toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

背任列島シリーズー4

【画像の解説】


ゴヤ『自らの子どもを喰らうサテュルヌス』Goya y Lucientes(1746-1828)Saturn Devouring One of His Chidren c. 1820-23. Oil on canvas 146 x 83cm Museo del Prado 、Madrid, Spain.

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■背任列島シリーズー4:小泉劇場の置き土産(3)

(妖怪じみた“バベルの塔”造りのマイナス波及効果の事例)

これは、安倍政権の責任というよりも、その殆んどは無責任でヤクザな前任者・小泉首相の蒔いた種の果実ですが、今や、まことに恐るべき「マイナスの波及効果」が観察されるので、以下にまとめておきます。この恐るべき波及効果の究極のリアリズムは、「すべての国民に対して平等に緩慢な死へ向かうチャンスをもたらすことも厭わない」というゴヤの絵画『自らの子どもを喰らうサテュルヌス』が表象する権力亡者たちの姿です。別に言えば、それは“アッチの世界の住人となっている(悪魔に魂を売り払った)『市場原理主義信仰にとり憑かれた冷酷で無慈悲な権力亡者たち』”の姿です。


だから、このように冷酷で残忍で非人道的な「マイナスの波及効果」を前提とする「美しい国、ニッポン」のイメージは決して明るいものではあり得ません。そして、この“すべての国民、平等、緩慢な死”という悪魔のスペルで“仮想Webをググって(Google検索して)”みると、仮想ページ上で第一位のヘッドラインに表示される語群の中で不気味に点滅するのは“A-sahara、T-kenaka、K-izumi、H-orie、A-be”の語群です。しかし、残念ながら、これら五つのミステリアスなWordsの組み合わせが、これからの日本社会へ、どのように具体的な破滅的影響をもたらすのか正確にシミュレーションができません。いずれにせよ、これら五つの面妖なイメージの語群が、「構造改革」なるものの恐るべき結末を暗示しているように思われます。しかし、我われ一般国民の一部または多くが、この語群に登場する異様な権力亡者たちと熱烈に共鳴し、彼らを篤く支持し、今も支持していることは歴史的な現実です。まことに恐るべきことです。


①「この親(政府)にして、この子(日本を代表するトップ企業)あり!」を絵に描いたような“寄生資本主義”の醜態=トヨタ自動車の「輸出戻し消費税」関連疑惑


12月30日付の各報道によると、名古屋国税局の税務調査を受けたトヨタ自動車が、2004年3月期までの3年間に約60億円の申告漏れを指摘されていますが、実は、同社には、これ以前からあまり芳しくないマイナー情報(というより、日本を代表するトップ企業としては、とてもセコ過ぎる情報?)がまとわりついています。例えば、その一つは輸出業務に関する「輸出戻し消費税」の問題です。これは、輸出業者に対する「ゼロ税率制度」という税法上の制度があるため発生するもので、例えばトヨタ自動車は2004年度に1,964億円もの還付税(輸出戻し消費税の還付金)を受け取っています。これは、輸出売上げにゼロ%をかけ、そこから仕入れ売上げにかかる5%分を差し引くという計算方式から発生するマイナス額が計算方式上の解釈から「輸出戻し税」として還付されるものです。この計算プロセスで還付額と消費税額の相殺が行われるため、結果的にトヨタ自動車の場合は消費税を1円も払わず、逆に、他社や一般国民などが納めた消費税の中から多額の還付金を受け取っていると関東学院大学法科大学院・湖東京至教授などが指摘しています(詳細の経緯は下記記事★を参照乞う)。

★『2005.10.5付toxandoriaの日記、アートと社会/映画「蝉しぐれ」に見る冷酷な暴政の伝統』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005


ただし、この問題自体は見かけ上セコイように見えるだけで違法性はないと思われます。なぜなら、「消費税の輸出戻し税」を純粋に消費税の仕組みの観点からだけ見れば、輸出企業は消費税を仕入れ代の形で前払いしているので「輸出戻し税」の還付を受けても問題はないことになるからです。しかしながら、現実的にはトヨタ自動車のような大企業は、当然のこととして、取引上の力関係から弱小の下請企業に対して強大な支配力を持っています。このため、たとえ外見上は消費税分が下請企業に対して前払いした上で自らの仕入れ代にかかわる消費税として転嫁された形になっているとしても、強い立場にある大企業側から何がしかの値引き要求(値引き要求の圧力)があれば下請企業として断ることは困難なのが現実で、これが殆んど恒常化している節があるのです。つまり、このことが大きな問題となるのです。結局、このような取引関係上の事情(親会社と下請企業の力関係)が背景となって、強い立場に立つ大企業側は「仕入れ代にかかわる消費税負担を現実的に逃れることができる」とともに「下請けが負担して納めた消費税部分の還付を受け取ることが可能」となる訳です。このような意味で、やはり「消費税の輸出戻し税」は輸出の比重が大きい大企業の大きなメリットとなっていることが考えられます(消費税が転嫁されるメカニズムの詳細は下記記事★を参照)。

