toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

映画『蝉しぐれ』には「安倍・カルト世襲政治」の暴政のルーツが“垣間見えるでがんす”

toxandoria2006-11-06




(注1)『〜でがんす』は、庄内弁で『〜でございます』の意味。海坂藩(うなさかはん/鶴岡がモデル)を舞台に流れる物語では庄内弁が使われている。同じ藤沢周平・原作の新しい映画『武士の一分(いちぶん)』(監督・山田洋次、出演・木村拓哉ほか/この詳細は後述)も庄内弁で語られる。


(注2)


◆映画『蝉しぐれ』公式ホームページ、http://www.semishigure.jp/


5年も続いた小泉政権の本質が二世・三世議員らによる、政界名門の出自をひけらかしつつ多くの善良な国民を騙し続けた「美人局」(つつもたせ)であり、それをソックリ引き継いだ安倍政権の実像が、実はほぼ同類の「ヤラセ」であること、つまり彼らの政治が日本国民にとって“非人道的な過酷なもの”であることが明らかとなっています(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061104)。


その挙句の果てが、安倍政権の「愛国心教育共謀罪導入・平和憲法放棄」関連の強引な工作と「日本核武装論」(今の安倍首相は積極的に発言していないが、過去の発言から核武装論者であることは周知の事実(参照、下記・関連記事★)で、麻生・中川らの発言を押さえようとする意志も見られない)です。なかんずく、「核武装」は“究極の人間イジメの過酷な道具”ですが、日本の安倍・麻生・中川ら「追憶のカルト」たちは、この“究極の人間イジメ&拷問の道具”がよほど欲しくて堪らず、まさに涎が滴り落ちる状態のようです(参照、下記・関連記事*)。


★『核保有論議、首相なお黙認姿勢』(2006年11月06日、asahi.com)、http://www.asahi.com/politics/update/1106/011.html


★中川「核保有」発言は、辞任に相当する!http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/f031eef6afba22fbd9b19df2c0b1ca37


http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061102
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031


たまたま、念願の鶴岡市山形県)を訪ね『蝉しぐれ資料館』も見ることができた(11/3)ので、過去に書いた映画『蝉しぐれ』の記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005)を読み直しました。それで再認識したのは、「追憶のカルト」一派の過酷な政治についての“特異なアーキタイプarchetype/原型的な精神構造)”は太平洋戦争の賜物であるどころか、やはり歴史的にもっと根が深いものだということです。


小泉政権でヌーッと亡霊の如く姿を現した「追憶のカルト」(小泉首相靖国参拝問題が象徴する)は、今、再び“日本の庶民層の人々が古来から守ってきた直向で正直な美徳、いわば普通の人間としての最低限度の感受性である他人を思い遣り助け合うという心のあり方”(=平和についての寛容で強靭な心のあり方)を、「軍国主義」という究極の暴政の責め道具をふりかざして踏みにじろうとしています。そして、無視できないのは“殆んどのメディアが、この「軍国主義」の本性を剥き出しにした「追憶のカルト」一派が見せびらかす「権力と金力(カネ)」の前にひれ伏し、追従して提灯報道を垂れ流すという現実です。


更に、無視できないのは“小泉首相靖国参拝に対する批判を繰り返した与党内のリベラル派の代表、加藤紘一・元自民党幹事長のご自宅(鶴岡市/映画『蝉しぐれ』の撮影が行われた松ヶ岡から比較的近い地域にある)が放火され全焼した事件”です。もう5年前(2002)になりますが、特別会計絡みの調査に熱心に取り組んでいた石井紘基民主党衆議院議員が殺害される事件(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA)もありました。今の日本では権力中枢の奥深いところで「熾烈な暗闘」が行われている節があります(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061104)。


その“闘争の余波”は国会、法曹界、検察、警察、行政官庁、自衛隊、教育界、マスメディアなどのあらゆる場面へ波及しているはずです。そして、特に「共謀罪」の強引な導入を図る「追憶のカルト一派の強固な意志」に関するヤラセの動向を注視すべきです。「共謀罪」の強引な導入の理由づけがデッチあげであることも既に明らかになっています(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061020)。“一事が万事”の教訓からすれば、今回の「教育改革タウンミーティング・やらせ質問」事件を見逃すべきではありません。“安倍首相が、これに関して内閣府を厳しく叱りつけた!”という子供騙しのような提灯報道に誑かされてはなりません。


