toxandoria:旧「toxandoriaの日記」

W,Ⅴ.O.クワインによれば、地理や歴史から物理学や数学、論理学までに至る知識や信念の総体は周縁部(フリンジ)でのみ経験と接する人工の構築物ないしは「境界条件が経験であるような力(持続的ダイナミズム)の場」とされ、この描像の下で理論(又はイデオローグ)と合致しない観察結果が得られたとき生ずるのは何らかの特定の仮説の撤回ではなく、信念体系内部の各命題に割り当てられていた真理値の再配分であり、そこには多くの選択の余地(つまり無限の可能性が絶えず拓ける状態)がある。中山康雄著『科学哲学』(人文書院)

改憲論に潜入するカルトの誘惑(4/終章)


ミルキー・ウエイにおける太陽の位置(イメージ図)
国立天文台三鷹キャンパスHP、http://4d2u.nao.ac.jp/html/program/mitaka/より


銀河(ミルキー・ウエイ)は、天の川に象徴される我われの銀河系と同じ形態の恒星の大集団のことです。我われが住む太陽の位置は、このイメージ銀河の中心からおよそ8キロパーセク(1キロパーセクは3260光年)であり、銀河のやや周辺の位置にあります。


晩年に住んだケプラーの家(レーゲンスブルク、2007.4.7撮影toxandoria)


若きヨハネス・ケプラー(Johannes Kepler/1571-1630)は、“太陽が宇宙の中心だ”というコペルニクス(Nicolaus Copernicus/1473-1543)が立てた仮説、つまり当時としては異端審問で火炙りとなっても不思議でない大胆な地動説(Helio‐centric model/厳密には太陽中心説)を逸早く認めています。しかし、未だそのころ、彼より7歳年長のガリレオ・ガリレイGalileo Galilei/1564-1642)はコペルニクスの仮説への同意に迷っていました。


ケプラー宗教改革の嵐の中で、グラーツ(Graz/オーストリア南東部の都市)やプラハ(Praha/チェコの首都)などの各地を転々として、ドイツのレーゲンスブルク(Regensburg)て生涯を終えました。上の画像は、レーゲンスブルクに現存するケプラーが晩年を過ごした家です。


・・・・・


[副題]総カルト化する日本が学ぶべき欧米の知恵(4/終章)


(プロローグ)


5月7日(月、PM7:30〜)に放送された「NHKクローズアップ現代:9条を語れ 憲法は今」で、下記の事実(●)を知り知り衝撃を受けたことで、このシリーズ記事が始まりました。


(a) 財界の改憲論の主張(経済同友会が火付け役となった)は、グローバリズム経済で世界に伍して大競争に勝ち抜くためには集団的自衛権の行使を容認して「世界の経済戦線で活躍するビジネス現場を自衛隊が守るべきであり、そこでは場合によって先制攻撃も辞すべきでない」と考えていること。


(b) 格差拡大が進みつつある日本社会の底辺へ押しやられた、いわゆる負け組みの人々の中で一種の「戦争願望から改憲を望む」若者たちが増えつつあること。


いわば、この衝撃は『異質なものや考え方が、互いに自立性を保ちつつ共存し、補完し合い、相呼応して共に見識を深める』という民主主義に必須の内面的な機序が日本国民の精神環境から急速に失われつつあることへの恐怖感です。このようなタイプの「戦争願望」は余りにも自己中心的であり不健全です。市場原理主義の毒素が財界トップと若者たちの内面を冒し始めたようです。


4 “美しい国”が妖しく誘う「クローン・カルト国家」への道


(求められる“内なるヒトラーとの永遠の闘い”への覚悟)


・・・ひたすら「美しい国」という浮ついたコトバを掲げるばかりの現代日本の「保守主義」(実は擬装保守主義と呼ぶべき!)の分かりにくさは、やはり異様です。欧州的な意味での立憲主義に根ざした「正統保守」的な感覚(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070511)からすれば、「美しい国」などは高々が「カルト化した暴力組織」か「擬装右翼」の合言葉にしか見えません。また、直近の英・仏の政治動向をグローバリズムに伴う“世界的な右傾化”傾向の一環とみなすメディア等の議論を散見しますが、このような観点からすれば、やはり、それも根本的な誤解ではないかと思われます。・・・


●上の引用部分(・・・〜 〜 〜・・・)は、『2007-05-11付、toxandoriaの日記/英国民のドレスデン爆撃への反省と「ブレアの退陣」、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070511』からの部分転載ですが、このような政権与党の責任ある政治家たちの“カルトの証言”が続発しています。例えば、もう約3ヵ月前のことなので大方の国民は忘れているかも知れませんが、次のような伊吹・文部科学大臣の驚くべき発言があったばかりです。


