toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”(続々編)

【その後の“反CPEデモ関連の動向”】

《補足10》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.4.5付・朝日新聞、パリ発より/及び同4.4付・共同通信、パリ発より/等を参照・要約)

CPEに反対するデモが4日に各地で始まった。与党・国民運動連合(UMP)は、自由に解雇できる試用期間の短縮などを取り入れた修正案を5月上旬に議会で審議する予定。しかし、労組と学生団体は、今回の大規模なデモでこれを一気に撤廃させるつもり。

●今回のデモについて、労働総同盟はフランス全土で300万人を超えたと見ている。ストライキは3月28日に次ぐ第二派だが、デモは今回(4/4)で5度目になる。

CPEについて、シラク大統領は3/31に政府側が歩み寄る形の修正案(表記の試用期間の短縮など)を提示したが労組などは拒否。しかし、UMPが労働団体側に4/5の協議開催を呼びかけたところ、労組側はこれに応じる意向を示している。

《補足11》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.4.5付・毎日新聞、パリ発より要約)

●与党・国民民衆運動(UMP/政府内の実力者であり、来年の大統領選挙でドビルパン首相のライバル視されるサルコジ内相が党首を務める政党)のアコワイエ下院議員団長らは、5日にCPOについて労組・学生の代表をパリの上院議場に招き初めての直接対話を行った。

●労組・学生12団体は“CPEを撤回しなければ再度デモを行う”との声明を発表した。対話に入っていない社会党(野党)は撤回期限を4月17日(=キリスト教の復活祭の休日)とする声明を発表した(初めて期限を区切った!)。

●4日のデモの後に、シュレク仏民主労働連盟・書記長は“政府側が撤退戦略上にいるのは明らかなので、最後まで圧力をかけ続けることが重要だ”と述べた。一方、チボー仏労働総同盟・書記長は“瀕死状態にある政府側を説得してCPE撤回を要請するが、修正なら拒否する”と宣言した。

《補足12》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.4.6付・読売新聞、パリ発より要約)

CPE問題で窮地に立つドビルパン首相は、5日に国民議会(下院)の質疑で今後の交渉の行方を訊かれ“政府代表として数日内に結論を出す”と述べた。首相側近は否定するが、一部では辞任を示唆したとも受け止められている。

《補足13》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.4.6付・日経新聞、パリ発より要約)

●フランス労働総同盟(CGT)や学生全国組織(UNEF)など労組・学生側は、4日のデモで310万人(警察発表は約103万人)と、「1968年5月革命」以来の大量動員に成功したので勢いづいている。

●学生・労組の12団体は、5日、連盟で共同声明を発表した。それによると、10日までに政府・与党がCPEを撤回しないときは、11日に大規模デモを実施すると予告。17日までにCPEの廃止を投票するよう求めている。

社会党のオランド第一書記は、5日に“CPEの廃止法案を17日までに可決することは可能だと述べている。

《補足14》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.4.7付・日経新聞、パリ発より要約)

●UMP(与党国民民衆運動(党首、サルコジ内相)の上下両院議員団長らが6日も引き続いて労働組合と学生団体からの聞き取りを行った。一方、ドビルパン首相は6日の記者会見で辞任説を否定した。

●会見に同席したブルトン経済財務産業相は、全国ストや大規模デモが長期化すれば経済に対する影響が出る可能性があることを示唆した。また、フランス経済のイメージが外国メディアの影響で悪化することを懸念した。英エコノミストは、最新号で“未来と向き合うフランス”と題して「目隠ししたおんどり」(ドビルパン?)の風刺画を掲載した。

《補足15》「フランス・デモ騒動の現況」(2006.3.10、記)
・・・自分で知り得る範囲のことですが、その後、日本のメディアから関連情報が殆んど入らなくなりました。しかし、下記の在仏ブロガーの記事(★)で関連情報が紹介されていたので、その一部分を転記しておきます。
★『うるわしのブルターニュ』、http://bretagne.air-nifty.com/anne_de_bretagne/

●これによると、CPO部分を除外した「機会平等法」を、 4月2日付けでシラク大統領が公布したことが分かります。そしてCPEについてはシラク大統領の演説を踏まえて法改正まで運用を凍結する(5月上旬に修正案が議会で討議される予定)という異例の対応をとることになったのです。

