toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

映画「蝉しぐれ」に見る冷酷な暴政の伝統


  前評判にひかれ映画「蝉しぐれ」(藤沢周平原作、黒土三男監督、市川染五郎木村佳乃主演、http://www.semishigure.jp/top.html)を観てきました。黒土三男は、木下恵介プロダクションの助監督を2年間務めたあとフリーとなり、木下恵介山田洋次を師匠としている映画監督(脚本家)です。小説「蝉しぐれ」は藤沢作品の中でも傑作とされており、黒土三男は、この藤沢の秀作を映画化するため実に15年に及ぶ時間をかけています。作品の舞台は東北の小藩・海坂藩(うなさか藩/架空の藩だが酒井家十四万石荘内藩の城下町・鶴岡が想定される)で、この映画のロケの中心地は山形県庄内地方羽黒町・松ケ岡(http://www.e-yamagata.com/unasaka/openset/)であり、映画は普請組・組屋敷の文四郎(主人公)の家に朝陽があたるシーンから始まります。一瞬、庄内地方の夏の早朝の未だ汗ばんでくる前の清廉な空気に触れたような感覚にとらえられた観客は一気に「蝉しぐれ」の映像と音の世界の中に導かれます。それは、まさに日本の原風景を追憶するような美しい自然に満ちた映像美の世界です。特に、遠く重畳する山なみを背景に豊作の稲穂の海が黄一色で周囲を埋め尽くすような田園風景のパノラマが心に滲みるように迫ってきます。その美しい風景が春夏秋冬の季節の移ろいを盛り込みながら文四郎とおふくの20年に及ぶ歳月と心のつながりを物語ります。・・・知らぬ間のうちに映画「蝉しぐれ」の映像美がもたらす懐かしさと切なさと、そして透明感に満ちた四季の自然風景の中に浸りきってしまいます。


  下級武士の子・牧文四郎は、少年時代から貧しいながらも正直さと武道に励む信念を貫く生き方を見せてくれます。隣家には恋心を抱いてきた幼馴染・おふくが暮らしています。文四郎は、極貧に近い生活ながらも筋を曲げぬ生き方をする父を尊敬していました。しかし、その父が藩上層部の権力争いに巻き込まれ濡れ衣を着せられる形で切腹を命じられてしまいます。このため謀反人の子としての汚名を着せられた文四郎は、母を助けながら、日々に呻吟するような悲惨な生活を強いられることになります。やがて、美しい娘に成長した隣家のおふくは江戸住まいの藩主の側室として召し上げられ、牧家も名誉回復を言い渡されることになります。が、それは藩の腹黒い上層部が仕掛けた罠であったことが分かります。このような権力亡者や腹黒い者たちの只中で、藩主の側室となりながらも牧文四郎へのプラトニックな恋心を募らせるヒロイン(おふく)を演じた木村佳乃の清楚な美しさがひときわ光ります。余談ですが、今回の総選挙で、彼女が小泉首相の毒牙に掛かり『厚化粧の刺客』にされなくて本当に良かったと思いました。ともかくも、このような文四郎とおふくの直向で正直な苦難の人生から透けて見えてくるのは、今の時代の日本でも見られる庶民と弱者たちを踏みにじる『冷酷な政治権力者』の横暴です。クライマックスでは、成人した主人公・牧文四郎が暴政の中心人物である筆頭家老に対して“お前は、人が苦しむ時にどんな痛みを感じるのかが分からないのだ!”というセリフを浴びせかける場面があります。見方次第ですが、今の日本の政治でも、このような江戸時代と同質の『冷酷な政治権力者』の横暴が幅を利かしています。


  ごく乱暴に言ってしまえば、その背景にあるのは一般の日本人が未だに「世界認識に関する普遍的理念」の意味が理解できていないということです。より具体的に言えば、「政教分離の原則」、「世界市民意識の役割」、「公共意識の重要性」、「生存権尊重の意義」など、国家のあり方に関する根本理念が如何に重要であるかが分かっていないのです。そして、江戸時代の日本はこれらの理念が存在しない時代でした。しかし、その時代の日本の下層の人々の中には藤沢周平が描いた文四郎やおふくのような直向で正直な人々が存在していたようです。一方、近代の西欧諸国は、啓蒙思想と市民革命の時代を経てこれらの理念を市民社会の中に定着させてきた訳ですが、残念ながら日本人の多くが漸くこのことに気づき始めたのは太平洋戦争後になってからです。そして戦後60年を経て、今漸くこの「世界認識に関する普遍的理念」の意味が本当に理解できるかと言うエポックにさしかかった時に、今度は、日本政府自身が恰も太平洋戦争直前の時代へ先祖がえりでもするかのように「世界の普遍理念の外にある国」へ向かって退行し始めたようです。しかも、そのような暴政の時代へ向かう、いわば「空間識失調状態」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050627)の政府を主に支持するのは「都市リベラルの浮動層」ならぬ『小泉リフォーム詐欺&厚化粧ポルノ劇場』の詐術に嵌って餓鬼のように変身させられてしまった「ヘタレ・ショタレ保守層」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050929)と呼ばれる人々です。しかも、彼らの殆んどが自己中心的な超利己主義者と化しているのです。もはや、そこでは文四郎やおふくのような江戸時代の庶民層の人々が持っていた直向で正直な美徳、いわば普通の人間としての最低限度の感性と他人を思い遣るような価値観が希薄なものとなっています。


