toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

『小泉ファッショ政治』の欺瞞を乗り越えるための考察


[「恫喝=被虐のポピュリズム」を煽る詐欺的演出の実像]


(1)「恫喝=被虐のポピュリズム」に踊らされる人々の実像


 当Blog記事「『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の深遠を探る」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050918)で既に触れたことですが、総選挙で「衆議院議席数2/3以上」という強固な自公連立与党体制が確立するとともに、日本の社会には“得たいが知れぬ不安な空気”が立ち込め始めていますが、このように一般国民が不安や恐怖感を感じ始めた背景には五つの大きなポイントがあります。その一つめは『小泉首相には初めから日本国憲法を無視する意志があったと思われること』、二つめは『選挙制度の欠陥(死に票が多いことによる)が隠されていたこと』、三つめは『部外者から見ると、小泉首相とその熱烈な支持者たちの間には“恫喝と被虐の感情が交差する”ような一種独特の異常熱愛シンドロームの雰囲気が漂っていること』、四つめは『小泉劇場について濫喩的分析を試みると、その深奥から激情的なViolenceの嗜好が表出してくること』、五つめは『小泉劇場とマスメディアが共犯的堕落という一点で深く共鳴し合っていること』(特に民放テレビの堕落ぶりは酷い!)です。


 これら各点の分析については既に書いたことなので、ここでは少し異なる角度から考えてみます。小泉構造改革の代表的キャッチフレーズである「官から民へ」と「大きな政府から小さな政府へ」は、言うまでもなく「市場原理主義」の導入によって公的部門のサービス機能を民間市場へ委ねるという改革の方向性を示したものです。その結果、今や日本国内では貧富の差が極端な形で拡大しつつあります。そして、特に所得構造の二極化(貧富差拡大)は『30〜50代の働き盛りで低所得層に属する人々』を直撃しており、彼らに対して大きな苦しみ・痛みを与えています。それを具体的に見ると、小泉内閣は、この4年間の間に増税等による国民負担増のプラン(雇用保険料引き上げ/02年10月〜 (1,500億円) 、医療保険の患者負担増/ 02年10月〜(4,800億円) 、介護保険料引き上げ/03年4月〜(1,100億円) 、医療保険料率引き下げ/03年4月〜(5,200億円) 、酒税の引き上げ/03年5月〜 (800億円)、タバコ税の引き上げ/03年7月〜 (2,200億円) 、厚生年金保険料の負担増/04年10月〜 (3,200億円) 、配偶者特別控除の廃止/04年12月〜 (4,800億円)等々で、既に決定した部分での国民負担増累計額は約4.8兆円に及ぶ/詳細は下記Blog記事★、参照)を着実に推し進めてきており 、それに加えて「定率減税の廃止」など更なる増税プラン(下記Blog記事●、参照)が諮問に基づく既定方針として実施されようとしています(これはまだ序の口であり、これから予定される増税プランの予想累計額は消費税を視野に入れると少なくとも約30兆円〜40兆円(年額)程度が見込まれる)。今回の総選挙のマニュフェストでは論点(争点)を「郵政民営化」一本に絞り、増税等は考えていませんと断言していたにもかかわらずです。


★「総選挙」の影に隠れる「巨額の国民負担4.8兆円
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050818
●大増税時代が始まる/増税色強まる「政府税調」報告書
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050622


 ところで、この所得構造の二極化(貧富差拡大)と国民負担増の拡大という現実がハリケーンカトリーナのように凶暴な牙を国民一般へ向けつつある一方で、我が国の『消費者金融サラ金)市場の貸付規模の総額(売上相当)が約70兆円もの巨額』に到達しており、その規模はアメリカと並び世界有数のものとなっています。周知のとおり、その貸付資金は低利で銀行からジャブジャブと供給される仕組みとなっています。そして、例外はあるとしても、その貸付先(不当な高利付の資金の借り手)は、ほとんどが低所得者層に集中しているのです。因みに、メディア(新聞・テレビ)の大スポンサーは、今やサラ金業界の大手企業であり、毎日のように我われはサラ金のコマーシャルを大量に浴びせられ続けています。今回の総選挙『小泉劇場』ではメディアの政府広報機関化が指摘されていますが、「政府-広告会社-テレビ・新聞」の他に「サラ金業界-広告会社-メディア」の癒着ループもあるようです。


<参考>企業間の電子商取引総額=約70兆円、トヨタ・日産等自動車関連業界の売上げ規模=約40兆円


 また、近年の我が国における生活保護受給世帯数の状況を見ると、「2001年度、約80万世帯」から「2004年度、約102万世帯]へと、かなりのペースで増えています(参照、
http://www.ipss.go.jp/s-info/j/seiho/seiho.html)。一方で、経済的理由による1年間の自殺者数も増加するばかりとなっており、「2001年度、6,800人」から「2004年度、7,900人」へと増えています。この他にも、年齢層を問わぬ陰惨で凶悪な犯罪が全国の津々浦々で多発しており、新卒の就職難・若年層の就業意識の変化などを背景に、定職につかず短期のアルバイトなどをして暮らすいわゆる「フリーター」も増加しています。厚生労働省によれば、15−34歳のフリーター人口は、2003年には217万人と前年より8万人も増加しました。少子高齢化が急速に進むなかで、専門知識がなく、収入も少ないフリーターが増加していけば、将来、個人間の所得格差の拡大、税収の減少などが、ますます深刻化することは避けられません。 更に、学校卒業後の就職をする意志がないニートも増え続けています。このような傾向は、いわば国民の中流層が崩壊して、ごく一握りの富裕層と多数の貧困層に日本の国が二極分解しつつある(流動化しつつある)ということになります。


