toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

仏・蘭で「EU憲法」否決の教訓/世界から見える日本の民主主義の危機


1 「EU憲法批准」否決の教訓


●フランスとオランダの国民投票で「EU憲法」の批准案が否決されたことの波紋が世界中へ広がりつつあります。「ル・モンド・ディプロマティーク編集部」は、左翼が迷走して分裂した結果だとの分析を行っています。(詳細は下記URLの記事(★)を参照)ここでは、このようなプロの視点とは異なる、より自由な観点から「EU憲法」に対するフランス・オランダ両国民が示した「ノン」の意味を考えてみます。一言でまとめるのは困難ですが、強いて言ってみれば、それなりの修正と時代の変化の取り込みが持続的に行われてきたとはいえ、ヨーロッパ統合が始まった当初の時代からあまりにも長い時間を経た(1957年のローマ条約によるEEC(欧州経済共同体)の発足から数えると約48年、1993年のマーストリヒト条約による欧州連合EU)体制の発足から数えても12年という長い時間が経過)ため内外の環境条件が根本的に変質してしまったこと、1991年のソ連邦の崩壊により東西冷戦時代が終焉したこと、そして「9.11、N.Y.同時多発テロ事件」以降の世界的な覇権地図の変更(アメリカの軍事力による一極支配体制が確立)という三つの大きく時代を区切る事件が、それぞれ異なった角度からボディブローのような打撃を拡大EUに与え続けてきたことが原因となり、今、この時にヨーロッパ統合の最も根本的な部分が変質を迫られているのだと見ることができます。


★欧州構想をめぐる左翼の迷走/Anne-Cecile Robert、ル・モンド・ディプロマティーク編集部、訳・青木泉/http://www.diplo.jp/articles05/0505-2.html


EU憲法の批准がフランス(5/30)とオランダ(6/1)の国民投票で、それぞれ否決(5/30)された根本的な要因として、先ず次のニつのことが考えられます。(フランスにおいては、昨年12月頃までの世論調査で約60%の国民が「EU憲法の批准」に賛成(ウイ)の態度を表明していたにもかかわらず、これが、なぜ約半年で覆ること「ノン」になったのか?という疑問が沸き起こってきます)


(イ)「拡大EU」がアメリカ型の市場原理主義へ一層傾斜するとの懸念が一般国民の間に広がったこと


・・・EU憲法の根本には、アメリカ型のネオ・コーポラティズムとは異質な「ユーロ・コーポラティズム」(多次元的ネットワーク・ガバナンス)の仕組みが据えてある。しかし、インテリ層はともかくとして、一般国民レベルまで、この「拡大EU」の現実的な仕組みについての十分な理解が浸透していたかは疑問である。「EU憲法」の条文をフランスの一般国民が十分に理解するだけの時間が与えられたかという疑問もある。この意味で言えば“あまりにも急ぎ過ぎた”と言えるだろう。このため、「EUの理念」と「現実の実態経済不調」のミスマッチが一般国民の間に大きな疑念(現政権に対する)を呼び起こすことになり、この疑念が急激に拡大し、クローズアップされてしまったということでもある。


・・・この点については、同様に「EU憲法」の国民投票で否決の結果を出した(6/1)オランダについても同じことが言える。「拡大EU」自身が、根本的な新しい方向性のモデルとして、自ら、改めて「オランダ・モデル」に注目しつつあった時だけに、オランダでの否決はフランスの場合とは違う意味でEUにとっての大きな打撃となるであろう。


[注]「オランダ・モデル」については下記Blog記事(★)を参照。


★シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/4)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329/p1


・・・ところで、このような動きを先導したのは、党本部の「EU憲法」支持の方針へ異議を申し立てた一部の社会党員たちである。このことから中立層(政治的無党派層)の一般国民も大きな影響を受けたことが考えられる。ただ、彼らは「EU憲法」の根本的な理念部分については理解しており、それが半年前までの約60%の「EU憲法」支持となって現れていたと考えられる。