『2月25日、長崎県長与町で開かれた自民党長与支部大会での吹文部科学大臣の発言』


●ここで、伊吹大臣は“大和民族が日本の国を統治してきたことは歴史的に間違いない事実であり、日本は極めて同質的な国である。”と発言しました。また、昨年12月に改正された教育基本法にも触れて“悠久の歴史の中で、日本は日本人がずっと治めてきた”と語り、同法の前文に「公共の精神を尊び」という文言が付いたことについても“これは日本がこれまで個人の立場を重視しすぎたためだ・・・”と語り、更に、人権をバターに喩えて“バターは栄養がある大切な食べ物だが、人権も食べ過ぎれば日本社会は『人権メタボリック症候群』になる”と語りました。


●実は、(プロローグ)で注目した(a)『グローバリズム時代における経済戦線での安全確保のためとする、経済同友会・幹部による集団的自衛権(米軍と融合した)と先制攻撃の容認論』と(b)『負け組みの若者らによる職場としての戦争待望論』及び、この伊吹大臣の発言には、ある共通点があります。そこで観察されるのは、“底なしの不安心理”を一種のエネルギー源として、まるでクローン細胞のように増殖する自己回帰的でフラグメント化(fragmentation/断片化)した、まるで金太郎飴のように同じ相貌の(無反省に同じ精神環境を複製・コピーするという意味で・・・)非個性的な意識です。


●別に言えば、それは「ファシズム的なシンクロの光景」(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070321)です。しかも、よく観察してみると、このような意識でのシンクロ化傾向は(a)、(b)の両極端だけでなく、一般の大多数の国民層でも広がりつつあることが分かり不気味な思いがします。例えば、我われ一般国民は、本や化粧品等の買回り品を購入するとき、あるいは旅に出るとき、実は自分にあまり自信がないので、つい売れ筋や上位ランクを選んでしまうという傾向があります。


●上位ランクを選べばなんとなく、そして、とりあえず安心だ・・・これが現代日本に生きる平均的な日本人の“親方日の丸的な感覚”(伝統的なカルト感覚?)であり、行動基準となっているようです。そして、加熱するばかりのメディアによる宣伝合戦とネットワークの高度化、mixi、ブログなどの普及がこの傾向に更に拍車をかけています。このため、売り手・供給側での「ランク操作疑惑」(公表順位の擬装工作)までもが囁かれるようになっています(ネットによる体制迎合促進の病理/出典:2007.4.16付日本経済新聞ネットと文明、第10部 主従逆転1』)。


●まことに恐るべきことですが、このように見てくると、我われ日本人の日常生活の中では凡ゆる社会生活を隅々まで国家権力で上から統制しようとするファシズムへの準備が進められていることが分かります。つまり、それが「国民意識のフラグメント化とシンクロ化」、別に言うなら「日本が総カルト化」しつつあるということであり、これこそが『我われの内なるヒトラー』の正体です。


●このように見れば、一部のメディアが主張するように“グローバリズム下で世界が右傾化しつつある”のではなく、今まさに、世界の大勢が「神の前に立つ人間は根本的に蒙昧な存在であるから、歴史的な経験と試練から<絶えず新たな知を学び取ろうとする継続的な努力>こそが最も大切だ」という正統保守の感覚を学びつつある(英国ブレア首相の辞任はその一例/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070511)中で、日本だけがそれに逆行して“時代錯誤的に右傾化・ファシズム化”どころか“異様なカルト政治国家化”しつつあることが見えてきます。


●「当シリーズのまとめ」として、昨今もて囃されている「美しい国」(何のコトか?)や「青藍の天空を貫く国民の意思の糾合」(=反授権規範的な国民投票法整備のことか? or 戦時体制整備のことか?)などの言説が、高々「カルト化した暴力組織」か「擬装右翼」の合言葉にしか見えなくなるほど刮目すべき事例を一つだけ指摘しておきます。このことは、歴史的な経験と試練から<絶えず新たな知を学び取ろうとする継続的な努力>こそが最も大切だ」という「正統保守の感覚」にも通じるものであり、未来の日本の民主主義の基本としても参考にするべき健全な人間の意識であり、感覚でもあります。


【“ドイツ人の教科書”とされた『アブッシュ著・ドイツ史/ドイツ、歴史の反省』の存在】


『Alexander Abush(1902−1982/ジャーナリスト):Der Irrweg Einer Nation(Berlin、1951)』
・・・邦訳(◎)は下記ですが、残念ながら絶版となっています。


