toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

映画『蝉しぐれ』の残照


<注>TBにコメントを送ろうとしましたが、システムの都合で送れない方もおりましたので、関連情報を書き込んだ新しい記事としました。映画『蝉しぐれ』の公式HPはこちらです。→http://www.semishigure.jp/


(TB頂いた方々へのコメント内容)


映画『蝉しぐれ』の感動が忘れられません。ほぼ同感の印象でしたし、細やかな観察に敬服したので先にTBを送らせていただきました。「蝉しぐれ」、本当にいい映画でしたね。


特に子供時代の二人の演技が強く印象に残りました。フォトジェニック賞を受けた(ブログ、Moon Dream Worksさまの情報)、存在感がある石田卓也はきっといい俳優に成長することでしょう。それに、佐津川愛美の子供時代があるからこそ木村佳乃の美しさが映えるんだということ、これは全くそのとおり(「裏の皮、ブログ」さまのご意見)だと思います。この二人の今後の成長も楽しみです。


ご存知かと思いますが、新潮社の“とんぼの本シリーズ”の新刊で「名作の舞台裏、藤沢周平・心の風景」(藤沢周平佐藤賢一ほか共著)が出版されているようです。(詳細はこちらをどうぞ→http://www.shinchosha.co.jp/tonbo/html/4-10-602136-6.html


たまたま、佐藤賢一の小説のファンですので嬉しくなりました。佐藤賢一庄内地方の風土が好きで、たしか酒田に住んでおり、主に中世ヨーロッパを舞台とした小説を書いています。


この映画は家内と一緒に見に行ったのですが、映画が終わってからも感動の涙がこぼれそうになり困りました(エンドクレジットで席を立たない人が多かったのは、多分同じような方が多かったんでしょうね)。日本人の心と文化は大切にしなければという想いが湧いてきました。


これから、庄内地方の自然と風土を探訪するつもりです。(わりと近い仙台に住んでいるのですが、この方面へは行ったことがありませんので今まで勿体ないことをしていたと思っています)


そして、なんといっても木村佳乃の日本的で清楚な美しさが忘れられません。庄内地方の空気と彼女の美しさがイメージの中で溶け合い独特の質感(クオリア)を醸し出しています。


なお、山形・庄内地方の風土的な魅力を見事につかんでいるHP(ギャラリー)を見つけたので、ご案内(下記★)しておきます。


★Fickle Window
http://www.ic-net.or.jp/home/koko/f_win.htm
★風の記憶
http://homepage2.nifty.com/torukin7/
★Yagoro’sHomepage!別館
http://yagoro2.hp.infoseek.co.jp/


[参考]山形(庄内地方)とカッパドキア(トルコ)の類似性について


・・・両地域とも緑色凝灰岩(グリーンタフ)や黒鉱が発達しており、岩や石の性質が似ており、その他の鉱物資源にも恵まれている。両地方は、火山性の堆積物が高原や山を作り、脊梁を形成する奥羽山脈出羽山地には火山もあったため岩の性質がとてもよく似たと考えられる。


・・・カッパドキアでは、キリスト教徒が住む以前には恐らくヒッタイトシュメール人がいて、ノアの洪水の原型のギルガメッシュ神話などの絵を岸壁に描き粘土板の文書も残した筈だが、後から来た者がそれを破壊してしまった。


・・・いずれにせよ、このような訳で5千年近い歴史を持つ文明の中でカッパドキアは一種の異なる民族の「結界」を構成していた。また、庄内地方カッパドキアは豊かな鉱物資源が放散するエネルギーにも恵まれていることになる。それが一種の民族的な「結界」と重なり両地方の「霊場」に相応しい(何か人の心に響く霊感のようなものを感じさせる)風土環境を形成してきたと考えられる。


・・・また、カッパドキア庄内地方の両地域に共通するのは夕日の景観が素晴らしく美しいことである。鶴岡に住む作家・佐藤健一が、出羽三山日本海に抱かれた鶴岡地方(≒蝉しぐれの舞台となった海坂藩)は理想的な小説空間であり、より時代小説の舞台に適したミクロコスモス(死生観としての風景)と述べていることとも何か共通性を感じさせる(参照、表記、佐藤健一の著書)。

(参照、「藤原 肇著:賢者のネジ(たまいらぼ出版)」)