toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

美しいアナクロのワナに嵌った安倍政権? (補足記事)


【画像の解説】

パウル・クレー『パルナッソスにて』 「Ad Parnassum」 1932 Oil on panel 100 x 126 cm  Paul Klee Foundation  Kunstmuseum  Berne、 Switzerland

・・・パルナッソスはギリシャに実在する山で、古代神話ではアポロ神が祭られた場所とされており音楽と詩の聖地です。この絵はクレーが試みた点描的な表現で描かれていますが、同じ点描画でもスーラの手法などとは異なり、クレーは線描による図形を生かしつつ色彩の斑点を小さな間隔を置いて配置しています。クレーの音楽的な色彩のハーモニーが神話の山への賛歌を歌い上げています。

・・・ヒトラーに追われるようにして、ワイマール・デッサウでのバウハウス生活に終止符を打ったクレーは、1931年にデュッセルドルフの美術学校に迎えられますが、そこでの生活も1933年までで終わり、1933年には故郷ベルンに戻り静かな晩年の生活に入りました。


Mt. Parnassos from Delphi
(presented by Photo Library of University of Richmond Department of Classical Studies、http://oncampus.richmond.edu/academics/classics/photos/index.html


View of Delphi from Mount Parnassos
(presented by Photo Library of University of Richmond Department of Classical Studies、http://oncampus.richmond.edu/academics/classics/photos/index.html

・・・・・以下、本論・・・・・

●『美しいアナクロのワナに嵌った安倍政権?』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061208)の記事を書き終えたタイミングで、ロンドン在住のイオン様から『イジメ社会の真相/議論無用の「アンケート脳」に馴らされた日本人』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061203)に対するコメントが入り、レスをお返ししたところです。

●偶然にも、その論点と問題意識がhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061208の内容にほぼ重なるものでしたので「“fink33さま、kaisetsuさま、パルタさま”とのコメント&レス」と併せて、「補足記事」として以下に再掲しておきます。

[コメントを書く] →  『イジメ社会の真相/議論無用の「アンケート脳」に馴らされた日本人』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061203

fink33 『おとなりから飛んで参りました。お邪魔致します。

メディアリテラシにはかなり興味があって、常識程度の知識は付けようと足掻いとりますが、データリテラシゆう用語は恥ずかしながら初耳でした。多分、これは、「「社会調査」のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ」by谷岡一郎氏 にかなり近い概念やないかなと思います。

政治経済宗教だけは生理的に足をつっこめない根性無しではありますが、でも、今回のいじめ報道には、かなりの作為を感じる。報道ってのは、必ず、意図があってなされるモノやと思うのです。それは、意識的無意識的関わらず、ニンゲンが為す行為である以上、やむを得ないとは思うのですが、では、この一連の報道によって、誰が得をするのかを考えると、ちょっと、吐き気のする構造を妄想してしまったのは、自分だけや、なさそうやな、みたいな気分でおりますが。

ちょろっと立ち寄っただけやのに、若造がえらそうに、脈絡もない事を言うだけ言うて失礼致しました。また覗かしてもらいます。』(2006/12/03 11:50)

toxandoria

『fink33さま、ようこそおいでくださいました。

ご指摘のイジメ問題だけに限らず、ヤラセTM問題・カリキュラム未履修問題・耐震擬装問題・ホリエモン村上ファンド問題などには、ナゼか解せない妖しげな雰囲気が漂っています。

自治体レベルでの談合摘発にしても、何故に今なの? 何故に、このところに集中しているの? 何故に急に爆発するように始まっちゃったの? 何故に知事から中央政界の方へベクトルが“絶対に”向いてゆかないの? など、あれこれ考えると、ここにも何か不自然な妖しい雰囲気が臭います。

陰謀論には与しない立場ですが、これらの事件の周辺には誰か得している人々は必ずいるんだろうな、と思っています。

別にスキャンダル暴きを期待している訳ではありませんが、本来のマスメディアには一般市民の利益のためにこそ、その知る権利を代行するという使命があったはずです。

国際的な出来事でも似たようなことがあります。例えば、僅か1〜2ヶ月前までの“あの石油価格の暴騰”は一体何だったのでしょうか? 今はウソのように元に戻り、何事もなかったように静かです。

そして、小さな声で伝わってくるのはイスラム社会での貧富の格差がますます酷くなっていること、そして今、中東のドバイでは金余り現象と不動産バブルが発生しているらしい、ということです。

これらの疑問の背景について、メディアからは殆んど何も聞こえてきません。ただ、安倍政権下の日本では、右傾化を後押しする法案が、政府・与党が予定する日程内で見事なほどスマートに議決されている、ということだけです。

