toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(4/4)

第四章 議会制民主主義における「政党」の役割とは?


(1)「政党のあり方」に関する問題点


 既に第三章で見たとおり、近代民主主義国家における正しい統治のあり方は、その社会の内部で制度化されている多様な圧力団体のパワー(群雄割拠する政治権力)を「政党と選挙制度」を媒介としつつ国家レベルの統一的統治力として集約することだと考えられます。当然のことながら、それぞれ制度化されている多様な圧力団体を構成するものは、各種の経営者団体、業界団体、労働組合、消費者団体及びNGO等の様々な市民団体などです。一方、これは主に第二章で見たことなのですが、現在の日本では「新自由主義思想」を推進力とする「アメリカ型グローバリズム」の浸透が「市場の社会的深化」という社会・経済的現象を促しています。別にいえば、それは“市場経済が社会を支配する傾向が現在の日本で強まりつつある”ということです。


 このため、第二章では軍事・国家安全保障・教育など、従来は公共の役割と考えられてきた領域における「市場の社会的深化」の事例を見てきました。日本におけるその究極的イメージは、例えばアメリカと同じような移植用の臓器市場が国内で形成されることです。もっとも、最近のニュースによると中国の方で日本より先に「移植用臓器の販売市場」の形成が完成しそうです。ただ、中国の場合は移植用の臓器を提供するのが専ら死刑囚ということになるそうなので、“多発する極悪犯罪、凶悪犯罪などの抑制効果と臓器売買市場の完成”という二兎を追う形になっています。このように冷酷・非情・酷薄で、まことに「ユニークな医療ビジネスモデル」が中国で完成する可能性があるのです。それはともかく、今やアメリカでは、臓器障害や部分的な細胞組織の治療にかかる医療費は、既に米国における医療費全体の約半分を占めるレベルまで到達しています。


 「新自由主義政策」を旗印とする「小泉構造改革」の一環として「混合診療」導入の準備が進みつつある我が国でも、このような日本国民の生命にかかわる「医療市場領域での社会的深化」が着実に進んでいます。従って、このような“日本国内の医療市場”における「人体パーツの商品化・市場化」が実現するのは、もはや時間の問題です。具体的にいえば「国民皆保険の思想」に基づく現行の健康保険制度は解体され、医療現場の殆どの部分が市場の手に委ねられようとしているのです。近年、民間の医療保険業界がテレビ等のメディアを使った激しい宣伝合戦を繰り広げているのは、この分野におけるシェア競争の先取り的事例と見なすことができます。
<注>「混合診療」の準備状況については、下記のBlog記事(●)を参照してください。
●「混合診療」(生命(いのち)の沙汰もカネ次第)の怖さをご存知ですか?(既出)
http://takaya.blogtribe.org/entry-03426b99ef4a16ccf82798bbea3d04b5.html


 このような時代にこそ、注目しなければならないのが「政党のあり方」ということです。今、日本の「政党」が自覚すべきことは、従来のような素朴「民主主義」の考え方では、もはや、この「市場の社会的深化」(社会全般に対する、市場経済の覇権的地位の高まり)という新しい現象に対応できないということです。ここでいう“素朴”とは“受身”または“お仕着せ”いう意味に置き換えることができます。つまり、今、必要なのは「民主主義」の意義を積極的に考え直し、意志的に行動するということです。言い換えると“これは小選挙区という選挙制度の問題と絡みますが、例えば、近年の我が国には、とどまることがない政治的無関心層の拡大という問題があります。しかも、この無関心層の構成に関連して失業者・無職者・ニートなど経済的弱者が大きな割合を占める傾向(格差社会の深化)が観察されています。また、「政党」の存在そのものに対する国民一般からの不信感の拡大ということも、それに輪を掛けて問題を深刻化させています。


