toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「幻想民主主義の国」日本(1)


  <注>


 この記事はB/N(posted 2004.1.5 News-Handler)ですが、大幅に書き換えてあります。約1年数ヶ月前の記事を読んでみると、日本の社会・経済状態が以前より良くなるどころか、ますます後退しており、もはや大方の日本国民は上下の別も覚束ない空間識失調状態に入っているようです。ただ、その五里夢中の靄々の上に浮かび上がり上機嫌の様子で世界を股にかけたパフォーマンスの日々を楽しむ人影らしきファントム(Phantom/幻、幽霊、外見だけで実績がない人、錯覚、架空やデッチアゲの仕事で高給を食む人/典拠:大修館ジーニアス英和辞典)が見えるだけです。


 ところで、このような自分のBlog記事との往還の中から新たな問題点に気づくこともあります。そこで、今回気づかされた、社会が虚構化(幻想化)しつつあるという意味を込めて表題を「コピー民主主義の国」(上っ面だけの民主主義)から「幻想民主主義の国」へ変えてみました。


 Blogの可能性というような大げさなことではありませんが、このように自分が記録した過去との往還から自分なりの面白さが発見できるのは楽しみでもあります。今後も、新しい記事と並行しながら過去〜現在〜未来〜現在の時間旅行を楽しみつつ、批判の芽を発見したいと思っています。


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  分子生物(生命関係)学者・清水博氏の著書『生命を捉えなおす』(中公新書/1978年、初版刊行)が出版されてから、早いもので、もう20年以上の歳月が経ちます。そこで提唱された「関係子」という言葉が、今、再び注目を集めているようです。清水氏の提唱は、それだけ時代を先取りしていたといえるのかもしれません。関係子はメディオンと呼ばれることもありますが、これは哲学者・中村雄二郎氏が名付けたものです。中村氏は氏自身が提唱してきた「トポス論」(場の理論)、「リズム論」との関連性を考えていたようです。また、リズム論といえばクラーゲスの『リズムの本質』(1971年刊、みすす書房)という名著があります。


  現代は、コンピュータのめざましい発達によって「高度情報化社会」と呼ばれますが、その名声の割には、あまり高度で“賢い”時代ではないようです。それどころか、「戦争・テロリズム・宗教原理主義市場原理主義・弱肉強食・自己責任・誤った歴史認識・過剰な民主主義・過剰な人権」などの恐ろしげな言葉が、権威を持って、威圧感タップリにマスコミや世論を牛耳っています。技術が発達してコンピュータそのものが賢くなるのとは正反対に、それを利用する人間の方がどんどんバカになっているようにさえ思われます。だから世相が暗くなるばかりで、本当に明るい未来は見えてきません。そして、つい最近は、養老孟の『バカの壁』が、自称180万件の小泉メールマガジンに迫る勢いでバカ売れするような珍現象が起こりました。バカがお目出度い時代でもあるようです。その理由は色々あるでしょうが、一ついえることは、現在のノイマン型コンピュータによる「情報化」の限界が近づいているのではないか、という問題があります。ともかく、今のノイマン型コンピュータが未来社会の人間を本当に幸せにできるのか、別にいえば、それが人間を含めた広い意味での生命(いのち)のために役立つのか、という根本問題をもう一度シッカリ考えるべき時かもしれません。


  清水氏は、人間の存在を広範な生物界全体に位置づけて捉えなおし、生命の働きについては、その全体とのかかわりの中で生成的、関係的、多義的に理解すべきだと考えているようです。そのためのキーワードが「関係子」であり、関係子が発生させるリズムの「引き込み現象」に生命の秘密を発見しようとしているように思われます。例えば、サッカーの観戦などで実感されることですが、微粒子(選手)が沢山集まってできる激しい動きには一種のチーム力のような、個々の粒子の能力を超えた、次元が異なる力が発現することがあります。その時の“協働的な動き”を個々の微粒子(選手)が明確に意識しているかどうかは定かでありませんが・・・。


