toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

『小泉劇場』が培養する悪徳の栄え/耐震構造偽造問題の深層


[必読関連記事] 『週のはじめに考える/未来へ向かって足元を』、
2005/12/18付「東京新聞社説」、
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sha/20051218/col_____sha_____001.shtml


●三回に分けてUPした当記事『「耐震強度偽造問題」を予見したトマス・アクイナスの警告』をレビューしたところ、内容に過不足の部分がありましたので、全般に加除修正を加えました。(構造上の大幅な変更はありません)


●いささか長すぎる文章となったため、本来であれば概要版を作るべきでしょうが、時間をかける余裕もないので、アピール・ポイントが理解しやすくなるようヘッドラインを工夫してみました。


●問題意識を共有すると思われる「東京新聞」の社説記事がありましたので、冒頭に[必読関連記事]として掲げておきました。


・・・・・・・・・・


            =原理主義の妖怪を崇める日本=
      『小泉劇場』が培養する悪徳の栄え/耐震構造偽造問題の深層


[1]狭隘な経済合理主義の罠に嵌った『小泉劇場
(「耐震強度偽造問題」を予見したトマス・アクイナスの警告(1))


  今年の流行語大賞は「「“偉大なるイエスマン”こと武部勤自民党幹事長が、自らその演出家を気取る「小泉劇場」と、堀江貴文ライブドア社長の「想定内(外)」」だそうですが、これは日本の現状を見事に表したブラックユーモアです。なぜなら、「小泉劇場」の構造改革にかかわる政策を悉く「想定内」だと思い込まされた多くの日本国民が、今度は例を見ぬほど深刻な「耐震強度偽造問題」の場合でさえも、その想いが核心に至らず、只これは「大いに想定外なことだ!」という表層的な空騒ぎで終わりそうな気配になっているからです。一方、この問題のあまりの深刻さに内心気づき驚愕した中枢権力と結びつく人々(与野党の色分けを問わず、主要マスメディア・宗教界なども含めた凡ゆる意味でマキャべりスティックな利害関係で繋がる人々)は、この問題を如何にして矮小化できるかに腐心しているようです。そして、限定的な公的資金投入決定までの「異常に拙速過ぎる不自然な動き」は、このことを象徴しているようです。(http://news.goo.ne.jp/news/asahi/shakai/20051202/K2005120202010.html?C=S)。


  あまりにも非人道的・非倫理的なこの事件の直接的責任が、現在の小泉政権にあるとは言えないまでも( 建築基準法の改正/建築申請確認・検査の民営化(1998.6)は橋本龍太郎内閣のとき)、冷酷にも国民の生命・財産を片っ端からハゲタカが跋扈する市場へ叩き売るような遣り方で「官から民へ」を唄う「幻想のコイズミ・カイカク政策」への傾斜を強引に押し進めた結果として問題の傷口を広げた責任が小泉政権にあるのは明らかです。この事件と並行して日本の株価が急上昇しつつあることも、見方によってはまことに皮肉な展開です(この関連の詳細は後述)。ところで、ネットや週刊誌等の情報をブラウズして驚くのは、国土交通省が発表している「構造計算書偽造震度5強で倒壊する恐れのある建物一覧」(http://k1fighter.hp.infoseek.co.jp/TokaiList.htm)程度で今回の「耐震強度偽造問題」の規模や範囲が収まるとは思えないことです。しかし、政府自身と関連業界等が火消しにやっきとなっている様子なので、ある程度は押さえ込まれるでしょうが、姉歯関連以外にも広がった場合は、これらの未確認情報を視野に入れると、少なく見ても現在発覚した件数(全調査対象で約200件)の3〜5倍程度はあるように思われます。


  特に心配なことが二つあります。一つは、この事件の被害が老人介護関連施設などへも波及する様子が窺えることです。散発的な報道によると、既に数ヶ所で福祉関連施設の建築物が問題になっているようです。やむを得ぬ事情で、このように社会の片隅で最も弱者の立場でヒッソリ生きている人々までをも馬の目を抜くような錬金術のネタにしてカネ・カネ・カネを吸い尽くそうとする、くだんの建築コンサルタント会社の社長さんのリッチそうで紳士然としたご面相が吸血鬼ドラキュラに見えてきました。もっとも、このような意味で吸血鬼に見えるのは、この社長さんだけではありません。政権与党の中枢にある派閥グループM派が、当事件関連の企業H社から過去に受けていた政治献金600万円を、早速、ソックリ返金した(これで全額かどうかは不詳、いったん貰ってしまった不浄なカネを返せば免罪となるのかも疑問・・・)というニュースを知ったとたん、まことに失礼ながら、小泉首相の格別ご立派なプロフィールも口元から鮮血を滴らせる吸血鬼に見えてしまいました。尤も、くだんの「耐震強度偽造問題」の背景には国際的な戦略物資である石油と鉄鋼の急激な価格上昇の誘引があったというジャーナリスティックな見方があります。しかし、合理的に考える限り、それが「耐震強度偽造問題」の大きな原因になったと理解することは到底できません。このような理解が可能なのは「新自由主義思想」を狂信的に信じることが可能な人々だけです。


