toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2006.09.16 Saturday *p3* 03:22

李朝の美を教えた兄弟・浅川伯教(のりたか)と巧(たくみ)
http://curios.ichigenchabo.com/?eid=88069


で追ってみました。


鈴木大拙氏の有力なスポンサーが安宅弥吉氏であったこと。


安宅 弥吉(あたか やきち、1873年4月25日 - 1949年2月5日)は実業家。鈴木大拙パトロン的存在としても知られる。


元安宅産業会長安宅英一は長男。


安宅産業破綻。⇒東洋陶磁美術館。


つまり、安宅英一氏は世界的に高水準な陶磁器の収集家であったこと。


赤星五郎氏、浅川伯教氏・巧氏兄弟と柳宗悦氏などの民間在野の私欲を離れた純粋な芸術追求の努力。


これらの「良貨」が維持できないシステムが日本です。


芸術もまた、等身大の「善意」から生まれるのです。』


# toxandoria 『一元さま、コメントありがとうございます。


パトロンと芸術家の問題は重要な観点だと思います。それは芸術家(個々の人間の自由意志)と財力・権力(これも個々の人間の自由意志の一つ)の関わりの問題であり、人間の「文化」とは何かを考える時に避けられない問題です。


この観点が理解できないのは、日本人が「資本主義と民主主義」を根本的に理解していないか、あるいは、この点についての思考が未成熟だからではないかと思います。このことについて、強烈な自覚を持つ芸術家の一人に故・岡本太郎がいます。


一種の近親憎悪の心理が働くのかどうかは分かりませんが、芸術のパトロンであると同時に敵でもあるのは、「宗教と国家にかかわる原理主義」です。前者の事例は現在のイスラム原理主義や、かつてのフランデレンにおけるカルヴァン派の蛮行などに見られ、後者の事例はヒトラーファシズム政権、あるいは廃物毀釈運動を煽った明治政府、大政翼賛化を煽り太平洋戦争へ突入した軍国主義・日本などに見られます。

フランデレンの旅行では、かつての「原理主義化したカルヴァン派の蛮行の痕」(偶像破壊運動の犠牲になった教会建築・歴史遺産・芸術作品など)が随所に見られました。

近年、芸術系の大学・短大・専門学校などをけしかけて(?)“美しい芸術・アート感覚”を生かした国づくりや地域づくり運動が起こりつつあるようですが、トレランス(寛容)の価値を誤解したままでの「安易な芸術立国論」は危ないと思っています。

気がつけば、更に日本中の地域文化が崩壊し、日本中が隅々まで張りぼてのテーマパーク・バブルに沸き立つということに成りかねません。

ごく一部の事例に過ぎないアメリカ発のビジネスモデル(例えば、教育バウチャー制度(公的クーポンを餌にした、学校と教員に対する市場原理主義的・大衆迎合主義的な教育評価制度)など)を囃したてるアカデミズムが相変わらず優勢を誇っていますが、このような日本の知的環境の劣化傾向については、肝心のアメリカですら懸念の声が出始めているようです。』

# とむ丸 『またまた、おじゃまいたします。

toxandoriaさんもハウステンボスに行かれましたか。

実は私も、1度だけ行っております。なんだか、とても無意味なものを見せつけられたような気がして、2度と行く気になれませんでした。』

# toxandoria 『とむ丸さま、いらっしゃいませ。

ハウステンボスへは、当時の仕事(類似施設の事前アセスメントのような仕事で)の関係で出来たてホヤホヤのところを見学に行きましたが、まったく同様の感想でした。その後、バブル崩壊後の同施設の経緯は、お気の毒ながらご周知のとおりですね。

あの当時は、小規模のものも含め既設で約80〜90ヶ所位のテーマパークが全国に乱立していたはずです。いまや、経営理念が余程しっかりした極少数の例外を除けば、その悉くが破綻状態かお荷物と化しています。考えてみれば、これも国家総がかりの「一種の擬装プロジェクト」であったのかも知れません。

