toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会

<注>外道の喧嘩=「ヤクザの喧嘩、博徒の出入り」にこそ相応しい発言の意味


  最近、当ブログ記事の場で某Visitorとの間で次のようなコメントの遣り取りがあったばかりです。


<Quest to>「『政治体制の妥当性評価』の視点」(http://toxandoria.exblog.jp/3452634/


『ええと、お邪魔します!・・・はじめまして!先ほど、初めてこのBlogに出会ったQKという者です。今、toxandoriaさんのエッセイを読み、ちょっと、うれしくなりました!・・・たしかに、カール=ポランニーが主張するように、市場経済は人間社会に所与のものでなく、近現代に発生したばかりの歴史の産物だ、という視点こそ、今のクローバル何とかを相対化する立脚点になると思います!・・・で、うれしさのあまり、こちらのlogを一気に読んだんですが・・・ええと、ええと・・・スミマセン!ぼく、思うんやけど、あの、あのですね、小泉さんを支持するヒトは、べつに報道にダマされてるわけでも、アタマが悪いわけでもないと思うんです・・・ただ、みんな、何かに怒りたいのに、怒る対象がハッキリしていない、そういうマジで閉塞感のある時代だからこそ、ハデな物言いをする小泉さんを「とりあえず」応援してると思うんです。たしかに、怒るべきは小泉さんの政策だと、ぼくも考えます。でも、そう考えないヒトも、彼らなりにちゃんと考えた結果、「とりあえず」応援しているんだと、ぼくは信じたいです・・・』


<Answr to>the comment mentioned above.


『懇切なコメントありがとうございます。


「モノ」と「知識」と「カネ」をいくら集めても人は幸せになれないと思います。「足るを知る」という“やさしい心”が大切だと思います。


オレオレ詐欺耐震強度擬装、擬装ホリエモン容積率擬装ホテル、官製(防衛施設庁)談合」などの主役の方々の心中はこれと正反対で、彼らには理解できない世界があるようです。


この世が“欲張りさん”で殆んど埋まれば“心やさしい人々”の居場所はなくなりますが、“欲張りな方々”も“心やさしい人々”も同じ人間です。


両者の折り合いをつける仕事を請け負うのが政治家・学者・官僚・経営者・ジャーナリストだと思います。


しかし、今、彼らは“欲張りな考えの方々“の仲間に入り、本来の仕事を忘れて「モノ」と「知識」と「カネ」を集めまくっています。


恐らく、怒る対象がハッキリしない閉塞感がこの社会に漂う大きな原因の一つがこの辺りにあるようです。』


 ところで、2月1日の国会審議(参院予算委員会)で自民党市川一朗氏が「構造改革に伴う経済格差拡大への批判が強まっている折から改革一本やりでいいのか」と問いただしたのに対し、小泉首相は「わたしは格差が出ることは悪いこととは思っていない。ようやく今、景気回復で光が見えてきた(構造改革の成果で)のだ。光が見え出すと影のことを言う人がいる。影に対しどうやって手当てをしていくかが大事だ。」と先ず格差ありきの主旨の発言をしていました。この発言ではおかしな点が二つあります。一つは「構造改革の成果(おかげ)で光が見えてきた(景気回復が見えてきた)」というウソです。このことについては別の記事で度々書いたとおりですが、一言で言えば民間企業の血が滲むような努力とリストラなど莫大な人的な犠牲によるものです。政府のやった“成果”を強いて挙げれば巨額の公的資金投入で銀行不良債権問題を見かけ上で消去しただけです。その反対に国・地方合計の財政赤字累計額(利払金含)が10,000兆円を超えるという「影の部分」が拡大しています。