  もう一つは、「デュー・デリジェンス」(Due-Diligence/不動産の適正評価)を受けたマンションの中にも「耐震強度偽造問題」があったという報道(NHK)が見られることです。ちょうど小泉政権が発足したころに当る2000年に、「Jリート」(JREIT/JAPAN Real Estate Envestment Trust/不動産投資信託)が解禁されて以来、投資運用を目的とした新築マンションのブーム(ミニバブル)が続いており、「2005.12.6付、東京新聞・朝刊記事」によると、ちょうど株式が上昇傾向にあるのと同じように、今年はその投資規模が急拡大しており、現時点の時価総額が既に3兆円に達しているそうです。このペースで行くと前年度の年間7.5兆円を大きく上回り、それが10兆円規模に到達するだろうとの予想になっています。このようなリートの対象となるマンションは投資信用が絶対条件であるため建築確認以外に「デュー・デリジェンス」のプロセスが課されています。ところが、この格別に厳しい審査をパスしたマンションにも「耐震強度偽造問題」があったということは由々しきことであり、今後の展開次第では、更に別次元で投資信用の基盤がグラつく問題となりかねません。


  ところで、我われ一般国民は、日本政府が去る2003年1月〜2004年3月までの15ヶ月間に総額35兆2564億円に及ぶ「円高」阻止名目での史上空前の為替介入(円売ドル買)を行ったことを忘れるべきでありません。政府は、このために必要な円資金をFB(財務省短期証券/13週で償還する超短期国債)を発行し、それを銀行等の市中金融機関へ売却して調達しました。無論、FBの発行は国会の承認を得ることになっていますが、為替タイミングの困難性等の理由から、日銀が市中金融機関へ必要額の立替を指示し、後日に国会承認を取り清算するという便法が編み出されました。が、これが仇となり、更にスピードを求める財務省から日銀へ立替を迫るという形へエスカレートして介入資金が無制限になる道が出来上がってしまったのです。このプロセスで、市中金融機関がFBを購入する資金の裏づけとなるのは、我われ一般国民の預金です。


  日本政府は、この為替介入で入手したドル資金をそのままの形で保有せず「米国財務省証券」(米国債)へ換えています。それは、年4%以上の利子が付く米国債(ドル建)へ投資すると手持ちのドルが自然に増えるという理屈からです。しかし、実際にはこれがNY連銀の金庫に保管されるルールとなっているため為替市場ではドルの量が一向に増えないのです。この結果、アメリカが使えるドルの量は日本政府の為替介入後でも総量が変わらないのでドル高(円安)を意図した為替介入(円売ドル買)の効果は一時的、瞬間風速的な意味しか持ち得ないことになります。ここから明らかになるのは、結局、日本政府の為替介入(円売ドル買)の意図はアメリカの財政赤字の補填にあるのだということです。更に驚くべきことは、この2003年1月〜2004年3月で日本政府が為替介入した総額35兆2564億円は米ドル換算(時価概算)で約3200億ドルにもなり、これは同年度(期間)にアメリカが使った「イラク戦争の経費」(約3300億円)に匹敵するのです。従って、我われ一般国民は、殆んど自覚せぬままにアメリカのイラク戦争に身銭を切って加担していることになります。


  また、日本政府はこの米国財務省証券の預かり証と引き換えに市中金融機関(銀行)から円を受け取り、それを為替市場でドルと交換します。この時、我われ日本国民の銀行預金は主に米国などの外国投資機関の手に渡ることになります。この辺りのプロセスは、見方によっては何となくオレオレ詐欺の手法に似ているように思われてきます。これは杞憂でしょうか? ともかくも、このようにして日本政府がFBを担保に増刷した円資金が外国投資機関の手に渡り、最終的にはその一部が外資から日本の株式市場へ向かう大量の投資資金として還流してくるのです。従って、今や日本の株式市場は外資系の投機筋の手に操られることになっています。これが、現在、日本の株式相場を上昇させているブースターの大きな部分を占めていると考えられ、更に、その誘い水に魅かれた日本の個人投資家やネット株投資家が株式市場へ大挙して靡き、積極的に参入した構図が生まれているような気がします。


