toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

『映画ダヴィンチ・コードの謎?』のもう一つの意味

toxandoria2006-05-23


【画像】プッサンアルカディアの羊飼いたち』 Nicolas Poussin(1593-1665)「The Shepherds of Arcadia」 
1638 935ラ665cm Oil on canvas Louvres Paris 、France・・・大きな画像は下記URL(★)をクリックしてご覧ください。
http://www.abcgallery.com/P/poussin/poussin42.html

<注>この内容は、2004-07-26付のブログ記事「ベスのひとりごと(New Ser.)/アカデミズム絵画に潜む神と悪魔」(http://blog.goo.ne.jp/remb/e/7bef0d22976b3df3c2e8a65ae4406bc5)の記事をリメイクしてリヴァイバルしたものです。

 今、映画『ダヴィンチ・コード』(http://www.sonypictures.jp/movies/thedavincicode/)の上映が、世界の一部でのことですが、ヴァチカンとカソリック教徒を巻き込む形で物議を醸しており、その話題性に引きづられて鑑賞者数が増加しているようです。このことで思い出されるのは、かつてハンガリーの映画理論家ベラ・バラージュ(Bela Balazs/1884-1949)が名著『視覚的人間』で論じた、“魔術的”とさえ言える「人間の相貌をクローズアップすることが鑑賞者に与える大きな効果」(=観想の美学)のことです。これは見方次第のことですが、カソリックは視覚イメージ傾斜、プロテスタントは内面表象傾斜の違いがあるもののキリスト教はイメージ表象に大きく頼ってきた宗教だと思われます。そして、アウグスティヌスとトマス・アクイナスによって正統的に理論化された「正戦論」(=“悪魔”との戦いを正統化する聖戦論)が米国ブッシュ大統領の「テロとの戦い」で現代世界に甦り、それが我われ日本の社会でも、小泉首相が「靖国神社参拝」で“悪魔”(=軍事国体論)を甦らせたことと呼応しながら「暗鬱な黒い影」(改憲愛国心共謀罪など右傾化と軍備強化の要請=悪魔の囁き)を落とし続けていることは周知のとおりです。“観想の美学”の人心(視覚的人間)に対する影響力の大きさは、まことに恐るべしです。『ダヴィンチ・コード』の反響の広がりについても、映画が持つ“観想の美学”の意味を考えるべきなのかも知れません。

 ところで、プッサン(Nicolas Poussin/1593-1665)、クロード・ロラン(Claudo Lorain/1600-1682)らの古典主義絵画が花開いた17世紀のフランスは、完成・明晰・秩序・中庸・調和・静謐を特色とする偉大なフランスの「絵画アカデミズム」の伝統が創られた時代です。そして、この「絵画アカデミズム」の最高理念こそが古典主義絵画だったのです。美術史上の古典主義という概念は、イタリア盛期ルネサンスから19世紀に至るまでのあいだヨーロッパ美術の世界を圧倒的に支配してきた理念です。古典主義の理論の嚆矢は、著書『芸術家列伝』(1550、2版1568)で古代芸術を高く評価したヴァザーリ(Georgio Vasari/1511-1574/イタリアの建築家・画家・美術史家)に始まり、17世紀のフランスではデュフレノア(C. A. Dufresnoy/1611-1668)らが古典主義の美学の理論を確立しました。20世紀初頭には、ヴェルフリン(Heinrichi Woelfflin/1864-1945/スイスの美術史家)が著書『美術史の基礎概念』(1915)で古典主義とバロックの特色を明快に分析しました。更に、フランスの美術史家フォション(Henri Focillon/1881-1943)は、このヴェルフリンの理論を発展させて美術史の発展段階を大きな生命体の流れのように捉えることを試みますが、そこで初めて「アルカイック様式→古典主義様式→バロック様式」という美術様式の流れの必然性が確認されました。これによって、古典主義というアカデミックな概念があらゆる美術の領域に適用されるようになったのです。

<参考>ヴェルフリンによる「古典主義とバロックの特質」の対比(バロックは(  )内)
・・・線的(絵画的)、平面的(空間的)、閉鎖形式(開放形式)、多様性(統一性)、絶対明瞭(相対明瞭)