これからも、どうぞよろしくお願いします。』(2006/12/03 18:34)

toxandoria

『fink33さま、追記です。

上のレスを書き終えて、夕飯を食べながらNHKテレビのニュースを見ていたら、突然、“3日の朝に大阪高等裁判所の裁判官が兵庫県宝塚市の自宅で首をつって自殺しているのが見つかりました。この裁判官は、先月30日(僅か3日前に!)に住基ネットをめぐる裁判(2審判決)で、住基ネット憲法違反だとの判決を言い渡したばかりでした。”というニュースが淡々と、というよりも、妙にアッサリと流れたので驚きました。

これも何かとても妖しい雰囲気が漂う事件です。』(2006/12/03 20:19)

toxandoria

『kaisetsuさま、記事紹介&TBありがとうございます。

最近はtoxandoriaもテレビは殆んど見ないので、このホリエモン出演の内容(◆)は知りませんでした。しかし、このコトバを聞いただけでも、ホリエモンなる人物の“見かけの体重とは対照的な底なしの脳の軽さ”が感じられます。これは、“前頭葉の不活性が元で脳機能全体の機序が間歇的にパニックを起こし、感情コントロールが短絡的にぶち切れてしまう若者”たちと同じビョーキではないかと思います。

◆「(買収を)できるできないかで言ったら、できる可能性はありますよね。一番大きいですからね。ソニーなんかを買収して、ある程度の大きさになるじゃないですか。そしたら世界一が見えるか、あるいは世界一になって、その時点で(ライブドアを)やめようかなと」

しかし、案外、歴史のイタズラは「ホリエモン」タイプの人物を全国民が待望する英雄に仕立て上げることがあるのかも知れません。そのような空気が充満した時代に、肩身の狭い思いをさせられていた少数派の一人、パウル・クレーによって「ベルリンのとんま」と揶揄されたアドルフ・ヒトラーは、そのジャンルにおける稀代の傑物だったのではないかと思います。が、彼らは“世界一”になった後で一体何をしたいのでしょうか?

この範疇に属する“底なしに脳が軽い輩”が我が物顔で跋扈する一方で、「住基ネット違憲判決の高裁・裁判長の自殺」(11/30違憲判決→12/3自殺)のような、まるでここが「プーチン政権下のロシア」でもあるかのような、深い闇の中で得体の知れぬ何かが蠢くような事件が次々と起こる気配があります。』(2006/12/04 06:16)

toxandoria

『<注>このコメント&レスの遣り取りは別のHP上で交わされたものです。しかしストレートに当記事(内容)に関連することなので、以下に、そのまま転載しておきます。

[コメント] 国立病院職員のような公務員を、もっと上の公務員が一方的に削減するのは反対です!(パルタ,、2006年12月3日)

私は、toxandoriaさんの見方にほとんど賛成ですが、一つだけ気になる部分があります。教育・医療に関わる公務員の削減は、もっと上の公務員が勝手に決める事ではありません。我々が要求すべきなのは公務員の削減そのものではなく、公務員の削減権なのです。もちろん、市民には悪質な公務員に対するリコール権は持っています。しかし、公務員上層部が市民の意見も無視して勝手に公務員を削減する事は断じて許されない。

求められるのは、公務員の特権の剥奪であり、教育・医療・生活支援などの生殺与奪権の一方的な独占と指示です。

日本はまだまだ民主主義より官主主義が強い。しかし、官僚・大企業・大銀行の三者が高度成長の時代と比べても国民の生活を気にしているようには益々見えなくなってきました。公務員には私達に必要な仕事をしている人もいます。その中でこれは有害だとか不要だと判断するのは納税者である一般市民であって、上層部の都合だけで削減はしてはいけないのです。公務員の削減後、益々特権と権力が公務員の一部に集中する場合もあるでしょう。誰が誰をクビにするのか?公務員は選挙で選べないのです。公務員を選ぶ権利を納税者である一般市民にも与えねばならないのです。

今の政府は公務員を削減したらしたで一方的に行政サービスを下げる一方だと思います。数が減ったら役所に住民の要望が通るとは限らない。

一方的に文部省→教育委員→校長→教員→生徒のラインで指示を与えるのではなく、フィードバックで、常に教育委員は高い給料もらってほとんど仕事がないが必要なのかとか、今の文部省の教育方針でいいのかとか、保護者の意見ももっと反映させねばなりません。やらせ問題一つ取っても、今の政治はあまりにも一方向過ぎて双方向性がない。