  考えてみれば、これはある意味で日本政府の巧妙な金融政策であり、強かな景気刺激策であると言えないこともありません。しかし、よく考えて見れば、これは甚だしく日本の国益を損なっており、しかも日本国民を騙して大きな犠牲と不要不急のリスクを強いていることでもあります。その一方で、日本はアメリカ経済の尻拭いのために貢ぐ形になっている訳です。今や、このようにして日本・中国などの海外資金がアメリカの赤字国債の約54%を賄う形にまでなっています。そして、「2005.12.8、朝日新聞・夕刊「経済気象台」」によると、これらの国々の金利が上昇するとアメリカへの資金流入が減少してブッシュ政権がますます苦境に嵌るので、特に日本は今のまま『心地よい円安』を続けるべきだというのが日本政府の考え方なのだそうです。何故、多くのマスメディアは、このように驚くべき背任的な政策への疑問を日本政府へぶつけることをしないのでしょうか? 『心地よい円安』とは見事なキャッチ・コピーだと思いますが、相変わらずのオジャラケ政府ぶりで、トコトン我われ一般国民も舐められたものだと思います。ともかくも、このようにして“おセレブな小泉チルドレン”の喝采を浴びながら『小泉詐欺劇場』の公演はロングラン・ヒットを続けています。


  ところで、「グローバル市場原理主義」と現在の「わが国の構造改革」路線を支える「新自由主義」(Neo-Liberalism)のルーツは、徹底的な「合理主義」の立場を自負するシカゴ学派(Manetalism)の祖と看做されている反ケインズ論の祖・F. A. ハイエク(F. A. von Hayek/1899-1992)及び、それを引き継ぐミルトン・フリードマンMilton Friedman / 1912- )らの経済学者たちであり、彼らの際立つ特徴は“物価や名目所得の変動をもたらす最大の要因が貨幣供給量(Money Supply)の変動”だと主張することです。また、彼らは政府の財政的な介入の役割を認める「ケインズ主義」や“付加価値の公正・公平な分配”を重視する「福祉国家論」などは、社会科学的な「無知、不勉強、愚かさ」に基づくものだと厳しく批判します。 結局、このように人間として傲慢・不遜な考え方の延長に必然的にやって来るのが、現在の「耐震強度偽造問題」のような国家のインフラ・システムそのものにヒビが入る、ひどく面妖で「非合理的」な社会構造破綻の問題です。しかも、このことは既に13世紀イタリアの大神学者(哲学者、聖人)であり、スコラ学の黄金時代を築いた思想家の一人と目されているトマス・アクイナス(Thomas Aquinas/ca.1225-1275)が予見していたことでもあるのです。 



[2]悪徳の権力至上主義に魂(モラル)を売り渡した『小泉詐欺劇場』
(「耐震強度偽造問題」を予見したトマス・アクイナスの警告(2))


  経済学を正しく理解するには、それを「第一フェーズ(相/phase)」(特定の者たちの所有に軸足を置く支配的・権力的なフェーズ)と「第ニフェーズ」(平等な分配に軸足を置く民主的なフェーズ)の絡み合いで見る必要があります。そして、米国流の新自由主義思想(新自由主義イデオロギー)に支配された全世界的な政治・経済環境の中で、現代経済学の主流は「第一フェーズ」に属するグローバル市場原理主義となっているため、地球規模で「貧富差の拡大」が進行しています(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/4650.html)。漸く景気回復の兆しが見えてきた(これは「小泉構造改革」と無関係であることに注意しなければならない/当記事(1)で見た日米の癒着的な金融政策及び財政赤字の深刻さの側面から見ると日本の経済・財政危機はむしろ強まっている)と見られつつある今の日本もその例外ではありません。つまり、我われは循環的な要因等も含めた景気動向に惑わされることなく、現在の「第一フェーズ」に傾斜した主流経済学の主導によって「貧富差の拡大」が世界規模で進んでいる現実から目を逸らすべきではありません。従って、「第ニフェーズ」の経済学の復権を絶えず視野に入れることが肝要なのですが、そこでのキーワードが「公正価格」(justum pretium)です。


  「公正価格」は、主に「モラル・エコノミー」(道徳経済/moral ecomomy)で使われる用語です。現代的な意味でのモラル・エコノミーを主導したのはイギリスの経済学者・哲学者E.P.トムスン(E.P.Thompsom/1924-1993)です。彼は19世紀イギリスの民衆暴動(急速な産業革命のひずみで起こった)の暴徒たちが生活必需品を適正な価格(公正価格)で売る意志をもっていたことを発見して、彼らの動きを「モラル・エコノミー」活動と呼びました。「第一フェーズ」の経済学では、人間は自らの利益を最大にすることをめざして行動すると考えます。しかし、よく考えて見れば我われ一般の人間は、必ずしも、常日頃に利益の最大化ばかりを望んで生きている訳ではありません。日本人の全てが、株式投資、商品相場あるいは不動産投資ファンドなどに血道を上げたり、あるいは「耐震強度偽造問題」にかかわった高名な経営コンサルタント氏のように詐欺的な経済活動に迄のめり込むはずがありません。しかも、まず自分たちが最低限度の条件で生存(生活)することを第一の目的として行動した19世紀イギリスで暴動を起こした民衆の行動の中にも立派な「経済合理性」を見ることは可能なはずです。


