toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

[民主主義の危機]伊吹・文科相“人権メタボ論”は『野蛮・腐敗化する日本政治の徴候』


ロベール・カンパン(Robert Campin/ca1375-1444)『メローデ祭壇画』 1425 油彩画 メトロポリタン美術館 ニューヨーク 「Merode Alterpiece」  Oil on wood (central panel) 64ラ63cm The Metropolitan Museum of Art 、 N.Y.


この作品が『メローデ祭壇画』と呼ばれるのは、かつてブラッセルのメローデ家の所有であったことによります。今、まさに神秘的な受胎告知がフランドルの一家屋のリビング(居間)で起こっているところですが、このように「聖なる奇跡のドラマ」が日常生活の中で行われるという図像構想はカンパンの独創です。


描写の緻密さではファン・エイク兄弟に比べるとやや荒削りですが、近年の研究では、身近な「室内の日常生活をリアルかつ微細に描く」というフランドル絵画の伝統はカンパンから生まれたと考えられます。カンパンが創始したこの伝統は、その後、ネーデルランド絵画を貫く個性的な伝統となりレンブラントフェルメールらの17世紀オランダ絵画まで続くことになります。


現代イギリスのルネサンス美術史家リザ・ジャルディーヌ(Lisa Jardine)の著書『Worldly Goods/A New History of The Renaissance』によると、カンパンに始まるフランドル絵画の生活空間と日用品・調度品・衣裳などの緻密でリアルな描写の伝統は、旺盛な画家の美的創造意欲の賜物というだけでなく、作品の注文主またはパトロン(寄進者=裕福な市民層)の《自らの経済力をできる限り誇示したいという虚栄心(現実的ニーズ)》に画家の技術が見事に応えた結果でもあったということのようです。


日本では、「ルネサンスヒューマニズム(人間中心主義)→人道主義・人権思想の萌芽」という連想が常識化しているようですが、リサ・ジャルディーヌは、それは大きな誤解だと言います。いわゆる「人道主義」はヒューマニタリアニズム(humanitarianizm)に対応する言葉ですが、元来、ルネサンスの「人間中心主義」は人間の物的・経済的・煩悩的・権力的スノビズム(遠慮のない俗物的・金銭的欲望)が神(キリスト教支配)に対して率直に自己主張を始めた時代の賜物であり、ルネサンスはそのような意味で「人間中心主義」であったという訳です。


つまり、芸術・文学などのルネサンス精神の高揚がダヴィンチ、ミケランジェロラファエロらの精華をもたらしたというのは、そのような市民層の権力的スノビズムがソフィスティケイトされた結果だというのです。従って、現代の我われがルネサンスヒューマニズムの中に人道主義の源流を見ること自体は間違いではありませんが、より厳密に言えば、その後の数多の戦争や殺戮の歴史と植民地主義化、帝国主義化した資本主義発展の葛藤の歴史プロセスを経て、漸く、我われ人類がヒューマニタリアニズム(真の人道主義)の意味を理解できるようになったということも忘れるべきではないのです。


・・・・・以下、本論・・・・・


フランドルの一家屋のリビング(居間)で起こりつつある聖なる受胎告知の瞬間を描いたロベール・カンパンの『メローデ祭壇画』は、上(絵の解説)で述べたプロセス(美的表象の社会的・歴史的解釈のプロセス=イコノロジーの発展プロセス)を経て、漸く、それが“我われ人類全てにとって平等な価値を持つ至宝”であることが理解できるようになったのです。つまり、今や世界の先進諸国が共有する民主主義意識の根本は、この『メローデ祭壇画』が“人は生まれるとき、親や家庭の経済環境などを選ぶことができない”ことの表象であるという現実(リアリズム)を真正面から受け止めることが可能なレベルまで到達して(ソフィスティケイトされて)いるのです。別に言うなら、聖なる“受胎告知”は貧富差などを問わず、誰にでも起こり得るという訳です。