  一方、医学の最先端では人間の全遺伝子解析プロジェクトが一応終了したことで、「遺伝子アルゴリズム」なる用語が生まれ、恰も人間が遺伝子の設計図から立ち上がってくるようなイメージが喧伝されています。しかし、果たして機械を部品から組み立てるように、理解された遺伝子の組み合わせから人間やその他の動物を意のままに創ることなどできるのでしょうか? 清水氏によると、「関係子」が作用する「生命の場」ではフィード・バックだけでなくフィード・フォワードと呼ぶ循環ループが形成されているそうです。フィード・フォワードを比喩的に言ってみると“まず個々の粒子(分子)が自律的な個々の立場(一定のルールに従う動作の仕方)を守りながら全体の目的のために“協働”して未来の「場」を創り出して、その未来の「場」から現在へ向けてバック・スキャンの光が当てられる”というような循環ループのイメージです。


  清水氏が、初めて「関係子」の着想を得たのは、筋肉(骨格筋)におけるサルコメア(筋繊維の一単位となる筋節)の立体構造がミオシン分子(繊維の単位となる蛋白質の一種)の運動に与える影響を研究している時でした。大雑把にいうと、筋肉の中にあるミオシン分子が、アクチン分子との空間関係から、それぞれ差異がある場所に置かれており、そのために却って全体として筋肉を効率よくスムーズに収縮させているということです。ミオシン分子は、それぞれが差異を認め合った上で互いに協力し合い、全体としてサルコメアの秩序の高い動きを自己組織化しているのです。


  このように、それぞれ自律的に働いているミオシン分子が集まり、全体の中で適切な役割を担い合っていくためには、まずその集まりであるサルコメア全体(これが「場」に相当する)の運動に関する情報が各分子に伝えられ、各分子がその情報に基づいて自らの態度(協働のための意志決定に相当する)を決めることになるのです。この全体の状態に関する情報こそが「場の情報」または「位置の情報」です。つまり、これは筋肉システムのフィード・フオワード制御に必要な「操作情報」なのです。そして、このような「場(位置)の情報」は、一般に位置と時間によって変化することが分かっています。このような「関係子」を媒介とする生体内システムの着想は、近年の人口知能や認知心理学の分野で注目されつつある、生物個体間における「クオリア」による表象伝播、及びそれを支える「脳内ニューロンクラスターの発火」理論との近似性が注目されます。


  次に、問題は、どのようなメカニズムで「場の情報」が創りだされるか、ということになります。一般に環境は複雑であり、その変化を事前に規定することは不可能です。このため、総ての操作情報(ここではフィード・フォワード制御に使う情報)を予め用意することはできめせん。そこで、状況に応じた適切な「操作情報」を「自己組織」する必要が出てくるのです。一般に「場の情報」は環境・システム・関係子の順に上から下へ流れて、環境やシステムの状態を要素である関係子へ伝え、今度は関係子群からの情報創生によって、関係子の状態が上から下へと逆行する状態で運ばれ、全体として「情報の循環ループ」が形成されることになります。これまでのシステム論では、環境はシステムに対する固定された境界条件であると仮定され、その中でシステムと要素の関係、、そして要素と要素の関係だけを論じてきたのですが、それは、環境とシステム、そして環境と要素の関係を意味的な面も含めて議論する方法を持っていなかったからです。今後は、環境の複雑さを前提として、環境・システム・要素の三者の関係を取り扱うことができる新たな科学の視点を創造し、環境の方から「関係子」的なものを介して「人間」に送られてくる「場の情報」を読み取ることが重要になると思われます。


  ともかくも、このような研究のフィールドから、生体内における生成の相互関係を創造する“生成的単位プロセッサ”としての「関係子」という概念が誕生したのです。この場合、相互関係によって、ある状態が選択されるためには「関係子」が多様な内部自由度を持っていることが必要になります。このような運動要素間の動的協力性とシステムの立体構造(環境)による「場の情報」の生成原理は骨格筋の収縮だけに限られることではなく、生体運動一般に見られる特徴のように思われます。現在、それぞれ専門の研究者たちによって、昆虫の飛翔筋・精子の鞭毛運動・原生生物の繊毛運動・バクテリアの鞭毛運動などが研究されています。ここでも、それぞれの運動要素には動的な協力性があり、さらにその集まりにはそれぞれの目的にかなった環境としての「特有の立体構造」があって、骨格筋の場合と基本的には同じ原理で、様々なタイプの特徴的な運動が生成(創生)されていることが分かってきています。


