toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

映画『オリバー・ツイスト』に見る小泉劇場『劣等処遇原則』(格差主義)の原像

toxandoria2006-02-27



ターナー『雨・蒸気・速力』(1844)Turner J. M. William(1775-1851)『Rain、Steam and Speed- The Great Railway』 Oil on canvas 90.8ラ121.9cm The National Gallery、 London 


(注)大きい画像は次のURLでご覧ください。http://www.abcgallery.com/T/turner/turner26.html


【画像解説】


1820年1830年代のイギリスは、カンスタブル(Constable J. /1776-1837)とターナーを中心に風景画の全盛期を迎えました。特に、ターナーは自然景観や古典・古代の風景だけでなく産業革命がもたらした機械文明の象徴ともいえる“汽車の描写”に強い関心を持ち、空気に溶け合ったような独特の手法で名作『雨・蒸気・速力』を描いており、これは“汽車を扱った最初の絵画”であるとされています。なお、このことから“科学の発展と産業革命による急激な社会の変化が、イギリス人の自然に対する感性を他のヨーロッパの人々に先駆けて変化させた”ことが窺えます。

 
  1830年代のイギリス(ロンドン)を舞台にした映画『オリバー・ツイスト』(C. ディケンズ原作、ロマン・ポランスキー監督/参照、http://www.olivertwist.jp/#)を鑑賞しました。あまりにも有名なストーリーなので物語の詳細は省きますが、ポランスキーは、孤児である9歳のオリバー少年(養育院で育てられ、9歳になったので救貧院へ送られてきた)が幸せをつかみ取るまでの苦難の道程を、時代考証に徹した19世紀初頭のロンドンを舞台に美しくも重厚な雰囲気で描写します。『水の中のナイフ』(http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=22779)、『戦場のピアニスト』(http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=239348)などの凝り性の監督らしく、ポランスキーが描く19世紀前半のロンドンの光景だけでも鑑賞に値する映画だと思います。ところで、この原作の読み方は色々あり、先ず幼い子どもが社会遍歴を通して「倫理・教育・福祉・経済が一体化した観念」を無意識ながらも身につけるプロセスを、そこから読み取ることができるような気がします。あるいは、“既に「名誉革命」の時代から1世紀を過ぎ、啓蒙思想が遍く行き渡り「第一次選挙法改正」(1832)が行われて、事実上、イギリスの“議会制民主主義”が完成したにもかかわらず、未だに絶対王政下の「劣等処遇原則」(非人権的な貧民層に対する格差主義=最貧層は人間と見做されない!)が存在することを批判したかったのかも知れません。


  もう一つ、この映画で印象に残るのが、オリバーを巡る主人公たちを引き立てるための脇役に徹する多くの女性たちの不思議な優しさと思慮深さです。それは、例えばナンシー(スリの少年たちを束ね、自分の手は汚さず手下を犠牲にしながら、ひたすら金をためている老獪なフェイギンの一味であり、悪漢サイクスの情婦)、ベドウィン夫人(最後にオリバーを養子にすることになる慈悲深いジェントルマン、ブラウンロー氏の夫人)などです。ここで感じたのは、ディッケンズには“男性原理”に偏重する政治・経済・社会の形成プロセスを批判する意図もあったのではないかということです。この女性たちの視線がオリバー少年の「成長過程の観念形成」に微妙な影響を及ぼしているように思えます。いわば、それは“近・現代社会の政治・経済・社会のみならず、哲学・倫理までもが政治権力的な男性原理によって作られ、汚染されてきた”ことを鋭く批判するジュディス・バトラー女史(J. Batler/米カリフォルニア大学教授/下記URL★参照)の視線に通じるものがあるかも知れません。もっとも、バトラー女史は“セックスさえも政治権力(男性原理)が形成した幻想ではないのか!”と過激ですが・・・。
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/butler.htm
http://rhetoric.berkeley.edu/faculty_bios/judith_butler.html#top