★消費税の仕組み
http://www.nta.go.jp/category/pamph/syouhi/h17/pdf/02.pdf
★林 佳宏:消費税の課題
http://commerce01.doshisha.ac.jp/ykawabata/1998/Ronbun/hayashi.pdf
★林 明(税理士):輸出企業に消費税が還付される仕組み
http://hb8.seikyou.ne.jp/home/o-shoudanren/hayasi.pdf.pdf


小泉政権時代の経団連会長がトヨタ自動車の奥田 碩・取締役会長であったことを考慮すると、このような真にセコイとしか言いようがない利益計上の仕組みは、まさに「この親(政府)にして、この子(日本を代表するトップ企業)あり!」を絵に描いたように醜悪な「政財の濃厚なラブシーン」です。これまで見てきた「小泉劇場の置き土産(1)〜(3)」のバラバラで冷酷な[暴政]こそが、このような「日本を代表する民間大企業の悪弊」(=寄生・吸血資本主義的な経営スタイル)を許容する口実、またはその背景となっている可能性があります。もし、これが紛れもない実態であるなら、別に言えば日本は“あざとい泥棒資本主義”の国ということになるでしょう。


②「貧富差拡大」と「人心荒廃」の連鎖・共鳴・干渉で底なしに内向化する日本社会


1月12日付けの報道(共同通信時事通信など)によると、内閣府が同日に発表した2005年度の国民経済計算では家計の可処分所得のうち貯蓄に回した割合を示す貯蓄率が前年度より0.3ポイント低い3.1%となり、統計を取り始めた1955年度以来の過去最低を更新したそうです。この貯蓄率低下の傾向は8年連続であり、ピークの1975年度(23.1%)から実に7分の1弱まで規模が縮小したことになります。この背景には、賃金などの収入の伸びが低いこと、及び高齢者世帯が貯蓄を取り崩していることなどがあるようです。このため、わが国の「無貯蓄世帯の割合」も約25%(4世帯のうち1世帯が無貯蓄)にまで拡大しています。


また、これに先立ち1月5日付の毎日新聞は「欧米と比べると日本の所得再分配が低所得層に恩恵が薄くなっている」と報じています(http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2954887/detail?rd )。それによると、内閣府経済社会総合研究所の太田清特別研究員(日本総研主席研究員)が「日本では税や社会保障による所得再分配の恩恵が欧米と比べ低所得層に薄い」と指摘するレポートをまとめており、そのレポートは“日本は税金や社会保障負担を引く前の所得では欧米平均より格差が少ないが、所得再分配した後の可処分所得では格差があまり改善しない”と指摘しています。このレポートは、日本の「税+社会保障」の負担率が低所得層では欧州並みであるが世帯年収が500万円以上(平均)の層では欧州より低いことがその原因と考えられます。ドイツでは、再分配によって低所得層の所得と平均所得の格差は20.5%も縮小したが、日本では米国の5.4%より小さい2.0%の改善にとどまると分析しています。 また、経済協力開発機構OECD)の調査(2000年)によって「所得がその国の平均的な水準の半分に満たない人口の割合」を示す「相対的貧困率」について見ると、日本は米国に次いで第2位となっています。 これらのことから、太田氏は“現在の日本の所得再分配の制度は、低所得層に恩恵が薄く、相対的貧困率を高めている”と見ています。


小泉政権下における「過剰に市場原理主義的な改革手法」及び、その「余りにも“あざと過ぎる”ヤクザ流儀あるいはマフィア流儀の恫喝政治」(この具体的内容については、下記記事★など「toxandoriaの日記、アートと社会」のバックナンバーを参照乞う/特に、当記事と共鳴するバックナンバーは【★『2005.9.3付、toxandoriaの日記、アートと社会/日本が取り憑かれた「ワグナー型劇場政治」の病理学(試論)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050903】です)が「貧富差の拡大傾向」に大きな影響(マイナスの波及効果)を与えていると考えられますが、同時に、その最も根深い部分では、やはり上で述べた「小泉劇場の置き土産(1)〜(3)」などが、ボディーブローのように効いていると考えられます。このような意味で『人を人とも思わぬ現在の日本政府による、日本国民(国家の主権者たる!)に対する居丈高な“お上意識”による冷酷な仕打ち』こそが、近年の日本社会で連続・多発する「猟奇殺人事件、深刻なイジメ事件と自殺者数増加傾向の高止まり、多発する家族間の陰惨な殺し合い」など、余りにも悲しすぎる“内向きな人心荒廃”(=“信用・信頼”と“人間の絆”の崩壊現象)の淵源ではないか、と思われます。

