toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/Appendix1


【画像の説明】


一枚目は「ブルージュの遠景」(一部)です。なお、この「ブルージュの遠景」は当シリーズをまとめて小冊子にしたとき表紙に使う予定のものです。


二枚目は「ブルージュの夕景」、三枚目はゲントのレストラン(La Moule)で出た「ムール貝のワイン蒸」、そしてベルギービールです。


四枚目はブラッセルの余りにも有名な「小便小僧」(MannnekenーPis)、五枚目は「ブラッセルの街角風景」、六枚目は同じくグラン・プラスの北東に続くガルリ・サンチュベール(Galaries St−Hubert/ヨーロッパ最古のアーケード街の一つ)のスナップショット、七枚目は「ガルリ・サンチュベールにある書店」の内部、八枚目・九枚目は「グランプラス付近の道路標識と案内板」です。


十枚目はブラッセルの「王立美術館の入り口付近」、十一枚目はブラッセルにある「日本大使館の看板」、十二枚目はゲント市内に残る「中世フランドル伯・由来の古城」、十三枚目は「ゲントの市街風景」です。


・・・以下が記事内容です・・・


●この記事は[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント編]と[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワープ編]の「コメント&レス」を纏めて「Appendix1」としたものです。


to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ゲント編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060829


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# sophiologist 『toxandoria 様


ご無沙汰しています。フランドルの「放浪」は、とても有意義だったようですね。わたしは、田舎に籠った状態でした。私は、ずいぶん昔にテレビで見たブリュージュの運河の景色の息をのむ美しさに言葉もありませんでした。いつか、行きたいと思っていますが、なかなかチャンスがありません。


さて、ゲントの歴史を教えていただきましたが、やはり、北方「ルネサンス」だけあって、市民が、高次の精神性をもっているのですね。(やはり、中産階級の市民も、高次の市民と低次の市民がいるのですね。文化史は、もっと、ルネサンスプロテスタンティズムとの関係を明確にすべきだと思っています。私見では、後者は、前者の父権的反動であり、同一性暴力を帯びています。USの国家暴力の観念的起源は、ここにあると思っています。)


述べられている『神秘の子羊』の感動についてですが、私は、最近、オリジナルと複製の差異がやはり重要なのではと思うようになりました。ベンヤミンは、御存知のように、アウラ喪失の複製時代の時代を説きましたが、現在は、逆に、アウラの時代ではないかと思います。確かに、テレビやネットの画像でも、それなりに、美を味わえますが、それは、表面的な視覚美に過ぎないのではと思うようになりました。


オリジナルにあるのは、特異性の美です。それは、視覚を介して、深く精神に作用し、名状できない感動をもたらすのではと思うようになりました。最近は、美術はアートと呼ばれて、軽薄になっていますが、やはり、美術は芸術であり、本来、高次元の精神を伝達する表現ではないかと思います。


掉尾の「薔薇」の話は、正に、高次の精神、イデアを意味しているように思えました。プラトニック・シナジー理論では、差異共振シナジーにおけるヴィジョンの表現としての絵画だと思います。


多く投稿されることを、期待しています。


また、TBがまた送れない状態になりました。私の論考中心のブログが以下ですので、よろしくかったら御高覧ください。


『不連続的差異論入門:イデア界/IM境界/メディア界/MP境界/現象界の3層構成です。』


http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913


# toxandoria 『sophiologistさま、こちらこそご無沙汰しております。


ブリュージュは、本当に美しい街でした。それは人も、空気も、自然も、空も、歴史も、建築物もそれらの全てが美しいという印象です。それは、戦後体制の脱却(=近・現代史の一方的な否定)で「美しい国」を目指すという、どこかの国の「期待の星の王子さま」が語る、ボンボン的で理念に欠けた空疎なコトバと最も縁遠いものだと実感しました。


大衆受けがよい見栄えだけでなく、内実も伴った「人間の文化とその美しさ」とは、こういうものだという一種のカルチャーショックを覚えました。


おっしゃるとおり、コトバでは言い表せない北方ルネッサンスの精神性がゲントの空気にも受け継がれているようでした。古来、ゲントの市民たちは独立心が旺盛で、強い政治権力者に唯々諾々と付き従うことを好まぬという伝統があったようです。フランデレン語では、これをスタウテ・ゲンテナーレン(いつも反抗的なゲント人たち)と表現するそうです。そのため、フランデレン伯、ブルゴーニュ公、ハプスブルグ家などとの厳しい対峙の歴史を積み重ねることになりました。