下に過去の記事(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005)の一部を転載しておきます。


・・・ここから転載のはじまり。


『 ごく乱暴に言ってしまえば、その背景にあるのは一般の日本人が未だに「世界認識に関する普遍的理念」の意味が理解できていないということです。より具体的に言えば、「政教分離の原則」、「世界市民意識の役割」、「公共意識の重要性」、「生存権尊重の意義」など、国家のあり方に関する根本理念が如何に重要であるかが分かっていないのです。そして、江戸時代の日本はこれらの理念が存在しない時代でした。しかし、その時代の日本の下層の人々の中には藤沢周平が描いた文四郎やおふくのような直向で正直な人々が存在していたようです。一方、近代の西欧諸国は、啓蒙思想と市民革命の時代を経てこれらの理念を市民社会の中に定着させてきた訳ですが、残念ながら日本人の多くが漸くこのことに気づき始めたのは太平洋戦争後になってからです。


 そして戦後60年を経て、今漸くこの「世界認識に関する普遍的理念」の意味が本当に理解できるかと言うエポックにさしかかった時に、今度は、日本政府自身が恰も太平洋戦争直前の時代へ先祖がえりでもするかのように「世界の普遍理念の外にある国」へ向かって退行し始めたようです。しかも、そのような暴政の時代へ向かう、いわば「空間識失調状態」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050627)の政府を主に支持するのは「都市リベラルの浮動層」ならぬ『小泉リフォーム詐欺&厚化粧ポルノ劇場』の詐術に嵌って餓鬼のように変身させられてしまった「ヘタレ・ショタレ保守層」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050929)と呼ばれる人々です。しかも、彼らの殆んどが自己中心的な超利己主義者と化しているのです。もはや、そこでは文四郎やおふくのような江戸時代の庶民層の人々が持っていた直向で正直な美徳、いわば普通の人間としての最低限度の感性と他人を思い遣るような価値観が希薄なものとなっています。


 本来であれば、このような時にこそ国民一般に対して国家の根本的なあり方などを考えるための手掛かりや材料を提供するのが新聞・テレビなどの役割のはずですが、どうやらその日本のマスメディア自身が「空間識失調状態」に堕ちており、彼らは一方的な「政府の広報機関の役割」に唯々諾々と甘んじています。例えば、新聞社の論説委員クラスが書いた最近のオピニョン記事(複数)を読むと、このような傾向がハッキリ見えてきます。敢えて実名は伏せて数社の「総選挙後の日本についての分析記事」の中から、彼らプロを自負する新聞人の主張のポイントを抽出してみると次のように(▲)なります。


▲今回の総選挙で自民党が大勝したことに対し「マジック」だ「小泉劇場の催眠術」だ「大政翼賛」などの情緒的な批判があるようだが(ネット上のブログ記事のことか?)、こんなものは上滑りで幼稚な批判だ。


小泉首相が今の選挙制度の欠陥を知りながら、それを活かしたのは何も問題ではない。完璧な選挙制度などあり得ないので、要は今の選挙制度を最大限に活かして選挙に勝つことが肝要なのだ。ドイツの選挙での混乱に比べれば、日本の政治が安定しているのは小泉首相の手腕があってのことだ。政治の世界は勝てば官軍が当たり前だ。


NYタイムズが9.7付記事で自民党独裁が続く日本の民主主義は韓国や台湾より劣ると書いたが、これは日本の有権者の意識の変化を見ないカビが生えた日本異質論だ。日本は二大政党制への道を着実に歩んでいる。


