toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(2/3)


第ニ章 アメリカ型グローバリズムが促す「市場の社会的深化」


 2年前に「大量破壊兵器の存在」という空手形を切って強引に「イラク戦争」に踏み切ったブッシュ政権下のアメリカでは、「ネオ・コーポラティズム」が「市場原理主義」という一つのイデオロギーの道具に仕立て上げられるという、倒錯的で奇怪な政治現象が発生しています。フィリップ. C. シュミターの定義に従えば、このようなガバナンスのあり方は、まさに「ファシズム政権」に他なりません。それは、強いて言えばナチス・ドイツなどのファシズムに対して、一応は民主主義の衣を纏うという意味で「偽装民主制ファシズム」(Quasi-Democratic Facisam)とでも呼ぶべき新しいタイプのファシズム(ネオ・ファシズム)です。このように奇妙なガバナンスが生まれた背景には、ブッシュ政権が「市場原理主義」と「宗教原理主義」のアクロバティックに捩れた結婚(談合・癒着・抱合)を強引に腕ずくで成立させたという現実があります。


<注>このような二つの原理主義に取り憑かれたブッシュ政権の実態と背景については、下記Blog記事(●)を参照してください。


アメリカ型市場原理主義の実態
http://blog.melma.com/00117791/20041006085126
アメリカ崇拝がもたらすもの/愚かな合理主義
http://blog.melma.com/00117791/20041006085243
アメリカの民主主義は完璧だという幻想
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/a882a04ced728118436f82f86a5381a1
●ブッシュ帝国の深い闇
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/39004924ca771df34c6cafbaa41f2301
アメリカ型民主主義の深層
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/a11337708f3563944e97ac748220c051


 一般に、ファシズムは「①人種・血統主義、②過度な国家主義(一国主義)、③軍国主義(軍備強化)、④移民排斥、⑤思想(イデオロギー)統制、⑥弾圧」という六つの特徴を帯びています。ブッシュ政権の“ネオ・ファシズム”は、これに⑦キリスト教原理主義、⑧市場経済原理主義の二つが加わります。現在のアメリカのブッシュ政権が、上で見たような意味での「偽装民主制ファシズム」であると仮定するなら、そのガバナンス方式を至上の模範として崇め奉り、その方向性に追従するばかりの日本がネオ・ファシズム化せざるを得ないのは、もっともなことだと思われてきます。本来であれば、有限な地球環境の保全基本的人権保全のために役立つ新たなコーポラティズム(本来の意味でのネオ・コーポラティズム)が構想されるべきですが、現実の日本政府が行いつつある政治は、このような意味での構想力(新たな国家像を構想する能力)を失っています。


<注>このように現在の日本政府が新たな国家像を構想する能力を既に喪失していることについての詳細は、下記Blog記事(●)を参照してください。


●「新しい国家像」を描けない日本の政治家たち
http://blog.melma.com/00117791/20050112070206


 近年しばしば目にする「民主主義の赤字」(Democratic Deficit)」という政治学用語があります。この用語の明確な定義についての知識は持ち合わせないので、諸文献や新聞記事などで使われている意味合いを整理すると、次のような内容(民主化傾向に伴って現れるマイナス現象)で使われていることが分かります。


①福祉・医療関連出費の拡大による恒常的な国家財政等の赤字拡大
②国民一般における政治的無関心層や無党派層の拡大
③主権意識の喪失と選挙権を安易に放棄する傾向の拡大
④ジャーナリズムの批判力(ペンの力)弱体化傾向の亢進
⑤自殺者数、青少年犯罪件数、ニート等の非正規雇用者数などの増加
⑥地域環境・地域経済の崩壊傾向が拡大
⑦その他(隠れ肥満者数、薬物中毒者数、セクハラ事件発生数、暴力・苛めなど学校・職場環境の劣化傾向、凶悪犯罪の低年齢化傾向、離婚数の拡大、etc)