しかし、結果的にはその対峙の重層的な歴史がフランデレン伯、ブルゴーニュ公、ハプスブルグ家などの高次の文化も取り込んだゲントの個性的な風土を創ることに繋がったのだと思います。それは、ゲントに限らずベルギーという国の魅力の源でもあるように思われます。


「芸術作品のアウラ」と「コピーとしての情報」の問題については奥の深いものがありそうに思われます。が、理想的に言えば、芸術作品はその作品が生まれた環境と一体化した場で鑑賞しなければ、本当のところは理解ができないのではないかと思われます。この意味で言えば、絵画であっても五感を駆使して鑑賞しなければ本当に鑑賞したことにはならないと思われます。


最近、中野孝次氏を読み直しているのですが、氏の考察はブリューゲル同様にポストモダンへの希望を与えてくれるようです。


今はアントワープ編を書いているところです。今後とも、どうぞよろしくお願いします。』


to → [2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワープ編]、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060902


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# toxandoria 『sophiologistさま、TB(http://www.doblog.com/weblog/myblog/53913/2620722#2620722)ありがとうございます。


「東京父権的近代主義批判」については、特に最近の出来事で思い当たる節があります。


それは、今回のオリンピック開催地の日本候補に関して東京と福岡が競ったときのエピソードです。福岡を応援した姜 尚中氏に大いに腹を立てた石原・東京都知事が、ご本人を目の前にして“(日本国籍がない)ヘンな外人がヘンな応援をした!”と姜氏を口汚く罵りました。


ご周知のとおり、現在の姜 尚中氏は東京大学教授であり、森巣 博氏(在オーストラリアの作家)、テッサ・モーリス鈴木氏(オーストラリア国立大学教授)らとともに、しばしば国際的な観点から現代日本国粋主義化(ナショナリズム化、軍国主義化)しつつある政治状況を批判している方です。このため、前々から、「東京父権的近代主義」の代表者を自認する石原・都知事としては、姜 尚中氏の存在が大いに気に入らなかったようです。


ところで、toxandoriaがオランダ・ベルギー両国に関心を持ったのは、その地政的・自然地理的・気象的・歴史的な特殊性があったからです。高々、この二つの国を併せても人口規模は約2.500万人程度であり、国土面積もせいぜいのところ「東北6県+新潟県」程度だと思います。


乱暴に言えば、この地域の国土は取るに足らぬほど狭小で、オランダ・ベルギー両国の人口規模も経済規模も“経済大国日本”とは比較にならぬほどチッポケな存在です。それは見方次第ではヨーロッパの片田舎だと見做すことができるのかも知れません。しかし、今のヨーロッパでこんな発想を持つ人は高々が極右的な立場の人々ぐらいだと思われます。


しかしながら、スキポール空港(オランダ)、ロッテルダム港(オランダ)、アントワープ港(ベルギー)、ゲント港(ベルギー)などはヨーロッパ・EU圏のハブ施設的な役割を担うとともに、これらの周辺には先端工業地帯が広がっています。特に、アントワープは欧州で最大の化学工業地帯です。また、これらの地域にはミタルスチール(世界一の大鉄鋼会社/オランダ)、フィリップス(電機会社/オランダ)、ロイヤル・ダッチシェル(英蘭を跨ぐ国際石油資本)など世界でトップクラスの企業が存在します。また、医学・科学技術・出版など知識・文化産業に関する国家戦略が明確であることも、オランダ・ベルギー両国の特徴です。


このため、近年、これらの地域には欧米のみならず日本企業の進出もめざましいものがあります。そして、いうまでもなくブラッセルはEUの中枢圏であり、使命感に燃えたユーロクラットたちが活躍する国際的なステージです。また、アントワープ、ブラッセルなどはパリやミラノと並ぶファッションの先端的な発信地です。無論のこと、これらの地域には、中世・ルネッサンス期〜近・現代に至る、極上の美術作品と世界遺産が溢れています。これらの文化は、ブルゴーニュ、ハプスブルグ、フランス、ドイツ、イギリスなどとの重層的な交流の賜物です。


今回のフランドル旅行の体験は、「東京父権的近代主義」の代表者を自認する石原・東京都知事のような見方が、やはり“世間知らずの偏見”以外の何物でもないことを再認識させてくれました。「人類は無駄に歴史的時間を過ごしてきた存在ではないということ・・・、地政的・自然地理的・気象的なハンディは“本物の国力や国民の幸福度”とは無関係であること・・・、グローバリズムと多様性は、その方法論次第で十分に共存が可能であること・・・、歴史経験と文化の積み重ねから学んだ寛容性のモデルがフランドルには確かに存在すること・・・、マルチリンガル社会と地域の個性は共存できること・・・、民主主義とは、ひたすら“テロとの戦い”などの派手なお題目を唱えたり派手なパフォーマンスを繰り広げることではなく、市民による誠意を持った地道な実践の積み重ねであるということ・・・、超国家主義や宗教原理主義歴史認識的な知恵による克服が可能であること・・・云々の新たな発見がありました。


