toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「耐震強度偽造問題」を予見したトマス・アクイナスの警告(3)

toxandoria2005-12-18

Adam Smith(1723-1790)
【画像出典】:http://econ161.berkeley.edu/Economists/smith.html

  アダム・スミスは、ある行為の妥当性を判定するために「同感」(sympathy)という概念を用いて説明しますが、佐伯啓思氏はこの「同感」(sympathy)と「神の見えざる手」に重要な関連性があると考えています。また、佐伯氏は、一定の「富」と「徳」を備えた上流階級が社会秩序の形成に貢献することをスミスは期待していたとも述べています。ところが、現実には商業経済で産を成したブルジョア層が貨幣量の増大にますます重きを置くようになり、「公正価格」を支えるバランス機能が弱まっていました。このため道徳哲学者としてのスミスは、人々の内心に存在する「神の見えざる手」による自己規律(徳)の回復を期待していたのだと、佐伯氏は述べます。もし佐伯氏の説明が妥当であるとすれば、我われは「公正価格」の伝統に立つはずのアダム・スミスの経済学を根本的に誤解してきたことになります。なぜなら、「限界革命」以降の A.マーシャル(A.Marshall/1842-1924)、 A. C. ピグー(A.C.Pigou/1877-1959)、D. H. ロバートソン(D.H.Rebertson/1890-1963)ら新古典派の経済学者たちがそうであるように、今、我われは市場においてこそ最適で合理的な価格が決定されるという「市場主義経済」の始祖としてアダム・スミスを理解しているからです。

  「限界革命」とは、1870年代に W. S. ジェボンズ(W.S.Jevons/1835-1882)、C. メンガー(C.Menger/1840-1921)、L. ワルラス(M.E.L.Walras/1834-1910)の3人の経済学者が、ほぼ同時期に、しかも独立に「限界効用理論」を基礎にした経済学の体系を樹立して、古典派経済学に対し近代経済学を創始したことを指しますが、ここで「限界効用理論」のエッセンスをつかむために、この派の代表と目されるワルラスローザンヌ学派)の考え方の概略を追いかけてみます。ワルラスは、まず経済価値の源泉を人間の欲望にあると考えます。その上でワルラスは、その経済価値を量的に表現するため「限界効用」という概念を定義します。それは消費が1単位拡大することに対応する効用(満足度)の増加分です。一般にこの限界効用の大きさは、その増加にかかわった諸費が拡大するにつれて減衰(同じ刺激に対して飽きてくることと同意)します。

  従って、限界効用の累積値をいかに大きくできる(新しい消費を刺激し続けることができる)かが、この場合の課題となります。ここから、市場において限界効用を刺激し続ける新たな別種の供給があれば、それが適切な需要と均衡して適切な市場価格が決定(供給と需要が安定均衡)するという「市場主義経済の理論」が導かれます。このとき、その市場における価格決定のミクロな局面では“消費者が一定の予算統制下において、その効用(満足度)を最大化するように思考し行動する”ことが前提とされています。つまり、このとき消費者は市場の中で商品を選考するため「(一定の予算という)条件付きでの最大化問題」に取り組んでいることになります。また、この「市場における需要と供給の均衡」という考え方は、ワルラスが物理学の「熱エネルギー保存の第二法則」からヒントを得て着想したことが知られています。いずれにせよ、このように仮設的であった「市場主義経済の理論」が、1980年代以降になると新自由主義思想を標榜するアメリカの強力な支持を得た「市場原理主義」として世界を席巻してきたことは周知のとおりです。

