toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

2007年春、ドイツ旅行の印象/TRAILER(予告編)

ハイデルベルクの風景


                           [ハイデルベルクの風景]


ドイツ国内、約20地点の周遊を終えてつくづく感じたのは「ドイツの人々の質素で地に足がついた日常感覚、人々の冷静な眼差し、そして清涼な空気と美しい環境」ということです。やはり、それは決して東洋のどこかの国のような“異様に浮ついた美しい国”ではありませんでした(参照/下記ニュース記事◆)。しかも、その清涼な空気が、地方のみならずベルリン、フランクフルト、ミュンヘンなどの大都会にも満ちていたことが驚きです。
桜を見る会でも「美しい国」強調 安倍首相 2007年4月14日  東京新聞(ネット)、http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2007041402008706.html


単純に「善と悪、あるいは美と醜を区別できる」というからには、これらの審級が可能な絶対的価値を理解できたという前提があるはずです。しかし、この絶対的な価値なるものを神ならぬ人間がそう簡単に手にいれることができるとは思われません。


かつて、このドイツにはそれができると誤解した人物、ヒトラーが出現しました。ある東洋の自称“美しい国”の超右派の人々は、今でも、自らのその審級能力が古来から日本文化の中だけに存在してきたと勘違いしているようです。そのうえ、日本とドイツの過去の罪を裁いたはずのアメリカも、どうやらそのような勘違いを信念とする人々(銃社会の暴力を是とするリバ−タリアン、あるいは利己主義の固まりのようなファンダメンタリストなど)によって引きずられている節があります。


ただし、このような“勘違いをする人々”を過剰に警戒し過ぎる陰謀史観のような感覚も要注意です。なぜなら、ヒトラーのような人物たちが必ずしも高い知性の持ち主であるとは限らないからです。それを具体的に言うならば、ヒトラーの知性を過剰に想定した人々の勘違いが“モンスター化したヒトラー”を生み出したと考えられるということです。ドイツの過去の悲劇には、そのような可能性があると思われます。


ともかくも、そのような意味で、今や最もモンスター化しつつあるのは“民主主義の旗手であったはずのアメリカ”であり、そこに追従するばかりの“相変わらず勘違いしたままの東洋の美しい国”のようです。ドイツは、このような意味での勘違いを克服するために必要な知恵を身につけてきました。そして、その基礎を提供したのがカール・ヤスパース(Karl Theodor Jaspers/1883-1969/精神科医実存主義哲学者)です。


この欧州的な新しい知恵の伝統(ヤスパースは、全ての国民は一人ひとりの立場に応じて政治の責任を負うべきとする罪責問題を論じた/ここから人道上の罪の考え方が理解されるようになり、国内法の上に人権を想定する現代的な意味での国際法の理解が生まれたと考えることができる)は、フランス的にソフィスティケイトされて現在のEU欧州連合)を支える中核的な理念となっています。ここでは、フランス国務院(Conseil d'Etat /コンセイユ・デタ)の立法官僚たちが活躍しています。


例えば、この成果はEUにおけるアメリカ的な「バイオポリテクス」(血液、精液、卵子体外受精児、各臓器など人体内パーツの商品化と政治のための道具化)に対する明確な抵抗として現れています。ここで詳しく論ずることはできませんが、その特徴を短く言うならば、それは法体系と哲学を歴史的観点から結びつけて、人権(≒人類と地域文化)を守るために国家が果たすべき役割を明確にしたということです。


奇しくも、この観点は下記のkaisetsuさまから頂いたコメント&TBと重なる部分があるように思われます。


(コメント転載)kaisetsuさま → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070327


『大西洋間の緊張が深まる可能性⇒ブリュッセルとワシントンの対立


投稿者:kaisetsu 2007/04/05 13:41:03(旅行中につき転載が遅れました、toxandoria)


最近のtoxandoria氏の一連の日本の政治批判は、誠に的確なものであるが、基本的に、日本社会のブッシュ米国シンクロ状況に対する伝統的欧州的価値からの批判であり、結局、米国の求める社会的価値・モラルと欧州の求める価値が大きく隔たっていることの例証でもある。by Kaisetsu


(参照)

『toxandoria の日記、アートと社会』
2007-03-27 「日本改革の美」に酔う「擬装右翼」の妄執的感性の危険性』


(TB内容の一部転載)kaisetsuさま  → http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070327
http://blog.kaisetsu.org/?eid=535831


2007.04.05 Thursday
大西洋間の緊張が深まる可能性⇒ブリュッセルとワシントンの対立


◆誰も予測していないが、大西洋間の緊張が今後、急速に高まる可能性が高いと予測する。


◆東西冷戦構造の終焉、多極化時代、欧州・日本・米国の時代、BRICsの台頭、アジアの隆盛の時代を経て、『米欧の利害対立・調整』の時代に入りだした、と思われる。


◆米欧の民主主義、自由主義理念は現在、大きく異なってきており、それが、米国とフランス・ドイツの具体的な政策の対立点となっている。


◆これまで、米国よりながら、ブリュッセルとワシントンの対立の緩衝役であった英国もブリュッセルに組み込まれていくであろう。


◆米国は、米国の建国の歴史について深く考察する時期に向かい、欧州との対立点が浮かび上がるだろう。


◆東西冷戦後の急速な変化によって、米欧の政治制度、通貨制度、環境問題への取り組み、政治哲学、国民性等は大きく異なり始めており、欧州へのアフリカ系・トルコなどのイスラム系移民と定着と、米国への中華系、韓国系、インド系住民の移民や留学、伝統的な中・南米諸国からの移民層の定着など、選挙民の構成も大きく異なってきている。


ブリュッセルは、欧州全体の共通の価値を守るために働く、欧州全体から選ばれた政治的エリート集団の牙城である。


◆つまり、ブリュッセルとワシントンの対立である。


◆これは、行き詰ったポスト・モダン政治を、欧州と米国の、どちらの勢力によって打開できるか、の闘いでもある。アジアの勢力によって打開できると思われた時期は終わり、自信を取り戻した欧州と米国によって、新しい覇権の争いが始まるだろう。往々にして、集団間の闘争において、僅かな差異、つまり小異こそ、最も激しい戦いの理由となる。


◆アジアの統合は、主に日本外交の失敗によって時機を失い、欧米の覇権争いに巻き込まれ、分断される。アジアは、これから数百年単位で続く高度情報化社会において、頭脳部分に入る可能性を失った。


◆今後の高度情報化社会の頭脳部分のトップ争い、つまり、世界の倫理的・道徳的・政治的・経済的・社会的『価値』形成の主導権争いは、欧州と米国、つまり、ブリュッセルとワシントンによって争われる。


・・・・・ドイツ旅行の印象(TRAILER)ア・ラ・カルト・・・・・


ベルリンの壁(残された一部分)


エルベ河畔から三王教会を望む、ドレスデンの風景


フェルメール「窓辺で手紙を読む女」(国立絵画館、ドレスデン)


カイザーブルク城(ニュルンベルク)


レーゲンスブルクのワンちゃん1


レーゲンスブルクのワンちゃん2


レーゲンスブルクのお嬢さんたち


レーゲンスブルクの街角風景(四重奏)


ミュンヘンプリマドンナ(?)


ミュンヘン・マリエン広場の風景


ガルミッシュ・パルテンキルヘンの風景


ヴィース巡礼教会


シュバンガウの風景


フュッセンの風景


ローテンブルクの風景


ハイデルベルクの風景


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