  本来であれば、このような時にこそ国民一般に対して国家の根本的なあり方などを考えるための手掛かりや材料を提供するのが新聞・テレビなどの役割のはずですが、どうやらその日本のマスメディア自身が「空間識失調状態」に堕ちており、彼らは一方的な政府の広報機関の役割に唯々諾々と甘んじています。例えば、新聞社の論説委員クラスが書いた最近のオピニョン記事(複数)を読むと、このような傾向がハッキリ見えてきます。敢えて実名は伏せて数社の「総選挙後の日本についての分析記事」の中から、彼らプロを自負する新聞人の主張のポイントを抽出してみると次のように(▲)なります。


▲今回の総選挙で自民党が大勝したことに対し「マジック」だ「小泉劇場の催眠術」だ「大政翼賛」などの情緒的な批判があるようだが(ネット上のブログ記事のことか?)、こんなものは上滑りで幼稚な批判だ。


小泉首相が今の選挙制度の欠陥を知りながら、それを活かしたのは何も問題ではない。完璧な選挙制度などあり得ないので、要は今の選挙制度を最大限に活かして選挙に勝つことが肝要なのだ。ドイツの選挙での混乱に比べれば、日本の政治が安定しているのは小泉首相の手腕があってのことだ。政治の世界は勝てば官軍が当たり前だ。


NYタイムズが9.7付記事で自民党独裁が続く日本の民主主義は韓国や台湾より劣ると書いたが、これは日本の有権者の意識の変化を見ないカビが生えた日本異質論だ。日本は二大政党制への道を着実に歩んでいる。


小泉首相の欠点を敢えて挙げるなら、それは郵政以外の分野における無定見と戦略性の欠如だ。


  これらがジャーナリストを自負するプロによる分析の視点だというのだから驚きです。上滑りで幼稚なのはどちらなのでしょうか? ここで見られる特徴的なことは次の二点(●)にあります。一言で言えば、それはプロとしてのジャーナリズム精神の放棄であり、サラリーマン・ジャーナリストの意見です。


●現行の選挙制度である「比例代表並立小選挙区制」の欠陥を槍玉に挙げると、このことを今まで厳しく指摘してこなかったマスコミ自身の怠慢が浮上するので責任逃れを打っている。


●「政治理念」、「国政のあり方」、「政治家の資質論」などを問うという、いわば国と政治のあり方の根本を追求する姿勢が欠けており、政府の政策の後追いだけに徹している。


  マスメディアがこんなチャランポランをやっている間に「政府自身の太平洋戦争直前の時代への先祖がえり」と「日本の社会構造の二極化(貧富差拡大)のための構造改革」が着々と進んでいます。これを一言で言えば、日本の民主主義の劣化ということになるでしょう。そして、そのことを象徴する出来事を拾ってみると、次のような危機的な問題(■)が浮上してきます。日本では、今や江戸時代以来の「冷酷な暴政の伝統」が再び復活しようとしているのです。従って、マスメディアが持つべき基本的な視点は次の三つです。


(1)正常なマクロ経済の視点へ回帰した景気回復の方向づけについての監視(市場原理主義への偏重は世界の主流ではなくなりつつある)
・・・トヨタ奥田会長流の考え方が財界すべての意志ではないはず。


(2)見せかけではない実体的な公的部門の徹底効率化の監視
・・・「膨大な財政赤字拡大」の責任逃れ、そして核心的な課題をカムフラージュするための郵政民営化だけに誤魔化されるな。特別会計特殊法人等の矛盾を徹底的に追求せよ。(詳細は、Blog記事「toxandoriaの日記」http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050929を参照)


(3)日本国民の「生存権確保」の監視
・・・年金・福祉・医療サービスに関する基本理念を国民の合意の下で再構築すべき。ここが国民一般の不安の根本原因となっている。政府の広報機関化して国民に対して冷徹な目を向けるな。許すべきでないのは、「小さな政府」を擬装して大企業優遇の「大きな政府」(大きな政治資金と政治費用も大きな政府の証である)を実現すること、「小さな政府」を名目に弱者の差別化を推進すること、そして市場原理主義による効率化を口実に弱者に対する年金・福祉・医療サービスを意図的に低下させることの三点である。


小泉首相靖国神社参拝(民主主義国家における、小泉首相の政治家としての資質の問題)
・・・小泉首相靖国神社参拝は憲法が定めた政教分離の原則に違反するという「違憲判断」が2005年9月30日に大阪高裁で出された。それにもかかわらず、小泉首相やその周辺が大阪高裁の違憲判断は遺憾なことだと批判しており、首相自身も再び参拝する意志があることを示唆する発言をしている。小泉首相にとっては、「9.11参院否決→衆院解散・総選挙」に限らず憲法違反(授権規範性の尊重)などは物の数ではないらしい。(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050930-00000032-mai-soci