小泉首相の欠点を敢えて挙げるなら、それは郵政以外の分野における無定見と戦略性の欠如だけだ。


 これらがジャーナリストを自負するプロによる分析の視点だというのだから驚きです。上滑りで幼稚なのはどちらなのでしょうか? ここで見られる特徴的なことは次の二点(●)にあります。一言で言えば、それはプロとしてのジャーナリズム精神の放棄であり、サラリーマン・ジャーナリストの意見です。


●現行の選挙制度である「比例代表並立小選挙区制」の欠陥を槍玉に挙げると、このことを今まで厳しく指摘してこなかったマスコミ自身の怠慢が浮上するので責任逃れを打っている。


●「政治理念」、「国政のあり方」、「政治家の資質論」などを問うという、いわば国と政治のあり方の根本を追求する姿勢が欠けており、政府の政策の後追いだけに徹している。


 マスメディアがこんなチャランポランをやっている間に「政府自身の太平洋戦争直前の時代への先祖がえり」と「日本の社会構造の二極化(貧富差拡大)のための構造<改革>」が着々と進んでいます。これを一言で言えば、日本の民主主義の劣化ということになるでしょう。』


・・・・ここで転載おわり。


(補遺/加筆)


<改革>は英語でいうとリフォーム(reform)です。建物のリフォーム業者に「良いリフォーム業者」と「悪い(悪徳)リフォーム業者」が存在することでも明らかなように、“リフォーム”(改革)と名が付けば全てが良い訳ではありません。ところが、不思議なことに、無条件で、過半の国民は「追憶のカルト」が掲げる“リフォーム”は全てが良いものだと思い込まされています。それは、「追憶のカルト」が駆使する“美人局とヤラセ”の巧みな手練手管を「御用学者」と「メディア」が世論誘導・操作の側面から強力に援護しているからに他なりません。


(参考1)下は、重要スポット(■)の説明です。各画像は添付フォトギャラリーをご覧ください。


■松ヶ岡開墾場(この地区で映画『蝉しぐれ』のロケが多く行われた)


・・・国指定史跡となっている鶴岡市松ヶ岡開墾場は明治5年(1873)に旧庄内藩士が開墾に入った地区。当時の蚕を育て生糸を生産した建物などが、そのままの姿で残されている。


■鶴岡カトリック教会(天主堂)

・・・フランスのダリベル神父(ノルマンディー出身)の全財産と一般からの寄付で明治36年(1903)に建てられた教会。その美しい聖堂の中にはブルターニュの教会から贈られたマリア像がある。これは日本国内にある唯一の「黒マリア像」とされている。この教会の詳細については、下記の公式HPを参照。


・・・なお、この黒いマリア像については下の公式HPの中に次のような記述がある。『黒い聖母は明治36年(1903年)献堂記念として、フランス・ノルマンディー州のデリブランド修道院から寄贈された。この像はデリブランド教会にある黒い聖母像の完全な複製としてフランスで作られた木の芯に石膏を被せたものである。昭和52年(1977年)にフランス国立学術研究所ドベルク美那子女子によって黒い聖母と鑑定された。日本では他に例を見ない聖母像である。』


◆鶴岡カトリック教会の公式ホームページ、http://www.turuoka-catholic.or.jp/


■藩校・致道館


・・・致道館は9代藩主・酒井忠徳が文化2年(1805)に創建した藩校。この藩校の特色は荻生徂徠の徂徠学(伊藤仁斎から荻生徂徠にいたる流れ)を取り入れたことにある。幕府の御用学問であった朱子学は「天皇徳川幕府」の結びつきの正統性の論理を強引に創造しようとした。この辺りには、今の日本の政権中枢に巣食う「追憶のカルト一派」のアナクロニズム政治に通じるもの、つまり「歴史的事実」を隠蔽しようとする「強い作為の意志」が存在する。ともかくも、致道館が取り入れた徂徠学の特徴は、その正統性の根拠を「日本古来の古言・古文」の客観的な検証から取り組もうとしたことにある。言い換えれば、それは「伝統的に広く人々の間で使われてきた日本語」の研究から積み上げようとする立場である。因みに、その教育方法は「一人ひとりの個性を十分伸ばしつつ、自ら求めて積極的に学習し、じっくり考えて、正しく根本から理解し、それを実際に生かせる生徒を育てる」ということであった。


