toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

作家アイン・ランド、米国ユニラテラリズムのもう一つの『源流』


<注>この記事はB/N(バックナンバー)です。


 今まで日本では殆ど知られていなかったアメリカの女流作家であり政治思想家でもあるアイン・ランド(Ayn Rand、本名Alisssia Zinovieva Rosenbaum/1905-1982)の翻訳・刊行されたばかりの小説、『水源』(アメリカ文学者・藤森かよこ訳、原書名The Fountainhead、1943)と『肩をすくめたアトラス』(同訳、原書名Atlas Shrugged、1957)が注目されつつあります。アイン・ランドは、ミーゼス(L.E.von Mises/1881-1973/オーストリアの経済学者、社会主義経済システムを徹底批判した)、ハイエク(F.A.von Hayek/1899-1992/オーストリアの経済学者、後にシカゴ大学でM.フリードマンらの師となる)、M.フリードマン(Milton Friedman/1912-  )と並び、自由市場原理主義経済を主張する超個人主義的な自由主義(超自由原理主義、リバータリアニズム/Libertarianism/なお、同じ語幹・Libertyから派生したLibertinismには宗教と政治の関係における自由原理主義という意味のほかに放蕩・乱交・同性愛の意味がある)の提唱者の一人として知られる人物です。彼女はユダヤ系ロシア人としてサンクト・ペテルスブルグに生まれましたが、ロシア革命後の混乱を避けて1926年にアメリカに単身亡命し、生活苦と闘いながらハリウッドでシナリオ作家をめざし、漸く1943年に小説『水源』を発表して注目を浴びることになります。更に1957年に出版された『肩をすくめたアトラス』によって文名を確立し、それ以来、これらの二大長編小説は、アメリカの知的な若者たちにとって必読書となり、アメリカの一般国民の精神にも大きな影響を与え続けているということです。


 日本では、政治学者など一部の人々を除きアイン・ランドはほとんど知られていなかったようですが、日本アイン・ランド協会(http://www.aynrand2001japan.com/index1.html)の情報によると、彼女の小説を貫く政治思想の根本には「客観主義」(Objectivism)と名付けられる個性的な哲学が存在します。これらの小説の文学作品としての評価はともかくとして(国語力の問題もあるので・・・)、同協会等の説明を手掛りにこの「客観主義哲学」のエッセンスを抽出してみると次のとおりです。


●社会など或る集団の上に立ち、人々の上に君臨する「共通善」なるものは「偽善」に過ぎない
●歴史的に見ると、平和主義・博愛主義・利他主義の宣言によって行われた革命の行く末は血の海であった
●他人に対して行い得る唯一の「善」は「触れるな!干渉するな!」ということである
●人類の歴史は、人間が独創(創造)したものを自然に対して付け加えることで進歩してきた
●この人間の独創は“良きものを創造したい”と願う人間の「個人的欲望」から生まれる
●自分中心主義は「偽善に満ちた利他主義」より優れている


 この「客観主義」の哲学は、最も過激なリベラリズム(超自由原理主義リバタリアニズム)の言わば啓典のような位置づけとなっており、アメリカではアイン・ランドの死後から現在に至るまで「ユダヤ教徒右派のサロン」や複数の「ランド教徒カルト集団」(Ayn Rand Cult)と呼ばれる形で離散と集合を繰り返しながら踏襲されています。また、このような形で隠然たる勢力を持つアイン・ランドの「客観主義」信奉者(ランディアンと呼ばれる人)たちが、ネオコン一派やキリスト教原理主義者とともに世界の声の大勢を無視して「イラク戦争」に踏み切ったブッシュ政権の「ユニラテラリズム」(米国一国主義)を後押ししていることが容易に理解できます。


 「テキサス・政治学留学生活(日記)」(http://members.aol.com/mnkctks/)というHPの筆者は2004年3月3日付の日記で、米国アイン・ランド協会での勉強会へ参加した体験を次のように紹介しています。


・・・(以下は同HPの一部の抄録)・・・アイン・ランドは危ない右翼として知られ、一部の支持者はカルト化している。しかし、アインランドは未だにアメリカ人全体の思考様式に影響を与えている作家である。今回はオハイオ州の大学の歴史学の教授を招いてのレクチャーであった。テーマは「The Failure of Homeland Defense Lessons from History」で、 国土防衛のあり方についてギリシア、ローマ、アメリ南北戦争からの例をとりつつ、それにアイン・ランドの哲学である「客観主義」の立場から解釈を加えるというものであった。大切なこととして、「自らの利益を的確に把握する」、「国土の外を防衛しようとしてはいけない」ということが強調された。それでは、イラク占領反対か!?と思いきや必ずしもそうではなく、アメリカは必要ならばどこへでも兵力を派遣する権利をもっている、と主張する。そして、それによって例えば外国を攻撃し、その国土を荒廃させたとしても、利害を見出さない限りその国の復興を支援する義務は無いということであった。それは例えば、アパートの自分の部屋の隣にマフィアが住んでいて自分の命が脅かされている場合、その脅威を取り除く目的でそのマフィアの部屋に乗り込んでマフィアを殺したとして、そのマフィアの残された妻子の面倒を見る義務は自分には無いというのと同じことであった。つまり「自らの利益を的確に把握」し、必要とあれば他国を攻撃する一方で、その後は利害も無いのに「国土の外を防衛しようとしてはならない」ということである[注1]。このような主張がアイン・ランドの「美徳としての利己主義」という観点から正当化される訳である。さすが右翼である。とはいえ、ブッシュの考え方にも異議は大いにあるようで、ブッシュが「自由は神からの贈り物だ」という主張(これはキリスト教原理主義者の主張!)に対しては「(本当の)自由は政治的概念だ!」と反論している[注2]。またイラク占領に関して、日本占領とオーバーラップして考えている部分があるようで、イスラム原理主義者の自爆テロを神風特攻に対比させてみたり、民主憲法と宗教的な政府は相反しないことを説明するのに、神道の神としての天皇日本国憲法に組み込まれた例を挙げたりしていた。このようにイラク占領を「ジャパンモデル」としてとらえる立場は、日本史学者ジョン・ダワー(John W. Dower/1938− /アメリカの歴史学者、MIT教授)によってことごとく批判されているが、案外アメリカ人の平均的な考え方としてはこういう感じなのであろう。・・・


