toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/3)

第三章 「ユーロ・コーポラティズム」の可能性(多次元的ネットワーク・ガバナンス)

 すでに第二章で見たとおり、「ユーロ・コーポラティズム」の基盤の一つは、ドイツの伝統である「社会的市場経済」の概念です。元々、ドイツの社会経済思想の特徴は“歴史主義”ということに原点があります。経済史の観点から概観すると、19世紀のドイツでは「歴史学派」と呼ばれる経済思想が生まれており、その先駆者がF. リスト(Friedrich List/1789-1846)です。ドイツの産業革命は英・独・仏三国の中で最も遅れて始まっており、そのピークを迎えたのが19世紀末から20世紀初頭です。それは、プロイセンを中心とするドイツ帝国(1871〜1890)がドイツ全体を統一したのは、漸く普仏戦争(1870〜1871)が終わった19世紀後半であったという事情によるものです。


 このため、ドイツでは、国民経済には歴史的観点からすると国の事情によって、それぞれ異なる発展段階があって当然だとする考え方が優勢になったのです。このような思想潮流の中から「保護貿易」の重視を主張する「歴史学派」の経済思想が生まれたのです。なお、このような社会経済面のアカデミック・ガバナンスに関する“歴史を引きずるドイツ特有の後進性”が幸いしてか、逆に法制史・美学美術史(F.K. von Savignyの歴史法学、K. Fiedlerの芸術学etc)などの分野でも斬新な学問体系が、18〜19世紀のドイツで輩出することになるのです。ともかくも、このような歴史的背景の中で、ドイツの「社会的市場経済学派」(Soziale Marktwirtschaft)が誕生したのであり、この派の思想は歴史と風土環境に根ざすという意味で、ひたすら金儲けのための結果だけを求めるグローバリズムに浮かれる「新自由主義」の対極にある訳です。


 第二次世界大戦後の非常に困難なドイツ経済を復興に導いた立役者が、この「社会的市場経済学派」の影響を受けた政治家ルートヴィヒ・エアハルト(Ludwig Erhard/1897-1966)です。彼はドイツ連邦共和国の初代経済大臣であり、後にはドイツ連邦共和国の首相となっています。エアハルトの最大の功績が、「社会的市場経済」の構想を練り、それを現実政策で実践して奇跡的に(西)ドイツ経済の復興を実現したことにあります。この「社会的市場経済」の柱は次のような点(★)です。


★基本的には、社会が経済システムを支配するべきだと考える。
★しかし、市場にかかわる活動単位(企業、人など)の経済活動の自由は保障される。
★ただ、国は市場における独占・寡占状態が発生せぬよう監視しなければならない。
★同時に、国は国民一人ひとりが自らの責任で行動して経済的に自立することを奨励し、そうなるように支援しなければならない。(自己責任と自立性の確保)


 このようなドイツでは、第二次世界大戦終結してから非常に長い時間をかけて経営者と労働組合が協議・協調する形で「社会保障制度」を創り上げてきました。このためドイツの「社会保障制度」は世界で最も充実したものとなっています。例えば、年金・医療・失業・介護保険の保険料は労使が全くの折半で負担しています。それに、「ドイツ連邦共和国基本法」(憲法)の第9条は「労働協約自治」ということを保証しています。これによって、労使双方は自らの責任と権限で労働条件を定める強い権利(国家と同等の権力)を与えられているのです。このような政策を実現した「社会的市場経済」の原点は、ナチスヒトラーの独裁中央管理体制、中央集権的社会・共産主義体制などに対する強い反発です。同じく、弱肉強食の熾烈な競争の結果として独占状態が生まれるとして「自由原理主義」にもノーを突きつけています。つまり、「全体主義」も「自由原理主義」も共に否定するため「社会が経済を支配する」という原則を定めたのです。


 しかし、ドイツの社会を英仏両国のそれと比較するとき、その特性(弱点)として浮上したのが「ドイツでは市民社会の理論構成が不十分である」ということでした。これもドイツと英仏両国との歴史経験の違いからの帰結です。つまり、イギリスとフランスには大規模な市民革命の歴史がありますが、ドイツには、それらと同質という意味での市民革命の経験はありません。ドイツにあるのは啓蒙君主による上からの民主化の経験とラジカルな権力闘争の経験だけです。ただ、世界に先駆けて「社会的基本権」(生存権)の概念を取り入れた、非常に先進的で民主的な「ワイマール共和国憲法」(1919年)を制定したという経験はありますが、これは無残にもヒトラーナチスファシズム政権によって踏みにじられてしまいました。