・・・以下は『うるわしのブルターニュ』より転記・・・

いきなり登場した「機会平等法」、これだけではさっぱりわからない。私自身法律をうまく説明できない。そこで検索したら在日フランス大使館のなかに機会平等法という項目があった。これをさらに簡単にまとめてみた。フランス語の原文はAssembl馥 nationale国民議会のEgalit・des chancesに載っている。

1)フランスの若者が置かれている状況、特に雇用状況は改善されなければならない。
若者の高い失業率を下げる施策が必要。
2)機会平等法案には、数十年来続いているこの状況に対する具体的な解決策が盛り込まれている。
教育と雇用による解決、差別対策、家族および市町村における権限の回復、ボランティア市民サービスなど。
3)この法律の鍵を握る要素に、初期雇用計画(CPE)がある。
従業員20人以上、雇用対象は26歳未満
CPEは無期雇用契約である。
CPE給与所得者は多くの権利を得る。
2年の試用期間中、契約の解消は簡略化されるが、労働法は守られる。
4)ヨーロッパの主要国は同等の仕組みを備えている、もしくは導入を検討している。

たとえばドイツでは年齢にかかわらず、新契約には24カ月の試用期間を設けている。
<注>おおむね、ヨーロッパ諸国では就業前の学生がアルバイトまたは無償の就業体験で即戦力のために必要な仕事を経験することが前提とされている。

マオ猫日記のフランス全土でCPE反対デモにさらに詳しい解説がある。機会平等法についてはたいていの人が反対してはいないのだが、その中に含まれるCPE(初期雇用契約)が争点となっているのである。反CPEの運動で特に問題となっていたのは「2年間の試用期間内は理由をつげずに解雇できる」ということだったがシラク大統領は、「試用期間を2年から1年に短縮すること」と「解雇の理由を本人に通知すること」を修正することを演説の中で明らかにしている。

4月4日に反CPEのデモに参加した人たちの多くは「CPEそのものを機会平等法から省くことが必要だ」と主張している。フランスの労働条件はいったいどうなのか。全国統一ストライキを決行してまで、CPEはどうしても止めさせなければならない悪法なのだろうか。フランスっての2つのエントリー新卒雇用契約(CPE)とCPE(新卒/初任雇用契約)の内容、さらに平均給与額の裏側を読めば、フランスの労働者は日本より待遇がいいことがわかるだろう。

しかしながら、これらの権利はこれまでフランスの労働者たちが戦って勝ち取ってきたものである。フランスでは日本のように企業にはいってから仕事を覚えるのではなく、先に自分が働きたい職種でstageスタージュ(ただ、もしくは低賃金)をする。なぜなら就職にあたり「経験があるのか」ということが重視されるからである。日本人なら「新卒なのに経験なんてないにきまっている」と答えるのではないか。でもそれでは採用されないのだ。そのため大学生は夏休みの間、スタージュをしてそれを自分の経歴に記入する。大学を出ても就職できない若者たちは、短期契約や臨時雇いのような職を転々としている現状もある。

CPEのような試用期間を設けることによって確かにみかけの失業率は減少するだろう。だが、26歳まである日突然理由もなく失業するというのでは人生設計などたてられない。CPEに反対する人は「なぜ26歳までと定めなければならないのか。若者を差別し使い捨てにするつもりか」と怒っているのである。さらにこれが認められれば、また別の法律が出来て既存の権利をうばわれるのではないかという不安もある。

【フランスのアソシエーションについて/関連コメント&レスの再録】

(その1)『「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321)のコメント&レス

# 谷口硝子 『

>「政権が腐り易いものであること」を熟知しているのです。

日本国民は権力が腐りやすいことを知っていながら、長いものには巻かれろとばかりに、不安を抱えながらも、悪政に迎合していく。それが近い将来自分のクビを締めることになるにもかかわらず…。

また、政治家たちは自らの利権のために、動くのが政治だと勘違いしている輩ばかりで、国家や自治体の将来に対する理想も施策もへったくれもありません。が、その政治構造を支えているのが、わたしたち有権者でもあります。

>今の日本で大切なことは、フランスの民主主義のあり方を参考としつつ、リアリズムに徹した、行動力のある“批判勢力”を育てることです。バランスの取れた健全な資本主義と民主主義を実現し、世界の平和に貢献するため我われ日本国民がやるべきことは無尽蔵にあるのです。

