toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

日本が取り憑かれた「ワグナー型劇場政治」の病理学(試論)


<注>この小論(試論)の内容は、あくまでも筆者toxandoriaの妄想(妄想的人格障害?)がもたらしたものであることをお断りしておきます。まあ、強いて言うならば、閑居する空(うつ)け者が語る“夢、まぼろし”のようなものです。


  日本の現代社会が見失っているもの、それは正しい意味での「論理」、「感性」、「倫理」の三つの価値観です。 今、我われの目前には『小泉リフォーム詐欺劇場』(または、小泉H.C.ポルノ劇場)に激しく心身を撹乱され、約7割の無辜の日本国民が『総選挙』を直近に控えながら正気を失っているという悲劇的状況があります(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050827ほか)。その上、この“異常な傾向”を日本の構造改革の好機だと錯覚する(あるいは利己的な心情から勝ち組を自覚する?)エグゼブティブ層が存在しており、そのような認識を煽る旗振り役を殆んどの“正統ジャーナリズム”(新聞、テレビ)が率先するという、まさに常軌を逸した現象が起こっています。そこで、このような異常な社会傾向が何によって促進されているのかを観察してみます。特に恐るべきことは、政治権力者・御用学者などの世界で蔓延る「倫理観の崩壊現象」が、政府の広報機関と化し、決定的に批判力を失ったジャーナリズム(マスメディア)を介して社会の隅々まで浸透しつつあることです。


【観察1】マクロ経済に関する「誤謬の罠」の存在(利己的な「御用学者の怠慢」とネオコン一派の「陰謀の可能性」)


  Blog記事「[暴政]『郵政焦点・総選挙』(付“飾り窓の女”)で何を隠蔽するのか?」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050901)で書いたとおり、今、日本政府は「国家ガバナンス」に関して三つの異常な方向(下記A〜C)への傾斜を強めつつあります。しかし、健全な国家ガバナンスの観点からすると、このような方向へ強く傾斜することは、日本のデフレ傾向がここ10数年以上にわたり続いてきたことを考慮すると、明らかな誤りだと考えられます。それは、「総需要と総供給量」の評価に関するマクロ経済的な誤解です。敢えて結論だけを言えば、それはマクロ的な定量観測にかかわる絶対数値(絶対値の伸び率の比較)と相対数値(伸び率の速度次元での比較)に関する「誤謬の罠」に嵌っているということです。この仮説的な考え方が成り立つとすれば、このような誤謬と混乱を放置しているのは経済の専門家の責任だということになります。それは、政府の審議会や学会で利己的な心情から勝ち組を自覚する御用学者たちが蔓延ってしまったことの弊害かもしれません。(この点の詳細は機会があれば、稿を改めて纏めます)ともかくも、このような理論的・論理的な観点からすると、現在の日本政府は、「郵政民営化」などにかまけている暇はないはずなのです。

  また、このような「誤謬の罠」に嵌った日本政府を後押しするのがブッシュ大統領の後ろ盾となっているネオコン&ぺイリオコン一派(彼らの祖先たちがヨーロッパを逃れて大陸に到達した時以来の古い伝統的な保守主義の立場/都会派のインテリで極左から転向したネオコンとは対照的な存在で、彼らの支持基盤は中西部と南部の保守層/Peleo-conservatismの略称、詳しくは次のBlog記事『亡国の『小泉リフォーム詐欺劇場』を後押しする者は誰か?(2/2)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050820/p2を参照)の勢力です。驚くべきことですが、「2001.9.11N.Y同時多発テロ」や「2005.7.ロンドン地下鉄テロ」の直前に国際市場における株式や国際通貨・ポンドの大規模な空売りhttp://www.manabow.com/qa/karauri.html、参照)が行われた形跡があるのです(メール・マガジン『国際評論家・小野寺光一の「政治経済の真実」』http://blog.mag2.com/m/log/0000154606/106349162?page=1を参照)。また、最近のことですがネット上の某アルカイダ・サイトがCIAのでっちあげであったことが明るみに出ています(国際政治経済学者・浜田和幸氏、日刊ゲンダイ、2005.9.2記事)。同紙によると、これらの点と線を繋ぐ存在として投資会社「Potmac Capital」」(President:Papa-Bush、http://www.ariannaonline.com/forums/showpost.php?p=366851&postcount=10)の影が見え隠れしているそうです。