 かつて、首相経験者でもある与党の某大物政治家がうっかり口を滑らせて顰蹙を買ったように、確かに与党政府が目先の選挙戦を闘うという観点で見る限り、このような政治的無関心層の拡大と低投票率の促進傾向は、組織票が強みの与党にとっては有利であるかもしれません。しかし、長い目で見れば、それは責任ある政権与党が実は我が国の民主制度と経済社会の崩壊を密かに(本音で)期待しているということであり、まことに唾棄すべきほど愚かしいことです。もはや、これは「議員内閣制民主主義」と、それを支える「政党」の本来の役割を放棄したことに等しい愚考です。


そこで、このような時にこそ「政党のあり方」を根本的に見直して、日本国民の「政党」に対する関心を高めるとともに「政党」に対する国民の信頼を取り戻す必要があるのです。


(2)「任侠集団」の歴史


 「政党」のあり方を見直す論考で「任侠集団の歴史」を取り上げることは、あるいは奇矯に思われるかもしれません。しかし、「政党」の発達史を顧みると、意外なことに「政党」の前段階の存在と見做すことができる「政治結社」と「任侠集団等の徒党集団」には、かなり重なり合う部分が見えてくるのです。


 「侠」というコトバの意味は“義理や恩義を感じた時に、自らの犠牲を払ってでも弱い立場の人を助けるために力を尽くす、おとこぎ(男気)”ということです。その淵源は中国・戦国時代(BC403〜BC221)の思想家集団(諸子百家)の一派である「墨家」にまで遡ります。この集団は墨子(caBC470-caBC390)の学説を信奉した人々の集まりですが、墨子儒家の「仁」(慈しみを前提とする人の道)を差別的な愛だとして退け、血縁に拠らない普遍的で無差別的な博愛の思想を説いた人物です。そして、墨子は、もともとこの頃の中国に存在した「任侠」の気風(親族や知人を辱めた者に対する仇討ちの気風)を思想レベルまで洗練(ソフィスティケイト)したと考えられています。


墨家の思想には、人との交わりに徹底的に誠実であることを最優先するあまり、必要であれば国禁を犯してでも責任を持って恩義のある人物などをかくまうべき(味方すべき)だという考え方がありますが、これは、いわゆる反体制意識に他なりません。しかも、彼らの思想の中には、その純粋さ故に武力をもって敵対者を攻撃することも辞さないとする考えがあり、結局のところ、博愛(徹底平和主義)を守るために武力を行使するというジレンマがつき纏っています。このような一派の活躍は『水滸伝』(14世紀頃に集約されたと考えられる中国の長編口語小説で作者は不詳)など物語の世界では“秘密結社的な任侠集団”として描かれています。


 ともかくも、直接的には無関係とされながらも、このような古代中国の「任侠の精神」が、江戸初期頃(17世紀初頭、慶長〜元和期/江戸幕府開府〜家光政権の確立)から姿を現したとされる日本の「アウトロー集団」(かぶき者・無頼漢・遊侠たちの徒党)の形成にも何らかの影響を与えたと考えられています。もっとも、さらに彼らの原型を探ると室町期のバサラ者まで遡ることができます。彼らは暴力集団というより現代風に言えばパンク、ヤンキーなどに類する風俗・意匠的なアウトローたちです。彼らは、カブキ者とも呼ばれ、辻が花(室町中期〜桃山期に流行った模様染め)などの派手な衣装を身に纏い、キッチュ織部焼きの趣味をひけらかすなど前衛文化を好むパンクな輩でした。「大坂冬の陣」(1614)と「大坂夏の陣」(1615)が終わり、「元和偃武」期(1615〜)に入り、武士たちが幕藩体制に組み込まれて官僚組織化した武家階級が成立すると、その官僚組織からのはぐれ者(順応不能者)たちで「旗本奴」と呼ばれるヤクザ集団が出現します。彼らの多くの出自は旗本・御家人か、その奉公人たちでした。彼らの多くは小禄に不満を持っており、そのはけ口を求めてカブキ風の異装を好み、任侠同盟的な盟約を交わした仲間内で徒党を組んで狼藉・無頼の生活を送るようになります。ほぼ時を同じくして江戸・大坂・京都などの都市住民のなかから、「旗本奴」の同類を装うかのような「町奴」と呼ばれるヤクザ集団が現れてきます。


