toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

三たび断念された「共謀罪」の深層にあるものは何か


  趣味の同好会やサークル活動、ネット上のML仲間やBlogリンク・グループなどがいともたやすく濡れ衣で摘発される可能性が出てくるとして与党内からも猛反発を受け、政府は、10月19日に「共謀罪」(法案名称=犯罪の国際化及び組織化並びに情報処理の高度化に対処するための刑法等の一部を改正する法律案)の今国会での成立を断念しました。しかし、政府は引き続き次期国会での成立を目指すとしています。


  何故に、政府及び与党の一部はかくも執拗に「共謀罪」の成立を図ろうとするのでしょうか?、又、主にどのような観点から「共謀罪」は批判・反対されるのでしょうか? これらの点については東京新聞の「特報記事」(下記★)の分析が分かりやすく優れていると思われまが、ここでは全く異なる観点から、三たび断念された「共謀罪」の深層にあるものは何かを探ってみます。


★『共謀罪 三たび断念の背景』(東京新聞、10/20付特報記事)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051020/mng_____tokuho__000.shtml


  「共謀罪」関連の法案が準備された契機は周知のとおり国連総会で「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約」(国連国際組織犯罪条約、http://home.kanto-gakuin.ac.jp/~adachi/information/021121.html)が採択され、日本も署名したことにあります。これを受けて国内法の整備を急がなければならないということで準備・提案されてきたのが「共謀罪」です。この条約の第3条1項には、条約の適用範囲として「性質上国際的(越境的)なものであり、かつ、組織的な犯罪集団が関与するもの」と明記されています。然るに、執拗に三度も出されてきた法律案(共謀罪)においては、「国際的な犯罪」という要件が全く当て嵌められていないのです。


  つまり、この条約には国際的組織犯罪、マフィア・テロ組織等の国際的で大規模な犯罪を防止する趣旨があるにもかかわらず、国内で行われる犯罪の実行行為を伴わない“共謀それ自体”(連帯・相談・打ち合わせなどの行為)にターゲットを絞り、それを処罰しようとしている点で刑法の全面改悪に等しい(罪刑法定主義の原則に反する)こと、また、仮に共謀罪が制定されたとすると、その広範な適用範囲によって社会的に処罰の必要のないありとあらゆる行為に処罰の網がかかってしまうことが懸念されるのです。更に、共謀罪を立証するため自白を偏重する強権的な捜査や共犯者による危険な(裏切り的あるいは司法取引的な)供述立証が増加し、あるいは盗聴・密告などのプライバシーや通信の秘密等を侵害する強引な捜査手段が拡大することによって、日本中が全体主義国家のような疑心暗鬼の空気に満ちた、暗く抑圧的な社会に変わってしまう恐れがあります。(更に詳細な共謀罪の問題点については下記URL▲を参照)


▲『共謀罪―5つの質問―』(意見書:自由法曹団
http://www.jlaf.jp/iken/2004/iken_20040115_02.html


▲講演「共謀罪の危険な法律的構造」
(足立昌勝・関東学院大学教授)
http://tochoho.jca.apc.org/ut/adkxa.html


  なぜ、このようなこと(このように問題が多い共謀罪関連法案が執拗に出されてくること)になっているのでしょうか? ともかくも、このように執拗で首尾一貫性がある政治的・政策的な意図の背景には、必ずその意図に働きかける原動力のような強いパワー(圧力の発信源)が存在するはずです。そこで、この「共謀罪」(刑法の整備)推進の原動力となっているものは何かという点にスポット当てつつ少し深く考えてみることにします。日本国憲法にあるとおり、先ず法律を制定する権力は国会にあります。それは、日本国憲法第41条が“国会は国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である”と定めていることに依ります。更に、この国会の法律制定権力に働きかけるパワーにどのようなものであるかを具体的に検討して見ると、次の五つがクローズアップされてきます。


(1)政府(内閣)の強い意志
(2)政党の統一的な決定方針
(3)圧力団体の意志
(4)世論の存在
(5)巨額の政治献金の存在(合法か違法化は問わず)
(6)外圧


