toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

「美人局」から美しい「ヤラセ・国家」へ変身したのか?暴政・ニッポン


【画像説明】ブロンツィーノ 『愛のアレゴリー』 Angiolo Bronzino(1503-1572)「An Allegory - Venus, Cupid」 Oil on Wood  Completed in 1545 116.0cm x 146.0cm   National  Gallery  London 、England
・・・ブロンツィーノの『愛のアレゴリー』は、数多くの寓意的図像と洗練されたエロティシズムがモチーフですが、その解釈には様々なものがあります。詳しくは、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060622をご覧願います。

およそ6ヶ月ほど前を顧みると、以下(転載1)のとおり、小泉政権の末期は「美人局(つつもたせ)国家」という言葉こそが似つかわしい“実に妖しげな雰囲気”となっていました。しかし、今度は、下記(転載2)のとおり、それを引き継いだ安倍政権の実像が「見かけ上は“美しい”が内実は“ヤラセ状態”であること」が明らかになってきました。

いくら現代日本が高度情報化社会であり、かつスピードの時代であるからといっても、僅か半年で日本政府の政治手法が『美人局』から『やらせ』へ素早く変身するという有様では、まさか今の中枢に居座る政治権力者たちが詐欺・ペテン師や香具師などの集まりでもあるまいし、これでは余りにも一般国民を小バカにし過ぎ(いや、大いにバカにし過ぎ)です。このような、今の日本政府には「愛国心も、教育も、憲法も、共謀罪も」語る資格はありません。

(参考)『中国新聞社説:「やらせ」質問 甘く見られている国民』
by「ヤメ記者弁護士」(http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/025f82b8931608d7832df5a00b904134)さん、より

・・・・・(ここから転載部分のはじまり)・・・・・

(転載1) 

[2006-06-22付、toxandoriaの日記/「美人局国家・日本」を創った政府・日銀ぐるみのインサイダー取引](http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060622)より転載。詳細は、当記事を参照してください。

『 小泉首相は、21日昼に日銀の福井俊彦・総裁が村上ファンドへの投資で1,473万円の利益を得た問題について「何か問題があればすぐに辞めるべきだという問題ではない。改善すべきは改善すべきだと思っている」(相変わらず、意味不明のトートロジー!)と記者団に述べ、福井総裁は辞任の必要がないとの認識を示したと、2006年6月21日付・毎日新聞(ネット版)が報じています。しかし、小泉首相は問題の深刻さをまったく理解していないか、あるいは意図的にお得意の論点外しをやっています。恐らく、ここでは小泉首相に限らぬ日本の寄生政治家たち(二、三代目)のコナトゥス(自己保存の本能・衝動・欲動/参照、『お金と指導層:コナトゥス(自己保存力)とシナジー強度』http://ameblo.jp/renshi/entry-10013861645.html)が作用しています。彼らの眼中には「主権在民の認識」も「健全な国益意識」も全く存在せず、“彼らが想うは己のことばかり”の餓鬼道に嵌っているのです。

 通常国会の会期が小泉首相の鶴の一声で強引に閉じられた日本は、「理念なき小泉構造改革」のおかげで、いよいよ「美人局(つつもたせ)国家・日本」と化したように思われます。今やネット上のヴァーチャル世界は「噂の六本木ヒルズ族の乱交パーティ」を窺わせるような“妖しげなSNSへのお誘い”やら“美人局(擬似売春型)アフェリエイト・ビジネス”などの花盛りですが、リアルな世界でも日本政府が率先して同じような妖しげなビジネスに手を染めたのではないかとさえ思われる近頃の風潮です。これで婦女子や青少年のみならず世のオヤジ族までもが不埒で破廉恥な犯罪に手を染める傾向が助長する一方であることが理解できるような気がします。これも「聖域なき小泉構造改革」の成果でしょうか?

