toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「国家理念」及び「温かさと緻密さの眼差し」が欠落する小泉劇場政治


[「政治の役割」の逆回転を思わせる二つの場面]


  ほぼ時期を同じくして、ドイツの総選挙に関する貴重な情報を入手し、一方で、高齢者福祉についてあまり嬉しくない体験をしました。前者は筆者のブログに対する「無用の人」様からのコメントで教えて頂いたものです。また、後者はたまたま自分の高齢の親を老人福祉関連施設へ入所させるためのプロセス(手続き・相談・交渉)で体験したものです(残念ながら、未だ入所までは漕ぎ着けていませんが・・・)。これらの内容を下にまとめてみます。


(前者=ドイツでの一場面/ドイツ総選挙に関するテレビ中継/LIVEの記録)


・・・以下は『Blog、toxandoriaの日記、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050921』に対する「無用の人」様のコメントの転載・・・


『ドイツ総選挙のテレビ中継を見ていました


劣勢を伝えられた、シュローダー率いる、社民党の善戦がつたえられと、彼は、支持者、多数のカメラ、ジャーナリストの前に登場し、スピーチを始める (「新自由主義」を唱える政党が挑戦者の日本と逆の形の選挙)


「私は、誇りに思います、この国の人々を、民主主義の伝統を、そして、メディア操作に惑わされなかった人々を、、、」


Ich bin stolz auf Menschen in diesem Lande, unsere demokratische Tradition, und die Leute,
die von der Manipulation der Medien nicht ersch・tert wurden...


「メディア操作に惑わされなかった人々を。。」の部分を演説したときやんやの喝采を受ける、
このコメントが「ライブ」のためテレビ中継されたのです。


その後、アメリカ系のCNNニュースをみる 演説のこの部分は、


I am very proud of the people of this country,、、、


つまり、英語に翻訳されたのは、「私は、この国の人々を 誇りに思います、」、だけ


つまり、編集されていました

その後のスタジオ内の党首会談で、司会者のジャーナリストから、会談のはじめ「この件について」噛み付かれていた


シュローダーは天井を向いてとぼけていました


この辺は日本では、まるで報道されなかったと思います』


・・・以下は「無用の人」様からのコメント(追伸)の転載・・・


『テレビ放送時間は、現地時間、九月十八日夜、9時ぐらい、
(日本時間 19日朝4時ぐらい)
放送局名、ZDF
CNNは、CNN Europe 9時20分ぐらい、


この(独英翻訳)は、シュロダーの演説を、はじめは、「1対1」でに同時訳していたのが、
上で言及した部分で、きゅうに「誇りに思います。。」で終わって、現場中継終わりで、スタジオにリターン、


私は、ドイツの政治を常に、ワッチしているわけでありません、銀行の従業員に過ぎません、人生の半分ぐらい?海外暮らしです(あきてます)、


新聞を読み、「Die Zeit」をたまにかって読むぐらいです、
シュロダーは、けちつけたけども、ドイツのジャーナリズム、リストの「質」は、高い、


いま、スイスに住んでますけど、ドイツへの国境は、一跨ぎです』


(後者=日本での一場面/老人介護保険施設への入所交渉で実感した、福祉現場への市場原理主義導入の恐ろしさ/自分の体験)



『ここ数ヶ月にわたり、要介護の高齢の親に施設に入所してもらうための活動を続けています。申し込みのためニ十数ヶ所の施設を訪問(公的機関は申し込みや入所の調整は一切タッチしないことになっていますので・・・)しましたが、いずれも数百人(500〜700人)の待機者がおり気が遠くなるような順番待ち状態です。


ごく簡単に言うと、高齢者を長期間受け入れる典型的な施設は「A老人介護保険施設」と「B特別養護老人ホーム」です。Aは、原則三ヶ月を目安に自宅復帰のためのリハビリを行う施設で、後者は一生涯生活を送る施設です。このため、Aは病院と同じ医療機関の位置づけであり、介護・福祉関係職員のほかに常勤の医師、看護士、作業療法士理学療法士などが適宜配置されており、一般の病院に近い医療設備を備えるところもあります。


