今、我われ日本国民は再び歩むべきだという主張に他ならないのです。


 一方、小泉首相の「靖国神社参拝問題」が、このような日本社会の右傾化傾向を後押ししているという現実を見逃すべきではありません。歴史的に見れば「靖国神社」は「明治ナショナリズム」の落とし子です。「明治ナショナリズム」は、帝国主義植民地主義の牙を剥く欧米列強への対抗意識から“明治政府が掲げた“富国強兵”の国家目標を指します。この時、明治維新政府の主眼は国家体制の強化であったため国民一般の主権は殆ど無視同然となりました。また、この時代の日本では国民の民族意識を上から鼓舞する必要がありました。


 そこで、このナショナリズムを効果的に実現するため「神聖で呪術的な象徴」(メコネサンス/meconneissance)を創造して、一般国民が自発的に「主権在民」を否定するよう仕向けることが思案されました。元々、メコネサンスは人類学の用語で“相互誤認、無知、無理解、無視、無関心”などの多義的な意味があります。つまり、この時に明治政府が目指したのは一種の「神権政治」でした。「神権政治」とは、支配者が神の代理、あるいは神から支配権を授与されたものとして支配・統治する国家体制のことです。歴史的に顧みれば、古代イスラエル王国、皇帝崇拝が強制された時代のローマ帝国、王権神授論によるヨーロッパの絶対王政などが存在します。明治期の日本では、神権政治の実現のための仕掛けの一つとして「国教制度」の創設が工夫されました。それこそが、明治政府(近代天皇制国家)が、1879年(明治12年6月4日)に「国家神道」の中枢として創設した“靖国神社”なのです。


 このため、第二次世界大戦までの間は、一般神社(古来の伝統的な神道)が内務省管轄下であるのに対して、靖国神社は陸・海軍省内務省の3省で管理されていました。つまり、一般の神社と「靖国神社」の宗教的な(軍神としての)性格は根本的に異なるのです。「靖国神社」が国家守護(国体守護)のための軍神的性格から排他的であるのに対して、その他の日本古来の神道には“やおよろずの神々”に対する畏怖の心が基盤となるだけあって、むしろ敵と味方の別を問わずに葬ろうとする一種の寛容さが内在します。そして、現在の「靖国神社」には第二次世界大戦の戦犯たちが英霊と同列で奉られており、これが小泉首相ら閣僚による「靖国参拝」に関する論議の的であることは周知のとおりです。


 他方、潮氏が主張する“「有事」という言葉に一般国民が悪いイメージを持つとするなら、それは戦後の民主主義教育の弊害だ”という議論にも同意しかねます。ましてや、その思考の延長として、「反戦平和主義」は「左翼イデオロギー」と同じものだとする短絡的で狭隘なドグマ思考には、いささか肌寒いものを感じます。もし、このような意味での独善的信念を持つ政治権力者を、ポピュリズムの常套的手法に操られた国民の多くが支持することにでもなれば、日本は再び「軍国主義ファシズム国家」への道を確実に歩むことになると思われます。更に、(3)の「軍事=神聖なるもの」という考え方は「神権政治」を最善とするイデオロギーであり、ここからも「軍国主義ファシズム国家」へ容易に繋がってしまう懸念があります。このような考え方に似た事例を近・現代社会の中で探せば、それは紛れもなくオウム真理教に類するカルト教団の問題であり、約60年前の歴史で終息したはずの“国全体が神憑りとなって戦争へ突入した大日本帝国の国体論”(忠君愛国思想)です。今、再び、このような空気が日本社会の中に漂い始めていることは恐るべきことです。


 たとえ、それが複雑な社会背景と中国の特殊な政治状況の中から噴出したものであったとしても、今、中国全土で拡大しつつある反日デモに対して、このような日本国内における“親国体論”的な立場の胎動がある程度の影響を与えていることを見逃すべきではないでしょう。それは、反日を掲げるこれら中国人たちが“日本政府の歴史認識に誤りがある”と指摘することに表れています。現在の「日本国憲法」は立憲主義的思想(法の支配の原則)を基本としたものです。それが具体的に意味するのは“現在の日本は、近代における覇権的・侵略的な国家統治をめぐる歴史的経験の積み重ねの中から漸く学び取った正当な政治思想を重視する立場に立つ”ということです。本当に、このような意味での歴史認識を日本政府が持っているのかどうか・・・このような日本の原点に対するアジア諸国の目には未だに厳しいものがあるのです。


