toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

シリーズ、『市民政治』の再生を考える[6]

toxandoria2005-08-30

【画像】クールベ『オルナンの埋葬』


Gustave Courbet(1819-1877) A Burial at Ornans 1849-1850  
Oil on canvas 314 x 663 cm Musee d'Orsay、 Paris

<注>この絵の大きな画像は、下記のURLをクリックしてご覧ください。
http://www.ibiblio.org/wm/paint/auth/courbet/ornans.jpg

(画像解説)

  近代フランス絵画における「写実主義絵画」の創始者とされるクールベはオルナン(スイスとの国境に近いフランシュ=コンテ地方の小さな町で、ドウー県の県都ブザンソンに近い)で生まれています。法律家の旧家であった母方の影響で、初めは法律家を志しパリへ出ますが、やがて画業に転じました。1840年代(20歳代)のクールベは、ルーブル美術館へ足しげく通って16〜17世紀のヴェネチア派絵画、レンブラント、ルーべンスなどオランダとスペインの巨匠たちの絵を精力的に模写しています。クールベは、このオルナンの町をこよなく愛しており、自ら“オルナンの画家”と名乗っていました。クールベが青少年期を生きた時代は、「七月革命」(1830)と「二月革命」(1848)の動乱期にあたり、その人生における円熟期はルイ・ナポレオン第二帝政(1852-70)期とほぼ重なっています。また、1871年の「パリコミューン」(一時的に成立した、労働者による革命政権)では、この運動に関係したため一時投獄されています。

  この頃のフランス政治の特徴を一言でいえば、「第二共和制」(1848-1852)以降は名目上だけの議会制となり、実質はブルジョワジー・労働者・農民層のパワー・オブ・バランスの上にルイ・ナポレオン(ナポレオン1世の弟の子)が皇帝として君臨したナポレオン3世の第二帝政期に重なります。一方、社会・経済的な側面から見ると、凡そこの時期は繊維工業部門から始まったフランスの産業革命が本格化しつつあった時代です。このため、資本主義経済(産業革命)の先進国イギリスと同じように劣悪な環境条件下での婦人・年少者らの過酷な労働や貧富差の拡大などの深刻な問題が広く意識されるようになった時でもあります。(この頃の日本は、困窮した幕藩財政に対処するための水野忠邦の「天保の改革」(1841-1843)が失敗し、それ以降、幕藩体制が急速に崩壊へ向かい始める時代にあたります)

  このような時代背景の中から、従来の絵画(新古典主義、ロマン派など)が古典・古代の神話や歴史上の一場面などを画家自身が恰も見てきたようにリアルに(抽象化や極端なデフォルメなどを排して)描くのに対し、目の前の現実をリアルに描写するクールベ、ミレー(Jean Francois Millet/1814-1875)、ドーミエ(Honore Daumier/1807-1879)、コローら(J. B. Corot/1796-1875)の「写実主義絵画」が芽生えてきます。当時の社会環境を考えれば、この新しいタイプの“画家の眼”は「資本主義経済が高度化した時代」に特有な精神の賜物であることのようです。つまり、その眼は、すべての人々が実際に見えるようにリアルに描くだけでなく、同時に、その画家の描く「絵のモチーフ」が、決して想像上のものではなく目前の現実的な題材を描くようになっていたのです。

  これがフランス「写実主義絵画」の重要な意義です。特に、クールベはこの手法で新古典主義やロマン派が得意とした大画面の絵画へ果敢に挑戦しました。考えてみれば自然を忠実に模倣することが技術的にとてつもなく困難なことだとは思われません。しかし、それにもかかわらずルネサンス期以前の中世の絵画は自然の模写から距離を置いたものであったことが良く知られています。その絵画の多くは中世カトリック教会の権威的な世界観(イデオロギー)の影響下にあり、およそ1千年に及ぶ長い間、西洋絵画では純粋に思弁的なコンポジション(閉鎖的な精神環境の内側で飛翔・拡大したコンポジション)で描くことが当然とされてきたのです。このように考えると、案外、人間は“現実をありのままにリアルに直視すること”が本来は不得手な動物であるのかも知れません。

