toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ編1


<注記>


(1)『ブルージュ編』は、やや画像が多くなるので、先に【画像の解説】のページを数回に分けてをアップし、次いで【記事】のページをアップする予定です。


(2)因みに、Googleブルージュ関連のHPを少しチェックしてみたところ、1枚目の写真のようにブルージュを俯瞰的にとらえた光景はあまり見当たりませんでした。また、この街の全てが“天上のない美術館”と呼ばれるほど、ブルージュのどこを切り取っても美しい絵画的な光景となります。


(3)そこで、「俯瞰的な光景」と「普通の街の姿の中で美しいと感じた光景」の画像を拡大したページを作って別置してみました。是非、下のURL(◆)を開いてご覧になってください。ブルージュの魅力的な空気を実感して頂けるかも知れません。


http://www1.odn.ne.jp/rembrandt200306/test.htm 
         

【画像の解説】


一枚目は、「鐘楼」(13〜15世紀に造られた、地上38メートル366の階段がある塔は15世紀に完成)の屋上から見たブルージュの遠景。


二枚目は、ブルージュにあるヤン・ファン・アイク(Jan van Eyck/ca1390-1441)の銅像。彼は、ブルゴーニュのフィリップ善良公(フィリップ・ル・ボン/ Philippe le Bon 1396-1467、在位1419-1467年)の宮廷画家としてゲントなどで活躍したが、晩年(1431年以後)はブルージュで活動し、この地で没しています。


三枚目は、「フルーニング美術館」(Groening Museum/ヤン・ファン・アイクメムリンクから現代までのブルージュにゆかりの絵画を所蔵する)にあるヤン・ファン・アイクの『ヴァン・デル・パーレの聖母子』(Madonna and Child with Canon Joris Van Der Paele. 1436. Oil on wood. Musee Communal des Beaux-Arts, Bruges/参照、http://www.abcgallery.com/E/eyck/eyck22.html)です。これはヤンの作品の中でも人物が可能な限り大きく描かれた大作として有名です。右から二人目のヴァン・デル・パーレは、この絵の寄進者であり、左端はブルージュ守護聖人ドーナス、右端は、この絵の教会への寄進者ヴァン・デル・パーレの守護聖人聖ヘオルグです。


四枚目は、メムリンク美術館(旧シント・ヤン病院/Memlingmuseum, Sint-Janshospitaal)所蔵の、メムリンクの傑作とされる『シント・ヤン祭壇画』(1474-1479 Oil on oak panel  173.6 x 173.7 cm (central), 176 x 78,9 cm (each wing))の全体図です(参照、http://www.kfki.hu/~/arthp/html/m/memling/2middle2/index.html)。


五枚目は、その右翼の拡大図像『パトモス島の福音書記者ヨハネ』です。キリストの啓示を受けた福音書記者ヨハネがパトモス島に座り、眼前に展開する恐るべき幻視の様子を黙示録に書いているところです。劇的な恐ろしい世界がメムリンクの筆によって平和で中庸な夢幻的な世界に変質しているようです。


六枚目は、ベルギーの詩人ロデンバック(Georges Rodenbach/1855‐1898)の小説『死都ブルージュ』(Brouges-La-Morte/参照、http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0226.html)に触発されて、同じくベルギーの世紀末の画家クノップフ(Fernand Khnopf/1858-1921)が描いた『死都』(A Dead City)です(Pastel、26×16cm Private Possession/参照、http://pintura.aut.org/SearchProducto?Produnum=12219)。


ブルージュは、9世紀頃からフランドル伯の居城がある土地として発展し、やがてゲントやイーペルと並ぶフランドル毛織物工業の中心地ならびにハンザ同盟の重要都市として繁栄を謳歌するようになっていました(凡そ12〜14世紀)。しかし、この政治・経済・文化都市ブルージュが、地勢的な環境の激変により15世紀以降は沈滞を続けることとなり、中世の美しさをタイムカプセルに閉じ込めることとなりますが、その独特のイメージが、世紀末の芸術家ロデンバックらによって<死都>として復活し、その比類ない美しさが再発見されたという経緯があります。


七枚目は、「メムリンク美術館」(Memling Museum)所蔵の『聖女ウルスラの聖遺物厘』です。これは、末期ゴシック美術(ミニチュア家屋)の傑作であり、ブルージュの美しさを凝縮したような雰囲気を漂わせています。この内部には聖ウルスラhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A6%A5%EB%A5%B9%A5%E9?kid=123649)の聖遺物が収められており、パネルの絵はメムリンクが描いています。ウルスラと11,000人の侍女たち一行がローマ巡礼へ赴く物語が描かれています。


八枚目・九枚目は、ブルージュの北東の外れにある18世紀に造られた「聖ヤンの風車」とその周辺を巡る運河(参照、ブルージュの地図、http://www.asahi-net.or.jp/~sp6k-tkmt/Brugge.html)の付近の早朝の風景です。この近くには「ヒド・ヘゼレ博物館」(Guido Gezelle Museum)や「フランデレン民族博物館」(Museum vor Volkskunde/フランデレン運動(参照、http://www.tufs.ac.jp/ts/personal/ykawa/results/cours(2001)/kurashima_jp.htm)の旗印となった詩人ヒド・ヘゼレの関連資料が展示されている)があります。