toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/ブルージュ編2

【画像の解説】

一枚目は、「ブルフ広場」(Brug/15世紀に建てられた市庁舎(Stadhuis)と12世紀に建てられた「聖血礼拝堂」(Basiliek Heiling Blode/広場の南西の角にあるロマネスク様式の礼拝堂)などの建物に囲まれた小さな広場)の方から「マルクト広場」(Grote Markt)の一角に立つ「鐘楼」(Belfort)の方向を望む光景。二枚目はその「マルクト広場」のヨーロッパで五指に入るといわれる美しい景観で、三枚目は、「鐘楼」のクローズアップです。ブルージュは、この一帯を中心とする市街地全体が世界遺産に指定されています。

四枚目は、メムリンク美術館(旧シント・ヤン病院/Memlingmuseum, Sint-Janshospitaal)で見た『聖母マリア像』です。この「メムリンク美術館」には『聖女ウルスラの聖遺物厘』があります(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060907)。

五枚目は、「ベギン会修道院」(Begijnhof)付近の静寂そのものの光景です。この修道院は13世紀にフランドル伯夫人が創設した“ブルージュ・ベギン会”(十字軍遠征に旅立った騎士の夫人たちが修道女として禁欲的な生活を始めたこと)が起源ですが、今はベネディクト派の修道女たちが、この修道院を引き継いでいます。なお、往年のポーランド映画『尼僧ヨアンナ』は、一般には17世紀フランスの修道院で実際に起こった出来事がモデルになったとされていますが、実際は、この「ベギン会修道院」で起こったことだとする説もあるようです(参照、http://www.tomita.net/review/y980318.htm)。

六枚目、七枚目は「愛の湖公園」(Minnewater Park)の静けさに満ちた光景です。昔はブルージュの内港だった辺りを水門で仕切り湖を思わせる景観を創り、運河と結んで一帯を公園化した比較的狭い場所ですが、「ベギン会修道院」の静かな佇まいに隣接するため、この付近には中世の世界へトリップしたような雰囲気が漂っています。

八枚目は、ベルギーで有名なビール・メーカー、「ドハルブ・マーン醸造所」(Huisbrouwerij De Halve Maan)の入り口に掲げてある“三日月(ドハルブ・マーン=ハーフ・ムーン)ロゴ”の看板です。ここのレストランで飲むベルギービール“ストラッフェ・ヘンドリック”(Straffe Hendrik)の味は格別です。
九枚目はボートで運河クルーズをした時のものですが、十枚目はこのクルージング・ボートから見た「ベギン会修道院」付近の白鳥が遊ぶ光景です。

十一枚目の右は「市庁舎」、左は「聖血礼拝堂」の一部で、十二枚目は同礼拝堂の正面部分です。ここに隣接する「聖血博物館」には、十字軍遠征に加わったフランドル伯がコンスタンチノープルから持ち帰ったとされる“聖遺物”があります。伝説では、1150年4月7日、ブルージュに帰還したフランドル伯(アルザスのデイリック)は夫人であるアンジューのシビラと建立した「聖血礼拝堂」に「聖血」を納めたとされています。

しかし、ブルージュに残っている「聖血」についての最古の記録は1256年のものなので、伝説が伝える年代とは大きなずれがあります。従って、史実は第4回十字軍を指揮したフランドル伯ボードワン9世が十字軍国家・ラテン帝国(ロマニア)の初代皇帝ボードワン1世となった頃の出来事ではないかとされています(参照、http://www.belgium-travel.jp/bweblog/archives/2006/03/post_83.html)。