toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

歴史の女神クリオが拒絶する「美しい国」のシンクロ現象

(副題)映画『マトリックス』が暗示するわが国のアーカイブ脆弱性、Appedix


<注>


この記事は、『2007-03-19付toxandoriaの日記/映画『マトリックス』が暗示するわが国のアーカイブ脆弱性』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070319に対するkaisetsuさまのTB『2007.03.21 Wednesday、シンクロと共鳴の違い⇒プロ奴隷はシンクロの病理である/http://blog.kaisetsu.org/?eid=530197』に触発されて出来たものです。


(日本美のハーモニー、京都の春)



醍醐寺の桜



白川の桜


(オランダの光のハーモニー、フェルメールの絵画芸術)



フェルメール『絵画芸術』 Johannes Vermeer「The Art of Painting」ca1666-1673 Oil on canvas 130×110cm Kunsthistorishes Museum 、Vienne


・・・『絵画芸術』は、フェルメールが30歳半ば〜40歳頃に描 かれた作品ですが、精密で現実的な観察に基づきながら寓意に満ちた理想の世界を描いたフェルメールの“至高の傑作”とされています。詳細な絵の解釈につい ては今でも議論が尽きていないようです。ラッパと大きな書物を持つ女性は歴史を司る女神クリオ(Clio)の扮装で、彼女の頭を飾る月桂冠は永遠の名声を表します。机 上の仮面はミメーシス(模倣)の象徴、いわば「絵画芸術」そのものの象徴です。真正面を飾る大きな地図はネーデルラント17州(現在のオランダとベル ギー)の地図です。細部や寓意 の解釈もさることながら、やはり重要なのはフェルメールの至高のハーモニーと光、そして細部描写の精妙な美への誘い、つまり「オランダの光」の感動を堪能するこ とです。


第二次世界大戦におけるファシズム的シンクロの光景)



(現代におけるファシズム的シンクロの光景) ← 「美しい国」の未来?



予想したとおりのことですが、今アメリカでは、ブッシュ政権による「強権的な連邦検事8人の解雇」をめぐり、上院司法委員会のリーヒー議長が、ブッシュ政権は公表されたくない大部分のドキュメントを先に削除していたと指摘し、“ローブ米大統領次席補佐官とマイアーズ前米大統領法律顧問が宣誓証言を行い、それをオフィシャルに記録することが真の説明責任を果たすことになる”と強調する一方で、実際にローブ、マイアーズの両人が公聴会で宣誓証言を実行することを要求する騒ぎとなっています(参照/下記ニュース&ブログ記事★)。
★『米大統領、司法長官支持を強調 議会に対抗/2007.03.21 Webposted CNN/AP/REUTERS』、http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200703210007.html
★『2007-03-19付toxandoriaの日記/映画『マトリックス』が暗示するわが国のアーカイブ脆弱性』、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070319


一方、我が日本では“1本5,000円の高級ミネラルウオーターを毎日飲まないと死んでしまう(らしい?)松岡農水相が「安倍シミュラク−ル劇場」(鉄面皮でアクロバティックな仮装劇場)のクライマックスを気取りつつ“高級水飲みの場の名(迷?)艶技”を飽きもせずに演じ続けてています。ファシズム的な政治権力の説明責任にとって不都合なドキュメント・領収書などの証拠は須らく廃棄するべしというのが、「美しい国ニッポン」における新たな正統法理(法の支配の原則)となったようです。


これは、まるでガキかヤクザの論理です。これでは、ますますファナティックで不可解な浮遊感だけが国中に充満し、そうでなくとも“長いモノに巻かれ易く意志薄弱で善良”な多くの日本国民は、金太郎飴のようなシンクロの殻に自閉し、その中でマゾヒスティックに安住することになりそうです。


これまでの人間の歴史が壮絶な対立・抗争の繰り返しで絶え間なく紡がれてきたものであることは否めない事実だと思われます。しかしながら、その時その折の反体制を弾圧した最高権力者とそれを支えるスピン・ドクターや御用学者たちの多くは、少なくともそれなりの倫理を追及する最高の知性の持ち主たちでした。少なくとも、彼らの多くは現代日本の「小泉詐欺劇場」や「安倍シミュラクール(仮装)劇場」に寄生するような『殆んどソノマンマ盗人やコソ泥のような<悪得>国会議員』たちではありませんでした。


だからこそ、彼らの精神環境の片隅には「自らの不明を恥じるだけの度量・器量」と「反体制や異端分子の中にさえ未来の人間の新たな発展のための光明を見出すことが可能な柔軟な精神」を宿していたのであり、これこそが現代の民主主義社会へ繋がる歴史の推進力となってきたものだと考えられます。それと反対に社会と人間のシンクロ化を好むファシズムの精神は、このような知性の対極にあるものであり、それは歴史の女神クリオが最も忌み嫌うグロテスクで猟奇的な心性であったはずです。


(注)悪得


・・・悪意を持つ者と犯罪的意志を持つ者だけが絶対的に“得をする”ように仮装・擬装・厚化粧された現代日本の『シミュラクール(仮装)』的、かつ『擬装右翼』的な意味でドン底まで堕落・頽廃・腐敗した政治・社会の本質を摘出するための造語である。いわゆる「悪徳」(道徳に背く行為を意味する=美徳の対語)のように常識的で柔和なコトバで、このように“犯罪的なまで擬装化された日本社会のリアリズム”を批判することは、もはや不可能と思われる。


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