  これは既に当記事(1)で述べたことですが、「グローバル市場原理主義」と現在の「わが国の構造改革」路線を支える「新自由主義思想」のルーツは、徹底的な「合理主義」の立場を自負しシカゴ学派の祖と看做されている反ケインズ論の祖・F. A. ハイエクと、それを引き継ぐミルトン・フリードマンらの経済学者たちです。彼らの際立つ特徴は“物価や名目所得の変動をもたらす最大の要因が貨幣供給量の変動”だと主張することでした。また、彼らは政府の財政的な介入の役割を認める「ケインズ主義」や“付加価値の公正・公平な分配”を重視する「福祉国家論」などは、社会科学的な「無知、不勉強、愚かさ」に基づくものだと厳しく批判・罵倒しています。しかし、このような人間としての傲慢さと不遜な考え方の延長に必然的にやって来るものこそが、現在の「耐震強度偽造問題」のような国家の基盤構造(インフラ・システム)そのものにヒビが入るという、まことに「非合理」な国家と社会の構造破綻の問題です。しかも、彼らが「市場原理主義の祖」と仰ぐアダム・スミスの真意は、人々の内心に存在する「神の見えざる手」による自己規律(徳)の回復を期待することであった可能性が高いのです。このような意味で道徳哲学者としてのアダム・スミスは「市場原理主義」の祖であるどころか、トマス・アクイナスの「公正価格」を正統に引き継いでいた可能性があるのです。

  いずれにしても、アメリカに隷属するあまり「第一フェーズ(相/phase)」(特定の者たちの所有に軸足を置く支配的・権力的なフェーズ)の経済に傾斜した現在の日本は、きわめて大きな国家的リスクを背負っています。アメリカからの対日「年次改革要望書」のシナリオに沿って「聖域なき構造改革」の名の下で強権的に進められ、『小泉劇場』の正念場とも称された「郵政民営化」が、皮肉なことにも法案の成立後になってから、実は茶番劇に近いものであったことが次第に明らかになりつつあります。例えば、初めは猛反対していたはずの郵政公社の幹部たちが、実は『小泉劇場』の進展につれて内心で賛成側の筆頭に回っていたことが分かってきました(参照、町田 徹著『日本郵政、解き放たれた巨人』(日本経済新聞社))。つまり、彼らは、国民の立場は無視する一方で、小泉首相の顔だけを立てて自らは実を取ったのです。その結果、愚直に自分の信念を貫いた一部の正義感がある政治家たちと大多数の良識ある日本国民は体よく騙されたようです。ここで浮き彫りになるのは「正義」など小ばかにした政治権力と高級官僚たちのエゴイズムです。そして、この悪影響と国益の損失を被るのは10年〜20年後の無辜の日本国民なのです。ここで浮き彫りとなったのは、社会的正義と「公正価格」を重視するモラル・エコノミー政策の対極にある現代日本の悪徳政治の極みです。

  今や、まるで炙り出しのように日ごとに姿を現しつつある「耐震強度偽造問題」の闇の構造には恐るべきものがあるようです。週間朝日(12月23号)の報道によると渦中の企業4社から小泉首相周辺(森派関係など)に約1200万円の政治献金がばらまかれていたようです。一事が万事の常から、これは氷山の一角だと思われます。また、12/14の国会証人喚問の結果、黒幕と目される某経営コンサルタント会社代表の周辺と背景から恐るべき暗黒の闇とネットワークが醸した腐敗の構造が急浮上しつつあるようです。コンサルタントと民間検査機関は日本政府の民営化路線(民営化原理主義)を錦の御旗に掲げて悪事の限りを尽くしているようです。耐震強度を擬装した建築士が渦中の姉歯氏以外にも複数存在するらしいことが報道され始めています。しかし、未だこれらも氷山の一角であるかのように見えます。また、一連の銀行不良債権処理の関連で債権放棄された古い取引困難な土地を狙った再利用・再開発関連の不法な地上げ問題との絡みも想像させられます。

