toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「EU憲法ノン」の波紋・・・自省の欧州、自賛の米国、米国追従の日本

toxandoria2005-06-05


  たしか「EU憲法=ノン」の第一報を知ったときのアメリカ政府関係者たちの“感想”は、EU型の“新自由主義”への反発が予想以上に大きかったことを率直に受け止めて、今後の米欧関係へのマイナス面の波及を懸念するものであったはずです。このことは日本のマスコミ各社が早々と報道していました。ところが、「ノン」の中身の詳しい分析が一応明らかになったためか(フランス市民層・右派のノンもかなり有ったと判明したため?・・・)、下記の産経新聞・記事(●)のような「EU憲法=ノンは、結果的に米保守派(≒米ブッシュ政権)に追い風になる」(別に言えば、フランスの左派がウイ・ノンの二派に割れたところへ右派のノンまでが加わる形になったので、この影響がアメリカのリベラル(フランスの左派に近い立場と仮定すれば)の足を引っ張ることになり得る、という分析(冷静な?)の結果のようです。が、果たして、そうでしょうか? そう単純なことではないように思えます。

(参考)「EU憲法=ノン」以後の世界政治の現状(政府と国民のスタンス)を俯瞰図的に整理すると次のとおりです。

アメリカ政府(ブッシュ、ネオコン政権)
・・・「テロとの戦い」を主軸とするユニラテラリズム自画自賛

アメリカ国民・・・約50%は自画自賛に同調、残余50%の国民は、同上について批判的に反省

ヨーロッパ(政府)
・・・「EU」のあり方について反省へ変化

ヨーロッパ(国民)
・・・約60〜70%の国民が「EU」のあり方について批判へ変化

日本政府(小泉政権
・・・「構造改革路線」を自画自賛(実態はアメリカ・ブッシュ政権への追従)

日本国民
・・・約60%の国民は小泉首相自画自賛を追認/約40%の国民は批判。政権支持率は約50%だが、憲法問題に関する政治的無党派層の右傾化という要素を考慮して支持のパーセントを約60%と仮設した。 
  フランス社会では、まず19世紀にフランスのバルザック(Honore de Balzac/1799-1850/フランス近代リアリズム小説の代表者)、あるいはロシアのドストエフスキー(F.M. Dostoevsky/1831-1881/内面のリアリズムを追求したロシアの小説家で20世紀文学に大きな影響を与えた)辺りに起源を持つ近代的な知的批判の潮流が脈打ち始め、20世紀に入ると第二次世界大戦後に哲学者サルトル(J.P. Satre/1905-1980/フランスの哲学者、無神論実存主義を]提唱)がアンガジュマン(engagement)の社会・政治参加型の行動的な哲学を提唱しました。無論、これらに先立つものとして16世紀イタリア・フィレンツェルネサンスミケランジェロダビデ像が一つの到達点とされる)を引き継いだフランス・ルネッサンス(16〜17世紀)のユマニスム(人文主義、人権擁護主義)と18世紀フランスの啓蒙思想の伝統があることは言うまでもありません。また、エマニュエル・トッド(Emmanuel Todd/1951〜 /フランスの政治学者/現在、国立人口学研究所資料局長/西ヨーロッパ近現代史の新たな読解を行ない、『移民の運命』(1994)では先進諸国における移民問題を分析)が指摘するようにフランス社会にはヨーロッパで最も多くのイスラム教徒を受け入れてきたという伝統があります。これが、様々な派生的問題に対応させられながらもフランスらしい独特の多文化を包容する意識を育ててきたことは間違いがありません。

  このような背景の中で「9.11N.Y.同時多発テロ事件」以降にフランスの知的階層の人々の中から立ち上がってきた新しいアンガジュマンの立場を俯瞰すると次の三つにまとめることができます。

(1)テロ、市場原理主義等がもたらす問題の責任をアメリカだけに押しつける訳には行かない。そのため全世界の英知を結集する動きの先頭にフランスが立つべきだ。そして、武力行使ではなく友愛と連帯を軸にした新しい政治のあり方も創造しなければならない。

(2)アメリカ人の多くがイスラム原理主義と同じ「幻想のリアリズム」(宗教原理主義)の虜になっていることに注目すべきだ。そのため、英知を結集して映像と言葉のリアリズムを再生し、多くのアメリカ人が「貧困・抑圧などの現実」(真実のリアリズム)を認識できるように手助けする方法を創造しなければならない。

(3)アメリカの「テロとの戦い」が目指すのは、まさにアントニオ・ネグり(Antonio Negri/1933-  /イタリアの左翼政治学者/テロリストの嫌疑で逮捕・投獄/1983年にフランスへ亡命/マイケル・ハートとの共著『帝国』では、グローバリゼーションの進展に伴い出現しているこれまでとは異なる主権の形態を「帝国」と捉え、アメリカ帝国論とは一線を画している)が言う「新しい連帯型の帝国」の創造に先んじて覇権を確保するめに楔を打ち込むことであり、その「ブッシュ政権ネオコン」の実像は時代遅れの「旧いタイプの帝国主義」だ。従って、これに対抗するには旧いタイプの「右派だ、左派だ」の論理ではなく、それを超えた全く「新しいタイプの知の仕組み」を創造しなければならない。

