toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

 アーカイブの役割とは何か(Ⅲ)



『“2000年の彫像・マリアンヌ”のモデルとなったレティシア・カスタ』 presented by http://www.laetitia-casta.net/castapedia/Marianne


・・・2000年度におけるフランス共和国の擬人化された女性像・マリアンヌ(Marianne)のモデルに、女優レティシア・カスタ(Letitia Casta)が選ばれました。これ以前のマリアンヌ(女性像、女神像)にはブリジット・バルドー(Brigitte Bardot)、カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)、ミレーユ・ダルク(Mireille Darc)が選ばれています。



ドラクロワ民衆を導く自由の女神』 Eugine Delacroix(1798-1863)「La Libert・guidant le peuple」 1830 259ラ325cm  oil on Canvas Musee du Louvre Paris



・・・ドラクロワの『民衆を導く自由の女神』でもマリアンヌは描かれています。彼女はフランス革命の精神である「公共(共同の利益)・自由・平等」の象徴です。


【プレリュード】


◆既に「アーカイブの役割とは何か(Ⅱ)」で触れたことですが、わが国における公文書館の整備・運用の現状はきわめて遅れた状態にあります。そこで、わが国におけるアーカイブについての問題点を纏めると次のようになります。


(1)このまま歴史的・文化的に貴重な価値がある公文書等に対する各官庁サイドの消極的な姿勢が続けば、わが国の公文書館そのもののレベルが更に劣化して、先進国、民主主義国家として世界に対し恥ずべき立場になる。


(2)公文書を適切に保存・管理することを行政側に求め、その公開を請求することは国家の主権者たる日本国民の権利であることについて、官民双方の理解と認識が不十分である。この点についてはフランス革命後にできた「フランス国立中央文書館」の理念に学び直すべきである。


(3)民主主義国家は「文書管理=非現用文書(過去の文書)の管理」というドグマ(固定観念)を先ず捨てるべきであり、その上で「行政自身が自らの現時点における政治行為についても、それが正当であることを何時でも適切な根拠(証拠となる文書・資料)に基づいて説明できるようにする(説明責任=アカウンタビリティの責任を果たす)」ための法的体制をアーカイブ法の観点で整備すべきである。


(4)それにもかかわらず、今や、「平成の大合併」の掛け声の下で、中央のみならず地方の公文書等の廃棄による三度目の「日本の歴史の空白づくり」が行われつつある。


◆一方、Web2.0が華やかに喧伝されるなかで、わが国でもネット上での選挙活動が「公職選挙法の改正」によって解禁される方向へ時代が進みつつあります(参照、『インターネット政治研究会』http://www.jiten.com/dicmi/docs/k2/13961.htm)。


◆このため、政策に自信がある政党や候補者が積極的にネットを活用することによって“政策本位の民主主義政治”(Web2.0政治)が深化することが期待されます。しかし、このような時代の傾向についてはプラス面のみならずマイナス面も冷静に見ておく必要があります。つまり、それは「リスク恒常性」の問題です。


◆それは、どれほどWeb2.0が深化した(極限まで『ユビキタス化社会』が進んだ)としても、人間社会から民主主義の基盤を脅かそうとするリスク要因を完全に排除することはできない、否、それどころか逆にWeb2.0の深化によって壊滅的なリスク要因の機会が逆に高まる恐れすらあるという認識です(参照、2006.1.12付toxandoriaの日記『“サルのマスタベーション”化するマルチチュードの世界』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20060112


◆ここでは、この問題について詳しく触れることができませんので、Web2.0政治化による、このような「リスク恒常性」の問題が懸念される主な背景を指摘しておきます。


(1)Web2.0を支えるインターネットそのものの脆弱性の問題


ある推計によると、現在、世界で1日に飛び交う電子メールの件数は約1千億通で、その数は更に増える一方だが、その8〜9割りはスパム・メールである(出典:2007.2.16付・日本経済新聞ネットと文明/第9部、善意と実利1、悪流を許す器』、マカフィー日本法人技術本部長・加藤義宏氏)。