  ともかくも、政治権力の中枢に接近した御用学者が努めるべき本来の役割(仕事)は、ネオコン&ぺイリオコン一派のような国外の陰謀勢力と安易に手を結び国民一般を誑(たぶら)かそうとすることではありません(これでは、いわゆる売国奴の仕事!)。その思想的な内容の評価は置くとしても、例えば当時の東アジアにおける覇権国家・中国(中華大国)の政治・文化の支配を脱した、本格的な独立国家・日本に相応しい思想である古文字学派(古学派の一派)を打ちたてようとした伊藤仁斎(1627-1705/江戸時代初期の古学派の儒学者)や荻生徂徠(1666-1728/江戸時代中期の古学派の儒学者)らのような業績を残すことが御用学者のあるべき姿です。たとえ、その結果が後の近代日本におけるナショナリズムの火種の一つとなったとはいえ、彼らの精神環境にあったものは独立国・日本の国家益への熱い情熱であったはずです。そこには、ネオコン&ぺイリオコン一派に魂を売り払った現代の御用学者T.H.氏のような日本の真の国益に対する無頓着で貧相な精神環境とはまったく異質な何かがあったはずです。


(A)誤ったマクロ経済の視点(市場原理主義、民営化原理主義などへの異常な傾斜)


(B)冗長な公的部門への具体策の放置(巨額の財政赤字を増殖させる特別会計&隠れ借金の放置)


(C)日本国民の生存権を弱体化することへの傾斜(福祉・医療の切捨てで、政府に対する国民の信用を消滅させる愚策)


【観察2】ジャーナリズムの政府広報機関化(個人的精神環境を国家次元で劇場化することの危険性)


  一部の週刊誌などで騒がれ始めている「政治のポルノ劇場化」(政治の性事化?あるいは性事改革?)という異常な現在の社会状況・・・、これは見方しだいですが、きわめて深層心理学的な、あるいは精神病理学的な問題と繋がっていることが推測されます。アメリカ精神医学会(APA)の『精神障害の診断・統計マニュアル』(http://namiki.cside.com/DSM-sindan.htm)によると、人格障害に関する診断基準(DSM)というものがあります。一例を挙げると下記・参考資料(★)のようなものです。これを見ているとコリャ自分のことでないか、と不気味な思いにとらわれ、冷や汗が出てきます。しかし、よく考えてみれば、我われ一人ひとりの人間は、これらのいずれかの要因を持っているのが当たり前であり、どれか一つが他よりより強く現れた場合、もしくは幾つかの要因が重なり合った場合に、それらが個々の人々の強い個性ということになるのかもしれません。


  そして、この種のテーマの取り扱いに関しては、特にマスコミ(新聞、テレビなどの正統ジャーナリズム)の自覚と責任が重大だと思われます。新聞の社会面やテレビのワイドショーを賑わすようなおぞましい事件の多くは、不幸にして、これらの問題が過激な形で濃縮されてしまったのだと見做すことができるでしょう。しかも、宿命的なマスコミの機能の一つとして見過ごすことができないのは、報道のあり方や番組や紙面づくりの考え方しだいで、この種のパーソナル(個人的)で特異な(きわめて個人的で特異な)精神環境が恰も社会全体のセンセーショナルな風潮やファッションであるかのようにアジテーションができるということです。その結果、一般国民は大きな被害を蒙ることになります。ここまで来てしまえば、そのマスコミは単なる悪意の虜となったメディア・コントロールの道具です。それは本来的な意味でのジャーナリズム精神(批判力)の放棄です。厄介なことに、それに加えてサラリーマン化したジャーナリストという問題が加わります。それが、テレビの場合は視聴率至上主義のような一種の病理現象となるのです。結局、何らかの特異な方向へ傾斜した個人的精神環境が社会全体にまで拡大され、それが日本全体の進路を決定するということに対する防波堤の役割をマスコミが率先して放棄したことになります。従って、今、ここで早急に取り戻さなければならないのは「本来のジャーナリズム」としての「感性」と「倫理」です。