結局、日本国民の個人一人ひとりがどれだけ大企業・大銀行・官僚に対して生活基盤の喪失による恐怖に基づく「寄らば大樹の陰」意識から脱却し、強い自己を確立するかでしょう。

細木和子は良い事もいいますが、しょせん贋眼乃見物さんの言われる「東京のまぬけ」の時代志向でしかない。彼女の言っている事にいくら感心しても、この国は前には進まない。国民の前には、もはや頼れる父親ではなくなった大企業・大銀行・官僚がいる。

公務員の削減だけなら、むしろ大企業や大銀行は税金を払いたくないからいくらでもやりたいのです。その権力すら彼らから奪わないと、この国は前には進まない。数の削減以上に、予算配分権と金が官僚の一部に集中し、国民の生死を左右している役所の構造を変えていく。

やり手の知事や市長のトップダウンよりも、もっと地域住民の合意で、ここのサービスをもっとやって欲しい、仕事をしていく上でこういう点が困る、こんな工事は金の無駄遣いだからいらない、そういう声をしっかりと汲み取る事が大事なのです。トップダウン方式のやり手は、やり手であるが故に腐敗する危険性も高いから、尚更住民参加は必要なのです。

役所にたった一人しかいなくても、それが単なる市長のイエスマンであって、全く住民の方を向いていない閉鎖的な人間なら、それは悪い事です。行政の長や官庁上層部が彼が解雇する権利があるだけで解雇される恐れがないとか、生活支援を受ける恐れがない状態の場合、どれだけ住民の立場に立とうと思っても、立ち切れるものではないでしょう。痛みを伴う改革がどれだけ自分自身に跳ね返るかというと、政官財・マスコミの上層部には全く跳ね返らないのです。マスコミ関係者はスポンサーの支援で、どれだけ教育・医療支援が削減されても食える立場にあるのです。官僚主導だと、削減されると保育所介護施設等生活に困る部分が削られ、やらずぼったくりな事業が温存される可能性がある。

どんな有能なトップに対しても、自分の住民の思いが伝わらなければ意味がない。一人の英雄による指導より、全ての住民の英雄的な動きが大事なのだと思います。

日本人はもっと英雄の心を疑う強い自己を持つべきだと思います。英雄は恐ろしい死神かも知れないのですから。

[レス]更に、日本の闇が深まってしまいました(toxandoria、2006 年12月4日)

パルタさん、toxandoriaです。

所論に、ご賛同いただきありがとうございます。ただ、ご指摘の「公務員削減の問題」についてはtoxandoriaも同じ考えであることを先ずお伝えしておきます。ここでtoxandoriaが意図したのは、データリテラシーにかかわるトリックの典型事例を示すことでしたが、もう少し文脈上での取り扱いの工夫が必要であったと反省しております。

ところで、おっしゃるとおりのことですが、教育・医療・福祉・文化に携わる公務員の数は徒に減らせば良いということにはならないと思います。むしろ、グローバリズムの時代であるからこそ、そのグローバリズムが科学的・地球環境的な観点からして限界が見えていることからすれば、そして、真のグローバリズムとは人間の精神環境の広がりにこそ求めるべきであると思われることからすれば、直接的に“こころ”と“いのち”を取り扱う仕事に携わる公務員の数は、状況次第では、むしろ増やすべき場合もあると思います。

例えば教育のケースを見ると、教員一人当たりの生徒・学生数が多くなればなるほど生徒・学生と教員との間のコミュ二ケーションが十分に取り難くなることは明らかなので、発想を変えて、この比率関係をある程度まで逆転させることでイジメ問題解決のためのヒントを発見する可能性が広がるのではないかと思います。
しかしながら、恐るべきことに、今の日本の現実は何事につけ例外は容認しないという方向へ突き進んでおり、このように当然視されるべき考え方から現実がどんどん離れています。ご指摘のとおり、その大きな原因の一つが「公共意識・市民意識の不在」を日本伝統の(?)「親方日の丸意識・他人事民主主義・官製民主主義」(=お上意識、何でも他人ごと意識)が後押ししていることです。

そして、このような日本国民の弱点を徹底的に悪用したのが、あの「小泉劇場」だったと思います。特に、「2005.9.11衆院解散クーデタ」の罪は重いと思っています。これは明らかに憲法違反です。これは“憲法違反なんか大したことではない!”と小泉前首相が言ってのけたことと同じであり、「日本国民の公共意識の不在」を手玉に取った小泉流の暴政的な国民イジメ方式が日本社会の隅々まで根深く浸透し、その病巣があちらこちらへ転移してしまいました。