その本質を端的に見るならば、核攻撃を受けても全体が停止することのないコンピュータシステムを想定したARPA(アメリカ国防総省高等研究計画局)の「ARPAnet」(http://e-words.jp/w/ARPAnet.html)に始まる現在のインターネットは“民間企業や研究所がボランティア的に資金等を出し合って運営し、彼らの善意で継ぎはぎ的に発展してきたものであり、それは今や誰のものでもない”と言える(出典:同上、JNIC(http://www.nic.ad.jp/ja/newsletter/No26/020.html)理事、東京大学統計数理研究所助教授・丸山直昌氏)


しかも、Web2.0の時代に入り、益々、インターネットでは実利本位の苛烈なビジネス競争が展開されつつあり、音楽・映像などの大容量の情報が増える一方となっているためネットの通信量が急膨張している。このため、ネットの通信量は、この8年間で千倍になっており国際間の基幹回線の容量不足が懸念され始めている。今後は、急増する商用利用にかかわる費用負担問題と抜本的なインフラの見直しが迫られる恐れすらある(同上、インターネットプロバイダー協会(http://www.jaipa.or.jp/)会長・渡辺武経氏)。


<参考>インターネット2(インターネット・ツー)


既にアメリカでは、全米の約150の大学と約50の企業が参加する次世代インターネットの研究プロジェクト「インターネット2」が始動しており、これは大学間組織のUCAID(http://www.ucaid.edu/)によって推進されている。そこでは超高速ネットワークを利用し、次世代インターネットプロトコルIPv6などに関する基礎技術研究、高度なアプリケーションの研究・開発などが行なわれつつある(1996年2月に全米科学財団(NSF)の出資によりスタート)。ただ、これは研究・教育用ネットワークであるとの理由で、商用には開放されていない。「インターネット2」を支えるバックボーンネットワーク「Abiline」(アビリーン/http://e-words.jp/w/Abilene.html)はQwest Communications社、Cisco Systems社、Nortel Networks社などが無償で提供している。


(2)インターネットへの“米国政府による圧力可能性”の問題


上で見たとおり“民間企業や研究所のボランティア的善意で継ぎはぎ的に発展してきたインターネット”は誰のものでもないはずなのだが、そのような中立的性質のインターネットでありながらも「何らかの一定のガバナンス」は必要だという問題意識から非営利団体であるICANN(The Internet Corporation for Assigned Names and Numbers、http://www.icann.org/)がガバナンス機関として立ち上げられ機能している。ところが、このICANNは米国・商務省の傘下にあるため、事実上、現在のインターネットはアメリカ政府の政治的圧力を受け易い立場であることが国際的な懸念材料となっている。


(3)『グーグル八部』の問題


独自のロボット型検索技術で全世界の検索シェアの50%以上を占めるグーグルが“そのシェアを70%以上に高めるのは時間の問題だ”とされているが、そこで『グーグル八部』の問題が浮上してきた。『グーグル八部』とは、検索対象サイトへ復活するための条件を予告されるか、あるいは理由を一切聞かされぬまま一方的にグーグルの検索対象サイトから削除されてしまうことである。


一時的ながらドイツの大手自動車メーカー・BMW、日本の大手事務機メーカー・リコーのサイトも“検索結果に表示されないようにする”と予告され削除されたことがある。その後、両社はグーグルが示した条件を受け入れたため、再度、グーグルで検索されるようになっている(出典:吉本敏洋著『グーグル八部とは何か』(9-ten社、刊)。


グーグルが中国政府のサイト検閲に協力してきたこと、また「Google earth」では各国の軍事施設が俯瞰できる一方で、米軍関係の施設等については細工が施されていることは周知のとおり。このように政治権力に傅(かしず)きつつ、弱い立場のサイトへ『グーグル八部』で圧力をかけるグーグルの姿勢には明らかに中立性と公正さが欠けている。吉本敏洋氏は、著書「グーグル八部」で新しい「恐怖政治」または「独裁政治」の時代の到来を憂いている。


