toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「耐震偽造事件」(小泉劇場・第ニ幕)と映画『ガス燈』に通底するトリック

  久しぶりに、レンタルDVDで往年のサスペンス映画『ガス燈』(ジョージ・キューカー監督、イングリット・バーグマンシャルル・ボワイエ、ジョセフ・コットン主演、制作1944年)を鑑賞しました。明らかに時代遅れな白黒映画ながらも、やはり、19世紀の霧のロンドンを舞台にサスペンスを盛り上げるシナリオづくりの巧みさと主人公ポーラを演じるイングリット・バーグマンの初々しい名演技に引き込まれてしまいました。おおよその筋書きについては、この映画のHP(http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=4481)をご参照ください。サスペンスを盛り上げるポイントは、新婚の主人公ポーラが熱愛する夫(実は悪意がある夫)に騙されてロンドンの邸宅で殆んど一人で部屋に幽閉されるような生活を送る破目になることにあります。周辺の日常生活と他の人々と繋がる客観的で多様な情報空間から遮断された彼女の精神環境は必然的にニューロティックな孤立状態に嵌ってしまいます。心から深く愛する夫という只一人の人間以外から信頼できる情報を(実は、その夫のトリックに誑かされて信頼し得ると思わされた情報しか)手に入らなくなった彼女は、日常の自我を支える方向感覚と定位点を見失ってしまいます。やがて、彼女は一時的な空間識失調状態から本物の精神異常になる寸前の状態まで追い込まれます。

  我われ一般国民は、それが無意識に近いものであるとしても、絶えず複数の回路から入る情報を比較検討することによって自らの定位点を探しながら自らの精神環境のバランスを回復させているのです。そのようにして我われは安定した日常生活を送っているのです。カルト宗教家、オレオレ詐欺師、ネズミ講の主催者、ペテン師、手品師、悪徳リフォーム業者、悪徳政治家などの毒牙のターゲットとなるのが、実は一般の人々が持つこのような「心の弱点」です。そして、今度は「小泉劇場・第ニ幕」とも言うべき「耐震偽造事件」が発覚しました。この事件の背後に漂い広がっている暗闇の胡散臭さは、19世紀ロンドンの深い霧にこそ似合いそうな政治的な魑魅魍魎たちの存在を予感させます。無論、この状況を「小泉劇場・第ニ幕」と名づけたからといって、小泉政権にこの事件の全責任があるなどという暴論を言い立てるつもりはありません。ただ、胡散臭い暗黒の霧が自らの周辺まで棚引かぬよう、「第一幕」の上出来(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051114/p1)に味を占めた小泉政権が「カイカク推進」を掲げるトリックで再び我われ一般国民の目を曇らせて、この大事件の結末を意図的にあらぬ方向へ誘導する恐れがあることだけは確かです。

  例えば、今、一部で「政府税調による各種大増税プラン」の本音が、つまり初めからの“政府の狙いは消費税の大幅UPだけ”に絞られていたのだという「大増税打ち上げ花火(トリック)説」が囁かれています。この真偽は分かりませんが、「政府税調(御用学者)による各種大増税プラン」の一部をタイミングを窺って引っ込めて(つまり、これを一般国民のガス抜きに利用して)「消費税大幅UP」の実現の方をスムースに運ぶという巧妙な計算が隠されているかも知れません。もし、そうであれば、再び“善良な一般国民はいい面の皮”ということになります。そこで懸念されるのが主要なマスメディア(テレビ・新聞)のジャーナリズム精神の欠落ということです。彼らが、政府の広報担当に甘んじることを止めて正気に戻らぬ限り、一般国民が適切な判断のための良質な情報を入手して自ら定位点を回復することは出来ないのです。つまり、主要なマスメディアがジャーナリズム精神(彼らの本来の務め)を回復せぬ限り、映画『ガス燈』の主人公ポーラと同じような閉鎖的環境に押し込められた『小泉劇場』の観客たち、つまり強かで悪意に満ちた政府に騙され続ける無垢で善良な一般国民は、その悲惨な空間識失調の煉獄から永遠に抜け出せません。

  今回の「耐震偽造事件」が何処まで大きな広がりを見せるかは見当もつかぬことですが、先取り情報を得意とするブログや週刊誌などの関連情報によると、今のところ露顕している事件に関わるだけでも約1,000億円規模の公的資金での救済(被害者となった住民の方々への救済)措置が必要だとされています。しかも、更にこれが周辺へ飛び火すれば、この数倍規模以上の巨額な公的資金による救済措置が必要とされる大事件(その流れ次第では中枢の政治家・高級官僚らを巻き込んだ大疑獄事件?)へ発展する恐れすらあるようです(参照、http://www3.diary.ne.jp/user/338790/)。また、昨日あたりの報道から、この事件の主役たち(マンション販売会社、建設会社、建築設計会社、建築確認検査会社等)の背後に君臨する大物、つまり彼らの黒幕として業界で“建築の神様とまで崇め恐れられる”某建築コンサルタント(会社)の名前が浮上しています。