 なお、この二点以外の(2)、(4)〜(6)の各論点は大変に有意義なものであり、軍事関連のユニークな知識を紹介しています。


日本国憲法日本平憲法)の先進性


(一般的な日本国憲法の先進性)



 そもそも「日本国憲法」が、その拠り所として忠実に尊重する「立憲主義思想」が意味することは何であるのか、という点について、少し詳しく考えてみます。憲法(Constitution)という言葉が、ある国の最高法規として特別の意味が意識されるようになるのは、1789年のフランス革命で発せられた「フランス人権宣言」まで遡ります。それまで「Constitution」という言葉の意味は“体格・構造・国家の仕組み”などに留まっていたのです。日本へ江戸時代末期ごろに伝えられたとされる「Constitution」には“国制・国憲”などの用語が当てられていましたが、やがて明治期に入ると「憲法」という訳語に統一されます。なお、604年に聖徳太子が作ったとされる「十七条の憲法」は、官吏たちが守るべき倫理的な心構えという位置づけであり、現代的な意味での憲法ではありません。


 王権神授説を根拠とした絶対王政の時代(16〜17世紀頃)には、絶対的な統治権を握った国王による横暴な政治(暴政)が蔓延ります。例えば、恣意的で勝手気ままな徴税や徴兵、意図的な逮捕と処刑による政敵の抹殺など凡ゆる理不尽が平然と行われました。このため、思想家・哲学者・法理論家などは、正統な国家権力(国家の統治能力)の根拠をどこに求めるべきかということについての議論を続けていました。その中から立憲主義思想(憲法重視の考え方)の根拠となる「社会契約説」が成立してきます。やがて、この「社会契約説」を根拠に王権を凌駕する最高法規としての「憲法」が着想されたのです。「社会契約説」の意味を敢えて乱暴に言ってしまえば、それは「主権者たる個人」が国家との間で契約を結ぶことによって、統治権を政府に委任するということです。


 ところで、これらの中で最も重要な論点は、この「主権者たる個人」ということにあります。「権利の請願」(1628)、「権利の章典」(1689)(以上、イギリス市民革命期)、「人権宣言」(1789/フランス革命)、「アメリカ独立宣言」(1776)、「アメリカ合衆国憲法制定」(1788)という、17〜18世紀の欧米における市民革命の歴史を通じて最重要視された論点が「主権者たる個人」ということです。そもそも「絶対王政」を支えた論拠は「王権神授説」ですが、それは「人智が及ばぬ霊的な神の権威」に国王の統治権の正統性の根拠を求めるものであるため、このような万能の神的権威の下にある国王の統治権力に対して、人間が作る法律によって一定の制限を課すことは不可能です。このため、場合によっては国王(または、その代理人)が恣意的に家臣や国民の生命を奪うことさえも許されたのです。(このように不条理な統治構造のモデルは、今でも時々、社会に騒擾の種を蒔くカルト教団の支配構造の中に観察することができます)しかし、一連の市民革命の勃発と並行して先見の明に満ちた「社会契約説」などの啓蒙思想と科学的・合理的な考え方が社会の隅々まで普及するようになると、このような「絶対王政統治権」の根拠は殆ど全ての人々によって疑われることになるのです。その結果、近代以降の民主主義国家における統治権の根拠が「社会契約説」に委ねられることになります。


 従って、このような市民革命のプロセスの中から成立した「憲法」(Constitution)には神の権威に代わる最高法規(th Highest Law)の根本として「授権規範性」(または制限規範性)という重要な性質が付与されているのです。すなわち、「憲法」とは、“「主権者たる個人」が自らが属する国の統治権を政府へ委ねるために作った最高法規”だということになるのです。また、統治権の委任を受けた政府の実際の権限についてはホッブズ(Thomas Hobbes/1588-1679/英国の政治思想家/社会の自然状態を「万人の万人に対する闘い」と捉えた、著書『リバイアサン』)とロック(John Locke/1632-1704/英国の政治思想家、イギリス経験論の代表者)の二つの立場があります。