(4)『Webアジテーション(Agitation)によるレモンへの悪影響』の問題


近 勝彦氏(大阪市立大学・大学院助教授/専攻:情報経済論、情報社会論)は、著書『Web2.0的成功学』(MYCOM新書)の中で“人間社会・インターネットのWeb・人間の脳などのネット・ワーク”が「スモールワールド・ネットワーク構造」であると説いている。これは「強い絆で結ばれたクラスター」が「弱い絆」を架け橋として無数に広がるネットワークのイメージである。このイメージを直感するには「mixiGraph」(約600万人の会員数を誇る、わが国におけるSNS最大手mixiの会員の繋がる姿のイメージ化)が手っ取り早い(下記URL★をクリック乞う)最新の研究によると、「強い結びつきだけが絆となる大きなネットワーク構造」よりも「スモールワールド・ネットワーク構造」の方が自己創生型ネットワークとして戦略的に有利であることが分っている(参考/http://www.s-shibuya.com/essays/weaktietheory.htmlhttp://www.atmarkit.co.jp/aig/04biz/smallworld.html)。

mixiGraphhttp://www.fmp.jp/~sugimoto/mixiGraph/


ともかくも、この「スモールワールド・ネットワーク構造」の中に無数に点在する「強い絆で結ばれたクラスター」は、人間社会で言えば“面倒見がよくて交友関係が広い、いわゆる顔の広い人”や“政治活動をしているような人”であり、あるいは“ゼネコン談合の仕切り屋”のような立場にある人に相当する。また、Web2.0の場合で言えば、それは“コメント&TBが集中しているブログ”(アメリカでは、このようにマグネット力を持つブロガーをアルファー・ブロガーと呼ぶ/参照、http://alphabloggers.com/http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A2%A5%EB%A5%D5%A5%A1%A5%D6%A5%ED%A5%AC%A1%BC)、2ちゃんねるに代表される人気が高いスレッド型掲示板、mixiのようなSNS、あるいは共通の話題に大勢が屯(たむろ)するコミュニティ型掲示板サイトなどである。


これは、リアルな現実の世界でもあり得ることだが、特に現実世界から見れば「閉ざされたネットのヴァーチャル世界」で注意しなければならないのはアジテーションの意図が隠れた「強い絆で結ばれたクラスター内部」での大きな影響力の問題(特に独特の閉鎖性で囲い込むSNSの弊害が大きくなると予想される/韓国で最大のSNSであるCyworld(サイワールド)の加入者数は約1,600万人に及び実に全人口4,800万人の33%を占めるが、更にそれが増えつつある/これが韓国人の射幸心の強さなどと共鳴し様々な悪影響が出ているとされる)である。


Webアジテーションの恐さは、その場の空気(取り込まれたサイト内における視野狭窄な“縛りのような空気”)の中で知らずしらずのうちに、そのアジテーションのパワー、又はサイト内で権威化した磁力に引きこまれて、一種の洗脳状態あるいは抵抗不能な中毒状態に嵌ることである(参考/『ミルグラフのアイヒマン実験』、http://www.naoru.com/ijime.htm)。近 勝彦氏は、著書『Web2.0的成功学』で、ネット世界の中の“レモンへのアジテーションの悪影響(マイナスの影響)”を懸念している。レモンの原義は、「情報と不確実性の経済学」分野への貢献で2001年のノーベル経済学賞を受けたジョージ・アカロフの「レモン市場」の論理(参照、http://hcoa.jp/public/index.php?%E3%83%AC%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%81%AE%E5%8E%9F%E7%90%86)で使われた「品質が劣る中古車」のことであり、近 勝彦氏がここで懸念するのは、論理的に物事が考えられず政治権力やアジテーターが仕掛ける翼賛方向へ流され易く、その罠に嵌り易い多くの日本国民のことである。