ところで、今、記憶が薄れぬうちにと思いつつ「オランダ編」へ取り掛かろうとして資料類を眺めておりましたが、先見的な民主主義を主張した「植木枝盛の私擬憲法」に少し触れることになりそうです。植木はオランダへ留学しておりませんが、明六社への関わりを通して西周(オランダに留学した)らからオランダ憲法やベルギー憲法について情報を得ていた可能性があるようです。

奇しくも、この当時はベルギーの「フランデレン運動の第二期」(フランス・ラテン系の優勢に対するフランデレンの文化・言語復興運動)の頃にあたります。この時期には、ブルージュで見学した「ヘド・ヒゼレ博物館」の主人公であるヒド・ヘゼレが指導して、独立国となったばかりのベルギーにおける言語面での平等が真剣に追及されていた時代です。この辺の記述にさしかかったところで、とむ丸さまの「植木枝盛の私擬憲法」に関連する記事(URL)を引用・案内させて頂く予定ですので、この点をよろしくご了承ください。』

# sophiologist 『toxandoria 様

詳細なブルージュ紹介、ありがとうございます。訪れたことはありませんが、ブルージュ・ファンとしては、興味をもって読みました。


私の中では、ブルージュの謎はふくらんでいます。この土地は、神秘的に言えば、地霊spirit of place、genius lociがあると思います。それが、いかなる地霊なのか、私の中で、ふくらみます。自治都市の問題は、重要ですね。網野善彦氏の名著『無縁・公界・楽』を想起します。私は、以前、日本人には、個の伝統があり、それが、堺のような自由都市を生んだと考えました。それは、権藤成卿アナキズム的共同体の発想と私の中ではつながっていました。


日本の個の伝統は、勝手に、縄文時代に遡ると考えていました。つまり、縄文時代の社会は、個的共同体であると、いわば、「妄想」的に仮説しました。これは、マルクス主義から来たのではなくて、アナーキズム的発想からそう考えました。しかし、今、toxandoria氏のブルージュ礼讃を読み、自治都市、民主主義、芸術・文化は、精神的伝統と地霊が関係しているように思いました。(とりとめのない話で申しわけありません。)うまく言えませんが、これらは、共振しているものだと思います。この共振的精神が、現代日本から失せてしまったのだと思います。プラトニック・シナジー理論で言えば、差異共振シナジーエネルゲイアが、日本から失せてしまったと思います。ブルージュは、そのようなエネルゲイアをもち、美の都市として結晶したのではと思います。


これは、結局、近代主義批判に重なります。あるいは、唯物資本主義批判につながります。日本をあさましく、グロテスクにしているのは、後者です。初期資本主義は、イタリア・ルネサンスがそうなように、精神的資本主義でした。差異共振シナジー精神にある経済だったと思います。芸術と経済と都市が、共振シナジー精神で結ばれていたのだと思います。


後、わたしが少しは知るイギリスのアンチ・近代主義の芸術について、言及しようと思いましたが、これは、後で述べられればと思います。どうも乱文で失礼しました。』


# toxandoria 『Sophiologisさま、懇切なコメントありがとうございます。


自治都市、民主主義、芸術・文化は、精神的伝統と地霊が関係しているように思いました。(とりとめのない話で申しわけありません。)うまく言えませんが、これらは、共振しているものだと思います。この共振的精神が、現代日本から失せてしまったのだと思います。


●このご指摘は重要だと思います。toxandoriaは『自由民権や本物の民主主義意識は政治・経済・文化の歴史的な十字路から生まれており、このことは洋の東西を問わず同じである。このような“地域での長い交流の歴史の中から日本文化の基層ができた”ことを敢て無視しようとする(日本近代史についての歴史修正主義の考え方も、この点から派生している)のが、安倍ら寄生政治家の「カルト的・ファシスト的な短絡発想」である。』と考えておりますが、Sophiologisさまのご指摘は、このことと重なるようです。


●無論、toxandoriaは骨相学などに関心はありませんが、小泉・武部・安倍・麻生らの寄生政治家が、時折、一瞬垣間見せる“あの空を彷徨うような不安げな視線”が気になっています。恐らく、これは、実は彼らがこの日本の“地霊”(重層的な文化交流がもたらす知恵)のようなものを恐れている証拠かも知れません。これが高じるとヒトラー的なファシストの視線(トレランスを失った視線)に重なるような直感があります。