 つまり、ドイツの立場からすれば、このような「ドイツの弱点を克服する可能性」をEU統合に託す(賭ける)ことに意味があったと考えられるのです。いずれにせよ、このようなドイツの「社会的市場経済」の思想を基盤として、その上にアメリカの政治学者ゲイリー・マークスが提唱した「多次元的ガバナンス」(=多元的コーポラティズム)の政治学上の斬新な理念が加わり「EU統合のための構想」が創られたのです。また、文化的な環境条件として英独仏に共通していたのがヨーロッパ伝統の「寛容の哲学」です。この震源地は、近代哲学の祖とされるスピノザ国際法の父グロティウスを生んだオランダがスペイン帝国の圧制に抵抗して独立を達成した「歴史的経験」であり、更に、その後背地にはヨハネス・ドウンス・スコトウスの「寛容の神学」の伝統があります。このようにして、奥深く伝統的なヨーロッパの二つの理念とアメリカの政治学者ゲイリー・マークスの「多次元的ガバナンス」が融合することで「EU型ガバナンス」(ユーロ・コーポラティズム)の基本理念が創造されたのです。


<注>ヨハネス・ドウンス・スコトウスの「寛容の神学」については、下記Blog記事(●)を参照してください。
●自由と実践理性の葛藤(1/2)
http://blog.melma.com/00117791/20040921202546
●自由と実践理性の葛藤(2/2)
http://blog.melma.com/00117791/20040921204808


 このような経緯から、「EUの統合」は、ゲイリー・マークスが提唱した「多次元的ガバナンス」(=多元的コーポラティズム)という画期的な理念を現実化することだといえるでしょう。そこで、EU統合が実際にどのような仕組みで多次元性を機能しつつあるのか概観してみます。


(1)欧州理事会(European Council)
・・・加盟各国のトップ会議で、日本では「EUサミット」と呼ばれている。役割はEUの一般的な方針を定めることで、年3回のローテーションで動き、議長国は半年ごとに輪番制で交代する。


(2)欧州議会(European Parliament
・・・各国の直接選挙で選ばれた約600人の議員が構成する。「閣僚理事会」から提案される法案に対して拒否権と修正権を持つが、法案の提出権はない。最も肝心な仕事は、「欧州委員」の任命権である。つまり、「欧州議会」の重要な仕事は「欧州委員会」(つまり、EUの実際の政策を推進する役割を持つ官僚機構)を監視することである。本部はフランスのストラスブール


(3)閣僚理事会(Council of Ministers)
・・・加盟国の大臣が、外務・経済・農業などの各分野ごとに集まり、「欧州委員会」が提案する「法案」等を承認するための組織。従って、「閣僚理事会」は事実上の立法機関である。


(4)欧州委員会(Europian Commissin)
・・・実際にEUを動かす官僚機構で、約1.8万人の職員がいる。中枢には1名の欧州委員長と執行機関(College/19名の「欧州委員」から成る)があり、欧州委員会は「閣僚理事会」に対して規則・指令などに関する「法案」を提案できる強力な権限がある。本部はベルギーのブリュッセル


(5)欧州中央銀行(European Central Bank)
・・・単一通貨ユーロを管理するEU中央銀行。各国政府及びEUから独立した立場で、金利通貨供給量為替相場などを管理する。本部は、ドイツのフランクフルト・アム・マイン


(国家性の脱国家化)


・・・この言葉は、(英)ランカスター大学の社会学部長であるボブ・ジェソップ(Bob Jesopp)の言葉。これは、EU全体の水準(スーパー・ナショナル)、複数国家間の水準(インター・ナショナル)、地域・地方政府水準(サブ・ナショナル)の三つの次元が対等の立場で、同じ権利を持って協議・協調しながらEUの政策を推進するという理念を表わしている。これは「EUのパートナーシップの原則」とも呼ばれる。これを実現するため、EUの実際の政策運営では、地域間ネットワークや地域委員会など、きめ細かな組織とネットワーク運営の工夫が施されている。

(政治システムの脱国家化)


・・・この言葉もジェソップが創った。EUを取り巻くサブ・ネットワークとして、各国を代表する企業・労働組合・社会運動団体などを代表する組織がブリュッセルにオフィスを構えて活発なロビー活動を展開している。これらのロビー活動は合法的であり、EUから見て対等のパートナーと位置づけられている。これを組織単位で見ると、例えば「欧州産業連盟(UNICE)」、「欧州公共企業体中央会(CEEP)」、「欧州産業化円卓会議(ERT)」、「欧州労働組合連盟(ETUC)」、「欧州環境ビューロー(EEB)」、「地球の友・欧州事務所」、「グリーン・ピース」など多岐に及ぶ。