【プレリュードのまとめ】


当然のことながら、冒頭で触れたとおり、もし「公職選挙法の改正」が実現してネット上での選挙活動が活発に行われるようになった場合、そこでは政治家による政策論争が積極化するというプラス面が生まれるとともに、このように危機的なマイナス面も出現することをシッカリ押さえる必要があります。なぜなら、先に<参考>で示した「アイヒマン実験」からも分るように、人間の本性には“波風を立てず影響力が大きい権威がある人物に素直に従って生きた方が楽だと考えてしまう傾向”があり、欧米人に比べると、特にディベート力(冷静かつ論理的に議論する力)が弱い日本人にはこの傾向が強く出ると思われるからです。そこで、同じ著書の中で近 勝彦氏は“かつて日本中をくるんだ戦争という空気に抗し得なかった日本人は、今、憲法9条を捨て去っても良いほどに強い葦(<注>パスカルの考える葦を意味する)となったのか?”と警鐘を鳴らしています。


なお、Web1.0の時代から“掲示板のアラシ”や“ブログの炎上”が問題視されてきましたが、このように深刻な「アジテーションの弊害」に比べれば、事実上、これはゴミか虫ケラのように取るに足らない存在です。それは、自分のハートランド(自分の考えや信条を発信する掲示板、ブログ、HPなど)を持たず“寄りみち男or女”などと名乗りつつ(Unknown、Passer-by、Stranger、My name is Zなどと気取って)あちこちの掲示板やブログを渡り歩き、アラシや炎上を仕掛けて勝手に興じている輩は、いわば“ネット上の「意図的な路上生活者か住所不定」の卑怯者”にすぎないからです。彼らは、それ以外に生きる術(すべ)がない憐れな存在に過ぎません。このような“虫”は“無視”するにかぎります。


ところで、2007.02.17付・東京新聞は、「特報」(ネット記事)で『南シナ海で中国海軍の潜水艦が事故を起こしているという読売新聞のスクープが防衛庁(現防衛省)幹部のリークだったとして同省(警務隊)が幹部宅などを家宅捜索していたことが明らかになった。当局からの内々の情報提供はいろいろあるが、防衛省にとっての“不都合な秘密”とは何か?』と問題提起しています(参照、http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070217/mng_____tokuho__000.shtml)。この「防衛庁(現防衛省)幹部のリーク事件」については、マスメディアを介した日本国民の「知る権利の危機」だとするのが大方のジャーナリズムの論調ですが、もう一つ忘れてならないのは、これこそが「アーカイブの問題」の核心であるということです。それは、突き詰めれば“防衛庁(現防衛省)幹部のリーク”の事実内容を証明するものは、まさに「情報を記録した文書(ドキュメント)」であるからです。


つまり、これこそが冒頭で掲げた「アーカイブについての問題点」の中の(2)と(3)にかかわることです。このような観点からすれば、読売新聞のスクープによる「防衛庁(現防衛省)幹部のリーク事件」の背景には“都合の悪い情報を徹底的に国民の眼から遠ざけよう”とする権力の横暴の可能性が見え隠れしています。特に、自衛隊が米軍の傭兵化の傾向(事実上の日米軍事力の一体化/このことは、直近に出された「アーミテージ報告2」(http://observingjapan.blogspot.com/2007/02/dissecting-second-armitage-nye-report.html)や来日予定のチェイニー副大統領の日本政府への要望内容(イラクアフガニスタンでの「対テロ戦争」に関して日本に一層の協力を求めるとの見通し)からも明らか)を強めつつある今こそ、一般国民は勇気を奮って真剣な眼差しをこの問題へ向けるべきです(参照、http://www.nikkei.co.jp/news/main/20070217AT2M1700Y17022007.html)。


