toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

ワーキング・プア社会を放置する「日本の政治権力者と御用学者の底なしの貧困」

●『悪貨は良貨を駆逐する』(グレシャムの法則)・・・これは、16世紀のイギリスの財政学者グレシャムがエリザベス1世に提出した意見書の中の言葉として有名です。「金の含有量が標準金貨より少ないものが悪貨ですが、それと比べて、良貨(標準金貨)は貯蔵されたり地金として転用されたりするため、結局、“標準となる金貨”は、絶えず市場から姿を消す圧力に晒される」ということです。

●少々その意味を援用すると、どうやらこの法則は人間の心にも当てはまるような気がします。例えば、「A 政治権力に安易に身を委ねる御用学者(特に科学者と経済学者の弊害が大きい)、B 直ぐ先制攻撃論に突っ走る政治家、C 支持率・視聴率になびくマスコミ人、D そして上辺の姿だけで政治家を支持しようとする国民、E 次々と妖しげなカルト宗教が生まれるという傾向」云々と、事例を枚挙すると限りがありません。

●この「人間にかかわる法則らしきもの」の根本にあるのは「自分の死に対する恐怖」だと思います。そして、特に「A」と「B」が直接的に被害が大きいという意味で危険性が高くなります。無論、ボディブローのような効き目があるので、「C」「D」「E」なども看過はできませんが・・・。この「自分の死に対する恐怖」(大いに気弱で臆病な心)は、とても大きな心理的パワーなので誰にとっても抗い難く、それ故にこそ、それはほんの些細な切欠で悪魔に身を委ねる原因と化してしまうようです。

●特に、科学の世界で恐ろしい事例を垣間見せるのが「原子物理学」や「遺伝子組換技術」などの分野です。「原子物理学」の事例については、著書「『原発』革命」で古川和男・博士が指摘するとおりのことであり、「遺伝子組換技術」については、例えば、いま日本の国家プロジェクトとして行われつつある“異種植物に由来する抗菌物質(ディフェンシン)をイネに組み込む研究”の事例があります。前者による地球上の危機の拡大は言うまでもありませんが、後者も、恐らくは日本人の食生活の根本に致命的な打撃を与える可能性があると思っています。

●この分野に少しクビを突っ込んでみて感じたことは、結局、科学者の世界も一般国民と同様に「グレシャムの法則」に支配されているということです。ただ、厄介なことはあまりに彼らの棲む世界が専門化・タコ壷化しているため、殆んど“他人”の介入する余地がないように見えることです。ただ、そこにあるのは「自分の死に対する恐怖」の裏返しである「おぞましくも、ひたすら我を張り合うだけの頭脳明晰な科学者たちの世界」です。

●その一方で、最近の世界銀行の報告によると、世界人口の約半分にあたる30億人は“1日2ドル以下という極貧の生活”に喘いでいます。その約70%はこのBRICS諸国に集中しており(残りの約半数は“1日1ドル以下の極々貧”で、それはサハラ以南のアフリカ諸国に集中)、しかも、そのBRICS諸国では貧富差二極化の拡大傾向が急速に進んでいます。

●どうやら、ワーキング・プア現象の広がりは日本だけの現象ではないようなので、世界規模の貧困拡大現象と連動する観点から見据える必要があるようです。そこに浮上するのが「小泉構造改革」を後押しした「新自由主義思想」なる“カルト経済学の限界の問題”です。

●日経ネット・ニュース(http://www.nikkei.co.jp/news/main/20060724AT1C2400O24072006.html)などによると、24日、世界貿易機関WTO)に加盟する日米欧など主要6カ国・地域の閣僚会合は妥協点が見いだせず終了したようです。これで多角的通商交渉(ドーハ・ラウンド)の貿易自由化ルールを巡る交渉は決裂したことになりますが、この問題の根本には「新自由主義思想」の限界ということが潜んでいます。しかも、世界の貧困拡大を制御するという大義から編み出された、「スイス・フォーミュラによる関税賦課方式」などは、まさに“数理経済分野の専門家による神学論争状態”で、肝心の「世界の貧困問題解決」からは遠ざかる一方です。