 これがここ4年に及ぶ「小泉構造改革」なるものの成果だと言えるのでしょうか? いや、公平かつ客観的に見れば、そんなことは絶対に言えないはずです。これは、事実上の「小泉構造改革の失敗」に他なりません。だからこそ、これら『30〜50代の働き盛りで低所得層に属する人々』を中心として国民の中に強い不安感と恐怖心が広がっているのです。しかし、肝心の小泉首相は“改革の成果は着実に出ている!”とヒトラー張りに絶叫し続ける(つまり、オレの改革に従わなければ、もっと痛い目に遭うぞと恫喝する)ばかりです。社会学者の宮台真司氏は、このようにして所得構造の二極化(貧富差拡大)が『30〜50代の働き盛りで低所得層に属する人々』を直撃することで社会構造の一角が崩壊しつつある現象を「社会の過剰流動性の増加による生活の空洞化現象」と名づけています(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=302)。なお、「小泉劇場」の広報機関の地位に甘んじるマスメディアは「小泉構造改革」の失敗をあまり積極的に取り上げませんが、その失敗の概要は下記Blog記事★に纏めてありますので、ご参照ください。


★マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(1/2)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050907
★マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(2/2)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050910


 ともかくも、宮台氏によれば、このような『将来への不安感(恐怖感)から全身が総毛立ったような感情』が日本国民の間で着実に広がっており、しかも、それは明らかに小泉構造改革の失敗によるものである筈だというのです。しかし、それにもかかわらず「俺だけが改革できるのだ、絶対にカイカクだカイカクだカイカクだ、兎に角カイカクだ!」と絶叫しつつ「断固」、「決断」、「俺は非情な男」などの言葉を堂々と言ってのける小泉首相の姿(幻想を現実だと強弁するトッリック・スター(ペテン師)の誘惑(詐欺師独特の蠱惑))に彼ら弱者たちは“男気”の引力を感じてしまう(実は恫喝されているという事実に目を瞑って)のです。彼らは、小泉首相の演技性・妄想性に満ちた特異な人格に倒錯した形で魅了されているのです。


 つまり、彼らは、小泉首相ドメスティック・バイオレンス(DV/Domestic Violence)的でアンモラル(背徳的)なゾッとするほど凄惨なセックス・アピール(ナルシスティック(自己愛性格的)な“狂喜”の表情)へ大いに共鳴してしまうのです。そして、宮台氏によれば、これらの弱者たちは、溜まり溜まってマゾヒズムの塊と化した自らの怨念のマグマを一気に解放し法悦(カタルシス)しているのだそうです。これが、不安と恐怖感に満ちた弱者層の人々が“幻想の小泉劇場”に嵌る、言い換えれば、非情な暴君の恫喝が被虐者(餓鬼化した弱者)たちを魅惑する異常なメカニズムです。


 そして、これこそが“恫喝=被虐のポピュリズム”による『スピノザが言う「延長」の社会的共振現象』(スピノザ流の感覚質(クオリア)の伝播/脳内ニューロンクラスターの発火・共鳴現象)であり、小泉政権は、この悪魔的で「淫猥な秋波戦略」を一般大衆へ向けて意図的に使っているのだと思われます。冷静な一般国民の一部で『小泉劇場』に対する激しい嫌悪感が存在するのは、この悪魔的で「淫猥な秋波戦略」(=弱者を餓鬼化する非情な戦略)の存在を考慮すれば、ごく当然だと思われます。その深奥には「暴力的ファシズム」(軍事・強権的な独裁政治への暴走)の臭いさえ色濃く立ち込め始めています(なお、スピノザの「延長」については、下記Blog記事●を参照)。
<注>『脳内ニューロンクラスターの発火理論』については、下記Blog記事★を参照のこと。当然ながら、この理論そのものに善・悪の価値判断が入る隙はない。例えば、それはJ.ギブソンの『アフォーダンス理論』のような生命科学的な仮説概念(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050403)である。


★「幻想民主主義の国」日本(1)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050510
アーカイブの役割とは何か?(?)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050310


 宮台氏は、このような“恫喝=被虐のポピュリズム”に踊らされて『小泉劇場』を支持した浮動票、つまり弱者層に属する若者たちのことを「ヘタレ保守」(彼らは、歴史観などに裏付けられた伝統的な意味での保守主義者ではない/ただ、恫喝に怯えて目先の強い権力に必死にしがみついているだけの存在)と名づけました(MIYADAI.com Blog、http://www.miyadai.com/)。本来であれば、民主党がこれらの弱者層(都市型不動票)の受け皿となって、彼らを「都市型リベラル」(歴史観と論理性をわきまえた人々)へ脱皮させるべきであったのですが、民主党はそれに失敗したと宮台氏は分析します。そして、今後、民主党がやるべき二つの課題を次のように指摘しています(注、(  )内は筆者の脚注)。


(その一)都市型リベラルを惹き付ける新しい「政党アイデンティティ」を示すこと
・・・そこでは「徒な小さな政府原理主義」や「弱者切捨て政策」は間違いだと宣言する必要がある。都市的弱者たる非正規雇用者やシングルマザーや障害者などの支援やフリーターがフリーターのまま幸せになる社会を主張すべきだ(なぜなら、もはや彼らの存在が“日本の現実”なのだから)。