・・・しかし、「イラク戦争」が長引くなかでアメリブッシュ政権EU諸国との協調姿勢へ転換したかのような外交攻勢を展開し始めており、EU各国の政府もこのようなアメリカの姿勢を公式には歓迎している。しかし、周知のとおりアメリカ・ブッシュ政権の“超タカ派的性格”は変わっていない。このため、フランスを始めとするEU諸国の一般国民のなかには「拡大EU」そのものがアメリカ型の市場原理主義へ接近しつつあるのではとの懸念が広がったと考えられる。


・・・このため、31日、シラク大統領は、政権維持のために不人気のラファラン首相を更迭して新首相にドビルパン内相を任命した。外相時代のドビルパン新首相は、2003年の国連安全保障理事会で“アメリカが進めようとするイラク戦争反対の論陣”を張って、強力に国際世論を先導した実績がある。この当時の一般国民がフランス政府に対して70〜80%の高い支持を与えたことは周知のことである。


・・・このような観点からすると「EU憲法へのノンは、1968年の5月革命いらい最大の危機だ」(5/31付・読売新聞記事/パリ政治学院、ゲラール・グリュンベル政治学部長)という見方は、この現象の表面的な衝撃の大きさはともかくとして、本質論からすればいささか違うのではないかと思われる。


[注]「ネオ・コ-ポラティズム」、「ユーロ・コーポラティズム」(多次元的ネットワーク・ガバナンス)及び「EUの根本理念」については下記Blog記事(★)を参照。
★シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/4)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329/p1


[注]「1968年、パリ5月革命」


:1968年5月、パリの学生の反乱から始まり、労働者や知識人を巻き込んだ権力側に対する異議申し立ての運動。結果的にド・ゴール体制を崩壊させた、この革命の波紋はヴェトナム反戦運動などと呼応しながら世界中に広がり、日本ではアングラ演劇や全共闘学生運動が興った。その背景には、多元化しつつある価値観と政治的な抑圧という現実の間で燃え上がった大衆一般の苛立ちがあった。しかし、この運動は学生や知識人らの想像力が飛翔しすぎた傾向があり、あまり現実的な実りがない一過性の出来事ではなかったかと見られている。しかし、この革命の象徴的な意味合いは重要である。例えば、その後のEU統合の仕組みに取り込まれたネオ・コーポラティズムの思想などは、この影響の一部を受け継いだものとも考えられる。


・・・あるいは、フランス国民によるEU憲法についての誤解というよりも消化不良だったのではないかとも考えられる。EU憲法の膨大な条文内容の是非について、十分な時間をかけて説明できたのか? もし、この努力が不足していたとすれば、特に政治的立場において中立層に属する国民(日本で言えば政治的無関心層に相当する無党派層のフランス国民/ただ、彼らの場合は日本のような政治意識が低劣な無関心層とは言えない)が自律的に正しい決断を下すことは考えられない。


・・・いずれにしても、特に今回の国民投票で否定的な影響をもたらす原動力となったのは「(a) 社会党支持層の中の極左、(b )保守勢力の中の極右、(c )貧困層の三つのグループであったと考えられる。しかも、(b)のナショナリズム的な立場からの反対(ノン)は容易に理解できるが、(a)の社会党支持層が賛成「ウイ」と反対「ノン」の二手に分かれてしまったことが問題の複雑さを象徴している。


・・・なお、(a) と(c)の反対の理由では“グローバリズムアメリカ流の市場主義経済に傾くことに対する懸念”(厳しい合理化や一層の民営化への傾斜、福祉部門のカットと縮小、EU拡大と移民流入に伴う大量失業の発生など、いわゆる「民主主義の赤字」が一層拡大するのではないかということへの一般国民の恐怖感の増大)が大きかったと考えられる。彼らの場合は、現実のEU経済が、その理念から離れて限りなく「アメリカ型のネオ・コーポラティィズム」(見かけだけのコーポラティズム)に接近しつつあるという深刻な危機感を共有している可能性がある。


[注]「民主主義の赤字」については下記Blog記事(★)を参照。


★シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(2/4)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050328/p1


(ロ)シラク大統領の政治戦略的な失敗(フランスの場合)


