toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

詭弁の“小泉H.C.ポルノ劇場”を監視するために必要な「アーキビスト問題」の視点


映倫審査ではありませんが、教育環境などの観点から“過剰なポルノ”や“過剰な暴力の表現”に対してはある程度の抑制力を働かせる必要があると思います。


特に、近年の異常で陰惨な事件を例に挙げるまでもなく青少年に対する悪い面での影響力の大きさが懸念されます。


冗談抜きにして、現在の“小泉H.C.ポルノ劇場”と化した「日本の政治環境」が青少年たちへ与える悪影響を考えると暗澹たる気持ちになります。


このような観点から見ても、現在の“小泉H.C.ポルノ劇場”の異常ぶりは問題だと思っています。誰か忘れましたが、外国のある経済学者が「小泉=竹中コンビが信奉する市場原理主義が、まだ今のところは文部省へ大きな影響を与えていないようなので救いがある」と言っていたことが思い出されます。


まして、今や狂乱の極みに入り「猥褻罪」にすら該当するのではないかと思われる、おぞましくも腐臭ふんぷんたる“小泉H.C.ポルノ劇場”を監視・牽制するために忘れてはならない重要な視点があります。それは「アーキビスト問題」の観点です。


イラク戦争・開戦で大量破壊兵器という口実を捏造した”ブッシュ政権でも、「現実」を無視・歪曲したり、「事実」を改竄したり、論点を意図的にずらして情報操作するような意志(作為的なポピュリズム政治を煽る意志)が常に強く働いているようです。


一時、この観点については「アーキビスト問題」としてマスコミで注目されたこともありますが、コトの性質があまりにも地味なため、いつの間にか話題性がなく消えてしまいました。


しかし、民主主義国家の主権者である市民サイドから政治権力を監視し、その暴走を牽制するための非常に重要な問題点であり、そのための永遠の課題であり続けることだと思っております。


かつて、この問題について連載記事『アーカイブの役割とは何か?(1)〜(5)』(Blog)にしたことがありますので、特に関係が強いと思われる部分だけをB/Nとして転載(下記)しておきます。


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[情報の評価]アーカイブの役割とは何か?(4)(B/N)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050309


[3]−2現代社会におけるアーカイブの役割
(ガバナンス正統(当)性維持の意味)


 ところで、8世紀後半頃になると北部フランス(フランク王国の一地方)で一般の人々が使う言葉は、もはやラテン語とは言えず古フランス語と呼ばれる言葉の段階まで変化していたと考えられています。このような時代に書かれた古フランス語で書かれた最古の文献とされる『ストラスブールの誓約書/Sermets de Strasbourg』(842年)が残っています。ストラスブールドイツ国境(シュバルツバルトの森)に近いフランス東部・アルザス地方の古都です。それはカール大帝の孫たちが領土を争ったときの出来事ですが、統一国家を主張する長兄ロタールに対して分割統治を主張する二人の弟たち、つまりルードヴィヒとシャルルは兄に対抗するため同盟を結び、842年2月14日にストラスブールで誓約書を作成しました。


 それが『ストラスブールの誓約書』と呼ばれる古文書(大変に古い公文書)ですが、その文書の内容はルードヴィヒとシャルルが同じ文章を古ドイツ語と古フランス語で交互に述べ合いながら誓約した形となっています。そして、この誓約を交わした後、東フランク(ドイツ側)と西フランク(フランス側)双方の軍指揮官が、交代で相手側の軍勢が理解できる言葉で誓約書を読み上げました。つまり、ルードヴィヒ(東フランク)側の指揮官は古フランス語で、シャルル(西フランク)側の指揮官は古ドイツ語で読み上げたわけです。この古文書『ストラスブールの誓約書』から教えられる重要な点が三つあります。一つは、8〜9世紀頃のフランク王国では、王族等の支配層の人々(恐らく彼らはバイリンガル以上の言語能力が求められた)は別として一般の民衆が古フランス語圏と古ドイツ語圏の領域でそれぞれ生活する棲み分けがかなり進んでいたと考えられることです。因みに、9世紀〜14世紀頃までのフランス語は古フランス語、14世紀後半〜1600年頃までのフランス語は中期フランス語と呼ばれます。


