toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ、『市民政治』の再生を考える[3]

toxandoria2005-07-31


【画像】ジェリコーメデューズ号の筏
Gericault Theodore(1791-1824)The Raft of the“Medusa”1818-1819. Oil on canvas. 490 x 720 cm. Louvre Paris 、France
<注>この絵の大きな画像は、下記のURLをクリックしてください。
http://www.abcgallery.com/D/david/gericault4.html

(画像解説)

  フランス・ロマン主義絵画の先駆者の一人と見なされるジェリコーは、多様な方向への可能性を閃めかせた天才的画家ですが、惜しくも落馬事故で33歳の短い生涯を閉じています。ジェリコーが見せた天才的な輝きの中で見過ごせないのが、やがて来るべきリアリズム絵画時代への予兆です。ピエール・ゲラン(Pierre Guerin/1774-1833)らに学びダヴィッド的な新古典派の技法を身につけたジェリコーは、それに飽き足らずルーベンスレンブラントなどフランドル絵画の模写に励みます。

  また、1862年にイタリアへ旅行したジェリコーはイタリア・ルネッサンスの美の頂点に感銘し、ミケランジェロの作品模写を試みました。次に、ジェリコーは1820〜1821年にイギリスに渡り、ダービー競馬が行われるエプソム競馬場をテーマにした傑作『エプソムの競馬』(1821、http://www.abcgallery.com/D/david/gericault11.html)を描いています。 ジェリコーが29歳(1818−1819)の時に描いた絵画『メデューズ号の筏』は、アフリカのセネガルに向かう途中に難破した快速汽船ラ・メデューズ号の悲劇をリアルに描写した傑作です。

  この作品には美術史上で重要な二つの意義があります。その一つは、これが、ギュスタヴ・クールベ(Gustave Courbet/1819-1877)に代表されるフランス・リアリズム絵画の先駆けとなった作品であるということです。1816年7月2日に難破したメデューズ号の遭難者150人のために組まれた一隻の筏は、12日間の漂流の果てに小帆船アルガス号に救助されるのですが、その生存者はわずか15人だけでした。この12日間の漂流ではカリバニズム等のかなり非人間的な行為があったとされ、当時のフランス社会にスキャンダラスな話題を提供しました。ジェリコーは、世論を沸騰させたこの遭難事件をリアルに描くために生存者を訪ねることは素より、死体置き場で死人の実相を研究しました。呻吟したあげく、事件の再現のために彼が選んだ絵のテーマは、長い漂流の後に漸く発見したアルガス号の船影に狂喜する生存者たちの表情と荒波に大きく揺さぶられる筏をダイナミックに組み合わせた構図です。ここに、悲惨と狂喜が交差する人間ドラマのリアリズム絵画の傑作が誕生したのです。

  ジェリコーの絵画『メデューズ号の筏』が持つもう一つの重要な意味は、この絵が現代的な意味でのジャーナリズム的リアリズムの役割を初めて担ったものとなったということです。オペラの背景画家であったダゲール(L.J.M.Daguerre/1787-1851)が写真現像法の技術を完成したのが1837年であり、当時は未だ写真による報道などは考えられない時代でした。無論、従軍画家による戦闘風景などの再現描写は、かなり前の時代から行われていますが、権力側によるメディア・コントロールを持ち出すまでもなく、それらの絵に現代的な意味での報道ジャーナリズムの役割を期待することはできません。しかし、ジェリコーは、フランドル絵画(レンブラント)とイタリア・ルネサンス絵画(ミケランジェロ)の模写から学びとった“光とディゼーニョ”の技法を駆使して、現代的な意味でのジャーナリズム(事件にかかわるリアリズムの再現・報道・伝達)の真髄を見事に描ききったのです。

3 明治維新政府が幕府から引き継いだ累積債務とその処理(1)

  現時点における日本の国債等公的債務残高(利払込)は約850兆円であり、地方の公的債務を加えると優にそれは1,000兆円を突破するという恐るべき数字(http://www.mof.go.jp/gbb/1703.htmhttp://ueno.cool.ne.jp/gakuten/network/fin.html)になっています。このような日本の財政事情は、鎖国の眠りから覚めて以降約140年の近代日本史の中で顧みると、第二次世界大戦後の戦後恐慌時代の大混乱を除けば明治維新直後の時代に匹敵するほど大変な苦境に嵌っていることになります。必然的に、日本国債に対する国際的信用が低下しつつあります。

  ところで、明治維新政府は旧幕府・政府から幕末時点での多額の債務(対外債務含み)をそっくり引き継ぐことになり、特に維新後の約10年間は、その天文学的な規模の公的債務処理に艱難辛苦の努力を強いられることになりました。この深刻な財政難を建て直すため維新政府が取った政策の主柱は①日本全体への徴税権の確立、②税収の現金化(地租改正等)、③旧幕府から引き継いだ債務の処理、④旧士族等への秩禄処分、⑤殖産興業の五本です。そして、この努力の甲斐があり明治7年〜8年(1874〜1875)頃の財政収支は一応プライマリーバランスの黒字(債務の元利償還部分を除外した黒字)を達成しました。