・・・条約の批准は必ずしも国民投票による必要がなかった。にもかかわらずシラク大統領は国民投票が必要だと判断した。このような判断をシラク大統領に強いたのは「ド・ゴール的なフランスの威信」に対する自負心であったかもしれない。実際に、ド・ゴール大統領によって確立された「フランスの大統領(制)」はアメリカ大統領よりも議会に対して強大で超然たる権力を持っている。(この詳細は下記URLを参照)


http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-121.htm


●先にも述べましたが、かつてアメリカ・ブッシュ政権が「イラク戦争」(単独武力行使)へ強引に突入しようとしたとき、シラク大統領とドビルパン外相という保守中道派の代表者が世界の先頭に立って反対し、多くのフランス国民もこれを熱烈に支持した(7〜8割の支持)のは記憶に新しいことです。従って、今回、「EU憲法批准」がフランスの国民投票で“否決されたということは、この同じフランス国民が“戦争はやり直しが効かないが、EU憲法の軌道修正はやり直しが効くという現実的で(適切な)判断”を下したことになる訳です。


●結局、(1)と(2)の要因が複合的に作用した結果が今回の国民投票の大きなマイナス要因として働いたということができるかもしれません。この結果がEUのこれからに与えるマイナスの影響は甚大で、フランスの国内政治の混乱とともにEUの理念と求心力が方向感覚を失って漂流することになるという危機感が広がりつつあるようです。(なお、EUの体制はEU憲法が存在しなくても、2000年12月に成立した「ニース条約」(マーストリヒト条約の修正)によって維持されるので通貨ユーロなど経済面への直接的な影響は殆ど心配がない。むしろ、これから予想されるのは欧州内の政治的覇権をめぐる関係の混乱である。/「ニース条約」の詳細は下記URLを参照)


http://www.jcp.or.jp/faq_box/001/210106_faq_nees_jyouyaku.html


●たしかに「EU内における移民問題」(移民取り扱いの不整合など)がEUの未来に暗い影を落としています。例えば、具体的に見ると下記[注記]のような現状から、予期できない複雑な問題が次々と発生しています。しかし、EUは、これらの移民たちが加盟国の国民になる条件をできるだけ緩和するように努力しているのです。ところが、今度は移民の受け入れで寛容な国々の筆頭であるフランスとオランダで移民問題が大きくなりつつあります。つまり、トルコ、モロッコなどからの移民数の増加そのものが宗教的対立など派生的で多様な社会問題をもたらしています。そして、これらの問題が、今回の「EU憲法」の否決にも何らかの影響を与えたことは間違いがないと思われます。


[注記]イタリア、オーストリアは外国からの移住者が帰化するのが難しい。伝統的に寛容政策を取るフランスとオランダは、帰化の要件があまり厳しくなく移住者が国民となることが比較的容易である。イギリスは旧植民地出身者に対して二重国籍を認めている。


●ともかくも、今回の結果は、超長期的な観点から見れば必ずしも悲観的なシナリオだけに結びつくことはないと思われます。今回のフランス・ショックとオランダ・ショックにもかかわらず、後で詳しく見ることになる「デニズン市民」や「EU市民としての社会的権利」の拡大、及びそれを補足する「各国制度の共通化」、あるいは「通貨ユーロの発行」など様々な「EU統合の現実的メリット」が着実な実績として積み上がってきています。また、「拡大EU」についての悲観的なシナリオの否定に繋がることとして次のような二つの点が考えられます。確かに、全ヨーロッパの平和と繁栄を目指す「EU憲法」の成立が一時的にせよ足踏み状態に入ることは、様々な混乱要因を招くと思われます。しかし、その損失を穴埋めするに足るだけの大きなメリットが生まれる可能性もあると考えられるのです。