  また、イギリスの民衆暴動に先立ち18世紀のアンシャンレジーム時代(ルイ16世の時代)にフランスの農民が起こした「小麦粉戦争」(http://www5a.biglobe.ne.jp/~french/event/ke.html)でも「モラル・エコノミー」活動が存在したことが知られています。18世紀のフランスは、相次ぐ戦乱(北米植民地での英仏戦争、オーストリア継承戦争七年戦争アメリカ独立戦争の支援など)と貴族に対する年金の増大等によって財政が逼迫していました。しかし、増税政策だけでは限界があるため、財務総監チュルゴーは経済成長政策の一環として穀物と小麦粉の取引を自由化(規制緩和)しました。ところが、この年は天候不順で穀物類が不作となり、1775年に入ると在庫が枯渇します。そこで目敏い投機家たちが買占めに走ったため、小麦などの穀物類とパンの価格が高騰します。そこで、パリ近郊の市場で穀物を買いに来た民衆が価格が高いことに怒り商人たちを脅迫して価格を下げさせました。そして、この騒動は瞬く間にフランス北部一帯に広がったため、チュルゴーは軍の派遣を要請し、漸くこの騒動(食料騒擾)を鎮圧しました。


  フランスの「小麦粉戦争」で特徴的なのは、この食料騒擾を起こした民衆が暴力で奪った穀物を一定の価格で困窮した人々へ販売するという行為が観察されたことです。しかも、この販売代金は市場を管轄する役人のところへ手渡されたのです。この出来事は「民衆的価格設定」と呼ばれていますが、この時、民衆たちは彼らなりの正義感から「一定の公正な価格」を想定していたことになるのです。つまり、彼らは市場の原理(需要=供給の原則)よりも、彼らがそうあるべだきと考える「公正価格」を想定した訳です。別の見方をすると、ここで起こったのは「所有権」と「取引の自由」が「生存権」に従属させられたということです。


  しかも、この時、一部のフランスの役人や貴族たちは、この「民衆的価格設定」を承認し、賛同さえしたのです。なぜなら彼らはトマス・アクイナスにまで遡る「公正価格」の考え方を「正義の伝統精神」として持っていたからです。だからこそ彼らは日頃から民衆の利害に関する意識を斟酌しながら穀物の流通に対して一定の規制を加えてきたのです。アンシャンレジーム時代から一部フランスのエリート層の意識の中に存在していた、このような正義の観念は、その後の革命期を経てフランス共和国市民意識の中へ流れ込み、フランス人の伝統的観念の一部(ディリジスム/dirigisme/モラル・エコノミーを実現するため経済活動に対する一定の国家的なコントロールが必要であるとする考え方)となったと考えられます。その後も欧米のエリート層の人々の多くは歴史的教養と伝統的キリスト教精神の中で、このような「公正価格」に関する知識と実践知を様々な形で学び取り継承しています。そして、特に拡大EUを牽引するフランスとドイツは、この種の観念を重視しています。アカデミズムでは、シルビオ・ゲゼル(Silvio Gesell/1862-1930/ドイツの経済学者/参照、http://www3.plala.or.jp/mig/gesell/index-jp.html)、レギュラシオン学派(フランス発祥の新しい経済学派/参照、http://learning.xrea.jp/%A5%EC%A5%AE%A5%E5%A5%E9%A5%B7%A5%AA%A5%F3%CD%FD%CF%C0.html)などの流れの中に連綿と生き続けています。


  このような、ヨーロッパに存在する「公正価格」の正統な水源と見做されるのはトマス・アクイナスの「公正価格論」ですが、このアクイナスの経済論は、あくまでも「倫理神学」(実践的な神学/神へ到達するための術(すべ)を社会生活の中で実践的に学ぶための神学)であったことを忘れるべきでないでしょう。つまり、アクイナスの経済論が掲げるのは「個としての人間、共同体(国家)、社会秩序」の正しい関係(正義)はどうあるべきかという論点なのです。一方、アクイナスが最も重視したのは、不完全な人間が神へ至る道を歩むにあたり真摯に体得すべき「徳」(人間の品性・品格、人の道/この対極が“獣の道”)の問題です。従って、アクイナスの神学的な経済についての考え方こそが「モラル・エコノミー」の源流だということになるのです。このような「トマス・アクイナスのモラル・エコノミー」を支える正義のフレームは次のようなもの(・・・〜 〜 〜 ・・・)です。