  たしか少し前の国会答弁で小泉首相は「私は日本社会に格差があると思っていない」というような発言をしていたはずです。舌が乾かぬうちに「格差があると思っていない」から「格差があるのは悪いことではない」へ激変する、この精神構造は何でしょうか? 常軌を逸していると見るのは考え過ぎでしょうか? 前者の発言の数日前には、日本の全世帯の約1/4近くが「無貯蓄世帯」となってしまったということを「金融広報中央委員会」が発表したばかりでした。そもそも小泉政権は、名目上は橋本内閣の「財政構造改革」を引き継いだはずでしたが、2002年の国会で「こんな公約を破るなど大したことではない!”と雄叫びを上げた直後から、なぜか「財政構造改革」の目標は放置されてしまい「郵政民営化」一本の目標へ突っ走ってきたのです。


  その後、2004年3月の日銀発表から日本の家計貯蓄率はマイナスへ転じ始めています。そして、「金融広報中央委員会」(事務局・日銀情報サービス局)の「家計の金融資産に関する世論調査/2005年版」が発表されました(2006.1.22付・日本経済新聞http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20060122AT1F1302521012006.html)が、それによると貯蓄を「持っていない」と回答した世帯(2人以上)が22.8%を占め、その割合は昭和38年(1963)に調査を始めて以来最高となってしまったのです。また、この貯蓄を「持っていない世帯」の割合は2004年比で0.7%上昇しました。実に、日本の全世帯の約1/4近くが「無貯蓄世帯」となってしまったのです。一方で、ここで日本の富裕層は世界で2番目に多いとの指摘もありますので、「神憑る小泉劇場」の下で日本における世帯間のニ極化が着実に進んでいることが分かります。再び、強いて言えば、これこそが「小泉構造改革の成果」なのです。従って、前回の発言の時、小泉首相はウソを言ったか不勉強であったことになります。


  奇しくして、今回もこの「格差が出ることは悪いことではない」の小泉発言の当日に「12月の月間有効求人倍率が13年ぶりに1.0に回復した!」というニュースが流れました。各メディアは、このような小泉首相の不埒な発言を応援でもするかのように“13年ぶりの回復!”を強調しています。が、そんなにこれがメデタイ数字なのでしょうか? 実は、その数字の内訳を詳しく見ると驚くベきことが分かります。結論を言えば、それは「正社員数が減り、パートが増加した結果として12月の求人倍率が1.0になった」ということです。つまり、正社員が0.6倍で、常用的パートタイム労働者が1.41倍」という数字になっており、求人が増えているのは非正規雇用なのです。そして、13年前の1992年と比べると求人に占めるパートの割合は16・3%から31・8%に高まっているのです。これは「看板に偽りあり!」です。実体としては「確実に雇用内容の格差が拡大していた」のです。従って、小泉首相の「格差があるのは悪いことではない」という発言は『開き直り発言』以外の何物でもありません。


  強いて言えば、これは、その場を仕切るゴロツキ・ヤクザの親分がペテンの博打で初心なカモをこっ酷く打ち負かした時に発する開き直り、恫喝、威嚇のコトバです。その本音は“愚痴と屁をツベコベ放(こ)くんじゃネエよ。貴様、この賭場に出入りできるだけでも有りがたく思え! 負けたら、カネ持ってまた出直してこい! 愚痴言わネエで、とっとと、ここから消えうせろ!」ということです。


  これが、日本国憲法に則って日本国民の生命と財産を預かる内閣総理大臣の言葉というのだから驚きです。その彼と彼の仲間たち(一味?)のために高額の税金を払っているのは主権者たる日本国民です。まさに日本の国会は「外道たちの喧嘩場」と化してしまったようです。このままでは、日本中には、ホリエモンどころか、それにも増した詐欺・ペテン・擬装の類の悪質きわまりない事件と凶悪犯罪が蔓延り、若者や子どもたちも含め「日本社会のイジメ構造」が深刻化します。そして、特に若者たちの行き場のない怒りが膨らむばかりとなるでしょう。


[参考資料]パートタイム労働の現状(年々増加するパートタイム労働者)
http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyoukintou/pdf/parttime1-02.pdf