 M&A(Merger&Acquitition/企業の合併・買収)やTOB(Take-Over Bid/敵対的企業買収)などを中核とする日本政府(経済産業省)による日本経済活性化策進行(ライブドア事件の発覚で実施が1年だけ先送りされたため、事実上、日本ではM&ATOBが2007年5月から全面解禁される)、同省出身者である村上氏によるファンド・スキャンダル(及びライブドア事件自民党の密着)、同期経産省官僚らによる同ファンドへの投資、福井日銀総裁の同ファンド・スキャンダル、「新会社法の整備」と併行したグローバルスタンダード(時価・減損会計などの導入)、米国による規制改革および競争政策イニシアティブに基づく日本国政府への米国政府要望書の圧力、小泉政権による強引な規制緩和政策の導入と徹底したB層戦略の推進及びメジャーなマスメディアの同戦略への迎合、巨額の銀行不良債権問題発生と不自然な公的資金による救済(関連するモラルハザードの放置)、不自然なゼロ金利政策の導入、そして平成17年度通常国会会期の異常な短さ(小泉首相の強固な会期延長拒否の不自然さ)云々・・・。

 これらの点と線を繋ぐと、国家・関連官庁・御用学者、マスメディア及び銀行業界の過半が結託した、恐るべき「日本政府&日銀ぐるみのインサイダー取引」の臭いが漂ってきます。何も知らないのは、善良な我われ一般国民だけだったのかも知れません。ところで、まことに恐るべきことですが渦中の福井・日銀総裁は2004年9月の講演で下記のデータ(★)を発表しています。つまり、これはゼロ金利政策(銀行の事実上のゼロ金利)による預金者の不利益の総額ということです(出典:日本経済新聞、2006.6.22付記事『大機小機』)。なんと驚くべき金額ではありませんか。これに高額の送金手数料収入などを加味すれば、今期の銀行が空前の好決算となったことは当然の帰結です。見方を変えれば、一般国民はゼロ金利政策のおかげで銀行によって154兆円もの巨額のお金を収奪され続けたことになります。このようなプロセスの中で、福井・日銀総裁村上ファンドへの投資で1,473万円の私的な利益を得ていたことになり、政権与党(自民党)は銀行業界を含めた財界から潤沢な政治資金を手に入れていたことになります。本日付のasahi.comネットニュース(http://www.asahi.com/politics/update/0622/006.html)によると、小泉首相は22日、首相官邸で日銀の福井俊彦総裁、武藤敏郎、岩田一政両副総裁と昼食をとりながら会談したそうですが、どのような“火消し策”を打ち合わせたのでしょうか?
★1993年と比べ10年間の受取利息減少額=154兆円

<注1>M&ATOBが導入されてきた歴史的経過、及び2007年5月から全面解禁される「合併対価の柔軟化」(三角合併、現金合併など)の問題点などについては稿を改めて検討する。

 つまり、今の日本は、まさに“真実については知らぬが仏”の「美人局(つつもたせ)」(詐欺的な売春システムの一つ/参照、『美人局は恐ろしい、出会い系サイトのトラブルと被害』http://www.deai-sos.com/24.html)のような恐るべき国家(=擬似売春国家)となってしまったようです。あるいは、今の日本の姿は、落語で言えば三代目・金歯師匠の名演目である『高田の馬場』の噺(参照、下記<注2>)のようなものだとも言えます。いわばペテン師たちが総掛かりで巧みに演出した“虚構の花見酒の経済”で善良な一般の国民を誑かす詐欺師国家(資本主義国家の禁じ手を破り政府と日銀が癒着・一体化して虚構の経済を演出した)です。極論すれば、今の日本は、国家的詐欺師あるいは美人局屋と化した政治権力者たちが、善良な一般国民をカモに意地汚くもシコシコと儲けている構図が透けて見えます。つまり、彼らが私腹を肥やし良い思いをするとともに、国民へ一方的に税収増(酷税)を押し付ける犯罪的な『美人局国家』ということになります。さぞかし小泉首相、福井・日銀総裁竹中平蔵大臣、宮内・規制改革・民間開放推進会議議長、および村上世彰村上ファンド代表と親交があった安部官房長官らは、これら国家的な詐欺師集団の頭目か若舎弟たちということになるでしょう。週間文春・2006.6.29号の記事は、六本木ヒルズの村上氏の私邸で行われていたホームパーティを通じて安倍・村上の両者は蜜月関係にあったと報じています。なお、同誌によると、村上氏の人脈は民主党も含む政界のみならず、官界・財界へ更なる広範囲な広がりを見せつつあるようです。