・・・正義は、あくまでも「徳」に関する議論の中で論じられるべきだ。人間の「徳」は、共同体との繋がりがあってこそ確認される。一方、理想の共同体は共同善を体現すべきであり、このような共同体に属する者は共同善へ秩序づけられることになる。個(または部分)としての人間が共同体または他の個(または部分)とかかわる時に正義が問題となる。正義には「全体的正義」と「特殊的正義」がある。「全体的正義」は個(または部分)と全体とのかかわりの問題であり、「特殊的正義」は個(または部分)と個(または部分)のかかわりの問題である。そして、「特殊的正義」には「交換的正義」と「配分的正義」がある。「交換的正義」は個(または部分)と個(または部分)の間の秩序であり、「配分的正義」は個(または部分)と共同体全体との間の秩序である。また、「特殊的正義」は個(または部分)の「意志」によって顕現すべきものであり、「交換的正義」の中核的なもの(概念)として考察されるのが「公正価格」である。そして、この「公正価格」に対立するのが「悪徳」(“獣の道”に堕ちた人々が崇める価値観)である。・・・


  トマス・アクイナス以前にも「公正価格」の問題は論じられており、その最も古い例は古代ギリシアアリストテレスです。アリストテレスは代表作である『ニコマコス倫理学』と『政治学』で交換的正義の一環として「公正価格」を論じています。また、アリストテレスは“他者の利益をめざす体制が正しい体制だ”という前提から徴利(利息を取ること)を禁じています。また、聖書も同胞から金利を取ることを禁じています。一方、トマス・アクイナスより少し後になりますが、13世紀にパリ大学で活躍したスコラ神学者ヨハネス・ドウンス・スコトウス(Johanesu Duns Scotus/ca1265-1274/スコトウスについての詳細は、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050425を参照)は、生産コストをベースにした中庸な「公正価格」(公正な利益論)を論じており、このスコトウスも正統な「公正価格」論の源流の一つと考えることができそうです。


  一方、大航海時代に入り、新大陸からの銀の大量流入によって急激な物価上昇(インフレ、価格革命)が起こった16世紀になると、スペインのサラマンカ大学(創設1218年、世界最古の大学の一つ/http://www.usal.es/web-usal/Ingles/Universidad/Historia/Historia.shtml)のイエズス会派の神学者(サマランカ学派)たちが「公正な価格とは自然な交換(市場での交換)で決まる価格の上でも下でもない」と定義しており、これはその後の新古典派の「限界効用の理論」を想起させるユニークなものとなっています。このため、ハイエクは“資本主義の基盤をつくったのはイエズス会の教義だ”とさえ述べています。なお、このサマランカ学派の経済思想との関連性は定かでありませんが、16〜17世紀の“日が没することなきスペイン帝国”(ハプスブルグ時代)は、エンコミエンダ(encomienda)と呼ばれる収奪的・暴力的で残忍きわまりない植民地政策の歴史を残しており、その象徴的な出来事がF.ピサロによるインカ帝国の破壊と殺戮(1532)です(参照、http://takaya.blogtribe.org/entry-05d12e938183142dfda838dc5e852484.html)。


  ところで、古典派経済学の祖とされるアダム・スミス(Adam Smith/1723-1790)が著書『諸国民の富(国富論)』(1776)で重商主義理論を批判し、国家は経済活動を統制すべきでなく、個人の自由な経済活動こそが「神の見えざる手」に導かれて社会・経済の調和をもたらすと“論じたとされる”ことはあまりにも有名です。ところが、佐伯啓思著『幻想のグローバル至上主義(上)アダムスミスの誤算』(PHP新書)によると、スミスは、モノの価格の決まり方について市場のプロセス(需要と供給)が決定するとは一言も述べておらず、賃金と利潤と地代の通常率を足した「自然価格」という概念を提示しただけだということです。とすれば、スミスは賃金や利潤は職業などに対応して慣習的にある一定の水準を持っていると考えた訳であり、これは「公正価格」に近い考え方だということになります。また、佐伯氏はスミスがハチソン(F. Hutcheson/1694-1749/アイルランド生れの道徳哲学者でスミスに連なるスコットランド学派の立役者の一人)の自由主義神学(一般に正統主義が聖書と教義の客観的な扱いを要求するのに対して自由主義神学は、その歴史的相対性を主張して信仰の実存や精神活動によってこれを解釈しようとする)の影響を受けた道徳哲学者でもあったことを想起すべきだと言います。  



[3]『小泉強度偽造劇場』を乗り超えるための展望
(「耐震強度偽造問題」を予見したトマス・アクイナスの警告(3))


  アダム・スミスは、ある行為の妥当性を判定するために「同感」(sympathy)という概念を用いて説明しますが、佐伯啓思氏はこの「同感」(sympathy)と「神の見えざる手」に重要な関連性があると考えています。また、佐伯氏は、一定の「富」と「徳」を備えた上流階級が社会秩序の形成に貢献することをスミスは期待していたとも述べています。ところが、現実には商業経済で産を成したブルジョア層が貨幣量の増大にますます重きを置くようになり、「公正価格」を支えるバランス機能が弱まっていました。このため道徳哲学者としてのスミスは、人々の内心に存在する「神の見えざる手」による自己規律(徳)の回復を期待していたのだと、佐伯氏は述べます。もし佐伯氏の説明が妥当であるとすれば、我われは「公正価格」の伝統に立つはずのアダム・スミスの経済学を根本的に誤解してきたことになります。なぜなら、「限界革命」以降の A.マーシャル(A.Marshall/1842-1924)、 A. C. ピグー(A.C.Pigou/1877-1959)、D. H. ロバートソン(D.H.Rebertson/1890-1963)ら新古典派の経済学者たちがそうであるように、今、我われは市場においてこそ最適で合理的な価格が決定されるという「市場主義経済」の始祖としてアダム・スミスを理解しているからです。