 ホッブズは政府に対して個人の権利の全面的な委任を認め、ロックは「憲法」の中で政府の活動範囲を制限すべきだと主張しますが、現在の民主主義国家ではロックの立場が広く認められています。つまり、現代の民主主義国家では“主権者たる個人が統治権を委任する政府は、それに対する監視・批判などの適正なチェックを怠れば必ずや暴政化する(個人(市民)からの期待を裏切り、個人(市民)からの委任を踏みにじる)ものだ”という理解が前提となっているのです。仮に、政府が「憲法の授権規範性」を忘却して暴走した時には、個人(市民)は“委任契約”を破棄して新しい政府を作る権利(=抵抗権)があるのです。特に、一般の日本国民には、このような「憲法」に関するシビアな理解が欠けているように思われます。


 このような「憲法」の理解についての立場が「立憲主義的思想」と呼ばれるもので、これは欧米の一般国民(市民)たちが市民革命と呼ばれる血みどろの歴史的経験(ほんの少しでも気を許せば暴政化する恐れがある、強大な政治権力との覇権闘争)から直截体験的に学び取った理解なのです。日本は、太平洋戦争の敗戦という大きな痛みを契機に、この「日本国憲法」(民主憲法)を戦勝国アメリカの指導を受け入れるという形で手に入れた訳です。しかし、戦争という同じ血みどろの経験を経た結果ではありますが、その闘いの性質は市民革命の場合とは根本的に異なっています。つまり、日本国民は、強大な政治権力から「民主憲法」を自ら勝ち取るために戦ったという「市民戦争」を経験していないのです。このため、ある意味では欧米の憲法にも勝る折角の「民主憲法」の貴重な意義を十分に理解しているとは言えないようです。(だからといって、自前で本物の民主主義意識を持てるようにするため、日本は「市民軍」を創設する目的で徴兵制を導入すべきだという暴論(?/樋口陽一など、一部の憲法学者が主張している)に与する立場ではありません。歴史的事実を検証するために、わざわざ徴兵による市民軍を創設して戦争ゴッコをするなどということはバカげたことです。何のために、歴史学者憲法学者は専門的な立場で研究をしているのでしょうか?)


 このような訳で、立憲主義的な「日本国憲法」の中に「国民の義務」を明確に規定することは、「日本国憲法の本質的な部分」(政府に対する授権・制限規範性)に抵触し、大いに矛盾することになるのです。それにもかかわらず、このほど自民党がまとめた改憲案では、「愛国心」を前文に置いた上で、「国民の権利及び義務」及び「公共の責務」の章で国民を対象にしたいくつかの「義務」(責務)を挙げています。それらは「国防(徴兵?)の責務・社会保障を支える責務・家庭等保護の責務・生命の尊厳を尊重する責務・環境保護の責務」などあり、更に、このほかに「憲法尊重擁護義務も国民に課す」としています。しかし、「憲法」についてのこのような理解(考え方)は、今まで見てきたとおり「立憲主義の本性」からすれば明らかに根本的な誤り(誤解、勘違い)なのです。重ねて言うことになりますが、「憲法」の本来の目的(本性)は国民に課す義務を定めることではなく、国民から国の統治を委任された政府が暴走することのないように、その政府に対する制限規範を定めることにあるのです。言ってしまえば、国民の立場からすれば“それは余計なお世話だ”ということです。


 従って、もし国民に対する何らかの義務を拡大解釈的に課したいと望むならば、国会の議決によって個別に法制化すればよいだけのことです。今の「日本国憲法」に謳われる四つの義務(12条:自由・権利の保持義務等、26条:教育の義務、27条:勤労の義務、30条:納税の義務)は、「基本的人権」と密接に関係する(表裏一体の関係)と考えられる最低限の条項であることに配慮して定められているものです。また、この改憲案で追加的に挙げられている「憲法尊重擁護義務も国民に課す」ということも、「憲法」に関する根本的な解釈の誤りです。これは言うまでもないことですが、「日本国憲法99条」にある「憲法尊重擁護の義務」は統治権力の担い手である公務員(天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官、その他の公務員)が国民からの委任の範囲を超えて暴走することがないように課せられた義務であり、この問題を国民の義務と同列に論じるべきではないのです。従って、これを、わざわざ国民の義務であると規定することは、やはり憲法の目的である「政府に対する授権規範性・制限規範性」に抵触し矛盾することになるのです。