  クールベの画期的な絵画『オルナンの埋葬』は縦3.14m、横6.63mの大作です。それは、クールベの生まれ故郷オルナンで行われたある埋葬のため墓地に参集したブルジョワジーたちの仕草と表情をリアルな群像描写として描いたものです。この絵は一種の「群集肖像画」とみなすこともできるので、恐らくレンブラントの『夜警』などの影響を受けているのではないかと思われます。この絵が画期的だとされるのは次のようなことによるものです。それまでの大作絵画は「歴史画」が普通であり、そこで描かれたのは聖者・聖女・英雄などの理想化された美しい姿と表情です。が、『オルナンの埋葬』で描かれているのは、オルナンのありきたりの普通の住人たちであり、しかもその表情は一切の理想化がほどこされておらず、どちらかといえばリアルゆえに醜いものとさえ見えます。

  しかも、クールベはこの絵に『オルナンにおけるある埋葬の“歴史画”』という皮肉な題をつけてサロンに出品したのです。これは、明らかにクールベがサロンへ突きつけた挑戦状の意味を持っていたのです。このため、サロンを支える伝統的な人々は、クールベの芸術は絵画のジャンルに対する冒涜であり共和主義や社会主義の過剰な政治的マニフェストであると受け取ったのです。しかし、このような「写実主義の精神」(クールベ流のリアリズム)こそが、いささかでも監視の眼を怠ると常に暴走の恐れがある資本主義経済や傲慢な政治権力に対する大きな批判力となり得ることを我われ現代人に理解させてくれたのです。やがて、このような“クールベ流の新しい精神”(持続的に、そして怯むことなく社会の真実(ヴェリテ)を凝視できる批判の眼(視線))はポジティブな意味での近代科学技術の落とし子である“写真ジャーナリズム”の誕生に繋がることになります。

5 国会中心財政主義と特別会計(1)

アカウンタビリティと国会中心財政主義)
 
  民主主義国家の国民に対する最大の責務を一つだけに絞るとすれば、それはアカウンタビリティ(Accountability/説明責任)です。また、国家財政に関するアカウンタビリティを保証するのが「国会中心財政主義」(総計予算主義/すべての予算を一般会計に計上して一般会計に一覧性の性質を保持させること)の概念です。周知のとおり、日本国憲法と同じように連合国軍の占領下で起草された「ドイツ憲法」(通称、ボン憲法/正称、ドイツ連邦共和国憲法)には「日本国憲法」と根本的に異なる性質があります。それは、初めから“ドイツ憲法の授権規範性”ということがドイツの政治権力者たち自身によって明確に意識され、かつ国民一般に対してもこの点が十分に周知徹底されてきたということです。そして、この「ドイツ憲法」には、授権規範性の一つの現われとして。「私法への逃避」(Flucht in das Privatrecht/いわゆる“民営化”)を制限するという根本的な考え方が備わっています。なぜなら、国家が行うべき重要な行政活動を安易に私法形態で行うことになると、憲法が規定するドイツの国家としての根本的なあり方が変質してしまう恐れがあるからです。

  このような事情から、ドイツ憲法は国家財政が「国会中心財政主義」(総計予算主義)に徹することを明確に規定しており、「特別会計」の設置も原則として認めていません。このため、ドイツ国有鉄道と郵政事業は特別に必要性が高い「特別会計」(国営事業)として、憲法が規定する「国会中心財政主義」(総計予算主義)の法律効果が及ぶ範囲での特別法措置に基づいて設置されていました。なぜなら、これ以上に「特別会計」の枠が増えると「一般会計の一覧性の性質」が機能しなくなり、憲法違反の疑義が生じてくるからです。また、このドイツ国有鉄道と郵政事業が民営化された時(1980年代、日本の旧三公社(日本国有鉄道、日本電電公社日本専売公社)が民営化された頃とほぼ同じ時期)には、「ドイツ憲法」が改正された上で民営化条項が挿入されています。つまり、ドイツでは、国有鉄道や郵政事業のような非常に大規模な国営事業が安易に「私法への逃避」(民営化)を認めることは憲法違反になると考えられているのです。そして、このように相矛盾する方向(国営事業化(特別会計化)と民営化)で一種の綱引き現象が生じたにもかかわらず、「ドイツ憲法」に対する国民の信頼は揺るがなかったのです。なぜなら、ドイツ国民は、政府が「憲法の授権規範性」下にあるからこそアカウンタビリティの義務を果たすことができるのだということを理解しているからです。

(日本で巨大な特別会計が誕生した背景)

