toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「オランダの光」の伝説(second revised、1/6)

●ある国や地方には、その地域の風土に特有の個性的な光や独特の空気や臭いのようなものが漂っています。そのような個性を醸し出す作用の主役として、先ずその地域の自然環境を挙げることができます。ベラ・バラージュやケネス・クラークによれば、長い歴史を経る間に、やがてその地域に住む人々は、いつの間にかそこに共通の相貌を感じるようになるのです。それが地域の個性としての地域文化の誕生です。そのような段階になるまで十分に時間が流れたときにだけ、そこに住む人々は周囲の自然の風景の美しさに気づくのです。このような意味で、ある国や地域の美しい風景は、そこに住む人々とその地域の自然がゆっくりと長い時間をかけて織り上げた協働作品なのです。このような目から見ると、今の日本の風景が日ごとに貧相になりつつあることが気がかりです。
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  ハンガリーの作家・映画理論家ベラ・バラージュ(Bela Balazs/1884-1949)は、著書『視覚的人間(1922)』(佐々木基一、高村宏訳/岩波文庫)の中で「風景はどのようにして生まれるか」ということについて、次のように述べています。・・・どの土地の場所でも、それだけですでに風景だとはいえない。風景は一つの相貌であり、田園地方のある場所で、突然、判じ絵のこんがらかった線の中から出てきたかのように、我われを注視する顔である。定義はできないにせよ、(それは)はっきりした感情の表現を持ち、理解はしにくいにせよ(それは)明瞭な意味を持つ田園地方の顔である。その顔は、人間に対して深い感情関係をもっている。(それは)人間を思わせる顔である。自然の判じ絵の中からこの相貌を見つけ出し、枠でとりかこみ、強調すること、それが様式化を行う芸術の仕事である。カメラの視点、モチーフと照明の選択、あるいは人工照明は人間の仕事であり、自然に対するあの肝心要の主観的関係をつくり出すために客観的自然に介入することである。・・(途中略)・・・“自然の魂”は、予め与えられていて“わけなく”写真に撮ることのできるような代物ではない。昔の呪術的諸文化も、“自然の魂”をおそらく知っていた。我われにとって“自然の魂”とは常に自然の中に反映している“我われ自身の魂”を意味するだけである。この反映は、しかし芸術を通して行われる。キリスト教的中世の芸術は(このような)“自然の魂”を知らなかった(汎神論的な異端とされたサン・フランチェスコ派の例外があるが・・・)。それゆえ“自然の美”も知らなかった。自然は生命のない書き割りであり、人間の行為の背景と場所であった(に過ぎなかった)。ルネサンス人がはじめて自然に魂を吹き込み“死せる田園地方”から“生ける風景”を作った。周知のように、美以外のものを求めない“ツーリスト”として高山に登ることを思いついた最初の人間はペトラルカだった。・・・

  ピーターリム・デ・クローン監督(Pieter-Rim de Kroon/1955〜 )の実験的(野心的?)なドキュメンタリー映画『オランダの光』(試写会/映画テレビ技術協会撮影部会・主催)を鑑賞したとき(2003.3.15、於:富士写真フィルム本社ホール)、ベラ・バラージュのこの文章が脳裏に浮かびました。クローン監督は、オランダの産業・ドキュメンタリー映像界の才人で、優れたテレビコマーシャル、ドキュメンタリー映画などの制作で欧米の映像文化の世界では広く知られた存在です。内容は、レンブラント(この映画の中にレンブラントの絵は出てこない)・フェルメールライスダールなどからモンドリアンに至るオランダ絵画の歴史的流れと、アイセル湖畔(旧ザイデル海の一部)の同じ場所に一年間設置した映画撮影カメラ(35mmフィルム)のレンズに映る360度の四季のパノラマ風景を、94分間(これはドキュメンタリー映画としては珍しく長い)という映写時間の流れに沿って、様々な「光の観察」と「様々な人々の証言」でタピスリーのように織り上げた映画です。レンブラントフェルメールは制作手法も個性も異質な画家ですが“光の画家”という点では共通しているようです。そして、彼らだけでなく、ライスダールモンドリアンなど、その他のオランダの画家たちにも“共通するもの”こそが伝説の「オランダの光」ではないか、というのがクローン監督の仮説です。「オランダの光」という北ネーデルラント特有の光の存在が数世紀にわたって言い伝えられており、それを実証しようというのがクローン監督の狙いであるようです。
  しかし、ドイツの現代美術家ヨーゼフ・ボイス(Yoseph Beuys/1921-1986/デュッセルドルフを中心に活躍した彫刻家/その活躍は伝統芸術の枠組みを超えており、社会彫刻(一種のインスタレーション)、精神経済論や直接民主主義の提唱、緑の党への接近など、その活動は多岐に及ぶ)によると、「オランダの光」の特徴である、その“独特な透明さ”は、ザイデル海などの干拓事業によってオランダ全土に対する海水面の割合が縮小したため19世紀半ば以降には失われてしまい、今やオランダの特殊な視覚文化は終焉を迎えてしまったと主張していました。しかし、クローン監督は今でも「オランダの光」が存在することを実証したいのです。このため、この映画の中には様々な芸術家や科学者などを登場させて「オランダの光」が存在することを証言させます。科学者の説明では、やはりネーデルラントで(海)水面が占める割合の大きさ、大気中の水蒸気の量、それに北海方面から吹き寄せる風と雲の作用など、この地域の自然環境そのものがオランダ独特の“透明な光”を作っているようです。また、画家ゴッホがインスピレーションを受けた南仏プロヴァンスの光、ルネサンス絵画をもたらしたイタリアの光、ファナティックな情熱を感じさせるスペインの光、あるいは芸術家ジェームス・ターレルが30年以上の時間を費やして独創的な芸術作品「レッド・クレーター」(赤い火口)を創作した米国アリゾナの「砂漠の光」などと「オランダの光」の違いを際立たせようとします。クローン監督の「オランダの光」に対するこだわりは、デジタル撮影やビデオ撮影を排除しました。また、撮影用フィルムの選定にもそのこだわりが発揮され、世界各国のフィルムを試した結果、日本の富士フィルム社製のフィルムが選定されました。なお、クローン監督は、この映画について次のようなメッセージを寄せています。・・・(前部分略)・・・光は神秘的なもの。昔、16〜17世紀には、「神の光、神々しい光」という概念で捉えられた。しかし、近世・現代に近づくにつれ、この概念が薄れ「自然の光」をあるがままに評価するようになった。自分は作品の中で「光」の定義づけや説明は一切しない。「オランダの光」が何であるかは作品を鑑賞する各個人の判断、意見に任せたい。理論や理屈で分かるのではなく、感覚的に知覚することが重要と考えるから。「光」については今まで沢山の人たちが興味を持ち書いてきたが、いまだかつて『映像』として正面から捉えようとしたフィルムは存在しない。
 また、イギリスの美術史家ケネス・クラーク(Kenneth M. Clark/1903-83)は著書『風景画論』の中で次のようなことを述べています。・・・「風景」は人間が辿ってきた様々な自然観の段階を記(しる)す指標であり、中世から近代に至るヨーロッパの風景画の流れは「象徴としての風景」、「事実の風景」、「幻想の風景」、「理想の風景」の四つに分類できる。このような展開の中で、17世紀のオランダにおいて、漸く“ただ自然の風景そのものの表現”を目的とする風景画、つまり「事実の風景」が制作されるようになった。