●18日のスエーデンの総選挙では、野党の中道右派連合が勝利し「12年ぶりの政権交代」となりました。メディアの報道では、小さな政府をめざす親米国路線の勝利を国民が選択したとのことですが、果たして、そうでしょうか? 北欧市民の民主主義意識の成熟度を考えると、単純にそうだとは言えない気がします。


●例えば、その得票率の差を見ると(48.1%VS46.2%)、僅かに1.9ポイントの差に過ぎません。ここにスエーデン国民(市民)の民主主義意識の成熟度が表れています。地に足がついた市民意識は、今後とも、為政者の行動を厳しく監視し続けるはずです。その証拠に、勝利宣言をしたラインフェルト穏健党党首は、規制緩和を訴える一方で“高福祉政策の一定の必要性”も明言しており、“アメリカはイラク戦争で多くの間違いを犯した”とも述べています。従って、メディアが報じるように米国型への原子力政策の変更(原発禁止→原発復活への路線変更)がスンナリ進むことも考えられません。


●これよりも懸念すべきことは、17日に行われたドイツの州議会選挙でネオナチの支持を得た極右政党「NPD(ドイツ国家民主党)」が議席を獲得したこと(旧東ドイツ六州のうち三州で、NPDが71議席中6議席を獲得)です。これは“外国人移民に職を奪われた”とするNPDの主張が一定の市民の共感を得てしまったということのようです。


●ドイツのこのような傾向について、ナチスヒトラー政権の悪夢のような悲惨な歴史を決して忘れないヨーロッパ全体の良識ある人々が警戒感を強めています。そして、このことは、近年における日本・与党政治の東アジア政策に関する右傾化傾向や靖国問題と共鳴するものと見做されており、この点に関してはアメリカですら懸念する声が広がりつつあるようです。このため、無根拠で浮ついたような安倍人気に流されることに現れている、日本における市民意識の未成熟(目先の見栄えとパフォーマンスばかりに踊らされ、本質的なことに考えが及ばない貧弱な意識傾向)が、ますます懸念される次第です。』


# anversoise 『toxandoriaさま、17日のドイツでの選挙の結果をショックとともに、知りました。


アントワープでは、Vlaams Belang (旧名称Vlaams Blok)という極右政党の支持率が33パーセントを超え、そのときもショックでした。一時はフランドル圏にすむ外国人全員にフラマン語の試験を受けさせる、失格者はフランドルンには住めない、といったような極端な意見も飛び出すほどでした。(経済的難民側からは、アラブ語を学校で教えろ、と言うような意見も出るほどだから、それに対抗してのことかもしれませんが)これからどうなっていくのでしょうか。かなり不安です。数年前のオーストリアでのことも、気になりました。これはヨーロッパ全体の動きなのでしょうか。』


# toxandoria 『anversoiseさま、toxandoriaの家族は、おかげさまで昨日、無事にオランダ・ベルギーの短いツアーを終えて帰国しましたが、やはり小生と同じように満足しておりました。


17日のドイツ州議会選挙において極右ネオナチの支持を得た極右政党「NPD(ドイツ国家民主党)」が議席を獲得したこと(旧東ドイツ六州のうち三州で、NPDが71議席中6議席を獲得)、アントワープVlaams Belang勢力の拡大、数年前のオーストリアでの極右の進出騒ぎ(その後、これは市民の支持を失ったはずです・・・)、同じく数年前にオランダで起きた映画監督テオ・ヴァン・ゴッホ氏のイスラム青年による暗殺に対する反発・・・、これらミクロの反動現象がヨーロッパ全体の右傾化を表わすとは思われません。


これらの個々の出来事の背景には、それぞれ国と地域ごとに異なる事情と背景があり、それら個々の原因に対する“反動”が極端に出た結果なのではないかと思われます。ヨーロッパ全体としては、喩えれば一種のホメオスタシス(生命維持と平衡感覚回復のための揺り戻し)のような作用が働いているように思われます。ただ、世界全体で急速に進展しつつあるグローバリズムが共通の原因だと言うことはできそうです。