<注2>落語『高田の馬場』(落語の三代目・金歯師匠の名演目)
・・・浅草で蝦蟇(ガマ)の油を売っていた姉弟が老武士を「親の仇」と叫び、敵討ちを挑もうとするが、渦中の老武士は寺の境内で血は流せぬから明日「高田馬場」で勝負しようと申し入れる。翌日、「高田馬場」界隈は、仇討ちの評判が広がったため、この敵討ちを見物しようとする人々、それ相手に商売をする人々でごった返すが、定刻になっても仇を討たれるはずの当人は一向に現れない。茶屋で酒を飲んでいる老武士を見つけた、ある男がどうなってるのかとたずねる。すると“実は、私たち親子は“仇討ち屋”(仇討ちを装った詐欺師)で、この界隈の茶店に頼まれて敵討ちの振りをしてできるだけ多くの人々をかき集め、これらの人々が落とした店の売上げの2割をマージンとして貰って楽に暮らしているのだ”というオチがつく。 』

・・・・・

(転載2)

[2006-11-02付、toxandoriaの日記/「履修漏れ問題」と「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」が醸す妖しい空気](http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061102)より転載。詳細は、当記事を参照してください。

『 本日付の報道によると、政府・与党は高校必修科目の履修漏れ問題を巡って卒業を認める補習の上限を70回に定め、校長の判断で50回程度まで短縮を認める(2/3以上出席の場合)救済策で合意したそうです。しかし、この「一連の大騒動」には“何か異常で不自然な感じが付き纏っている”と思うのは考えすぎでしょうか? それに、メディアのオーバーヒートぶりにも何やら不自然なキナ臭さが漂っています。

以下に、素人の目から見た率直な疑問点を並べてみます。

●何故に、年度の1/2以上を過ぎた“この時期”に至って、この「履修漏れ問題」が急浮上したのか? 

●それは富山県から始まったようだが、何故に、どのような訳で富山県なのか? 具体的な切欠は何だったのか?

●それは実際に“どのようにして表面化した”のか? ・・・内部告発か、匿名のタレこみか、それとも誰か正直者の自主申告なのか?

●聞くところによると、この「履修漏れ問題」は急に今始まったことではないらしい。つまり、過年度で時間がかなり経過したことらしい・・・とすれば、今年度の卒業生まで過年度分と同じ扱い(過去の卒業生と同じ扱い)ということにして補習は無しで済ませることが何故できなかったのか?

●もし、このような判断が可能であるとすれば“真に悲惨な犠牲者”(校長先生の自殺)まで出さずに済んだのではないか? また、教育現場での無用の混乱も避け得たのではないのか? 何の罪もない生徒たちに余計な負担をかけなくても済んだことではないのか? だから、これは政府・与党あるいは文部科学省の考え方一つの問題ではなかったのか?

●具体的に教育現場のことは知らないが、そもそも履修内容不足について補習の方針を決めるようなことは、元来は各学校の教務レベルの現場の仕事ではないのか? それが、どうして政府・与党の判断になるのか? 素人なので、どうも、この点が理解できない。結局は、「指導要領の不備の問題」の論点外しではなかったのか?

●もし、そうであれば、これは核心的な責任問題を回避するための文部科学省による意図的な大騒ぎではなかったのか? 