  もしそうであれば、当事件の今後の展開次第ですが、無辜の国民の生命・財産を犠牲にした政官財の癒着が、ニ重・三重の巨額な公的資金(国民の血税)の無駄遣いを誘い込んでいる構図が見えてくるかも知れません。こんな嫌な雰囲気の中で、相変わらず小泉首相は一般の国民受けを狙った見え見えのパフォーマンス(得意のぶら下がり記者会見で消費税はそう簡単に上げるべきでないという“臭いセリフ”を吐いてみせたり、ブッシュからプレゼントされたセグウェイを嬉々として乗り回して見せたり、民主党の前原代表へ大連立のラブコールを執拗に呼びかけたり・・・)に現(うつつ)をぬかしており、その一方で日本政府が国民に対して過酷な大増税を押し付けようとしているのは噴飯物である以上に、まことに不謹慎でふざけた話です。それにしても、この国会証人喚問での自民党の対処はお粗末でした。建築業関連の人物を対象とする証人喚問をやるのに、わざわざ証人と同業関係の胡散臭い前歴がある族議員らを指名して質問をやらせた上に、彼ら質問者たちは持ち時間の8割以上を自分の演説で費やす有様で、これは一般国民を心から舐めたヤラセ以外の何物でもありません。そこにはボス(大親分)の意を汲んだ時間稼ぎか喚問された証人たちを救済するための煙幕張りのような怪しい臭いが芬々と漂っています。それとも、これが自民党議員の正真正銘の実力だというなら、それは日本の政権与党の政治家たちが恐るべきほど劣化していることの証(あかし)です。

  また、平成10年6月(1998)から平成14年7月(2002)にかけて建築基準法の一連の改正が行われましたが、この時に「建築確認検査の民間開放」、「建築基準の性能規定化」、「日影規制に関する選択肢の拡大」などの規制緩和が図られました。この中の「建築基準の性能規定化」によって、建築物全体で一定の性能(例えば地震に対する全体の構造耐力など)が満たされれば多様な材料・設備・構造方法などを採用できることになりました。これら一連の規制緩和のうち「性能規定化」が耐震強度擬装の誘い水となったことは十分考えられます(参照、http://www.asahi.com/national/update/1217/TKY200512170275.html)。ところで、民間の指定確認検査機関は全部で約120ありますが、このうち48が国の指定、その他は地方自治体の指定機関です。また、これら検査機関に国・地方の関連官庁から数多くの公務員が天下っています。従って、これらの検査機関は建前上は民間会社ですが、事実上は天下りの受け皿であり、隠れ公務員の逃げ場となっている訳です。そして、建築確認検査機関というような民間会社の顔をした「隠れ公務員の受け皿」の問題は他の公官庁についても広く存在します。

  実は、このような隠れ公務員の受け皿となっている機関には公益法人(財団法人、社団法人)のほかに独立行政法人特殊法人の子会社及び民間の指定確認検査機関(民間会社)に準じたような会社が数多く存在しており、これら隠れ公務員の数を正確に把握することは殆んど不可能な状態です。今、日本政府は公務員数の削減を表向きは「首相公約」で唄っていますが、それがどこまで本気なのかは疑問があります。なぜなら、日本政府は目に見える官庁の数を減らす一方で、隠れ公務員が住みつくことが可能な“民間会社”を次々と設立しているからです。2005.12.14付・東京新聞によると、自民党行政改革推進本部(衛藤征士郎本部長)は、14日の総会で特別会計整理合理化の骨子案を公開しました。それによると、基本的に組織の統廃合を目指し現在31の特別会計を今後5年間で3分の1程度に削減することを決定したそうです。しかし、この場合も一般国民が本気で監視し続けないと単なる見かけ上の数合わせで終わる可能性があります。つまり、「官から民へ」の掛け声によって、実質的な公務員数の実態がますます見えにくくなっており、以前よりも国家的な無駄遣いの構図が分かりづらくなっているのです。