(そのニ)アマルティア・センが言う「Capability」(潜在的可能性)を主題化すること
・・・Capabilityとは、現実化し得る選択肢の豊かさのこと。今の日本は、多用な仕事、多用な趣味、多用な家族のあり方、多様な性のあり方、つまり多様な人生が選べない社会になっている。これは、「法的規制のあり方」と「教育のあり方」の問題でもある(徒に規制緩和すればよい、というものでもない)。


 そこで、筆者は「ヘタレ保守」の概念を広げて「ヘタレ=ショタレ保守」と名づけてみました(ショタレとは、売れ残って商品価値を失い本屋の書棚の片隅で燻り腐り切っている本のこと/いずれ、これらのショタレ本は廃棄処分となる運命にある)。様々な情報を分析してみると分かるのですが、今回の総選挙で『小泉劇場』を熱狂的に支持した弱者層に属する人々は、都市型の若者だけでなく中年のオジサン・オバサンから高齢のジイサマ・バアサマまで非常に幅が広がっています(無論、子供たちや未成年者へのアピール方法も真剣に研究すべきです)。これら年代層の幅が広く、多用な職業や人生経験がある人々を真剣になって巻き込まなければ、多用な生き方ができる「Capable」な(潜在的可能性がある)社会の実現は困難です。いずれにしても、この「ヘタレ=ショタレ保守」が、これからの日本のキャスティングボードを握っているようです。


(2)「総選挙」の国民を欺くトリック(憲法違反=憲法の授権規範性の無視)


 “恫喝=被虐のポピュリズム”演出は、確かに極めて狡猾な心理作戦(政治的・性事的演出=ポルノクラシー(娼婦政治)的演出)だと言えますが、それにも増して巧妙な戦略(殆んど詐欺的と断言できるほど巧妙に国民を欺く演出)が進められてきた節があります。その一つは、いわゆる「竹中・B層ターゲット戦略」(http://www.asyura2.com/0505/senkyo11/msg/1186.html)であり、もう一つは今回の「総選挙を巡るトリック」です。それは、次のような状況証拠(▲)の中から透けて見えてくるものです。なお、「ポルノクラシー」(娼婦政治)のついては下記Blog記事★を参照してください。


★『小泉H.C.ポルノ劇場』が蹂躙するエクリチュール
(厚化粧刺客の問題)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829


(“参議院否決→衆議院解散・9.11総選挙”が確信犯的な憲法違反であることの状況証拠)


▲1990年代の初め頃に小沢一郎氏が現在の「比例代表並立小選挙区制」の導入を画策したとき、“小泉氏はこの根本的な欠陥(僅か誤差の範囲の獲得票の違いで議席数が大幅に動いてしまうという特徴)に気がついていたグループの尖塔に立ち、これを導入することに対する反対運動を展開していたらしい。


日本経済新聞の夕刊(2005.9.15)に載った記事、「衆議院選舞台裏と今後(記者座談会)」によると、首相官邸衆議院が解散になるようにわざと郵政民営化反対派をそそのかしたという説が流れている。


▲同じく同紙によると、ある財務省幹部が「官邸が郵政法案修正をしないのは解散が目的だからだ」と発言しており、また、首相周辺の要人が、郵政法案の否決後に嬉々として誰かに電話をかけていたらしい。なぜ、このことが、そんなに嬉しかったのか?


 「憲法の授権規範性」とは、フランス革命ピューリタン革命以降に認識された「憲法」の本性的な役割のことです。立憲君主制であれ、議会民主制であれ、政治権力は必ず暴政へ走る恐れがあることを前提としなければなりません。このため、「憲法」によって政治権力の手足を縛る役割が期待されるようになったわけです。これが「憲法」の授権規範性ということです。当然ながら、「日本国憲法」を始めとして、現代世界の民主憲法にはこの役割が強く期待されています。つまり、国民は「憲法」を介して政治権力の腐敗や暴走を監視していることになる訳です。


 また、「憲法の授権規範性」については別の観点から論ずることもできます。それは「国家ガバナンス」(国家統治論)の問題です。ごく大まかに見ると、西洋思想の伝統には下記のとおり二つの国家統治論の流れがあります。「国家ガバナンス」に関する、これら二つの立場のいずれを採るにしても、もし「授権規範性を帯びた憲法」が存在しなければ民主的な国家の統治が不可能であることは容易に理解できることでしょう。従って、今回の“参議院否決→衆議院解散・9.11総選挙”のような形で「憲法」(授権規範性)を意図的に破る小泉内閣総理大臣の行為は「民主主義」を殺すことに等しい蛮行です。そして、その先に見えるのは「軍事国体論の誘惑」です。なお、「軍事国体論の誘惑」の詳細については、下記Blog記事★を参照してください。


★「軍事的国体論」を超える日本国憲法の先進性 (toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050419


(その一)組織体としての国家を優先する立場(プラトンソクラテスからヘーゲルニーチェに至る系譜)
・・・この立場は、人間も自然淘汰の法則に運命づけられている。従って、不平等が生まれるのは当然であるので、弱者は支配的な力を持つ者の庇護を一方的に受けなければ(支配者に服従しなければ)生きられないとする。植民地主義時代のヨーロッパ、ヒトラーナチス・ドイツ、軍事国体論時代の日本などがこの立場である。民主主義世界の旗手を自任する現代のアメリカで政治を牛耳るネオコン一派も、この考え方に立っている。現在の『小泉劇場政治』は、この立場へ接近する強い意志を持っていると見做すことができる。この先に見えるのは日本の政治が「暴走」(暴政化)することである。