 これらの中で②と③はほとんど同じ傾向の表裏の問題だと思われますが、他の民主国家と比較すると、特に日本はこの面での赤字(マイナス)傾向が強く現れています。また、④ジャーナリズムの批判力の弱体化という問題は、一連のNHK問題が良い事例となっています。⑤〜⑦の問題も近年の日本で特に大きく目立つ現象となっています。


<注>これらの中で問題点②〜④についての現況分析は、下記Blog記事(●)を参照してください。


●「低投票率56.6%」が暗示する日本の危機とは?��
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/4d88664a380ca983ffd4eec0b087ba0b
●「NHK問題」の教訓/それは「国民主権」のリスク管理
http://blog.melma.com/00117791/20050123121223


 ①の問題については、最近マスコミも大きく取り上げるようになったので日本国民一般の関心もかなり高まっています。そして、無論のこと財政赤字は日本だけの問題ではないのですが、同じ財政赤字とは言っても「国家統治(バナンス)方式」の違いという側面から観察すると、各々の実相は全く異なっていることが理解できるはずです。端的に言ってしまえば、アメリカの財政赤字の根本原因は、米国民に対して借金しまくってまでの「過剰な消費行動を煽るアメリカ経済の特性(欲望至上主義)」と「異常といえるほどの貯蓄率の低さ」にあると考えられます。それに「米国一国主義」で世界の覇権を握るための「巨額な軍事費」の増大が追い討ちをかけています。一方、日本の財政赤字の根本原因は、主に政治家及び行政府と官僚たちによって積年に及び遣りたい放題に食い荒らされてきた「壮大な税金(国民の血税)の無駄遣い」です。しかも、日米両国の財政は「もたれあいの構造的癒着」の絆を一層強めつつあるのです。それを日本から見れば、アメリカの財政赤字を補填する仕巧妙な仕組みの中に一方的に取り込まれているという意味で、まことに隷属的な日米関係です。


<注>これら日米両国の財政問題と隷属的な関係についての分析は、下記Blog記事(●)を参照してください。


●高すぎる日本の「民主主義のコスト」
http://takaya.blogtribe.org/entry-e3b3dad62cace8d8dd30f7493180a96d.html
●捩れた「日米経済同盟」のツケを一身に背負わされた、お人好しの日本(既出)
http://takaya.blogtribe.org/entry-81540261923380e497b1cb3a881b4ffa.html
●近づく「日米、抱合心中型・経済同盟」の破綻(既出)
http://takaya.blogtribe.org/entry-fcaaa41b352ed67aec83dc076ed775c9.html
●「新しい国家像」を描けない日本の政治家たち(既出)
http://blog.melma.com/00117791/20050112070206


 ところで、2000年末にITバブルが崩壊したことをきっかけに世界経済が同時減速を経験する環境のなかで、日・米のみならず世界各国の財政収支が悪化し続けてきました。ユーロ圏では、EUが通貨統合のために一定の「財政規律」を加盟国に課していますが、特にEUの中枢を担うドイツとフランスの財政赤字が基準違反の状態にまで悪化したことが、EUの制度上の欠陥によるのではないかという問題を提起しています。3月22日付・日本経済新聞の報道によると、3月20日の深夜に行われた臨時のEU財務相会議で、ユーロの信任を確保するために設定した「財政規律」(財政協定)の見直しを行うことで合意しました。従来どおり財政赤字GDP比3%以内に抑える枠組みは維持するが、特定の支出を財政赤字の算出から除き、協定の運用をより柔軟にすることが決定したのです。これで財政出動の余地は広がるものの、財政規律の事実上の緩和によって、逆にユーロの信任が揺らぐのではないか、という懸念の声もあります。(算出から除外されるのは欧州統合のためのコスト、雇用促進等の研究開発コスト、年金改革のコストなど)


 しかし、EUのガバナンスに関する考え方は当初からアメリカのガバナンスとは根本的に異なっています。その詳細については後述しますが、一言でいえばEUのガバナンスの基盤となっているのは、ドイツ伝統の「社会的市場経済」の理念である「社会が経済システムを支配する」ということです。決して、この逆ではあり得ないのです。このような根本理念の下で、ユーロ・コーポラティズムと呼ばれる「ネオ・コーポラティズム」が構想されたのです。その元になったもう一つの考え方は、アメリカの政治学者ゲイリー・マークス(Gary Marks/米・ノースカロライナ大学教授)が提唱した「多次元的ガバナンス」(=多元的コーポラティズム)という理念です。このような二つの理念がヨーロッパ伝統の「寛容の哲学」の上で融合することで「EU型のガバナンス」(ユーロ・コーポラティズムの理念)が創造されたのです。