 およそ8〜9世紀頃に成立したと考えられる古フランス語は、ロアール川を境として、その北側の地方では「ハイ」のことを「oui」(ウイ)と言い、同じことをロアール川の南側の地方では「oc」(オック)と発音したため、ロアール川以北の方言は「オイユ語」(Langue d’ouel(オイユ)/ouelは後のoiu(ウイ))、ロアール川以南の方言は「オック語」(Langue d’oc)と呼ばれてきました。現在、フランス語の方言としての「オック語」は南フランスのラング・ドック地方(カルカソンヌ、ナルボンヌ、モンペリエニームなど)を中心に残っています。一方、ほぼカロリング期に重なる750年頃〜1050年頃の東フランクの住民を中心に使われていたドイツ語は古高ドイツ語、1050年頃〜1350年頃までのドイツ語は中高ドイツ語と呼ばれます。


 もう一つはカール大帝の時代から始まっていたことですが、カロリング朝フランク王国で最も重視された行政の仕事が「文書局」(cancellaria)と呼ばれる部門でした。そして、既にルードヴィヒ1世の時代にはフランク王国の行政文書の形が高度に洗練され「カロリング王文書形式」と呼ばれる正統な形が整っていたのです。ここに見られるのはヨーロッパの行政が中世初期の揺籃時代から、外交・戦争などの約束事を記録文書化し、それらの行政文書(公文書)を厳重に保管・管理するという意味での「文書中心主義」による国家統治の考え方が根付いていたのです。


 それは、ゲルマン民族の「特徴的な分割相続」の伝統ゆえに際限のない領土争いが引き続いたことも原因になっていると考えられますが、いずれにせよ、国家統治(国家のガバナンス)の正統(当)性が、このような意味での「文書主義の原則」によって裏打ちされていた訳であり、その原点は、カール大帝アルクインに命じて、トウールに学校付設の「書字施設」を開設して写本のコピーを制作させたことに始まっているのです。そして、カール大帝の「文書局」は、フランク国王のガバナンスの正統(当)性を記した行政文書(公文書)を作成・保管する、つまり“現用・非現用の行政文書全体”を視野に入れて管理する権限が付与されたアーカイヴであったのです。


 驚くべきことに、このような視点は、近・現代におけるアーカイブの最先端を行くフランス、アメリカ、韓国などのアーカイブ制度の理念(根本精神)を先取りしています。そして、このような観点から見る限り、残念ながら我が日本のアーカイブに関する理解は、遥か1,000年以上も前のフランク王国のレベルにも達していないというお粗末さです。それどころか、省庁再編時の大蔵省のようにチャンスと隙さえあれば為政者(政治・行政)側にとって都合が悪い公文書はできる限り消し去って、当初から存在しなかったことにしようという意図が見え見えで、まことに忌むべき政治・行政サイドの低劣な意識ばかりが目立ちます。


 アーカイブに関する、このように貧困なわが国の現状を改善するために必要なのが「アーキビスト倫理綱領」と「文書基本法」の制定ということです。これは前回(1/3)にも述べたことですが、我が日本のアーカイブ制度は致命的ともいえる欠陥を抱えているが故に、これらの基本法の整備が提言されているのです。つまり、現代日本の「公文書館法」及び「国立公文書館法」には、約200年以上も前にフランスで創設された「フランス国立中央文書館」が謳う巨視的な歴史観と文化観が決定的に欠落しているのです。


 従って、現用(現在の行政業務で利用中)の文書の管理までを視野に入れた、別に言えば記録のライフサイクル全体を広く見渡すという観点で「文書管理」を徹底するためには、アメリカ、フランス、韓国などの先進的な文書管理制度を是非とも見習うべきで、これらの観点を取り入れた、アーカイブのあり方についての法整備が必要なのです。