・・・これは、あたかもリヒテルズ直子氏が「教育の多様性を実現した国オランダに学ぶ」(=現代オランダにおける教育改革の見事な成果!)の講演で説いた内容と重なり興味深い。これに比べると、今、日本政府が進めつつある「教育改革の方向」は一見すると市場原理主義を取り入れるなどの目新しさを装っているが、その内実は甚だしく時代錯誤的方向であることが分かる。


リヒテルズ直子氏の「教育の多様性を実現した国オランダに学ぶ」の講演の要旨、http://www.forum3.com/event/holland/thread001/2004111318.htm


(参考2)映画『武士の一分』について


同じ鶴岡(庄内藩)を舞台にした藤沢周平・原作の映画『武士の一分』(監督・山田洋次、出演・木村拓哉ほか)が12月1日から全国で一斉に公開されます。『蝉しぐれ』と同様に、この映画も庄内弁で語られます。


◆映画『武士の一分』公式ホームページ、http://www.ichibun.jp/


(参考3)[2006-11-04、[暴政]「美人局」から美しい「ヤラセ・国家」へ変身したのか?暴政・ニッポン]


http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061104)へのコメント&レス


・・・直接的に関係ありませんが、内容的には本稿を補足する意味があると思われるので、この「コメント(発信/ロンドン在住、イオンさま)&レス(返信/toxandoria)」を下に転載しておきます。


[コメントを書く]  


# イオン


『イオンです。御無沙汰しております。前回の拙い乱文のコメントに御丁寧にお答え頂き誠に有り難うございました。


さて今回の記事にも共感、賛同しております。全く言われるようにこのまま、政界の一部と電通を初めとする広告業界、それらに支配されたマスコミ業界、法人税減税など優遇措置を受けて自民党を支持せざるを得ない(?)大企業トップ、さらに裏でうごめく怪しげな暴力団と幾つかの宗教団体の跳梁が進めば、早晩日本はロシアの如くになる、とは私も予感しております。


ロシアでは御存知の如く、旧共産党支配者の一部と新興エネルギー産業、金融産業、そしてマフィアが結託して、口では民主主義と言論の自由を唱えながら、恐らくマフィアを使いながら政府に批判的なジャーナリストを恫喝し、ときには命さえ奪うということがまかり通っています。議会は完全に翼賛化し、モスクワなど大都市にのみ富が集中し、人種主義と排外主義が跋扈し、人口は減る一方と、これはまるで日本の行き着く先を見ているようだな、と思っていました。


また日本国民の政治意識も、ロシア国民の共産党支配とその後の経済の混乱に疲弊し、チェチェン占領と治安維持強硬策を支持して政権に圧倒的な議席を与えてしまうという政治行動の傾向に近いものがあるかもしれません。しかし日本国民は苦難の歴史を経たロシア国民と異なり、少なくとも高度経済成長期以降は経済的繁栄を享受していたのですから、政治意識を発展させる経済的余裕はあった筈です。一応制度的には民主政は機能し、戦前からの政党政治の伝統もありました。(それゆえ日本国民と比べれば、ロシア国民の状況はまだ理解出来ますし、そうせねばアンフェアでしょう。)


なぜそうならなかったかは多数の原因の複合によるものだと思いますが… 少なからぬ日本国民の政治意識の低さに批判的で警鐘を鳴らしておられるToxandria様はこの諸原因をどのようにお考えでしょうか。私はあまたある原因の一つには、左翼政党が柔軟に国際、国内の政治状況に対応出来なかったことがあると思います。確かドイツ社会民主党は1959年にゴーテスベルク綱領で階級政党から国民政党へ、マルクス主義から西欧的人道主義への脱皮を宣言し、1990年代には大分遅ればせながらイタリア共産党も党名を変更、従来の独自路線を変更し、広い意味での野党共闘に入り、政権をとる勢力のコアをなしました。これに比して現在の日本の社民、共産両党の凋落ぶりは目を覆わんばかりです。