 然るに、アメリカ・ブッシュ政権が構想するガバナンスは「新自由主義思想+宗教原理主義」(この旗を振るのがネオコンサーバティヴと呼ばれる一派)から必然的に帰結する「アメリ超国家主義」(ユニラテラリズム/Unilateralism)です。その狙いを端的にいえば、強大な軍事力を駆使しながらアメリカ型のグローバル市場主義(アメリカ型の自由と平等を宣教するルート)を全世界へ広めることで民主的な形で国際化・地球化した世界を実現するように装いつつ、実はアメリカの政権中枢にごく近い特定の大企業の権益拡大を梃子にしてアメリカの国益を嵩上げしようとする、全世界に対する覇権戦略なのです。この戦略を推進しているのが、ネオコンサーバティヴと呼ばれる一派で、彼らは洗練された「知力(Intelligennce)&情報(Information)」と優秀な人材を装備しています。


<注>ネオコンサーバティヴの詳細については、下記Blog記事(●)を参照してください。


●「民衆の力」を左右する「国語力」の問題(2/2)(補遺)
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/7559376aef0fa366f66060f8896b378a


 このような動きの源流は、1980年代の「サッチャー(英)、レーガン(米)、中曽根(日)の時代」に推し進められた「新自由主義」政策まで遡ります。そもそも「ネオ・コーポラティズム」が着想された背景には、「政府・経営者・労組」の三つの政治権力が協調することで“賃金抑制と完全雇用”の均衡を図るという狙いがあったはず(もし、このとおりであるなら、ユーロ・コーポラティズムと同様の方向へ進んだはず)なのですが、この1980年代の「新自由主義」では、「ネオ・コーポラティズム」の名の下に「雇用機会の拡大」を理由として「市場の社会的深化」が意識的に助長されたのです。ここでは欺瞞が巧妙に隠されています。これは明らかに「ユーロ・コーポラティズム」の理念とは逆であり、「政府・経営者」の二つの政治権力が、結託して故意に「経済システムが社会を支配する」方向へ舵を切ったということです。そして、この時から活発に推進されるようになったのが「下請・外注方式(アウトソーシング)の拡大」、「パート労働者の拡大」、そして「公的部門(公共)の民営化」(実際は天下りの受け皿を広げる狙いがあった)ということです。この時は、少なくとも表面的にはあくまでも「完全雇用を実現するための雇用機会の拡大」が名目とされていたのです。その結果、特に日本の労働市場では賃金及び労働条件に大きな格差がある二重構造(Dual Stracture)が誕生してしまったのです。


 ところが、アメリカでは、この「市場の社会的深化」(公的部門(公共)の民営化)が市場経済のニーズ(資本の拡大・蓄積要求)と合体して、従来は考えられなかった軍事・国家安全保障・医療・教育などの部門が企業として(特に政権中枢に近い企業が)肥大化する現象が起こったのです。特に、“アメリカ・ブッシュ政権ネオ・コーポラティズム”を忠実に模倣しようとしてきた小泉政権アメリカ型グローバリズムが促す「市場の社会的深化」を忠実にトレースする)下の日本でもこのような傾向が著しく進みつつあります。テッサ・モーリス=スズキ女史(オーストラリア国立大学教授)が、姜 尚中(東京大学教授)との共著『デモクラシーの冒険』(集英社新書)の中で紹介するアメリカの多国籍企業「Wakenhut Corp.」を取り上げてみます。これはアメリカにおける“市場の社会的深化”の典型的な事例として紹介(以下・・・の部分)されています。(Wakenhut Corp.の企業概要はhttp://www.wackenhut.com/を参照)