(1)「欧州委員会」(EUの官僚機構)と「サブ・ネットワーク」のバランス回復への期待


・・・実際にEUを動かす官僚機構(本部:ブリュッセル)は「閣僚理事会」に対して規則・指令などに関する「法案」を提案できる強力な権限を持っている。この官僚機構(全欧州のエリートの集まりである)が持つ権限は次第に強大化しており、EUを取り巻くサブ・ネットワーク(欧州労働組合連盟(ETUC)、欧州環境ビューロー(EEB)、地球の友・欧州事務所、グリーン・ピースなど)との良好なバランスが失われつつあることが指摘されてきた。このため、EUの根本理念を実現するための基盤である「多次元的ネットワーク・ガバナンス」に陰りが見られていた。


[注]「多次元的ネットワーク・ガバナンス」及び「EUの運営組織の概要」については下記Blog記事(★)を参照。


★シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(2/4)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329/p1


・・・なお、EU関係の機関で働く「EU公務員」(Eurocrat)の数は約2.3万人(欧州委員会関係者が約2万人、欧州理事会等が約3千人)と言われる。彼らは、数カ国語を操るEU各国出身のEU官僚(ユーロクラート)たちで、自らをヨーロピアン(ヨーロッパ人)と自負するほどエリート意識が強い。このため、一般の各国国民から羨望の眼差しを受けるとともに、彼らの横柄さの度が過ぎて一般の国民から反感を買う場面も見られる。これは些細なことかも知れないが、「拡大EU」に対する各国の一般国民からあらぬ誤解を得ることになり、ひいてはEUそのものに対する不信の種を蒔くことにもなりかねない。


・・・現在のヨーロッパではデニズン市民(denizen/EUの永住市民)と呼ばれる人々の数が徐々に増えつつある。これはEUが国境や国籍を超えて市民的、社会的、政治的な権利を持つことができる行政システムを整備してきたため誕生した、新しいタイプのヨーロッパ市民である。つまり、彼らは自分の国籍を保持しながらEU内の他の国に住み、仕事に取り組んでいる人々である。別の見方をすると、デニズンはある国に定住しながら帰化しないEU内の他国出身者ということになる。彼らの数は凡そ550万人(15カ国EUの時点、2001年現在)で、未だEU全体人口の1〜2%程度の微々たる割合である。


・・・このようなデニズン市民が増えつつある背景には、「マーストリヒト条約」、「ニース条約」などによってEUが重点的に取り組んできた「EU市民としての社会的権利」を拡大するための「各国制度の共通化」というメリットがある。その代表的なものは次の三つである。


(イ)EU内における「移動・居住の権利」と「就労の権利」の付与


EU15カ国の時代から、国民に対する各国ごとの労働許可制度が廃止されている。この結果、EU域内のどこへ行って求職しようが、就労しようが自由となっている。


(ロ)EU内共通の「社会保障制度の運営・給付」の付与


:各国ごとに社会保障制度の運営・給付が行われており、この意味でEU各国の国家主権はそのまま存在している。つまり、EUが統一的に管轄する老齢年金制度などは存在しない。しかし、EU全体での「社会保障の整合性」と「社会保障の調和」の保持が行われており、EU内の各国を移動して就労することが可能となっている。しかも、年金等の国外支給と国境を越えての年金保険の加入期間の通算が実現している。



(ハ)EU内における「職業資格」の共通化


:国ごとに国家資格がある医師、看護師、弁護士、理容師、美容師などの資格を相互に認定して、EU市民が国境を越えて就労できるようにしたEU協定が結ばれている。


(2)憲法についての「『公権』(EU及び国家の権力)と『私権』(市民・国民の基本的人権)の関係」の再認識が広がることへの期待


・・・これは(1)と根底で繋がる問題であるが、「民主主義のガバナンス」という観点から、安定した民主主義国家においても絶えず見直し続ける必要がある。また、これは民主主義国家における「憲法」の「授権規範性」(憲法には、国家が暴走しないよう、その手足を縛る役割があるということ)についての理解の問題でもある。かつての「ナチス・ドイツ」や、紛れもないファシズム軍国主義国家であった「大日本帝国時代の日本」などのような明らかに非民主主義的な国家の場合だけに限らず、現代の民主主義国家のガバナンスの場面においても、政治の暴走に対する歯止めとしての、この問題の重要な意味が失なわれることはあり得ない。