  しかし、我われ一般市民(一般の日本国民)は、このプロセスとそれに続く明治期の財政史の中で「軍国主義ファシズム国家への誘惑」と面妖な「特別会計システム」という“現代日本の財政に関する相互補完的な二大病根が発症していた”ことに注目すべきです。特に、「特別会計システム」は、先に述べたとおり、今止め処なく増え続ける日本の国債等公的債務残高(利払込)の元凶(主な原因)となっており、将来への重圧となっています。そこで、この論考では「明治維新政府が幕府から引き継いだ累積債務額とその処理方法」に焦点を定めつつ根本的な問題の在り処を検証してみることにします。その手始めとして、明治維新政府が幕府から引き継いだ累積債務とその処理の概要を掬い上げてみます。

(幕末における江戸幕府の財政規模と公的債務額の推定)

(財政規模)

  江戸幕府の財政運営の特徴はいわゆる“丼勘定”に近いものであったうえ、分かり易い記録が入手困難なので「幕末資料集」(http://page.freett.com/sukechika/siryou.html)のデータを手掛かりに、やや強引な推計を試みることにします。それによると、江戸時代後期の幕府の収入(歳入)額は、およそ400万両ほどの規模です。一方、明治4年(1871年廃藩置県が行われた年)の「新貨条例」でアメリカの1ドル金貨に匹敵する価値として1円金貨が定められているので、この400万両はこの当時の円価で400万円程度の価値であったと考えられます。(なお、江戸時代後期の1両の価値は米1石に換算されている)

  徳川幕府の財政規模は全国諸大名のそれの約1/4と考えられるので、幕末期の日本全体の財政規模は約1,600万円(両、石)と推定されます。同じ「幕末資料集」の記述によると、勝海舟の著書『吹塵録』の中に天保13年(1842年、水野忠邦の「天保の改革」の開始は1841年から)における財政赤字額が約52万両(歳入が約92万両、歳出総額が約145万両)であったとの記録が残されているそうです。単純に計算すると実に歳出総額の約40%が赤字であったことが分かります。1716年からの「享保の改革」(享保元年〜延享2年)、1787年からの「寛政の改革」(天明7〜寛政5年)、1841年からの「天保の改革」(天保12〜14年)の改革努力にもかかわらず江戸幕府の財政は悪化を辿り幕末を迎えることになります。

  幕府の財政は、元禄期頃(17世紀初頭)から貨幣経済武家・町人の生活に浸透するとともに人々が奢侈を好むようになり、またそのような傾向が農村経済(自給自足)を破壊し始めるとともに悪化の一途を辿り始めます。つまり、この頃から幕府及び諸藩ともに財政支出の超過が著しく目立つようになった訳です。また、幕府財政の歳入調整手段では「貨幣改鋳による臨時収入」という麻薬を打つような“悪習”に取り憑かれていたことが特に目立ちます。因みに、天保13年における歳入総額(400万両)の約21%(84万両)は「貨幣改鋳益金」が占めています。このような“悪習に嵌った”ような感覚麻痺の現象は、財務官僚や政治家たちが国債増発に“鈍している感覚”と似ているかも知れません。

(公的債務額)

  維新元年における公的債務額の明確な数字を示す資料は未入手ですが、「明治維新期の財政と国債」(http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf)によると、維新政府が引き継いだ旧藩の累積債務額は約1.1億円なので、維新政府が幕府本体から引き継いだ累積債務額は少なくとも0.3億円程度ではないかと思われます。(財政規模の割合から推計)結局、明治維新元年頃の日本の公的債務累計額の規模は、きわめて大雑把な話になりますが当時の時価で1.4億円程度であったと推計できます。

  同資料「明治維新期の財政と国債」によると、明治元年頃の歳出合計は約0.31億円です。この歳出額を基準にすると、明治維新期の公的債務累計額の規模はその約4.5倍となります(1.4/0.31=4.5)。現在の日本における公的債務累計額と一般会計歳出額(公的債務累計額=約1,000兆円、一般会計歳出額=約85兆円)について同じ倍率を見ると11.76倍となり、いかに現代日本の財政規律がハチャメチャなものであるかが分かります。また、現代日本の財政事情は、驚くべきことに、野放図の極みにに嵌っていた幕末の大混乱を引き継いだ明治維新政府の時代よりも深刻な状態であることが理解できるはずです。このように見ると、小泉政権下のこの4年間で約200兆円もの公的債務(国債等)が増発されたことの責任(意味)は重大です。
 
・・・・この後は「シリーズ、『市民政治』の再生を考える[4]」へ続く・・・・

(参考)当シリーズ[3]以降で参照する主な資料、URL

松浦武志著『特別会計への道案内-387兆円のカラクリ-』(創芸出版)
石井紘基著『だれも知らない日本の裏帳簿』(道出版
特殊法人監視機構
http://www.nomuralaw.com/tokushu/
特別会計
http://www.mis.ne.jp/~yosh/nakusukai/page294.html
財務省HP、財政制度等審議会
http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/top.htm
財務省HP、予算・決算
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/syukei.htm
財政制度の改革について(財政改革委員会)
http://www.jimin.jp/jimin/saishin97/gyoukaku-11-2.html
財政投融資(金融用語辞典)
http://www.findai.com/yogo/0070.htm
日本銀行金融研究所
http://www.imes.boj.or.jp/
大森徹『明治初期の財政構造改革・累積債務処理とその影響』(ディスカッションペーパー・シリーズ、日本銀行金融研究所)
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/fjdps2001_index.html
明治維新期の財政と国債
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf