toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

マスコミのヨイショ報道と『コイズミたん、萌え!』の街角風景

連日の「大マスコミのヨイショ報道」が、このような「やるせない日常の街角風景」をつくりあげています。

■やるせない日常の街角風景1 =コイズミたん、萌え!の現場

[本物の小泉首相を一目見たくて、三人の中年女性が転倒してケガ]

新聞報道などによると、北九州市小倉北区京町のJR小倉駅前(高架の歩道&広場)で、9月3日午後4時半ごろに起きた事故。小泉首相の演説を聴くため歩道橋のエスカレーターに乗っていた女性3人が転倒して足を切るなどの怪我をして病院へ搬送された。

その現場周辺には、街頭での応援演説を前に公示後最高の人手という約1万3,000人がつめかけており、小泉首相の演説は予定通りに行われた。近くの商店街も大勢の人々でごったがえしており、やはり5人の女性が気分が悪いなどと訴えたので救急車で病院へ運ばれた。

■やるせない日常の街角風景2 =ある悩める市民の投稿から

[某Blog記事へのコメント](Posted、2005年09月04日、07:27 )

ふつうのオジサン、オバサンたちは『とにかくコイズミさんは改革・カイカクと言うだけなので分かり易い・・・』という意見が圧倒的です。

しかし、彼らは、実際に何を理解して“分かり易いと思っているのか・・・”については、無頓着というか殆んど関心がないのです。

そのことについて、少しでもこだわろうとするとイヤな顔をされるので、すぐ別の話へ移ってしまいます。

こだわり過ぎた場合は、下手するとこちらがその場で村八分にされるか、一生、変人扱いされそうな雰囲気になります。

日常生活では、いつも、このように変な悩み(?)を持ちながら生きています。

でも、悩みながらも生きていけるだけ、未だましかなと思っています・・・しょっぴかれて、牢にぶち込まれるよりは・・・。