[注]「憲法」の「授権規範性」については下記Blog記事(★)を参照。


★「改憲論」に潜むナチズムの病巣(王権神授と民族精神の高揚)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519


・・・現に、自由と平等を標榜する民主主義国家アメリカ(ブッシュ政権)が“産軍複合体、石油資本及びキリスト教原理主義という三者の合体”をもたらし、その“きわめて利己的な存在の融合体”が「憲法の授権規範性」と「国際法」を無視し暴走したことによって、「イラク戦争」という人類史上でも稀な惨劇が引き起こされたのであった。この動きを先導した政治的パワーの理論的な発信源がネオコンと呼ばれる一派であり、彼らの理念の根本にはナチズムに繋がる哲学・思想が巣食っている。彼らを育てた知的ルーツは19世紀ドイツの公法学者でナチス学会を支えたカール・シュミットの政治哲学、そしてほぼ同世代のドイツ出身の政治学レオ・シュトラウスのユニークな思想である。レオ・シュトラウスシカゴ大学で「レオ・シュトラウス学派」を形成し、その門下から有力なネオコンたちが輩出し、更にその直系の者たちがブッシュ政権の知的ブレーンとして参加しているのである。


[注]カール・シュミットレオ・シュトラウスの詳細については、同じく下記Blog記事(★)を参照。


★「改憲論」に潜むナチズムの病巣(王権神授と民族精神の高揚)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519


2 日本国民は疑惑の「改憲国民投票」にノンと言えるだけのバランス感覚を発揮できるか?


●今まで見てきたとおり、EU憲法の批准がフランス・オランダ両国民によって否決されたことは、必ずしも悲観的な出来事ではなかったと考えられる側面があるのです。そのことの最も大きな意義は新自由主義経済とネオコンアメリカ・ブッシュ政権)流の超法規的公権力の行使へ「拡大EU」が決して接近することがないように釘を刺したということです。具体的には、EUの官僚機構である「欧州委員会の役割」に関する理念的な部分の見直しと「超国家としてのEU内部」における公権(EU憲法の制定権力)と私権(EU市民権)の原理的な関係についての再構築ということです。


●「欧州委員会の役割」に関する理念的な部分の見直しということについて、より具体的に言ってみれば、それは「多次元的ネットワーク・ガバナンス」の原点を再認識することです。かつて、アメリカの政治学者ロバート・A・ダールが「競争」と「参加」の二つの要素が強く作用する理想の民主主義社会をポリアーキーと定義しており、この考え方は「拡大EU」の理念部分に取り入れられています。具体的にいえば、それは政治権力に対する批判が強力に機能し、積極的に政治参加する行動的で「多元的」な市民層が大きな割合を占める社会ということです。ここで言う「多元的」の意味は、ミニ・ポピュラスと呼ぶ「討議デモクラシー」のための小グループが、国レベル、州レベル、自治体レベル、地域レベル、職場レベルなどに広汎に存在して、それらが活発に重畳的に活動するということです。 しかし、現在の「拡大EU構想」はあまりにも巨大化し過ぎており、更に、移民問題なども一層深刻化する傾向が見られるためフランス・オランダなどの一般国民が、この部分の現実的な機能に大きな懸念を持ち始めたと考えられます。


[注]ロバート・A・ダールとポリアーキーの詳細については下記Blog記事(★)を参照。


★「軍事的国体論」を超える日本国憲法の先進性
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050419/p1


●また、ヨーロッパのエリートであるユーロクラート(EU官僚)の役割についても一般の国民が懸念を持っていることが窺えます。EUを取り巻く多様なサブ・ネットワーク(例えば欧州労働組合連盟(ETUC)、欧州環境ビューロー(EEB)、地球の友・欧州事務所、グリーン・ピース等)や各国に所属するEU市民と十分すぎるほどのコミュニケーションを図り、これらサブ・ネットワークのメンバーやEU市民のため十分に貢献することがユーロクラートたる「欧州委員会」のあるべき姿だという訳です。従って、現在見られつつあるように、彼らユーロクラートたちが官僚機構としての権限を強大化する方向へだけ傾斜することは許されないのです。つまり、フランス・オランダの両国民は今回の国民投票への「ノン」によって、EU市民あってのユーロクラートであり、EU統治機構であることについても改めて強烈に意思表示した訳です。


