toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

レンブラント・バロックが教えるもの(2/2)


<注>この記事はB/Nです。(posted 2004.3.2 News-Handler


  尾崎彰宏著『レンブラント工房』(講談社新書メチエ)は、レンブラントバロック的特長について次のように説明します。・・・レンブラントバロックの特徴は同時代にフランドルで活躍したルーベンスとのdialog(対話的な姿勢)の苦闘から生まれた。(多くの弟子たちを雇った)レンブラント工房のシステムは、彼が一人孤独のうちに考えついたというようなものではない。それはフランドルの巨匠ルーベンスとのdialogから生まれたものである。イタリアに遊学して古代芸術に理想の形を求め、芸術の究極の基本をデッサンに置いたルーベンスに対抗して、イタリアへ行くことを拒んだともされるレンブラントは、明快な形よりも変転して定まらない揺れ動くようなダイナミズムのプロセスを己の芸術に呼び込んだ。こうして創り出された絵画が、多様なジャンルや掴みがたく変容するような造形描写を愛するアムステルダムブルジョアたちの感性に強く働きかけたのである。・・・このようなレンブラントルーベンスの美学上(芸術上の特徴)の違いは、ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵のルーベンスの傑作『サムソンとデリラ』と比較すると分りやすいと思われます。(この作品の画像はHP「レンブラントの眼、グリーン版」の2004.3.2付・日記6/画像、ルーベンスサムソンとデリラ』を参照、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki6.htm)華麗な衣装に豊満な身を包むルーベンスのデリラは恍惚とした美しい表情を見せており、鑑賞する者の目を強く惹きます。これも筋骨逞しいサムソンは美しいデリラの膝の上で安心しきって深い眠りに落ちているようです。二人の間に立つ身なりが立派な従僕の男と女がサムソンの神聖な髪を切り落としています。右手の奥の方からペリシテ人たちが様子を窺いながら、今、まさにこの部屋の中にソッと入ろうとしています。しかし、ルーベンスが描く滑らかで豊かな心地よい人物像のマチエールと優雅で小奇麗な部屋の中は、ドラマチックというよりも、むしろ無心の恋人同士が静けさの中で安らかに眠りこけているような雰囲気が漂っています。

  美術様式論の祖とされるヴェルフリンの高弟の一人であるヨーゼフ・ガントナー(Yosef Gantner)は著書『レンブラント』(中村二柄訳、岩崎美術社)のなかで『先形象(Prefigurationen)』の概念を使ってレンブラントバロック的特長について説明します。ガントナーは、レオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロが「完成の芸術」とするとレンブラントは「未完成の芸術」の系譜に入ると解釈します。つまり、レンブラントの作品の多様性は「完成の芸術」を目指す無限の道程だという訳です。ミケランジェロが「完成の芸術」に入るという考えには必ずしも賛意を示すことができませんが、ある意味でガントナーはレンブラント絵画の特徴を的確に表現していると思われます。かなり歴史を遡りますが、4世紀頃のビザンツ圏を中心に「偽ディオニシウス文書」と呼ばれる一連の文書が出回りました。(詳細→HP・レンブラントの眼、グリーン版の「年表(環境)」を参照、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/kannenpy.htm


  この文書は、パリのサン・ドニ修道院に奉じられる聖人サン・ドニと同一視されてきたテオドシウス(1世紀、パウロの下でキリスト教に改宗したアテナイの最高法院の議員)の著書とされるものです。その内容は、初期キリスト教時代のギリシア教父たちの思想と新プラトン主義の思想を総合したもので、その特徴は独特の「光の形而上学」にあります。それによると、私たちが感覚的に受け取る「光」は神的な超越を象徴するもので、「光」によって照らされ輝く万物は「光」の父たる神から放射します。やがて、その光り輝く万物は、再び、その神の膝元へ向かって帰還します。この独特の「光の形而上学」は4世紀以降の長い中世時代を通してヨーロッパの人々の精神文化に深い影響を与え続けてきました。やがて、それが目に見える形となって物象化した建造物が、1140年7月14日にパリのサン・ドニ修道院付属聖堂内陣の改築工事で姿を現す、天空高く伸びる「尖塔アーチ」と「大きな薔薇窓のステンド・グラス」を特徴とする「ゴシック建築」です。