しかし、要介護高齢者の受け入れ施設が大幅に不足しているため現実的にはAとBの境界が曖昧となっています。


ところで、この10月から入所費用が改訂され(市場原理主義の考え方が導入され)大幅に値上がりすることを事前に聞かされていましたが、今回、「A老人介護保険施設」の料金体系が具体的に明らかになり驚かされました。以前から、A(復帰前提のリハビリ入所)とB(生涯入所)の料金に施設整備の条件から、かなり違いがあることは理解していました。しかし、驚いたのは今回の料金改定にあたっての厚生労働省から各施設に出されていた「通達の内容」です。


(原本を見た訳ではなく)某施設の方からの又聞きですが、・・・それは。“各施設の経営が成り立つように地域の諸条件なども勘案しつつ恰も入所希望者を不動産仲介業者を訪ねて来る一般賃貸アパートの申し込み客と同じように考えて、個々の入所申込者とシビアに交渉して部屋代を自由に決めるように”ということのようなのです。つまり、この結果として入所者の支払い能力に応じた異なる入所料金が生まれる訳です。だからと言って低収入者の部屋代を安くしてくれるわけではなく、条件が折り合わなければ入所できなくなるのです。福祉施設の職員は自らを腕扱きのセールスマンに“構造改革すべきだ”(変身すべき)ということなのでしょう。


無論、介護保険法の改訂に基づく「長期入所利用者月額負担金」については、「保険料段階1〜4(年金等収入による区分)」に応じた入所者の個人負担金が約5〜12万円(この範囲の金額自体は改訂前とあまり変わっていない)の範囲で設定されています。が、これは、あくまでも外部向けの建て前であり、国からの所定の補助金総額に対する入所者個人負担の上限を定めたことに過ぎないのです。


当然ながら医療機関であるため設置資金が相対的に大きくなるAの入所費用は高いものとなります。従って、その「長期入所利用者月額負担金」との差額が、個々の施設で入所者との自由交渉で決まる部屋代ということになります。そして、その部屋代の大きさは、およそ9〜14万円程度(この幅は日照条件などの居室条件による差額として発生します)です。


つまり、4〜7万円程度の最低限の年金収入しかない入所者でも、Aの場合は最低14万円(個人負担金5万円+部屋代9万円)の月額入所料が払えないと入所できないことになるのです。結果的に、Aの場合の月額入所料金は凡そ14〜26万円程度ということになります(このプロセスの計算は複雑なので省きます)。これは改訂される前の月額入所料金(Aの場合は凡そ8万円〜12万円程度)に比べると、凡そ6〜14万円の値上がりということになります。


恐らく、Bの場合は、良心的にギリギリの経営をしている施設では個人負担が約5〜12万円の幅位で済むことになりますが、今後の新増設では個室しか認可されない(既施設は二人部屋、四人部屋がある)ことに定められており、経営の遣り方次第では(経営者が少しでも利益を上げよう、早く資金を回収しようと思えば)Aとあまり相違がない高額の入所料を要求されることになるでしょう。今、第一線の老人介護福祉施設の現場で起こっていることは、事実上、高収入の入所希望者が最優先されるということ、つまり、これは市場原理主義が高齢者福祉の現場を侵食し始めたということなのです。


これが実際の市民生活の中で、我われ一般国民の身近な所で起こりつつある現実なのです。恐らく、既入所者で低収入の方々については、ご本人が亡くなるまでの累計差額分を各施設が被ることになるでしょう。この点では。各施設も新制度による被害者の立場に立たされています。どうやら、国(厚生労働省)のホンネは要介護高齢者は早く亡くなって欲しいということのようです。なんと冷徹なコト!!