●「EU内部における公権と私権」の関係を原理的な部分から、再度、十分な時間をかけて見直しておくことは、憲法一般についての「授権規範性」という観点を重視するという意味で些かも手を緩めることは許されないはずです。なぜなら、いずれ「拡大EU」が超国家的な巨大な存在(多数の国家群を束ねるスーパー国家・EU)となることを考慮するとき、万が一にもそれが独裁的な政治権力によって支配される懸念を残すことは許されないはずです。つまり、アメリカ発グローバリゼーションの風に乗って、ネオコンブッシュ政権)流の超越的憲法制定権力を是とする法的解釈がEU憲法の理念部分へ浸透することを多くのフランス国民が“直感的に恐れた”とも考えられるのです。しかも、このことは既に述べていますが、ブッシュ政権を知的・理論的に支えるネオコンの思想とナチズムの思想が共通の政治哲学(カール・シュミットレオ・シュトラウス)から生まれていることは周知の事実となっているのです。


●万が一にもあり得ないことかもしれませんが、一つの「憲法」を持った「超国家・拡大EU」から「リバイアサンのような大統領」が出現しないと誰が保証できるでしょうか? そんなことがある筈がないと、誰が言えるでしょうか? しかも、そのような好例が、実は我われ世界中の国民が、現在、目にしているのです! それは、一つの立派な「憲法」を持った「超国家、ブッシュ政権アメリカ合衆国」のことです。現在のブッシュ政権のブレーンの多くがネオコン一派によって占められており、今やブッシュ政権アメリカは、そのネオコン体制を完成させるところにさしかかっています。第二期ブッシュ政権は、イラク戦争の後遺症が予想外に長引いていることもあって、発足当初は国際協調路線へ軌道修正したかのように思わせる時もありましたが、実際にはネオコン一派及びその息のかかった人々がワシントン政府の要職を固めており、第一期政権時代より一層タカ派色が強まったというのが現実です。(参照、2005.3.1、東京新聞・特報記事、http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050301/mng_____tokuho__000.shtml

 
●そして、このような動向を象徴する人事が二つ発表されています。その一つはポール・ウオルフォウイッツ国防副長官(ネオコン)の世界銀行総裁就任であり、もう一つはボルトン国務次官(超タカ派ネオコン)の国連大使就任です。後者の方は上院での承認をめぐって賛成派と反対派の激しい衝突が起こり、ボルトン氏の人格にかかわる疑惑や批判が噴出するなどして予定より約2ヶ月以上も評決が遅れています。ボルトン氏を大使に推薦したブッシュ大統領の意図は、中々アメリカ政府の思惑どおりにに動かない国連をボルトン氏の剛腕で強引に「改革」することです。一方、 ウオルフォウイッツ氏の世界銀行総裁就任の目的は、1993年に決定した新自由主義思想に基づく金融・経済戦略である「ワシントン・コンセンサス」の徹底を図ることにあるのは明らかです。これで、全世界のグローバル経済は一層のアメリカ型「民営化路線」(privatization)へ傾斜し、我われ世界市民の多くに対して際限のない効率化の追求と貧富差拡大政策が強要されることになると思われます。また、ボルトン氏の国連大使就任が承認されれば、ブッシュ政権が国連改革に関して米国ベースでの強硬な介入を押し進めることは間違いありません。また、2005.5.3付東京新聞・特報記事(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050523/mng_____tokuho__000.shtml)の分析によると、このように益々タカ派色を強めつつある第二期ブッシュ政権のシリア侵攻が、愈々、現実味を帯び始めているようです。アラブ諸国で最後の対イスラエル強硬派とされるシリアへの軍事侵攻が実現すれば、「イラク戦争」に引き続いて再び「軍装備の民営化」(Military Privatization)による巨額の“戦争ビジネス”が中東・シリアで展開されることになります。