  しかし、16世紀に入るとオランダの人文学者・エラスムスが「偽ディオニシウス文書」の信憑性に疑義を呈します。そして、17世紀以降の近代的な科学の時代に入るとともに「光の形而上学」は忘れ去られる存在となり、代わって「光」についての科学的な理解が次第に普及するようになるのです。21世紀に入った現代世界は、コンピュータと先端科学技術という「人類の先端知」の成果がますます発達しつつあるにもかかわらず、「弱肉強食の競争拡大の原理」と「戦争拡大の先制攻撃の原理」だけが一人歩きをし始めています。このため、世界中の人々の上に覆い被さる鬱陶しい闇が果てしなく広がり、明るい未来の光が見失われつつあります。そして、特にN.Y.2001.9.11「同時多発テロ事件」以降は世界的な「政治の右傾化」傾向が進んでおり、日本でも、第二次世界大戦時に類似した視野狭窄的なナショナリズム国威発揚を主張する国家主義的な考え方)のメンタリティを主張する人々の一群が一部の優れた文化人たちの中から現れています。そのような意味で、「平和の光」が世界人類の展望から消えつつあるように思われるのです。


  ところで、「オランダの黄金時代」とも呼ばれたレンブラントの時代は、市民革命を導く啓蒙思想、新しい科学知の発見などが続く時代であり、政治・経済的には近代の幕開けを画す「革新の時代」でもありました。しかし、既に見たとおり同時にそれは一人ひとりの国民レベルの人間にとっては、決して明るい発展の時代というだけでは納得し難い、深く掴みどころがない広大な暗闇が広がり不透明な霧が漂う混迷の時代でもあったのです。レンブラントの絵画では、そのように新たな変革を予感させるエポック期に生きた偉大な芸術家の感性の眼が見つめ続ける、「光と闇の葛藤」の精神が具象化されているのです。レンブラントは、そのような「光の形而上学」の果てに、パレット上で「光と闇のゴシック建築」を創造しようとしたのかもしれません。そのような点にこそ、現代の私たちがレンブラントの芸術を新たに理解し直すことの意味があるのだと思われます。


  人間の理解ということを広く考えてみると、我われが知ることができるのは常に世界のごく一部分に過ぎないといえるでしょう。我われの周囲にある世界のすべてを確実な形で認識することはできないのです。人間の視覚ということに絞って考えても、これと同じことがいえます。つまり、人間の視覚には限界があるので、我われは形態・色彩・明度・彩度などについて一定範囲のものを知覚しているに過ぎないのです。カントの「美的判断力批判」は、だからこそ我われ人間は絶えず「新しい真実」を発見するという自由が与えられているのだと読み替えることができるかもしれません。逆に、もし我われ一人ひとりがすべての真実を知ることができる、あるいは自分はすべての真実を知っているという「不遜な意識」を持ったとたんに、我われは他人・異文化・異なる思想・異なる宗教などを理解することが不可能となります。それは相互不信の社会であり、それが拡大すれば相互理解が不能な多くの人々から成る不安定な世界が形成されるということになります。


  ところが、視覚イメージによる認識には大きな落とし穴があると思われます。それは、視覚イメージによる表現が文字や話し言葉の表現より“見かけ上は分りやすく感じられる”という性質にあります。確かにプレゼンテーションなどでフローチャート・グラフ・図解・画像などを併用すると、説明そのものの理解度が深まるという利点はあります。しかし、それはあくまでも視覚イメージを補助的に利用するという条件内でのことです。グラフや画像が主役となってしまったとたん、そのプレゼンテーションの信頼性は疑わしいものとなってしまいます。我われは、世界の現象を理解するための手段として「文字と言葉による丁寧な説明」があることを忘れるべきではないようです。「文字と言葉による丁寧な説明」は、我われの「理性」(論理と知恵)の働きを刺激します。特に、知恵としての「理性」の働きが重要です。言い換えれば、これは“因果律(自然や社会の中で起こる現象)を冷静に見究める態度”であり、これこそが我われの「自由」の根拠でもあります。一方、「論理」も極めて重要なことではありますが、場合によってそれは道具的役割を担うレベルにとどまり、知恵としての「理性」の働きに席を譲るべき時があるようです。例えば、“原子力利用、遺伝子操作、臓器移植、脳死問題、資源リサイクル、専制攻撃による平和と民主主義の実現”など、論理だけでは到底解決できそうにない困難な問題が目白押しに存在します。そして、これらの問題を分りやすく視覚的なイメージだけで説明し尽くすことは不可能なのです。