  これは想像の域を出ないことですが、軍需産業と結びついたネオコン&ぺイリオコン一派の覇権を志向するパワーには底知れぬもの(新しいタイプの帝国主義、または植民地主義?)があるようです。従って、彼らの配下のエージェント機関が日本の政治権力者たちの個人的性向などを徹底的に調べ上げた上で、何らかの影響力を行使する可能性は大きいと思われます。しかし、いかなる悪意に満ちた陰謀組織であっても、日本の民主主義制度の機能(国制選挙、議会制度、司法など)に直接的・物理的な影響(例えば選挙妨害など)を及ぼすことは殆んどできないはずです。だからこそ、政治情勢や中央省庁等に関する中立的情報の提供を担うマスメディアの責任が重大になるのです。一般国民に対して政治情勢などに関する判断の材料となる公正な評価と多様な選択肢を提供するのもマスメディアの重要な仕事です。たとえ、国外からの陰謀の影が忍び寄ったとしても、それを逸早くキャッチして公開情報として一般国民へ提供することもマスメディアの仕事です。更に言うなら、海外のメディア情報(日本の政治状況に関する海外メディアの報道内容など)を迅速に国民一般へ知らせることもマスメディアの大切な仕事です。


  しかし、2005年 8月31日付の仏紙ルモンドが、国際面のトップで東京特派員による日本政治の特集記事を掲載して、小泉純一郎首相について「彼は「戦略家というより策士だ」と辛らつに批評したこと、また、ルモンド紙が、郵政改革関連法案に反対した議員の選挙区に「刺客」を送り込むやり方は日本の政治風土になかったことで、「郵政法案の否決は、今の景気回復を除いて大きな成果がない小泉首相に対する国民の嫌気の表れなのに首相はこれを自民党内の造反議員のせいだとして国民に新たな白紙委任状を求めている」と厳しい見方を示したこと、また、2005年8月29日付のフィナンシャル・タイムズの社説も在日米軍の再編問題や対中関係などの外交問題を積極的に取り上げない小泉首相の政治姿勢を厳しく批判したなどのニュースは、知る限りにおいて、一般の新聞やテレビでは報道されておらず、ネット・ニュースとして流れているだけです。このような訳で、現在の日本のマスメディアは、中立公正を維持するというバランス感覚を殆んど失っています。


[まとめ] 


  以上のような誤謬に満ちた国家ガバナンスの方向へ日本のエグゼプティブやジャーナリズムがのめり込む根本には、一般の日本国民の心の奥深くに沈潜してしまった一つのドグマ(原理主義の罠)の存在ということがあります。それは、日本の人口減少傾向社会をひたすら悲観的に捉えるというドグマです。我われは、先ず、このドグマを疑うことから始めるべきです。たとえ人口減少社会へ向かいつつあるとしても、上で挙げた(A)のマクロ経済の視点について発想を変えるだけで、我われは新しい展望が見えてくるはずです。要は、勝ち組・負け組みを煽りながら一部の大金持ちと多くの貧乏人を量産するという、恰も日本全体を「奴隷工房化」(対米隷属的)するような“貧困な国づくりの発想”を捨て去ることです。正しい意味でのマクロ経済政策が推進できるならば、人口が少ないなりに日本国民のすべてが豊かになる経済政策へ方向を転換することは可能なはずです。そのための支援策を理論的に構築するのは「学者」の仕事であり、その具体化のための戦略プロジェクトを講ずるのが「政治」と「官」の仕事です。このようにして、方向付けを確かなものにした上で十分に内部経済(民間の経済活動)の加速度を高めながら国民一人ひとりの付加価値を高めることができれば、結果的に国家としての競争力をレベルアップすることも可能だと考えるべきです。誤解を恐れず端的に言ってしまえば、それは分配面において弱者へも十分に目配りをしながら少数精鋭の国づくりをするということです。国民一般を二者択一式のフレーズで誑(たぶら)かし、その一方で顔色を窺いつつ「増税と福祉・医療の切り捨て」(大きな激痛を与える可能性)で恫喝するのは堅気の政治家がやるべきことではありません。それはマフィアかギャングの仕事です。そして、具体的にはオランダ・ベルギー・デンマーク・スエーデン型のようなモデルを想定することが可能です。