★『2006.7.25付、toxandoriaの日記、アートと社会/ ワーキング・プア社会を放置する「日本の政治権力者と御用学者の底なしの貧困 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060725
★『2006.6.15 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「総括・小泉改革」、それは冷酷な「日本のハイリスク・ハイリターン 社会化』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060615
★『2006.5.09 付、toxandoriaの日記、アートと社会/小泉流「狂気のリアリズム政治」で“地獄変”化するニッポン 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060509
★『2006.3.28付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「格差拡大の時代」(政治的事故)を予見したポール・ヴィリリオに学 ぶ』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060328
★『2006.3.15 付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 日本の「格差社会の拡大」を助長する「情報の非対象性」の問題 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060315
★『2006.3.12 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「ヘタレ民主党」崩壊の灰塵を背に浮上する『軍事国体論の亡霊』 http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060312
★『2006.2.27付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 映画『オリバー・ツイスト』に見る小泉劇場『劣等処遇原則』(格差主 義の原像)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060227
★『2006.2.21付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「国民の人身御供」を容認する「残忍な金融資本主義国」、ニッポン 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060221
★『2006.2.4付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「真の構造改革と民営化」のための根本課題とは何か?』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060204
★『2006.2.2 付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 小泉首相の開き直り「格差論」/外道の喧嘩場と化した国会 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060202
★『2006.1.26 付、toxandoriaの日記、アートと社会/“OPERA、Koizumi & Horiemon's Love Game” is Over ! 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060126
★『2006.1.22 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「神憑る小泉劇場」と「ホリエモン」が煽ったトリクルダウン幻想 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060122
★『2006.1.18 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「株価擬装・耐震強度擬装」と「小泉オレ劇場」のロンド(輪舞) 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060118
★『2006.1.12付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「サルのマスタベーション」化するマルチチュードの世界 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060112
★『2006.1.9付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「幻想のセレブ経済」にパラサイト(寄生)する大増税時代の始まり』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060109
★『2006.1.8 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「グローバリズムの進展で崩壊の一途を辿る「日本の原風景」」の波紋 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060108
★『2006.1.7付、toxandoriaの日記、アートと社会/グローバリズムの進展で崩壊の一途を辿る「日本の原風景」』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060107
★『2005.12.19付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 『小泉劇場』が培養する悪徳の栄え/耐震構造偽造問題の深層』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051219
★『2005.11.16 付、toxandoriaの日記、アートと社会/小泉流「自己陶酔の美学」がもたらす日本ファシズム化への誘惑』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051116
★『2005.11.14 付、toxandoriaの日記、アートと社会/「小泉劇場」の七つの大罪/「ポスト小泉体制」を批判する心構え』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051114
★『2005.10.05 付、toxandoriaの日記、アートと社会/映画「蝉しぐれ」に見る冷酷な暴政の伝統』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20051005
★『2005.9.23付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 「国家理念」及び「温かさと緻密さの眼差し」が欠落する小泉劇場政治』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050923
★『2005.9.18付、toxandoriaの日記、アートと社会/『踊るポンポコリン化した小泉劇場』の深淵を探る』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050918
★『2005.9.14 付、toxandoriaの日記、アートと社会/小泉劇場で『政府の民営化』が実現した先にあるものとは? 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050914
★『2005.9.10付、toxandoriaの日記、アートと社会/ マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(2/2)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050910
★『2005.9.7 付、toxandoriaの日記、アートと社会/マスコミが報道しない“小泉劇場”の暗部(1/2) 』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050907
★『2005.9.3付、toxandoriaの日記、アートと社会/日本が取り憑かれた「ワグナー型劇場政治」の病理学(試論)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050903
★『2005.9.1付、toxandoriaの日記、アートと社会/ 『郵政焦点・総選挙』(付“飾り窓の女”)で何を隠蔽するのか?』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050901
★『2005.8.29 付、toxandoriaの日記、アートと社会/『小泉H.C.ポルノ劇場』が蹂躙するエクリチュールhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050829