上っ面のマスメディアの報道や学者等の机上の空論では、今まさに、このような温かみのない、というよりも冷徹な市場原理主義に基づく福祉政策が、この10月から要介護高齢者の身に厳しい仕打ちとしてのし掛かろうとしていることなどは理解できないし、実感もできないはずです。身内に該当者が発生したり、自分がその目に遭って初めて体験的に知ることになります。


今までの良心的な福祉施設の経営を維持しようとする各施設の経営者や関連施設の従業員の方々は大変に心を痛めている様子です。これら福祉の現場で献身的に働く人たちには何の咎もありません。根本は、やはり国の福祉に関する確固たる政治理念が不在だということ、その冷たさにあるのだと思います。また、現場(各施設)の仕事に対する理解と緻密な配慮が不足していることです。


「官から民へ!」の小泉流ドグマが、如何に大きな精神的苦痛と経済的な痛みを一般国民へ、特に、殆んど異議申し立てができない立場にある弱者たちを襲いつつあるかを実感(体験)して、今更ながら驚いています。』


[本当に日本は「官から民へ」原理主義で大丈夫なのか?]


  一般に民間の優れた経営者の感覚からすれば「市場原理」そのものは冷たくも温かくもないものです。彼らは、それを経済関連の概念の一つとして当然のことだと理解しているはずです。問題は、その「市場原理」を如何に活用するかが経営者の力量であり手腕だということです。目的が市場原理ではなく、あくまでも市場原理は手段であるはずです。そして、“俺は非情だ!”を理念とする冷徹一筋の経営者がいるとすれば、それは手段を選ばず目的を遂げようとする詐欺師と大同小異です。しかし、恐らく小泉首相を筆頭とする与党政府の偉い政治家や高級官僚の先生方(特に小泉チルドレンと呼ばれる派閥に属するセレブな方々)は、もともと自分が働く現場から所得を得るという現実的なビジネス経験が乏しいように見受けます(実業家ではなく、ルイヴィトンがとてもお似合いな先物相場のアナリストや御用学者等、いわゆる虚業家の人材は大勢揃っているようですが・・・)。


  だから、小泉首相に従って「官から民へ!」の呪文(またはお経)さえ唱えていれば、いずれ税収が増えるだろう位の甘い現実認識しか持てないのです。つまり、今回の総選挙で全権を白紙委任されたのだから、強権的に徴税強化す(酷税を国民へ押し付け)るだけだという訳です。実は、自分たちが国民の血と汗の結晶である税金で喰わせてもらっている“本当は弱者の立場”であることを忘れているのです。ただ、権力が彼らを酔わせているだけです。その意味で、彼らは、いわば「一種の特異な認知症患者」(或いはメタボリック・シンドロウム/Metabolic Syndrome/新陳代謝シンドローム/異常な隠れ肥満をもたらす代謝異常・・・一歩誤ると異質なものを徹底的に排除するファシズム的体質(過度の偏食と偏執的嗜好による隠れ肥満状態)に変わる危険性が高い特異体質)のような存在です。喩えれば、あわれな雌鳥をこっ酷く痛めつけ、あるいは絞め殺そうとしながら、同時に、その雌鳥にイキがよい元気な卵を産ませようとするクレイジーな人のようなものです。


[日本とドイツで「政治の役割」が逆回転しつつあることの意味]


  日本政府が、今、 押し進めようとする“偽善に満ちた小さな政府政策”(1000兆円を超える財政赤字の増加傾向を放置したまま益々大きな政府へ向かっているにもかかわらず、建て前上と見かけ上だけ小さな政府であるかのように擬装して国民を欺く政策)は、明らかに間違っています。重要なのは「小さな政府」と「官から民へ!」のドグマに囚われるまま「富の偏在的な蓄積」(大企業優遇など)を煽ったり、貧富の差の二極拡大を強引に推し進めたりして強引に国民へ痛みを押し付けることではなく、できるかぎり多くの国民の「信頼」(信用)を集めながら「モデラートな政府」のあり方を追求しつつ国民一人ひとりの活力を引き出す手助けをすることです。このためにこそ優秀な学者や専門家の知恵を借りるべきです。


