toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

映画『極道の妻(おんな)たち、情炎』に見る“閣議風景”の原点(B/N)


<注記>


  当記事は2005.4.6にUPしたものの再掲(B/N)です。昨年の秋に「耐震強度擬装事件」が発覚してから僅か3ヶ月位の間に「ライブドア疑惑」、「米産擬装輸入牛肉事件」、「ホリエモン逮捕劇」と立て続けに「激震」が走り、日本全体の空気が一変したような雰囲気が生まれつつあります。


  これら「激震」は、「米産擬装輸入牛肉事件」を除いて、ある共通の“臭い”を漂わせています。先ず、両事件ともに発覚して間もなく自殺者を出したということです。しかも、両件とも、それが自殺であることを疑わせる異様な状況を垣間見せています。また、現段階では飽くまで噂に過ぎないことですが、両事件ともに「闇の勢力」と中枢政治権力の根深い因縁を臭わせています。


  無論、日本の「政・財・官界」と「闇の勢力」の癒着関係の存在は今に始まったことではなく、この問題については、例えばベンジャミン・フルフォード氏(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060109)など外国人ジャーナリストが厳しく指摘しています。しかし、日本のジャーナリストたちは、まるでタブー視するかのようにこの問題を看過しています。


  我われ一般国民は、「規制緩和市場原理主義新自由主義思想)、民営化(官から民へ)」をキーワードとする『小泉劇場』が上演されるようになってから、急に、この「政・財・官」と「闇の勢力」の癒着関係が深まリ始めたことを想起する必要があるようです。「規制緩和」がもたらす「公共空間の緩み」に「闇の勢力」の涎が滴り落ちている(trickling-down)のかも知れません。


  これこそが「竹中=フリードマン経済学」(新自由主義思想)が掲げる「民営化」の果実である「トリクル・ダウン効果」(trickle-down theory/参照、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96)だと言うなら、まことに一般国民を小バカにした話です。というよりも、新自由主義という「妖しげなカルト思想」を掲げつつ「主権在民」の原則を無視する「憲法違反的行為」です。


  1/23の国会答弁で、「小泉劇場」下での“二極化、格差社会化が進行したこと”を小泉首相は必死で否定していました。これは、自分の精神が自ら撒き散らした「小泉劇場の毒」で汚染されたため日本の実像(リアリズム)を直視する能力を喪失してしまった証拠です。


  また、渦中の「耐震強度擬装事件」と「ホリエモン逮捕劇」は、「政・財・官」と「闇の勢力」の癒着が放つ独特の腐臭を漂わせており、その余波は「政界の中枢人脈」へ及ぶかのようです。これは、まさに日本の[民主主義の危機]です。


  そこで、当記事をレビューすることにしました。


  なお、「政・財・官」と「闇の勢力」の癒着を描いた古典的な絵画(下記★)がありますので、参考までご案内しておきます。
★アンブロジオ・ロレンツェッティ(Ambrogio Lorenzetti/ ? -ca1348)、『Allegoria del Gattivo Gererno(particolare)/善政の寓意』ca1338-1340 、affresco、Palazzo Pubblico 、Siena、http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/friend.htm


・・・・・以下、2005.4.6付・記事の再掲(B/N)・・・・・


●「シリーズ『民主主義のガバナンス』を考える(4/4)、第四章 議会制民主主義における「政党」の役割とは?」(下記URL①)の“研究用教材”になると思い、映画『極道の妻(おんな)たち、情炎』(東映作品/下記URL②、③)を鑑賞してきました。


http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050405/p1
http://www.universal-music.co.jp/polydor/artist/utakawam/gokutsuma.html
http://movie.nifty.com/cs/catalog/movie_677/catalog_B00320_1.htm


●「上記のシリーズ」最終回(4/4)で、“任侠道”と“政党”(特に政権与党)の類縁性を取り上げたので、丁度タイミングのよい鑑賞の機会となりました。そして、心の奥底から両者の類縁性について納得できました。


●このシリーズの初代を演じた女優が岩下志摩、二代目・十朱幸代、三代目・三田桂子、そして四代目が高島礼子(第一作、’99年)です。今の時代は、威勢がよい任侠アクション映画でも、ウジウジとした無気力な男どもが演じるより元気な女優さんたちの方が、よほど華があって見栄えが良く映画を観た後にスカッとします。全くタイプが異なる高島礼子と杉本 彩の絡み具合も絶品でした。


●予想のとおり、極道(任侠道)の親分・子親分方の集会(ヴァチカンのコンクラーベ風?)の光景は、与党の会合の様子とソックリの雰囲気でした。それより、もっとピッタリなのは、時々テレビのニュース映像で流される“閣議風景”です。得たいが知れぬ鵺(ヌエ)のように不気味なご面相の内閣総理大臣(映画では、大親分)を中心に悪形相の実力(?)閣僚たち(同じく、それぞれ個性的なケモノ顔の子分たち)がズラーッと居並ぶ“異空間”は、極道たちの集会風景とまったくソックリです。


●愈々、「憲法改定の自民党案」がまとまり、再び活発な(A)「軍隊と国体のかかわり」についての論議が始まりそうな気配です。この問題で、いつも疑問に思うのは「絶対平和主義」と「国のあり方としての平和主義」の違いを混同している人々が多いのではないか、ということです。(ただ、toxandriaは、今、これ以上この議論を深める知識は持っておりません)


●一方、相変わらず(B)「郵政民営化問題」と(C)「ホリエモン現象」がマスコミの売り上げ(視聴率と販売部・冊数の伸び)に大いに貢献しているようです。これら(A)〜(C)に共通していると思われることがあります。それは、より肝心なメタ次元の問題を忘れている人々が多いということです。


●より肝心なこととは、日本の国のフレームそのもの(=国家のあり方、あるべき将来像)をどのような方向へ持っていくべきかという問題意識です。大方のマスコミも政治家も学者の先生方も、バカではない(失礼ながら!)ので、このことに気がついているのですが、“俺だけは負け組みになる訳にはゆかぬ”というエゴイスティックな思いや目先のカネ欲しさと保身から、彼らの本分(本来の役割と使命感)を捨てて知らぬふりをしているのです。

●結局、彼ら大方の日本のリーダーたちは、ほとんどの国民が気づかぬ(あるいは純朴である)のを良いことに「民主主義のガバナンス」(国のフレームのあり方を考えること)は脇に置いておいて、お上(政治権力者、高級官僚たち)がお墨付きを与えた「競争社会」という枠組みの中で悪賢く立ち回る者たちの「派手な紙芝居」を、とりあえずヤンヤと囃し立てているのです。


<注>(4/4)以外の「シリーズ『民主主義のガバナンス』を考える(1/4)〜(3/4)」については、下記Blog記事(★)を参照してください。


★(3/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329/p1
★(2/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050328/p1
★(1/4)http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050327/p1