  この「共謀罪」の場合、与党内にも反対論が多いことを考えると先ず(2)は該当せずと見てよさそうです。(4)も、この場合は該当しません。残るのは(1)、(3)、(5)、(6)の四つですが、「共謀罪」の場合は特定の業界団体等の利益誘導に結びつく法案とは考えにくいので(3)と(5)も除外してよさそうです。結局、残るのは「(1)政府(内閣)の強い意志」と「(6)外圧」だけです。そこで、この「共謀罪」の場合は、内閣が法案を提出する形となっているので、問題は更にその奥に存在する原動力的な強い意志(パワー)が何に由来するのかということになります。


  その実態を短兵急に特定することはできませんが、おそらくそれは何らかのイデオロギー的な強い意志であるだろうと想像することが可能です。ごく常識的な観点で見れば、「9.11N.Y.同時多発テロ事件」の影響を受けた国内テロ対策の一環だと言えるかも知れません。しかし、仮にテロ対策が必要だとしても、この「共謀罪」の場合は、国家によって統治される立場であると同時に国家の主権者でもある一般国民の主権(人権)をあまりにも根底から侵害し、その利益を損ない過ぎていると思われます。そして、何よりも“その主眼がテロ対策だというなら、なぜ「越境性」ということを意図的に外したのか?”、この点についての説明が提案当事者である政府自身から一切聞けないのが不気味さを増長しています。


  このように何らかのイデオロギー的な強い意志が存在すると仮定したとき、それはどのようなプロセスで「政府(内閣)の強い意志」の中に“民主的な顔で”忍び込むことが可能なのでしょうか? 仮に、それが最高権力者たる内閣総理大臣の個人的意志(確固たる信念)であったとしても、それをストレートに、あるいは露骨に明言的な形で「政府(内閣)の強い意志」だとして表に現すことは、いやしくも“民主主義国家の建て前を掲げる”以上は困難なことです。その証拠に、小泉総理大臣は、「靖国神社参拝」のたびに、その参拝の意図は「二度と戦争を起こさぬという平和を願うこと」だという申し開きのようなコトバを殊更のように、繰り返し繰り返し陳述しています。そこで、何らかのイデオロギー的な強い意志が、恰も民主的な手続きであるかのように表面を装いながら、制定される法律の中へ密かに忍び込む可能性を秘めるプロセスとして考えられるのが「審議会制度」の仕組みです。


  国の審議会は法律によって設置されることになっています。大臣などの諮問(法案等の専門的な内容の検討を委任すること)に応じて重要政策などについて調査・審議を行い、その結果を諮問を受けた大臣等へ助言し勧告することになっています。この制度は、これは建て前上のことですが、国民が行政に直接的に参加する仕組みの一つとして、行政民主化の視点からも注目されてきています。また、審議会の委員の性格と位置づけは審議会によって異なります。


  現実的には学識経験者が委員に任命される場合が多くなっています。つまり、各審議会の委員たちは学識経験者として専門知識を求められたり、あるいは中立的・調整的・大局的観点からの提言が期待されているのです。しかし、あまり目立たないのですが、ここにこそ大きな問題点があります。それは、これら「審議会の委員に対する任命権者は誰か」という問題です。法務省が公表している「法制審議委員会」関連の資料(http://www.moj.go.jp/SHINGI/housei.html)によると、当審議会の根拠法令は「法務省組織令第57条」で、その所掌事務の目的は下記のとおり、委員は学識経験者(定数20人以内、任期2年)となっています。(現在の委員名等のデータについても同資料を参照のこと)


(1)法務大臣の諮問に応じて、民事法、刑事法その他法務に関する基本的な事項を調査審議すること。


(2)電子情報処理組織による登記事務処理の円滑化のための措置等に関する法律(昭和60年法律第33号)第5条第2項の規定に基づきその権限に属させられた事項を処理すること。