(そのニ)組織体としての国家に対して、個人の自由と平等を最大限に尊重する立場(ルネサンス啓蒙思想フランス革命等の市民革命に至る系譜)
・・・当然のことながら、個人の自由と平等を最大限に尊重する立場に一定のルールがなければ個人と個人のいがみ合いが際限なく広がり継続することになったり、市場原理主義(自由原理主義)に際限なく突っ走ってしまう恐れがある。現代のアメリカの政治を牛耳るネオコン一派は、明らかに、この自由原理主義の立場である。彼らは、自由原理主義によって最大限の平等を実現できると信じているらしい。しかし、この点こそが普通の人間の立場から考えると甚だ疑問となるところであり、そこには何か狂信的な空気が感じられる。なお、下記二つのBlog記事★には「市場原理主義を研究するアカデミズムの現場にカルト臭が漂っている」という記述がある。特に、この点については十分に留意しておくべきであろう。


★カルト宗教のような新自由主義(Cityscape Blog)
http://cityscape.air-nifty.com/cityscape_blog/
★作家アイン・ランド、米国ユニラテラリズムのもう一つの『源流』(toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050326


(3)あまりにも非情な「刺客」作戦の事例(非人道的・非倫理的作戦)


 今回の『小泉劇場・総選挙』では、やたらと厚化粧の女性刺客ばかりがもて囃されましたが、ある一人の悲劇的な「刺客」(旧山古志村村長、長島忠美氏)のエピソードが毎日新聞の2005.8.24付・記事に書いてあったことを知り大いに驚かされました。しかも、なぜか、この記事はその後になってネット配信から削除されており、今は古い紙媒体の記事でしか読むことができません。しかし、下記のBlog記事★に内容が採録してあったので、ご案内しておきます。


★Blog・おばのろぐ「’05衆院選:最初は「刺客」…長島忠美氏擁立劇 官邸の執念、固辞覆す/新潟」
http://makobara.seesaa.net/category/191398.html


 この記事の概要は次のようなことです。


▲9月8日の衆議院解散から数日後のある夜に、突然、長島氏の携帯が鳴った。相手は首相の主席秘書官・飯島勲氏で用向きは「(刺客候補小選挙区で立ち)国政の場でやってみませんか」だった。


▲ターゲットは、自民党を離党した田中真紀子氏で、田中氏は「自分に都合がよい人間を集めるために小泉首相は総選挙で莫大な税金を使っている」と批判していた。小泉首相サイドには、中越地震からまだ1年も経たないこの時期に、被災地の多くを含む5区で長島氏の知名度が有効との読みがあった。が、長島氏は「自分は、地元にとどまって被災者と一緒に復興を目指します」と出馬を固辞した。


▲しかし、執行部は長島氏にこだわり、別の候補(米山氏)に絞り込んでいた党第5区支部に長島氏の擁立を迫った。執行部は、長島氏の不出馬の意志が固いと見るや、今度は比例代表での擁立に切り替えて本人の説得をするよう県連へ強く迫った。関係者の話によれば、この時、執行部は「長島氏を擁立できなければ米山氏を公認しないうえ、中越地震の復興にもこれまでのように力を貸せない」と、脅しに近いことまで言った。


▲9月15日、長島氏は電話では失礼だと思い、官邸に行き飯島主席秘書官と会って断った。しかし、その後も続く周囲の説得に折れて、17日朝に比例代表北信越ブロックからの出馬を決意した。県連幹部の一人は言った・・・小泉首相の執念は本当に凄いよ、あきれちゃうよ。・・・周知のとおり、その結果は名簿1位の長島忠美氏が比例区での初当選を果たしています。


▲同じ5区から出馬する共産党新人の斉藤実氏が言った・・・長島氏は復興のシンボルのように見られているから影響はあるだろう。しかし、その長島氏を擁立した自民は、野党3党が提出した被災地の生活再建支援制度について審議すらしていない。


 このエピソードで驚いたのは、これが近代先進国の一員である日本の総理大臣のやることなのだろうか、と思われる点です。中越地震で壊滅的な被害を受けた地元住民たちは、いわば大変な弱者の立場にあります。できる限り早い復興と大々的な救済を待ち望んでいるはずです。いくら知名度が高い人物を自党のために欲しいと思うからといって、これら弱者の目線で献身的に努力しようとする長島さんを、自分の言い成りにならぬなら災害援助の予算を保証できないぞ!と恫喝するとはナニゴトですか! これは内閣総理大臣ではなく、堂々と利益誘導をひけらかす江戸時代の悪代官かヤクザ・ゴロツキ・暴力団の類がやるような行為です。呆れたことです。そこには「政治理念」や「政治倫理」はおろか「民主的市民社会の尊厳」(主権在民)への配慮が一欠けらも存在しません。ただ、そこにあるのは権力を笠にきた「カネの力の誇示」と「エゴイスティックで貪欲で暴力性に満ちた権力への欲望」だけです。


 このような、あまりにも非情で非人道的な感覚の与党政治体制(小泉ファッショ政治)の下で日本の国政が行われつつあることを我われ国民は、もっと深刻に受け取る必要があります。また、何のために国政に参画することになったのか自覚もできないようなチャランポランな国会議員たちが与党の新人議員83人の中にゴロゴロいるようです。厚化粧の刺客たちについて語ることは、もう嫌気がさしていますが、呆れたり懲りたりせずに、彼ら彼女らの一挙手一投足を監視するのは我われ国民の重要な義務であることを自覚する必要があります。また、国会議員一人あたりの経費(歳費)は約1億円かかりますが、その全てが我われ国民の税金から支出されることを忘れるべきはありません。彼らは体よく国民を飼い慣らそうとしている節がありますが、我われ国民こそが彼ら“ケモノ顔”の国会議員たちを飼っているのだと考えるべきです。なお、「厚化粧の刺客たち」と「ケモノ顔の政治権力者たち」のイロイロな問題点については、下記Blog記事★を参照してください。