◎アブッシュ著、成瀬 治・道家忠道、共訳:ドイツ/歴史の反省(筑摩書房


第二次世界大戦後におけるドイツ人の真摯な反省に大いに貢献した人々の中の巨人がヤスパースであることは既に述べていますが(参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503)、同書の「訳者まえがき」によると、戦後のドイツ(東西)で刊行されるや、この本は“ドイツ人の教科書”として争うように読まれました。その後、これは『ドイツ人によって裁かれたドイツ』の表題でフランスでも出版されています。


●言うまでもなく、この本はドイツ史の本です。しかし、普通の歴史書に飽き足らなかった著者アブッシュは、客観的・科学的にナチズムが成立するに至るドイツの歴史を遥か中世まで遡り、豊富な資料を駆使して分析しています。つまり、中世史、農民戦争の時代、プロイセン主義の台頭、ナポレオン時代の国民闘争、三月(48年)革命前後からビスマルク帝国の成立、ドイツ社会民主主義の矛盾への批判、ヴィルヘルム2世の帝国主義第一次大戦後のドイツ革命、ヒトラー主義の発展などの詳細な分析を通して、ドイツ史における“反動と進歩との闘いの大きな流れ”を明らかにしました。


●この本の著者は、ドイツの反動の歴史の弾劾に止まらず、不幸で悲惨な経過を辿ったドイツ国民の中の進歩勢力と反動勢力との絶え間ざる闘いがあったことを明らかにしています。そして、最後に「ドイツには民主的未来の現実的な可能性があること」を明らかにしました。つまり、自分の国であるドイツに対する極めて厳しい批判があるにもかかわらず、一方で真に国を愛する者としての中庸で正直な情熱が共感を得たため、戦後のドイツの人々は、この本を“ドイツ人の教科書”と呼ぶようになった訳です。


●この本の中でアブッシュが以下(・・・〜 〜 〜・・・)のように書いている論点は、現代の我われ日本人にとっても特に重要なことです。そして、このようなアブッシュのドイツ史に対する真摯な姿勢は、ヤスパースに通じるもの(「政治的・法的な責任」と「内面的な責任」/参照、http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070503)があります。


●特に、『数千年を通じて統一的な、独立した“神話的に予め定められた”人種的民族性などというものは、ナチのあいまいな、ある目的のための、「生物学的世界観」の中だけにある。』という件(くだり)は、「真摯な戦争への反省」どころか「正しい科学の意味」すら理解できず(科学とカルトの区別の仕方についてはhttp://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20070510を参照)、それ故に“美しい国”と“人権メタボ論”を標榜するまで精神環境を劣化(カルト化)させてしまった、ナチ型の「非人道的バイオポリティクス」(人権どころか、人体・生命の政治的管理)がお好みらしい<安倍総理大臣、伊吹文部科学大臣ら日本の政治権力者>の面々に十分理解してもらう必要があります。


・・・「人種の遺産」ではなく、諸民族が統一国家に成熟したときのその歴史的行動こそが、彼らの今日の特殊な民族的性格を刻印したのである(この前の部分の件(くだり)で、アブッシュはドイツのみならずヨーロッパ中の国々が歴史のプロセスの中で、かなり頻繁に混血を繰り返してきたことを説明している)。・・・


・・・民族の性格は歴史の所産であり、人種から帰結したものではない(この点についての認識が、ゲルマンの純血に狂ったヒトラーらは決定的に欠いていた! しかも、恐るべきことに、このような科学的・歴史的認識の欠落は“美しい国”を標榜する現代日本の政治権力者の方々にも共通するものである!)。それは社会的現象であり、運命的に定められた「血と土地」の産物ではない。数千年を通じて統一的な、独立した“神話的に予め定められた”人種的民族性などというものは、ナチのあいまいな、ある目的のための、「生物学的世界観」の中だけにある。・・・


・・・ヨーロッパの近代国民にして、ただ一つの人種から生じたものは、ひとつもない。いずれもが、さまざまな人種の人間から成り、それらが言語と文化と領域と経済組織の一共同体まで成長したのである。これはドイツ国民にもあてはまる。民族の性格、すなわちその精神的、政治的なあり方の全体は、その民族の歴史の転回点における民族自身の行動によって根本的に変化し得るものである。・・・


・・・血と恥辱の中でのヒトラーの最期は、ドイツ国民の最期ではない、ドイツ国民の転落がどんなにひどいとしても。ドイツが今やどこに行くべきかを知るためには、ヒトラーのドイツがどこからきたかを明らかにせねばならない(そして、すべてのドイツ人がそれを冷静に理解しなければならない)。・・・


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