 このような矛盾を敢えて押し通そうとする「改憲関連」動向の背後には、テロ事件等への対応を口実にして一般国民の「自由」と「三権分立の原理」をできる限り制限(行政権を強化)しようとする政府・官僚サイドの意志が働いている恐れがあります。もし、彼らにこのような意志があるとすれば、それは立憲主義(主権在民の民主主義政治)に対する挑発ということであり、国家の「主権者たる個人」(一般国民・市民)の基本的人権に対する冒涜であるとさえ言えるでしょう。なお、「三権分立の原理」の意義は、それが“たとえ、いかに優れた統治担当者(政治家・官僚)であろうとも人間である限り必ず間違いを犯すということを前提にして適正なチェック・アンド・バランスの仕組みを政治や行政の仕組みの中に設定しておく”という考え方から工夫されたということです。このことの重要性は、国会議員等による政治資金関連の重大犯罪や公務員等による莫大な税金の無駄遣いが多発しており、それが一向に止む気配がないことを思い出すだけで十分に分かるはずです。また、「日本国憲法」第14条「法の下の平等」には、性の違い(性差)による差別の禁止が記述されていますが、これは「日本国憲法」の先進性を象徴する内容です。例えば、同様の条文は「アメリカ合衆国憲法」には明記されていません。

(平和主義という日本国憲法のモラル・ハイグラウンド)


 更に、現行の「日本国憲法」には他国の憲法には存在しない「貴重な先進性」があります。それは“平和主義(前文及び第9条による戦争放棄)”ということです。「日本国憲法」の「前文」は、太平洋戦争(第二次世界大戦)で軍部が独走して引き起こしたアジア諸国への侵略戦争について痛切な反省をするという立場から(1)「国民主権」、(2)「平和主義」、(3)「基本的人権の尊重」の三点を「日本国憲法」の基本理念とすることを明快に宣言しています。第二次世界大戦後60年を超えた今でも、これらの基本的理念が世界で実現されたと言える状態ではありません。このため、今でも、これらの理念を含む「前文」は日本国民に大きな感動を与える内容となっているのです。これら理念の中でも、特に「平和主義」が意味することは重要です。


 また、第9条では「戦争の放棄」を謳っているわけですが、これは“国際紛争を解決する手段として「武力行使」(戦争)は行わない”ということを明言しているのであり、ましてや「侵略戦争」などは論外のことになります。最近の世論調査の動向などによると“第9条を中核とする改憲はやむなし”という国民の声が多数を占めるようになっているようですが、現在の「日本国憲法」が掲げる、このような意味での「平和主義」の理念だけは絶対に残すべきだと思います。逆に言えば、他国から侵略を受けた場合の自衛の戦闘までを一切否定することは現実的でないのですが、再び軍部や一部政治家の暴走を許すような事態だけは絶対に避けるべきです。我われは、このような意味で「先進的な平和主義」を謳う憲法を持つ国は世界中で日本だけであることの意味を再認識すべきです。


 自民党改憲案で示された国民の[国防の義務](これは、必ず徴兵の議論につながる)についても、このような観点から十分に国民の間での議論を尽くす必要があります。特に懸念されるのは、同案の「前文」で「愛国心」にも触れていることです。本来の「愛国心」は“郷土愛・地域愛”などに限りなく近いものであるはずで、このような形で自然発生的に生まれる「愛国心」は地域文化の、ひいては日本文化の高揚・向上につながることになり好ましいものです。しかし、一旦、君主・宗教などを頂点とする中央集権的(反市民的)な国体論のヒエラルキーが形成され、国民に対して、その頂点に向かう形で「愛国心」が強制されるようなことにでもなれば、それは太平洋戦争で日本国民が体験した悲惨へ後戻りすることになります。その上、自民党改憲案では「品格ある日本国民の形成」ということを謳っていますが、これを国民へ強制するなら、その前に先ず自ら襟を正すべきだと思われます。