そして、「贈収賄事件などは当然と言うが如き背任的・犯罪的な国会議員等政治権力者の増殖、ホリエモンらのような反社会的・非倫理的企業経営者の増加、高級官僚等公僕による背任的犯罪の増加、悪魔に魂を売り払ったような軽薄又はカルト的な御用学者の増殖、貧困層・貧困世帯及び年収100万円以下の極貧世帯・超極貧世帯の増加、ワーキングプアと新ロスト・ジェネレーション層の増加」などが次々と連鎖ループを形成し、それが「巨大な負のうねり」となり社会システムの基層を直撃しているのが現代日本の実態です。いいかげんに『美しい国』などという、まるで日本という国を美容整形でもするかのような軽薄きわまりない「上げ底言葉」(“ハケンのヒンカク”や“納豆ダイエット”のように無意味な美辞麗句で飾り立てたインチキ放送番組も含めて)はキッパリとかなぐり捨てて、地に足がついたヒューマンな政策へ一刻も早く転換するべきです。


やみくもの市場原理主義グローバリズムの呼応による、地球環境の破壊と世界的な貧富差拡大傾向についての予測値を踏まえると、このようにグローバルな破局を回避するための残り時間は少なくなっています。そして、既述の「スターン報告」と「映像詩プラネット」は、その重要な取り組みのために残された時間は僅か向こう10年に過ぎないと指摘しています。この間に手をこまねけば、向こう50年で人類は確実に絶滅の危機に突入する恐れがあるのです。従って、今こそ、我われ人類は、16世紀オランダの人文主義者(ユマニスト)、デジデリウス・エラスムス(Desiderius Erasmus/ca1467−1536)の次の言葉(→)を肝に銘じ、先ず、自分一人ひとりができることから行動に移す必要があります。→『疑わしいことを問うのを恥じるな、過ちが正されるのを恥じるな』

[参考図表]貯蓄ゼロ世帯率など社会格差に関する各種統計(“しんぶん赤旗”/http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-01-28/2006012803_01_0.htmlより引用、部分転載)



(独断&偏見的な提言=緊急に日本政府が取り組むべき基本的方向性)


(注)以下の記述は、独断と偏見であることを強調するため、敢えて文体を“である体”で統一する。


◎以下、四つの方向性について強いメッセージを発信し、日本政府に対する内外からの信用を回復するとともに、「人間主義的(ユマニスム的)な改革」の実現可能性を具体的に示して見せることが肝要である。


(1)「与野党にまたがり噴出中の巨額な不正政治資金問題の実態解明と改善策の検討」、「耐震擬装事件の震源の可能性が疑われる構造計算ソフト『スーパービルドSS2問題』の解明」、「消費税を加算した現行GDP算出方式の問題の改善」(修正グロスアプローチ方式/内閣府・93SNA統計手法解説書による)など、過去から未来へ繋がる政策の根幹、つまり原理原則にかかわる諸問題について、政府としてのアカウンタビリティ(説明責任)を果たす。


(2)「市場原理主義的な雇用条件整備」の根本的見直し=日本版ワッセナー合意(オランダモデル)の検討(バカげているほどカルト的な現在の格差拡大主義の軌道修正)


1982年11月に、オランダでは「ワッセナー合意」(=オランダモデルの原点)が結ばれた。ワッセナーはオランダ経団連会長の自宅がある場所の名称で(ハーグの北、約40km)、ここに首相、労働団体幹部らが集まり三者合意を締結した。その合意の要点は次のとおりである。


労働団体は賃金抑制に協力する(それまでの不況下での過剰な賃上げを抑制)
●使用者団体は、雇用を拡大しつつ時短を実現する(ワークシェアリングの実行)
セーフティネットの充実とバランスさせるため、それまで不公平になっていた高額所得者の減税を実施する
●「同一労働同一賃金」の原則で労働市場の柔軟化を図る(『差別禁止法』を制定して、正規労働者と非正規労働者の全ての壁を取り払う/賃金・労働時間・有給休暇・解雇条件・特別休暇・育児休暇・失業手当・年金・試用期間などの全てを平等に扱う)
社会保障制度の見直し(給付中心の社会保障から雇用中心の社会保障への見直し)
●IT革命による雇用拡大可能性(Employability)の具体的追求(業務のIT化による省力と併行して全く新しいビジネスの可能性を探り、IT革命と新たな雇用拡大を絶えずバランスさせて「IT革命→雇用喪失」のバカげた負の連鎖を断ち切る/IT(機械、メカ)が主役ではなく、生身の人間が主権者だという発想へ転換する)