 このようにして、EUの政策形成のプロセスには、市民社会がより深くかかわるようになっています。特に、社会政策・市場統合・環境政策などの分野において、このような傾向が進んでいます。ただ、このような「多次元的ネットワーク・ガバナンス」がEUの政策に関して万能という段階には至っていません。例えば、警察・軍事(安全保障)・司法・金融などの分野では、未だに「国家主義の原則」が優先(Statism/各国家統制力が優先)しているのです。その上、アメリカのユニラテラリズム型とは全く異質な“社会的市場経済型”の「ニュー・コーポラティズム」であるとはいっても、「構造的失業問題、加盟国市民のEUに対する一定の不信感の存在、各国の財政赤字問題」などの、いわゆる「民主主義の赤字」が増えつつあることもEUの現実です。


 そこで、EUのプロディ委員長は、この困難な課題を克服するために「グローバリゼーションに熟達する」(mastering globalization)という考え方を示し(2000年)ました。それは、グローバリゼーションが避けられない以上は適切にそれを管理するべきであり、そのために愈々これから本格的な「EUの政治統合」に取り組むという決意の表明でした。やがて、この方向性は2004年6月18日・夜に「EUサミット」(欧州理事会)が採択した「拡大EU欧州連合)」の新しい理念の下で、より次元が高い政治的コンセンサスである「EU憲章(憲法)」として結実しました。  


 しかし、本格的な「拡大EUの政治統合」が始まるのは、まさにこれからです。グローバリゼーションの影響下で市場と通貨の統合という、どちらかといえば新自由主義的な方向へ傾いたEUを、本来の方向性である「多次元的ガバナンス」の方向へ軌道修正することが、これからの拡大EUの大きな目標です。そのため、EUは各国の市民社会と十分に調和した、より高度な「多次元的ネットワーク・ガバナンス」の形成(一層強固な政治的統合)を目指すことになります。それこそが、超国家主義型の「ネオ・コーポラティズム」への道をひた走るアメリカとは全く異なる本物の「ユーロ・コーポラティズム」への道であり、「民主主義の赤字」を解決するための正しい道筋なのです。
<注>2004年6月18日に「EUサミット」(欧州理事会)が採択した「拡大EU欧州連合)」としての「EU憲章(憲法)」の詳細については、下記Blog記事(●)を参照してください。
●拡大EUブッシュ政権の違い(3/3)
http://blog.goo.ne.jp/remb/e/5aeca7a99b2884ba093535406a386603


 EUにおける、このような動向の中で、以前からEUの理念部分に小さからぬ影響を与えてきたのですが、「オランダの政治構造」をEU統合の理想モデルとして再認識する動きが芽生えています。現在のオランダ王国はヨーロッパの中でも小国ですが、特に「一般国民の合意形成能力」という点については目を見張るべきものがあります。「水」という国家的な危機と700年以上にわたって付き合ってきたオランダ国民の「合意形成能力」は筋金入りだといえます。その結果、「オランダ・モデル」と呼ばれる“柔軟で合理的な社会システム”が創られています。テレビ・新聞などマスコミの支持率調査の顔色を伺って政策を進める風見鶏政治、あるいはアメリカ型のTOB(敵対的な株式買収戦略)の闖入に右往左往するばかりのマスコミや日本国民の姿とは比べものになりません。


 今、日本は「アメリカ・モデル」一色にドップリ漬かっていますが、少し頭を冷やして「オランダ・モデル」も存在することを視野に入れるべきかもしれません。無論、ここで「オランダ・モデル」が完璧であるなどと主張する所存はありません。ただ、そこから学ぶべきことが多いことを、できる限り多くの日本国民が認識すべきだと思われるのです。このような領域を学ぶために相応しいと思われる、下記の新刊図書(★)が出版されています。なお、オランダ王国憲法の第1条には、宗教、思想、政治的信条、人権、性別などに関する次のような規定(■)があることを理解しておくべきです。


★水島治郎著『戦後オランダの政治構造/ネオ・コーポラティズムと所得政策』(東京大学出版会、¥8,000.−)


憲法第1条:「才ランダにある全ての者は、同等の場合に同等の待遇を受ける。宗教、思想、政治的信条、人権、性別、もしくはその他のいかなる理由による差別も認めない。」
http://www.oranda.or.jp/index/japanese/society/multiculti.html#


<注>近世以前の「オランダ独立戦争」を中心としたオランダ史のトピックスについては、、下記Blog記事(●)を参照してください。
●平和主義は誤った道徳的孤立主義か?/17世紀オランダ史に学ぶ(1/2)
http://takaya.blogtribe.org/entry-54c812159406ac4f2611bb210ef7e7df.html
●平和主義は誤った道徳的孤立主義か?/17世紀オランダ史に学ぶ(2/2)
http://takaya.blogtribe.org/entry-0e9e6ea0bec544e171784846f979eec6.html