  “偽善に満ちた小さな政府政策”の一つを見るとすれば、例えば財投機関への資金供給ルートが断たれたはずの2001年度以降も郵貯簡保の資金が、「財投債」という新たな「国債」の発行で「官へ還流する仕組み」が残されているという現実があります。しかも、これは「財投債引き受け義務制度」に関する権限を持つ政府と財務省(旧大蔵省)が決定したことなのです。かくして「財投債」に依存した特殊法人等の非効率な経営が温存され「大きな政府が膨張する傾向」(財政赤字の拡大傾向)にストップがかからないのです。つまり、明らかにこの決定の責任は政府自身にあるにもかかわらず、政府はその責任が郵政事業にあるとして責任を押し付け、これを郵政民営化を進める強力な口実の一つとして使ったのです。(この点に関する詳細は下記記事(★)を参照)


★醍醐聰・東大教授「小さな政府論検証シリーズ(2)」
日刊ベリタ、2005年09月01日掲載)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200509011602234


★[民主主義の危機]シリーズ、『市民政治』の再生を考える[号外]
(Blog、toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050813


  いずれにせよ、このような“偽善に満ちた小さな政府政策”は今回の総選挙で「衆議院議席の2/3以上」を占める形で国民から信任されたことになってしまいました。これで日本は絶対多数の与党体制による政治の安定期に入ったと歓迎する向きが多いように見えます。しかし、果たしてそうでしょうか? むしろ、日本では、絶対多数による政治の暴走の危機が生まれる一方で、国民の生存権市場原理主義によって脅かされることへの国民の危機意識と恐怖感のマグマが目に見えない形で渦巻き始めているようです。一方では、ますますアメリカ型の市場原理主義政策へ向かう歯車の回転に拍車がかかることになりそうです。先に見た要介護高齢者関連施設の現場だけに限らず、混合診療制度による医療現場への市場競争原理導入によって、今度は、国民の生命(医療行為)そのものが商品化される恐れが大きくなっており、「国民皆保険の原則」(国民の生存権を支える根本原理の一つ)の存続も危ぶまれる事態となっています。


  一方、ドイツの総選挙の様子を見ると、外見上は日本より混沌とした不安定な状況のように見えますが、内実は全く異なります。ドイツでは、基本的に比例代表議席を配分することに特徴(それに小選挙区優位(超過議席を認める)と比例議席配分の計算方法が小党に有利な方式を採用する比例代表小選挙区併用性)があるため、規模の大小を問わず獲得票数に応じて議席数が配分されます。このため、今回のように僅差で第1位になった野党キリスト教民主・社会同盟(CDU、CSU)と与党社会民主党SPD)の二大政党による睨みあい状態が生まれているのです。どちらかというとアメリカ型の市場原理主義へ軸足を傾けるかに見えるキリスト教民主・社会同盟と社会民主党がほぼ同数の獲得票で対峙していますが、国民の大多数は共通基盤として「社会福祉国家」の理念を支持しています。従って、どちら側のアクセント(色合い)が強くなったとしても、日本のようにアメリカ型の市場原理主義の方向へ向かって国の政策が加速することはありません。このような意味で、ドイツの国家理念の歯車は日本と正反対の方向へ向かって回転しているのです。このようなドイツの状況は、かつて「拡大EU憲法」にノンの意思表示(市場原理主義への傾斜を警戒して)を示したフランス国民が垣間見せてくれた、絶妙なバランス感覚の発露に似ていると思われます。


