toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/Appendix3(補足)

●その後の、「Appendix2」(Appendix3へ転載した内容)でのpfaelzerweinさまとの“コメント&レス”の内容が長くなりましたので、「Appendix3(補足)」としてUPしておきます。

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# toxandoria

『Pfaelzerweinさま、

政治権力側が “社会的なコミュニケーション能力”そのものを意図的に抑圧し毀損するというバイオポリティクの側面に関連して、些か気になることがあり、ご質問させていただきます。

現在、(1)European University(本部、フィレンツェ)、(2)Central European University(本部、ブダペスト)という二つの国際大学がヨーロッパに存在します(参照、下記のintroduction)が、この二つの国際大学に関する情報(評価情報)は日本の一般社会レベルでは殆んど得られないようです。

各HPのintroductionを見るかぎり、(1)はほぼEUの発展史(EC→EU→拡大EU)と併行して構想が練り上げられてきたように理解できますが、(2)はアメリカ型のビジネススクールの延長のように見えます。なお、(2)の本部があるハンガリーブダペストでは、ジュルチャーニ首相の“経済改革を巡るウソの発言”で、今(9/23)、数万人規模の抗議デモが国会議事堂前で行われているようです(2006.9.25付・日本経済新聞、記事)。

ヨーロッパにおける、この二つの国際大学についての現実的な評価はどうなのでしょうか? 何かご教示を頂ければ幸いと存じます。

(1)European University(本部、フィレンツェ
About the EUI? 、http://www.iue.it/About/

The European University Institute was created in 1972 by the Member States of the founding European Communities. Its main objective is to provide advanced academic training to Ph.D students and to promote research at the highest level.

It carries out research in a European perspective (fundamental research, comparative research and Community research) in history, law, economics, political and social science. Its full-time teaching staff, fellows and research students are recruited from all countries of the European Union and from further afield. It welcomes research students for periods of one to four years who wish to study for the Institute’s doctorate (normally four years) or take the LL.M. (one year Masters programme) in comparative, European and international law, as well as post-doctoral fellows. To learn more about the genesis and creation of the European University Institute of Florence click here.

[the European University Institute of Florence]Genesis and creation of the European University Institute
of Florence 、http://www.iue.it/About/CreationOfEUI.shtml

The idea of a European Institution complementing the construction of Europe in the field of higher education appeared early on in the philosophies of the ”founding fathers”. It was already put forward in the programmes of the pro-European movements Congress of the Hague (May 1948) and during the European Cultural Conference (December 1949). The project however only took shape at governmental level on the occasion of the ”relaunch” of Europe initiated by the Messina Conference (1955).

Walter Hallstein, German Secretary of State for External Affairs, was then the promoter of a full-scale European University , to be inserted in the future Euratom treaty. In his initial conception, the University was to offer a training center for nuclear sciences and was to be a direct emanation of the Community Conceived as a fundamental instrument of integration, it would educate the elite of the up and coming generations in a spirit remote from nationalist views.(以下は省略)

(2)Central European University(本部、ブダペスト
Introductory Remarks by Yehuda Elkana, CEU President and Rector、http://www.ceu.hu/index.jsp

CEU is a US-style graduate university with a focus on the social sciences and the humanities, accredited both in the United States and in Hungary, and located in Budapest, in the heart of Europe. The university is oriented to interdisciplinary research on, and the study of, social change and the policy implications of transition to open societies. In addition, emphasis is placed on European Union affairs, as well as on the special features of non-Western democracies.

Through their international experience at CEU, and exposure to a multitude of different-and sometimes opposing-points of view, students at this university develop a deep understanding of the intellectual and practical challenges arising along the shifting boundary between the local and the universal. They leave CEU with the knowledge and skills that enable them to pursue careers in academia, government and the non-governmental sector, international organizations and research institutes, missions of the United Nations, as well as business at the national and the international level. (以下は省略)』

#pfaelzerwein (84.173.88.218)

『バイオポリテックとして幾つかの問題を考えますと、なるほどと思われる事象が散見されるようです。

(1)の方は研究機関として重要なのでしょうが、新聞等で直接その報告等を見聞きすることは少なく思います。EU関連の報告も通常のメディアでの載り方は国内問題として議論されてからの事象と感じます。比較的注意している方ですが、そうした訳でなかなか評価とまでは至りません。指導研究者陣も掛け持ちも多いのではないでしょうか。

