toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

日本国民は「あいつは敵だ、あいつを殺せ!」(小泉首相の真髄)の政治選択だけで本当にいいのか?

●下記「・・・『 〜 』・・・」の部分は、(立花 隆のメディア・ソシオ・ポリテクス、2005.9.27)http://nikkeibp.jp/style/biz/topic/tachibana/media/050927_koizumi/index5.htmlからの転載です。
・・・・・『 〜 自由選挙の体裁を保つために、翼賛政治体制協議会の推薦を受けない人間も立候補することを自由にしたが、非推薦候補の選挙運動は役所も警察も徹底的に妨害して、落選させようとした。そこまでしても、推薦候補は381名しか当選できず、非推薦候補の中から85名が当選した。非推薦候補の得票を全部合わせると、実に35%にも及ぶ得票を集め、東条の心胆を寒がらしめた。
<反対派を完全封殺したあとに残るものは・・・>
今回の選挙における、小泉首相の郵政反対派に対する扱いは、このときの東条の非推薦候補に対する扱いとそっくりである。要するに、法の許す範囲で自民党ならびに政府が与えられる影響力を駆使して、すべての反対派議員の政治生命を抹殺しようとしたのである。
政治というのは、せんじつめれば、「あいつは敵だ。あいつを殺せ!」の一言に集約されると喝破したのは埴谷雄高だが、小泉首相は05年選挙においてそれをやってのけたといえる。そして、昭和17年の大政翼賛選挙以上の成功をおさめたといえる。なにしろ昭和17年選挙では、非推薦議員が85名も残り、大政翼賛会による議員の完全制圧はならなかったのだが、05年選挙では、自民党内部にかぎっていえば、反対派は、非公認あるいは除名によって、完全に排除され、いまや18名の無所属(あるいは6名の新党所属)議員が残るのみである。要するに自民党の内部は、完全大政翼賛会状態になってしまったのだ。その状態に国民大衆が無邪気に喝采を送っているというのは、危険な状態だと思った。昨日の小泉首相所信表明演説に拍手喝采を送る小泉チルドレン議員たちの姿を見ながら、私は、いま日本の政治はとても気味が悪い状態になりつつあると思った 〜 』・・・・・

猪口邦子片山さつき佐藤ゆかり藤野真紀子小泉チルドレン)などにしても野田聖子(転向小泉チルドレン?・・・他の転向議員(郵政民営化反対→賛成へ)たちと同様に彼女も投票した選挙民を甚だしく侮辱していることになる)にしても、所詮、“時の権力に平伏し、剥き出しのエゴと自己保身にしがみついた才女(英語が話せれば才女なのだろうか?)”たちの「おセレブ」(何と下品なこの響き!)な個々のご活躍ぶり(?)の痕跡は、所詮『小泉ポルノ劇場の“売女風味”うば桜たち』の一人の足跡であるに過ぎず( one of them as prostitutes)、かつて“マグダラのマリア”が遺した“精神の高み”(モラル・ハイグラウンド)には及びもつかぬことです。なお、日本の平和憲法が持つモラル・ハイグラウンドを世界が賞賛しているよしを初めて紹介したのは国連軍縮委員会・委員時代の猪口邦子です。しかし、この日本のモラル・ハイグラウンドへの評価も彼女たちのご活躍ぶりによって地に落ちつつあるようです(http://www.sankei.co.jp/databox/election2005/0509/050923m_pol_45_1.htm)。

●そして、現代日本の大政翼賛の政治状況が、下記の直近の忌まわしい歴史的事実[・・・『〜 〜 〜』・・・]の1ページ(日本の軍国主義化と太平洋戦争突入を準備した、ひたすら大政を翼賛すべしという空気が充満し始めた時代)にオーバーラップ( overlap )することを見逃すべきではないようです。この部分は山室信一著『日露戦争の世紀』(岩波新書)P.132〜133からの転載です。また、日清・日露戦争第一次世界大戦の時代にしても、満州事変〜太平洋戦争の時代にしても、新聞を中心とするマスメディアは必ず『非戦論』を侮辱して『主戦論』を煽りながら(つまり、一般国民を騙しながら)売上げを増やした(現代のテレビなら視聴率を上げる)という実績があることを忘れてはならないようです。敗戦後の60年は、その反省からスタートしたはずであるにもかかわらず、憲法違反だとする司法判断も一向に意に介せず「靖国参拝」を強行(http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/koizumi.html?d=14mainichiF1015m041&cat=2)しようとする『小泉劇場の華々しい演出』に加担してしまった日本の主要なマスメディア(新聞・テレビ)は、今や同じ誘惑の蜜の味(国民を騙しつつ売上げを増やすこと)の虜と化しているのです。「私は、いま日本の政治はとても気味が悪い状態になりつつあると思った・・・」と立花 隆氏がメディア・ソシオ・ポリテクス(上記)で語っているのは、このことを指しているのです。

・・・・・『 〜 こうしてアメリカ、イギリスの承認を背景に、ポーツマス講和条約でロシアにも日本による韓国の優越的指導権を認めさせたことをうけて、1905年11月17日、第二次日韓協約が結ばれ、外交権を全面的に接収して保護国化を実現します。しかし、この協約の締結にあたっては、高宗が激しく反発しただけでなく、大臣の多くも反対したため、特派大使・伊藤博文は宮中に銃剣をもった兵を配置させたうえで、李完用、李夏栄、李根沢、李址鎔、権重顕の五大臣の賛成をもって多数決で可決したとしました。あくまで反対した韓圭セツ・参政(首相に相当)が辞意をもらして退室したとき、伊藤は「余り駄々を捏ねるようなら殺ってしまえ!」(西四辻公堯『韓国外交秘話』)と、他の大臣たちに聞こえるように大声でいったといわれています。この第二次日韓協約を韓国では乙巳(ウルサ)条約と呼び、これに賛成したとされる五大臣は、乙巳五賊(ウルサオジョク)つまり売国奴として現在でも非難されています。・・・(途中省略)・・・このように韓国政府代表者に対する「脅迫、強制」の下で締結された第二次日韓協約は、当時の国際法によっても当初から効力を発生しなかったとみられますが、この問題は1952年以来の日韓交渉においても最大の係争点となりました。しかし、結局一致をみないまま、1965年の日韓基本条約調印時において、「1910年8月22日以前に大日本帝国大韓帝国との間で締結されたすべての条約および協定は、もはや無効であることが確認される」(第二条)として、いつの時点で無効となったかについて明示しない形で処理されました。このため、現在でも日韓協約無効論があり、今後の北朝鮮との日朝交渉のなかでも問題となる可能性があります。いずれにしても日本にとっては、ここに日露戦争の最大の課題(日露戦争を準備する段階での課題のこと、つまり日露戦争の開戦に先立ち韓国を日本の植民地としておくという課題)は、達成されたことになりました。しかし、こうした日本の動きは、東アジア世界の新たな不安定要因となってきます。〜 』・・・・・