  ところで、この『オリバー・ツイスト』の時代、19世紀初頭のイギリスを概観すると次のようになります。この頃のイギリスは、マンチェスターリヴァプール間に「鉄道」が開通(1830)しており、自由主義的改革運動が盛り上がる中で「第一次選挙法改正」(1832)が実現して漸く産業資本家層にも参政権が与えられるようになっていました。つまり、それは世界で最初の「産業革命」(18世紀後半〜19世紀)が軌道に乗った頃に当ります。この時期にはアダム・スミス(Adam Smith/1723-1790)が唱えた“自由放任主義”を正しく継承したとされるリカード(D. Ricardo/1772-1823)、マルサス(T. R. Marthus/1766-1834)、J. S. ミル(J. S. Mill/1806-1873)らのアカデミズムの担い手たちが「古典派経済学」の輪郭を形成し始めていました。更に、イギリスでは1830年ごろから経済恐慌が繰り返されるようになりますが、それは主力商品である綿織物を中心に市場の「需給調整」のリズムが景気循環をもたらすようになったためと考えられます。この時代のイギリスは、ジョージ4世(位1820-)〜ウイリアム4世(-位1837)からヴィクトリア女王の治世(ヴィクトリア時代/位1837-1901)にさしかかっており、強大な海軍力に支えられた大英帝国(17世紀初〜20世紀初)がまさにピークを迎えようとする時です。


  また、この頃のイギリスは利潤追求に傾斜した産業資本主義が確立した時代でもあり仕事の機械化と分業が発達して熟練工が不要となったため、資本家たちは賃金が安くて済む子どもや婦人を労働力として使うようになっていますが、また、これら労働者たちは、利潤を急ぐ資本家たちによって低賃金と長時間労働が強制されていたのです。そして、これら労働力の供給源の役割を果たしたのが17世紀末〜18世紀に行われた「第二次エンクロ-ジャ-」です(効率的な大規模穀物増産を実現するため、大地主たちが自作農から共同耕作地などを取り上げ彼らを外へ追い出した/15〜16世紀の「第一次エンクロージャー」は大規模な羊牧場経営のため、やはり領主・貴族など大地主たちの都合で自作農が追い出された)。この「第二次エンクロ-ジャ-」によって、農村共同体から追放された極貧の農民たちの多くはロンドンなど大都市へ流入して賃金労働者の源流となります。


  この「エンクロ-ジャ-」が果たした役割をクローズアップすると驚くべきことが分かります。敢えてエンクロージャーを現代風に言い換えて見れば、それは「社会の構造改革」に相当します。だから、これは「貧者に対する富者の革命」と呼ばれることもあるようです(http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20050902)。15〜16世紀以降、イギリスの小自作農たちは、牧羊による富の拡大のために旧来の社会秩序を自ら崩壊させることを狙った権力(領主・大地主層)によって、今まで従ってきた法や慣習、共同地に関する用益権(共同耕作、共同採草、、共同放牧等にかかわる権利)、自分の持ち家など一切の生きるための基礎条件を奪われて大地主の領地の外へ追い出され続け、そのピークが産業革命の18世紀〜19世紀前半に到来した訳です。このことをトマス・モア(Thomas More/1477-1533/イギリスの人文主義者)は『羊が人間を食う』と皮肉っています。また、経済人類学の創始者、カール・ポランニー(Karl Polanyi/ 1886 - 1964)の名著『大転換/市場社会の形成と崩壊』(1944、邦訳:東洋経済新報社、1975)』によれば、特に18〜19世紀の「エンクロ-ジャ-」は“人間の土地と密着した経済生活(互酬・再分配・交換に傾斜する伝統的な経済生活)がグローバルな市場経済(マネー原理主義経済)の中に組み込まれる契機”となる出来事であったようです。この辺りの事情は、今、日本で進みつつある新自由主義思想(市場原理主義)に基づく「小泉構造改革」による“地域と弱者を犠牲にする格差主義政策”を連想させます。