「東京父権的近代主義」の代表者を自認する石原・東京都知事(及び現代日本の中枢に居座る政治家たちの多く)は、本気で日本の地方と田舎を小バカにしていますが、彼を筆頭とする現代日本の好戦的でマッチョな政治家たちこそが“本物の大いなる田舎者”です。


オランダ・ベルギー両国には「ファスト・フードにかぶりつきながら、携帯を片手に、いかにも忙しそうにおしゃべりしつつ道端を脱兎のごとく駆け回る東京の都会人」たちとは異質な何かがありました。これら両国の都会では「先端的な感性を働かせながらスローな生活を楽しむ都会人」たちの姿が心に残りました。それに、率直で明るい雰囲気の王室(オランダ・ベルギー両国の王室)と国民・市民との間のゆったりした関係が、とても印象に残りました。』



# toxandoria 『belgianbeerblogさま、“アメブロ版”「toxandoriaの日記」での読者登録ありがとうございます。


はてな版”がホーム・ランドとなっておりますので、こちらでも読者登録(アンテナ登録)をさせて頂きました。


ベルギーにお住まいとは羨ましいかぎりです。それに、時々、ブルージュのビア・バーでベルギービールが飲めるとは! しかもヨーロピアン・ジャズを聴きながら?・・・。


フランドル旅行後、toxandoriaもベルギー・ビールに嵌っており、最近では仙台のダボスというお店で飲んだ「ボンヴー、Bons Voeux」(アルコール分9%)が大いに気に入りました。アルコール分が多いほどベルギービールの個性が出ているような気がしました。


ベルギーの現地情報も期待しておりますので、こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。』


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<参考>


【海外における最新の日本の評判1】


『日本の安倍氏イラン大統領は似ている、“歴史修正志向”とドイツ誌シュピーゲル』(2006.8.4付・共同通信配信記事)


共同通信のベルリン特派員発のニュースとして、下記の内容が報道されている。


・・・ドイツ有力週刊誌シュピーゲル(8/4発売)は、小泉首相による靖国神社参拝に関する記事を掲載。


・・・この中で、安倍官房長官が歴史家による東京裁判研究が必要だとの立場を取っていることについて、ホロコーストユダヤ人大量虐殺)を“神話”と呼んだイランのアハマディネジャド大統領と“歴史修正志向の点で類似している”と指摘。


・・・“専門家によるホロコーストの検証が必要だ”との大統領発言との類似性を指摘し、安倍氏靖国参拝を好み中国や韓国に対する侵略を厳しく批判することを拒否していると報じた。


・・・また、戦時体制を産業政策面から支えた安倍氏の祖父・岸信介元首相を“ナチスの軍需相であったアルベルト・シュペーア”になぞらえて、こうした家系が安倍氏の思考に影響したようだと指摘。


【海外における最新の日本の評判2】


『Jan van Bremen論文「オランダにおける神道研究」の指摘=日本アカデミズムの自民族中心主義(ethnocentrism)化の問題』


これは、記事[2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワープ編](http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060902)で既に触れたことであるが、オランダにおける400年を超える日本研究の実績を背景として、現代の日本学研究者たち(現代オランダでは、プロテスタントカソリック両系統の神学者らが神道靖国・英霊などの研究に熱心に取り組んでいる)の中から、靖国神社や英霊の問題に関する日本国内における最近の閉鎖的な研究傾向(「ethnocentrism/自民族中心主義」化の傾向)に対する批判の観点が提言されている。


彼らの研究の凄さは、徹底的に日本語の歴史的文書・古文書類を読みこなすという文献学的研究に徹していることである。彼らにとって日本は未だに幕末期の「開国以前の状態」に見えるのかも知れない。いずれにせよ、我が国のアカデミズム・出版・情報分野及び文化振興に関する国家戦略とリスク管理意識の欠如と、その視野の狭さには悲しむべき点が多すぎる(詳細は下記URL◆を参照)。


ライデン大学教授Jan van Bremen、論文『オランダにおける神道研究』(国学院大学、21世紀COEプロジェクト・特別セミナー)、http://21coe.kokugakuin.ac.jp/modules/pdfman/get.php?id=30#search=%22%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%81%AE%E5%87%BA%E7%89%88%E7%A4%BE%22