 古典主義絵画の最初の作品とされるのはレオナルド・ダ・ヴィンチが15世紀末に完成させた『最後の晩餐』(http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki8.htmの画像、参照)です。万能の天才、レオナルド・ダ・ヴィンチは、この作品を描くにあたり一つの実験、つまりゆっくり時間をかけて熟慮しながら描くために油性テンペラで描くことを試みたのです。しかし、それは保存上の深刻な問題をもたらし、完成後間もなくして絵の破損が始まります。このため、この絵画は20世紀末には瀕死の状態でしたが、20年以上の時間をかけて漸く近年に修復が完了したばかりです。従来、このテーマが描かれるときには、キリストを売り渡したユダだけを食卓の前方に据えるのが普通でしたが、レオナルドはこの伝統的な図像配置も無視してユダの席を他の使徒たちと同列(画面左から4番目)に置きました。レオナルドは、この他にも12使徒それぞれの鋭い心理描写を見せる巧みな人体表現と完璧な空間構成によって、まさに記念碑的な古典主義絵画を完成させていたのです。同じころにミケランジェロサン・ピエトロ大聖堂のために制作した『ピエタ』像(ca.1497-1500)も彫刻の分野で古典主義を代表する作品です。

 また、教皇ユリウス2世の命でミケランジェロが手がけた『システィナ礼拝堂・天井画』(1508-1512)とラファエロがヴァチカン宮殿署名の間に描いた『アテネの学堂』(1509-1510)も美術史の上で重要な古典主義絵画です。1520年にラファエロが死んだころから、イタリア・ルネサンス美術は次第にマニエリスムへ変質し始めます。しかし、イタリアの盛期ルネサンスに確立したレオナルド・ダ・ヴィンチミケランジェロラファエロらの古典主義絵画の権威は、17世紀のフランスへ舞台を移して、その後も芸術の至高のアカデミズム規範として生き続けることになるのです。17世紀フランス絵画で特に重要な画家はラトウール(Georges de la Tour/1593-1652)、ル・ナン兄弟(Antoine、Louis、Matheur)そしてプッサンとクロード・ロランです。彼らによって、明晰でありながらも深い精神性・静謐・調和を湛えた17世紀フランスの古典主義らしい絵画様式が出来上がって行くのです。

 やがて、古典古代への憧憬と明晰で厳しい構成が調和した古典主義の傑作、『アルカディアの羊飼いたち』(ca1639/http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/nikki8.htmの画像、参照)をプッサンが完成させます。プッサンは、この作品によって事実上「フランスのアカデミズム絵画」と「歴史的風景」(paysage historique)と呼ばれる古典主義絵画の様式を完成させたのです。このように“偉大なプッサン”の影響のもとで、ル・ブラン(Chalres Le Brun/1619-1690/ルイ14世の主席宮廷画家)は、コルベール(Jean-Baptiste Colbert/1619-1683/ルイ14世の蔵相)が創設した『フランス絵画アカデミー』とベルサイユ宮殿(ルイ13世の別荘をルイ14世が拡充・改築)を舞台とする古典主義美術を発展させることになります。

 プッサンの『アルカディアの羊飼いたち』で、中央に描かれている墓石には「ET IN ARCADEA EGO」というラテン語が彫られていますが、このラテン語の意訳には“墓の主の生前は幸せだった”と“アルカディア古代ギリシアの理想郷)にも死はある”の二説があり、後者の場合は何やら不気味です。一説では、プッサンの哲学的な画風の根本にはストア哲学の理念が存在するとされています。ストア哲学は、BC3世紀にキプロスのゼノンが創始したギリシア哲学の一派で、人間生活の一切に正しく対処することを厳しく求める哲学です。ストア哲学は、グノーシス主義カタリ派の中に深く浸透したと考えられています。いずれにせよ、プッサンの『アルカディアの羊飼いたち』の主題には謎が多いのですが、メメント・モリmemento mori/死を忘れるな)という哲学(倫理学)の概念が敷衍されているということは定説です。グノーシス主義とはキリスト教の誕生・発展とほぼ同じ時期に地中海周辺で興ったアンチ・キリストの宗教思想ですが、その全容は現在も未解明です。しかし、1945年に上エジプトのナイル河畔、Nag Hamadyで発見された「ナグ・ハマディ文書」(カイロ、エジプト博物館所蔵)の研究によって、物理学のエントロピーに似た概念を使った正反合の発展的宇宙(世界)観があることなどが分かりつつあります。