  ただ、同じエンクロージャーでも産業革命期の第二期と15〜16世紀の第一期では、その発生事情がかなり異なります。そこで、周辺事情についてもう少し歴史を遡って見ることにします。1530年、ヘンリー8世(Henry 8/位1509-1547)は「乞食免許」の条例を定めています(参照資料、http://www.bekkoame.ne.jp/tw/hibana/h246_2.html)。この資料によると、年老いて働く能力と体力を失った乞食は「乞食免許」を授けられる一方で、身体健全な若い浮浪者たちは荷馬車の後ろに繋がれ鞭打たれて、教区内の授産施設や監獄に監禁されることになっています。そして、彼らは出生地か最近3年間の居住地へ戻って働くという“誓い”を立てさせられます。今風に言えば、これら“ニート層”に対するヘンリー8世の処遇の原点にある考え方は「劣等処遇原則」と呼ばれるものであり、それは人間の社会に“格差が存在すること”を前提とする考え方です。やがて、これは「救貧法」に変わります。1601年、エリザベス1世(Elizabeth 1/位1558-1603/ヘンリー8世の子、チューダー朝の最後の王。彼女の治世はイギリス絶対王政の頂点とされる)が「エリザベス救貧法」を定めます。これは貧民層に「劣等処遇原則」(格差主義)をより具体的に適用するものです。そこでは労働能力の有無が厳しく審査され、彼らは教区(parish)を単位として「有能貧民」、「無能貧民」、「自立不能の児童」の三つに分けられ、「有能貧民」と「自立不能の児童」は労役場 (work house)へ送られます。そして、彼らは労働能力を矯正するための懲治監(house of correction)や一般監獄などで懲罰を加えられ就労を強制されることになる訳ですが、一方で「無能貧民」は衛生・食事環境などが劣悪な救貧院で保護されました。


  この「救貧院創設」の理念は「キリスト教の愛」に基づく「慈善」であり、ここには「人権思想」に基づく「平等」の観念は未だかかわらないと見るべきです。つまり、「エリザベス救貧法」の理念となっている「劣等処遇原則」(lesseligibility)の根本には、“貧困の原因は社会ではなく個人の中にある”という考え方が存在するのです。つまり、それは自分で責任を負うことが不可能な障害等を負う人間の救済を拒否するものでした。やがて、これが本格的な「福祉制度」として具体化するのは、20世紀初頭に入り人権的な福祉思想が普及するまで待たなければなりません。そして、ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』が刊行された1838年を挟む時代のイギリスでは、産業革命の進行とともに、絶対王政時代の残滓を乗り越えて本格的な人権思想に基づく政策を要求する運動(下記●)が活発化していたことを見逃すべきではないでしょう。


●第一次選挙法改正(1832)・・・産業資本家層へ参政権(これが農民・労働者層へ及ぶのは
19世紀末)、腐敗選挙区の是正、この改正が「本格的な議会制民主主義成立」のメルクマールとされる


奴隷制の廃止(1833)


●工場法公布(1833)・・・「児童労働」週48時間制


●人民憲章起草(1837)・・・男子普通選挙、無記名秘密投票などを要求


チャーチスト運動(1838-48)・・・世界初の労働者の組織的活動(選挙権等に関する地位向上を求めた運動)、人民憲章(ピープルズ・チャーター)を議会へ提出


  やがて、1795年に「スピーナムランド制度」(バークシャーのスピーナムランドで決められた、貧民への賃金補助制度で、後に全国へ拡大)が定められます。しかし、この制度も根本が「劣等処遇原則」であることには変わりがなく、特に中産層へ負担が重くのしかかるようになって、歴史の流れとともに次第に「二極化の拡大」(大きな貧富差の拡大)を煽るだけの矛盾した制度と化しました。特に、19世紀初頭ころには「第二次エンクロージャー」でロンドンなど大都市の貧民が急増したため従来の制度上の基準では対応が不可能となり、1834年には「スピーナムランド制度」の大改正が行われます。しかし、ここで確認(改正)されたのは“救貧院での被扶助者の生活水準は自活労働者の最低生活水準以下でなければならない”ということです。これが、いかに現在の「福祉思想」の根本(人間として生きる最低限の保障が与えられるべきという考え方)からかけ離れたことであるかが理解できるはずです。丁度、このような19世紀初めころが『オリバー・ツイスト』の物語の舞台であり、ディケンズが批判したことの一つが、このような権力による「格差主義」(差別主義)の黙認であったとは間違いないと思われます。