 彼らは次第に自分たちの力(暴力や、もめごとなどの調停能力)に増長するようになり豪商や町屋の大店(商家)から「お断り」と称する金品を巻き上げるようになります。ここで留意すべきは、たとえ“はぐれ者”たちであるとしても、あくまでも「旗本奴」は武家(役人)階級に属する者たちであり、偉いお上の権威をひけらかすことができる立場であったということです。いずれにせよ、この辺りの事情には、あたかも近・現代の「政治結社」が、何らかの権力的な威圧感を感じさせつつ民間企業各社から「政治献金」(政治資金)を掻き集める姿を彷彿とさせます。このような慣習と伝統の中で、安全な日常生活を確保するための「寺銭」(テラセン)として政治献金を行うのは当然のことだとする庶民感覚が培われてきたと考えられるのです。


 元禄期(17世紀末〜18世紀初頭)になると、「火消し人足集団」が現れますが、これには「武家火消し」(旗本・御家人の次・三男の出身)と「町火消し」(町奴、鳶職人が混在)の二種類があります。彼らの中で、鳶の技術を活かして第一線の火消し作業に取り組む男たちは臥煙(がえん)と呼ばれますが、彼らは全身に刺青を入れて飛び切りの威勢の良さを誇るとともに、次第に傍若無人な無頼漢集団と化してゆきました。また、この種の無頼集団の中で「親分-子分の絆」が強く意識されるようになったのも、この頃からです。このような流れの中で、やがて江戸時代の後期ころから鉄火場の博打で生計をたてる「任侠ヤクザ」が登場します。


 明治維新後の日本が近代国家へ向かう動きの一環として見逃せないのが「自由民権運動」です。教科書的な説明によると「自由民権運動」とは、藩閥政治に対抗するため士族が中心となって行われた民主化運動であり、1874年の「民撰議院設立建白書」が口火となって起こった、とされています。この運動は1889年に「大同団結運動」が分裂することで消滅し、やがて自由党立憲改進党などの「政党」が成立する時代に入ります。しかし、近年の研究が次第に明らかにしつつあることですが、このような「自由民権運動と政党」が成立する過程で「任侠ヤクザ集団」がかなり大きな役割を担っていたと考えられており、いわゆる「民権博徒的な政治結社」の存在が無視できなくなっています。ともかくも、この辺りの事情に「政党」と「任侠ヤクザ集団」の類縁性にかかわるルーツがあるようです。このため、今でも我が国の「政治結社」や「政党」には一種独特の胡散臭い雰囲気が漂っています。そして、それは殆ど無意識に近いことでしょうが、我われ日本人の精神構造の奥深いところには、安全な日常生活を確保する「寺銭」(テラセン)としての政治献金を当然のこととして受け入れる“遺伝的とさえいえる庶民感覚”が残存しているのです。


 いつまで経っても政治家をめぐる疑獄事件や政治を舞台とする贈収賄事件が後を絶たない背景には、このような「政党」の発展史的な事情が存在すると考えられます。なお、明治維新期には、このような「任侠ヤクザ集団」との類縁性を窺わせる政党のほかに、立憲帝政党という「政府の御用政党」が創られたこともシッカリ記憶に止める必要があるようです。また、現代のヤクザ(暴力団)のルーツは、国会議員でもあった吉田磯吉(北九州の筑豊炭田を仕切った大親分)だとされており、吉田磯吉の門下から大阪・横浜・神戸・四国などでヤクザ集団の分派が誕生しています。更に、神戸の分派の中で大島組を創設した大島秀吉は神戸市議会に介入し、一時期は神戸市政を牛耳ることになります。大島秀吉の子分の一人であった山口春吉が創設したヤクザ組織が、現在、全国にネットワークを張るヤクザ業界で最大規模を誇る山口組です。いずれにせよ、このような近代日本における「任侠集団」の歴史を概観すると、いわゆるヤクザ・任侠集団が、「政治結社」や「政党」と不可分の関係を維持しながら明治維新以降の「保守政治」や地方自治体の「政治」に深くかかわってきたことが理解できるのです。