「行動力のある批判勢力を育てる」とは、なんという美しい響きをもつディスクールでしょうか。へたれニッポン社会で批判精神を持ち続け、なおかつ、行動力を兼ね備えるためには、高い志と体力&精神力が求められます。われわれが無尽蔵にやるべき課題について、他人任せにするのではなく、ひとりでも多くの人たちが、その一歩を踏み出すことに、ささやかな期待を寄せるものです。』

# toxandoria 『谷口硝子さま、コメントありがとうございます。

フランスについて事情を探り、記事に纏めるときに何時も思うことがあります。彼の地の人々は日本人と根本的に異なる認識能力を持つのではないか、と・・・・。そこには権利意識だ、自由についての理解だ、という通り一遍の事柄で説明できない何かがあるようです。

最近の「アメリカの民主主義」は“マニュアル民主主義”あるいは“プレハブ民主主義”という感じですが、フランスの民主主義は未だにナイーブさというか、アメリカとは違う意味での激しさ、厳しさ、一回性の感覚(あるいは価値観)などを秘めているように思われます。そして、これはフランス独特の愛国心のエネルギー源でもあるようです。

やはり、日本は、長かった封建時代の“負の遺産”を未だに引きずっている(江戸以前の文化の全てが負とは思っていませんが・・・)ような気がします。そこには、政治が悪であることについての諦観のような感覚があるのかも知れません。どんな政治悪でも「靖国神社」などで“お祓い”をすれば禊になると思っているのでしょうか?』

# スパイラルドラゴン 『こんにちは。

現在進行しているフランスでの騒動を、経済的な基盤が確立されているフランス国内の市民達が、どのような目で見ているかという視点を見誤ると、今回の騒動の本質を見誤ると思いますよ。』

# toxandoria 『スパイラルドラゴンさま、コメントありがとうございます。

たしかに、そうですね。日本とは異なる意味で階層化した社会である(特にド・ビルパンなど、ドの付く人々の力は侮れないようです)ので、例えば在仏ブロガー、fenestraeさまの下記の記事(部分抜粋、http://d.hatena.ne.jp/fenestrae/20051119より転載)(《〜〜〜》)のような現実があるようです。

《暴動に参加したものでフランス国籍でないものを、正規滞在者まで、関連法律をほとんど無視に近い拡大解釈で国外追放と決めたが(外務大臣は反対。世論調査は支持)、国外追放になったものはどこに行くのか。効率よいテロリスト製造法。皆が「赤毛のダニー」みたいに追放先でぐれずにフランスを愛しつづけるとは限らない。》

早速、ゼネストが回避されそうになったことも、そのような事情が絡むかもしれません。
しかし、少なくとも現在の日本で見られるような“批判勢力の総ヘタレ・ショタレ化”よりは見た目に分かり易い分だけ、そこには彼我の一般的国民の民度(自覚)の違いが現れているように思われます。』

# 谷口硝子 『先のようなコメントを記したのは、

埼玉県議会の「総ヘタレ・ショタレ」現象が目の前に迫っていたからです。以下、そのいきさつに関するブログです。
http://blog.goo.ne.jp/sai-fnet/

# toxandoria 『谷口硝子さま、コメントありがとうございます。

イヤ〜驚きました。この手のスキャンダル話は昔からよく噂として聞くことはありますが、ここまで露骨にスケールの大きな騒ぎとなっているのは珍しいですね。幾人かの知人が住んでおり、かつてtoxandaria自身も住んだ場所なので、あまり言いたくありませんが“埼玉県民の民度(=民主主義意識)が低い”と言われても仕方がないような事件ですね。

よく考えてみれば、最も酷くこの手の“政治のポルノクラシー化”(娼婦政治/Pornocracy/10世紀半のローマ教皇庁で起きた堕落政治/この時代教皇達は売春婦などの女性によって強い感化を受けた)が進んでいるのは今の日本政府じゃなかったでしょうか。その証拠に、くだんの“感動した!名宰相”をはじめ自民党幹部の名を想起すると、これに該当すると思しき人物がゴロゴロ居並んでいます。

漸く、今頃になって騒がれ始めた『格差論』も、そもそも“新自由主義思想”の中に潜んでいたことです。その根本は、最近になり広く知られるようになった“トリクルダウン”(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E7%90%86%E8%AB%96http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122)という怪しげな理論(呪文、おマジナイ?)にあります。