  このように見てくると、イギリスで議会制民主主義が確立したころ(19世紀前半)まで存在した「劣等処遇原則、つまり歴然とした格差主義政策(lesseligibility)=人間の一部(最貧層)を非人間と見做す」が、構造改革新自由主義思想(市場原理主義)を標榜する『小泉劇場』で再現されつつあるのではないか、と思われます。景気が上向いてきたこともあって、テレビのコメンテータなどの中では“『小泉劇場』で格差が拡大したことは幻想だとする声”が高まっています。しかし、果たして、そうなのでしょうか。ごく新しい下記のようなデータ(■)があります。このような現実を見ると、現代の日本では「エリザベス救貧法」による「無能貧民」(=非人間)のレッテル貼りと、ヘンリー8世の「乞食免許」が現代日本の『小泉劇場』によって再現されつつあるような気がします。恐るべきことです。


介護保険法の改正による「負担増」で、介護保険施設入所者の退所が《急増中》(2006.2.26、河北新報・記事)
・・・昨年10月以降、東北六県の介護保険施設の2割近くに当たる98ヶ所で、入所者計194人が負担増(2〜7万円以上の負担増)を理由に退所を余儀なくされたことが判明した(東北保険医団体連絡会、調査)。
・・・これは、介護保険法の改正で、利用者の食費と居住費が自己負担となったため。その内訳は「負担増額分が月2万円以上の人、137人(71.0%)」、「負担増額分が月7万円以上の人、26人(13.00%)」など。
・・・また、介護報酬も減額されつつあるため約半数の施設が食材や人件費の削減に着手しており、今後、ますます食事内容、排泄介助、入浴介助などの介護サービス内容が劣化することが懸念される。
・・・なお、全国規模の調査は未了と思われるが、人口規模を使って、ごく大雑把に推計すると現段階で少なくとも2,000人程度の退所者が発生していると思われる。


■日本の「貯蓄なし」世帯が最多の22.8%に達した=「4件中の1件が無貯蓄世帯」へ《接近中》
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20060122AT1F1302521012006.htm
・・・「金融広報中央委員会」(日銀内)の金融資産に関する世論調査(2005年版)によると、「貯蓄を持っていない」と回答した世帯(2人以上の場合)が22.8%を占めており、全世帯ベースでは23.8%が「貯蓄を保有していない」と回答しており、この項目では、調査を始めた04年から0.9%上昇した。


<参考>小泉政権が犯した七つの大罪
・・・http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051114より再録&加除訂正。


(1)盲目的に「自由主義思想」に心酔し、隷属的対米関係を一層深刻化させた(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829


(2)政教分離の原則を蹂躙し(複数のカルト宗教的要素が国政の中枢を侵食)、維新期〜太平湯戦争期のファシズム的熱狂(神憑りの軍事国体論)を引きずるナショナリズムの流れを国政の中枢へ呼び込んだ(この象徴が靖国神社参拝問題)


(3)日本国憲法の「授権規範性」を蹂躙した(非武力的クーデタ=議会制民主主義の否定)


(4)「改革の美名」の下で成果を上げ得ぬばかりか、財政赤字額・約250兆円を増加させ国家危機を深刻化させた


(5)「政治的倫理」を冒涜し、日本の政治を下卑たポルノクラシー・レベルまで低下させた=見栄え主義とパフォーマンスで誤魔化した「過剰な男性原理」による政治権力の行使(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829


(6)「非合理な外交」によって、世界の潮流の中で日本を孤立化させた


(7)青少年及び弱者層に対する愛情が足りず、日本の教育・医療・福祉環境を著しく劣化させた=劣等処遇原則、つまり歴然とした格差主義政策(lesseligibility)の推進(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050610/p1