この一種のホメオスタシスの例を挙げるとすれば、例えば、今回の“スエーデンの「あまりにも小さすぎる民意の変動」による政権交代”、“英国におけるブレア首相からブラウン財務相への政権交代の可能性の出現(=一般国民によるブッシュ一辺倒(ブレア首相)への批判がもたらした、やや左寄り政策への修正要求)”、少し古いところでは“フランス・オランダにおける拡大EU憲法案に関する国民投票でのノーの意思表示”などが考えられます。


翻って日本とアメリカについて概観すると、これとは反対に“一般国民の意志”が国家のホメオスタシス機能を壊しつつあることが分かります。アナーキスト(トロッキストが転向したネオコン)たちが自由原理主義を語るという一種の倒錯の空気に包まれたアメリカでは「宗教原理主義」の問題がますます悪い方向へ向かいつつあるようで心配です。このことに関しては下記のブログ記事(◆)を参照してください。
◆「頼りになるのは、政府より教会?」(とむ丸さんのブログ)
http://tomkari.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_4053.html


一方、“国民待望の貴公子(?)による美しい国”(日本を外人に負けぬよう美容整形するつもり?)が誕生することになった日本ですが、この安倍政権はご承知のとおり「衣の陰に刃を隠す」政権です。しかし、この事実に関する国民一般の関心は薄く、まるで芸能タレントの人気投票を楽しむような雰囲気であり、メディアも総掛かりで、この人気投票の演出に取り組んでいます。むしろ、この状況については欧米のメディアの方が厳しい目を向けています。このことについては下記のブログ記事(◆)を参照してください。
◆「『危険な美学』」を次期・安倍政権へ託した小泉首相の無責任と日本の危機」(toxandoriaの日記)
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060708

ロンドン大学政治経済学院名誉教授であるロナルド・ドーア氏は、日本と同じ戦争責任問題を抱えるドイツでは、有力週刊誌「シュピーゲル」が安倍普三の東京裁判に関する態度は、ホロコーストを否定したイランのアハマディネジャド大統領と似ていると評しています(2006.9.1付、共同通配信記事)また、アメリカの有力週刊誌「News Week」は安倍・新政権について、次のような批判的分析記事(◆)を書いています。
◆Asia’s Mystery Man:Shinzo Abe, likely to be the country’s next leader, has a slim track record. But he’s already worrying the neighbors.
http://www.msnbc.msn.com/id/14758369/site/newsweek/


他方、日本のメディアは押し並べて提灯記事(新聞)と提灯番組づくり(テレビ)に明け暮れています。それどころか、某民放の大物看板キャスター(政治番組担当)が安倍政権の内閣報道官に抜擢されるのではないかと噂されるあり様で、新政権への猟官運動はメディアにまで飛び火しています。日本ではメディアによる政権批判どころか政権権力とメディアの癒着がますます深まっています。また、プロ野球日本ハムのスターである新庄選手や人気女優の藤原紀香さんが参院選へ出馬しないかと自民党から口説かれています。最早、日本の政治家は芸能タレントかスポーツ選手でないと務まらないことになったようです。


結局、「日本におけるこのような政治的ネジレ」(世界平和を願うはずの過半の国民が近代史上の戦争体験を否定するネオ・ファシズム政権を支持するという奇怪なネジレ)と「ヨーロッパにおける政治的ホメオスタシス機能の維持」という政治環境の決定的落差をもたらすものは、正しい民主主義の理解に関する国民意識の成熟度の違いではないかと思われます。』


to → 「2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/アントワープ編」


toxandoria 『belgianbeerblogさま、“アメブロ版”「toxandoriaの日記」での読者登録ありがとうございます。


はてな版”がホーム・ランドとなっておりますので、こちらでも読者登録(アンテナ登録)をさせて頂きました。


ベルギーにお住まいとは羨ましいかぎりです。それに、時々、ブルージュのビア・バーでベルギービールが飲めるとは!