昨日、「住基ネット違憲判決の高裁・裁判長自殺」のニュースに驚かされましたが、考えてみれば、これも“憲法違反なんか大したことではない!”という「2005.9.11衆院解散クーデタ」の延長線上で起こるべくして起こった事件ではないかと思われます。

違憲判決(11/30)を言い渡した後、わずか3日目の高裁・裁判長の自殺という、この事件のあまりの不自然さから「「公」と結託したマフィアの暗躍が噂される、ロシア・プーチン政権下の連続粛清劇」を連想してしまいました。

日本の闇が更に深まった感じがします。とうより、「小泉→安倍禅譲政治」によって、もはや日本はマフィア国家になってしまったのかも知れません』(2006/12/04 06:50)

イオン

『今日は。御無沙汰しております。イオンです。

さて今回の記事もクレーの絵の解釈、ヨーロッパ右派政党の諸傾向など大変勉強になりました。

ナチスは御指摘のようにクレーやカンディンスキーの絵に「頽廃芸術」のレッテルを貼り、さらにその一方で全く懐古主義的な古くさい、擬ロマン主義的な作品を集めて毎年のように「大ドイツ芸術展」なるものを開催していたようです。ナチスの芸術観については監督名、制作者名、制作年など正確なデータを全く忘却してしまい申し訳ないのですが、1990年代初めにスウェーデンで制作された「運命の設計師」The architect of doomという記録映画が面白いことを指摘していました。

つまり、ナチスの美意識は全く小市民的、懐古趣味的なものであったこと、だがそれが当時のドイツの衛生思想、さらにはイギリス伝来の人間にも適者生存法則を当てはめる社会ダーウィニズム思想と結びつき、「古き良きドイツの伝統と清潔さを汚すユダヤ人やその他の社会不適応者からドイツ社会を浄化(=衛生上の処理!)すべし」というホロコーストの思想の成立に一役買ったとしています。そしてホロコーストは、全くプロイセン流の軍国主義とはいっさい関係のない、civil violence(文民のふるった暴力)であると結論づけています。

かの安倍晋三氏が「美しい国へ」(「憎いし、苦痛」?)をスローガンに掲げ、Toxandria様の言われる追憶のカルトへひたすら没入する有様は、全くナチスの論理の少なくとも一部を日本の地へと輸入したようにしか思えません。また教育基本法を「改正」し、愛国心を児童・生徒への強制が、特定の美意識に結びつくと、まさしくこの「美しい国」を愛さぬ者=その価値に反対し体制を認めぬ者は排除すべし、という政治的、社会的少数派を排除する論理が成立する可能性が出てきます。確かヴァルター・ベンヤミンが言った言葉だと思いますが「ファシズムによる政治の美学化」が日本で進行しているのは明らかです。

第二次大戦の際、日本はmilitary violenceの主導下に滅亡の道を歩んだように見えますが、今回は「運命の設計師」の言うようにcivil violenceが猛威をふるうことになるのでしょうか。これは軍拡論者の殆どが制服組でなく(やはり公務員の規則上言えない?)文民であることからも言えるかもしれません。

ヨーロッパ右派政党論へのコメントはちょっと私には勉強不足で難しいものがあります。ただ私には単に彼らは自文化至上主義者、形を変えた中華思想論者、さらには強制的同化論者であるように見えるのですが... 別にレッテルを貼って、切り捨て御免をするつもりはありませんが、ある社会が共通の価値を標榜すると、いくらその社会が民主的であってもそこから排除される人々が出て来るという、社会統合上の重要な問題がここに見られることを指摘しておきます。

また国によってはホスト社会の人口の10%近くに達するムスリムを中心とした移民や外国系市民の存在は、ともかく右翼勢力にもその運動参加へのハードルを低くせざるを得ない(?)ほどの社会統合へのチャレンジといっていいでしょう。

日本の右翼や保守派がこれ程、大胆な方向転換が出来ぬのは、彼らが御指摘のように「不勉強」なのかもしれませんが、原因はそれだけでなく日本社会はそれ程のチャレンジを感じていない、あるいはそこには未だない(!?)、それとも深刻な現実が隠蔽または忘却されているためか、興味深い問題がここにはあると考えます。

(ちなみに当地英国の右翼政党「ブリテン国民党」(BNP)はやや「不勉強」でムスリム差別する意志などないと言いつつも、イングランド人・スコットランド人・ウェールズ人・アイルランド人など「伝統的」に英国を形成してきた民族のための英国を標榜しているようです。)

またもや長文かつ乱文で失礼しました。今後とも啓蒙的な記事の御執筆、大いに期待し、かつは応援しています。』(2006/12/07 10:33)