例えば、EU欧州連合)とイギリスが共有する社会経済に関する最重要な根本認識の一つに「社会的排除」(Social Excluion)の概念があります。これは、貧困・心身障害・基本能力の欠如などで社会への参加が上手くできず社会の片隅へ排除されるプロセスで、生まれながらにしてこれらのハンディを負う人々は、ますます雇用・収入・教育機会を得るチャンスを失って社会の片隅へ追いやられる状況が生み出されるという理解です。更に、イギリスのブレア政権は、この「社会的排除」は複数の不利な条件が重なることで排除の程度が増幅され、それが世代を超えて継承されるため、ひいては地域社会のみならず地方や国家の衰退という一大事にまで至るという理解を持っています。


この「社会的排除」を解決するための理念が「社会的包摂」(Social Inclusion)です。これは、先に見た「社会的排除」の悪循環を断ち切るために必要となる理念です。そして、「社会的排除」の悪循環を断ち切るものこそが「教育」の重要な役割です。具体的に言えば、それは恵まれない環境・条件下に生まれた人々に対して、社会で働くために必要な知識・技能などを効果的・効率的に提供することです。そのような意味で質が高い教育を提供し、このように不幸な星の下に生まれた人々が自立し働けるようにするのが政府の大切な役割です。別の見方から言えば、これは政府が「結果の平等」ではなく「機会の平等」の提供に全知全能を尽くすべきだということであり、これはブレア時代のイギリス労働党の「新しい社会福祉」の理念的な主柱となっています。そして、これこそブレア政権が“社会などというものは存在しない!”と暴言を吐いたサッチャー市場原理主義(参照/下記<注>)へ投げつけたアンチテーゼです(出典:山口二郎著『ブレア時代のイギリス』(岩波新書、p42〜43))。


<注>サッチャーの暴言、“社会などというものは存在しない!”は、小泉前首相が“格差はどんな時代にもあるとなぜ言い切らないのか!”と言い放って、ゴタつく安倍首相に注文をつけた冷酷な場面を連想させます(参照/http://www.nikkansports.com/general/f-gn-tp0-20070220-159548.html、2007年2月20日付・nikkansports.com)。


一方、EU欧州連合)は「社会的排除」をなくし「社会的包摂」を進めるため「2000年のリスボンEU理事会」(参照/下記★)で、以下の四つの目標を設定しています。ここでは、「社会的排除」をなくしつつ、より一層、野心的で効率的な政策を進めるために「共通の目的、国家計画、共通の指標の工夫、貧困を解決する政策の調整」が同意されています(出典:中島恵理・経済産業省新エネルギー等電気利用推進室長補佐著『EU・英国における社会的包括とソーシャルエコノミー』(大原社会問題研究所雑誌、No.561/2005.8/参照/下記▲)。
http://wwwhakusyo.mhlw.go.jp/wpdocs/hpyi200001/b0013.html
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/oz/561/561-02.pdf


◆雇用の確保、資源・権利・モノおよびサービスへのアクセスの推進
◆排除のリスクの削減
◆最も脆弱な者への支援
◆全ての関係主体の動員


EU諸国では「社会的包摂」を実現するための柱の一つとして「社会貢献型経済(ビジネス)」(Social Economy)への支援に力を注いでいます。特に、「社会貢献型経済(ビジネス)」の付加価値創造がGDPの多くを占めるドイツ、オーストリア、スウエーデンなどでは、一層の「社会貢献型経済(ビジネス)」による雇用創造への取り組みが活発に展開されています(出典:同上)。なお、わが国でも若者らのボランタリーな動きの中から「社会貢献型ビジネス」が胎動しつつあることを「NHKクローズアップ現代」が取り上げています(参照/2007.2.21(水)放送、クローズアップ現代『金もうけだけが仕事じゃない』〜動き出す社会貢献ビジネス〜、http://www.nhk.or.jp/gendai/)。


また、特にドイツでは、経済には“歴史的観点からすると国の事情によってそれぞれ異なる発展段階があって当然”とする考え方(アカデミズム・経済学派の伝統)が優勢です。そして、第二次世界大戦後の非常に困難なドイツ経済を復興に導いた立役者が、この「社会的市場経済学派」の影響を受けた政治家ルートヴィヒ・エアハルト(Ludwig Erhard/1897-1966)です。彼はドイツ連邦共和国の初代経済大臣であり、後にドイツ連邦共和国の首相となります。エアハルトの最大の功績は「社会的市場経済」の構想を練り、それを現実政策で実践して奇跡的に(西)ドイツ経済の復興を実現したことですが、ドイツの「社会的市場経済」の特徴は次のような点(★)にあります。


