toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「民衆の力」を左右する「国語力」の問題(1/2)


<注>この記事はB/Nです。


 2004年8月16日に、アルダ-ティ・ロイ(Arudhanti Roy/イラク戦争、環境問題などについて積極的な発言を続けており、今、世界で最も注目されている女流作家の一人/http://website.lineone.net/~jon.simmons/roy/)女史が、サンフランシスコのアメリ社会学会・大会で『帝国時代におけるパブリック・パワー(民衆の力)』という講演を行いました。


<注>アメリ社会学会については、http://www.asanet.org/を参照。


<注>帝国の時代・・・これはイギリスの歴史家、ホブズボーム(Hobsbawm E.J./1917− )の名著『帝国の時代』の書名。1993年に邦訳(訳:野口建彦・照子、みすず書房刊、¥5,040円(税込))が出版されている。この本でホブズボームは、アメリカ中心のほんの一握りの覇権国家によって地球の表面積が殖民地として再分割・再支配されているという認識を示している。


  2004年5月に終わったインドの総選挙(投票率55.0%)では、前与党・インド人民党(BJP/保守的なヒンズー民族主義路線)が極貧層の反発を受けて敗北し、ソニア・ガンディ党首が率いるコングレス党(Congress/国民会議派)を中心とする連合政権が成立することになり、コングレス党のマンモハン・シン財務相を首相とする新政権が発足しました。しかし、 シン首相は90年代前半の経済「改革」の功労者であり、経済「改革」の基本方針は前政権から継承されると考えられています。(http://www.marubeni.co.jp/research/3_pl_ec_world/040603imamura/index.html


 この講演の記録(http://home.att.ne.jp/sun/RUR55/J/Others/ArundhatiRoy.htm)を読んで大変に驚かされました。それは、インドがここ10年ほどの間に辿ってきた道程が、日本がこれから進む方向に酷似していると思われたからです。つまり、ワシントン・コンセンサス(新自由主義の基本構想)の筋書きどおりに展開されているアメリカ発・グローバル市場原理主義の圧倒的な風圧に晒されてきた現在のインドの姿が、ソックリそのまま近未来の日本の政治・経済状況に重なるように思われるのです。今、日本では民主党支持の気運が高まっており、理想的な二大政党政治の時代が近づいたと一部のマスコミは囃しています。が、果たして事態はそんな単純なことでしょうか?


  アルダ-ティ・ロイによると、ここ10年位のインド社会の状況は、おおよそ次のようなことのようです。今までのBJP(インド人民党)政権は、日本の小泉政権と同じくワシントン・コンセンサスの新自由主義路線に忠実な「改革政策」に積極的に取り組んできました。その結果として起こったのは、中央(都市部)と地方(農村部)との間の「貧富の差が一層拡大」するとともに、治安維持のための「テロ防止法」(POTA/Prevention of Terrorism Act /参考、http://www.hrwatch.org/english/docs/2004/09/22/india9370.htm)によって警察権力の横暴が強まり、少数民族や社会的弱者及び彼らを支援する側に立つ一般市民に対する迫害や弾圧が頻発するようになったのです。しかし、今回の総選挙の結果による政権交代では、このような「現代インドの暗黒時代」が終わったと手放しで喜ぶわけには行かないとアルダ-ティ・ロイは語っています。それは、国民会議派を中心とする新連立政権と従来のBJPの間には、政策上でさしたる違いがなく、しかも新自由主義政策に基づく「改革」と「過剰な治安維持」が今回の総選挙の明確な争点とはならず、極貧層の反発による僅かの票差が選挙結果を左右しただけであったからです。


  このような点が目立つ争点とならないという背景には、政治家・官僚・財界人などインドの支配層による巧妙なメディアコントロールが功を奏したこと、強いて言うなら、彼らが「民衆の国語力」の弱さに乗じて巧妙に政権を維持したと考えられる節があるからです。これは、仮に日本で民主党政権が誕生したとしても、現在の民主党が掲げる政策と小泉政権が掲げる政策には根本的な違いがあるとは考えられないこと(新自由主義に基づく改革路線という意味で・・・アメリカ従属の発想ではなく、例えばオランダやデンマークなどのように貧富差の縮小をめざす欧州型の新しい資本主義の形を目指すなら別ですが・・・)と同じです。しかも、インドでも日本の場合でも、このような点に問題があることを一般国民(民衆)が殆ど意識しておらず、敢えて主要なジャーナリズムもそこから一般国民の眼を逸らすように仕向けている節があるからです。更に深刻なのは、新自由主義思想には社会における支配層(勝ち組)と被支配層(負け組)の二極化が定着することを当然とする「暗黙のルール」が存在するということです。インドでも日本でも、現在の「構造改革路線」を支える「新自由主義思想」の奥底に“このように冷酷な「暗黙のルール」が隠れていること”を隠蔽しカムフラージュするためには、実は一般「民衆の国語力」が弱体化するに任せておき、彼らが真実に気付かぬ方が都合がよいということになる訳です。