  今回の総選挙の結果を見る限り、今や小泉政権は国内の政敵を悉く一掃した磐石の政権体制となっており、一見するところでは国民一般の支持率も高く、日本の未来は「小泉構造改革」の旗印の下で燦然と光輝き始めたかのように見えます。しかし、それにもかかわらず日本の民主主義のレベルは明らかに激しく劣化しつつあるように思われます。その理由については、以前に当ブログ記事「『小泉ファッショ政治』の欺瞞を乗り越えるための考察」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050929/p1)で纏めたとおりです。たまたま、ここまで書き進めたとき「ブログ『優勝劣敗』」様(http://d.hatena.ne.jp/tokumei_r32/20051026)からトラックバックが入っていることに気がつきました。


  そして、まことに偶然なことですが、この「ブログ『優勝劣敗』」様は、記事「『小泉ファッショ政治』の欺瞞を乗り越えるための考察」の中から、磐石であるはずの小泉政権下で国民の中に得たいが知れぬ不安感が広がりつつあることの要因として下記の5点を抽出して下さっています。(このネット上の稀な邂逅、セレンディピティ(?)には我ながら驚いています)それによると、今、磐石の小泉体制下で「漠然とした不安感」が国民一般の中に広がりつつある要因として考えられるのは下記の5点です。


(1)小泉首相には初めから日本国憲法を無視する意志があったと思われること


(2)選挙制度の欠陥(死に票が多いことによる)が隠されていたこと


(3)部外者から見ると、小泉首相とその熱烈な支持者(ヘタレ=ショタレ保守層、小泉チルドレンなど)たちの間には“恫喝と被虐の感情が交差する”ような一種独特の異常熱愛シンドロームの雰囲気が漂っていること


(4)小泉劇場について濫喩的分析を試みると、その深奥から激情的なViolenceの嗜好が表出してくること


(5)小泉劇場とマスメディアが共犯的堕落という一点で深く共鳴し合っていること


  一方、この4年以上に及ぶ小泉政権下で最も持続的な現象として目だったことを抽出してみるとと、それは(小泉構造改革全体のキャッチフレーズである「改革」(特に郵政改革)というコトバを除外すれば)「靖国神社参拝の問題」と、この執拗に(粘り強く?)提出が繰り返されている「共謀罪」であることが分かります。そこで、再び「法制審議委員会」の問題に目を転じてみると、一般に各種審議委員会のメンバー(委員)の任命権者は所轄官庁のトップである担当省庁の国務大臣等であり、内閣に属する審議委員会(税制調査会選挙制度審議会など、http://www.cao.go.jp/council.html)の場合の任命権者は内閣総理大臣です。つまり、「法制審議委員会」の場合の当委員の任命権者は法務大臣です。しかし、当然のことながら各国務大臣の任命権者は内閣総理大臣であるので、現実的にこれら各委員の任命権者が内閣総理大臣であることは火を見るよりも明らかな事実です。従って、建て前上のことはともかくとして、このような点から見ても内閣総理大臣の権限は非常に強大なものであることが分かります。


  仮に委員に選ばれる学識経験者の性格面についてのグルーピングを試みると、彼らは凡そ以下のような五つのタイプになることが理解できるはずです。言って見れば、日本の政治世界における最高権力者たる内閣総理大臣は、これら学識経験者のタイプを目ざとく識別しながら作為的に適材・適所の組み合わせをして、自らが意図する目的に最も適合した審議委員会を作為的に構成することが可能なのです。そして、自らが信念とする政策を積極的に推進し実現することができる仕組みがお膳立てされるという訳です。ここにこそ、日本の建て前上の民主主義政治の仕組みの中に独裁的で意図的な、強いて言えば邪悪な政治権力の意志(特定の意志的圧力)が巧妙に忍び込む隙があるのです。


(1)自己主張旺盛・功名心追求型(このタイプは容易に体制擦寄型へ変質する)
(2)研究・学識専念型(学識派)
(3)理念追求型A(イデオロギータカ派
(4)理念追求型B(イデオロギーハト派
(5)その他(右顧左眄タイプ、ビジネスマンタイプ、トンデモ派など)