 カタリ派はアルビジョワ派とも呼ばれましたが、ミディ・ピレネー地方(都市アルビなど)、ラングドック・ルション地方(都市カルカソンヌなど)を拠点に南フランスと北・中部イタリアに確固とした地盤を築きます。この異端を駆逐するためにローマ教会はアルビジョワ十字軍を派遣(13世紀)して彼らを殲滅し、悪名高い異端審問制度を創設したのです。なお、教皇インノケンティウス3世の呼びかけで北フランスの諸侯と騎士が中心となり結成された、このアルビジョワ十字軍の派遣が北フランスを主軸とする統一国家フランスが形成される最初の動因だとされています。カタリ派信仰の特徴は次のような点にあります。その、あまりにも極端に悲観的な宗教思想であるカタリ派に実際に入信する者の数は少なかったと思われるのですが、彼らの指導を精神的な支えとして団結する人々が増え続けたためローマ教会は無視することができなくなったのです。今でもローマ教会内部では、カタリ派は異教か異端かの論議が続けられています。

●根本は、世界の一切が善神と悪神に属するとする二元論で絶対派と温和派の二派がある
●絶対派は霊魂の輪廻転生を信じており、二神二世界の永遠の並存を想定する(ゾロアスター的?)
●温和派は、善神の一天使(堕天使?orキリスト?)が反逆して悪神となり、この世界を創ったと考える(グノーシス的?)
●その時のローマ教会を悪魔(悪神)の教会として批判し、肉食・殺生・セックス・所有権など一切の社会関係を否定する

 なお、キリスト教新約聖書の一字一句を原理的・理想的に解釈し、それを現実の世界(実生活)での出来事であったと理解する立場という点で、中世の一時期、南フランスを中心に興ったキリスト教異端運動である、このようなカタリ派の人々の考え方はブッシュ政権の米国一国主義を支えているアメリカのキリスト教プロテスタント右派の立場に酷似しています。ただ、同じ原理主義でも、14世紀のペスト大流行を契機に強烈に意識されるようになったとされる“メメント・モリ/死を忘れるな)”の人間に対する永遠の教訓をどのように理解するかで、現実世界への対処の仕方が変わります。カトリック福音主義プロテスタント敬虔主義などの中庸なキリスト教信仰の立場によれば、人間の肉体の死には、最後の審判の神の裁きによる天国での霊魂の「復活」という救済の道が用意されています。しかし、科学技術と経済の発展がもたらす世俗的な利益、つまり際限のない政治的な権力欲、肉体的な快楽欲、飽食と物欲、金銭欲などに取り憑かれた人間にとって「肉体の死」は忌まわしく、おぞましい恐怖の対象となります。果たして、カタリ派の真実はどちらだったのでしょうか?

 近年、ここで取り上げた古典主義の記念碑的な二つの絵画、つまり『最後の晩餐』と『アルカディアの羊飼いたち』をめぐるミステリー小説(謎解き本)が出版されて話題を呼んでいます。『最後の晩餐』を取り上げたのがダン・ブラウン著『ダ・ヴィンチ・コード』(2004年/角川書店)で、荒俣宏著『レックス・ムンディ』(1997年/集英社)は『アルカディアの羊飼いたち』の謎がテーマです。いずれも図像解釈の問題が切り口ですが、詳細に語ると営業妨害の恐れがあるので、ほんの触りだけを述べておきます。まず、『最後の晩餐』で描かれている人物像の位置を確認すると、画面左端からバルトロマイ小ヤコブ、アンデレ、ユダ、ペテロ、ヨハネ(洗礼者でないヨハネ)と並び、更に中央のキリストの右へトマス、大ヤコブ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモンの順で12使徒が並んでいます。『ダ・ヴィンチ・コード』は、この12使徒の並び方の中にレオナルドが秘密のコードを仕込んだということになっており、それは図像解釈上の決定的な意味を暗示するのです。一方、『レックス・ムンディ』(「世界の王」の意味)では、プッサンの『アルカディアの羊飼いたち』の風景が実在するものであることを検証します。そして、その風景は南フランス・ラングドック・ルション地方の寒村、レンヌ・ル・シャトーであり、この村には“マグダラのマリア”とキリストが共に移り住んだという伝承があることを明らかにし、更に、メロビング王朝(フランク王国)の血筋(サング・レアル/聖杯の意味もある)のミステリーが解明されることになります。