  ところで、現代憲法が成立するまでのルーツとプロセスを共有(明治憲法は主にプロイセン・ドイツ憲法を手本として成立し、日本国憲法は米英法の影響を受けつつ明治憲法の改訂の形式を採っている/詳しくはBlog記事「『改憲論』に潜むナチズムの病巣」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050519を参照)しながら、なぜ日本の一般社会では「憲法の授権規範性」に関する意識が明瞭でないのでしょうか。法曹界にかかわる専門家は別として、恐らく、それは日本人一般が「普遍性の概念」に関して希薄な意識しか持っていないからではないかと思われます。別に言えば、現代の日本人は未だに自分自身の中に「ユニヴァーサル(世界)意識」を持つことができていないということです。更に言えば、現代の日本人は、世界共通の普遍的なものの認識、人間はたとえどんな人間であったとしても、この世界に同じ人間は二人とはいないという一回性の意識というか、そのような意味での「強靭な個性と人間性」(アイデンティティ)を相互に尊重するという考え方に立って、政治・経済・社会の諸々の動きや制度を批判することが苦手なのです。このような観点で見ると、現代の日本人の意識が未だに「江戸・藩幕政治時代の鎖国の眠り」の中を浮遊していることが分かります。つまり、多くの日本人は、「新自由主義」(市場原理主義)、「民営化」など一見セレブなネーミングの「新しい形の植民地主義」が襲来しつつあることと、その本性(貪欲な残忍性)の恐ろしさに気がついていないのです。

  どうやら日本国民は、世界の人類が「平和」、「国際法」、「基本的人権」、「生存権社会権」、「主権在民」、「自由・平等」などの普遍的価値観を自らのものとするため、どれだけ多くの苦難と人的な犠牲(戦争・殺戮・抑圧など暴政と蛮行による流血・搾取・抑圧などの被害)を積み重ねて蒙ってきたかという歴史体験について“深刻な理解”が身についていないようです。最近、与党政府(小泉政権)が「郵政民営化法案」の国民一般への啓蒙の(支持を得る)ために「B層国民(IQが低い層?)をターゲットとする戦略プロジェクト」という「日本国民の基本的人権」を蹂躙するような広報戦略に密かに取り組んでいたことが明るみに出た(http://tetsu-chan.com/05-0622yuusei_rijikai2.pdfの資料を参照)にもかかわらず、殆んどのマスメディアも国民も“そのコトの重大さ”(憲法違反の疑義があること)に殆んど気づいていないようです。この事例は、まさに日本政府と日本国民の双方が「憲法の授権規範性」を殆んど認識していないということを示す象徴的な出来事です。従って、そこでは政府に対して厳しくアカウンタビリティを要求する国民の姿もなく、日本政府自身にもアカウンタビリティを率先すべきだという“危機意識”(民主主義崩壊の危機!)がありません。もし、この出来事がドイツであったならば、ナチズム(ヒトラー政権)の再来だと非難を受けたことでしょう。ともかくも、このような、ある意味で呑気な「政府と国民の伝統的なもたれ合いの姿勢」の中から「巨大化した特別会計」という財政のモンスターが誕生したのです。(特別会計の具体的な歴史は次章へ譲ることになります)

・・この後は「シリーズ、『市民政治』の再生を考える[7]」へ続く・・

(参考)当シリーズ[4]以降で参照する主な資料、URL

松浦武志著『特別会計への道案内-387兆円のカラクリ-』(創芸出版)
石井紘基著『だれも知らない日本の裏帳簿』(道出版
特殊法人監視機構
http://www.nomuralaw.com/tokushu/
特別会計
http://www.mis.ne.jp/~yosh/nakusukai/page294.html
財務省HP、財政制度等審議会
http://www.mof.go.jp/singikai/zaiseseido/top.htm
財務省HP、予算・決算
http://www.mof.go.jp/jouhou/syukei/syukei.htm
財政制度の改革について(財政改革委員会)
http://www.jimin.jp/jimin/saishin97/gyoukaku-11-2.html
財政投融資(金融用語辞典)
http://www.findai.com/yogo/0070.htm
日本銀行金融研究所
http://www.imes.boj.or.jp/
大森徹『明治初期の財政構造改革・累積債務処理とその影響』(ディスカッションペーパー・シリーズ、日本銀行金融研究所)
http://www.imes.boj.or.jp/japanese/jdps/fjdps2001_index.html
明治維新期の財政と国債
http://www.nri.co.jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050108.pdf