●結局、本来の人間らしさ、別に言えば「心に響く無限の慈しみと美しさ」を理解できるようになるには「人間としての精神力の強さ」が必要だと思われます。そして、これこそが教育の究極の目的なのだと思いますが、その肝心の教育ですら、日本では“悪魔に魂を売り払いつつある”ようです。ともかくも、同じような思いで、話題の「ワーキング・プア」を論じた文章を見つけたので、下に転載しておきます。

・・・以下、転載・・・(http://blog.zaq.ne.jp/spisin/article/73/)「新自由主義者よ、恥を知れ!」(イダヒロユキ)より

ワーキングプア  新自由主義者よ、恥を知れ! −−−NHK「ワーキングプア」を観て

NHKスペシャルワーキングプア〜働いても働いても豊かになれない〜」(2006年7月23日(日)9:00〜10:14)をみた。

〈番組紹介〉

 働いても働いても豊かになれない…。どんなに頑張っても報われない…。
今、日本では、「ワーキングプア」と呼ばれる“働く貧困層”が急激に拡大している。ワーキングプアとは、働いているのに生活保護水準以下の暮らししかできない人たちだ。生活保護水準以下で暮らす家庭は、日本の全世帯のおよそ10分の1。400万世帯とも、それ以上とも言われている。

 景気が回復したと言われる今、都会では“住所不定無職”の若者が急増。大学や高校を卒業してもなかなか定職に就けず、日雇いの仕事で命をつないでいる。正社員は狭き門で、今や3人に1人が非正規雇用で働いている。子供を抱える低所得世帯では、食べていくのが精一杯で、子どもの教育や将来に暗い影を落としている。

 一方、地域経済全体が落ち込んでいる地方では、収入が少なくて税金を払えない人たちが急増。基幹産業の農業は厳しい価格競争に晒され、離農する人が後を絶たない。集落の存続すら危ぶまれている。高齢者世帯には、医療費や介護保険料の負担増が、さらに追い打ちをかけている。

 憲法25条が保障する「人間らしく生きる最低限の権利」。それすら脅かされるワーキングプアの深刻な実態。番組では、都会や地方で生まれているワーキングプアの厳しい現実を見つめ、私たちがこれから目指す社会のあり方を模索する。 (紹介おわり)

いい番組だった。そして落ち込んだ。

この10年、いわれ続けてきたこと。すこしでも生活実感がある人、庶民の現場を知っている人、非正規雇用の実態を知っている人なら、すでに「知っていること」である。この数年、NHKのドキュメントなどでも、格差社会、タクシー運転手、漂流する派遣労働者、などが明らかにされてきた。すでにわかっていることである。収奪と差別のグローバル化に対抗しうる社会をつくりだそうと思ってきた人は、〈プレカリアート〉などの概念を出しながら、方向を模索し、ネオリベを批判してきた。非正規雇用問題を扱ってきたコミュニティユニオンなどの運動は、ひどい実態を示し続け、まともなことをずっと要求してきた。若者問題・フリーター問題として議論してきた人にはわかってきたことである。 もうすでにわかっていることである。

しかし、それにしても、落ち込む。むかつく。苦しくなる。許せなくなる。

正規雇用(パート、派遣、非常勤など)という低賃金不安定雇用を放置拡大し、規制緩和ということで、ますます労働者の権利を破壊していく。そういう労働省厚生労働省は、一貫してパート法の改正などによる均等待遇、同一価値労働同一賃金の実質進展を財界に同調して阻止してきた。新日本的経営論の路線の実質化を支援してきた。それを含めて、新自由主義路線を推し進めてきた自民党政権

ワーキングプア問題は、その結果である。責任は、政治家・官僚・財界、そして戦わない労働組合、非正規問題に無関心な正社員にある。責任は、「努力しない個人」にあるのではない。

番組で、元大蔵省の関西学院大学教授 村尾信尚氏は、いう。ワーキングプアを救済するな、規制緩和の流れを止めるべきでない、景気をよくして企業に稼いでもらわないと税も集まらず、結局貧乏人を助けられない、という。