“愈々、Web2.0の時代到来!”という華麗なドラの音に浮かれて「アーカイブの問題」を軽視し続ければ、インターネット2、インターネット3の可能性や「グーグル八部」の問題を思い出すまでもなく、歴史や政治の現実どころか我われ日本国民一人ひとりの存在までもが、「暴走する政治権力」によって“始めから無かったことにされ、消去され”てしまう恐れがあるのです。なお、ここで詳しく触れることはできませんが、この問題は「記録媒体としてのWeb及びIT関連技術の根本的な脆弱性」と「記憶とエクリチュール」(人間存在の核心にある、人間が生きていることの意味)の問題にも関連することです。


・・・・・・・・・以下、本論・・・・・・・・


[3]−1現代社会におけるアーカイブの役割(ガバナンス正統(当)性維持の意味)


(1)国家におけるアーカイブの役割

   
 帝国であれ、絶対王政であれ、議会主義民主制であれ、「国家権力」にとって重要な要素を一つだけ挙げるとすれば、それは「国民(市民)の生命」ということです。また、年貢であれ、税収であれ、兵役であれ、健康な「国民(市民)の生命」の存在が前提となります。同じ意味で「国家権力」が次に求められるのは、その権力の「ガバナンス正統(当)性を維持する」ということです。「ガバナンス正統(当)性 の維持」にとって必要なことは、その正統(当)性を証明できる証拠を一般国民の眼前に示すことです。


 まず、この証拠の役割を果たしたのが宗教(神の権威)であり、それは、例えばアメリカのブッシュ政権を支える「キリスト教右派勢力」の存在のように、現代の民主主義国家でも重い矛盾(ジレンマ)を引きずる問題となっています。ともかくも、やがて誓約・協定・談合などの証拠として「公文書」(条約・誓約等の文書)が重視される時代に入ります。現在、国家の権威(ガバナンス正統(当)性)、または歴史アカデミズム(歴史学会の権威)にとって重要視せざるを得ないのが「歴史資料・史料」としての古文書(公文書、民間資料)であることは世界で広く認識されていることです。これは19世紀後半以降の実証重視の傾向(論理・実証主義)を反映したもので、これは歴史アカデミズムだけのことではなく近代の諸科学に共通のものです。


 残存する過去の遺物(古文書等)は歴史的な事実を解明するための手掛かりという意味で「史料」と呼ばれていますが、欧米では、これを「Documents or Sources(前者の原義は『知らせる』で後者は『湧水』のこと)」(英米仏)、または「Quellen/原義は『湧水』のこと」(独)と呼んでいます。先に見たとおり、近代的な意味でのアーカイブ公文書館)の制度が確立するのは、「フランス革命」(1789)後の1794年にアンシャン・レジーム時代(anciens regimes)の公文書や諸記録を保存・管理する目的で創設された「フランス国立中央文書館」に始まりますが、それ以前の時代は図書館・図書室と公文書館の区別は曖昧のままでした。(ただ、以下で述べるように、9世紀のカロリング朝フランク王国カール大帝の下でアーカイブ制度の先進事例が生まれています)


 近年の歴史アカデミズムの世界的な傾向は、人間の営みが生み出した凡ゆる痕跡を公文書と区別せずに等しく史料として取り扱うようになっていることです。少し前の歴史学ではほとんど無視同然であった絵画・彫刻等の芸術作品、あるいはドラマ・詩・小説等の文学作品、聖人伝や人物事跡禄などが注目されるようになっています。例えば、シェークスピア(William Shakespear/1564-1616)の『ヘンリー5世』、『ヘンリー6世』などの作品を歴史史料の観点で読み解き、「百年戦争」等の実像に少しでも近づこうとする取り組みなどが行われています。このような「史料」が評価されるのは、記述内容の真偽もさることながら、その「史料」の“存在自体が何らかの歴史的事実を反映している”と考えられるようになったからです。これは、後に「Appendix」で述べる「生命に刻印されたエクリチュール」の意味の重要性が漸く理解されつつあることでもあります。しかし、このような傾向が顕著なのは未だ欧米諸国に限られています。特に日本では、官民とも、この点に関する意識レベルが低劣なまま放置されています。