<注>オランダモデルの土壌

・・・元々、彼らが住み始めた土地の殆んどが海面下に等しい湿地帯という悪条件であるため、オランダ人たちは様々な困難を克服しながら、気が遠くなるほど長い歴史的な時間をかけて、自らの努力で治水・利水技術の開発と自らが住まう国土の建設に取り組んできた。他方、その特異な地政学的環境は、ヨーロッパ諸国を始めとする異国の人々との間での異文化交流を促すという、まさにグローバリズムの坩堝でもあった。このような特色から、オランダの文化(オランダの光)の根本には、あらゆる異質な要素を統合しつつプラスの方向へ纏め上げてゆくという独特のしなやかさを伴った強い個性(Integrated-Approach)が潜在している。やがて、それがオランダの人々の精神と風土に深く滲みこみソフィスティケイトされる中で、17世紀オランダのユマニスト、エラスムスの寛容の精神が生まれた。このようなオランダ文化の個性的土壌からオランダモデルが誕生した訳である(詳しくは下記記事★を参照乞う)。

★『2006.9.28付toxandoriaの日記、アートと社会/2006年、夏のフランドル(オランダ・ベルギー)旅行の印象/オランダ・総集編1』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060928


(3)「社会的経済の理念」(日本社会発展のための公正な経済を目指す)及び平和主義・地球環境保護ヒューマニズムに基づくゴルディロックス成長(ほどほどの安定成長)を目指すという国家意志を宣言する


安倍流「美しい国」の改革方向は、内需拡大(国内消費の一層の拡大)が目下の大命題であるにもかかわらず、相変わらず「小泉改革から引き継いだ、アナクロで、カルト的で、狂信的で、かつ貧相な格差拡大主義のドグマ」に呪縛されている。別に言えば、今の安倍流「美しい国」の改革方向は視野が狭く、あまりにも愚かしい短期利益指向型である。ユマニスムと地球環境問題を視野に入れるならば、少子高齢化へ向かう時代だからこそ、それぞれ能力差があるとはいえ日本国民の全てが貴重な人材と労働力であるとともに貴重な消費者でもあることが理解できるはずだ。しかし、大方の企業経営者も同じようなバカらしいカルト的な呪縛に囚われている。


別に言えば、表現が汚くなるが(しかも、敢えて男女差別的、セクハラ的であることを承知で言えば)、フリードリヒ・ハイエク、ワシントン・コンセンサス、ネオコン一派が代表するアメリカ型市場原理主義に心底から恫喝された現代日本の多くの政治家・官僚・御用学者及び経営者たちは、皆、その小さ過ぎるキンタマが更に奥の方へ小さく縮みあがり全身総毛立ってしまう『キンタマ萎縮型・臆病』(der Hodenatrophie)という名のビョーキを患っていると思われる。根本から発想を変えるため、オランダ・モデルを参考としつつ、適切な労働分配率に配慮した長期戦略的観点から世界に冠たる「平和主義&省エネ技術国家・日本」の繁栄を目指すことが、流行の言葉で言えば“ゴルディロックス経済”の下で持続的な安全と安定を確保しながら最大の利益をもたらすはずである。まさに崖っぷちの今こそが、そのための知恵の出しどころではないか。


(4)内発的な国民主権のレベルから発想する、きめ細かな社会システムの研究


市町村合併道州制導入、教育改革なども結構だが、“いかにもセレブで偉そうなコナトウス(Conatus)型の二・三世の世襲政治家たちが上から下へ民主主義を賦与すること”を有りがたがる“お上意識信仰ともいうべき特異な日本人の精神環境”を変革せぬかぎり、これから何をやっても、どれだけ小細工してみたところで今の日本社会の混迷状態は解決できないと思われる。最も重要なのは、お上から与えられる「形式民主主義」から「国民主権を尊重する内発型民主主義」へ向けて発想を転換することである。別に言えば、それは「アクティブ(又はラジカル)民主主義」とでも言うべきかもしれない。無論、それはブッシュ大統領や小泉前首相のように先制攻撃で悪の枢軸から民主主義を奪還するというようなコトではない。それは、憲法の授権規範性の意味を最大限に尊重し、せめてEU型のような民主主義のあり方をめざすべきだということだ。拡大EU憲法問題(EU憲法)で頓挫したように見えるが、決してそうではないと思われる。EUは、今、アメリカ型の市場原理主義を制御しながら自由・平等・連帯・公正など民主主義の根本となる価値観を現実に合わせて再定義しようと模索し、呻吟しているように見える。また、その根底にはドイツの率直で徹底した戦争責任への反省ということもある。ともかくも、小泉劇場を引き継いだ「安倍の美しい国」は、このような「本当の美」からあまりにも懸け離れすぎている。以下に、内発型で、きめ細かい「社会システム研究の事例」を二つ挙げておく。