  「限界革命」とは、1870年代に W. S. ジェボンズ(W.S.Jevons/1835-1882)、C. メンガー(C.Menger/1840-1921)、L. ワルラス(M.E.L.Walras/1834-1910)の3人の経済学者が、ほぼ同時期に、しかも独立に「限界効用理論」を基礎にした経済学の体系を樹立して、古典派経済学に対し近代経済学を創始したことを指しますが、ここで「限界効用理論」のエッセンスをつかむために、この派の代表と目されるワルラスローザンヌ学派)の考え方の概略を追いかけてみます。ワルラスは、まず経済価値の源泉を人間の欲望にあると考えます。その上でワルラスは、その経済価値を量的に表現するため「限界効用」という概念を定義します。それは消費が1単位拡大することに対応する効用(満足度)の増加分です。一般にこの限界効用の大きさは、その増加にかかわった諸費が拡大するにつれて減衰(同じ刺激に対して飽きてくることと同意)します。


  従って、限界効用の累積値をいかに大きくできる(新しい消費を刺激し続けることができる)かが、この場合の課題となります。ここから、市場において限界効用を刺激し続ける新たな別種の供給があれば、それが適切な需要と均衡して適切な市場価格が決定(供給と需要が安定均衡)するという「市場主義経済の理論」が導かれます。このとき、その市場における価格決定のミクロな局面では“消費者が一定の予算統制下において、その効用(満足度)を最大化するように思考し行動する”ことが前提とされています。つまり、このとき消費者は市場の中で商品を選考するため「(一定の予算という)条件付きでの最大化問題」に取り組んでいることになります。また、この「市場における需要と供給の均衡」という考え方は、ワルラスが物理学の「熱エネルギー保存の第二法則」からヒントを得て着想したことが知られています。いずれにせよ、このように仮設的であった「市場主義経済の理論」が、1980年代以降になると新自由主義思想を標榜するアメリカの強力な支持を得た「市場原理主義」として世界を席巻してきたことは周知のとおりです。


  これは既に当記事(1)で述べたことですが、「グローバル市場原理主義」と現在の「わが国の構造改革」路線を支える「新自由主義思想」のルーツは、徹底的な「合理主義」の立場を自負しシカゴ学派の祖と看做されている反ケインズ論の祖・F. A. ハイエクと、それを引き継ぐミルトン・フリードマンらの経済学者たちです。彼らの際立つ特徴は“物価や名目所得の変動をもたらす最大の要因が貨幣供給量の変動”だと主張することでした。また、彼らは政府の財政的な介入の役割を認める「ケインズ主義」や“付加価値の公正・公平な分配”を重視する「福祉国家論」などは、社会科学的な「無知、不勉強、愚かさ」に基づくものだと厳しく批判・罵倒しています。しかし、このような人間としての傲慢さと不遜な考え方の延長に必然的にやって来るものこそが、現在の「耐震強度偽造問題」のような国家の基盤構造(インフラ・システム)そのものにヒビが入るという、まことに「非合理」な国家と社会の構造破綻の問題です。しかも、彼らが「市場原理主義の祖」と仰ぐアダム・スミスの真意は、人々の内心に存在する「神の見えざる手」による自己規律(徳)の回復を期待することであった可能性が高いのです。このような意味で道徳哲学者としてのアダム・スミスは「市場原理主義」の祖であるどころか、トマス・アクイナスの「公正価格」を正統に引き継いでいた可能性があるのです。


  いずれにしても、アメリカに隷属するあまり「第一フェーズ(相/phase)」(特定の者たちの所有に軸足を置く支配的・権力的なフェーズ)の経済に傾斜した現在の日本は、きわめて大きな国家的リスクを背負っています。アメリカからの対日「年次改革要望書」のシナリオに沿って「聖域なき構造改革」の名の下で強権的に進められ、『小泉劇場』の正念場とも称された「郵政民営化」が、皮肉なことにも法案の成立後になってから、実は茶番劇に近いものであったことが次第に明らかになりつつあります。例えば、初めは猛反対していたはずの郵政公社の幹部たちが、実は『小泉劇場』の進展につれて内心で賛成側の筆頭に回っていたことが分かってきました(参照、町田 徹著『日本郵政、解き放たれた巨人』(日本経済新聞社))。つまり、彼らは、国民の立場は無視する一方で、小泉首相の顔だけを立てて自らは実を取ったのです。その結果、愚直に自分の信念を貫いた一部の正義感がある政治家たちと大多数の良識ある日本国民は体よく騙されたようです。ここで浮き彫りになるのは「正義」など小ばかにした政治権力と高級官僚たちのエゴイズムです。そして、この悪影響と国益の損失を被るのは10年〜20年後の無辜の日本国民なのです。ここで浮き彫りとなったのは、社会的正義と「公正価格」を重視するモラル・エコノミー政策の対極にある現代日本の悪徳政治の極みです。