●このような論を強調しすぎると、そもそも「拡大EU」の理念の一つが「リバイアサン的な超大国アメリカ」と対等に渡り合える強大な政治権力の実現でもあったということとの間で論理矛盾が生じます。しかし、次のような点(a、b)を考慮すると、「国際法」を無視してユニラテラリズムを押し進めるブッシュ政権を誕生させたアメリカの二の舞にならぬためにも(あくまでもこれは考え方次第ですが・・・)「拡大EU」は必ずしも「欧州大統領」を擁する必要がなく、現在の緩やかな政治的結びつきを支える「ニース条約」下における国家群のままで良いのではないか?とも思われてきます。今回の国民投票で、フランス国民の心を過ぎった思いの中には、このようなことがあったかも知れません。


[注]EUの「欧州大統領」及び、その政治システムの概要については下記URL(★)を参照。


★EU(欧州連合)の基礎知識
http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20040701A/


(a)仮に、「憲法」と大統領という仕組みを持つとしても、「憲法の授権規範性」を無視する政治哲学(法哲学)が悪用されると「憲法制定権力」を意図的に行使するファシズム国家が誕生する恐れがある。


(b)このような典型例を近・現代史の中で二つ探すと、一つは「ワイマール憲法」を“合法的”に踏みにじって誕生したアドルフ・ヒトラーの「ナチス・ドイツ」(ドイツ第三帝国)であり、もう一つは「ブッシュ政権アメリカ」である。


●そもそも、現代の人間社会は「憲法制定権力」それ自体を拘束する法規範を持っていません。かつて、E.J.シェイエス(E.J. Sieyes/1748-1836/フランスの政治家/啓蒙思想の影響を受けてアンシャンレジーム下の身分制に強い疑義を抱き主著『第三身分とは何か』(1789)を著した)が、一切の既存の法に縛られない万能の権力として「憲法制定権力」を構想して、アンシャンレジームを根底から覆す正当性を主張しました。しかし、一旦、立憲的な「憲法秩序体制」が成立してしまえば、このような「憲法制定権力論」は役割を終えることになります。ところが、19世紀のドイツの公法学カール・シュミットによって「憲法制定権力論」が復活するのです。


●シュミットは、政治的な様々の方向性(政策)を決定する普通の「憲法」の上位に、「自ら憲法を制定する憲法制定権力」が存在すると仮説しました。更に、このような「憲法制定権力」の正当性の根拠を保証するものとして、国民一般が集合した「群集」の姿を想定します。そして、これら「群集」の「喝采」こそが「憲法制定権力」の正当性を保証する法源(法の効能を保証する最も根本的な権力)だと見做したのです。やがて、この「喝采」は「公論」(現代社会のポピュリズム論で言う世論に相当する)と読み替えられ、国民一般大衆の熱狂的な喝采を根拠とする「独裁政治」についての正当性の論理が完成したのです。これがナチズムのヒトラー政権をもたらしたことは言うまでもありません。


●一方、前に触れたレオ・シュトラウス(及び、その影響下のネオコン)の特徴は徹底的な近代批判ということにあります。シュトラウスは、先ず近代主義の出発点となったホッブズまで一気に遡り、ホッブズの最も重要な著書『リバイアサン』を再解釈・再検証することから始まります。そして、ホッブズから派生した近代啓蒙思想を根底から否定します。その結論を端的に言うと、理性の根本を支える哲学的パラダイムを《性善説》」から《性悪説》へ転換するということです。また、シュミットの影響も受けているネオコンの考え方の根本には「悪を見逃す中庸・寛容=悪、憲法の番人としての独裁=善」というものがあります。つまり、カール・シュミットレオ・シュトラウスを信奉するネオコンの考え方のもう一つの特徴を分かりやすく言ってしまうと、手間と時間が掛かり過ぎて効率が悪くなってしまった現代の「議会制民主主義」よりも、一人の「独裁的な賢人」(これこそが善悪を超えた怪獣リバイアサン!)の決断に従う効率的で合理的な政治の方が望ましいという考え方があることです。この場合、「民主主義的な国家ガバナンス」や議会制民主主義国家の根本法である「憲法」の役割は「独裁的な賢人」の下に位置づけられてしまうのです。このような考えの下では、民主主義の根本である「主権在民の原則」も単なる建て前上のものに過ぎなくなってしまいます。