  このような訳で、今の日本政府が押し進めようとする“偽善に満ちた小さな政府政策”(実際は益々大きな政府へ向かっているにもかかわらず、建て前上、見かけ上だけ小さな政府であるかのように擬装して国民一般を欺く政策/つまり、アメリカ・ブッシュ政権が推し進める新自由主義政策)は、明らかに間違っています。大切なのは、「大きな政府」か「小さな政府」かをドグマに囚われるまま“二項対立・選択式”に絶叫して、無理やり国民に痛みを押し付けて弱者再生産・弱者量産のシステムをつくることではなく、国民すべての「信頼」(国家に対する信用)の上に立ちつつ「モデラートな政府」の理想(中庸な政府のあり方)を追求することです。朝日新聞の記事(2005.9.3付)によると、小泉首相の唯一の盟友を自負するY.T.氏が“今の小泉劇場では、首相がワグナーを聴きながら考えているんです、この秘密を知るのは私だけです”と自慢げに語っていたそうです。しかし、“W.F. ワグナーを聴きながら自分だけの趣味(法悦と狂喜)の世界に浸る”ことは勝手ですが、我われ一般国民を“個人的な趣味の世界”の中まで強制的に恫喝して連れ込むのだけはやめて欲しいと思っています。これでは、まさにヒトラーの『わが闘争』ではありませんか?


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(参考資料)アメリカ精神医学会(APA)の『精神障害の診断・統計マニュアル』DSMより、一部分を抜粋


演技性人格障害(Histronic personality)


全般的に,依存的で服従的な行動パターンで,成人期早期に始まり,種々の状況で明らかになる。以下のうち少なくとも5つで示される。


①日常の殆ど全ての重要な決定を他人にしてもらう。例:何処に住むか、どんな仕事を持つかなど配偶者に決めてもらう。
②日常のことを決めるにも、他の人達から有余るほどの助言と保証がなければ出来ない。
③他人が間違っていると思っている時でさえも、拒絶されることを恐れて、その人に同意する。
④自分自身で計画を実行し始めたり、物事を行なうことが困難である。
⑤他人が自分を好いてくれるためには、不愉快なことや、品位を落すことでも進んで行なう。
⑥1人になると不安や無力感を感じる。または1人になるのを避けるために手段をつくす。
⑦親しい人間関係が崩れた時、荒れ果てた、または救いようのない気持ちになる。
⑧しばしば見捨てられる恐怖にとらわれる。
⑨批判や是認されないことで傷つきやすい。


妄想性人格障害(Paranoid personality)


全般的な疑いの深さの傾向が成人期早期までに始まり種々の状況で明らかになり、人々の行為や出来事を故意に自分をけなしたり脅かすものと不当に解釈する。それは以下のうち、少なくとも4項目によって示される。
①十分な根拠も無いのに、他人によって利用されたり、危害を受けると予期している。
②友人とか仲間の誠実さや信頼に対し、道理にあわぬ疑問を抱く。
③悪意のない言葉や出来事の中に、自分をけなし脅かす意味が隠されていると読む。(例:隣人がゴミを朝早く出すのは自分を困らせるためではないかと、疑う)
④悪意を抱き、または侮辱や軽蔑されたことを許さない。
⑤情報が自分に対して振りにもちいられるという恐れの為に、他人に秘密を打ち明けたがらない。
⑥動かされやすく、怒りを持って反応したり反撃したりする。
⑦配偶者または性的伴侶の貞節に対する道理に合わぬ疑い。


自己愛性人格障害(Narcissistic personality)


A.自己の重要さ又はユニークさをおおげさに感じること(例:業績や才能の誇張、自己の問題の特殊性の強調)
B.再現のない成功、権力、才気、美貌、あるいは理想的なあいの空想に夢中になること
C.自己宣伝癖(例:絶えず人の注意と称賛を求める)
D.批判、他者の無関心、あるいは挫折に際しての反応がそ知らぬふりであるか、憤激、劣等感、羞恥心、屈辱感、または、空虚感といった目立った感情である
E.以下のうち少なくとも2項目が対人関係における障害の特徴である。
①権利の主張:それに見合っただけの責任を負わずに、特別の行為を期待すること、(例:望むことを人がしてくれないと言って驚き、怒る)
②対人関係における利己性:
 ・自己の欲求にふけるため、又は自己の権力の拡大の為に他者を利用する。
 ・他者の自己保全や権利をないがしろにする。
③対人関係で、過剰な理想化と過小評価との両極端を揺れ動く特徴を持つ。
④共感の欠如:他者がどう感じてっている人の苦悩を感じ取れない)いるかわからない。(例:重症の病気にかかっている人の苦悩を感じ取れない)