(2)の方は仰るように、ハンガリーの報道の問題もあって今回は騒ぎとなりました。詳しい背景は判らないのですが、国民はグローバリズムによる西側への巻き込まれを何よりも懸念しているようです。大統領による判断が功を奏したようで、この辺りは他のスラヴ系の諸国とは違った性格が認められるようです。東ドイツと同じように優等生であったハンガリーの動向は注目されます。と言うことで余りお役には立ちませんでした。』

#toxandoria

pfaelzerweinさま、早速のご返事ありがとうございます。

役に立たぬどころか、ヨーロッパの生の空気が分かりました。ありがとうございます。

ご指摘の今のハンガリーの動向(アメリカ型グローバリズムへの過剰な傾斜に対する揺り戻し?)は、今後のEU全体のあり方へも影響を及ぼすのではないかと思っております。私見では、アメリカ型グローバリズムへの過剰な傾斜の先導役の一端を担ったのが(2)のCentral European University(CEU is a US-style graduate university with a focus on the social sciences and the humanities, accredited both in the United States and in Hungary, and located in Budapest, in the heart of Europe.)ではなかったのか、と思った次第です。見方次第ですが、これは「人間の基本的コミュにケーション能力に対する覇権的政治権力の介入」の問題ではないか、と思っております。つまり、それはバイオポリテックの問題ということになります。

日本では、この8月に「国立大学の独立行政法人」化後で初めての決算が発表になりました。日経新聞(8月20日付)が「国立89大学、純利益合計は1,100億円」と報じたことを嚆矢に全国紙・地方紙は続々と国立大学の「黒字」、つまり「独立行政法人化の成果」を大きく報じています。しかし、このことに関しては根本的な疑義も提示されています(参照、下記URL★)。この「純利益・黒字」の陰に政治権力側による示威的な介入の要因が隠れていることをメディアがミスリーディングしているのではないか、という批判です。対案として、「独立行政法人化した旧国立大学」の決算では、「経常利益」での評価または「キャッシュ・フロー」レベルでの評価(投入した資金のコスト・パフォーマンス面からの評価)の方が適切ではないか、という提案が為されています。

<注>ここでは敢て“〜〜〜の陰に政治権力側による「示威的」な介入の要因が隠れている〜〜”と書いたが、“〜〜〜の陰に政治権力側による「恣意的」な介入の要因が隠れている〜〜”の表現の方が適切かも知れない。ただ、どちらにしても同じことではある。つまり、そこで起こっているのは、「異質な民族・文化・宗教とのコミュニケーションによってテロの原因(グローバリズムの中で甚だしい格差が拡大する市場原理主義の欠陥的な部分)を冷静に捉え直し、それを民主的・段階的に解消するという努力」を回避した独善的な権力者意識の押し付けということである。それは、誤ったエリート(選良・貴族主義的)意識が軍事外交(パワーポリティクス)を強圧的に推し進めたネオコン(彼らはトロッキストの転向組)主導のブッシュ政権による『テロとの戦い』と共通するものである。

★財務諸表の正確な分析作業を進めよう」(大学財政問題分析検討ワークショップ実行委員会)、http://www.shutoken-net.jp/2005/08/050831_14workshopNL.html

一方、今日、発足したばかりの安倍政権は政策の柱の一つに「教育改革」を掲げていますが、関連してアメリカ型の「教育バウチャー制度」の導入が議論されています。ご周知のとおり、これは市場原理主義の始祖の一人、ミルトン・フリードマンMilton Friedman)のアイデアとされる、“公的クーポン券を餌にした、学校と教員に対する市場原理主義的・大衆迎合主義的な教育評価制度”のことです。

ところが、肝心のアメリカでも、この制度は一部の州において、私立学校に通う極貧層の子供たちへの一種の補助金制度として導入されているだけで、これが全米に普及している訳ではありません。また、ヨーロッパで行われているそれは、国ごとに異なる目的に沿った、それぞれ特色のあるものとなっています。このことは、文部科学省における当初の「教育バウチャーに関する研究会」の議論でも認識されていました(参照、下記URL◆)。

◆教育バウチャーに関する研究会(第1回)議事要旨、http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shougai/010/gijiyoushi/06021506.htm

アメリカの教育バウチャー制度http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jimusyo/151NY/INDEX.HTM

しかし、東京新聞など一部を除き、ここ数日の民放テレビのワイドショーなど主要メディアの取り上げ方を見る限り、このような観点から掘り下げた見方(評価)は示されておらず、ひたすら安倍人気に擦り寄るような妖しげなムードが漂っており、ワッショイ、ワッショイと「安倍政権・祭り」の御神輿担ぎをしながら提灯記事とヨイショ番組を垂れ流すばかりで、相変わらず、一般の視聴者へは“バラ色の誤解”(ミスリード報道)を振り蒔いています。