(参考)アメリカのギャングと政治のかかわり


 アメリカ大陸では、独立以前の植民地時代から“追いはぎ”や“馬泥棒”が跋扈していますが、彼らはbandit、highway-robberなどと名づけられていました。これらと全く起源の異なる言葉がギャング(gang≒goings/何かをやる人たち、やってくれる人たち)で、この言葉は19世紀初頭ごろから現れています。その当時、このギャングという言葉は、ほぼ字義どおりに“庶民のために何かをやってくれる悪徳政治家一味、またはその仲間たち”という意味で使われていたのです。


  南北戦争(Civil War/1861-65)が終わり19世紀末に至るころのアメリカは国家体制と政治的秩序が完成へ向かう時代であり、それは大陸東部(岸)から西部(岸)へ向かうフロンティア開拓が積極的に進められた時代でもありました。また、その促進のために「ホームステッド法」(Homestead Act/1862)が制定されています。これは、5年間の定住・開拓の実績を残した者に土地の所有権を認めるという内容でした。やがて、大陸横断鉄道の完成(1869)によってアメリカ大陸の東西はつながりますが、この線路沿いに出現したギャングたちは東部エスタブリッシュメント層(銀行家を中心とする新しいアメリカの支配階級)に対する南部からの抵抗の意味もあったと考えられています。やがて、20世紀初頭になりフロンティアが消滅すると、アメリカのギャングたちはシカゴ・ニューヨークなどの大都市を地盤とするようになります。


 既に述べたことですが、ギャングという言葉は始めから“庶民のために何かをやってくれる悪徳政治家一味、またはその仲間たち”という意味で使われていたのです。アメリカにおける近年の研究によって、アメリカの「政党」とギャングの間には隠然たるかかわりのあることが次第に明らかにされつつあります。過去において都市部のギャングが市政に大きくかかわってきたような事例も発掘されています。いずれにせよ、アメリカでは「政党」とギャングの間で選挙投票や政治資金源などの絡みで持ちつ持たれつの関係が出来やすいという何か特別の事情があったようです。特に大都市部では民主党系の「市政」とギャングの結びつきが目立ちます。これらの点については、今後の実証的研究による事実の解明が待たれるところです。また、アメリカのギャングにはユダヤ系ギャングとマフィア系ギャングの二つのルーツがあることが知られています。なお、真の民主主義を達成するという観点から見るとき、アメリカにおける、このような分野での研究水準の高さに比べ我が国における調査・研究の水準が低く、その研究体制も不十分であることが懸念されます。その上、このような問題に対する日本国民一般の無関心さがとても心配なところです。


(参考)イタリアのマフィアと政治のかかわり


 イタリア・マフィアの起源には諸説があり判然としません。しかも、それを単なる犯罪組織と片付ける訳には行かないようです。なぜなら、ノルマン・イスラム・ドイツ・フランス・スペインなどの強大な政治的覇権力による支配が繰り返されてきたというイタリア半島の歴史的事実との絡みで複雑な側面があるからです。乱暴に言ってしまうと、イタリア半島におけるマフィアとは、それが都市部であれ農山漁村部であれ、「経済的価値と利権」(富)が生まれる場所に必ず発生する地域文化的な現象であったと考えられるのです。例えば、パレルモの後背地にコンカ・ドーロ(黄金の盆地)と呼ばれ柑橘類の栽培が盛んな地域がありますが、この一体では昔からマフィアの活躍が盛んです。このような訳で、イタリアでは鉱山マフィア・塩マフィア・漁業マフィア・果樹栽培マフィアなど、様々な地場産業と結びつく形でマフィアが存在してきたのです。これらの地域では、仮に支配者たる異国出自の強大な王権が交代したとしても地場のマフィアたちが、その地域の実効統治(実質的な支配)のための仕事を続けていたと考えられます。