 因みに、国際資料研究所(http://djiarchiv.exblog.jp/)では、以下のとおり二つの法整備案を提言しています。


アーキビスト倫理綱領(案)http://www.archivists.com/ica_moral.html


●文書基本法(案)http://dji2.exblog.jp/


 古文書『ストラスブールの誓約書』が示唆する三つ目の論点は、認識論における「エクリチュール」の問題です。エクリチュール(ecriture)とは“人間が書くという表現活動、生きた人間が残す生命の軌跡、書かれた文字や記号”というような哲学的・認識論的なフィールドの用語です。我われ一人ひとりの人間、地域社会あるいは国家でも同じことですが、もしエクリチュールの働きと助けがなければ一人の人間の死とともに、そのような人間、地域社会、国家などの存在は時間の経過とともに忽ち人々の記憶から消滅し、あるいはデフォルト(無かったことに)されてしまいます。そして、恐るべきことに数年も経たぬうちに、そのような人間、地域社会、国家あるいは様々な出来事は始めから存在すらしなかったことにされてしまう恐れさえあるのです。


 それどころか、直近の認知心理学等(数学者ロジャー・ペンローズらの新しい理論/下記・注、参照)の分野の研究では、エクリチュールと「人間の意識」の関係が注目(エクリチュールの働きがなければ“意識”は生まれない?)され始めているのです。余談ですが、このようなことと関連するのが古来から伝わる地方の市町村名や地名の問題です。


 中部国際空港セントレア)の開港に因んで合併後の新市名候補を「南セントレア市」と決めたことで批判を浴びた愛知県美浜町南知多町で、2月27日に合併の是非を問う住民投票と新市名を決めるアンケートが行われました。 その結果、住民投票では2町とも合併反対が上回り、合併そのものが白紙に戻ってしまいました。また、流石に「南セントレア市」の命名に対しては全国からも批判の声が届いており、結局、この合併が実現しなかったことに胸をなで下ろした人々が多かったと思われます。市町村名や街の通りの名前など、いわゆる昔からの地名を軽々に変えるべきでないことは、古文書『ストラスブールの誓約書』が示唆する三つ目の論点にかかわることです。


<注>Rojer�Penrose:(1931〜 /イギリスの数学者・理論物理学者、ケンブリッジ大学教授)


・・・ペンローズは宇宙の構造に関して、一般相対性理論量子力学を統一した「Twister仮説」を提唱している。認知心理学人工知能研究等の先端領域では、「Twister仮説」の“脳神経内で形成される抽象的なベクトル空間への応用可能性”が注目されている。このベクトル空間で出現するグラフ的な表象(身体全体の所与条件が一定の重み付けで分配されて生成される多次元関数的な分散表象の軌跡)こそがニューロン(脳神経細胞)内部のエクリチュールと定義できる可能性がある。


 従って、いつの時代でも、自らのガバナンス正統(当)性を誇示する意志と身勝手な政権維持の意図(少しでも長く政権を維持して歴史に名を残すとともに甘い汁を吸い続けたいという、自己中心的な野望と欲望)のために、政治権力者たちは、このエクリチュールの操作(公文書、歴史資料などの廃棄・消去)の可能性に目を凝らしているのです。そこでは、「現実の出来事と事実の消去」だけでなく、政治権力者による積極的な「偽証の創作」(証拠のデッチあげ/イラク戦争を始める口実とされた“大量破壊兵器存在の問題”など、事例の枚挙には困らない)さえ行われます。しかし、このような政治権力者による意図的な「エクリチュールの操作」は、主権在民現代社会に生きる我われ一般国民の人間としての尊厳に対する冒涜であり、最も悪質な犯罪行為だと断言できます。このような訳で、アーカイブの問題は実に致命的ともいえる一般国(市民)への人件侵害に直結する問題でもあるのです。


