toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

レンブラント『屠殺された牛』と民主主義のリアリズム

toxandoria2005-07-13


<注>レンブラント『屠殺された牛』の大きな画像は、お手数でも下記のHP記事(★)をクリックしてご覧ください。

★「レンブラントの眼、日記8/風車小屋の光と影/レンブラントの『精神のリアリズム』」
http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki8.htm
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●下の短い文章(・・・・・・・・・・〜・・・・・・・・・・)は、下記Blog記事(▲)に追記したものです。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050310

・・・・・・・・・・追記の始まり・・・・・・・・・・

  この短い論考から人間の「倫理」についての新たな視点が見えてくるように思われます。もし「ニューロンクラスターの発火モデル」やこの概念に近いと考えられる「関係子」(清水博)、「メディオン」(中村雄二郎)、「延長」(スピノザ)、「クオリア」などが人間の認知機能を十分に説明するものであるとするなら、例えば“どのような科学技術の進歩も容認してしまうための倫理”ではなく“人間社会のあるべき姿のための科学技術についての倫理”が考えられるはずです。また、同様に“当事者である二者間の取引上の正義を最重視する市場原理主義経済”ではなく“多数の第三者のための公正を重視する経済”が構想できるはずです。どうやら“人間は孤立して存在できない社会的な動物だ”というアリストテレス政治学』の古典的知見が、脳のはたらきに関する考え方の根本のために役立つようです。

  このような視点からすれば、あらゆる孤立した権力(政治権力、軍事力、警察力、経済力、アカデミズム、暴力的優位性、ジェンダー的優位性など)が、何故に倫理的観点を忘れ去り、やがて腐敗・堕落した状態に必ず堕ちてしまうのかが理解できます。そして、その原点に位置するものこそが「社会性を見失った脳のはたらき」ということです。しかし、希望はあります。それは、最先端の認知科学によると「関係子」、「メディオン」、「延長」、「クオリア」などの働きを通して新たなコミュニケーションの可能性を探ることが可能だいうことです。

  今の世界では引き続くテロに怯えるあまり“他の人を思い遣り、相手の立場でモノゴト考える”という精神環境が著しく傷つけられています。しかし、今こそ必要なのは心の温かさです。ただ、ここで注意すべきことがあります。それは、このような心の温かさをニューロンクラスターの発火を通して周辺へもたらすことができるのは、我われのような普通の人々だということです。あらゆる意味で追い詰められた立場にある「権力者やテロリスト」に“心の温かさ”を求めることは本末転倒です。普通の人々(一般市民)こそが“心の温かさ”を発信する主体であり続けなければならないのです。考えてもみてください、追い詰められて猜疑心の塊と化した権力者やテロリストが“心の温かさ”を先ず初めに持つことなどできるはずがありません。そのようなイニシアティブはバランス感覚を維持できる普通の人々の役割です。そして、これこそが「民主主義社会における異議申し立て」ということの一つのリアルな相貌であり、最も重要な“心の働かせ方”(民主主義のリアリズム)なのです。

・・・・・・・・・・追記の終わり・・・・・・・・・・

●このような普通の人々のリアリズム感覚に限りなく接近していたのが、ルーブル美術館が所蔵するレンブラントの『屠殺された牛』(The Slaughtered Oxe、1655)です。17世紀オランダの大画家レンブラントは、36歳の時(1642年)に妻サスキアを結核で失っており、サスキアとの間に生まれた愛息ティトウスの養育のために雇った家政婦ヘルティエ・ディルクスと愛人関係を持っていました。更に、新しく雇い入れたヘンドリッキエ・ストッフェルス(20歳前後で女中として雇われたヘンドリッキエは、レンブラントが残した多くの肖像画からやさしく純朴な女性であったことが想像される)との関係が生まれたため42歳(1648)の時に、レンブラントは愛人ヘルティエから婚約不履行の訴えを起こされています。このような訳で、ヘンドリッキエは事実上のレンブラントの妻でしたが、ヘンドリッキエとの正式の結婚は終生行われませんでした。それは、最初の妻サスキアの遺言により、もしレンブラントが再婚した場合には、サスキア(亡父はフリースラント地方のレーウワルデン市の市長や高裁判事を務めた名声の高い財産家)が残した全財産の用益権の半分が彼女の姉ティティア・ファン・ローに渡ることになっていたからです。

●また、レンブラントが46〜48歳(1652〜1654)の頃には「第一次英蘭戦争」が起こり、イギリスの護国卿クロムウエルが制定した「航海条例」(1651)がオランダの中継貿易にボディーブローのような打撃を与えたため、オランダ経済は衰退の一途を辿り始めていました。これと並行するかのように、この当時のレンブラントは、多額の借金未返済問題に悩まされ、彼が48歳の時(1654)には借金返済の目処が立たなくなり担保の書き換えを行っています。51歳の時(1657)には全財産を処分するための最初の競売が行われることとなり、自分自身の70点の油絵と財産としての美術品類が競売に付されました。翌年には家と家財道具が競売となりましたが評価の約1/3以下にしかならず負債の償却が不可能となります。そして、遂に54歳の時(1660)にはローゼンフラフト街(貧民街)の小さな家に移り住むことになります。