★『小泉H.C.ポルノ劇場』が蹂躙するエクリチュール
(厚化粧刺客の問題)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829
★シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(4/4)
(政党と任侠集団の関係史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050405
★映画『極道の妻(おんな)たち、情炎』に見る“閣議風景”の原点
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050406/p1


 いくらチャランポランな国会議員でも、彼らには巨額の歳費が支給され、彼らを飼っておくための巨額の経費が必要なのです(その具体的な内容については下記のBlog記事●を参照のこと)。このように、あまりにも政治が理念を見失い堕落した姿を見せつけられると、我われ一般国身が「日本政府」(国会議員、官僚組織等も含めて)という“バカで女好きな放蕩息子”や“チャラチャラした圧化粧の遊び女と化したバカ娘”のために、毎日、あくせく働かされているような惨めな光景が見えてきます。


●高すぎる日本の「民主主義のコスト」(toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050315


(4)「膨大な財政赤字拡大」の責任逃れ、そして核心的な課題をカムフラージュするための郵政民営化


 小泉首相は、9月26日午後の衆参両院本会議で所信表明演説を行いましたが、その演説は1977年(昭和52年)に行われた福田赳夫首相の所信表明演説に次ぐ短さでした。しかも、その演説の約7割が「郵政民営化」に関連する内容で、その他の政策に関しては特に目新しいものがありません。小泉首相は、この所信表明で「郵政(簡保郵貯)改革」こそが財政改革の入り口だという従来の持論を繰り返しただけで、その他の内容には見るべきものがありません。ただ異常に目立ったことがあります。それは小泉チルドレンと呼ばれる与党の新国会議員83人が、小泉首相の話の節目が来るたびに恰もヒトラーの親衛隊のように一糸乱れぬテンポで一斉に力を込めて拍手する姿です。それは、とても不気味な光景でした。


 ところで、この短くて内容が乏しい小泉首相所信表明演説の中から一つの大きな疑念が浮かび上がってきます。それは“この「郵政民営化」が「膨大な財政赤字拡大」の責任逃れのための一種の擬装工作ではなかったのか?”という疑念です。実は、2001年4月から「財投改革」と呼ばれる政策が既に実施されているのです。これは、「郵便・年金の預託義務」(国民が預けた郵便貯金や年金積立金などの資金枠(約350兆円/このうち約140兆円は国債の受け皿となっている)がいったん財務省・資金運用部に預託されて、財政投融資の資金(このうちかなりの額が焦げ付いて不良債権化しているとの噂もある)に流す仕組みを廃止するための「財政投融資改革」のことです。


 現在は、この「財政投融資改革」によって各特殊法人等が財投債(財投機関債)を自らの責任において発行・運用することになっています。しかし、財務状況が悪くて発行した財投債が市場で消化できない特殊法人等の場合は、その法人に代わって「財政融資資金特別会計」が財投債を発行することになっています。そして、建て前上、これら財投債の償還財源は租税ではなく、各特殊法人等の資産(財政融資資金特別会計の場合は、従来の資金運用部基金と同じ扱い)ということになっています。つまり、オフィシャルな定義上は財投債は従来の国債と性質が異なるものだとされています。が、国の信用をバックにして発行される財投債は名前を変えた新種の国債です。「財政融資資金特別会計」から借り入れをした特殊法人等に損失が発生した場合に、最終的にその償還財源を租税に依存せざるを得ないのであれば、財投債は国債と何も変わりはないのです。むしろ、このように中途半端な国家財政の仕組みを新しく作ったため、既に1,000兆円を超えた日本の国家的な財政赤字(地方債、償還利子込み)は、更にその上に大きな赤字を積み上げてゆく恐れがあります。一部では、既発財投のスリム化が計画どおりに進まないと、逆に財投債の残高が年毎に積み上がり預託金の満期償還が一巡して財投債がすべての預託金に入れ替わる6年後には、現在の財投残高に匹敵する約400兆円の財投債残高になると言われています。


 これでは、既存の財投資金が減る代わりに新たな国債が積み上がるだけという話になります。これは“巧妙な政治的眼眩まし”以外の何物でもありません。実は、このような“政治的眼眩まし”は小泉首相のオリジナルではなく、それは小泉首相の影で糸を引き続けている財務省(旧大蔵省)の伝統的な得意技なのです。小泉首相は、それを得意のワンフレーズ・ポリテクスに置き換えているだけだと思われます。例えば、日本の近代財政史を幕末から明治維新期ころまで遡ってみると、このような“政治的眼眩まし”が陸続と実行されてきたことが分かります(この経緯の詳細については下記Blog記事★を参照のこと)。


 しかも、時代の変革期には必ず国家的な債務(現在の国債・財投債等に相当)の“大仕掛けな踏み倒し”(軍国主義政策等も含む)が実行され、無辜の一般国民が犠牲になってきたのです。例えば、幕末〜維新初頭期の御用金調達(国家的かつあげ?)、貨幣改鋳(悪化への切り替え、贋金造り)、強権的な債務の踏み倒し、政府紙幣(金札)増刷、金札の兌換紙幣への転換、公募公債発行・・・、このような悪知恵を駆使した手練手管の中から「特別会計」という“打ち出の小槌”が案出されてきたという経緯があります。そして、トコトン行き詰まったとき、戦時経済体制による財政全体(国・公債、紙幣、預貯金等)のデフォルト(太平洋戦争後の戦後恐慌)ということになった訳です。