<注>コナトウス(Conatus)について


▲17世紀オランダの哲学者スピノザ(Baruch De Spinoza/1632-1677)によれば、人間は“本性的に自らの存在そのものを限りなく欲望する生き物”であり、この本性的な人間の性質をコナトウス(Conatus)と名付けた。そして、コナトウスは経済力・政治権力・技術力・知識力・情報力をまとった人間に特に強く現れるようになり、この種の人間が集団化して自らのグループ仲間や階層を守ろうとするクピディタス(Cupiditas/集団としての利己的な意志・欲望・自衛願望)を持つようになり、やがて彼らの“欲望”は更に限りなく深まり、彼らは人間社会に深く寄生する、まことに功利的な生き方を選ぶようになる。このような訳で、コナトウスは社会にしぶとく寄生して生きる階層の人間を指すことになる(参照、http://fr.wikipedia.org/wiki/Conatus)。


▲古典的な意味での代表的なコナトウスは絶対王政時代の専制君主、貴族、特権的聖職者、特権的官僚、大地主などの階層グループであるが、更に社会システムが複雑化し多様化した現代の民主主義社会では様々なタイプの「寄生的な人間集団」が生まれており、その代表格が世襲・寄生政治家たち(日本の小泉・安倍・麻生・中川・石原など)、世襲高級官僚、御用学者、御用マスコミなどである。特に、現代日本の政治では、御用学者・御用マスコミとポピュリズムを巧みに操り「僭主」化した、小泉・安倍ら寄生政治家による深刻な弊害(民主主義政治の劣化)が次第に大きく目立ち始めている。


▲また、高度情報化とグローバリズムが絡み合ったウエブ社会化の傾向が深まるにつれて、例えばGoogleタイプの企業や、その企業が提供する巨大化したWebネットワーク型情報データベースやキーワード検索サービスにドップリ漬かって生きる、別にいえば古典的な意味での「生身の人間関係社会」から遊離して生きるタイプの人間や企業群が増殖しつつあるが、これらは新しい種類のコナトスの発生と見做すことができる(参照、佐々木俊尚著『グーグル―Google 既存のビジネスを破壊する 』(文春新書)/2007.1.21放映・NHKスペシャル、総合テレビ番組『グーグル革命の衝撃〜あなたの人生を“検索”が変える〜』)。バイオスフィア(Biosphere/地表にごく薄く張り付いた生物圏/the outermost part of the planet's shell ? including air, land, surface rocks and water ? within which life occurs, and which biotic processes in turn alter or transform./参照、http://en.wikipedia.org/wiki/Biosphere)における人間も含めた生態系や地球環境の限界を考慮すれば、“Googleタイプの企業やGoogleサービス症候群患者”のような新種の「Web型コナトウス」の出現は、目下、日本に侵入したカエル・ツボカビ症(カエルなどに寄生して両生類を絶滅させる恐れがあり、その生態系破壊の連鎖波及の先には局地的な生態系全体の壊滅による食糧危機の発生などが懸念される/参照、http://www.asahi.com/science/news/TKY200701110397.html)の問題を連想させて不気味である。


(事例1)グラミン銀行(価値観の転換1)


バングラディシュの経済学者であるムハマド・ユヌス氏(Muhammad Yunus/1940− )は「グラミン銀行」(Grameen Bank/Grameenはベンガル語で“村の”という意味/http://www.grameen-info.org/)を創設した功績が認められ、2007年のノーベル平和賞を受けている。「グラミン銀行」の仕事は、貧困に苦しむ女性に対し、ごく小額の資金(数ドル〜30ドル程度)を無担保で貸し付ける。これは日本人から見れば小額だが、せいぜい1日あたり1ドル未満で生活している、まったく蓄えがないバングラディシュの貧困層にとっては大金である。6〜7%の金利で融資を受けた女性たちは、先ず鶏を育てて卵を売って資金を作り、やがて羊や牛が買えるようになって、融資の返済をしながらある程度お金が貯まると今度は裁縫道具を買って衣服を作り、それを売るレベルまで豊かになる、というような前向きの生き方ができるようになる。このように、人間は先ず生産手段(又は働く手段)を手に入れることで希望が持てるようになれるのだ。そして、この「グラミン銀行」の仕事は公的なものではなく、あくまでも民営であるという点に特色がある。


一方で、日本のODA(政府開発援助)資金の殆んどが途上国政府関係者(政治権力者、コンサル、ブローカーなど)や高級官僚等の懐中へ消え去ったり、あるいは、その資金の大部分が建設請負工事や設備購入資金の形で海外の先進国企業へ逆流していることは周知のとおりである(イラク戦争におけるアメリカの軍需産業(産軍複合体)の暗躍も同じようなパターン)。しかも、そのようにして完成した高度なインフラは出来上がった途端に劣化が始まるため、保守資金とメンテナンス技術が途絶えれば、せっかくの高度な設備は貧しい人々の経済生活向上とは無関係のまま放置されてしまう。つまり、ODAのような形での最貧国の人々に対する先進国からの資金援助には明らかに欠陥と限界がある。しかし、この「グラミン銀行」は貧しい人々へ積極的に生きるための動機づけを与えており、内発型のパワーを引き出すための、きめ細かな支援システムという観点からすれば、先進国によるODA援助、IMF基金、あるいは世界銀行などの高度な仕事よりも遥かに有効であるように思われる。