●製粉業者の子として生まれたレンブラントは、製粉で使う風車小屋の中で過ごす幼少時代を送りました。風力エネルギーを与えられた風車が回転するにつれて小さな窓を通り小屋に入ってくる外の光は、とめどなく明暗の様子を繰り返すため、幼いレンブラントの目には、まるで光と闇が戯れてでもいるかのように見えたに違いありません。それは、小屋の中に一瞬の明るさと深い闇を繰り返しもたらし続けるのです。この時、レンブラントの心は、光こそが自然の造物主であり現実(リアリティ)の創造者であることを学んでいた筈です。また、幼いレンブラントの心は、光が魔法のように創造する世界を、つまり室内に満ちた光と影が目くるめくように千変万化させる造形を捉えて再現する術を経験していたのかもしれません。このような幼少期の特別な体験が、後になってからレンブラントの神業ともされる明暗法をもたらしました。

●また、レンブラントの父ハルメン・ファン・レイン(製粉業者)はプロテスタントに改宗していましたが、母コルネリアはカトリックのままであったとされています。また、最近の研究では、レンブラントが少年時代に、その家族はライデン市を二分するレモンストラント派(ライデン大学アルミニウスに起源を持つ反カルバン主義神学を信奉する一派)と原理主義的なカルバン派の政争に巻きこまれています。この抗争では、オランダ総督マウリッツがカルバン派に与したためレモンストラント派は市の行政職から一掃されてしまいました。そして、レモンストラント派を信奉していたレンブラントの両親がその余波を受けたことは想像に難くありません。この辺の事情はレンブラントライデン大学中退と関係がありそうです。いずれにしても、レンブラントライデン大学を中退し画家への道を歩み始めた背景に、このような事情が絡むとすれば、レンブラントの芸術にはキリスト教の信仰に関する大きな矛盾と葛藤のようなものが存在したことが想像できます。このようにレンブラントの私生活、生い立ち、精神環境などを概観するだけでも、いかにレンブラントの生活環境が逆風に満ちていたかということが想像されるのです。

●ところで、このような人生の波乱の時期に書かれたにもかかわらず、レンブラントのリアリズムを代表する傑作とされるのがルーブル美術館所蔵の『屠殺された牛』(1655)です。この絵を絶賛するのが、ブルゴーニュ地方の都市ディジョン出身で、20世紀フランスを代表する美術史家とされるアンリ・フォション(Henri Focillon/1881-1943)です。彼は、名著『フォルムの素描家、レンブラント』(原章二・訳、彩流社・刊)で、この『屠殺された牛』について次のように書いています。

・・・レンブラントは、誰よりも注意深く存在を観察した。彼ほど断固たる手で世の事物に触れ、それを力強く掴んだ者は他にいない。解体されて町の肉屋にぶら下がる牛を描き、そこに物質の美と、仕事のなかに生まれる詩を、彼は見た。屠殺され、皮を剥がれ、逆さに吊るされたその牛は、まだ血を滴らせている。ずしりと重く、残酷に、いのちを失い、見事な、巨大な肉塊となり、臓物を抜き取られた腹をさらしている。毛をむかれ、切断され、むき身になったその牛は、ボッテル(17世紀オランダの動物画家)の牛よりずっと力強く造形的な生命に溢れている。・・・(途中略)・・・なにものも拒まず、人間と生命が展開する光景に深く心を動かされ、いたるところに愛情あふれる線を見出す観察力、それがレンブラントの偉大さの真の源泉だ。レンブラントに拠って曲芸と弁証法を楽しむことは、いくらでも可能だろう。そうするためにもっともな理由を見つけることは誰にでもできる。しかし、いま述べた源泉に、つねに立ち戻る必要がある。おそらく、その源泉に対して用いられるべき最良の言葉は「友愛」であろう。その「友愛」は、アニミズム的な愛である。なぜなら、レンブラントの愛は、霊魂(アニマ)を探し求め、対象を呼び覚ます愛だからだ。レンブラントのどの作品にも、人間の手の温かさが残っている。その手が動いて創造するのを、私たちは目撃する。ものに触れるその手の微妙な力、その指先から流れ出る線の強さ、私たちはそれに肌で触れる。と同時に、また。それは筆跡学でもあるだろう。ただし、レンブラントの手が描き出す記号(シーニュ)は、彼の秘密を解読させるがゆえに有意味なのではない。彼が生み出す記号は、彼が創造する人類の言語であり、人類の姿なのだ。・・・

●ここでフォションが詩的ともいえる言葉で見事に語るように、レンブラントの絵の本質は人類の存在に対する限りなく温かい「愛」にあるようです。私生活と時代環境の逆風にもかかわらず、決して打ちひしがれることがないレンブラントの天才の眼は、身近な人々から人類にまで及ぶ「愛」に満ちているのです。それは、「いたわりの愛情」と言ってもよいでしょう。それは、「イラク戦争」で私たちが見せつけられている“憎しみと憎悪”の狂気の視線がもたらすものと対極の世界です。奇しくも、「Slaughter」という言葉には「屠殺」と「虐殺」の両義があります。「イラク戦争」が続く限り、イラク全土でブッシュ政権が仕組んだジェノサイド・マシン(大量殺戮機械)は悲しくも、ゾットするような「虐殺」をもたらし続けています。しかし、レンブラントの『屠殺された牛』では、その迫真のリアリズムと裏腹に吊るされた牛の影から顔をのぞかせる人の姿がこの頃のレンブラントの「心の温もり」を感じさせます。