考えてみれば、「国立大学の独立行政法人化」も「教育バウチャー制度の導入」も「国民のコミュニケーション能力」の根底部分(内心の奥深く)に大きく介入する問題です。従って、このような日本の教育環境(幼児教育〜大学・大学院教育のすべてに関わる教育環境の改革動向/憲法改正問題と同様に、このように根本的な理念部分に触れる改革を誤ると取り返しがつかなくなる)を巡る現状を観察すると、むしろ「国民のコミュニケーション能力」の劣化が意図的に推進されつつあるのではないか、という疑念すら湧いてきます。それは、まさに教育こそが「国民のコミュニケーション能力」の礎(いしずえ)であるべきだと考えられるからです。従って、誤った方向へ向かう改革にマスメディアの多くが、あまりにも短絡的に靡く傾向が見られることに強い危機感を覚える次第です。

今でさえも、日本の大学・専門学校等では「教員及びその授業方法に関する学生による評価」の導入によって、かなりの教育現場において“悪貨が良貨を駆逐する”という由々しき現象が起こっている節があります。つまり、現実的には出来の悪い(能力的に弱者の立場にある)学生ほど質が高い講義をする教員(及びその授業内容)を低く評価する“という傾向があるため、その学生による評価が管理サイドの教員に対する評価・査定へ反映されることを恐れる臆病な教員ほど、多数の出来が悪い学生たちへ迎合するため自らの講義内容のレベルを落とす傾向が出てくるということです。教員が“愚かな父兄の誤った批判”を過剰に恐れるような場合には、同様の現象が小中高校においても進行していることが考えられます。これは、教育現場の管理が、市場原理主義的な価値観だけで割り切ることができないことの証であるともいえます。

ところで、日本におけるバイオポリテック次元の問題は別のフィールドでも悪循環(社会風潮の連鎖的な右傾化)の方向へ傾斜するシンクロナイズ現象が観察されます。例えば、この8月に東京都がオリンピック国内候補地を福岡市と争った時、石原・東京都知事は、福岡市の応援に立った在日韓国人2世の東大教授・姜 尚中氏を“怪しげな外国人”呼ばわりをしました。石原氏は、1999年にも重度心身障害者について“彼らに人格があるのかね”と発言し、2001年には閉経後に長命な女性に関する“ババア”発言の実績もあります。

これらの差別的な過激発言は、明らかに法の下の平等を唄う日本国憲法に対する違反行為であるにもかかわらず、選挙で300万票を超える都民の支持があることを背景に、石原氏の超過激な外国人や弱者層に対する差別発言はエスカレートするばかりです。この異常とも思われる問題の根本には、右派保守層のみならず、肝心のいわゆる負け組み呼ばわりされる人々(当の石原氏の差別発言の対象となる人々)の多くが、自らの内部で屈折したルサンチマンの情念が燃えたぎるからこそ、敢て石原氏を熱烈に支持してしまうという「捩れたコミュニケーション現象」が存在するのです。そして、このような日本国民の根本的なコミュニケーション能力に関わる異常現象は、今日、幕を下ろしたばかりの「小泉劇場」でも起こったことは記憶に新しいところです。

このように見てくると、「国立大学の独立行政法人化」も「教育バウチャー制度の導入」も「日本社会の悪循環的な右傾化傾向」も、これら全てがバイオポリテック次元の問題であることが理解できるはずです。言い換えれば、これは「国民のコミュニケーション能力」の劣化の問題だということになる訳です。そして、この問題を放置するどころか、むしろ悪い方向へ煽る傾向が石原・東京都知事に限らず、日本の政権中枢において、まるでガン細胞のように増殖しつつあります。そこに共通するのは近代の日本史に関する正しい歴史認識の欠落、アジア諸国に対する誤った優越感、貧困層及び弱者層に対する差別主義という恐るべきアナクロニズムです。

このような意味で、現在の日本の政治・教育環境は人種主義や排外主義を克服しようとする欧米の潮流から見れば、まことに常軌を逸したものに見える筈です。従って、このたびの「安倍・新政権」発足にあたって、ニューズ・ウイーク(米)、ワシントン・ポスト(米)、ニューヨーク・タイムズ(米)、CNN(米)、タイムズ(英)、デーリー・テレグラフ(英)、DPA通信(独)、フォークス(独)、フィガロ(仏)、ル・モンド(仏)、新華社(中国)、聯合ニュース(韓国)など海外のメディアが一斉に“安倍=タカ派政権が誕生”と報じたことはむべなるかなと思われます。