toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「小泉首相の靖国参拝・強行」と「共謀罪」は暗黒社会到来へのプレリュード

◎「小泉首相靖国参拝」は国民の“論理不感症”を突く形で強行されてきましたが、同じ意味で、“小泉首相の外遊などの派手なパフォーマンス”で国民を小ばかにしながら「共謀罪強行採決」が5/9に実行されようとしています。この二つの「強行」は通底していることを意識すべきです。

◎次の(1)(2)のように見ると、明らかに、現在の日本政府が大方の日本国民が“論理的な判断力を弱めていること”を狙い撃ちにしてきたことが分かります。まるで火事場泥棒のような卑劣なやり方で、日本の民主主義社会への信頼(日本国憲法の前提となっている主権在民)が毀損されようとしています。

(1)[toxandoriaの日記『1439年、東西統一公会議』の現代的意味(3)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060502]への自己レス

興の赴くまま書き進めるうちに、いささか迷路に嵌ったような具合となっておりますが、先ず一つ見えてきたのは「視覚的体性感覚」の限界とその新たな可能性(アウラ)の問題であり、それは五感(視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚)の再評価の問題ともかかわるようです。このことは美術史の流れを少し辿るうちに次第に強く意識するようになってきました。(生命情報の問題/象徴・寓意・比喩などの領域)

<注>当記事(1)〜(3)及び関連記事のURLは下記(★)のとおり。
★[情報の評価]『1439年、東西統一公会議』の現代的意味(1)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060414
★[情報の評価]『1439年、東西統一公会議』の現代的意味(Intermission) 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060417
★[情報の評価]『1439年、東西統一公会議』の現代的意味(2)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060419
★[情報の評価]『1439年、東西統一公会議』の現代的意味(Intermission/補足)、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060420
★[情報の評価]『1439年、東西統一公会議』の現代的意味(3) 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060502
★[暴政]再度「共謀罪・審議入り」が決定=「凶暴化する権力」に無関心の日本国民 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060421
★[暴政]再度「共謀罪・審議入り」が決定したことで、新たに見えてきた問題点 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060423
★[暴政]“凶暴罪-ファシズム-マルチ商法”の連想をもたらす日本政府の「国家観の貧困」 、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060428

二つ目は、「情報技術革命と意識の調和」ということです。これは、必然的に一つ目の問題とも部分的に交差しそうです。(社会・生活情報と機械情報の調和の問題/言語・記号・文脈・論理の領域)

三つ目は、ちょうど『薔薇の名前』の時代の頃(14〜15世紀頃)のヨーロッパにおけるエポックメイキングな出来事に象徴されるように“異質な情報と文化の滞ることのない交流”こそが「批判知」、「客観性」、「寛容」などの理解をもたらすのではないかという観点です。より具体的に述べれば、それは「宗教・政治権力者によるガバナンス正統性とアーカイブの役割の問題」です。(自由・平等・公正の領域)

最近、20〜30代の若者たちの「若年性認知症」化(直近の日本の歴史や日本国憲法についての知識と理解力の欠落)が懸念されていますが、これは特に二つ目の部分に問題があると思われます。つまり、社会・生活情報と機械情報(コンピュータ情報)の不調和が日本人の“論理についての致命的な欠陥”をもたらしているのではないかと疑われるのです。

政治権力者たちが格好のターゲットとして狙い撃ちするのは、若者たちに限らず、まさにこのような“日本国民の論理的な欠陥部分”です。このため、政治権力者たちは派手なパフォーマンスとメディアへの露出度を重視する(政治権力のポルノクラシー化)ことになります。そして、気の毒にもこれらの非論理的な人々はB層・ショタレ・ヘタレなどと揶揄されています。このようにして、不埒な為政者たちにとっては、もはや政策の中身や論理性の確保などはどうでもよいことになってしまったようです。これは、渦中の米軍再編問題にしても然りです。

小泉首相は、「主権在民を掲げる日本国憲法の思想・表現の自由」(19条、21条)を根拠にして靖国参拝を強行してきました(それを心の問題だとするのは愚劣な詭弁に過ぎない!)が、その参拝対象である靖国神社天皇主権の国体維持を(つまり、天皇主権の国体維持のため命を捧げた英霊を)奉る「特別な政教一致のマッドネス又はフレンジー(madness or frenzy)」を引きずる宗教施設です。つまり、このような「非常に単純な論理矛盾」すら理解できない人々が増えていることになります。

(2)『共謀罪』 与党修正案を検証する(2006.5.2、東京新聞・特報)より、抜粋(部分)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060502/mng_____tokuho__000.shtml

■自公両党は五月九日の衆院法務委参考人質疑ののち間を置かず、与党案を強行採決の意向だ。大詰めの法案を検証する。 
相談罪」とも呼ばれる「共謀罪」創設法案。法律違反せずとも、話し合えば逮捕できる同法案(政府原案と与党修正案)には野党、弁護士、NGO、左右の論客から「密告社会をつくる希代の悪法」との批判が強く、民主党が修正案を出した。

・・・途中、省略・・・

■「中止犯」の問題 放置されたまま、一体、誰が何の目的でこんな悪法を通そうとしているのか?

 昨年十月の衆院法務委などで、柴山昌彦委員(自民)などからも集中砲火を浴びた「中止犯」の問題も放置されている。中止犯は「犯罪を思いついても思いとどまった人には刑を減免しなければならない」という刑法四三条の規定だ。「共謀後に『やめよう』と言っても共謀罪になってしまうではないか。あいまいだ」と矛盾をつく柴山氏に、法務省は「予備罪や準備罪にも中止規定は適用されない」と答弁したが、法律家らは「殺人・強盗などが対象の予備罪と、都市計画法道路交通法まで対象の共謀罪を同一に語るのは、むちゃくちゃな話」と批判する。「誰でもいけないことを思ったり口に出すが、中止犯という“黄金の橋”があるから実行せずに戻ってくる。橋をはずしてしまってよいのか」(日弁連)とも。

 この問題に詳しい弁護士らは共謀罪を施行済みの米国の事例を危惧(きぐ)する。「イラク戦争に抗議して、兵士募集ポスターに自分たちの血を塗るパフォーマンスを行ったキリスト教徒らが器物損壊容疑で逮捕され無罪となったが、次に、共謀容疑にあたるとして逮捕された」

 一連の状況を見て、ジャーナリストの櫻井よしこ氏も言う。「共謀罪は暗黒社会の到来を意味する。住基ネットと合わせて、権力者が市民を監視する独裁国家になる。一体、誰が何の目的でこんな悪法を通そうとしているのか。市民の自由を守るため、思想信条の違いを超えて、共謀罪成立を阻止しなければならない」