 また、このような意味で多角的に「史料」を評価した結果として歴史の実像が姿を表したとしても、それが実際にアカデミズムの世界で公認される迄には非常に複雑な手続きを踏む必要があるようです。例えば、これから述べる「ガロ・ロマン時代〜フランク王国」(およそ4〜9世紀頃)のヨーロッパ史、いわゆる中世前期の歴史が学校教科書で詳述されていないのは、この時代の歴史記述について未だこのような意味での手続きが必要なためだと思われます。それはともかく、この時代の歴史の概要を一瞥することは、アーカイブ制度の意義を考えるために必須と思われるので、フランク王国の歴史を中心に、この時代を概観してみることにします。



(2)ヨーロッパにおける「アーカイブ意識」の芽生え(『ガロ・ロマン時代〜フランク王国/およそ4〜9世紀頃)


 西ローマ帝国が滅亡(476年)したあと、西欧世界は言語上の大混乱期に入ります。それは、ローマ帝国の政治権力体制が瓦解したことによって、今まで支配と統治のための言語として使われてきた古典ラテン語(ローマ時代の公式な文語)の権威が次第に弱まることになったからです。


 この時代に先行するガロ・ロマン時代(Gallo-Roman period/BC3世紀末〜AD476年)、つまり共和制ローマから帝政ローマ時代の滅亡までに至る約700年間の西欧世界の公式な言語(行政用語)は古典ラテン語でした。無論、この間のガリア地方(現在のフランス全土及びドイツ西・中部を中心とする地域)では、現代のフランス語・ドイツ語などにつながる地域言語・部族言語の変化が進行していました。そこで大きな役割を果たしたと思われるのが俗ラテン語(口語として使われていたラテン語)です。つまり、俗ラテン語は、この間にケルトやゲルマンの部族言語の変化に対して大きな影響を与え続けていた訳です。


 やがて、5世紀頃になるとガリア地方のケルト語は俗ラテン語の中で消滅したと考えられています。一方、イタリア半島に残った俗ラテン語はイタリア語の中核(原型)を形成することになるのです。そして、このような言語状況が進むガリアの地において、次第にフランス語とドイツ語の輪郭が立ち上がってきますが、このような変化が著しく進んだ時代は、フランク王国が成立・発展し滅亡するまでの時代にほぼ重なります。


 フランク王国は、中世ヨーロッパの前半に成立していたフランク族ゲルマン民族に属す/フランケン族ともいう)の王国です。481年頃、クロービス(Clovis/ca465〜511/サリー支族の王子)はライン川の北に住むフランク族の一派で自らが属するサリー支族、その下流に住むレミ支族及びリブリア支族などを統一してライン川を南へ渡り、当時トキサンドリア(Toxandoria)と呼ばれていたあたり(現在の北フランスのシェルデ川とベルギー地方に跨る地域/およそフランドル地方に重なる/ローマ時代からの重要拠点でローマの主力軍団が置かれた地域)から北フランス(ほぼ現在のイール・ド・フランス(中心地パリ/古称ルティティア)、シャンパーニュ、ロレーヌ地方に及ぶ地域)でメロヴィング朝フランク王国メロヴィングはクロービスの祖父の名メロービスから命名)を建国しました。


 その後、クロービスはチューリンゲン族を攻撃してフランク北部(現在の中部ドイツ)を押さえ、ブルグンド王国と同盟を結び現在の中部フランス・南フランス・北イタリアあたりの政治環境を安定させました。なお、ドイツのフランクフルト(Frankfurt am Main/ドイツ中西部・ヘッセン州最大の都市)も、6世紀に入って早々にクロービスがアラマン族(ゲルマンの支族)を南方へ駆逐してマイン川を渡った地点という意味で、この都市名が付けられました。