フランドル旅行後、toxandoriaもベルギー・ビールに嵌っており、最近では仙台のダボスというお店で飲んだ「ボンヴー、Bons Voeux」(アルコール分9%)が大いに気に入りました。アルコール分が多いほどベルギービールの個性が出ているような気がしました。


ベルギーの現地情報も期待しておりますので、こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。』

# とむ丸 『toxandoriaさん、お知らせありがとうございました。


10枚の画像のうち、ぱっと私の目を引いたのは、5枚目、『狂女フリート』です。なぜか昔から群像が好きでしたし、作者がブリューゲルと知って、納得がいきました。ブリューゲルもお気に入りの画家の1人です。


ところで、『狂女フリート』の「フリート」とは、固有名詞ではないという気がしますが、名前の由来はご存じですか。』


# toxandoria 『“とむ丸”さま、コメントありがとうございます。


「フリート」(Griet)はオランダ語で「マルフリート」(Margriet)の愛称ということになっています。つまり、英語のマーガレット、スペイン語のマルガレーテに相当することになります。なお、マーガレットの原義は「真珠」(pearl/清純、純粋、純潔の象徴)です。


この絵の最も一般的な解釈は、スペイン帝国(絶対君主フェリペ2世)がネーデルラントへ強要した圧制と過酷な搾取への批判ということになっています。ネーデルラントの執政マルガレーテ(パルマ公妃、フェリペ2世の異母妹)の過酷な異端審問の歴史的事実があるので、この解釈が最も妥当のように思われます。しかし、ブリューゲルパトロンは大商人や体制派の高位聖職者など様々であったことが分かるにつれて、この解釈を押し通すことには些か無理があることが指摘され始めているようです。


このため、例えば次のような正反対の説も出ています。


(1)女性の逞しさ、特に数人集まったときの悪魔的なパワーを批判的に描いた(アンチ・フェミニズム


(2)(1)とは逆に、当時の人文主義者たちの中で支持されていたフェミニズム的な考え方を寓意的に描いた


結局、ブリューゲルアントワープの第一級の知識人たちと交流があったこと、彼自身もかなりの知識人であったことなどを考慮すると、ブリューゲルの絵の解釈は一筋縄では行かないようです。』


# anversoise 『toxandoriaさま、記事をいつも興味深く読ませていただいております。


前の記事、コメントとは直接関係無いのですが、今日ヨーロッパ中で流れた(少なくともベルギーの北部、南部、フランス全国)だろうニュースで印象深かったことを、少し。先日オーストリア、ウィーンあたりで8年間地下室に監禁されていた18歳の女の子が自力で脱出し、犯人の男性は自殺する、と言う事件が起こったのですが、今朝のニュースでは、この監禁されていた女の子、ナタシャ・カンプシュさんのインタビューがながされ、それを見ていて、彼女のしっかりとした説明、自分の心理状態も可能な限り臆することなく、感情的になることなく語る様子、(インタビュアーの後ろには精神科医がひっそりと待機していましたが)、そして、自分は監禁者よりも(精神的に)強かった、と結論として出せたこと、このなんというか、しっかりとした強さには、とても感動しました。日本語で言うと、自尊心でしょうか、


dignit驍ニいうことを、強くかんじました。数年前にもベルギーで、幼児の誘拐監禁強姦殺人事件、と言う前代未聞のすごい事件が起こりましたが、その犯人に数日間監禁され強姦され、その後無事に救出された女の子がインタビューに答えるのをニュースで見ましたが、この子もびっくりするほどしっかりしていて、自分の心理描写を驚くほど客観的に行い、監禁中に考えたこと、恐怖をどのように克服したか、また裁判の時犯人と対峙したときの感想、なにもかも驚異的な冷静さと率直さで語る様子にびっくりした記憶があります。ヨーロッパ(というか自分の経験では、フランスとベルギー)で一番驚かされるのが、一般人であろうと、メディア人であろうと、いったん公共の場に出たときの(テレビでも、公衆の面前でも、一対一でも)わきまえ方が、板についてる、という点です。


テレビの特集とかで、わが子の悲劇的な死について語る母親が、涙、涙、で語るよりも冷静に淡々と感情を抑えて語るほうが、聞き手にとっては、その人の言うにいえない悲しみが実感できるなあ、と感じます。(フランスの国会では、感情むき出しの答弁がちらほら見られますが。ま、これはどちらかと言うと政治的感情むき出し)toxandoriaさまの書かれていることとは直接には関係無いのですが、とても印象に残りまして、コメントさせていただきました。