 また。今回の日本の総選挙では、周知のとおり、「小泉劇場」と呼ばれるブッシュ政権張りのプレゼンテーション重視戦略にテレビ・新聞等のメディアが巻き込まれて、「竹中・B層戦略プロジェクト」を持ち出すまでもなく殆んどの主要メディアが政府の広報機関と化してしまい、対政府の批判機能が殆んど麻痺状態となっていました。その光景はあまりにも異様なものでした。また、これは前の記事でも書いたのですが、1990年代の初め頃に小沢一郎が現在の「比例代表並立小選挙区制」の導入を画策したとき、“小泉氏はこの根本的な欠陥(僅か誤差の範囲の獲得票の違いで議席数が大幅に動いてしまうという欠陥)に気がついていたグループの筆頭に立ち反対運動を展開していたらしい”こと、また、結局は“今回の総選挙でも公明党選挙協力(1小選挙区あたり平均約2万票で合計すると数百万票に及ぶという試算もある)が自民党の獲得票を底上げしたらしい”ことなどを考え合わせると、元々の「欠陥選挙システム」に加えて、『権力の魔力に取り憑かれただけの政治家』と『政党の役割を無視した政治屋仲間の裏談合』という「決定的な政治倫理の崩壊」の上で、何も知らぬ善良な日本国民が踊らされ続けてきたのだという、情けなくも恐るべき「日本の民主主義の実像」が浮かび上がって来るのです。


  更に驚くべき情報が漏れ始めています。日本経済新聞の夕刊(2005.9.15)に載った記事、「衆院選舞台裏と今後(記者座談会)」によると、首相官邸衆議院が解散になるようにわざと郵政民営化反対派をそそのかしたという説が流れており、そのためか、ある財務省の幹部は「官邸が郵政法案修正をしないのは解散が目的だからだ」と発言していたそうです。また、首相周辺の要人が、法案否決後に嬉々として誰かに電話をかけていたという話まで出回っているようです。まさに耳目を驚かすような聞き捨てならない噂話です。いずれにしても、このような一種の状況証拠から透けて見えてくるのは、ドイツのように確たる国家理念に拠りながら、国民一般の立場に立って政治に取り組もうとする誠意ある政治の形とは全く次元が異なる「特異な政治の世界」です。このような視点で見ると、今の日本の政治は、ギャングやマフィアあるいは暴力団が仕切る世界と同じ状況に嵌っているのだと言えるようです。


  政治の世界にマキャベリズムが必要であることは理解できるとしても、これほどまで政治的使命感と政治倫理を見失った、そして止め処なく堕落しきった“悪徳政治屋”たちが日本の国政を差配していると思うと暗澹たる想いが湧き上ってきます。こんな遣り方はマキャベリズムなどではなく、相変わらず低次元な「サル山のボス選び闘争」です。小泉チルドレンと呼ばれる八十数名の新人議員(何故に選ばれたのか分からぬ人物が多いようだが・・・)らが、このような政権中枢の悪質なアスベスト粉塵を全身に浴びることを思うとゾッと寒気がしてきます。


  日本の政治改革が完成したとか思っている呑気な向きもあるようですが、一般国民を適当に誑かし小バカにし続けるという、ただこの一点で見る限り、日本の政治は全く何も変わっていないのです。アメリカのメディアが情報操作をしていることは周知のことですが、シュレーダーが質の高いドイツのメディアにケチをつけた姿からは余裕に満ちたユーモアさえ感じられます。一方、日本のメディアの惨憺たる状況については溜息が出るばかりです。我われ一般国民は、「小泉劇場がまき散らす幻想」を追いかけるのはいい加減に止めにして、例えば、要介護老人福祉施設や障害者福祉施設等の現場、あるいは医療現場等における「市場原理主義の導入」による混迷の実態(弱者層に及ぶ被害と苦痛の大きさ)などの「現実」を直視する勇気を持ち続けなければならないようです。


 最後になりましたが、ドイツの総選挙にかかわる貴重な情報を教えて頂いた「無用の人」様(在、スイス)に心から御礼を申し上げます。