また、日本国内の民営・民活モデルでは、例えば、政府管轄下の経済特区制度で誕生した「株式会社運営の新設大学」が教員等に関する整備内容が不備(デタラメ?メチャクチャ?/参照、http://www.asahi.com/life/update/0118/005.html)であることがバレて大騒ぎになる類の事件が後を絶たない。これでは、折角の民営化路線に沿った「構造改革政策」も相変らず税金の無駄遣いをもたらすだけである。もし、本気で日本政府が自由市場で民間活力を引き出すつもりであるならば、例えば、日本国内でも「グラミン銀行」のような本当に資金が必要な貧困層の人々や多重債務者に対し安心で安全な低利資金を融資できる新しい金融業務(例えば、マイクロクレジット業務/参照、http://www.results.jp/resultsjp/mc.htm)が民営でスムースに実現するための環境整備に先ず取り組むべきである。また、それに先立ち必要なのは、社会的公正が優先される国内金融市場等に関する条件の整備に力を注ぐことである。しかし、残念ながら、わが国の実態は、相変わらずハイエナのような暴力団絡みの悪徳金融業者の暗躍を殆んど野放し状態にしたまま、揚句の果てには管轄・監督官庁である司法・警察OBがそれらノンバンク等の関連業界へ天下ることを黙認する有様だ。きめ細かな内発型の社会システム(=より困難なグローバル時代に備えて日本の土壌とすべき新しい社会システム)を軽視する、こんな体たらくではイノベーションを活かした「美しい国」の創業支援政策も、若年者就業支援促進政策も、ベンチャー支援政策も、これらの全ては実現が不可能なホラ話に過ぎない。


(事例2)人間の個性を尊重する教育と家庭のあり方の実現(価値観の転換2)


安倍首相の諮問機関である「教育再生会議」(野依良治・座長)が「教育改革の方向性」(七つの指針)を2006年11月13日までに取り纏めており、その方向性の要点は次のとおりです(この指針が出された経緯等の詳細については、下記記事★を参照乞う)。

★『2006.11.16付toxandoriaの日記、アートと社会/Ooh oh!安倍総理好みの「教育統治」で本当にイジメも児童虐待もなくなりますか?』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20061116


●コーポレート・ガバナンス型の強力な「教育統治」の確立(市場原理の導入による教育の生産性向上?)
教育委員会制度の全面的な見直し(教育の中立性の破棄?)
指導力不足教員への厳格な対応と良い教師の激励(市場原理、教員の商品化?)
教育再生のための具体的な行動計画の策定(教育現場への“責任転嫁”徹底プラン?)
●教員養成及び同任用の抜本的改正(教員の商品化? 教育市場主義の深化?)
●必要授業の確保とカリキュラムの見直しによる学力の向上(子供たちの商品化・市場ツール化?)
●学校以外の家庭・地域・マスコミを含めた全国民的な当事者意識の醸成(国家主義に相応しい美しい国の完成?)


この「教育統治」は「企業統治」(コーポレート・ガバナンス)の教育版ということになる。つまり、「企業統治」のやり方(=市場原理)を参考にしながらイジメ問題や必修科目の履修漏れ問題等の不祥事の発生を防いで教育行政全般を立て直すために、教育に関する国家統制型の一元的スタイルを強化するという訳である。安倍首相は、“すべての子供に高い学力と規範意識を身につけさせる”と宣言しているので、この4月に行われる全国学力テストの結果に基づいて、学校評価制度の導入・教員免許更新制・教育バウチャー制・大学改革・イジメ自殺対応マニュアルなどに順次着手する予定だ。しかし、よく考えてみれば、このような「上からの威圧的なガバナンス」と「市場原理主義による教育改革」よりも前に、シッカリ押さえるべき「教育的な視座(エピステーメ)」は次の三点にあることが理解できるはずでである。


市場原理主義ではなく、子供たちの多様な可能性に合わせた就業支援の検討
・・・人間としての子供たちの無限の可能性に対する産婆術(ソクラテスの言うmaieutike)として教育を理解すべきである。市場主義が大切だとしても、それはあくまでも費用対効果(コストパフォーマンス)を評価するための一つのツールに過ぎない。


●子供たちの多様な可能性に合わせた、教育メニューの多様化
・・・子供たちの人間としての多様性が開花することを期待するとすれば、市場のメニューは必然的に豊かになる。これを全く反対に考える、カルト的な市場原理主義の理解は間違っている。市場の主役は、あくまでも人間である。仮に、人間不在の「完全に合理的な市場」だけが世界に残ったとしたら、それは、どんな意味があるというのか?