  これだけ周辺が拡大してくると、この「大事件の深層(真相)究明」の先行きに対する影響力という観点からすると、恐らく司直の捜査活動だけでは揚力不足による失速の恐れさえあります。真剣な主要マスメディアの追求と検証が、そして多くの一般国民の怒りの声こそが、邪悪な政治権力による横車や地下世界からの圧力などを撥ねつけるパワーとなり、この事件の展望を左右することになると思われます。従って、我われ一般国民は、ただ目先の事件の展開に恐れおののくだけでなく、このような忌まわしい事件をもたらした全時代背景(今までの約10年に及ぶ時代、いわゆる日本の失われた15年にほぼ重なる時代)をも冷静に観察しておくべきだと思います。新聞等の情報によると、今のところ露顕している「耐震偽造マンション&ホテル」は、「建築確認・検査の民営化」が可能となるように「建築基準法の改正」が実施された1999年以降の申請物件に集中しているようです。そこで、この事件の直接的な背景でもある、「建築確認・検査民営化」が開始した1999年前後の主な出来事を拾っておきます。

(1999〜2000年は巨額の銀行不良債権問題がピークへ向かう時)

橋本龍太郎内閣、1996〜98>
日米安保共同宣言(1996)
・ 財政構造改革法(1997)
・ 消費税5%へ引き上げ(1997)
中央省庁等改革基本法(1998)
介護保険法(1998)
建築基準法の改正/建築申請確認・検査の民営化(1998.6)

小渕恵三内閣、1998〜2000>
・ 周辺事態関連法(1999)
男女共同参画社会基本法(1999)
・ 国旗・国家法(1999)

<森善朗内閣、2000〜01>
九州・沖縄サミット(2000)
・ 中央省庁再編(2001)

(2001年以降は小泉内閣による「構造改革と民営化原理主義」推進の時代)

小泉純一郎内閣、2001〜>
テロ対策特措法(2001)
日朝平壌宣言(2002)
・ 有事関連3法(2003)
イラク復興支援特措法(2003)
自衛隊イラクサマワへの派遣を決定(2004)
個人情報保護法(2005)
・ 「郵政民営化法案」9.11参院否決→衆院解散・総選挙(2005)

  この「耐震偽造事件」が世間に広まり始めたとき、武部・自民党幹事長が“この騒ぎが拡大し過ぎると日本の景気が悪くなりかねない”という主旨の発言をしたことを報道で知り、大いに驚かされました。日本国の指導者的立場にある与党のトップ(自称、小泉首相の偉大なるイエスマン?)の発言とはとても思えず、武部氏には失礼ながら、思わず「これはマフィアの発言ではないのか?」と我が耳目を疑いました。今回の事件で最も腹立たしいのは、この武部氏の発言に限らず、事件に連座・関係した企業のトップたち、関連業界を指導する立場の官庁のトップたち、小泉首相を始めとする政府関係者たち、与野党の政治家たち、そして関連業界に群がる御用学者たちのいずれもが、まるで他人事のような表情でこの事件について語ることです。これら日本の偉い方々(エリート層の方々)に関する限り、日本政府の安易な民営化政策によって生命・財産の危機を脅かされることになった人々、つまり真にお気の毒な被害者の方々の目線に立ちながら心から親身になって発言する姿はまず見当たりません。これは驚くべきことですが、彼らのいずれもが、まるで迷惑な火の粉を振り払うような表情で事件を語っています。日本人の倫理観は、これらエグゼブティブ層に属する人々から崩壊し始めているようです。

  当事件の病巣がより深い部分で潰瘍化あるいはガン化していることが判明したり、問題ビル建築の対象範囲が一般のホテルや学校・病院・福祉関連施設等まで拡大するようなことにでもなれば、それは「安易な民営化原理主義」(理念なき民営化原理主義小泉劇場による誤謬に満ちた諸政策の発信源)の誤りを明白に実証することになり、それは我が国の「現代史に汚名を残す異常な事件」に変質・発展する可能性さえあると思われます。いずれにせよ、我われ一般国民は、映画『ガス燈』の主人公ポーラのように、権力的な立場にある者による作為的な情報遮断で孤立化させられることを避けなければなりません。このため、客観的で公平な情報提供者としてのマスメディアの奮起が望まれます。そして、我われ一般国民は、我われの生命・財産及び基本的人権を脅かし蔑ろにする「暴政の主役」たちと「それを取り巻く諂(へつら)い者」たちに対して批判と怒りの眼差しを向け続けなければなりません。なぜなら、この事件の奥に潜む病原菌は「政・官・財の癒着構造」に他ならないからです。