 このようにして、全ガリアの政治状況を安定させたクロービスは、496年のクリスマスの日にランス(Reims/シャンパーニュ地方・レミ支族(Remi)の中心都市/Remi→Reimsに転訛)の司教レミギウス采配下のランス大聖堂(ca5世紀〜 )で約300人の配下の兵士たちとともに洗礼及び塗油の儀式を受け、異端アリウス派から正統アタナシウス派キリスト教に改宗しました。このようにしてローマ教会と手を結んだフランク王国は異教徒を撃退しながら、その領土を拡大してゆきます。


 732年、フランクの分国アウストラシア(フランク王国の東北部、現在のシャンパーニュ周辺でランスが中心地)の宮宰(本来はメロヴィング家の家政を仕切る執事的な存在/王権の凋落とともに行政の実権を掌握)のカール・マルテル(Karl Martel/ca689-741)が“トウール・ポワティエ(間)の戦い”(戦場は未詳)でイベリア半島からピレネーを越えて侵入したウマイヤ朝イスラム軍を撃退します。


 更に、カール・マルテルの息子・小ピピン(Pippin3世/
Pippin der Jungere/714-768)は、ローマ教皇よりメロヴィング家から王位を簒奪することについての了承を得てカロリング朝カロリング朝は後になってからカール大帝の名を取って命名された)を興します。更に、小ピピンは息子カール(後のカール大帝)に命じてランゴバルド王国(6世紀に北イタリアで栄えたゲルマンの一派、ランゴバルド族の王国)を滅ぼし、その中心都市であったラヴェンナ周辺の土地をローマ教皇ハドリアヌス1世へ寄進し、これが教皇領の始まりとなりました。


 800年、ローマ教皇レオ3世は教皇領寄進を始めとするローマ教会への貢献を評価して、小ピピンを継いだカール大帝(Karl der Grosse/Charlemagne/742-814/身長195cmの体躯から命名)に「ローマ帝国の帝冠」を授けます。その結果、名目上ではあるにせよ、ここでローマ帝国が復活したことになり、同時にそれはフランク王国東ローマ帝国ビザンツ政権、ビザンツ文化圏)の影響から脱したことを意味するとともに、ローマ・キリスト教文化とゲルマン文化が本格的に融合したことを象徴する出来事でもありました。


 このような激動の時代(5世紀〜9世紀頃)の中で、古典ラテン語(文語ラテン語)は単語や正書法が著しく変化し、乱れ始めていました。しかし、ローマ時代に辺境の地とされたイングランドアイルランドには古典ラテン語の文化がそのままの形で保存されていました。このため、カール大帝イングランドアルクイン(Alquin/ca730-804/イングランド神学者)らの学者を招聘し、トウール、サン・ドニ、アーヘンなどにラテン語学校を建設して正統な古典ラテン文化の復興をめざしました。このため、カール大帝の時代はカロリング・ルネサンスとも呼ばれています。


 やがて、カール大帝の子であるルードヴィヒ1世・敬虔王(Ludwig1/Ludwig der Fromme/Louis le Pieux/778-840)が死ぬと、カール大帝の4人の孫たちの領土争いが始まり、843年のヴェルダン条約で、東フランク王国(現在のドイツ地方を中心とする国/ルードヴィヒ2世が統治)、西フランク王国アキテーヌ地方(同じルードヴィヒ1世の子、ピピンアキテーヌ王が統治)以外の現在の北・西部フランスに重なる国/シャルル禿頭王が統治)及び中部フランク王国(現在のオランダ・ベルギー・ブルゴーニュ・スイス・プロヴァンス・北イタリアを中心とする国/長兄であるロタール1世が統治)の三つの国に分裂しました。


 更に、ロタール1世が死ぬと中部フランク王国の領土は870年のメルセン条約で東西に分割され、結局、旧フランク王国の領土全体が現在のフランス(西フランク)、ドイツ(東フランク)、イタリア(北イタリア地方)の三つの地域に分かれることになります。


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