・・・Wakenhut Corp.は元FBI捜査官だったワッケンハットが1954年に設立し、当初は探偵・警警備業などを行いFBIやCIAの元職員を大量に採用した。1960年代に同社は破壊分子対策として約250万人分の個人情報を極秘に収集する実績を残し、やがてラテンアメリカとヨーロッパへ進出した。1980年代に入りグローバリゼーションによる金融と投資の流れが加速し始めるころから、新自由主義思想の影響を受けた「公共事業の民営化」が導入されるようになるが、ワッケンハット社はこの流れに乗って公共事業の外部委託(アウトソーシング)の受け皿となった。1984年に第40代のアメリカ大統領となったレーガンは、この民営化路線を更に押し進めて「刑務所」や「不法移民収容施設」の民営化に着手したが、ワッケンハット社はこの流れにも乗って事業を一層拡大した。同社は、この21世紀初頭には北米・中米・オーストラリア・ニュージーランド南アフリカ・イギリスなどの地域で約50に及ぶ刑務所や収容施設と約3万人の収監者を管理する会社(アメリカ国外の社員数は約4.1万人)にまで成長している。その事業内容は電子セキュリティ、集中管理警備システム、警備訓練・教育、防火・防災、人材派遣、大使館警備など、その事業部門の拡大は広がる一方となっている。今や、同社は刑務所と警備に関する世界的な複合ネットーワーク・サービス事業部門でのトップ企業となっている。・・・


 
 ワッケンハット社に限らず、例えばイラク戦争で“戦争の民営化の受け皿”として一躍注目を集めたハリバートン社(http://www.halliburton.com/kbr/aboutKBR/index.jsp/チェイニー副大統領との繋がりが深い)など、このような「公共部門の受け皿」となって急成長した“政府寄りの企業”がアメリカには数多く存在します。「ブッシュのイラク戦争」が“民営化された戦争だ!”と揶揄されることがあるのは、このような厳然たるアメリカ社会経済の現実の姿があるからです。しかし、今、アメリカではワッケンハット社の原子力施設の警備体制への懸念(http://hwj-regi.hotwired.co.jp/news/news/culture/story/20040129203.html)、戦場や刑務所内等での暴行・虐待事件などが注視されており、日本でもデュアリズム(Dualism/意図的に二元的な格差を煽って貧富差が拡大する社会構造を創り、それらの競争によって経済効率と生産性を高めようとする経済原理主義的政策)による社会的弊害(凶悪事件の多発、自殺者数の増加、悪質な知能犯罪数の増加、大事故等のリスク発生機会の拡大etc)が、漸く“民営化の赤字”の深刻な問題なのだということが認識されつつあります。


 しかし、それにもかかわらず、今、日本政府が目指す方向は、紛れもなく、このようなアメリカ型「ネオ・コーポラティズム」であり、それは日本を「経済システムが社会(公共部門を含めた)を支配する」というタイプの国家統治(ガバナンス)の形に作り変えようという目論見です。これが、いわゆる「官から民へ」を合言葉に「小さな政府」を目指すことの現実的な意味であり、小泉構造改革の最終目標なのです。ただ、注意すべきことがあります。それは、仮に政権が交代したとしても、政治家たちだけでなく政治の中枢に近い御用学者グループや高級官僚たちの中にも「新自由主義」という“新興経済カルト教”の信者が多数存在するという現実があることです。


 このため、与党内での政権交代はもとより、仮に民主党中心の政権ができたとしても、この流れが急に変わることはないと思われます。だからこそ、主権者たる一般国民(市民)の意識向上とマスメディアによる厳しい政治への監視が必要なのです。たとえ非効率であっても、主権者たると国民の監視下での政権交代は何回あっても良いはずです。ともかくも、このような観点で比較すると、表面的には同じ“民主主義の赤字”を抱え込んでいるように見えながらも、社会と経済の関係が倒錯(転倒)している「アメリカ型ネオコーポラティズム」と、あくまでも社会の支配下に経済を組み込もうとする「EUネオ・コーポラティズム」(ユーロ・コーポラティズム)が全く異なる「理念と方向性」を持つことが理解できるはずです。