  現在のEU憲章案を事実上否定された「拡大EU」が、これから何処へ行こうとしているのかは簡単に言えることではありません。ただ、確かなことは、例えばミケランジェロ(Buonarroti Michelangelo/1475-1564)の『ダヴィデ像』(フィレンツェ、アカデミア美術館/下記・注★、参照)、あるいは日本であれば20世紀を代表する彫刻家の一人、本郷新の『わだつみのこえ』(立命館大学/下記・注▲、参照)のように優れた芸術作品が語りかける真実の意味を重視するような方向へEUが向かうのであれば新たな展望が拓けてくると思われます。これは、優れた造形芸術が果たす非常に重要な社会的役割の一つであり、あるいは、それは人間としてギリギリの血の滲むような厳しい平衡感覚を維持するという作用です。言い換えれば、それは酷薄な出兵命令を強制するような不条理で強大な政治権力(暴力的・軍事的覇権力)に対する無辜の市民側からの強い異議申し立てということです。優れた造形芸術には言葉や論理の壁を超えた感動のコミュニケ-ションを通して社会に偏在する真実を見ることを可能にする優れた特性があるのです。

  このようなフランスの思想界の現状を概観し、それを日本の現状に照らすと実に情けない思いがこみ上げてきます。ネット上の掲示板にせよ、テレビのコメンテータにせよ本来の建設的な議論といえる光景は殆ど見られず、眼に入るのは目先の事実の是非だけに囚われた短絡的な是非論と大声で相手を罵倒するような、異常と思われるほどの自己主張の強さばかりが日本中を跋扈しています。あるいは芸能と政治が合体したような異様な世界がテレビによって創造されています。肝心の政治家たちは自己中心的で無責任な詭弁にうつつをぬかすばかりで、21世紀の日本の将来像など誰も真剣に語ろうとはしません。そんな中で目立つのは三文オペラ歌手か大根歌舞伎役者のような小泉首相靖国神社参拝をめぐるパフォーマンスばかりです。そして、日本の社会は、トンデモ学者先生や御用学者先生のご指導によって、ひたすら内向するばかりとなっており、しかも改憲論議に絡んで昔懐かしい「軍事国体論」のアナクロニズムの世界へ回帰しようとしています。そして、確実に実績を積み増しているのは総額1,000兆円に限りなく接近しつつある日本全体の長期債務残高(http://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html)と年平均3万人を超える自殺者数だけです。また、微増ながら暴力団員数と右翼団体の数が確実に増え続けていることが不気味です。(http://www3.tokai.or.jp/shizu-boutui/top04-3htm.htmhttp://www.uyoku.com/uyoku3.htm

  それはともかくとして、このように文化的な環境に恵まれたフランス国民が「EU憲法」批准に「ノン」の判定を下したことは、確かに大きな波紋を広げています。しかし、上で見たようなフランスの知的伝統と重層的な文化環境の中から、必ずやEUを新しい方向へ導く理念と各論の修正が提示されると思われます。そのような意味で、アメリカの保守派が単純に追い風だとして自らのユニラテラリズムの世界政策を自画自賛しているという産経新聞の報道を真に受ける訳には行かないのです。批判力を持ったエグゼブティブ(知的階層の人々)と一般市民層がどれだけ本気になり協同できるかに全てが掛かっています。そして、間違いなく言えることは「フランス・オランダのEU憲法案=ノン」が現在の米保守派にとって追い風だと理解するアメリカ・ブッシュ政権と、それに率先して追従する日本政府(小泉政権)の自画自賛のスタンスはきわめて愚かな思考・行動パターンだということです。

(余談ですが、かつてtoxandoriaは札幌時代(現在は仙台)に札幌彫刻美術館(宮の森/本郷新の生誕地)の近くに居住していたことがあり、たびたび同美術館を訪ねています。しかし、本郷新がこのような意味での社会派の芸術家であることには全く気付いていませんでした。自分の不見識は恥ずかしいばかりですが、優れた芸術家の奥の深さを実感させられています。)

●「仏・オランダの欧州憲法否決、主権重視、米保守派に追い風」(産経新聞・記事)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050604-00000001-san-int

(注)ミケランジェロの『ダビデ像』についての詳細は下記HP記事(★)を参照。

★HP『レンブラントの眼、日記5』(ここにはダビデ像の大きな画像もあります)
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki5.htm
(2003.10.14)付、記事「ミケランジェロの苦闘と勝利[Ⅰ]〜[Ⅳ]」
(2003.11.13)付、記事「現代におけるミケランジェロ的な批判精神の必要性」

(注)本郷新『わたつみのこえ』については下記HP記事(▲)を参照。

NHK新日曜美術館、「本郷新 彫刻の重さは命の重さ」
http://www.nhk.or.jp/omoban/k/0605_7.html
▲札幌芸術の森美術館

http://www.mocas.jp/0505hongo/index.html