  分りやすい視覚的イメージが一度作り上げられてしまうと、それは無意識の“思い込み”(誤解のイメージ)として我われの心の奥深くに棲みついて固定されてしまうという性質があるのです。このような性質は、そのイメージが心地よい印象を与えるものほど強くなります。例えば、近年の社会的傾向として顕著な現象ですが、政治家・音楽家・歌手・スポーツ選手などでは、本来、その活動能力(仕事)と無関係なはずの「ビジュアル系やイケメンあるいは軽い乗りのパフォーマンス」の方が、より高く評価されるようになっています。また「テロとの戦いで平和と民主主義を実現する」という分りやすく、ある意味で格好がよいキャッチ・フレーズは、永遠の困難な課題であるはずの「貧困との戦い」を脇へ押しやってしまいます。


  このような雰囲気の中で、メディア・コントロールを持ち出すまでもなく、我われの「現実感覚」は日々に相当怪しいものとなりつつあるようです。それは一種の浮遊する幻想の世界に近いとすら言えるかもしれません。不正確な、あるいは虚のイメージ情報でも、何度も何度も繰り返し流され、見せられているうちに、それは恰も「常識」であるかのような性質に変化してしまうのです。そして、例えばテロを地球上から根絶するための最も根本的で重要な戦いであるはずの「貧困撲滅への取り組み」が忘却される一方で、深刻なテロの発生するリスクが高まるばかりとなっています。今、我われは、ソクラテスデルフォイの神託『汝自身を知れ』に対する回答として残した言葉『無知の知』とレンブラントの『画家としてのバロック的な苦闘の意味』を重ね合わせて十分考える必要があるようです。人間が「無限の知」を獲得したと慢心した時に、それは人類の滅亡を意味するのかもしれません。しかし、我われの一人でも多くが『レンブラントバロック的なリアリズムの美学』を理解し得た暁には、新しい現実と新しい世界の展望が開けてくるかもしれません。そのような意味で、例えば次のような「平和のための」地味でひた向きな活動こそが大きく注目されるべきなのです。


●2003.3.16付毎日新聞(夕刊)の報道によると、イスラエルで共に平和・友好のための活動を続けるパレスチナ人とイスラエル人の女性二人が来日しています。来日したのはイスラエル人のハダス・ラハブさんとパレスチナ人のサーミヤ・ナーセル・ハティーブさんの二人です。彼女たちは、イスラエル北部のマジダル・クルム村で活動するNPO『ハニトップ・パブリッシング・ハウス』のスタッフです。この組織は、「イスラエルパレスチナ問題は武力に頼らず解決を--共生できる社会に--めざすは第三の道」を合言葉にして、パレスチナ人への農業指導、子供向けの放課後指導、母親学級などの地道な活動に取り組んでいます。


  我われが本気で「平和」を望みつつ様々なリスクを回避したいと願う(あらゆる意味での危機管理が重要だと思う)のであれば、人間の本性に関する根本的な理解に努めながら、地味で目立たない存在ながらも彼女たちのように社会の一隅で実践される真っ当な努力を本気で支援する心構えが求められます。このような無名の人々の真摯な実践活動の積み重ねは、奢り高ぶる政治権力者の只見栄えがよいだけで善良な国民を小ばかにする軽薄なパフォーマンスとは全く無縁です。