●教育現場の労働環境の改善
・・・教員たちも子供たちも、彼らは全て機械やゲームソフトではなく、あくまでも生身の「人間」である。過酷な環境下でオーバーワークになれば生身の人間である限り疲労するのは当然だ。教員たちも、子供たちも市場原理主義の道具(ツール)でもなければ、バーゲンセール教育の商品でもないのだ。


家庭のあり方も教育と同じで、基本的には多様であるべきだ。家庭の経済環境を持ち出すまでもなく、日本中のあらゆる家庭が同じ教育コースを選ぶ必要はないし、同じ学歴を追い求める必要もないはずだ。安倍首相は、“日本中の全ての子供に、同じ程度の高い学力と規範意識を身につけさせる”と宣言しているが、このような発想は乱暴すぎると思われる。これでは、上で述べた「子供たちの多様な可能性」を封殺するか、あるいは皆殺しにしてしまう恐れさえある。それは、まるで「優秀なゲルマン民族の人工飼育」を発想したヒトラーのような恐るべき考え方に見えてくる。特に、家庭での教育の選択肢は多様に、柔軟に、十分複線的に考えるべきだと思われる。


子供を週5日シッカリと熟へ通わせる親がいてもよいし、勉強には一切干渉せずスポーツに熱中させる親がいてもよいし、あるいは家庭では教育的なことは何もしない親がいてもよい。余裕があれば積極的に子供を海外旅行へ連れて行くのもよいだろう。小泉前首相のお得意のコトバを拝借すれば、まさに“人生イロイロ、家庭のあり方もいろいろ、人間の幸せのあり方も色々”だと思う。これから様々なコースを辿る子供たちの未来については、たとえ親であっても先行きは分らないし、パーフェクトな責任は持てないはずだ。子供の親も学校の教員と同じで、親として生きている限りは「産婆役」(maieutike)に徹するしか方策はないはずだ。従って、安倍政権が掲げる画一的な「家庭の教育力の向上」という方向性は非常に危険だと思われる。


ましてや、これに市場原理主義が絡んだら、どのように恐ろしく破局的な事態が起こるか想像もつかない。そして、「家庭の教育力の向上」のために「パーフェクト・ファザー」あるいは「パーフェクト・マザー」の役割を親たちに国家(権力)が強制することにでもなれば、今以上に陰惨で猟奇的な事件が全国で多発することが予想される。それは、まるで鬼気迫る恐怖に満ちた「美しい国」ではないか。ここでは「美しい国」などの軽薄きわまりない美辞麗句は何の役にも立たない。今、政府がやるべきことがあるとすれば、それは様々な子供たちの生き方の違いが家庭間の格差の問題として露骨に現れたり、それが原因となる差別やイジメの問題が起こらないような、そして気の毒な星の下で誕生した子供たちのための温かい受け皿となれるような「ネットワーク型の新しい社会システム」を衆知を結集して創ることである。一つのヒントは、できる限り幼い時から社会とのつながりを意識させることであり、事例としては「フランス型のアソシエーション」が参考になるかもしれない(フランス型アソシエーションについての詳細は下記記事★を参照乞う)。

★『2006.3.21付toxandoriaの日記、アートと社会/「反CPEデモ」に見る、フランス民主主義の“ど根性”』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060321


最後に、このような「内発的で個性を尊重する教育と家庭のあり方」、別に言えば「教育現場、家庭および地域社会が連携した、バーチャル偏重でない現実的なコミュにケーション活動」について参考となりそうな国内の事例があるので、下に紹介しておく。明るい未来への希望は、我われ一般市民の意識改革と、ささやかで現実的な生身の人間どおしの触れあいの中にこそあると考えるべきだ。欲得動機型の美容整形手術のような軽薄なノリで、言い換えれば、「人間の生命と心」を無視した無理強いの上滑りな「市場原理主義型の構造改革」で明るい未来を招くことはできない。


■長野幼稚園 (静岡県磐田市)『おいしく科学しよう <高校生との心のふれあい>』http://www.sony-ef.or.jp/preschool/practice/vol3/3-3.html


■金沢地区農林漁業女性連絡協議会(石川県金沢市)『“海の子・山の子・畑の子”交流会を通して海・山・農の幸と第一次産業を学習することにより食農教育を図る』http://www.weli.or.jp/zenken/activity/shokuno/shokuno-15.html



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