一方、今度は『教育改革タウンミーティング・やらせ質問、内閣府作成』の問題が明るみに出て大騒ぎになっています(参照、→ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061101-00000112-yom-pol /読売ネット記事)。このネット記事によると、それは“この9月2日に八戸市で開かれた政府の<教育改革タウンミーティング>で、内閣府などが、教育基本法改正案に賛成の立場で質問するよう、ミーティングへの参加者に依頼していたことが1日の衆院教育基本法特別委員会で明らかになった”ということのようです。

これが事実だとするなら真に怪しからぬことですが、それよりも、これも何故に“このタイミング”(9月)のタウン・ミーティングだったのでしょうか? そして、本日付・中日新聞のネット記事(参照、→ http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20061102/mng_____sei_____006.shtml)は、「教育基本法が今国会で成立の見通しとなった」と報じています。

結局、「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」と「履修漏れ問題」は初めから、ほぼ“この時期に同期させる”シナリオだったのではないか、と疑われても仕方がないと思います。ともかくも、この点について、どこまでも妖しい空気が漂っています。つまり、「教育基本法改正法案」を成立させるための外堀作戦ではなかったのか? 

もしそうであるならば、今回は、殆んど全てのメディアが上記の疑問点(●)についての調査報道に取り組むどころか、いそいそと、率先して政府・与党の世論誘導に加担したことになります。恐るべきことです。 』

・・・・・(以上で転載部分おわり)・・・・・

また、、今回の「履修漏れ問題」は、“政府による、ガス抜きのための意図的なリーク”(holyagammonさまのご指摘による/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061102)の可能性もあります。もし、そうだとすれば、これは「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」と同次元の問題となります。真に卑劣なことをやるものだと思います。そもそも、こんな卑怯・卑劣なことばかり考える輩(世襲的な政治権力の亡者たち)には“憲法教育基本法の改正”、あるいは“愛国心”など人間の根本に関わる問題を国民に対して説教する資格など無いと思います。それどころか。これでは、ますます「イジメ国家・ニッポン」における“勝てば官軍へ靡かぬ者たちに対するイジメの度合い”が高まるばかりです。

ところで、まったく我田引水の話となりますが、作家・藤沢周平の原作である映画「蝉しぐれ」の資料館がある鶴岡市・郊外(山形県)へ10/3に行ってきました。その途中で、偶然にも加藤紘一・元自民党幹事長(http://www.katokoichi.org/)のご実家(鶴岡市内)の前を通りました。小泉元首相の靖国問題への批判的な言動が原因で、この加藤氏のご自宅が放火され全焼したことは記憶に新しいところです。

丁度、放火された時に加藤氏のお母様は買い物へ出かけておられたため、幸いにも人的な被害には遭いませんでしたが、地元の方のお話では、まさに危機一髪の状態であったようです。しかし、目下、再建中のそのご自宅の前には、未だに仮設の交番が立っており、山形県警の複数の警察官が24時間体制で警戒に当たっていました。

これも近場の方に聞いたことですが、今でも地元ではとてもピリピリした雰囲気があるそうです。犯人と思しき人物が捕らえられ、犯罪を立件し裁くという意味で、つまり司法的・刑法的には、この事件は一件落着であるはずにもかかわらず・・・です。従って、リベラル派・加藤紘一氏は同じ自民党内の極右勢力(権力中枢を“2005.9.11小泉クーデタ”で占拠した一派)によって“飼い殺し”か“拉致・監視・監禁・軟禁状態”へ嵌められたと見做すことも出来ます。無論、表記の仮設交番で警戒にあたる警察官たちには何の意図もないはずです。当然ながら、彼らはただ忠実に職務を遂行しているだけです。

恐らく今の日本では権力中枢の奥深いところで「熾烈な暗闘」が行われているのではないかと思われてきます。その“闘争の余波”は法曹界、検察、警察、行政官庁、自衛隊、教育現場、マスメディアなどのあらゆる場面へ波及しているはずです。toxandoriaは、法曹界、検察、警察、行政官庁、自衛隊、マスメディアなどに勤務する過半の方々が、公正・公平な立場で真面目に本来の職務に励んでいるからこそ、日本の安全で安心な国の機能が曲がりなりにも確保されていると思う立場、つまり“ごく普通の常識的な立場”です。

