toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「貧富差拡大時代」招来の上に、国の「社会保障的義務」も放棄するのか?


 3月19日付・産経新聞は、経済財政諮問会議社会保障の在り方に関する懇談会)がGDPの伸びの範囲内に給付を抑制するように主張したのを受けて、厚生労働省が試算した結果を3月18日に発表したと報道しています。


  その具体的内容は『「社会保障の在り方に関する懇談会」に対し、今後の医療給付費の伸びを名目国内総生産(GDP)の成長率の範囲内に抑えた場合、医療費のうち平成37年度(20年後)の患者本人負担は当初見込みの3倍の約45%に膨らみ、医療機関窓口で支払う自己負担率は現行の3割を6〜7割にまで引き上げるのに相当する』という試算結果だそうです。もし、この見通しどおりなら、日本の社会福祉政策の根幹である『国民皆保険の原則』は放棄されるに等しいことになり、これは日本国憲法第25条[国民の生存権、国の社会保障的義務]に違反することになります。


 また、より現実的な穿った見方をすれば、これは小泉内閣が“国家財政の重荷を解消するため”と称して(実は医業関連業界の代弁!)執拗に狙っている「混合診療」の導入(今国会への法案提出は諦めています・・・)に対する強力な援軍のつもりなのかも知れません。その上、なし崩し的な「改憲材料」の一つにもなる訳であり、改憲のために外堀を埋めるという戦略の一環でもあるようです。


 つまり、「6〜7割の自己負担」と「混合診療の導入」のいずれの『痛みを選ぶのか!』という国民に対する恫喝です。いずれにしても『国民皆保険の原則』は放棄されることになりそうです。相前後して、3月18日の「時事通信社世論調査」の結果が発表されていますが、それによると『日本国民の約7割は、小泉構造改革の手法の継承を支持している』そうです。政権与党の飼い猫と化した「日本の主要メディア」の活用による見事な国民意識の誘導ぶりです。


 なお、3月19日付・産経新聞報道(●)及び「混合診療の導入関連Blog記事」(▲)については下記のURLを参照願います。


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050319-00000001-san-pol&kz=pol
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/92d1e40062a777a1171fcba26b45afb7