それから、これはとても無知な質問なんですけど、アメリカには共産党はあるのですか?身近な人に聞いても、なんだかはっきりしません。これまた恥ずかしい質問でなさけないのですが、身近にこの手の知識を持った人がいないようなのです。たぶん日本の親戚たちも知らないと思います。何かご存知でしたら、教えてください。ちなみにベルギーにもフランスにも共産党はあります。特に共産党に興味があるわけではないのですが、アメリカに共産党が無いのなら、一寸問題、と思ったのです。ご存知でしたら、よろしくお願いいたします。』


# toxandoria 『anversoiseさま、コメントありがとうございます。


ここ数年の日本では親子間での殺人(親の子殺し、子の親殺し)や幼い子供の誘拐・虐待、意味不明な殺人事件などがほぼ連日のように起こっておりウンザリしています。日本の社会そのもが劣化しつつある、というか何か深刻な病理現象が発生しているような雰囲気があります。私見では、政治家・官僚・マスコミ・経営者・学者・教育者など日本のエリート層の人々の人格的堕落と過剰なプラグマティズムが根本にあるような気がします。言い換えれば、それは全体的な人間性についての理解の浅薄化だ思います。日本国首相らの近代日本についての歴史認識の劣化も、これらの傾向と無縁ではないようです。ごく最近の不可解な事例は下記のニュースをご覧ください。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060907-00000007-yom-soci


20世紀初頭(第一次世界大戦前後)のアメリカには共産党員が数万人いたされていますが、1940年代以降はマッカーシズム運動によって弾圧され数が減ったようです。現在は全米で数千人は存在するようですが、事実上はごくマイナーな超弱小政党の立場です。無論、選挙では勝てないので議席はありません。


しかし、興味深いのは、レーガン政権及びブッシュ政権に大きな影響力を与えてきたネオコンの多くがトロッキスト(謂わば一般の労働者・農民層などの能力の限界を指摘し、トップクラスの知識階級による永久革命論を信奉する共産党の中のエリート主義あるいは貴族趣味的なインテリ過激派)からの転向組だとい事実があることです。ここでは、日本の政治現況と同様に従来型の保守対革新の単純な構図が成り立たなくなっています。


むしろ、実態はファシズム(あるいはアナーキズム)対民主主義の構図に近いのではないかと思います。しかもアナーキストが自由原理主義を語るという一種の倒錯の空気がアメリカにはあり、それが日本の政治・社会へも悪影響を与えつつあるような気がします。そして、恐るべきことは日米同盟一辺倒に被れている日本の政治家たちがその典型だということです。


既に、欧州各国の社会民主主義政党などは、このようなアメリカの傾向に対する危機意識を共有していると思いますが、日本の野党はこのような意味で未熟だと思います。一方、肝心のアメリカの民主主義は、このようなイデオロギー的な倒錯・溶解現象の中で本来の理念・活力・生命力をますます失いつつあるように見えます。


このような現実を前提とすれば、ポストモダンを見通すには、やはり限りなく正しい歴史を客観的に根本から見据えることが肝要(歴史から学ぶという謙虚さを持つことが大切)であり、かつ<中庸・寛容>についての理解を根本から再確認すべきだと思います。


このような意味で、日本では従来型の保守本流も右翼も左翼も存在する意味を見失いつつある(=一種の方向感を失った溶解現象が起きている)というのが実態ではないか、と思います。


これらを背景として考えると、anversoiseさまがおっしゃるヨーロッパにおける悲惨な事件の被害者たちが一種のdignityを持っているように見えるということが理解できるような気がします。


つまり、ヨーロッパでは、現在の日本ほど酷い“社会的溶解現象”が起こっていないからだと思います。一方、日本における幼い子供らの誘拐・虐待、年齢を問わぬ意味不明な殺人事件などでは、当事者自身がひたすら混乱するばかりのように見えることがあります。