●「N.Y.9.11同時多発テロ事件」と「アフガン・イラク戦争」後に世界中に広がった大きな反動の波紋の特徴は、非常に乱暴に言ってしまえば「強引な右傾化への誘導」ということです。ネオコンの思想の特徴に典型的に現れているとおり、その根本にあるものは「憲法」、「主権在民」、「国際法」など民主主義の諸原則は建て前上の存在に過ぎないという強固な信念です。「テロとの戦い」のキャッチフレーズに隠れている本心は、かくもおどろおどろしいものです。しかし、アメリカ合衆国に住む一般市民の凡そ半数、ヨーロッパ諸国の凡そ6〜7割を占める一般国民の意志は、このような反動化の傾向に対し絶えず「ノー」(ノン)の異議申し立てを行っています。今回、フランス・オランダ両国民が「拡大EU憲法」の国民投票で「ノン」の意志を表明したのは、実は、このように世界で多数を占める市民たちの良識とバランス感覚が見事に発揮された結果だと見做すことができるかも知れません。当面は「拡大EU憲法」が発効しなくとも、既に見てきたとおりEU(ヨーロッパ統合)そのものが空中分解する訳ではありません。(一部の新聞に、このような論調があり驚いています)むしろ、今回の「ノン」によって、更に長い時間をかけて人類の未来のために更なる知恵を絞ることは大いに意義あることになると思われます。


●ところで、懸念されるのは我が日本のポピュリズム現象です。まず、「テロとの戦い」の時の開戦への支持が凡そ6〜7割を占めたことが世界の市民意識から少々ズレていました。多くの日本国民の意識は、既にこの時点でかなり右傾化していたのです。そして、今や「改憲論」を支持する割合が6〜7割の水準まで高まっています。読売新聞(5/3付社説)の調査によると、ここ約10年くらいで改憲に関する「支持」と「反対」の割合がほぼ逆転しています。このように日本の大方の市民意識は着実に更なる”右傾化”を示しています。このような流れの中で政府与党による「憲法改正国民投票法案」に関する内容が検討され、愈々、憲法改正が具体化しようとしています。憲法改正にかかわる国民投票は、主権者たる日本国民の基本的な権利行使にかかわる国政上の重大問題であり、あくまでも国民主権の原点に立って決められなければなりません。


●ところが、与党案の「憲法改正法案骨子」を見ると、このような国民主権の視点も憲法の授権規範性も重視されおりません。その結果、改憲についての発議方法と投票方法が国民一般の意志を投票結果に正しく反映するかどうか疑わしい内容(一般のアンケート調査でよく使われる質問方法のトリック)となっています。また、ジャーナリズムや教育現場に過剰な規制をかけるような内容となっています。(憲法改正法案骨子の内容についてはhttp://www.k3.dion.ne.jp/~keporin/shiryou/kokumintouhyouhouan/f-01.htmを参照)また、改正案の内容の特徴をまとめてみると、憲法9条の問題点の他に「国民の権利の制限と義務の強化」、「国会の最高機関性の削除の意志」など、全体として反人権主義的で国家主義的な傾向が滲み出ています。このような「改憲内容と関連手続き」について、どれほど多くの一般市民が危機感を持っているのか疑問が湧いてきます。この「憲法改正」については稿を改めてまとめるつもりです。ともかくも、欧米の世界市民らとは反対の方向へ、つまり“右傾化”へ向かう激流に飲まれかかっているかのような日本国民は、「改憲」に関する、かくも退行的で反民主主義的な内容と手続きを織り込んだ与党案に対して、果たして、フランス・オランダ両国民のように良識と民主主義に関するバランス感覚を発揮して「ノー」の意志を表明することができるのでしょうか?これが大いに懸念されるところです。