 このような歴史を背負った故か、近・現代のイタリアでもマフィア・企業経営者・政治家の三者が組んだ利益追求型の活動が目立っています。これら三者の関係は、お互いに保護と便宜を提供し合う双務関係で結びついています。そこで、マフィアと政治家の関係を具体的に見ると、例えばマフィアによる選挙での支持票の調達と引き換えに、恩を受けた政治家が司法・検察・警察当局などへ圧力をかけたり、公共事業予算の配分に配慮するというような関係を想定することができます。建設工事の配分にかかわる談合・調整の仕事もマフィアの出番が多いようです。そして、これら三者による双務契約的な関係が履行されなかった時に、マフィアは暴力的な手段(殺人・誘拐・威嚇・脅迫など)を実効に移すのです。マフィアは、このような活動のネットワークを形成しており、多くの場合、その地域のボスは地域社会における名士(企業経営者など)または有力な政治家として衆目の尊敬を集めることになっています。


 ところで、イタリアでマフィアの実像解明が本格的に進んだのは1980年代のパレルモシチリア島)におけるファルコーネ判事らの調査活動からですが、これは有力なマフィア側からの密告があったために可能となったのです。1986-87には世界が注目したマフィアの大裁判が行われ、政治家・経営者とマフィアの関係が暴かれ多くのマフィアが有罪宣告を受けました。やがて、このことはマフィア側からの復讐を呼び、1992年にファルコーネ判事などの司法関係者たちが暗殺されました。この一連の騒動と惨劇の結末によって、ようやく近年になってイタリア市民の間にも反マフィア感情が高まるようになったのです。しかし、その後、マフィアとの繋がりを疑われたキリスト教民主党の実力政治家アンドレオッティ(8年に及ぶ首相経験者)が起訴されたにもかかわらず、アンドレオッティは1999年に証拠不十分で無罪となっています。また、アンドレオッティが自分とマフィアとの関係を暴いた週刊誌の記者ミーノ・ペケロッリをマフィアに殺させたとされる、証拠隠滅のための殺人教唆事件でも、結局、アンドレオッティは無罪を勝ち取っています。秘密結社やマフィアとの繋がりの噂が絶えない現在のベルルスコーニ政権も含めて、マフィアとイタリア政権(中央及び地方政府)の関係は、今でも、ヴィバルディのチェンバロの音色のような通奏低音を鳴り響かせているのです。


(4)「政党」ガバナンスのあるべき姿


 近・現代において、一般的に理解されている「政党」の概念は“国民全体の利益と厚生の立場に立って政策を立案し、それを具体化するために政権担当をめざす政治集団”ということのようです。しかし、現実はそのような奇麗ごとでは済まず、どの国の「政党」も自らの仲間内の利益や支援・圧力団体との関係を最も重視する傾向があるというのが現実です。しかし、これも今まで見たことから明らかなのですが、何らかの権威を笠に着て弱い立場の者たちを脅かし仲間内の利益を優先するだけであるなら、その組織集団が政党(あるいは、その前段階としての政治結社)なのか暴力組織(マフィア、ギャング、暴力団など)なのか全く区別ができないことになります。イタリアのマフィアやアメリカのギャングの事例でも分かるように、我われが選挙権を正しく行使して成立させたと思っている「与党政権」が実は暴力団等の「違法な暴力組織」の利益代表であったなどということは、いつどこで起こっても不思議ではないのです。むしろ、このような可能性を併せ持つ政治こそが“民主主義国家の現実”なのです。我われ一般国民(市民)は、まず、このような現実から目をそむけず政治の実像を厳しく理解しておく必要があります。