<注>日本の政治家・官僚らが自ら襟を正すべき理由については、下記Blog記事(●)を参照のこと。
●高すぎる日本の「民主主義のコスト」
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/a606ab5cfd381738c2f2e7863f993acf


 しかも、必ずしも、上から強制された「愛国心」が強い「軍隊」(兵隊)を作るとは限らないのです。かつて理想的な民主主義を説明するため、ポリアーキー(Polyarchy)という概念を提示したことで有名なアメリカの政治学者ロバート・A・ダールが「それなりの市民」(Adequate-Citizen)の存在が重要だというようなことを言っています。これは、普段は政治問題などへは殆ど無関心でも、国家の危機など何か深刻な事態が予期される場合には積極的に政治に参加する能力が身についている、いわば“普通の人間としての強い感受性”を持続することが可能な市民というような意味だと思われます。これは、民主的な市民社会における新しいノーブリス・オブリージェ(Noblesse Oblige/ここでは、古典的な意味ではなく、高貴な「市民の義務」という意味)と考えてよいのかもしれません。


(注)ポリアーキー(Polyarchy)
・・・ダールは、「競争」と「参加」の二つの要素が強く作用する理想の民主主義社会をポリアーキーと定義した。具体的にいえば、政治権力に対する批判が強力に機能し、積極的に政治参加する行動的で「多元的」な市民層が大きな割合を占める社会である。「多元的」の意味は、ミニ・ポピュラスと呼ぶ「討議デモクラシー」のための小グループが、国レベル、州レベル、自治体レベル、地域レベル、職場レベルなどに広汎に存在して、それらが活発に重畳的に活動するということである。


(注)ロバート・A・ダール
・・・1915〜 米国イェール大学名誉教授。翻訳された著書:『現代政治分析』『デモクラシーとは何か』『民主主義理論の基礎』『統治するのはだれか』『ポリアーキー』など多数。


 ダールは、自分自身が第二次大戦に従軍した経験を持っています。その時の軍隊体験の中で「それなりの、普通の人々(市民)が最も戦場では役に立った」という経験をしたそうです。平凡な市民生活とはいえ、調和の取れた社会生活を送りながら、その平凡な生活を自覚的に享受するのは案外に難しいことなのかも知れません。この経験から、ダールは「それなりの市民」(Adequate-Citizen)こそが、民主的な社会では最も重要な役割を担っているのだという確信を得たようです。先制攻撃、侵略戦争などは論外としても、最小限度の精鋭な闘争能力を持続する必要があるということの意味がこの辺りにあるような気がします。この観点からしても、平和主義と専守防衛はなんら矛盾することはないように思われます。内実は臆病で小心者のくせに、得意のワンフレーズ・ポリティクスの“アジ演説で大言壮語する”どこかの国の偉い大統領や自称国民的アイドル首相など、いわゆる権力を傘に着るだけの上滑り(嘘つき?)の政治権力者たちは、戦場に出たらクソの役にも立たないどころか、真っ先にシッポを巻いて逃げ出すかもしれません。国民や市民の立場になって物事を深く考えず、お気軽に、安易に国民や兵士の大切な命を戦場へ差し出そうとしながら! 

 また、デーヴ・グロスマン著『戦争における“殺し”の心理学』(筑摩学芸文庫)は、戦争という暴力を実行させる、つまり殺人を実行させる責任の殆どが軍人ではなく「政治家」、「官僚」(文官)など国の指導的な立場の者(エリートたち)であることを実証的に明らかにしています。グロスマンの検証によれば、何も手立てを施さなければ、一般の人間の本性の7〜8割は「平和」的なものであるそうです。一方、軍隊では心理学的な訓練によって、「暴力」的な心性が95%の割合に高まるまで兵士たちの心を改造することができるそうです。しかし、そうであっても個々の軍隊内部における帰属集団を仕切るトップの命令がなければ、その「暴力」(人を殺すこと)は実行されないとのことです。ただし、2%の割合で存在する異常な気質を持った人間は、訓練の有無に関係なく殺人を実行するそうですが・・・。