しかし、それだからこそ今の日本は戦後最大の危機にあるのではないかと思い始めています。例えば、北による拉致問題にしても、よくよく裏と表を突き合せて十分に観察し、十分に考えなければ危ないと思われることばかりが、今も、日々に連続して、まるでシナリオに沿ったイベントでもあるかの如く起こり続けています。無論、拉致の被害に遭われた関係者の方々は人道的な面から真にお気の毒であり、これらの方々については日本政府も一般国民もベストをつくすべきです。

しかしながら、問題は、やはりこのような「非人道的で残酷な悲劇」をすら自らの政治権力の拡大と温存のため意識的に利用しようとする輩(=世襲的な権力の鬼と化した輩、追憶のカルトの下に結集した悪意の有志連合)が、この拉致問題の関連中枢に深く浸透している可能性が大きいと思われることです。このため、この問題の舞台は余りにも無頼な魑魅魍魎たちが暗躍する、その解が存在し得ない、一種の“奇々怪々な多次元方程式状態”となっています。

例えば、数ヶ月前には某刑事事件の絡みで拉致回復の運動を支援する某団体が警視庁の捜査を受け、関連する中心人物が事情聴取を受けたはずです。しかし、その後、この関係のニュースは何故か突然にピタリと沙汰止みとなり、やがて急浮上してきたのが「北の核実験」に対抗する形での真に華々しい「日本核武装論」です。そして、今や、その中心と思しき人物は有力な拉致問題に関する専門コメンテータとして、堂々と各局のテレビなどに出ています。総務省による「NHKへの対北宣伝放送・命令」の問題も、この辺りのシナリオにシンクロしているのではないか、と想像させられます。

(参考)『NHK会長『放送命令』受け入れ意向/“苦渋の立場”浮き彫り』・・・2006.11.03付、東京新聞ネット記事、http://www.tokyo-np.co.jp/00/hog/20061103/mng_____hog_____000.shtml

そして、これら極右を中心とすると思しき勢力(追憶のカルト一派が中心と思われるが、実態は諸無頼勢力の有志連合的なものか?)が“先制攻撃”のターゲットと見做すのが、左派勢力ならぬ加藤紘一氏ら与党内のリベラル派、及びその立場に共鳴する一般市民層(国政選挙などで批判勢力となる可能性が高い国民層)です。従って、“辛うじて与党の一角を占めている加藤紘一氏らのリベラル派(良識的な保守派)”が先制攻撃のターゲットとなっていること自体が「今の日本の危機的状況」の本質であり、この問題の計り知れぬほどの深刻さを物語っているようです。メディアは、何故、このような視点を深めようとしないのでしょうか?

どうやら、追憶のカルト一派が“比較的多数であるリベラル派”を先に徹底的に叩きのめしてしまえば、元々が少数派である左派や極左を押さえ込むのは容易だと見込む、狡猾かつマキャベリスティックで野蛮な戦略が潜んでいるようにさえ思われます。しかし、それが実現した暁の日本は、もはや民主主義国家とは呼べず、追憶のカルト一派、極右勢力、悪徳・無頼の集団、及び倫理観を捨てたテレビ等のマスメディアが談合・癒着する、まさに現在の「北朝鮮、あるいは事実上のマフィア国家であるロシア以上に悪徳に満ちた国家」(“より健全な民主主義国家の実現を希望する一般市民層”にとっては、『ついに“来た”ゾ! 民主主義へ“挑戦”的な美しい国!』状態?)です。どうして、そんな国が「美しい」などと言えるのか、我われのように平凡な一般市民にとっては、とても“不思議で分かりにくい”ことです。

(参考)『安倍首相の政策説明「分かりにくい」63%…読売調査』・・・2006.11.03付、読売聞ネット記事、
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20061103i412.htm