 現代の我われの常識的感覚からすると意外に思われるかもしれませんが、18〜19世紀初頭までの思想家・政治家などの多くは「政党」の存在を有害なものと考えていたのです。例えば、イギリスの政治家ボーリングブルック(H. St. J. V. Bolingbroke/1678-1751)は「政党」の存在を腐敗的なものとして否定し、ルソー(J. J. Rousseau/1713-1778)は著書『社会契約論』の中で国民の一般意思を十分政治に反映させるには「政党」のような徒党が政治に介在するのは望ましくないと論じています。また、アメリカの初代大統領ワシントンも国家の存続にとって「政党」のような党派的存在は有害だと論じています。このような彼らの「政党」についての懸念は、今、我われがアメリカ・イタリア・日本などの腐敗した政治の実像から学びつつある厳しい現実と同じことだったのかもしれません。


 ところで、19世紀末〜20世紀初めに活躍したドイツの公法学者・トリーペル(H. Triepel/1868-1946)によると、国家と政党の関係の発展的な変化は次のような4つの段階(●)を経るとされています。しかし、現実は、このトリーペルの「政党の段階発展説」のとおりに進んではいないようです。トリーペルの「政党の段階発展説」に従えば、日本は第三段階〜第四段階あたりかと思われるのですが、日本における「政党」の法律的な位置づけはきわめて曖昧なもので、日本国憲法には「政党」に触れる明確な記述が存在しないのです。その内容に関する解釈上から「政党」と関係があると考えられる憲法上の記述は第21条「集会・結社・表現の自由、通信の秘密」だけです。世界の憲法の中では「ドイツ連邦共和国憲法」のように「政党」の条件を制約的に明記しているものはありますが、アメリカでも憲法上の明記がなく、この辺の事情は国によってまちまちです。
●国家が政党を敵視する時代→●国家が政党を無視する時代→●法律上で政党が容認される時代→●政党が憲法秩序の中に編入される時代


 日本の場合、「政党」に関する明記が憲法にない理由を良識的に考えてみると、恐らくそれは「思想の自由」を最大限に容認するという立場の表明なのかもしれません。しかし、ことはそう単純ではなさそうです。「日本国憲法」に明記がないにもかかわらず、「政党」に関する立法は数多くありますが、その中核的な存在となるのが「政治資金規正法」と「政党助成法」の二法です。この二つの法が定める「政党」についての概念は憲法の第21条から解釈されるものとは異なり、国会に一定の議員を送り込んでいるか、あるいは送り込む可能性があるものだけを「政党」と認めているのです。具体的に見ておくと、「政治資金規正法」の場合は政治団体のうちで衆議院議員または参議院議員を5人以上有するもの、又は直近の国政選挙で2%以上の得票を得たものだけを「政党」と定めています。より詳しく見ると、「政治資金規正法」は「政治結社」を「政治団体」の概念から除外しており(同法第3条)、更に「政治団体」のうちで一定の条件(既述/同法第4条)を満たすものだけを「政党」と認めることにしているのです。しかし、このような立場は、憲法第21条の「集会・結社の自由」に抵触するので憲法違反だという解釈が成り立つはずです。また、このような法制度によって弱小の良識的な政治結社が政治の表舞台から排除されてしまう可能性があることも問題です。


 ところで、ドイツの法学説によると「政党」の本質を理解するための対照的な概念に「国家機関説」と「媒介機関説」というものがあります。現在のドイツは「国家機関説」に立っているのですが、この場合の「政党」は憲法上で一定の条件(自由民主主義を否定するものは認められない)を定められた公的な機関ということになります。このような立場に立つことによって、現在のドイツでは、かつて独裁政権に結びついたナチス党(ネオナチ党)や共産党が「政党」から排除されています。つまり、これはドイツが歴史から学んだ経験的な知恵を実践しているという訳です。これに対して、「媒介機関説」は公私を峻別する画一的分類を排除して、中間的な特別の法的条件を備えたものだけを「政党」と認める立場であり、日本における「政党」の立場についての解釈がこれに当ります。