  それはともかくとして、まずアルダ-ティ・ロイの講演の要点を抽出すると次のようなことになります。


●現在の新自由主義思想の下では、自由を守るという名目で真の自由が制限されている。
・・・現在、インドや日本などの“選挙が抱える共通の深刻な問題”は、一般民衆に対して「政策評価のための本当の選択肢」が「意図的に示されない」ということである。このため、このような反民主主義的な状態を放置すると、いずれは真の自由を取り戻すために革命が必要となるような深刻な事態が到来するかもしれない。


●「民衆の国語力」を弱めるため、為政者やマスメディアが巧妙に「言葉の意味のすり替え」を行っている。
・・・例えば、「占領→自由」、「新自由主義→民主主義」、「抑圧→改革」、「中央集権→分権」、「侵略→平和維持」、「戦争→治安維持」、「強権→権限付与」などのような意味のすり替えが巧妙かつ平然と行われている。


カースト制度の伝統を引きずるインド社会は、元来、身分と貧富の格差が非常に大きかったが、その構造が根本的に変革されないまま、つまり極貧層を最下層とする封建的ヒエラルキー構造のまま近代国民国家として独立したという経緯がある。これはインドの特殊性だが、伝習的な精神構造という意味で捉えると、それは日本にも当てはまる。
・・・このため、インドのエリート層は自分たちの意識を国家から分離することができず、一方で貧困層を主体とする「一般民衆」は国家に保護してもらう、とにかく国家へ縋る、国家へ頼るという意識が強い。日本の民衆意識の深層に根強く蔓延る“お上意識、官尊民卑、親方日の丸”などの伝統意識もまったく同じことで、これらの意識は、近代民主主義国家の構成員たるべき市民社会の意識から遠くかけ離れた特異なものとなっている。

●今のアメリカは、違った意味でもっと深刻な市民意識の危機が進行しており、政府・企業・マスメディア・娯楽産業が提携して紡ぎだす巧妙なパラノイア(偏執狂)製造システムが「果てしない恐怖心」を「一般民衆」へ植え付けている。
・・・今のアメリカでは、政府と一般民衆が「果てしない恐怖心」という一点で融合し、これが強引な一国主義の押付けとなって世界へ向かい溢れ続けている。このため、世界中の市民社会で反米意識が高まり、アメリカの一般民衆の孤立感(なぜアメリカ人は嫌われるのか!という)が深まり、さらに一層、政府と一般民衆のパラノイア的な抱擁が強まる、という悪循環の罠に落ちている。


●民主主義を標榜する殆どの各国政府は、自らを選出した「一般民衆」に対して正しい意味での説明責任を果たしておらず、逆に、「一般民衆」が政府の失敗の責任を一方的に取らされている。
・・・一般「民衆の国語力」の弱体化を“意図的に善しとして”放置することの政府の罪がここで浮かび上がってくる。つまり、政府が正しい言葉で真実を語らぬため、「一般民衆」は何も意識せず、問題の根本を考えることができないまま、政府の失敗の責任だけを取らされている。このように考えると「テロとの戦い」の論理が、実は「テロリストの論理」とソックリ同じであることがわかる。なぜなら、いずれも、自らがやったことの失敗を償うために「一般民衆」に対して、冷酷な態度で犠牲を強いるばかりであるから。


●従来の政治思想によれば、パブリック・パワー(一般民衆の力)は「選挙の投票」を通して行使されることになっているが、現実には、今回のインドの総選挙のように、投票が終わった後の彼らには、さっさと家に帰ることだけが期待されている。
・・・自らの「国語力」の弱体化ゆえに“勘違いし”て投票を終えた一般民衆に残された仕事は、真っ直ぐに家路に着くことだけである。その結果、たとえ政権交代が起こったとしても、「真の問題」は新政権のもとで継続することになる。その背後では真に政治を動かす黒幕たちが政策決定に大きな影響を及ぼし続ける。この点はアメリカでも同じことで、仮に大統領選挙でブッシュが倒れても、ブッシュなしのブッシズムが続くことになるであろう。その場合の黒幕たちとは、選挙の洗礼を受けないキリスト教右派勢力であり、ネオコン一派であり、産軍複合体の幹部・CEOそして銀行家たちである。