★基本的には、社会が経済システムを支配するべきだと考える。
★しかし、市場にかかわる活動単位(企業、人など)の経済活動の自由は保障される。
★国は市場における独占・寡占状態が発生せぬよう監視しなければならない。
★同時に、国は国民一人ひとりが自らの責任で行動して経済的に自立することを奨励し、そうなるように支援しなければならない。(自己責任と自立性の確保)


このようなドイツでは、第二次世界大戦終結してから非常に長い時間をかけて経営者と労働組合が協議・協調する形で「社会保障制度」を創り上げてきました。このためドイツの「社会保障制度」は世界で最も充実したものとなっています。例えば、年金・医療・失業・介護保険の保険料は労使がほぼ対等に分担しています。それに、「ドイツ連邦共和国基本法」(憲法)の第9条は「労働協約自治」を保証しています。これにより労使双方は自らの責任と権限で労働条件を定める強い権利(国家と同等の権力)を与えられています。


この政策を実現した「社会的市場経済」の原点は、ナチスヒトラーの独裁中央管理体制、中央集権的社会・共産主義体制などに対する強い反発です。同じく、弱肉強食の熾烈な競争の結果として独占状態が生まれるとして「自由原理主義」にもノーを突きつけています。つまり、「全体主義」も「自由原理主義」も共に否定するため「社会が経済を支配する」という原則を定めた訳です(参照/2005.3.29付toxandoriaの日記『シリーズ「民主主義のガバナンス」を考える(3/4)』http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20050329)。当然ながら、このようなドイツ流の「社会的市場経済」の考え方は、拡大EUの根本理念の中に流れ込んでいます。


このようなことから、イギリスとEUは「社会的排除」と「社会的包摂」のコア部分は殆んど共有していますが、微妙に異なる点もあります。それはブレア労働党の「新しい社会福祉」が“政府の仕事は「社会的排除」を受け易い人間の自立と社会参加のための条件整備に徹することであり、彼らの個人生活について丸抱え的に面倒を見ることではない”という立場に徹していることです。しかし、それでも病気・事故・災害などによって「社会的排除」の立場に嵌る可能性は誰にでもあるはずです。つまり、この点への配慮に拘るのがEU型の考え方であるため、イギリスとEUの両者には微妙な立場の違いが見られます。


それはともかくとして、今まで見てきたとおり、イギリスとEU諸国の「社会的排除」と「社会的包摂」へ立ち向かう政治姿勢の根本には「人権の理解についての哲学的・倫理的・歴史的な深い理解」があります。このようなイギリスとEU諸国の歴史的・文化的地盤の中では、わが国の伊吹・文科相による“人権メタボ論”(参照/下記URL★)や柳沢・厚労相による「適齢期女性=産む機会論」のような非人間的な言説(幼稚きわまりないコトバ)が次々と量産される事態は想像すらできないはずです。従って、わが国の伊吹・柳沢両大臣は、先進諸国の「現代的な民主主義意識」から紛れもなく取り残された野蛮で腐敗した政治家です。しかも、彼らのように破廉恥な政治家が日本の「教育」と「社会福祉」を管掌する行政官庁のトップに居座る異常な政治状況を放置し続ける安倍首相と、それを満足に批判もできない野党の政治家らも似たり寄ったりの野蛮で腐りかけた政治家の仲間たちです。


http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/feature/news/20070226k0000e010030000c.html
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070226ia01.htm
http://www.tokyo-np.co.jp/flash/2007022501000332.html
http://www.asahi.com/politics/update/0225/010.html
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20070227/mng_____tokuho__000.shtml


また、このような一連の理解に照らすと、今回、伊吹文明文科相が「教育再生の現状と展望」と題する講演(2月25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会)で“人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になる、また、大和民族がずっと統治してきたのは歴史的に間違いのない事実なので、日本は極めて同質的な国だ”と発言したことは、民主主義国家を標榜する日本の国益(=決して、それは政治家や行政官僚・行政官庁らの利益ではなく、全ての国民のための利益である!)を大きく毀損しています。そのうえ、聞き方しだいでは、日本は恐るべきほど野蛮なカニバリズム(cannibalism/人肉食習慣)の国ではないかと、世界中から疑われかねません。


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