 「国家機関説」を採った場合、「政党」の性質は限りなく行政機関に近いものとなり、「媒介機関説」では、その性質がかなり曖昧なものとなります。このため、機関としての性質が曖昧な「政党」に公的な助成金を公付することの是非に関する議論が高まったこともあって、1994年に「政党交付金の交付を受ける政党等に対する法人格の付与に関する法律」(通称、政党法人格付与法)が制定されました。この結果、今は「政党」の性質は「法人」だということになっていますが、この法的措置は辻褄合わせに過ぎず実質的な性質は相変わらず曖昧なままであり、法理学的な立場からすれば憲法違反の疑いが払拭されたとはいえません。


 このような訳で、日本国憲法・第21条「結社の自由」の精神を最大に生かすという観点からすれば、「政党のあり方」を根本からもう一度見直す必要があると思われます。なぜならば、今の制度を放置すると、たとえ「政党」としての法的・形式的な諸条件をクリアした「政治団体」であるとしても、政権与党であることの驕りから国民一般の利益よりも自己中心的な利益誘導型の政策を打ち出すような「政党」が現れる危険性が絶えず付き纏うことになるからです。たとえ政権与党の立場に立っているとしても、そのような「政治団体」の実態は、偽って「政党」を名乗るだけの「任侠集団」(暴力団)と違いがありません。従って、そのような「政党」へ国民の税金から政治資金を助成することには大きな疑義があります。また、この問題は、投票方式や選挙区制度なども含めた「選挙制度改革」の必要性とも絡んでいます。例えば、現在の小選挙区制による大量の「死に票」発生の問題があります。1994年の「選挙法改正」で小選挙区制と比例代表制が並立導入された結果、特定の大「政党」だけが議席数を確実に確保できる巧妙な仕組みが出来上がっています。また、このことが原因となりシラケた人々が選挙権を放棄するという派生的な現象が起こり、これが日本の国政選挙における異常な投票率の低さをもたらしています。いずれにせよ、これらの点も憲法違反ではないかという疑義があります。


 従って、これからあるべき対応としては、例えば「選挙区制と投票制度」については、オーストラリアの「ヘア−・クラーク制」など海外の先進的な事例を積極的に研究すべきです。今のような日本の政治制度(政党のあり方、選挙制度など)の下では、平和・戦争反対・生命倫理・デュアリズム(Dualism)是正(意識的な格差主義の是正)などを主張する弱小政党が法案を提出する機会は殆ど排除されてしまっています。このような制度が意図的に作られたものであり、このまま放置され続けるとするならば、日本は民主主義国家の看板を早々と降ろすべきです。ともかくも、今の日本の現状は、理想へ向かって民主主義制度そのものをガバナンスすることの意義と必要性についての認識があまりにも欠落しています。特に懸念されるのは、このことに気付きながらも保身と目先の利害だけに汲々とする多くの政治家たちが、意図的にこのような問題を放置している可能性が大きいことです。いささか次元は異なるかもしれませんが、今、元外務官僚の内部告発書として注目されている新刊書『国家の罠』が指摘する「国策捜査」も、日本には未だ本物の民主主義が根付いていないことを教えてくれているようです。

 
<注>ヘア−・クラーク制
・・・オーストラリアで実現している、C. E. ClarkとThomas Hareが提唱した投票の仕組み。選挙で投票するとき、日本の制度では一人だけを書いて投票するが、オーストラリアのヘア−・クラーク制では、第一位、第二位、第三位という具合に候補者についての希望順位をリストアップして投票する。そして、自分が第一位と書いた人物が落選した場合、第二位の人物についての自分の投票が有効となる。その後も、第二位、第三位と自分の有効票が生かされてゆく仕組み。つまり、この制度では自分がどんな小政党の支持者であっても「死に票」となることはない。これは全ての国民の投票行動への刺激となるばかりでなく、小政党が活躍するチャンスも増えるため、より理想的な民主主義を実現する可能性が開けてくる。