 この日記の文章は、驚くべきほど的確にアメリカでのアイン・ランドの影響の大きさを捉えています。例えば[注1]の部分を言い換えると、“その外国の防衛をタダでやる必要はない”ということであり、ここには「日米安保条約」や「イラク戦争」におけるアメリカ人の“偽善的な本音”が述べられています。また、[注2]の部分で述べる「自由」の概念は“<自由の権利>をマキャベリズム的な政治の<道具>にする”ということであり、これは正にカルト的な狂気の信念であるとさえ言えるでしょう。それは、徹底的な利己主義(自己中心主義)を前提としつつ自分の欲望にすべての価値を収斂するということであり、異常な「欲望原理主義」と表現することもできます。さらに厳しく言えば、これは“犯罪心理学”か“精神病理学”の対象とさえ言えるのではないでしょうか?


 ところで、ハーバード大学・哲学科のジョン・ロールズ(John Rawls/1921-2002)とロバート・ノージック(1938-2002)の「正議論」は、アインランドの「客観主義」や「リバタリアニズム」と全く立場が異なります。ロールズノージック両教授の亡き後、ハーバード大学の「正議論」研究はチャールズ・テイラー教授(哲学科)とマイケル・サンデル教授(政治学部/公共哲学科)らによって引き継がれています。彼らの研究の特徴を列挙すると下のようになります。これらのテーマを見て驚くのは、ハーバード大学の「正義論」は明らかに現在の米国政府が押し進めるユニラテラリズム政策、環境政策などを真っ向から批判する立場であるということです。ブッシュ政権は、好戦的・差別主義的な「ネオコン」や「キリスト教原理主義」あるいは「客観主義の哲学」(ランディアン)に引きずられていますが、このハーバード大学の「正議論」は、まだまだアメリカの「精神環境」が健全であることを知らせてくれます。


●文化の差異や多様性を擁護する。
●異なった文明間の哲学的対話を志向する。
●多元的な民主主義思想のカギとして17世紀オランダのスピノザ哲学を見直す。
●グローバル市場原理主義に対抗するため「聖なるもの」と「公共性」の再結合とバランスを模索する。
●内向型研究でなく発信・交流型の研究を志向する。
環境倫理、環境的公正、開発と環境など、正義論と環境問題を一体的な視野に入れつつある。


 このようなアメリカの健全な「知の伝統」の本流に加えて、隷属的で“特殊な日米談合の知の枠組み”(ジョン・ダワーは、このことをスキャパニズム(SCAP=連合軍司令部と日本政府の談合体制)と呼んでいる)を超えた歴史・政治学等の研究者たち、例えばキャロル・グラック(Carol Gluck/コロンビア大学教授)、テッサ・モーリス=スズキ(Tessa Morris-Suzuki/オーストラリア国立大教授)、ハリー・ハルトウーニアン(Harry D. Harootunian/シカゴ大学教授)等の、現役で活躍する「本格的な欧米の知」を日本の学会やマス・メディアが本気で受け入れる必要があると思われます。また、様々な「近代知」そのものの矛盾を抉ろうとするカルチュラル・スタディーズフランクフルト学派のような欧米の伝統的「批判知」の研究についても、日本政府(文部科学省等)、学会及びマス・メディアは自らの誤謬に満ちた固定観念と偏見を取り払うべきです。カルチュラル・スタディーズフランクフルト学派を引き合いに出すや否や、未だに“サヨクだ!マルクス主義者だ!”という全くお門違いの声が沸き起こるほどの“低劣なドグマの姿”を垣間見せるのが日本のアカデミズム周辺の現実です。



 未知のアメリカのリバタリアニズムの教祖(アイン・ランド)を積極的に紹介することで、アメリカ文化の多様性とアメリカン・ドリームあるいはユニラテラリズム(米国一国主義)の『源泉』を多くの日本人が理解することも大切だとは思います。しかし、未だに18〜19世紀の「啓蒙思想」でさえも大方の日本国民は正しく理解しているとはいえないのです。このことは、日本の国政選挙の度に見られる、異常なほど低い投票率にハッキリと現れています。ここには「国語力の問題」という、日本人にとって特有の“民主主義にまつわる慢性病”が存在します。このため、多くの日本人がアイン・ランドを曲解してカルト色に染まったジャパニーズ・ランディアンが雨後の竹の子の如く増加する怖れさえあります。今、終盤戦を迎えたアメリカの大統領選挙では“(自分の頭で考えて)選挙に行かない奴は死んじまえ!”という過激なテレビ・キャンペーンが行われていますが、アメリカにおける、このように過激な啓蒙の手法は大いに参考とすべきでしょう。
(既出GooBlog、2004.10.12)