しかしともかくこれだけでは現在の政治状況を説明するには全く足りません。日本国民の低い政治意識が作り上げられた原因の究明は、今後日本の政治をこれ以上の堕落から守るためにも、即効的効果は期待出来ず迂遠なようですが、必要であると信じております。

今後の御健筆大いに期待し、応援しております。どうぞ御自愛下さいますよう。』


# イオン


『お騒がせしております。上のコメントの最後の方に書いた「即効的効果」は「即効」に訂正致します。失礼しました。』


toxandoria 『イオンさま、コメントありがとうございます。


おっしゃるとおり、ロシアの過酷な政治プロセスと比べれば日本国民には、ある意味で余裕があったと思います。それにもかかわらず何故に日本国民の政治意識が成熟せず、むしろ退化したのはなぜか? その根本原因については未だ十分に理解できておりません。


ただ、言えるのは(1)一般に日本国民の民主主義についての理解が浅薄である、(2)革新政党が単なる批判政党の立場に甘えてきた(この点は、ご指摘のとおりドイツ・イタリアなどの欧州諸国との決定的な違いだと思います)、(3)本物のリベラリズムが定着しなかった、というような点が指摘できるのではないでしょうか。
これら三点の中で、特に(2)が欧州と日本の違いを際立たせる原因ではないかと思っています。例えば、2006年9月に、4年ぶりで行われたスウエーデンの総選挙では社会民主党を中心とするこれまでの左派連合が敗れて保守党を中心とする右派連合が政権を取っています。


しかし、これでスウエーデン社会が右傾化したと単純には言えないようです。何故ならば、敗れた左派連合の中で閣外協力をしてきた「緑の党」(環境政党)への支持が逆に4.6%→5.2%へ支持率を伸ばし、議席も増やしたからです。同じような傾向は、これからのイギリスでも起こる可能性があるのではないでしょうか?


従って、今回、スウエーデンで起こった現象は、単なる右傾化ではなく“多様化の中でのバランス回復”だと思います。これに比べると、一部の利害関係者だけが、相も変わらず、“ゲンナマ爆弾(買収行為)あるいは仕事絡みの恫喝”を受けて、一国民としての意志は棚上げにして“投票に行かされる”一方で、利害関係のない過半の選挙民は政治のあり方に無関心を決め込み“投票に行かない”という、今の「日本の民主主義の姿」はあまりにも異常だと思います。


そして、その深層には日本人独特の“お上意識”が社会的な意味での“集合的無意識”状態で頑強に根を張っているのではないか、と思っています。ただ、この点はもっと具体的に掘り下げてみるべきとも思っています。


一方、最近の日本の政治状況で気になるのは、今までは地下に隠れていたはずの黒い影(暴力団、右翼集団、カルト教団などの影)がかなり影響力を強めており(参照、下記ニュース*)、それが政治だけでなく司法・官憲、官僚組織及びメディアにも影響力を及ぼしていることです。ただ、この線ばかりを深追いすると「陰謀論のドグマ」に嵌る恐れがあるので、絶えず客観性を確保するように節度を保つべきと思っています。』


*『汚職、官製談合底なし 福島、和歌山の次は永田町』ゲンダイネット、http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2683296/detail


(参考4)11/3に撮った「鶴岡(東北のフランドル?)の写真」のフォトギャラリーを付けておきます。


■映画『蝉しぐれ』資料館(鶴岡市、松ヶ岡)

]

■松ヶ岡開墾場の風景(この地区で映画『蝉しぐれ』のロケが多く行われた)


■鶴岡カトリック教会(天主堂)


鶴岡公園の紅葉風景


■藩校・致道館


■月山・湯殿山、晩秋の夕景


■出羽二見の夕景 by http://www5c.biglobe.ne.jp/~y-sasaki/

    
【関連記事】


http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005、映画「蝉しぐれ」に見る冷酷な暴政の伝統


http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051017、映画「蝉しぐれ」の残照


http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051129、映画「蝉しぐれ」の残照(Revised)


http://www.nhk.or.jp/drama/archives/semishigure/NHKドラマ、金曜時代劇「蝉しぐれ