  大脳における「関係子」の働きについては次のようなことが分かっています。大脳新皮質の一般的な特徴として、ハイパー・コラムと呼ばれる自律的な「ユニット・プロセッサ」(一定の情報処理を受け持つニューロンクラスタ)を単位とする複雑な構造があります。そして、他の様々な生命システムの中にも、論理的性質という点でハイパー・コラムと共通性のある要素が存在することが分かっています。このため、改めて、この論理的な相似性を持つ“生物・生命的な要素”のことを「関係子」と“定義”することが可能となります。つまり、骨格筋でサルコメア全体の運動に関する情報が各分子に伝えられ、各分子がその“情報”に基づいて自らの態度を決めているのも同じ論理構造を持つ一定の「場」の中における「関係子」の作用だと考えることができるのです。このように、生命体の中の「関係子」はそれぞれ自律性と個性を持って活動する能動的な要素ですが、その集まりが創り出す「関係の場」の中で、今度は「場の情報」としての情報が生成されることになります。そして、特に脳の場合、この「関係の場」として重要な役割を担っているのが、主に古い皮質の部分にある「無意識の場」(華厳宗でいう「無分別な智/阿頼耶識」/法相宗の無意識世界に相当する)だと考えられるようになっています。


  ところで、脳の働きに関する研究で、新たに重要なことが分かってきました。それは、既知の知識を柔軟に応用するためには「概念の不完全性」が大切だということです。一般に「知識システム」というものでは、新しい知識を次々と獲得するに従って、そのシステムがその知識によって自己規定をどんどん進め、次第に応用力を失っていく「自己完結システム」が生成される場合が考えられます。一方で、新しい知識の獲得によってシステムが応用力を広げ柔軟性と想像力を高めつつ「発展的システム」が生成される場合も考えられます。前者のタイプのシステムは、知識の獲得によって自由に書き込める情報空間が減少していることを意味します。後者の場合は、知識の獲得によって自由度がかえって増加し、情報空間が実質的に拡大します。このように考えてみると、前者がノイマン型のコンピュータ・モデルに対応し、後者が「脳の情報処理システム」に近いことが理解できるはずです。後者のシステムでは新たな知識を媒介として新しい動的なコネクションを自由に創ることができる上に、それまで不要だった様々な情報空間を統合して使うこともできるようになる、と考えてもよいでしょう。


  また、前者では情報空間が細分化されており、相互にわたる協働的なコネクションを創造できないが、後者では、広い情報空間が“融通無碍”に使われるので、規定されていないだけに自由度が多くなるということもできるでしょう。それは自己の内部情報空間そのもが拡大すると考えてもよいのです。特に、人間の脳の新皮質で顕著に観察される科学的、仮説的な現象である「関係子」の働きを簡潔に説明すると、“人間の脳は部分的な機能の分担に満足する働きをしているのではなく、それは脳全体の諸機能との相互連関的なネットワーク構造の中で絶えずフィード・バックとフィード・フォワードの情報伝達を繰り返し、情報を循環させながら脳全体を活性化させつつ新たな発見を創造し続けている”働きだということになります。つまり、大脳は、このような働きを担う、きわめて多くの「関係子」の複雑なネットワークだと考えられるのです。また、大脳は、この複雑なネットワークを内外の様々な表象(文字、イメージ、概念などのエクリチュール情報)やトランスミッター(化学伝達物質)で変化させ活性化させることで、比較的似たような、そろったリズム(または、ニューロンクラスタの発火(興奮)が形成するクオリア)が「互いに引き込み合う状態」を創ったり、あるいは逆にカオス性が高い状態を創ったりすることができる、と考えられています。


<注>「ニューロンクラスタの発火」と「クオリア」については下記Blog記事(●)を参照。
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