  ところで、今、最も注視すべきポイントは表記の「『小泉ファッショ政治』の欺瞞を乗り越えるための考察」で述べたことですが、日本政治の深奥に「軍事国体論」の復活を試みる強い意志が蠢いていることです。執拗に繰り返される小泉首相の「靖国神社参拝」と、同じく執拗に繰り返される「共謀罪法案」の提出によって日本中の政治的な空気が右へ右へとたなびき始めていることは間違いがない現実です。このような動向の背後に「軍事国体論」の復活を試みる意志が存在することも間違いがなさそうです。一方、小泉政権は一般国民の熱い支持を受けて「衆議院2/3体制」で磐石の装備を完成させています。このような現実を見ると小泉首相の顔が「ヤヌス神」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%8C%E3%82%B9)のように見えてきます。


  一般に「ヤヌス神」の造形は物事の終わりと始まりの象徴とされています。が、これは見方次第では善良と邪悪が渾然とした人間社会の宿命の象徴だと見做すこともできます。言い換えれば、人間社会も大自然の一部なので、恰も免疫力が落ちた生命体がガン細胞やウイルスに犯されれば朽ち果てるのと同じように、人間が民主主義社会を維持するために必要な相当の努力(免疫維持の努力に相当)を怠ると、その瞬間に忽然とヤヌス神の裏側の顔(邪悪な側面/小泉首相の場合は、心地良いワンフレーズ・ポリテクスを語る表向きの顔が暗転すると、赤い舌をぺロペロと出しながら薄ら笑いを浮かべて軍事国体論を語り始める恐ろしい国家主義者の顔が出現する?)が反転して現実化するという具合なのではないでしょうか。


  このように見てくると、「共謀罪」の深層にあるものは「軍事国体論」の復活を試みる、ある一団(特殊なナショナリスティックなイデオロギーを信奉する一派)の強い意志である可能性が高く、件(くだん)の「法制審議委員会」はその強い意志を日本の民主主義社会の中に密かに忍び込ませ浸透させる役割を果たしつつあるのではないかという疑念が湧き上がってきます。このような意味で、当委員会へ人材を提供する土壌である法学アカデミズム(特に刑法学会)の今後の人事動向などを十分注視する必要があると思われます。


  そして、今こそ、本当の意味での学問と学識経験者の真価(役割)が問われているのではないでしょうか? ここにきて、欧米系メディアや米国議会関係者などが「小泉首相靖国神社参拝問題」に対して冷静な分析と厳しい批判を加えるようになった(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051025)のは、彼らもこの日本の根本的なガバナンス部分についての危機を感じ始めたからなのかも知れません。


  それにしても不気味なのは国会内に生まれた「小泉チルドレン」なる一派です。彼らの言動を観察すると、喩えてみれば頭脳が一定方向に向けてのみ作動するようビルト・イン&コントロールされたアンドロイド(人造人間/http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%80%A0%E4%BA%BA%E9%96%93)の一群のような無感動で無表情な人々に見えてきます。これは、彼ら個々の人々の知能の高さとは無関係なことです。要は、彼らが血の通った温かみがある人間の心を失っているのではないか、ということです。


  そして、その余波が国会の外にも及び、一般社会や電脳空間の中にさえも「小泉チルドレン現象」のようなグルーピング(あるいはエンクロージャー/囲い込み)のような動きが観察され始めたことが不気味です。過半の一般国民が、このような危機的状況に気づくには、あまりにも「日本のヤヌス神」(小泉神話)の存在が大きく育ち過ぎてしまったようです。このマインドコントロール状態を解く方法は、健全な考え方と批判力を回復させるための人間的な連帯の輪を拡げる地道な努力(実は、共謀罪のターゲットは、このような人間的な連帯の動きを規制し牽制することにあるようです)しかあり得ないと思いますが、日本のメディアが少しでも批判精神を復活してくれることにも期待をかけたいと願っております。