アメリカなど先進民主主義諸国では、国家が「自由と民主主義」を守るための「野蛮で残忍なテロとの戦い」を標榜する一方、政府・企業・マスメディア・映画産業・ゲーム業界がらみで一般国民の無意識の中へ「暴力の神聖化」のイメージを送り込む作業が続けられている。
・・・本来であれば、毎日のような米軍の爆撃で無慈悲に殺され続けるイラクの子どもたちや、テロリストの嫌疑で収容されたアブグレイブ刑務所で過酷な拷問にかけられた囚人たちの一人ひとりが、我われと同じ一般の市民であるという「現実」が、この「暴力の神聖化」作戦によって無意識のうちに忘却させられている。また、この作戦は、先進民主主義諸国の青少年たちに「脱感作訓練」(米軍で行われている、無感動に人殺しを実行させるための心理訓練)を施すという、恐るべき副作用をもたらしており、各国で青少年の暴力犯罪や異常な殺人事件を増加させる一因となっている。(このことは、デーブ・グロスマン著『戦争における人殺しの心理学』(ちくま学芸文庫・刊)も取り上げている)


  このような深刻な世界の事例を列挙した上で、アルダ-ティ・ロイは次のように締めくくります。


・・・テロリズムは一種の「戦争の民営化」であり、テロリストは戦争を自由市場で売り歩く人たちです。しかも、この人たちは近代民主主義諸国の政府だけが暴力の合法的使用についての“専売特許”(=「テロとの戦い」の大義名分を行使する権利)を持っているとは絶対に思わない人々です。このため、際限のない殺し合いが地球上に広がりつつあるのです。人間の社会は、ひどい場所となりつつあります。・・・


<注>ブッシュ政権は、文字通りの「戦争の民営化」をイラク戦争を契機にますます拡大しようとしており、それは「トランス・フォーメーション」(米軍再編成)構想の中で明確に位置づけられている。また、 この恐るべきジェノサイド・マシン稼動の指揮を採るのが米ブッシュ大統領で、その背中を押し続ける力強い一本の腕が「アメリカの産軍複合体」であることは周知の事実です。1991年までの米ソ対立期、つまり冷戦時代における軍事関連産業は戦車・ミサイル・戦闘機などの兵器そのものに特化していましたが、東西冷戦が終了するとともに軍装備関連の予算を民間の受け皿に手渡すという、いわゆる「軍装備民営化」という新たなビジネスモデル(戦争関連産業の外注化)が考案されました。この結果、今や軍事関連産業の裾野は広がる一方となっており、資源エネルギー・宇宙開発・情報・医薬品・食料関係などあらゆる産業部門と軍需産業部門のオーバーラップ現象が進んでいます。最早、軍需と民需の境界線が見えにくくなっているのが現状です。例えば、ブッシュ政権のチェイニー副大統領が直前までCEOを務めていたハリバートンの子会社KBR社(ケロッグ・ブラウン・アンド・ルート)やPMC シエラ社などがその代表格です。これら戦争関連事業の下請け会社の約1万人以上の社員が、今まさにイラクの「戦場」で軍事訓練請負・郵便・ロジスティックス・各種コンサルタントなど多様な業務に取り組んでいるのです。しかも、今やアメリカの軍事費が世界に占める割合は約4割という驚くべき数字になっているのです。更に、見逃してならないのは経済活動で目立つ主な国々の軍事費の伸び率の大きさです。1985年を100とした対2000年の軍事費の伸び率を大きい順から並べると日本40%、中国40%、アメリカ26%etcであり、日本と中国の伸びが異常な大きさで目立っています。日本では、このような軍事費の大きな伸びと逆に農業・福祉・教育関係の予算が着実に減らされています。ごく近い報道(共同通信、2004.3.6付)では、中国が新年度の軍事予算の伸び率(実績比)11.6%を確保したことが報じられています。これは前年度の実績9.4%増を大きく上回ります。日本も、日米同盟の路線上に位置づけられている(北朝鮮の脅威を想定したとされる)MD(ミサイル防衛)システムやイラク派兵関連予算を中心に世界でトップクラスの軍事予算の伸びが確保されています。


(2004.7.27 News-Handler、初出)