 また、政治権力者自らが属する国家の管理体制そのものにとっても、絶えず、このような意味で歴史的現実が消去されるままに放置することは、長い目で見た場合は「国家的なリスク管理」の脆弱さという自己矛盾的な問題を抱えていることにもなるのです。なぜなら、リスク管理についての最重要な論点(公理)は「間違いを犯さぬ人間はいない」と「リスク恒常性」の二点だからです。前者についての説明は不要だと思います。


 後者の意味は「先端科学技術など人間の英知をどれだけ引き出し、それを活用・駆使・改善したとしても、これで万全というレベルには永遠に到達できない」という厳然たる現実を直視し、この現実に対し謙虚になるべきだということです。このような国家的リスク管理についての緻密な配慮からアーカイブ(文書局)を整備・充実させたという意味で、先に述べたカール大帝の慧眼には恐るべきものが感じられます。


 映画『スタ-ウオーズ、エピソ-ド2』の中に「銀河系公文書館」のエピソードがあります。ジエダイの騎士が、ある星の存在についての証拠を求めて「銀河系公文書館」を訪ねますが、そこのアーキビストは次のように返答します。・・・この公文書館に証拠記録(データ)がないということは、その星は最初からこの銀河系には存在しなかったということです・・・ところが、ジエダイの騎士がおおよそ目星をつけた場所へ行ってみると、なんと、その星はシッカリ存在していたのです。ここで描写されているのは、政治権力によって操られる道具と化した「銀河系公文書館」の憐れな姿です。


 このエピソードから連想されるのは、逆説的な意味合いとなりますが、昨年の国会で小泉首相が使った・・・大量破壊兵器が存在しなかったからといって、フセイン大統領が存在しなかったことにはならない・・・という詭弁です。これは無関係な言説どおしを強引に結びつけて一見意味ありげな表現を装ってみせる常套的な詭弁の手法で詐欺師の論法であり、人を欺くための小細工的テクニックです。このような小泉首相の詭弁を弄する言動から臭い立つのは、“自分にとって不都合な証拠は強権的に消去し、もともと存在しなかったことにしてしまいたい”という奢れる権力者の傲慢な意志です。


 このような政治手法がまかり通るようでは、今の日本が先進民主主義国家の一員だとはとても言えません。公文書館の根本が主権在民という民主主義の原則と関連することを理解できるようにするため一般国民の意識改革と「アーキビスト倫理綱領」及び「文書基本法」の整備を急がぬ限り、日本のアーカイブ制度は、いずれ映画『スタ-ウオーズ、エピソ-ド2』の「銀河系公文書館」のような悲惨な役割を担わされる懸念があります。


 また、2004.5.12付の朝日新聞(記事、海外文化/国際資料研究所代表、小川千代子氏)によると、突然、ブッシュ大統領アメリカ合衆国アーキビストを交代させると発表したため、米国アーキビスト協会(SAA/Society  of  American�Archivists/http://www.archivists.org/)、図書館、歴史家などの九つの諸団体が懸念を表明して公聴会を要求する騒ぎになりました。


 合衆国アーキビストという役職は、国立公文書館を擁する国立公文書館記録管理庁(NARA/National Archives and Records Administration /http://www.archives.gov/)のトップのことです。NARAの仕事は、合衆国連邦政府の公式な記録を包括的に管理し、その公式の歴史資料を後世のアメリカ国民に伝えるという重要な役割を担っています。�従って、そのトップの交代人事は慎重に行われるべきと考えられており、その交代の必要性がある場合には関連団体と事前に十分な打ち合わせを行うことが慣例となっていました。ところが、ブッシュ大統領は、この慣例を一方的に破り、突然の人事交代を通告したのです。その後のこの騒動の決着については詳細な報道がなかったようなので詳しく承知していません。しかし、間接的な情報によると流石のブッシュ大統領も、この問題については引き下がったようです(参照、http://blog.goo.ne.jp/remb/e/8df7044f4a9998df3057abd11c9c4775)。