  今や、まるで炙り出しのように日ごとに姿を現しつつある「耐震強度偽造問題」の闇の構造には恐るべきものがあるようです。週間朝日(12月23号)の報道によると渦中の企業4社から小泉首相周辺(森派関係など)に約1200万円の政治献金がばらまかれていたようです。一事が万事の常から、これは氷山の一角だと思われます。また、12/14の国会証人喚問の結果、黒幕と目される某経営コンサルタント会社代表の周辺と背景から恐るべき暗黒の闇とネットワークが醸した腐敗の構造が急浮上しつつあるようです。コンサルタントと民間検査機関は日本政府の民営化路線(民営化原理主義)を錦の御旗に掲げて悪事の限りを尽くしているようです。耐震強度を擬装した建築士が渦中の姉歯氏以外にも複数存在するらしいことが報道され始めています。しかし、未だこれらも氷山の一角であるかのように見えます。また、一連の銀行不良債権処理の関連で債権放棄された古い取引困難な土地を狙った再利用・再開発関連の不法な地上げ問題との絡みも想像させられます。


  もしそうであれば、当事件の今後の展開次第ですが、無辜の国民の生命・財産を犠牲にした政官財の癒着が、ニ重・三重の巨額な公的資金(国民の血税)の無駄遣いを誘い込んでいる構図が見えてくるかも知れません。こんな嫌な雰囲気の中で、相変わらず小泉首相は一般の国民受けを狙った見え見えのパフォーマンス(得意のぶら下がり記者会見で消費税はそう簡単に上げるべきでないという“臭いセリフ”を吐いてみせたり、ブッシュからプレゼントされたセグウェイを嬉々として乗り回して見せたり、民主党の前原代表へ大連立のラブコールを執拗に呼びかけたり・・・)に現(うつつ)をぬかしており、その一方で日本政府が国民に対して過酷な大増税を押し付けようとしているのは噴飯物である以上に、まことに不謹慎でふざけた話です。それにしても、この国会証人喚問での自民党の対処はお粗末でした。建築業関連の人物を対象とする証人喚問をやるのに、わざわざ証人と同業関係の胡散臭い前歴がある族議員らを指名して質問をやらせた上に、彼ら質問者たちは持ち時間の8割以上を自分の演説で費やす有様で、これは一般国民を心から舐めたヤラセ以外の何物でもありません。そこにはボス(大親分)の意を汲んだ時間稼ぎか喚問された証人たちを救済するための煙幕張りのような怪しい臭いが芬々と漂っています。それとも、これが自民党議員の正真正銘の実力だというなら、それは日本の政権与党の政治家たちが恐るべきほど劣化していることの証(あかし)です。


  また、平成10年6月(1998)から平成14年7月(2002)にかけて建築基準法の一連の改正が行われましたが、この時に「建築確認検査の民間開放」、「建築基準の性能規定化」、「日影規制に関する選択肢の拡大」などの規制緩和が図られました。この中の「建築基準の性能規定化」によって、建築物全体で一定の性能(例えば地震に対する全体の構造耐力など)が満たされれば多様な材料・設備・構造方法などを採用できることになりました。これら一連の規制緩和のうち「性能規定化」が耐震強度擬装の誘い水となったことは十分考えられます(参照、http://www.asahi.com/national/update/1217/TKY200512170275.html)。ところで、民間の指定確認検査機関は全部で約120ありますが、このうち48が国の指定、その他は地方自治体の指定機関です。また、これら検査機関に国・地方の関連官庁から数多くの公務員が天下っています。従って、これらの検査機関は建前上は民間会社ですが、事実上は天下りの受け皿であり、隠れ公務員の逃げ場となっている訳です。そして、建築確認検査機関というような民間会社の顔をした「隠れ公務員の受け皿」の問題は他の公官庁についても広く存在します。