この番組のような実態ビデオを見てもそれをいう。なんと愚かな。
もう聞き飽きた。竹中平蔵、そして財界人の言い続けてきた論理だ。このような先生に教えられている学生よ、こうしたインチキ学者の正体を見抜き、批判しろ! こんな先生に教えられていて黙ってるのは、人間として恥だと思う。

自分は金持ちのヤツがいつもこうした新自由主義能力主義をいう。自分が、野宿することを1日でも体験してもそれが言えるか。もし自分が急に、住む家もなく肩書き・履歴もなく、この社会に放り出されたら、ほとんどの人は、やり直しなどできない。皆がうまくやっていける人であるわけがない。
地方に生まれ、イチゴ農家や仕立て屋を引き継いでどうしろというのか。自分の子どもがフリーターになったら、どうするのか。引きこもりになったらどうなのか。うつ病になったら? 労災で働けないからだになったら? 貧乏な家に生まれたら? 暴力を振るう親、子どもを放置・虐待する親の家庭に生まれたら? 
自分は「豊かな生活」をしているものが、努力が大事、チャレンジが大事という。「結果の平等」「社会保障充実」はだめという。福祉ばら撒きはよくないという。直接税はもっと低くし、企業減税をし、庶民から取る間接税を上げろという。

私は、学者とか政治家・官僚で、偏差値的頭がそこそこ賢い人が、この程度の戯言を繰り返すのを見て、もうとっくにあきれて、なんの期待もしていない。学者の多くはこの程度のばか者だ。何が欠けているのか。それは人間の尊厳全体への感受力だ。だから、私は、スピリチュアル度が高い/低いという概念で、人としてまともな感性を持っているかどうかを示そうとした。

スピリチュアル度の低い人には、何をいっても伝わらない。理屈の話、論理の話ではないのだ。〈たましい〉感受力の問題だからだ。どのような階層の、どのような人たちの生活実態を見ているか、知っているかだ。

新自由主義者たちは、今後、いっそう、福祉・社会保障サービスを切り下げ、増税受益者負担を推し進め、格差をいっそう大きくしていく。そしてのたまう。「格差ではなく、貧困の議論をすべきです。貧困が一定程度広がったら政策で対応しないといけませんが、社会的に解決しないといけない大問題としての貧困はこの国にはないと思います。」(竹中平蔵氏発言『朝日新聞』2006年6月16日)

新自由主義たちは、自分たちがもっと金儲けできるようにしようと思っている。彼らにとって、ワーキングプアがいることは問題ではない。一定程度いても、大きな社会的反抗にならないでひっそりと暮らし、ひっそりと病気になり死んでいってくれたらいいのである。問題はないのである。
町を歩けば、買い物客でごったがえしている。テレビをつければ、お笑いでみんな笑っている。「いい国じゃないか、日本は」というわけである。格差、ワーキングプアを問題にすれば、「成功した人たちをねたんじゃいけませんよ」と首相が言う。

何がいるのか。どこに希望はあるのか。
この番組を作った人たちの心意気に希望はある。この番組をみて憤ったひとたちの怒りに希望はある。
ワーキングプアとそれに連帯しようとするものたちは、あきらめずに、この怒りをはっきりと示していこう。
やられっぱなしはもうやめよう。 もっと反乱を! 謀反を! 抗議を! 

自分ひとりからでも、新自由主義的・能力主義的ではない生き方をしていくこと。職場の小さな問題と思われているようなセクハラ・いじめ・会社人間同調圧力にも、適切に対応できるような、〈スピリチュアル・シングル主義〉的な人間になっていくこと。そうした感性のない人では、何も変えていけない。そうした自立した人が増えなければ、謀反は起こらない。少人数でもいい。自分ひとりからでも反乱していける人になろう。
それを支えるために、もっと連帯できる場所を作ろう。集える場所を作ろう。

村尾先生、竹中先生、小泉先生よ、恥を知りなさい!