■「共謀罪」を閣議決定(2005.10.4)(太平洋戦争直前以前の時代への先祖がえり、
http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20051004/eve__sei__003.shtml
・・・国家が国民一人ひとりの心の中まで支配し強制しようとするのは日本が全体主義的な統制国家あるいは封建時代のような閉鎖的な国家体制へ向かうこと(詳細は下記Blog記事(★)を参照)。小泉首相は、ネット規制を視野に入れた「人権擁護法」とメディア&ネット規制を視野に入れた「国民投票法」の来年度における通常国会への提出に意欲を燃やしている。その先に来るのは「憲法改正→交戦権の確保→徴兵制」の流れ。
★何故か報道されない「共謀罪」の国会審議入り(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050627


トヨタ自動車の事例が語る「消費税の輸出戻し税」の問題(消費税還付制度の矛盾/社会構造二極化(貧富差拡大)の構造化の問題)


・・・「消費税の輸出戻し税」は輸出の比重が大きい大企業の大きなメリットとなっている。これは、輸出業者に対する「ゼロ税率制度」という税法上の制度があるため発生するもので、例えばトヨタ自動車は2004年度に1、964億円もの還付税を受け取っている。これは、輸出売上げにゼロ%をかけ、そこから仕入れ売上げにかかる5%分を差し引くという計算方式から発生するマイナス額が計算方式上の解釈から「輸出戻し税」として還付されるもの。この計算プロセスで還付額と消費税額の相殺が行われるため、結果的にトヨタ自動車の場合は消費税を1円も払わず、逆に他社や一般国民などが納めた消費税の中から多額の還付金を受け取っている。この結果、貧乏な国民や中小国内企業の消費税負担は厳しく徴税される一方で、トヨタなど輸出型の大企業は消費税を払わず逆に還付金を受け取るという特別待遇を国から受けており、貧富差の拡大が進む(低所得者ほど消費税の実質的な負担が重くなる)大きな原因となっている(詳細は下記記事(★)を参照)。


・・・従って、これから消費税額が上がれば上がるほどトヨタなど輸出型の大企業は利益が拡大する一方となる。このため、経団連会長でもある奥田トヨタ会長は消費税額を上げることに異常なほど熱心であり、その上、更なる企業減税や武器輸出三原則の廃止など図に乗ったような要求を政府へ申し入れている。また、今回の総選挙ではトヨタが全社を挙げて自民党支援に動いたことが報道されている。これは、かつてのゼネコン選挙の肩代わりの構図に過ぎず、政治献金も含めて、益々、財界と政府与党の癒着のパイプが深まる新たな腐敗の構造が出来たことに他ならない。ここでも小泉政治に特徴的な欺瞞の姿が現れている。これで何が小さな政府だ!といいたくならなければ不思議である。

★消費税(関東学院大学法科大学院教授 湖東京至・解説)
http://shounan.la.coocan.jp/documents/shinbun/2005-09-12.htm
★なぜ、消費税に固執するか・・・、
http://kurodamich.exblog.jp/9674937/


<追記>トヨタ等輸出型大企業の「消費税の輸出戻し税」についての厳密な考え方
・・・「消費税の輸出戻し税」を純粋に消費税の仕組みの観点からだけ見れば、輸出企業は消費税を仕入れ代の形で前払いしているのであるから「輸出戻し税」の還付を受けても問題はないことになる。しかし、現実的にはトヨタのような輸出型大企業は取引上の力関係で下請企業に対して強大な支配力を持っている。このため、たとえ外見上は消費税分が下請企業に対して前払いした上で自らの仕入れ代にかかわる消費税として転嫁された形になっていても、大企業側から何がしかの値引き要求があれば下請企業として断ることは困難だというのが現実であり、これが殆んど恒常化している節がある。


・・・結局、このような取引関係上の事情(力関係)が背景となって、輸出型の大企業は「仕入れ代にかかわる消費税負担を現実的に逃れることができる」とともに「下請けが負担して納めた消費税部分の還付を受け取ることが可能」となっている。このような意味で、「消費税の輸出戻し税」は輸出の比重が大きい大企業の大きなメリットとなっている訳である(詳しくは下記URL★を参照)。関東学院大学法科大学院教授、湖東京至氏の消費税についての解説は、このことを挿していると理解できる。


★消費税の仕組み
http://www.nta.go.jp/shiraberu/ippanjoho/pamph/koho/kurashi/h20/pdf/a-4.pdf
★林 佳宏:消費税の課題
http://www.eco.wakayama-u.ac.jp/~ykawabat/ykawa/1998/Ronbun/hayashi.pdf
★林 明(税理士):輸出企業に消費税が還付される仕組み
http://hb8.seikyou.ne.jp/home/o-shoudanren/hayasi.pdf.pdf