本来、“リベラリズム”は「先ず、政治が自由競争をするための平等な前提条件と敗者復活のための条件を十分整備した上で競争させる」という意味であったはずです。これを“トリクルダウン”という都合のよい修飾語を使って、現代民主主義社会を封建時代へ後戻りさせてしまったのです。この意味で、新自由主義思想を信奉する学者や政治家は根本的には封建主義者だと思います。

このように考えると、倫理観は時代感覚を伴うものですから、現代の政治家や御用学者の多くの倫理観が崩壊するのは当然かも知れません。今回のワールド・クラシック・ベースボールでのアメリカ野球界のお粗末さと身勝手さも、こんなアメリカ人に蔓延している倫理観の崩壊が露顕したのではないかと思っています。

“トリクルダウン”といえば、芥川龍之介の『芋粥』(http://www.prana-art.co.jp/magajin/imogayu/6.htm)の中に“取り食み”(とりばみ)という言葉が出てきます。恐らくこれは、平安時代中期頃から江戸時代の初めあたりまで行われた“日本版・トリクルダウンの奇習”(当時の封建的感覚(倫理観)では奇習ではなく地位の高い人々の善行(一種のノーブリス・オブリージェ感覚?)だったのかも知れませんが・・・)があったようです。

“取り食み”とは、大きな饗宴の後などに残り物の料理等の食べ物を庭に撒き散らして乞食ら身分の低い人々に食べさせることであったようです。ちょっと調べてみると、これには“鳥喰(み)、鳥羽見、鳥込”など様々な表記があって、それに関する人名・地名が全国に残っているようです。ユニークなものでは、近江の湖東地方に「鳥食み神事」(http://www.biwa.ne.jp/~kasajima/ouminomaturihonbun2.htm)があります。

このように見てくると、埼玉県議会や日本政府の“ポルノクラシー化”と“トリクルダウン”(新自由主義思想)信仰による「格差拡大路線」は、日本が封建時代へ後戻りしつつあることの証拠なのかも知れません。このため、政治権力者や御用学者たちの倫理観も逆行しており、近代民主主義社会の基準から見れば堕落する一方です。

だから、このような点に気がつかず安易に見過ごしてしまうという意味でも、鋭敏な感覚が残っているフランスの民主主義社会と比較すると、残念ながら「日本人の民度」は低下する一方で「総ヘタレ・ショタレ化」がどんどん進んでいるのではないでしょうか?』

# とむ丸です 『 自民党憲法草案を読むにつけても、

あまりに理不尽な内容にびっくり仰天しながら、よくもこう明からさまに己の利権確保に政治を利用できるものだと不思議で仕方ありません。倫理教育が一番必要なのは彼等政治家達ですよね。「ド」が付いていない人たちですが、いったん権力の一翼を担い、権力欲と利権欲に取り憑かれると見境がなくなるのでしょうか。

 でもことは道徳論だけでは済まされませんね。そうした権力の腐敗を防止する仕組みに知恵を絞らないといけませんね。実際はその逆の方向に流れそうになっている、そのことに目を光らせて抵抗する。まだ今なら間に合う、と粘っていきたいです。』

# toxandoria 『“とむ丸”さま、TB&コメントありがとうございます。

至極当然に聞こえるかも知れませんが、マクロに見ると今回のライブドア事件で“ホリエモン”(民)に犯罪者の烙印を押すことができるのは紛れもなく「権力A」(司法、検察)であり、くだんのメール騒ぎで自爆した民主党(民の代表たる国会議員)を、事実上、断罪し得たのは「権力B」(行政/内閣)です。(無論、ここで“ホリエモン”を弁護するつもりではありません/上手くつるんでいた筈のホリエモン自民党が、どこでボタンのツケ違いをしたかなどの話は別問題です/また、民主党のメール騒動の裏には下記URL★の推論のような陰謀が隠れている可能性がありますが、それも別問題です)
http://amesei.exblog.jp/2771136/

一方、昨今の事情から、もはや「権力A」は「権力B」の敵ではないと見做されます。背後のネットワークがどのように繋がるかは分かりませんが、ここから見えてくるのは「日本の三権分立」が単なる名目レベルに貶められてしまったという現実です。そして、「政官の権力」、「経済的権力」に次ぐ「第三の権力」と目されることがあるメディアも「権力A」に平伏していることは周知のとおりです。