そこにはdignityを持ったパーソナリティは殆んど見られません。ただ人格的に崩壊し、憔悴した人間が口をパクパクして意味不明の言葉を語るだけです。そして、この種の事件が起こった時、最も血眼の錯乱状態になるか、あるいは驚くべきことに悪魔のように狂喜するのが視聴率と販売数UPだけにしか関心がないテレビ・新聞など、つまり底なしに堕落しきった大方の日本のマスコミです。


・・・まったく話題は変わりますが、現在のベルギー地方の気温・天候の様子は如何でしょうか? 実は、小生の家族が来週の後半からベルギー・オランダ方面へ1週間程度の小旅行に出かけるため着る物などを心配しております。ネットで大体の気温は分かるのですが、果たして日本で言えば晩夏なのか、初秋なのか実際の季節感がつかめないで迷っております。』


# anversoise 『toxandoriaさま、ありがとうございました。ものすごくよくわかりました。時々日本の母と電話で話をするとき、彼女曰く、日本では、理解を超えた不気味な事件がいっぱい起こっていて、これは政治がおかしい、小泉のせい、ということを繰り返し言うので、変だな、と思っていました。toxandoriaさまのご意見を、より一層わかりやすく書いていただき、大変よく納得いたしました。本当にありがとうございました。日本の現状は、変化がはげしようなイメージで、ピンとこないのですが、歴史と言うこと、歴史と言う言葉自体、日本語とヨーロッパ諸言語では、意味するところが随分違う、というか歴史の捉え方自体が、違うような気が、漠然とします。


ヨーロッパでは、なんとなく歴史が身近にある、という感じがします。建物が古い、とか歴史上有名な人の銅像がいっぱい、とかじゃなくて、感覚の中に、昔と自分がつながっている、という実感があるようです。日本もテンポをもう少しゆっくりにすれば歴史観もかわるのでしょうか。また、トロッキーについて、これもひとつ納得いたしました。1997年から2002年までフランスの首相を務めたリオネル・ジョスパンが、一時、過去においてトロッキストだったことがばれてしまい、批判されたことがあったのですが、辞書で見ただけでは、トロッキストの過激さはぜんぜんわかりませんでした。その時のジョスパン曰く、若気の至り。


9月に入ってから、お天気が持ち直し、ベルギーとは思えないほどとても気持ちのよい気候です。若い子はTシャツ一枚で過ごしてますが、私のような中年者は、しっかり長袖です。しかしベルギーのお天気ほど予想困難なものはなく、来週どのようになっているかは、あけてのお楽しみ、ですが、今現在の状態は、日本の秋から晩秋にかけて、の感じがします。朝夕は冷え込みますので、ジャケット、カーディガンは必需品、寒がりの方はセーターも要。便利なのは、薄手の防風防雨兼用レインコート。こんな感じでしょうか。お天気が激変しそうなときは、お知らせいたします。


全然関係ないのですが、私の住んでいるところから北のほうにずい、と行きますと、あっという間にオランダになり、もっとずいずいっと行きますと、かいりん丸(漢字が出ません!)が作られた後、試運転?をしたという今は寂れた港があります。キャッテンデークだったかしら。母を連れて行ったら、感激し、和歌をいっぱい詠みました。でももしかしたらぜんぜん違う港だったかもしれません。
これからも、難しいことでわからないことがあったら、時々うかがわせてくださいませ。よろしくお願いいたします。』


# anversoise 『toxandoriaさま、すみません、9月2日のanversoiseのコメントの訂正、させください。はずかしい間違い!


かいりん丸、漢字が出るわけないです、咸臨丸です、かんりんまる、で、オランダのキンデルダイクの造船所でつくられた、とあります。これをキャッテンデークと勘違いしたのです。重ね重ね、すみませんでした。』


# toxandoria 『anversoiseさま、“はずかしい間違い!”など、とんでもございません。


それどころか、ヒントを与えて頂きありがとうございます。


記事の方は漸くベルギー編が終わり、これからオランダ編にとりかかります。こちらでは「日欄交流史」を少し取り上げるつもりでおりましたので、「咸臨丸」のことも書きたいと思っています。


これからも、よろしくお願いします。』


# toxandoria 『anversoiseさま、toxandoriaも間違ってしまいました。


「日欄交流史」ではなく、「日蘭交流史」でした。


こちらこそ失礼しました