★シリーズ、『市民政治』の再生を考える[1](導入)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050625/p1
★シリーズ、『市民政治』の再生を考える[2](導入)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050727/p1
★シリーズ、『市民政治』の再生を考える[3](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050731/p1
★シリーズ、『市民政治』の再生を考える[4](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050804/p1
★シリーズ、『市民政治』の再生を考える[5](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050811/p1
★シリーズ、『市民政治』の再生を考える[6](特別会計の歴史)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050830/p1


 ともかくも、2001年4月から行われてきた「財政投融資改革」によって財投機関への資金供給ルートが断たれたはずだったのですが、現実に起こっていることは「財投債」という新たな「国債」の発行で「官(特殊法人等)へ資金が還流する仕組み」が残されているのです。しかも、これは「財投債引き受け義務制度」に関する権限を持つ政府と財務省(旧大蔵省)が彼らの責任において決定したことなのです。かくして「財投債」に依存した特殊法人等の非効率な経営が温存され「大きな政府が膨張する傾向」(財政赤字の拡大傾向)にストップが一向にかからず、財政赤字額は増えるばかりとなっているのです。


 つまり、明らかに、この重大な決定の責任は政府と財務省にあるのですが、彼らは、意図的に、その責任のすべてが郵政事業に向くように計略した節があります。それは、その説明の方が国民にとっては分かりやすく映るという計算があったからだと思われます。先ず郵政事業を悪者に祭り上げてしまえば、このような「本来的意味での責任論」は殆んど一般から注目されなくなり、また、米国からの「構造改革要望書」の存在(郵政民営化問題の根本原因)も影が薄くなるはずだという訳です。どうも、この計略が図星となったようです。


 このため、多くの国民の間では「財投改革」とこの「郵政改革」が連動しているように誤解されている節がありますが、この二つは上で見たとおり、まったく関係がないことです。つまり、今の「郵政改革」が実行されても、されなくても、2004年4月から始まっている「財政投融資改革」は別軌道の上を走り続けるのです。仮に「郵政改革」が現在の案のままで実行されても、一方で、財投債という新種の国債発行は続いてゆく仕組みなのです。しかも、「道路公団改革」等の無残な結果で見られるように、特殊法人等の不合理な経営内容(膨大な無駄遣いシステム)は放置されたままです。


 そのため、既に1,000兆円を超えた財政赤字小泉首相の4年間では約200兆円増加)も、これからの国債発行も一向に減る保証がありません。つまり、この両者(郵政改革と財投改革)が恰も関係あるかのように思い込んで、現在の「郵政改革案(法案)」さえ実現できれば、財政赤字も改善するなどと思う人がいるとすれば、それは余程お目出度く『小泉リフォーム劇場』の詐欺に騙された人だということになります。つまり、それが日本の明るい未来を創造する「構造改革の光」であるかのように思う人がいるとすれば、その人は間違いなく小泉首相のワンフレーズ・ポリテクスの詐術に嵌っている被害者だということになるのです。


<参考>何のための郵政民営化か、世川行介氏に聞く(2005.09.23付・東京新聞、特報記事)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20050923/mng_____tokuho__000.shtml


[外国人の目による小泉・厚化粧政治への批判/三つの事例]


 外国から見る日本という問題については、今でも、一種のオリエンタリズムに対する好奇の目が存在することを考慮しなければならないようです。しかし、ここで取り上げる、今回の「郵政焦点衆議院解散→総選挙」(小泉・厚化粧政治)の騒ぎについての「外国からの批判の目」は、かなり冷静で客観性があるものと受け止めなければならないようです。


(その一)ニューヨーク・タイムズの9月7日付・記事(東京発)
ソース=産経新聞http://www.sankei.co.jp/databox/election2005/0509/050923m_pol_45_1.htm


 ニューヨーク・タイムズは「なぜ日本は一党に統治されることに満足なのか」という記事を書き、日本は民主主義の国ではないと論じています。また、日本のマスコミは不健全だと論じています。しかも、この記事に驚いた外務省がニューヨーク・タイムズに抗議したというオマケまで付いています。記事のポイントを抽出すると以下のようになります。


▲日本国民が自民党だけを選ぼうとするのは民主主義の基盤が弱いからだ。
・・・韓国や台湾の方が市民社会や自由なマスコミが健在で、民主主義がより進んでおり、また、日本の民主主義は「幻想」であり、自民党の50年に及ぶ一党支配が日本の民主主義の成長を阻害したとも論じている。


 また、同じ産経新聞の報道によると、ニューヨーク・タイムズの9月13日付の社説は、以下のように論じています。


▲今回の日本の総選挙は郵政民営化だけを争点とした。その結果、“小泉首相の軍事的ナショナリズムという日本の伝統の愚かな受け入れ”を容認することになった。


軍国主義者が奉られる神社(靖国神社)への小泉首相の参拝と、より強い軍事政策への小泉首相の支持はアジアの世論を警戒させた。


(そのニ)カレル・ヴァン・ウオルフレン氏(K. van Wolfren/1941−  )の取材記事、『改革をお守りに大勝利』ソース=朝日新聞、2005年9月15日付・記事


<注>カレル・ヴァン・ウオルフレン氏は、一時期、オランダ高級紙「NRC Handelsblad」(http://www.nrc.nl/)の極東特派員を務めた人物で、1962年以来約30年近く日本滞在の経歴を持つ優れた国際ジャーナリストです(ウオルフレン氏の主著『日本/権力構造の謎』については下記のURL★を参照)。