 更に、グロスマンは、次のように述べています。・・・兵士たち(その証言が本書の根幹をなしている)は、戦争の本質を見抜いている。彼らは「イーリアス」に登場するどんな人物にも劣らぬ偉大な英雄だが、にもかかわらず、本書で語られる彼ら自身の言葉は、戦士と戦争が英雄的なものだという神話を打ち砕く。他のあらゆる手段が失敗し、こちらにその「つけがまわって」くる時があること、「政治家の誤り」を正すため、そして「人民の意志」を遂行するために、自分たちが戦い、苦しみ、死なねばならぬ時があることを、兵士たちは理解しているのだ。・・・

(注)『戦争における“殺し”の心理学』の著者デーヴ・グロスマン氏は、一兵卒からスタートして下士官、将校へと昇進し、現在は中佐の階級にあり、同時に米国のアーカンソー州立大学の軍事教授も務める最精鋭の実践部隊経験者である。
 
(注)グロスマンの見解を参照しつつ「戦争と平和」について論じた下記Blog記事(●)が参考になる。
●『人間の心における戦争と平和の葛藤』
http://takaya.blogtribe.org/entry-e48aa67ad31ad9269a7eb12cd9e83895.html

 このような、現役の米国軍人の実証的な研究の結果から見ても、軍人が全て好戦的だなどという考えは明らかに間違いだと思います。必要最小限度の戦闘を避けることはできないのが現実です。しかし、だからといって、平和主義を捨てても良いということにはならいと思います。理想とする主義は主義、現実はあくまでも現実です。辞めてしまいましたが、かつてアメリカのパウエル元国務長官は、このような意味での「人間の強さ」についての理解に確信を持った人物だと思われます。

 ついでながら、武器輸出3原則の緩和をめぐる議論についても似たようなことが考えられます。ミサイルや軍用航空機などの共同生産が米欧を中心に国際潮流になっているのに、日本は、3原則があるから、このような世界の平和維持のための本流に参加できない。それでは政治的にも技術面にも世界の中で日本は孤立してしまい、経済的にみても武器調達コストが高くついて国益に反することになる、というのが武器輸出3原則の「解禁論者のロジック」です。しかし、それは真実といえるのでしょうか? このようなロジックの裏には、例えばイラク戦争における石油利権のように、怪しげな胡散臭さ、おぞましい悪臭・腐敗臭が立ち込めています。また、2004.11.22付の毎日新聞・記事によると、国連で小型武器軍縮に取り組んだ猪口邦子上智大教授(前軍縮会議日本代表部大使)が次のように話していたそうです、「3原則は海外でも有名で日本はモラル・ハイグラウンド(Moral Highground/道義的な高み)に立つと評価されている。武器禁輸の日本の発言なら聞くという感じがある」。

  結局、「平和主義の原則」は日本の恒久的な原則であることを国民の合意のもとに再確認した上て、世界はどこへ向かうべきかを真剣に問いつつ、日本はどこへ向かうべきかを「自ら考えることができる強さ」を日本自身が身につけることが重要なのです。そして、このような観点から、「国民の責務」などについても問いかけ、説明するのが政治家たちの本来の仕事であるはずです。今は、それどころではなく、利権がらみの疑念・疑惑だけが彼らの周辺にまとわり付き、ハイグラウンドな観点からのアジア外交についての理念もなく、ひたすら対米隷属の発想しかできないのは真に情けないかぎりです。中国における反日デモにとどまらず、4月18日付・共同通信の報道によると、韓国の民間世論調査会社が成人800人を対象に「韓国の安全保障に最も危険な国」を尋ねたところ、それは日本だとする回答が昨年の7・6%から37・1%に急増して北朝鮮や昨年トップだった米国を上回り1位となったとのことです。

 今、日本政府が真っ先にやるべきことは、古めかしい「国体論」、「忠君愛国」、「教育勅語」など「日本ファシズム」の妖怪や亡霊たちを連想させるような「愛国心」や「徴兵義務」などを持ち出し、他方で「憲法」と「立憲主義思想」の根本にかかわる日本政府の不勉強ぶりを広く世界へ晒して恥をかくことではありません。それどころか堂々と自信を持って、モラル・ハイグラウンドに立脚した「日本国憲法」の根本にある先進的な「平和主義の理念」を内外へ強くアピールすべきです。そして、成熟した市民社会を基盤とする「本当に強い国家・新生日本」の実現を目指すべきなのです。