 この両著書に共通しているのは、キリストの本性には元々善と悪の二面性が共存していたという二元論を布石としていることであり、恐らく、これはグノーシス主義カタリ派の思想からヒントを得たものだと思われます。もとより、これらの作品はフィクションなので、それをどう読み取るかは読者の想像力に任されます。一方、これらのフィクションは現代の世界にも大きな警告を与えています。まず、グノーシス主義カタリ派の二元論は、何ごとについても“批判精神の存在”が重要であることを示唆しているのだと考えることができます。しかし、このような二元論を受け入れるためには、実は非常に大きな勇気が必要となるのです。逆に言えば、臆病な人間の心理こそが「宗教原理主義」に嵌る人々を蔓延らせる原因なのです。善なる神と邪悪なる神の並存という現実を率直に認めること、そして善は悪に転化し、悪が善に転化することさえあり得るという現実(リアリティ)を認めること、このような視点でこそ本物の批判精神と言えるのではないでしょうか。しかし、臆病な人間の心は、このように果てしなく揺れ続ける現実に怖れを抱きます。大いに怖れた人間の心は善なる神の救いを求めるあまり、果てしなく揺れ動く現実を凝視し続ける努力を拒みます。つまり、批判する精神を喪失することになるのです。そして、その先で口を空けて待つものこそが観念と現実を混同した「宗教原理主義」という悪魔です。従って、このような意味での悪魔は確かに実在するといえるのではないでしょうか。

 史上20回目の公会議と21回目の公会議が、それぞれ19世紀と20世紀の後半にローマのサン・ピエトロ大聖堂で開催されており、前者は「第一バチカン公会議」(1869-1870)、後者は「第二バチカン公会議」(1962-1965)と呼ばれています。「第二バチカン公会議」を主催したパウルス6世は、会議の主要目的として①「ローマ教会の自己理解の深化」と②「キリスト教諸会派との十分な対話」などを掲げましたが、驚くべきことに、この時パウルス6世は「悪魔の発生源の一つは堕天使ルシファー(lucifer)の人格表現である」ことを同会議が確認したと宣言しています。また、アメリカの「民主主義は神からの贈り物」だと原理的に信ずるブッシュ大統領は、国連を無視し米国一国主義を押し通して大義のないイラク戦争を始めてしまいました。「神の託宣」で戦争を始めた、今のアメリカの政治は大統領が神の代理人として世界を支配する「神権政治」そのものです。もはや、政教分離の原則などは霞のように消え去っています。そのような聖戦に“事実上参戦した”日本では、今や本物の軍隊と軍需産業を創造するために破格の予算措置が講じられ、新たな“富国強兵”の国づくりが始まっています。どこか歯車の回転が狂っています。

 「愛国心」だ「共謀罪」だと政府・与党が右ネジを強く巻き続けているため、我われの「精神環境の自由」は、ますます居心地の悪さ(暗鬱な黒い影)を感じています。一方、イラクサマーワの“弱々しい自衛隊の映像”(視覚イメージ)が、素朴な一般国民の心の中に“日本はもっと強い本物の軍隊を持つべきだ”という軍事国体論(甘美な愛国心の衣装を纏った不気味な悪魔の囁き)へのノスタルジーを吹き込んでいます。そして、大方のマスメディアは、もはや政府と癒着した大政翼賛型の報道姿勢に甘んじており、「共謀罪」を批判したマスメディアは与党に恫喝される体たらくです(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060522)。我われはブッシュ大統領とその盟友・小泉首相へ託宣を下した神の本性が堕天使ルシファー(≒悪魔、http://www.angel-sphere.com/fallenAngels/list/Lucifer.htm)でないことを願うばかりとなっています。

<補足>今朝のNHKニュース(ラジオ)によると、「6月小泉訪米」の重要目的の一つは小泉首相が大好きなエルビス・プレスリーの故地メンフィスを訪ねることらしい。ブッシュが国賓待遇の段取りで案内の手はずを整えているとのこと。これが“米軍基地支援3兆円負担”の御礼のつもりだとすれば、日本国民はトコトン「二人の悪魔」に舐められているとしか考えられない。