イオン

『お騒がせしています。上の投稿への訂正です。

「軍拡論者の殆どが制服組でなく(やはり公務員の規則上言えない?)文民
→「軍拡論者の殆どが(やはり公務員の規則上公然と言えない?)制服組でなく文民」に訂正

「右翼勢力にもその運動参加へのハードルを」→「右翼勢力もその運動参加へのハードルを」に訂正。

「「伝統的」に英国を形成してきた民族」→「「伝統的」に英国を形成してきたと言われている民族」に訂正。

どうもお騒がせしました。失礼します。』(2006/12/07 10:42)

toxandoria

『イオンさま、おはようございます・・・とはいっても、そちらロンドンは真夜中でしょうか。

いつも懇切なコメントをありがとうございます。今回は、たまたま書きかけていた「新しい記事の内容」(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061208)とイオンさまのコメント内容に重なる部分が多いので驚いています。

今、toxandoriaが思うのは、これほどのグローバリズムと情報社会であるにもかかわらず、日本は世界の流れから少なくとも10〜15年くらい遅れているのではないか、ということです。

例えば、アメリカのイラク戦争の失敗と中南米における新自由主義政策の失敗の表面化(相次ぐ反米左派政権の誕生)によって、漸く、日本のメディアの一部でも、世界中に広がりつつある“貧富格差の解消問題”こそが愁眉(アルカイダなど過激派への対策としても)の課題で、ワシントンコンセンサスの誤りを率直に認めつつ、現在の市場原理主義のあり方に修正(新しいタイプのグローバリズムを模索する動き)が必要だとする論調が出始めるようになりました。

しかし、欧米では、一般市民も含めて、この問題の存在が既に1990年代の始め頃から問題視されてきており、それ故にこそ、ネオコン主導のブッシュ政権に対する過半に迫る市民層からの批判の声が、今まで絶えることなく持続してきた訳です。

ところが、今の日本の政治状況や一般的な市民意識はとてもその段階まで到達していません。例えば、日本経済新聞などの経済・ビジネス関連の先端情報をウオッチしていると、5〜10年前に欧米では既に軌道修正に入ったモデルを、これから今の日本で積極的に取り入れようとするようなことが、時折、目に入り驚かされることがあります。

その上、たまたま数日前のことですが、保守系のある新聞紙上で“安倍政権の守護神”の立場にある某圧力団体の代表格である某知識人が「太平洋戦争で日本が負けて自信を失ったことは事実であるが、我われ日本にはヒトラー時代の頂点を飾ったナチス・ドイツとの「あの生きいきした輝かしい交流の時代」があったことも歴史上の誇りであり、忘れるべきではない」と語っていることを知り愕然としました。

聞くところによると、量子物理学の世界では、リアルに量子を捉えようとする場合に必ず起こる、厄介な“認識の遅れの問題というもの”があるそうですが、どうやら、日本の社会全体が、このような意味での「リアリズム認識の遅れ」という罠にスッポリ嵌っているような気がします。

ご指摘のcivil violenceの問題も重要な視点だと思います。アメリカのアフガン・イラク両戦争の場合、最も冷静な発言をしたのは前線を預かる軍人たちであり、また、そのトップを掌握する将軍たちでした。反対に“行け行けドンドン”の太鼓を打ち鳴らし、超過激だったのはラムズフェルドら文官のcivil violence的な発言でした。

現代日本の「核武装論」にしても然りです。ロジカルに過激な発言をしているのは、ことごとく文官たる政治家か知識人(御用学者)たちです。しかし、この問題は、最終的には文官のみならず「市民意識の問題」になると思います。偶発的・意図的な開戦の端緒は別として、戦争全体への支持を与えることが出来るのは市民だからです。この観点からすると、市民レベルへ「civil violenceの制御」のために、適切な判断材料を提供すべきメディアの役割が、やはり、とても重要になると思います。

1990年代初めにスウェーデンで制作された「運命の設計師」The architect of doomという記録映画のご照会ありがとうございます。大変に興味深いドキュメンタリーなので、機会があったら是非とも観たいものだと思います。

イギリスの右派思想についてですが、最近観た映画『上海の伯爵夫人』(http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/200611、 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061031)の原作者カズオ・イシグロ(5歳頃に両親とともにロンドンへ渡った英国籍の日本人/それ以前に彼の両親は上海に住んでいたことがあるようです)の英国文学界での高い評価などをみると、イギリスでは基本的に外国人排斥の感情が小さいように思われるのですが、この点は、いかがなものでしょうか?

お仕事がご多忙の様子、御自愛ください。今後とも、どうぞよろしくお願いします。』(2006/12/09 10:30)