事実上、これは日本で独裁型政権のレールが敷かれたことを意味します。そして、この体制の中枢に居座るのがニ・三世議員、すなわちパラサイト(寄生・世襲)型の国会議員たちです。しかも、“批判能力”を失った主要メディアは、この「パラサイト(寄生・世襲)政治家」たちの『国民的人気度』なるモノを煽り立てるための道具と化しています。

このように悲惨な状況が一挙に進んだのは、やはり昨年9月の「郵政民営化参院否決→解散・総選挙」で小泉首相が平然と事実上のクーデタを成功させた(憲法違反を犯した)ときです。
つまり、大方の日本国民とメディアが「日本国憲法」の役割を蔑ろにしたことのツケがまわった訳です。憲法には、主権者たる国民のために「権力」に対して一定の縛りを掛ける役割(授権規範性)があることを忘れたことのツケです。これは、民主主義国家における国民の「基本的権利」を死守するための大原則であったはずです。

因みに、フランスの第五共和国憲法では第一義的な原則として、国民の「基本的権利」を守ることを掲げています(参照、下記資料★)。
★『フランス憲法の原則』
http://www.ambafrance-jp.org/IMG/pdf/constitution.pdf

(その2)『「格差拡大の時代」(政治的事故)を予見したポール・ヴィリリオに学ぶ』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060328)のコメント&レス

# toxandoria 『“とむ丸”さま、TBありがとうございます。

東京大学公共政策大学院院長の森田先生の見解は、あまりにも楽観的だと思われます。いま、「小泉政治」という暴政の下で現実に起こりつつあることを、このように具体的に対比した論を読ませていただくと、それは「まさに無責任な御用学者の言説である」ことが露呈しています。
議員内閣制は民主憲法の下で一つの理想を実現したものであり、議員内閣制そのものが完璧なものではないと思います。だからこそ、三権分立の意義があるのだと思います。
森田先生の言説が、まるで「王権神授説」のように見えてきました。』

# 建つ三介 『こんちは。

大変、いい内容ですが、いかんせん、長い。

読むのが大変(かく言うぼくもそうですが、)出来ればブリーフ版
(下着じゃありません)が欲しいです。此処の内容はその価値がありますね。』

# toxandoria 『“建つ三介”さま、コメントありがとうございます。

もっと短い記事を書くよう努力中ですので、もう暫くご猶予を願います。実は、1年ほど前までは、この3倍ぐらい長い文章を平気で書いておりました。

分かり易くて適切な内容の短い記事を書くのはなかなか難しいものですね。』

# toxandoria 『“玄耕庵”さま、記事紹介&TBありがとうございます。

最近、チャンスがあって久しぶりに広島の平和公園へ行ってきました。

一時、不心得者たちのイタズラで周辺の記念碑等が汚される事件が多発しましたが、最近は、そのような行為がやや減っている様子なので、少し安堵して帰ってきました。無論、これは関係する方々の血が滲むような努力の賜物だと思います。

戦争がもたらした「我われの身近にある悲惨な現実」を永遠に忘れぬようにするための継続的な努力こそが平和の決め手であることを再認識しました。そして、このように地味な出来事こそが世界(現実)に繋がる「ノード」の一つなのだと思いました。』

# ivanat 建つ三介 『toxandoriaさん、無理行ってすんません。

しかし3倍には正直、驚きました。最近ディスプレーの見過ぎで、かなり視力だ弱ってきましたので、(もともと仕事の関係で、CADや、計算で、弱っていたもんでして)もっと読みたいと辛いの天秤です。それでもついつい読んでしまいますが・・。』

# tekcatです 『いつもコメントをありがとうございます。

格差の拡大と犯罪や自殺数の拡大の相関はもはや見過ごせないところまで来ていますね。それにしてもフランスのデモに見るフランス社会の底力と健全さはうらやましいかぎりです。』