★カレル・ヴァン・ウオルフレン『日本/権力構造の謎』(『大原社会問題研究所雑誌』No.386、1991年1月号)
http://sp.mt.tama.hosei.ac.jp/users/igajin/nazo.htm


 ウオルフレン氏の主要な論点を抽出すると以下のとおりです。(  )内は筆者の脚注です。


▲テレビ受けする(クールビズと圧化粧の女たちが似合う)セレブな小泉首相が「リフォーム」(改革)の大義を掲げて主導権を乗っ取り、日本が真に必要とする「リペア」(修繕)を阻み、内容がある政治論議がはぐらかされてしまった。(これぞリフォーム詐欺?)従って、今回の日本の総選挙は、政策が殆んど重要視されていなかったので、一種の政治的な「美人(趣味が悪い厚化粧の)コンテスト」に過ぎない。


▲日本の有権者は、いつもバランス感覚と常識を選挙で発揮するものと思っていた。だが、今回は、戦後日本の選挙の中で最もその意味を見出しにくい選挙だった。その大きな理由は、テレビがつくった上っ面なイメージ選挙だ。そして、「改革」という言葉が日々に語られ、交わされながら、次第に魔術的な共振作用を強めていった。そして、「改革」は『日本人のお守り』(or おみくじ or お経)になった。それを唱えさえすれば夢が叶うと思うようになった。


小泉首相は、この4年間、何も成し遂げていない。小泉首相は、基本的に財務省の方針に従っただけだ(既述の財投債のトリックで郵政事業に責任を押し付けて200兆円の財政赤字を増やしただけだということ)。このトリックはブッシュの指南役であるカール・ローブを見習ったのかも知れない。


▲日本の政治家の一部の人々は、予想以上の自民圧勝が一種のトリックの結果であることを知っているが、それより大いに嘆くべきは、日本の民主主義がいかに弱くなったかということだ。今、日本の本当の論点は「リフォーム」ではなく「リペア」であるのに(日本国民は、一刻も早く、このことに気づき目を覚ますべきだ)。


小泉首相は、判断を誤ったにもかかわらず保身に走る官僚たち(特に財務省特殊法人等)を許そうとしている。が、政府が何をすべきかを最終的に責任を持って決めるのは、国民に選挙で選ばれた政治家たちだ。本来、官僚たちは自分が各分野の専門家であり、その責任の範囲もよく心得ているはずだ(結局、彼らを甘やかす一方で政治家が責任を取るべき問題まで押しつけてきた点こそが問題なのだ。だから、政治家は官僚に厳しく迫れないのだ)。


(その三)ロナルド・ドーア氏(Ronaldo P. Dore/1925−  )の寄稿記事、『あすを読む
ソース=共同通信系配信、2005年9月19日付


<注>現在、ロナルド・ドーア氏はロンドン大学LSE(London School of Economics)フェロー。江戸教育の研究のために東京大学へ留学したことがある親日家。新しい著書『働くということ、グローバル化と労働の新しい意味』(中公新書)の中で、ドーア氏は日本社会に伝統的な優れた価値観について論じている。この点の詳細については、下記URLのBlog記事★を参照してください。
★『小泉H.C.ポルノ劇場』が蹂躙するエクリチュール
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829


 ドーア氏の主要な論点を抽出すると以下のとおりです。( )内は筆者の脚注です。


小泉首相郵政民営化を唯一の焦点とした戦術で3千万人以上の有権者をひきつけることが出来たのは不思議だ。これは、自分のパッションに一途に執着して頑張る不思議な政治家・小泉氏のカリスマ性に惚れたためか?(小泉首相の盟友の一人(?)である林真理子女史は、この説を採っている・・・が、その表現はもっと激しく“日本国民は小泉首相が突きつけた匕首にシビレたと、どこかで言っていた)


▲今回の総選挙は、自民党の勝利というより民主党の敗北であったとも言える。民主党の左から右まで、あまりにも幅広過ぎる体質が今度のマニフェストで鮮明に出てしまった。民主党の中には、小泉・竹中より過激な民活一点張りの市場原理主義者や、自民党防衛族に劣らぬ対中強硬派がいる。


▲この点は、18日に投票されたドイツ連邦議会選挙と対照的だ。ドイツでは、「公共サービス」(医療制度・教育制度・福祉制度など)の基本的重要性が各政党の共通認識であり、それを少子高齢化に対応してどう守るかが、選挙の重要な焦点だ。


▲小泉外交が近隣諸国と未曾有の関係悪化をもたらしたことは広く世界にも知られており、これは「外交不在の選挙」だと海外の新聞が不思議がっている。


[フランス版「ヘタレ=ショタレ保守」をめぐる新しい動向と日本の希望]


 パリ在住のフリージャーナリスト及川健二氏のブログ記事(下記★)で新しいフランスの政治状況を知ることができます。それによると、国民投票EU憲法にノンの意思表示が示された後のフランスでは暫く日本と似たような傾向が見られたのですが、今、その流れが再び変わりつつあるようです。


★『及川健二のパリ修行日記』
http://www.pot.co.jp/oikenparis/archives/2005/09/24/sarko


 日本と同じような傾向とは、具体的に言えばフランスでも日本の「ヘタレ=ショタレ保守」(伝統保守主義者でも新保守主義者でもない)に似た新保守層が政治の流れを左右する立場を占めたということです。彼らの年代層は都会の若者から田舎のジイサマ・バアサマまで幅が広いものです。及川氏によると、フランスで新保守の受け皿になってきたのは、ルペン党首が率いる極右政党「国民戦線」です。彼らは「フランス人のためのフランスを!」のワンフレーズを叫んだのです。彼らが訴えたのは・・・移民流入の恐怖、死刑復活による犯罪への厳罰と治安強化でした。そして、ルペン氏が登場すると・・・「党首サマ〜ッ!」(Le President!/日本で言えば「純ちゃあ〜ん!」)と絶叫が飛び交うことになったのです。