しかし、18世紀に入るとヴェルギリウス的(Vergilius/ローマ時代の黄金期を代表するBC1世紀の古代ローマの詩人/代表作『アエネーイス』)と呼ばれる古代の牧歌的な風景の中に神話上の人物たちが点在し、ジョルジョーネ(Giorgione/ca1477-1510/盛期ルネサンスヴェネチア派・大画家の一人)やプーサン(Nicolas Poussin/1594-1665/イタリアで活躍したフランス古典主義絵画の代表者)が代表する「理想の風景」が描かれ、また、フリードリヒ(Casper D. Friedrich/1774-1840/象徴的な意味を持つ風景画を描いたドイツ・ロマン派の代表的な画家)が代表する「幻想の風景」が描かれた。19世紀に入ると、再び"あるがままの自然の把握”としての風景画が描かれるようになりますが、その代表者はコンスタブル(John Constable/1776-1837/大陸の風景画家やロマン派に影響を与えたイギリスの風景画家)です。・・・ここで、ケネス・クラークが言いたいのは“結局、人間にとっての風景とは単なる客観的な存在ではなく、自然環境を見る人間の主観に大きく左右される性質なのだ”ということです。ある人間が周囲の自然環境を見るという行為そのものの中には、既に自分の心理状態が反映した、ある種の「仮想的な風景」(心象風景)を見ていることが含まれているのです。その「仮想的な風景」に影響を与える要素は何かというと、中世までのヨーロッパ・キリスト教社会では絶対的なカトリックの宗教的観念であり、ルネッサンスから17・18世紀に至る段階ではギリシア・ローマの古典的な知識です。また、19世紀から現代に至る時代のそれは、言うまでもなく近代の自然科学と啓蒙思想、そして民主主義と資本主義社会を発展させた政治・経済などの知識です。いずれにしても、この風景画の歴史で大きなエポック(曲がり角)となったのがイタリア・ルネッサンス期に再発見(BC1世紀に活躍した古代ローマの建築家ヴィトルヴィウス(Vitruviusu)の著書『建築十書』には線遠近法の記述がある)された「線遠近法」(透視図法)の理論です。

 しかし、ルネサンスが、このような意味で風景画のエポックであったとしても、この時代の“風景”は、未だに背景としての一つの絵画的な要素に止まっていました。ルネサンスで風景画が成立する条件となった「線遠近法」は、ブルネレスキが集大成し、マザッチオが、初めてこの技術を本格的に取り入れて“線遠近法的な構図”を描くことに成功したとされています。また、レオナルド・ダ・ヴィンチは有名な『モナリザ』の背景を描くために独創的なキアロスクーロ(明暗法)を使い神秘的な雰囲気が漂う“風景”を描きました。しかし、これらは、すべてが“独立した風景画”ではなく、あくまでも絵画の一要素だったのです。ところで、ドイツ語のLandschaft(陸地、ある地域の住民、国家などの意味/オランダ語でLandschap)という言葉を、初めて“風景”という意味の絵画用語として使ったのは15〜16世紀頃のネーデルラントの画家たちであったとされています。既に、1400年代のネーデルラント(オランダ、フランドル/ブルゴーニュ公国)のミニアチュア絵画(写本装飾画)には風景描写がしばしば現れていました。そして、17世紀のオランダでは、風景画が初めから独立したジャンルとして取り扱われていたのです。また、オランダの風景画は、イタリアの風景画などに比べると、明らかにケネス・クラークの分類で言うところの「事実の風景」であると言う点に特徴があります。詩的な情趣に富む風景画を描いたヴェネチア派の大画家、ジョルジョーネ(Giorgione/1478-1510)の有名な『嵐』(テンペスト/ca1505-1507/絵画の感覚的な魅力を初めて追求した作品であるため、時代を画する傑作とされている)にしても、未だそこには何か象徴的で意図的な理想化の臭いが立ち込めています。それにしても、ネーデルラントの風景画は、なぜこのように他の地域に先駆けた時代から「事実の風景」が描かれていたのでしょうか。そして、「オランダの光」はどのように意識されるようになったのでしょうか。(2004/04/03/News-Handler、初出)