  ここで少し視点を引き上げて、明治期以来の日本の歴史を概観すると驚くべきことに気がつきます。福沢諭吉の「文明開化論」に触発された日本人は、この百数十年間にわたり、ひたすら生真面目に欧米文化を追いかけてきました。しかし、今の日本は既に欧米へのキャッチ・アップの時代は終わり、世界に対して自己表現をすべき時代になっているはずです。それでこそ、グローバリズム時代を積極的に生きながら、日本は世界のために貢献することができるはずです。対米追従のままでムリヤり国連の常任理事国になろうとするばかりが能ではありません。それにもかかわらず、今の日本政府は、アメリカ発の対日「年次改革要望書」の翻訳文(=米国のための日本構造改革シナリオ)を天界からのご託宣(新自由主義思想に基づく市場原理主義と民営化原理主義のご託宣)の如く崇め奉っています(「第一フェーズ」(特定の者たちの所有に軸足を置く支配的・権力的なフェーズ)の経済に平伏している状態)。つまり、今の日本政府は、かつて第二次世界大戦に突入した時に近い狂信的な原理主義信仰(市場原理主義と民営化原理主義の信仰)に嵌っており、モラル・エコノミーを意識する冷静さを見失っています。しかも、この狂気に近い国家ガバナンスを夢遊病者のようになった大方の国民が支持しているため、日本全土が悪徳の炎に包まれており、まるでタワーリング・インフェルノ状態です。

  一方で日本政府は、“セレブな見栄え”を効かした『小泉劇場』のパフォーマンスで国民一般を煙に巻きながら、違法な公金を政治資金へ変身させるマネーロンダリング(例えば、「耐震強度偽造問題」から政治献金が生まれるような阿漕な手法)、不当な大増税の押し付け(政府は9月総選挙で安易な増税を否定したにもかかわらず定率減税配偶者控除・給与所得控除等の廃止、消費税・退職金課税等々の大増税プランを加速中/その一方で年金保険・医療・福祉関連の負担増の押し付けが行われつつある)、公務員の隠れ公務員化による税金の無駄遣いなど、実際は絵に描いたような悪代官ソックリの仕事に手を染めているのです。驚くべきことに、このような政府与党のパフォーマンスによる国民騙しの政治手法は、今回の「耐震強度偽造問題」から浮上してしてきた悪徳コンサルタント一派による詐欺的なビジネス手法とあまりにもよく相似しています。しかし、それにもかかわらず、今の日本では『小泉詐欺劇場』の公演がロングラン・ヒット中で満員御礼状態なのです。

  しかも、その日本が世界に発信できる唯一のメッセージは、小泉首相個人の狂信的信条と異常なパッション(情念)の賜物である「靖国神社参拝」だけという異様な袋小路に嵌っています。今、日本の中枢を担うべき政治家・官僚・御用学者・エグゼプティブ層の人々は重篤な自己中心病(自己保身病)と金満病(ゼニ・カネ原理主義)の合併症を患って“獣の道”に迷い込んでいる状態なのかも知れません。だから、我われ一般国民と主要メディアは、アメリカ流のグローバル市場原理主義に追い立てられることなく、かつてトマス・アクイナスが精緻化した「モラル・エコノミーと公正価格」(第ニフェーズの経済理論)の伝統を重視して「コ−ポラティズム(corporatism/直接、自らが何らかの形で政治に参加し、批判し、発言すべきだという政治のあり方についての考え方)とディリジスム(dirigisme/モラル・エコノミーを実現・維持するため経済活動に対する一定の国家的なコントロールが必要であるとする考え方)を組み合わせた国家経営に取り組んでいる国々(例えば、ドイツ、フランス、オランダなど)のモデルを研究すべきです。さもなければ、我われは、全身に走る「耐震強度偽造問題」のクラック(亀裂/新自由主義思想と市場原理主義の罠が仕込まれている日本の構造的欠陥がもたらす)の恐怖に絶えず恫喝されながら、生命と財産の一部を悪徳の政治権力と闇のグループによって搾取され続ける運命が待っています。我われは、今、このことをトマス・アクイナスの警告として受け止めるべきかも知れません。