 及川氏によると、失業者や工場労働者たちのルペン支持が圧倒的であったそうです。ここでルペン支持層の姿が日本の「ヘタレ=ショタレ保守」層と重なります。彼らは日本の『小泉劇場』の熱烈な支持者たちちと同じように“生活空間の空洞化による不安と恐怖感”を持った人々だったのです。そもそも「拡大EU」の目的はアメリカ的なグローバリズム(過度な市場原理主義の浸透)に対抗することでしたが、いざ「拡大EU憲法」の批准段階に到達したとき、このフランスの「ヘタレ=ショタレ保守」と極左が、一層の市場原理主義の拡大にノンを突きつける原動力となった訳です。無論、これは、日本の「ヘタレ=ショタレ保守」が『小泉劇場』に誑かされて小泉首相が掲げる「一層の市場原理主義への傾斜」(その象徴が郵政民営化政策)を支持したこととは全く反対の流れですが・・・。


 ところで、「拡大EU憲法」が否決された直後にシラク大統領の指名で新首相に就任したドヴィルパン首相は過去最低という低い支持率(44%)でのスタートとなりました。一方、次期大統領選挙におけるドヴィルパン氏のライバルと目されるサルコジ内相の人気が急上昇していました。サルコジ氏は「ヘタレ=ショタレ保守」と「都市型リベラル」の両サイドからの支持を伸ばしていました(既述のとおり、日本では民主党がこの「都市型リベラル」の形成に失敗しましたが、フランスでは大きな影響力をもたらす役割を担っています)。しかし、ごく最近になって、この傾向が変わりつつあります。ここにきて、ドヴィルパン首相の支持率が急上昇している(直近の調査で56%)のです。


 ドヴィルパン氏はイラク戦争開戦時に外相でしたが、周知のとおり、彼は開戦を急ぐアメリカのブッシュ政権を痛烈に批判する名演説で世界に名を馳せた人物です。(下記URL★で、その演説の邦訳文を読むことができます)詩人・歴史家であり歴史書も書くドヴィルパン首相は、過激な右派受け、または「ヘタレ=ショタレ保守」受けするサルコジ内相の考え方とは異なる「アメリカ流の市場原理主義を抑制した、市民ポリアーキー型欧州モデルの継続」(ポリアーキーのついては下記Blog記事●を参照)を主張しています。このようなフランスの政治動向から見えてくるのは、フランスでは左翼のみならず「ヘタレ=ショタレ保守」と「都市型リベラル」の中でもかなり多くの人々がアメリカ流の市場原理主義の拡大に内心では警戒感を持っているということです。


 フランスのこの辺りの事情が『踊るポンポコリン化した小泉劇場』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050918)に振り回されるばかりの日本の現状と大きく異なっています。ここには、特に、日本の民主党が自らのシンパとしての「都市型リベラル」(市民政治の担い手となり得る人々)の形成に失敗したことの深刻な意味があります。つまり、このことによって、日本の政治では健全な批判力が現実的に殆んど機能しなくなったのです。今回の選挙で日本共産党が唱えたキャッチフレーズは「確かな野党が必要です!」でしたが、それでは不十分です。これでは自民党がいなければ日本共産党が成り立たないことになります。そうではなくて、健全な民主主義社会のために肝要なことは「一般市民の中に根を下ろした確かな批判勢力」の存在です。


 日本で「一般市民の中に根を下ろした確かな批判勢力」(都市型リベラル層を中心とする批判勢力)を定着させるには、フランスなど欧州諸国のように先ず左派(共産党社民党)が根本的な政策転換をする(広く一般市民に受け入れられる新しい根本理念を創造する)必要があります。民主党も旧来型のパターンで左右に大きくブレるスタンスでは弱いので、一般市民の目線の受け皿となり得る新しい理念を創造すべきです。どうしても、まとまりがつかなければ民主党が割れることも致し方ないと思います。『踊るポンポコリン化した小泉劇場』を支える小泉与党体制は、「2/3以上の衆議院議席数」を良いことに、親衛隊「小泉チルドレン」をメディア(特にテレビ映像)を介して“ひけらかし”ながら「ヒトラー・ファッショ政治風」で気取っていますが、愚かなことです。


 考えてみれば、小泉与党体制は、僅かな誤差の範囲で大きなブレが出る「欠陥選挙システム」という薄氷を踏んで成立しています(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050921http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050919)。国民のほぼ半数は間違いなく『踊るポンポコリン化した小泉劇場』を苦々しい思いで監視し続けています。しかも、今回は体よくバカにされたうえ騙されて『小泉劇場』に必死でシガミみついてしまった「ヘタレ=ショタレ保守」たちの多くが、マインド・コントロールが解けるとともに、こんな筈ではなかったと驚き嘆き悲しみ始めています。つまり、このような観点から見れば日本には未だ未来の希望がある筈です。


★国連安全保障理事会におけるドミニク・ド・ヴィルパンの演説
http://silversteel.s4.xrea.com/Essay/devillepin.html
●仏・蘭で「EU憲法」否決の教訓/世界から見える日本の民主主義の危機(toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050602