toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

テポドン発射が点火した「臆病者・卑怯者たちの先制攻撃論」

・・・(副題)[2006.7.8付toxandoriaの日記、「危険な美学」を次期・安倍政権へ託した小泉首相の無責任と日本の危機]への反照

  この記事は、表記記事へのコメント&レスを転載したものです。

to → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060708

[コメントを書く]

renshi 『toxandoria 様

小泉亡国売国政権ですが、これは、今考えた思想によりますと、近代主義という現象代償的反動・薬物的快感神経に拠るものではと思えてきます。近代主義の反動快感主義の病理現象だと思います。

ところで、この思想に関する論考のURLを以下に貼り付けます。TBが送れない状態が続いています。私のはてなのブログにも送れません。はてなの管理者にメールを出しておきました。

「異共振シナジー相と連続同一性との関係について:客観的差異と主観的同一性:現象と言語」
http://ameblo.jp/renshi/entry-10014530562.html


# toxandoria 『renshiさま、コメントありがとうございます。

TBの不調は他のブロガーからもサブルートで連絡が入っております。こちらからも“はてな”へメールでクレームしておきました。

小泉首相の“テポドン発射がプレスリー邸・訪問の時でなくて良かった!”というおフザケ(?あるいは日本国民の生命・財産を軽視した)発言、麻生外相と額賀防衛庁長官の“先制攻撃のための迎撃ミサイルシステム&軍装備増強論”、安倍官房長官の“先制攻撃必要論”(http://www.asahi.com/politics/update/0710/004.html)など、現代日本政治の中枢部から無責任な「大本営発表」の勇ましい声が次々と聞こえてきます。

おっしゃるとおり、彼らは一種の「薬物的快感神経症」に罹っているため沈着・冷静に現実を見ることができなくなっているようです。今まで自分たちが本来やるべきであった仕事を放棄しておきながら(靖国参拝にうつつを抜かすあまり、全方向的な平和への努力の継続を放棄して)、今更、何を世迷言(よまいごと)を抜かすか! という感じです。

見方を変えれば(これは恐ろしい想像ですが)、小泉・麻生・額賀ら“現代日本大本営”に属する政治家たちの精神環境は“近代という名の機械”に完全に支配され(毒され)ていると思われます(今や、ビビリ切った野党政治家の多くも同様の罠に嵌っているようですが・・・)。

その意味で、もはや彼らは「人間」とは呼べず、「臆病な心をインストールされたレプリカント」か「臆病なロボット」のような、あるいは高々「臆病なサルかゴリラ」のような存在と化しています。彼らの対応は、一歩誤ると自ら必要以上の危機を招き、国民に不要な血の犠牲を求めることになりかねません。このような意味でこそ、今の日本は危機的状況にあります。

彼らの思考は、未経験の状況に怯えるあまり際限のない「先制攻撃論のトラップ」という機械的・固定的な回路の中で堂々巡りを始めました。愚かなことに、NHKテレビを始め主要なメディアも「アンケート調査という便利な機械システム」(≒デルフォイの神託)を駆使して、この堂々巡りの加速度を高めようとしています。しかも、その背後では“国民的アイドル政治家・安倍教祖信仰”の“やんごとなき後光”が照り始めています。

従って、いま大いに懸念されるのは、先ず、不見識で愚昧かつ臆病な国民層(小泉劇場大本営・幕僚幹部の定義によればB層の国民たち)から、この異常な思考回路(機械的な先制攻撃論という無間地獄・阿鼻地獄)の中へドミノ倒しのようにヘナヘナとヘタレ込んでゆく恐れがあることです。

もし、「それでも未だ自分たちはれっきとした人間なのだ」と言いたいなら、小泉・麻生・額賀ら「大本営」に所属する政治家たちは、これからも、責任を持って、どこまでも「日本国憲法の原則」である平和主義を守り通し、平和への道筋を艱難辛苦して考え抜くことにこそ命を賭けるべきです。

一国の総理大臣ともあろう人物が、“テポドン発射がプレスリー邸・訪問の時でなくて本当に良かったな〜!”などという、まるで「日本国民の生命・財産」という名の「盾」の影にコソコソ隠れるような臆病で卑怯な発言をするとは、実に情けない限りです。』

(参考)

●日本と世界の常識には亀裂がある。『憲章第七章』による「経済制裁」は「軍事先制攻撃」に近い。このことを殆んどの日本国民は理解していない。


●以下は「参考資料」の“部分引用”。

だが河辺一郎氏(愛知大学・教授/国連問題)は制裁決議を提出した日本の対応に疑問を呈する。「経済制裁は軍事力行使の一歩手前で、『憲章第七章』では同じ文脈で扱われている。そのことが国内でほとんど議論されていない」と疑問視、さらに「ミサイル発射は確かに問題だが、この程度で経済制裁が決議されたことはない。南アが周辺諸国を侵略し、万単位の人が殺された時でも、米は経済制裁に拒否権を行使し、日本も一貫して反対した」。

その上でこう批判する。「拒否権行使は、国際社会で孤立するという見方もあるが、それは日本国内で、そう見られているだけ。今、世界の中で少数派は米英日。少数派の金持ちが、多数派の貧乏人を黙らせている状態。こういう決議案が、賛否分かれずに通ってしまうことの方が問題だ」

●詳論(参考資料)は下記を参照。

東京新聞・特報(2006.07.11)安保理常任理事国 『拒否権』の使われ方は
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20060711/mng_____tokuho__000.shtml