# toxandoria 『tekcatさま、TB&コメントありがとうございます。

フランスの司法制度を概観して分かったのは、政治権力と主権在民が論理的に見事に制度化されていることです。

そこでは、フランス革命の精神が今も脈打っているようです。

関連記事を下に貼っておきます。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060404

# toxandoria 『renshiさま、記事リンク&TBありがとうございます。

一般にアソシエーション(≒NPO)に二つのタイプがあることについて、かなり誤解が広がっているようで気になっておりました。それは、「情報」に関する二つの意味が我が国では誤解されたまま(深刻なパラドックスを抱えたまま)一人歩きしている、次のような構図と似ています。
たとえば「情報」というコトバにはインフォメーション(A=意味・内容の伝達機能)とインテリジェンス(B=自分が必要な意味・内容についての評価機能)の二つの側面があるはずですが、特に日本ではそのような「情報」の“諸刃の剣 ”的な性格(深刻なパラドックスを抱えていること)が、どこかで意図的に隠蔽されてしまったのではないかと思われます。

つまり、NPOについてもアメリカ型の(A)と、フランス型の(B)の違いがあることにに気づかぬまま、アメリカ型の市場原理主義に突入した日本(それを煽りまくったのが小泉政権)は「エントロピー増大の法則」と「ベキ法則」の虜となって崩壊しつつあるような恐ろしさを感じています。
従って、タテマエ上の奇麗ごとはともかくとして“有給職員を抱える日本のNPO法人の一部が「官の天下りの受け皿」化したり、 「暴力団の隠れ蓑」化したり”するのは当然の帰結だと思われます。』

(その3)『]「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”(続編)』
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060404)のコメント&レス

# toxandoria 『tekcatさま、TB&コメントありがとうございます。

フランスの司法制度を概観して分かったのは、政治権力と主権在民が論理的に見事に制度化されていることです。

そこでは、フランス革命の精神が今も脈打っているようです。

関連記事を下に貼っておきます。
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060404

# toxandoria 『tekcatさま、記事紹介&TBありがとうございます。

アメリカにおけるNPO活動(アソシエーション)のルーツとしては、先ず合衆国政府による社会政策から発展してきたものがあります。例えば、1960年代のラディカルな公民権運動への対応として社会福祉団体や人権団体などへの助成を充実させたことから始まるNPOが存在します。どちらかというと、この流れは人格的なコミュニケーション重視型のアソシエーション(フランス型のアソシエーション)というより上から与えられた政策遂行型のNPOです。

もう一つは1980年代にシリコンバレー不況の中から、新たな活路を求めて芽生えた草の根的な市民活動であり、こちらはサンフランシスコ周辺の市民活動から始まっています。一方、フランスのアソシエーションは、ご周知のとおり1901年の「アソシエーション法」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321 )に始まる歴史の古いものですが、成立(設立)要件がアメリカより緩やかな点に特色があるようです。国や自治体と一定の距離を保ちながら自立性を確保して客観的な作業を展開していることもフランスのアソシエーションの特色です。

また、こういう比較はあまり意味がないと思いますが、5〜6年前に調査した時の数字では、たしかアメリカのNPO活動がもたらす付加価値額が対GDP比に占める割合は10%程度であったはずです。恐らく、フランスも同程度の数字になっていると思われます(統計データが少ないため新しいデータは持っていません・・・)。おなじことについての日本の数字は、未だ2%程度に止まっているようです(下記資料★参照)。
★『経済主体としての存在感を増すNPO』、http://www.sumitomotrust.co.jp/RES/research/PDF2/640_2.pdf

<注>この対GDP比10%という数字が如何に大きなものであるかは、例えば下記の数字(★1、★2)と比較すると容易に理解できる。

★1「音楽産業」の対GDP比は約1%以内であり、この数字は世界中のどの国でも似たり寄ったりである。(出典:ネット社会の未来像(春秋社)、p264、池田信夫氏(須磨国際学園情報通信研究所池田信夫氏のコメント)

★2日本における「出版産業」の対GDP比は高々0.4%程度である((2兆円/500兆円)×100で概算)。

フランスのアソシエーションで働く専従職員(有給の被雇用者)は約120万人で、全給与労働者の約6%強を占めており、雇用の観点から見ても、このセクターの拡大はますます無視できなくなっているようです。無論、フランス型のアソシエーションの意義は一般企業と同じ意味での経済活動にある訳ではなく、様々な問題を抱えた地域や分野における生活世界での人間的紐帯となる役割こそが本来のアソシエーション(フランス型のアソシエーション)に期待されているものだと思います。

いずれにしても、官僚の天下り機関や暴力団の隠れ蓑などと見紛われることもある日本のNPO事情は異常であり未成熟だと思います。』