  実は、このような隠れ公務員の受け皿となっている機関には公益法人(財団法人、社団法人)のほかに独立行政法人特殊法人の子会社及び民間の指定確認検査機関(民間会社)に準じたような会社が数多く存在しており、これら隠れ公務員の数を正確に把握することは殆んど不可能な状態です。今、日本政府は公務員数の削減を表向きは「首相公約」で唄っていますが、それがどこまで本気なのかは疑問があります。なぜなら、日本政府は目に見える官庁の数を減らす一方で、隠れ公務員が住みつくことが可能な“民間会社”を次々と設立しているからです。2005.12.14付・東京新聞によると、自民党行政改革推進本部(衛藤征士郎本部長)は、14日の総会で特別会計整理合理化の骨子案を公開しました。それによると、基本的に組織の統廃合を目指し現在31の特別会計を今後5年間で3分の1程度に削減することを決定したそうです。しかし、この場合も一般国民が本気で監視し続けないと単なる見かけ上の数合わせで終わる可能性があります。つまり、「官から民へ」の掛け声によって、実質的な公務員数の実態がますます見えにくくなっており、以前よりも国家的な無駄遣いの構図が分かりづらくなっているのです。


 ここで少し視点を引き上げて、明治期以来の日本の歴史を概観すると驚くべきことに気がつきます。福沢諭吉の「文明開化論」に触発された日本人は、この百数十年間にわたり、ひたすら生真面目に欧米文化を追いかけてきました。しかし、今の日本は既に欧米へのキャッチ・アップの時代は終わり、世界に対して自己表現をすべき時代になっているはずです。それでこそ、グローバリズム時代を積極的に生きながら、日本は世界のために貢献することができるはずです。対米追従のままでムリヤり国連の常任理事国になろうとするばかりが能ではありません。それにもかかわらず、今の日本政府は、アメリカ発の対日「年次改革要望書」の翻訳文(=米国のための日本構造改革シナリオ)を天界からのご託宣(新自由主義思想に基づく市場原理主義と民営化原理主義のご託宣)の如く崇め奉っています(「第一フェーズ」(特定の者たちの所有に軸足を置く支配的・権力的なフェーズ)の経済に平伏している状態)。つまり、今の日本政府は、かつて第二次世界大戦に突入した時に近い狂信的な原理主義信仰(市場原理主義と民営化原理主義の信仰)に嵌っており、モラル・エコノミーを意識する冷静さを見失っています。しかも、この狂気に近い国家ガバナンスを夢遊病者のようになった大方の国民が支持しているため、日本全土が悪徳の炎に包まれており、まるでタワーリング・インフェルノ状態です。


  一方で日本政府は、“セレブな見栄え”を効かした『小泉劇場』のパフォーマンスで国民一般を煙に巻きながら、違法な公金を政治資金へ変身させるマネーロンダリング(例えば、「耐震強度偽造問題」から政治献金が生まれるような阿漕な手法)、不当な大増税の押し付け(政府は9月総選挙で安易な増税を否定したにもかかわらず定率減税配偶者控除・給与所得控除等の廃止、消費税・退職金課税等々の大増税プランを加速中/その一方で年金保険・医療・福祉関連の負担増の押し付けが行われつつある)、公務員の隠れ公務員化による税金の無駄遣いなど、実際は絵に描いたような悪代官ソックリの仕事に手を染めているのです。驚くべきことに、このような政府与党のパフォーマンスによる国民騙しの政治手法は、今回の「耐震強度偽造問題」から浮上してしてきた悪徳コンサルタント一派による詐欺的なビジネス手法とあまりにもよく相似しています。しかし、それにもかかわらず、今の日本では『小泉詐欺劇場』の公演がロングラン・ヒット中で満員御礼状態なのです。


  しかも、その日本が世界に発信できる唯一のメッセージは、小泉首相個人の狂信的信条と異常なパッション(情念)の賜物である「靖国神社参拝」だけという異様な袋小路に嵌っています。今、日本の中枢を担うべき政治家・官僚・御用学者・エグゼプティブ層の人々は重篤な自己中心病(自己保身病)と金満病(ゼニ・カネ原理主義)の合併症を患って“獣の道”に迷い込んでいる状態なのかも知れません。だから、我われ一般国民と主要メディアは、アメリカ流のグローバル市場原理主義に追い立てられることなく、かつてトマス・アクイナスが精緻化した「モラル・エコノミーと公正価格」(第ニフェーズの経済理論)の伝統を重視して「コ−ポラティズム(corporatism/直接、自らが何らかの形で政治に参加し、批判し、発言すべきだという政治のあり方についての考え方)とディリジスム(/dirigisme/モラル・エコノミーを実現・維持するため経済活動に対する一定の国家的なコントロールが必要であるとする考え方)を組み合わせた国家経営」に取り組んでいる国々(例えば、ドイツ、フランス、オランダなど)のモデルを研究すべきです。さもなければ、我われは、全身に走る「耐震強度偽造問題」のクラック(亀裂/新自由主義思想と市場原理主義の罠が仕込まれている日本の構造的欠陥がもたらす)の恐怖に絶えず恫喝されながら、生命と財産の一部を悪徳の政治権力と闇のグループによって搾取され続ける運命が待っています。我われは、今、このことをトマス・アクイナスの警告として受け止めるべきかも知れません。